鎖影の庭   作:土斑猫

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【点火(イグニッション)】

 爪を噛む。

 カリカリカリと、爪を噛む。

 苛立ってなんてない。

 私に、そんな心なんて無い。

 まやかし。

 妄想。

 偽物。

 当たり前。

 私が、そうなのだから。

 私のこの気持ちだって、虚に決まってる。

 そう。何の意味も無い。

 だから、問題だって無い。

 だから。

 だから。

 だから。 

 カリカリ。

 カリカリ。

 爪を噛む。

 ああ、なのに何で。

 こんなにも。

 滲む味は。

 苦いのか。

 

「何を、そんなに怒ってるの?」

 聞こえた声に、視線を上げた。

 立っていたのは、良く知る姿。

 栗毛のポニーテール。

 小柄な身体。

 あどけなさと凛々しさを両立させた、中性的な顔。

 トウカイテイオー。

 否。

 今、顕界(ここ)に在る彼女は。

 身構えたシャ・ノワールを見て、トウカイテイオーの姿をした彼女はクスリと笑う。

「警戒しなくて良いよ。ボクは、キミを壊そうとは思ってないから」

「……スカイさん達とは、違うと?」

「そうだよ。だから、彼女達と一緒に影に潜ってはいないでしょ?」

 

 やるって決めた事があるから。

 

「……嘘は、無いですね」

 自身の顔をジッと見て、そう結論付けたシャ・ノワール。彼女に偽テイオーは嬉しそうに『ありがとう』と返した。

「ソレでさ、改めて訊くけど……」

 シャ・ノワールの姿を眺め。

「……勝負服、だね……」

 そう。シャ・ノワールは着ていた。漆黒の、影の様な洋装。マンハッタンカフェの。彼女の『オリジナル』の勝負服。

「……勝負(レース)をするんだね? とても、大切な勝負(レース)を」

「……些事です。少なくとも、『あの人』にとっては」

「些事なの?」

「……貴女が、言いますか?」

 白々しく訊いてきた『戦犯』を睨む。

 そも、そっくりさん(自分達)の底がオリジナル達に知れてしまった原因は彼女にある。

 己の悪性の赴くまま、強引にメジロマックイーンを手に入れようとして。ソレを妨害したナイスネイチャを始めとするチーム・カノープスの面々にこれまた悪意のままに喧嘩を売った。

