鎖影の庭   作:土斑猫

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【コワイ ネガイ】

 「私を、壊してください」

 

 突然の願いに、ジャングルポケットは呆気に取られた。

 手に握らされた果物ナイフと真剣な目で自分を見つめるシャ・ノワールを交互に見て。

「……訳、分んねぇ……」

 と、呟いた。

「そんな難しい話です?」

「いや、分んねぇ。説明しろ。簡潔・簡単・手短にだ」

 『面倒ですねぇ』とかブツブツ言う彼女に、重ねて問う。

「大体お前、お仲間に殺られかけた時に『嫌だ』とか言ってたじゃねぇか。ソレが何処でどうなってそうなったんだよ?」

 全てはサクラローレルの奸計によって周知の事実。

「アレは、タキオンさんに役立てない形で壊れるのが嫌と言う意味です。事情が違うんですよ」

 アッサリと答えたその目を、改めて見る。いつか間近で見たソレと、何も変わらぬ昏い輝き。恋愛ではない。親愛でもない。友愛ですらない。

 届かぬ焦がれに対する心酔。

 『狂信』の光。

「……だから、その事情っつーのを説明しろ。じゃねーと、此処に捨ててくぞ」

 溜息を吐くと、話し始めるシャ・ノワール。

 先までの感情の動きが嘘の様に。

 淡々と。

 色も無く。

 曰く、自身がこの世界に居る意味はアグネスタキオンそのもの。

 彼女が己の目的に到達する為の道程の、導となるが願い。

 同胞である他のそっくりさん達とは明確に対立する立場であるが、知った事では無い。

 自分は、自分の為のみに生きる。

 ソレは、そっくりさん全ての願いである事に変わりなく。ただ、自分はその行く先が皆を巻き込む終わりであるだけ。

 そう。ただ、ソレだけ。

「私には、創造主たるプーカの記録があります。ソレが尽きない限りは、私はタキオンさんの役に立てる。存在する意味が在る。そう思っていたのですが……」

 事態が、一変した。

 ソレは、プーカに人喰い癖が在ると知ったスイープトウショウが引き出した可能性。

「プーカが二人いる……って話か?」

「はい」

 ジャングルポケットの問いに、頷く。

「プーカは神ではありません。世界そのものの理に上回るモノでは無く、あくまでその下に傅くモノの一片です。であるならば……」

 『顕界』と『庭』。二つの世界が釣り合う様、壊れぬ様。双方に対となる『オリジナル』と『そっくりさん』が必要ならば。

 世界の『部品』に過ぎないプーカもまた、同じ事。

「考えてみれば、至れる可能性でした。でも、私は至れなかった」

 淡々と語る目に浮かぶ色は、絶望でも悲しみでもなく。

 ただ、諦め。

「私に、プーカに対する未知がある。今、『そっくりさん』である私が知っていないのなら……」

 至る結論は、一つだけ。

「そっくりさん(私)に、ソコへ至る術は在りません……」

 そう。

 彼女達『そっくりさん』は『現在』だけの切り取りなれば。

 今持たぬモノは、永遠に持つ事は叶わない。

「ならば、私はもう『打ち止め』なのです」

 悔しいとも。

 無念とも思わない。

 思う理由が無い。

 そっくりさん(自分)は、そう言うモノだから。

 そして、ソレが分かったのなら。

「もう、私がタキオンさんにして差し上げられる事は一つだけ」

 トンと指刺す、己の心臓。

「この身を還して場所を空け、本当のマンハッタンカフェをタキオンさんにお返しする事だけです」

 どうせ、いつかはそうする筈だった。

 己の意が、アグネスタキオンの益となるが全てと決まった時から。

「とは言え、流石に自害するのは怖いモノで」

 返す指の先には、ジャングルポケット。

「なれば丁度良い。タキオンさんの前で散々晒してくれた貴女に、役を押し付けようと思った次第です」

「……何でだよ?」

 ものすごーく嫌な顔を見て、『そう、ソレソレ』と。

「オリジナル(貴女方)は良い子揃いなので、そっくりさんとは言え壊すのはさぞや不愉快でしょう? 暫くは、ご飯も食べられなくなる位」

 つまりは先に言った通り。

 質の悪い『仕返し』。

「大丈夫ですよ。私が消えると同時に、世界はオリジナルのマンハッタンカフェを引き戻します。シャ・ノワール(私)の存在は無効となります。壊れたと言う事象諸共。貴女に罪は、残りません」

