鎖影の庭   作:土斑猫

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【黄昏】

 

 日が暮れる。

 昏くなる。

 ゆっくりゆっくり、染まっていく。

 今の私の、心の様に。

 ああ。

 何なのかな?

 この、真っ黒い。

「スイープさん、暗くなってきたから足元に気をつけてくださいね?」

「うるさいわね。すぐそこの寮に帰るだけじゃない。どうって事ないわよ」

「でも、トレーニングの後で疲れてるし……」

「もう、大丈夫だってば!」

 黄昏に染まって行く視界の中で、二人の影が戯れる。

 大きい影は、キタサンブラック。

 小さい影は、スイープトウショウ。

 連れ立って歩きながら、スイープを気遣うキタ。

 そんな彼女の姿を、少し遅れた場所を歩きながらサトノダイヤモンドはジッと見つめていた。

(仲……良いなぁ……)

 二人寄り添うその様を、他の級友達は姉妹の様だと揶揄う。

 彼女も、最初はそう思っていた。

 思おうとしていた。

 けれど、その思いは日々段々と。

(キタちゃん……ちょっと近過ぎじゃない……?)

(スイープさん、嬉しそうだな……)

 心の声は、届かない。

 届けるつもりもない。

 そもそもが、この気持ちは自身が勝手に抱いているモノ。

 キタサンブラックはただ、皆に優しいだけ。

 不器用なスイープトウショウが、孤立してしまわない様に気遣っているだけ。

 分かってる。

 分かってるのに。

 並んで歩く二人を見る度に。

 キタサンブラックの隣に居るスイープトウショウを見る度に。

 心が、痛い軋みを上げる。

――そこは、私の場所なのに――。

 と。

(私、こんなに嫌な娘だったかな……?)

 キタサンブラックは幼馴染。

 親友で。

 ライバルで。

 ずっと、隣にいた。

 ずっと、一緒に歩いていた。

 それが当たり前で。

 ずっとそうだと思ってた。

 けれど。

 だけど。

 時は動く。

 ゆっくりと。だけど確実に。

 小さな種も、いつかは芽吹き葉を広げ。

 花を咲かせて、その果実を熟させる。

 自分達も同じ。

 幼かった頃の自分はもう無く。

 芽生えた心は、無垢のままではいられない。

 でも、ソレは彼女もまた同じ。

 そして、その心が今まで通りである保障はなく。

 ひょっとしたら。

 ああ。

 嫌だな。

 考えるだけで、痛い。

 言ってしまえば良いのだと思う。

 彼女の背に縋り付き。

 全ての想いを。残さず。余さず。

 彼女は拒まない。

 絶対。

 決して。

 でも。

 違う。

 そうじゃない。

 喚いて。

 駄々をこねて。

 優しい彼女の情を引くなんて。

 それじゃ、あの娘の二番煎じ。

 そんなの、私の欲しい想いじゃ。

 否。

 違う。

 こんな、暗い感情を。

 こんな汚い自分を、彼女に晒すなんて。

 裏切りたくない。

 失望されたくない。

 嫌われたくない。

 家から期待されていた。

 強くなる事を。

 強くある事を。

 輝く事を。

 だから、そうしてきた。

 どんな壁だって。

 どんな常識だって。

 打ち破って見せるって。

 でも、コレだけは。

 貴女と言う、綺麗な華の楔だけは。

「ダイヤちゃん?」

 気づくと、目の前にキタサンブラックの顔。

 ずっと昔から知っている、優しい優しい真っ黒な瞳。

「キタちゃん……」

「どうしたの?」

「スイープさんは……?」

「寮に帰ったよ? それより……」

 そんな言葉と共に、キタサンブラックの指がサトノダイヤモンドの頬を拭う。いつしか、彼女の目は濡れていて。

「泣いてるの? 何か、あった?」

 いつもの、優しさ。

 あの娘に向けるのと、何も変わらない。

 それが嬉しくて。

 けど、悲しくて。

 また、涙が溢れてくる。

 それを見て、オロオロするキタサンブラック。

「ダイヤちゃん……」

 泣くしか出来ないサトノダイヤモンドを、おずおずと抱き締める。せめても、その身で涙を止める事は出来ないかと言う様に。

 互いに、まだ心は大人にはほど遠く。

 癒す術も拙ければ。

 制する術もまた拙い。

(結局、こうなっちゃった……)