 彼女は絶頂期のトウカイテイオーのコピー。当時のカノープスのメンバーに、最強の帝王に比肩する者はいなかった。思う様に蹂躙し、存分に溜飲を下げられると踏んでの事。

 けど。

「……随分と、身の程を知らなかった様で」

「そうだね。ホントに、バカだった」

 控えめで、遠慮の無い嘲り。ソレを、僅かな苦笑で受け止めて。

「所詮、ボクは『過去』の最高さ。カノープスの皆は、『その時』から前に進んでる。勝てる道理なんて、ある筈無かったんだ」

 そっくりさんはオリジナルのコピー品。

 写し取った瞬間の止め絵。

 後ろが無ければ、先も無い。

 彼女達が、『閉鎖された可能性』たる所以。

 けど。

「……何故、そんなに嬉しそうに?」

「……そう、見える?」

 想定していたモノとは正反対のモノが返ってきた事に首を傾げるシャ・ノワールにフフ、と笑い。

「誰と、競(や)るの?」

「……ジャングルポケット……」

 はぐらかす様に投げ返した問いの答えに、おお! とわざとらしく。

「いつかの菊花賞の再現だね」

「……再現ではありません。あの時、ジャングルポケットと競ったのは、『マンハッタンカフェ』です」

「それでも、キミの中にはその時の『記録』がある。ジャングルポケットに勝った時の」

「そんなもの、可能性を更新し続けるオリジナル(彼女達)の前では何の意味も無い。貴女が証明してるじゃないですか」

「じゃあ、負ける気なの?」

「……!」

 言葉が止まる。

「負ける前提で、勝負を受けたの? 勝負服まで着て?」

「ソレは……」

 答えは咄嗟には出なかった。

 正しく、勝てるとは思っていない。

 けれど、ならば何故自分は勝負服(コレ)を纏ったのか。

 意味する事など、当然の様に知っているのに。

「……嫌がらせ……」

「ん?」

 無理やり捻り出した単語に、彼女が小首を傾げる。

「……そうです。嫌がらせです……」

「ふぅん?」

 明確な答えは返さず、彼女は此方をジッと。『続けてみろ』と、コバルトブルーの瞳が告げる。だから、続ける。

 彼女と、何より自分を誤魔化す為に。

「……マンハッタンカフェは、ジャングルポケットが嫌いなんです」

「そうなの?」

「ええ、そうです」

「聞いた事、無いなぁ」

「……そうでしょうとも。あの隠キャが、そうそう己の悍ましさを晒すモノですか」

 紡ぐ。

 紡ぐ。

 彼女と。

 自分と。

 世界を。

 誤魔化す為に。

「でも、そうでしょう? マンハッタンカフェが望むのは、アグネスタキオンの唯一である事。けれども、ジャングルポケットはそこに割り込んだ。型は違えど、その根は彼女と同じ程にアグネスタキオンの奥深くまで。二人だけの鉢に生えた雑草。邪魔な、異物。好ましい筈が、ない」

 聞く彼女は、何も言わない。

 沈黙が促す。

「だから、『私』もジャングルポケットが嫌いなんです。どうしようもなく。当然ですよね。私は、マンハッタンカフェのそっくりさんなのだから」

 そう。だから、自分の気持ちも感情も。全てはオリジナルのマンハッタンカフェ由来。

「だから、私はジャングルポケットに嫌がらせをするのです。『あの時』の『記録』を持って、『かの時』の想起を。結果及ばずとも、相応の嫌な思いはさせられましょう? 鬱憤を晴らすのです。マンハッタンカフェ(彼女)の代わりに、ジャングルポケットへ細やかな復讐を」

 そう。

 彼女の申し込みを受けたのも。

 『あの時』と同じ装いで受け立つのも。

 全ては。

「嘘っぽいの、分かってるよね」

「…………」

 アッサリと看破され、押し黙る。

 当然と、分かってはいたけれど。

「……でも、私の記録には……」

「ソレは、本当にマンハッタンカフェ『の』記録なの?」

 沈黙。

 次を継げない彼女に苦笑して、偽テイオーは向こうを示す。

「お行きよ。答えはあるかもしれない。この先に」

 そして『ボクも、見せて貰うから』と。

 促され、踵を返す。

 そう。自分だって知りたいのだ。

 この苛立ちは、一体誰のモノなのか。

 

 ◆

 

「……!」

 そこに居た『彼女』に、シャ・ノワールは軽く息を呑んだ。

 ジャングルポケットとの勝負。

 場所は、決まっていた。

 シリウスシンボリが仕切る、フリースタイルの野良レース場。

 正規のレース以外の揉め事は、此処でケリを付ける。

 学園の生徒達、暗黙の了解。

 誰も居ないと思っていたその場所に、待つ様に立っていたのは。

「……ダンツさん……!」

「……こんにちは、カフェちゃん……じゃなくて、『シャノ』ちゃん……だっけ?」

 戸惑うシャ・ノワールにそう言って、ダンツフレームは少し悲しげな眼差しで彼女を見つめた。

 その視線の意味を察し、居た堪れなさを誤魔化す様に問う。

「……どうして、貴方が……」

「俺が呼んだ」

 背後から聞こえた『彼女』の声に、振り返る。

「どう言うつも……」

 食って掛かろうとした声が、既で止まる。

 彼女の。

 ジャングルポケットの姿を見たから。

 勝負服。

 あの日の姿。

 マンハッタンカフェの記録の中に在る、最強の号に飢えし。

 『闘叫の鬼』。

 かの再臨。

「真剣勝負だ。見届け人が要る。だから、頼んだ」

 呆然と見惚れる眼差しを意にも介さず、ジャングルポケットは言う。

「……けれど、巻き込みたくはないと……」

「ソイツしか居ねぇ」

 投げられた疑問には、ハッキリと。

「任せたのはタキオンで、カフェは居ねぇ。なら、ダンツだけだ」

 

 俺と、お前を見届けるのは。

 

「!」

 目を見開く横を、スイと通り過ぎ。

「身体、解しとけ。すぐに闘(や)んぞ」

 静かに、そう告げた。

 