 言い終わると得意げに胸を張り、両手を広げて。

「さあ、どうぞ」

 などと宣った。

 そんな彼女を前に、ジャングルポケットは目を閉じ。天を仰ぎ。暫しの間の後、大きく大きく息を吐き。目を開いて。期待と喜びと儚さの混ざったシャ・ノワールの顔をジッと見て。

 

「アホかーっ!!!?」

「ぺみょん!!!!?」

 

 炸裂する怒りの脳天唐竹両断チョップ。

 愉快な悲鳴を上げて、腰から崩れ落ちるシャ・ノワール。

 想定してたのとは全然違う方向の一撃。実質NOガードでNO覚悟。

 故に、ダメージ甚大。

「ぬぅぐぁあああっ!! な、何するんですかぁ!?」

 盛大に中身をシェイクされた痛みと目眩と吐き気と寒気と動悸と息切れに半泣きでのたうち回りながら抗議する。

「私は壊してと言ったんであって脳みそドヤかせとは言ってないです!!」

「うるせぇ! 阿呆!!」

 帰って来るのは無慈悲な怒鳴り声。

「あー、またアホって言った!!」

「大事な事だから二度言ったんだ! 阿呆!!」

「に、二度ならず三度までも……!!!」

 戦慄くシャ・ノワールにズカズカ近寄ると、むんずと頭を掴んで顔を上げさせる。

 金魚みたいに口をパクパクさせる彼女に、グイと寄せられる怒鬼の顔。

「タキオンタキオン言いやがるから、どんだけアイツの事分かってんのかと思えば! 徹頭徹尾そっちのけで自分のしたい様にしてるだけじゃねーか!! テメーは!?」

 牙を剥く怒声が、ビリビリと鼓膜を揺らす。

「確かにタキオン(アイツ)はコミ症変人我儘ズボラ何考えてるか分からねーおまけに他人の事なんざモルモットとしか思わねーマッドサイエンティストの役満ヤローだがな、テメェの為に誰かが死んで喜ぶ様なクソ野郎でもねぇんだよ!!」

「分かってますよ?」

「!」

 返って来た声の変化に、息を呑む。

 掴んだ頭。乱れた黒髪の間から覗く顔。オリジナルのマンハッタンカフェと同じ。同じだけど、違う。怖い、怖い顔。

 ウマ娘の形をした、『違うモノ』がする表情。

「分かってますよ。そんなコト」

 その顔が、言葉を紡ぐ。カタカタ、カタカタ。カタカタと。

「だからやるんですよ。こうでもしなきゃ、遺れないもの。タキオン(あの人)の中に、遺れない。塗り潰されちゃうもの。カフェに、マンハッタンカフェに。オリジナルに。タキオン(あの人)が、本当に好きな人に。及ばないもの。偽物だし。模造品だし。代用品だし。濃さも、厚さも重さも敵わないし。だから、せめて遺すんです。傷を、本物のマンハッタンカフェでも塗り潰し切れない傷を」

 泣き言では無い。

 怨嗟ですら無い。

 見え隠れするのは、狂喜。

 自分の最も理想とする『終わり方』を見つけられた、狂喜。

 怖気が、立つ。

「そう言う意味でもね、貴女に頼みたいんですよ? ジャングルポケットさん?」

「!」

 掴んでいた腕を、逆にシャ・ノワールの両手が掴む。神の御手に縋る様に。救いを乞う様に。優しく。控えめに。フワリ。フワリと。

 異様に、冷たい体温。

 強張りかける身体に抗おうと傾げた視線が、『彼女』のソレとかち合う。

 見ていた。

 シャ・ノワールの目が。

 今まで、アグネスタキオンしか映していなかった筈の金色が。

 確かに見ていた。

 映していた。

 ジャングルポケット。

 その存在を。

「ジャングルポケット。アグネスタキオンに脳を焼かれて、アグネスタキオンの脳を焼いた人」

 ググッと寄せられる顔。

 ハッと距離を取ろうとするも、動けない。掴まれた手には痛み。猛禽のソレの様に食い込む爪。

 最早、先までの優しさは無く。

 逃げるなら、いっそ引き裂いてくれようと。

 明確に。

「マンハッタンカフェとは違う。けれど同じ。アグネスタキオンの中に、深く根付くもう一人」

 クスクスと笑う顔。

 歪に。

 ニチャリと。

「私を壊すのが、そんな貴女ならば。傷は貴女の根を通り。より深く深くに届くでしょう? 『あの人』の」

 凝視する目。

 金色の、爛々と。

 奥に在るのは。

 狂気。

 妄執。

 嫉妬。

 敵意。

 羨望。

 そう。ソレは。

(……タキオンのバカヤローが……)

 心の中で、毒付く相手はかの悪友。

(変わってねぇぞ……コイツ。なんにも……)

 そう。変わっていない。

 彼女は。

 シャ・ノワールは。

 今にしてなお。

 魔性としての。

 『そっくりさん』としての本質を失ってはいない。

 でも、ならば先まで見せていた無邪気さは何か?