 先に、駄目と思った在り様。

 でも、やっぱりそうとしか出来なかった。

 後悔と嫌悪。

 それでも、抱き締めてくれる熱が心地良くて嬉しくて。

 恐る恐る手を上げて抱き締め返す。細い首筋に、顔を埋める。

 トレーニングの後。仄かに漂う、汗の匂い。

 甘い陶酔の中で、ただ思う。

 いっそ、このまま全てが止まれば良いと。

 進む事は、失う事。嫌なモノを知ってしまう事。

 なら、成長も。歩みも。止めてしまって。

 無垢な種のまま、今の彼女と。この微熱の時だけを。

 酷く稚拙で。

 愚かな願いと知ってはいても。

 音が、鳴った。

『なら、そう すれば 良い 』

「!」

 突然聞こえた声に、揃って飛び上がる。

 二人だけの秘め事を見られた恥ずかしさと、邪魔をされた憤慨と。

 色々ごちゃ混ぜになった真っ赤な顔で、声のした方を振り向いて。

 顔に昇っていた熱は、一瞬で下がった。

 降りて来ていた黄昏は、いつしか全てを満たし尽くして。薄闇に染まった大気の中に、白い霧が揺蕩っていた。

 その向こうに、人影が一つ。

 紗羅紗羅と流れる長い黒髪。夜闇の様な、漆黒の洋装(ドレス)。

 頭の耳と。

 揺れる尻尾。

 正しく、ウマ娘の風貌。

 けれど、この学園の生徒ではない。

 こんな娘は、知らない。

 何より、二人を怖気させたのは彼女の目。

 黒髪の間から覗くそれは、金色。爛々と、異様に輝き燃える鬼火の眼光。

 見据える視線は、確かにこの世のモノではなくて。

 ユラリ、と彼女が動いた。

 耳に届くのは、チャリチャリと鳴く金属音。目を凝らすと、彼女の身体には幾条もの鎖が絡まり、垂れ下がったソレが鳴いていた。

「あ……」

 キタサンブラックが、声を漏らす。

 ここ数日、学園の中に充満していた噂。

 夜の寮を彷徨う影。

 誰もいないターフで鳴く鎖の音。

 得体の知れない、怪異の気配。 

「そんな……ただの、噂じゃ……」

 サトノダイヤモンドも気づいたのだろう。呟く声が、震える。

『ふふ ふ うふふ ふふ うふ』

 声が聞こえる。

 人の声でもない。獣の声でもない。どんな声でもない、声。

『迎えに 来た よ 』

 囁く声に、二人の背筋が凍る。

 あまりにも明確な、干渉の意思。証明する様に、彼女の身体が動く。スルスルと近寄って来る足取りは、まるで夢現。足音の無いソレが、彼女が現世のモノでない証。

「ダイヤちゃん!」

 『逃げよう』と言いかけて、気づく。カタカタと震える、サトノダイヤモンドの足。混乱と恐怖で、竦んでいる。当たり前と言えば当たり前。基本気丈な彼女と言えど、まだ中等部。スポーツマンシップに乗っ取った勝負事にこそ毅然と立ち向かえれど、明確な悪意害意になど抵抗敵う道理はない。

 それは、同い年のキタサンブラックもまた同じ。今すぐにでも、逃げ出したい。

 けれど。

(守らなくちゃ!)

 想いが、恐怖も混乱も凌駕した。

 抱かせた根源が、どんなモノなのかこそ今の彼女には分からないけれど。

『あは』

 サトノダイヤモンドの前に踏み留まり、真っ直ぐに己を見据えるキタサンブラックを見て。

 彼女は顔を綻ばせる。

『あ あ、凛々 し い。騎士(ナイト)。で も』

 笑う顔が、カクリと傾ぐ。そして。

『貴女 の お役 目。ソレじ ゃ ない 』

 気づいたら、金色の目が目の前に。

 息を呑むキタサンブラックの頬を撫で上げながら、囁く笑い声。

『貴女 は お歌が お上手。 お城 の 籠で 囀る歌姫』

――ティターニアの為に――。

 震え上がったのは、サトノダイヤモンド。

 ハッキリと分かった。

 コレが。この怖いモノが連れて行こうとしているのは、自分じゃない。

 キタサンブラックだと。

 駄目。

 そんな事は。

 やめて。

 連れて行かないで。

 今度は、彼女の枷が弾けた。

「キタちゃん!」

 目の前の彼女を、抱き止めようと。手を。

『大丈 夫 』

 耳元で、囁かれた。

 『彼女』が、後ろに立っていた。

『貴女 は、この 子が欲しい ので しょう?』

 固まるサトノダイヤモンドの髪を、樹木の様に冷たい手で櫛撫でながら。

『だ から、『この 子』 を あげる』

 この子?