 猫を被っていたのか。皆を。アグネスタキオンを欺く為に。

 否。

 自分を始め、相応の『目』を持つ者は皆の中にもいる。そんな薄いまやかしは、誰かが見抜く。であるならば、アレもまたコレの本質。

 無邪気な誠実と、邪悪な稚気と。

 その双方が混在する、混沌の具現。

「勘違いすんな! テメェのやろうとしてる事は呪いじゃねぇか!? タキオン(アイツ)に一生消えねぇ傷と痛みを遺す、薄汚ねぇ呪いがけだぞ!?」

「ええ、ええ。そうですとも」

 投げかける正論。けれど、根本からそうあるモノを変えるには程遠く。ただ『オカシイですねぇ』と返る嘲り。

「マンハッタンカフェの記録の貴女は、もっと逆境に強いんですけどね? ええ、ええ。間違いありません。この方法が、『一番』」

 

 アグネスタキオンを満たして、傷付けられる。

 

「分かってんのか……タキオンは、お前を……」

「だって、言ったのは貴方じゃないですか?」

「……あ?」

「私は、『バケモノ』だと。『バケモノ』は、人を騙すモノだと」

「ソレは……」

「ええ、ええ。そうです。ソレで良いんです。私はバケモノなんです。バケモノだから、タキオンさんを騙すんです。バケモノはバケモノとして、後を濁して消えるのです」

 言葉は出ない。

 悍ましい。

 怖しい。

 怖い。

 かつて、ソレなりの鉄火場を潜っては来た。

 総長としてチームの揉め事を収める事もあれば、仁義を通さぬ輩と荒事を構えた事もある。

 それでも、ソコにいたのは人であり。ウマ娘であり。どんなに敵対し、争おうとも。根底には通じるものがあった訳で。

 でも、目の前の友人の形のコレは。

「さあ、お願いします」

 いつの間に拾い上げたのか。

 落ちていたナイフが、もう一度握らされて。

「壊して、くださいな?」

 笑む顔は、グロテスクな程に綺麗で壮絶で。

 異質。

 駄目だと思った。

 やはりコレは、『バケモノ』だ。

 常から、ソレだけは駄目なのだと忌避する『アレら』と同じモノ。

 ああ、駄目だ。

 駄目だ。

 『アレ』だけは、駄目なのだ。

 逃げてしまおうと思った。

 簡単な事だ。

 幸い、力はコチラに分がある。

 力一杯突き飛ばして、そのまま。

「……ダンツフレーム」

「!」

 不意に囁かれた名が、恐怖に鈍化していた思考を跳ね上げる。

「ダイワスカーレット……スイープトウショウ……ニシノフラワー……こんな所ですかね? タキオンさんに、近しい方々は?」

「……何、言ってやがる……?」

 酷く嫌な予感。かけた問いに、宵闇の猫はやっぱり嫌な笑みで。

「貴女がしてくれなかった時に、代わりにお願いしようと思う方々です」

 などとサラリと言った。

 息を飲む。

「貴女やマンハッタンカフェ程ではありませんが、それでもタキオンさんにとって想い深い方々です。十分に、役目は果たしてくれるでしょう?」

「テ……テメェ……!」

「何方にしましょうかねぇ? タキオンさんと貴女とマンハッタンカフェ。絡むなら、やっぱりダンツさんですかねぇ? 同世代。切磋琢磨。同胞盟友親友ライバル。仲間外れは、可哀想ですねぇ。なら、いっそ引き摺り込みましょう? 仲良く。仲良く」

「やめろ!!」

 思わず掴む襟首。

 でも、悪意は失せず。

「時間の問題でしょう? もうあの方も此の時無しの籠の中。どうせ、向かい合わなきゃならなくなる。ソレでも?」

 ソレでも、である。

 あのお人好しを、こんな悪性と。悪意と対峙させるなど。きっと。否、間違いなく。叶う事なら。

「なら、逃げちゃ駄目ですよぅ?」

 事が思う通りに手繰れる悦を噛み締めながら、甘える様に身を寄せるて。

「そう、そう。貴女は、逃げませんとも。何よりも知っているから。隣にいた者が失せる痛さも。前を走っていた者が逝く虚しさも」

 そう。知っている。

 知っている。

「なら、頑張ってくださいな。タキオンさんも。ダンツさんも。そして、マンハッタンカフェも。全部が全部、元通りになる様に。頑張って。頑張って」

 

 ーー呪い(私)を壊して下さいなーー。

 

「頑張るのは、お得意でしょう? 知ってますとも。誰よりも、何よりも。ウマ娘(貴女方)を」

 握らされたナイフを掴む手を、冷たい手が上から包み込む。

 逃がさないから、と言う様に。

 そう。逃げられない。

 許されない。

 逃げれば、この悪意はアイツらに向く。

 とても。とても大事なアイツらに。

 気管が鳴る。

 ヒュウヒュウと。喘の息が泣く様に。

 怖い。

 怖い。

 人の悪意には、慣れている。

 世の不条理なぞ、当然のモノだ。

 けれど、コレは違う。

 知らぬ悪意。

 知らぬ不条理。

 未知は、怖い。

 逃げたいのに、逃げられない。

 それなら。

 やっぱり。

 方法は。

 一つっきり。

 脂汗で滑る柄を、握り締める。

 察した彼女が、邪ましく笑う。

 とても。

 とても、嬉しそうに。

 そう。

 この笑みに。

 この笑顔に答えてしまえば、全ては終わる。

 全ては元通り。

 怖いバケモノは消えて。

 自分は恐怖から解放されて。

 悪意はダンツを壊さず。

 カフェは帰って来る。

 そして、タキオンは。

 タキオン、はーー。

 

 過ぎるモノがあった。

 あの日。

 ターフの向こう。

 遠ざかって行く背中。

 加速する粒子。

 加速して。

 加速して。

 自分を置いてけぼりにして。

 その閃光で脳を焼いて。

 不可逆に焼き付けて。

 次は追いついてやる。

 捩じ伏せてやると誓った願いさえも置き去りにして。

 光の果てに霧散した。

 熱も。

 痛みも。

 疼く全てを置き去りに。

 延々と。

 呪いと化して。

 

「……駄目だ……」

 振り絞った声に、シャ・ノワールが不思議そうに小首を傾げた。

「駄目だ! 駄目だ!! 駄目だ!!!」

 振り払う様に叫び。

 頭を振り。

 向けかけたナイフを、引き千切る様にまた投げ捨てた。

「……えっと、先に壊れてしまっては困るのですが?」

 突然の狂態に困った顔をする彼女に向かって……否。叫びかけるのは『己』に向かって。

「駄目だ! んな事したら、タキオン(アイツ)は……タキオン(アイツ)は今度こそ走れなくなっちまう!!」

「走れなく?」

「そうだ! アイツは……タキオンはお前を大事に思ってんだ!! さっき、お前が名前を並べた連中みてぇに! ソレを……そんなお前を、俺が壊しちまったりしたら……アイツは……アイツは!!」

 かつてアグネスタキオンがレースを去ろうとしたのは、『硝子』とも言われた己の脚の故障所以。

 ソレは、与えられし肉体を更に凌駕するスピードの向こうを目指すウマ娘に宿命付けられた呪縛。

 幾多数多のウマ娘が捕らわれ、蝕まれ、涙と共にターフを去って行った。

 けれど、かの者達の走りへの想いはソレを前にして尚折れる事は無く。

 そして、彼女達の想いを叶えようと。世界もまた歩みを進め。

 科学は進み。

 医学は進み。

 トレーニング技術もまた進む。

 全てが彼女達の背を押して。

 新たな道を指し示す。

 そして、また幾人ものウマ娘がターフへと舞い戻った。

 最速の機能美も。

 無敵の帝王も。

 最強のステイヤーも。

 道は開ける。

 猛り飢える、心さえあるならば。

 けれど。

 けれどもし。

 壊れてしまったのが、その心だったなら。

「……あ〜、そう言う事ですか」

 彼女は、全く思い至らなかったと言う顔をして。

 そして、尚。

「素敵ですね」

 そう、宣った。

 酷く、ウットリとした顔で。

「な、に……?」

「走る事は、ウマ娘(貴女達)にとって至上の喜び。存在意義。生存本能。そして、根幹。ソレを、アグネスタキオンのソレを、『私』の残滓が奪い取る。塗り潰す。空っぽの、代替品でしかない私が!」