 この子って、誰?

『この 子の代 わりに、こ の 子を あげる』

 言ってる事が、分からない。

『貴女 が 欲しい この子。変わ らな いこの子。ずっとず っと、貴 女 のこの子』

 響く声は、艶めかしく。優しく。氷の様に。

『さ あ』

 望まない、契約の宣言。

 白い霧が渦を巻く。

 踊る鎖が、チャリチャリと。

 立ち尽くす彼女に巻き付いて。

「キタちゃん!」

「ダイヤちゃん!」

 呼び合う声も。

 伸ばす手も。

 霧の奥に。

 鎖の向こうに。

 笑う声。

 そして。

 閉じる、扉。

 

 ◆

 

「……霧が出てきたわね。天気はしばらく良いって言ってたのに」

 トレーニング帰り、寮への道を歩いていたサイレンススズカは急に辺りに充ち始めた霧に顔を曇らせた。

 走る事が至上の喜びである彼女にとって、ソレが叶わなくなる天候不順はこれまたこの上ない憂鬱の種。

「でも、スズカさん。その割には湿っぽくないですし、お空にはお月様も見えてますよ? きっと、明日も晴れますよ」

 連れ立って歩いていたスペシャルウィークの自信満々の言葉に、『そうなの?』などと小首を傾げるす。

「はい! 北海道の牧場じゃ、こう言うの良くあるんです! 断言します! 明日は晴れ!」

「ふーん?」

 得意そうに胸を張る様を見て、ウズウズともたげる細やかな加虐心。

「じゃあ、ハズレたらどうしようかしら? 罰ゲームでもやっちゃう?」

「フフーンです! 良いですよー? どんな事でも、どんと来い! です!」

「本当?」

「外しませんもーん!」

 非常に乗せ易い。その純朴さを好ましく思いつつ、コレからのウマ娘生は大丈夫だろうかとも思ったり。

 でもまあ、ソレはソレ。コレはコレ。

 折角ハマってくれたのだから、今は楽しむのだ。

「それじゃあ、こうしようかな?」

「どーぞどーぞ!」

「もし明日雨だったら、スペちゃんのお食事三食。メインのオカズ貰いまーす」

「ハイハイ、どーぞどーzうぇああわぁあおぉ!!???」

 勢いのまま突っ走ろうとして、絶叫するスペちゃん。

 真っ青な顔でガクガク震えながら、アワアワと首を振る。

「あら、ダメなの?」

「あ、あげまs……」

「ふーん? 北海道の誉れ、日本総大将が前言撤回しちゃうんだ?」

「はぐぅわあぁああ!?」

 逃げ場はない。

 絶望に満ちた顔で崩れ落ちるスペ。

「ス……スズカさん……ほ、他は……他の事であれば……何でも……一日メイドさんでも、一年間抱き枕でも……ホントに、ホントに何でもしますから………どうか、どうかご飯だけは……お慈悲を……お慈悲を……」

 ガチで土下座でもしそうな勢い。

 ご飯の為だからってそう簡単に身売りしようとしちゃいけない。

 でもソレはソレでスッゴイむらっと来る提案なんだけどやっぱ色々アレだから理性総動員で踏み留まるサイレンススズカ。

「じょ、冗談よ。スペちゃんからご飯取ったりしないわ」

「ほ、ホントですか!?」

「当たり前でしょ」

「ああ、スズカさん! スズカさんー! 大好きですー!!!」

 涙目で縋り付いてくるスペシャルウィーク。

 困った子だなーと思いつつ、やっぱ可愛いなーとか思っちゃう自分もまあ大概だなと。

 と言うか、そもそも何でこうなった?