「お前……」

「ああ、そうです! そうです! ソレが良い! どうせこのままでも、タキオンさんの脚は壊れてるんです! ソレが、『アグネスタキオン』の『閉鎖』だから! なら、せめても私がその咎を負いましょう! タキオンさんのせいでも無い! トレーナーさんのせいでも無い! ましてや、『貴女方』でも無い! 誰のせいでも無い! 誰の罪にもならない! 私が、私がアグネスタキオンの『終焉』になる!!」

 闇が弾けた。

 少しの解け合いと。

 それに促された変容と。

 その愛いさの奥底に。

 依然と変わらず、澱み燻っていた闇が。

 彼女達は『そっくりさん』。

 閉鎖された可能性。

 その、具現。

 変われる、道理なぞ。

 無邪気な悪意に酔う彼女の様を、愕然としながら凝視する。

 分からない。

 どうすれば良いのか。

 何を諭した所で、今の彼女には通じない。全ては、悪意へと転化される。

 かと言って、放棄してしまえば矛先が向くはアグネスタキオンのみならず。

 どうにかしなければならない。

 自分が。

 この悪意の塊が望まぬ形で、その荒びを鎮めなければならない。

(どうする!? どうすりゃ良い!?)

「そんなにお悩みになる事では無いでしょうに?」

 苦悶する様を見た彼女が、困った様に。

「そんなに、酷い話でしょうか? 走る事は、ウマ娘(貴女方)にとっても苦痛でありましょうに?」

「……?」

 想定していなかった言葉に、乱れ尽くしていた思考が止まる。

 彼女は、続ける。『だって、そうでしょう?』と。

「無意ですよ。ええ、等しく無意。やればやるだけ。走れば走るだけ。骨は折れ。肉は裂け。血は煮え。臓腑は傷み。生命は削れる。なのに、果てに得るモノなんて有りはしない。生存的有利さが増すで無し。子種が繋がる訳で無し。お腹が膨れる訳ですら無い……」

 ブツブツと囁く聲は、まるで怨嗟の様で。

「己が種の存続こそが。貴女方、顕界這いずる者の証明なのに。其に何ら益ならぬ所業に泡沫の生を浪費する様の、何と空虚な事か。愚挙。浅慮。無駄。滑稽。滑稽。ただ、滑稽。全く、『くだらない』。ウマ娘(貴女方)は、本当にくだらない!」

 否定である。

 『ウマ娘』と言う存在の根底。

 彼女達の、『生命』の否定。

 これ以上の、侮蔑は無く。

 呼び起こされるのは、激昂。

 否定を否定する、衝動の誘発。

 黙らせる、破壊の誘導。

 恐らくは、ソレが目的で。

 けれど。

(何で、こんな事を……)

 ジャングルポケットの思考は、酷く冷え始めていた。

 怒りは有った。

 間違い無く、これまでの歩みにおいて最大級の怒りが。

 そして。

 わざとらしい程に怒りを誘発する言動に、逆に冷静になった。

 ここまで的確に神経を逆撫でるには、ソレだけ相手の事を理解していなければならない。

 そして、理解は無理解からは生まれない。

 理解するからこそ。

 価値を知るからこそ。

 真に抉る言葉は紡げる。

 つまり、彼女は理解している。

 ウマ娘の生きる理由も。

 走り続ける事の意味も。

 当たり前だ。

 彼女達は、影だから。

 ウマ娘(自分達)の、写し身なのだから。

 写し身? 

 ソレはそも。

 どう言う意味なのか。

「ねえ、なら。解放してあげましょう? タキオンさんを」

「……解放?」

「ええ、ええ。ウマ娘にとって、走りは呪いです。呪縛です。得なくて良い痛みと苦しみの棘道に引き摺る首枷です。得られる喜びに比するに値しない地獄です。だから、そこからタキオンさんを引き摺り出してあげるのです。大丈夫。あの人なら、別の喜びも糧も幾らでも得られましょう。逃げて良いんです。ええ、逃げて良いんですよ? ウマ娘(貴女方)は」

 いつしか、彼女の声は彼女の聲ではなくなっていた。

 誰かの声。

 いつかの聲。

 幾多。

 数多。

 那由多。

 数え切れない程のウマ娘達の。

 走りに対する。

 自分達の宿業に対する。

 怨嗟の聲だった。

(コイツは……いや、コレは……)