 

 けれど、そんな無邪気な睦み合いも突然聞こえた悲鳴で終わる。

 ハッと振り仰ぎ、そして顔を合わせる。

「今の声……」

「ダイヤさん……?」

 それは正しく、後輩であるサトノダイヤモンドの声。悲痛な響きは、彼女の身に何かが起こった証左。

「スズカさん!」

「行きましょう!」

 躊躇する理由はなく。頷き合うと、その方向へ向かって二人は走り出した。

 

 ◆

 

「はっちみー♪ はっちみー♪」

「……ご機嫌ですわね。テイオー」

 嬉しそうにステップなぞ踏みながら隣を歩くトウカイテイオーを、呆れた目で見るメジロマックイーン。

「だってさー、今日新作はちみーの発売日だよー? ずっと楽しみにしてたんだもんにー」

「全く、どうもトレーニングに集中を欠いていると思ったら。ずっとその事を考えていたんですのね?」

「あ、分っかるー?」

 全然悪びれる気配のないトウカイテイオーに溜息をつく。

「もう、貴女はこのメジロマックイーンがメジロ家の誇りを持って勝利するに相応しいと選んだ好敵手(ライバル)なのですから。もっと毅然とした態度でいてくれないと困ります」

「大丈夫、トレーニングは手を抜かずにやってるよ? 大体、そんな適当な事してたらつまんないじゃん? ボクは絶対のテイオーだから。自分で自分を損ねたりしない。あの時、支えてくれた皆の為にも」

「……!」

 その言葉に、思わず彼女の瞳を見る。真っ直ぐに前を見つめる紺碧の瞳。宿る光は、あの時と変わらず真摯で気高く。

 ああ、そうだ。

 自分も、あの時この光に。

「あと、ソレはソレ。リフレッシュの時間は大事だって、カイチョーも言ってたもんにー」

 見惚れてた顔がヘニョリとなって。ついでに出て来た『あの人』にムッとなる。

「もう、何かと言えば会長会長と……。そんなにあの方がよろしいのなら、ずっとそちらで御師事なさっていればいかがですの?」

「ん?」

 急にツンツンしだしたメジロマックイーンを見て、キョトンするトウカイテイオー。でも、すぐに何かを悟った様にニンマリしながら顔を寄せる。

「ねえねえ、マックイーン」

「な、何ですの!?」

 顔が近い。

 思わずドギマギする相手に、ニシシと笑って。

「ひょっとして、妬いてるの?」

「んな……」

 瞬時に否定しようとするも、普通に図星で何なら状況証拠も完璧だから。言葉に詰まって真っ赤になる顔。それを、とても愛おしそうに眺めて。

「大丈夫だよ」

 コッチはコッチで、ほんのり染めたとびっきりの良い顔で。

「ボクの好敵手(ライバル)は君だけで、ボクが見てるのも君だけだから」

 何て台詞を、サラリと吐いた。

「ーーーーっ! な、なな!?」

 今度こそ、飽和状態まで血が昇る。

「あ、貴女と言う方は!? ホントに人を馬鹿にして!!」

「ぴゃー、マックイーンが怒ったー!」

「お待ちなさい!」

「にゃはははは、捕まんないもんにー」

 追いかける彼女を躱しながら。

「……だからさ」

 ポソリと小さく。

「君も、ボクだけを見ていてね」

 まだ、伝えるつもりはない。

 今は、この関係が何より大切。

 でも、いつか全てを終えたその時は。

 絶対。必ず。

 追いかけっこをする二人の声が、黄昏の中に響いて溶ける。

 

 でも、甘い空気は刹那で消えた。

 

 足を止めた二人が、揃ってその方向を見る。

「……テイオー、聞こえまして?」

「うん。今の、ダイヤちゃんの……」

 少しの間。

 意を結した様に、トウカイテイオーが走り出す。

「テイオー!?」

「行ってくる! マックイーンは待ってて!」

 けれど、最後まで聞く前にメジロマックイーンも走り出す。

「マックイーン!?」

「わたくしも行きます!」

「危ないよ!」

「それは貴女も同じでしょう!?」

「だったら、誰か大人の人を……」

「暇がありません! なら、二人で行った方が!」

 確かに、サトノダイヤモンドの悲鳴は切羽詰まったものだった。人を探して連れて来るのでは、間に合わないかもしれない。

 トウカイテイオーは考える。

 自分達はウマ娘。加害しようとする者が人間であれば、身体能力の差で圧倒出来る。

 もし加害者が同じウマ娘であったとしても、二人でならば或いは。

 迷っている暇はなかった。決断する。

「分かった、行こう! でも、無理はしないで!」

「だから、それは貴女も同じです!」

 気遣ってくれるのは嬉しいが、トウカイテイオーとて自分と同じ年頃の少女である。

 たまにそれを自他共に忘れさせるヒーロー気質が、正直危うく感じてしまう。

(守りたいのは、此方とて同じですのよ!?)

 前を走る背中に一抹の不安を抱きながら、メジロマックイーンは独言た。

 

 音が鳴る。

 チャラチャラ。

 チャラチャラ。

 門が、開く。

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