 渦巻く亡者の嘆きに抗いながら、巡らす思考。過ったのは、過ったのは一人の言葉。

 先の夜、事件の後に集まった仲間達の中にいたナリタブライアン。

 皆が情報交換をする中で、彼女は己が見た事をこう述べた。

 

 そっくりさん達の心臓は、大樹のウロの中に吐き溜められたウマ娘達の負念。

 故に。

 奴らは、ウマ娘の反面。影、そのモノだと。

 

 と、言う事は。

 

 ◆

 

 

「……ずっと、疑問に思っていたんだよ」

 トロリと濁った半欠けの朝気の中、一人きりの部屋の中でアグネスタキオンは誰とも無く呟いていた。

「そっくりさん(あの子達)はウマ娘(私達)のコピーだ。何もかもが、同じ筈。けれど、何故か思考や心理だけは明確に違う。私達の代用品としてあてがうなら、思考も心理も同じにしてしまった方が都合が良い。造主のプーカにしても、その方が色々とやり易かった筈だ。なのに」

 何故、そっくりさん達はそう在らなかったのか。

「理由はまだ分からない。だが、原因は分かったよ。ブライアン君の話を聞いてね」

 そっくりさん(彼女達)の心臓とされたウマ娘達の負念は、まま吐き捨てられた心の破片である。

 心の一部を内包したから、本来ただの人形である筈だったそっくりさん(彼女達)は心を宿した。

 内包したのが一部だけだから、そっくりさん(彼女達)は不完全となった。

 内包したのが、『負』だけだから。

 

 そっくりさん(彼女達)は、悲しいだけの存在となった。

 

「そっくりさん(あの子達)はウマ娘(私達)でありながら、ウマ娘の根源である『走り』と向き合わない。走りから逸らす為に、想う者に執着する。走りを、ただその者達を縛る為の手段に堕そうとする。彼女達は、『閉鎖された可能性』だ。私達が心折れ、立ち止まってしまった時が彼女達の行き止まり。其処から先へは、彼女達は進めない。私達が、前に進む為にあのウロの底へと吐き捨てた澱こそが、そっくりさん(あの子達)の真理だ」

 だから、そっくりさん(彼女達)は『走り』を見ない。立ち向かわない。意味が無い。越えられない。

 足掻いた所で、待っているのは鎖で閉ざされた門だけと知っているから。

「だけど」

 立ち上がり、顔を上げる。歩み寄る、窓。

「それでも、そっくりさん(あの子達)はウマ娘(私達)だ」

 手を掛け、窓を開ける。流れ込んで来る、冷たい朝霧。

「例え不完全だとしても、あの子達の中に在るのはウマ娘の魂だ」

 なら。

 それなら。

「とどのつまり、私達だって同じなのさ。油断すれば、閉鎖の中に囚われて身動き一つ出来なくなって堕ちて行く。一人では、どうにもならない事だってザラだろう。けれど」

 澄んだ冷気を一杯に吸い込み、吐き出す。徹夜明けの澱みが抜けて、明瞭になった視界でその方向を見晴るかす。

「だからね、私はキミに託してみようと思ったのさ。あの子のことを。いつか、堕ちかけた私の尾を踏んでくれたキミならもしや……とね」

 直感があったのだ。

 彼女とあの子が縁を持った。

 例えソレが、最悪なモノであったとしても。

「見返りはしよう。食べたがってた高級パフェでも良いし、思う存分併走にも付き合おう。だから、どうか……」

 願う相手は、最高の友達で好敵手(ライバル)。

 

 ◆

 

「!?」

 急に手を掴まれた。痛い程に。

 驚いて向けた視線を、彼女の目がしっかりと受け止めた。怯えに染まっていた先とは違う、強い光を宿した眼差し。

「分かった」

「え?」

「聞いてやるよ。お前の頼み」

「!」

 歪んだ喜びに震えた瞬間、掴まれた手が強く引かれた。驚く間も無く、腰を掴まれる。逃げられない様に。気付けば彼女の顔。互いの呼気を、感じる程に。

 熱い声が、言う。

「ただし、条件付きだ」

「……条件?」

 ドギマギと戸惑いながらの問い返しに、強く返される頷き。

「俺と、勝負しろ」

「……勝負?」

「ああ、ターフの上で。レースで勝負だ。お前が勝ったら、望み通り俺が壊してやる」

「!」

 虚ろな筈の心臓が、ドキリとなった。

 確かに熱を孕む視界の中の、彼女の顔。

 思い出した。

 彼女は、『ジャングルポケット』。

 果て無き『最強』を追い続ける、ウマ娘。

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