「……ふふ……」

 少し離れた所で準備運動を始めるジャングルポケットを見つめていたシャ・ノワールの口から、笑いが漏れる。

「……そう言う、事ですか……」

「……?」

 怪訝そうな顔をするダンツフレームを、恨めしげな眼差しで舐めて。

「……余程、私が気に入らないのですね。ポッケさんは……」

「……どうして、そう思うの?」

 ダンツフレームの問いかけに、『だって、そうでしょう?』と返し。

「……こうなった経緯は聞いていますよね? 此処に居ると言う事は?」

 頷く、ダンツフレーム。

「私は、無理筋なお願いをした訳じゃないんですよ? 全部が、元通りになるだけの話です。私は、ただその見返りに……」

 

 あの人に、傷を刻みたかっただけなのに。

 

「ポッケさんは、ソレも許してくれないのでしょう? こんな条件立てまでして……」

「シャノちゃん……」

「ダンツフレーム……タキオンさん達と同じ、2001年クラッシック……負の星下に輝く世代……刹那故に、朽ちない魂……絆……」

 ああ。

 何と尊く。

 遠く。

 妬ましく。

「私の……『異物』の混入など、許さないのでしょう? だから、あれほど遠ざけようとした貴女も呼び寄せた。認知させ、確信させ、確固とする為に」

 忌しいモノ。

 拒み、防ぐに必要なのは不知にあらず。

 そのモノを、深く正しく知る事なれば。

「貴女に私を晒して、拒絶の堰を完成させるが目的……」

 そう。

 己が愛する群れから。

 アグネスタキオンから。

 厄災の黒猫を蹴り離すが為に。

「だから……」

「違うよ」

 粘つく恨み言を、静かな声が断つ。

 歩み寄って来た彼女が、睨んで来る。

 ダンツフレーム。

 あの穏やかで。お人好しの具現の様な娘が。少なくとも、マンハッタンカフェの記録の中では。

 こんな。

 怖い顔。

「ポッケちゃんは、そんな悲しい理由でなんか走らない」

 言葉と共に、ググッと迫る。

 瞳の奥。燃える炎。

 彼女の、名前の如く。

「分かる筈だよ。貴女の中に、カフェちゃんが在るなら」

「……!」

 手に感じる熱。

 握り締められた手。逃げないでと言う様に。

「ウマ娘(私達)にとって、走る事は命そのものだよ。走って、走って。命を、ぶつけ合って。繋がるの。理解するの。認め合うの。どんな人とだって。ポッケちゃんは、誰よりもソレを分かってる。だって、そうやって届いたから。掴めたから」

 

 遠くに行ってしまいかけた、タキオンちゃんの手を。

 

「だから、今度もそう。ポッケちゃんは、何かを掴もうとしてる。キミの中の、何かを」

「何もありません。そっくりさん(私)の中には」

 イヤイヤする様に、頭を振って。

「ポッケさんは、ただ私を否定したいだけです。バケモノと言った私を……バケモノで終わらせたいから……だから、私もその通りに……」

 

 消えようと思ったのに。

 

「聞いたよ」

「……は?」

「ポッケちゃんから聞いてる。キミの事、バケモノだと言ったって。だから、私が呼ばれたの」

 訳が分からないと言った顔をジッと見て、話す。

「『俺は、アイツの事をバケモノだって言っちまった。場の勢いじゃねぇ。『本音』でだ。なら、きっと俺の目は曇っちまってる。真っ直ぐに、見れない。だから、お前が見てくれ。お前なら、絶対大丈夫だ』……って」

 絶句するシャ・ノワール。捕まえられた手が、更に強く握られる。

「だから、私は見る。キミを。本当のキミを。キミの、走りの向こうに。だから、キミも本気で走って。戦って、見せて。そして、どうか」

 

 勝負服を着て立つ、ポッケちゃんの思いに応えて。

 

「……ソレは、彼女の為? 貴女の、『特別』な彼女の」

「……違うとは、言わないよ」

 そんな嘘言は、此処に在るべき誠意にそぐわぬモノだから。

 けれど。

「ソレでも、本当のキミを見届けるのは私の意思。ソレが、今の私の役目で。出来る事だから」

 

 大切な、皆の為に。

 

 絶句するシャ・ノワールに、もう一度微笑んで。

「さ、ポッケちゃんが待ってる。準備運動、やっちゃおう? 手伝ってあげるから」

 真意を探ろうと見つめた目は、ただただ。優しい熾火の様に。

 

 ◆

 

 立ったスタートライン。果てに見えるゴールは、酷く酷く遠くに見えた。

 初めての光景。

 吹き抜ける風。香しい、芝の匂い。

 時が縛られた、此の鎖籠の中に在ってなお。

 空っぽの筈の胸が疼いた。

 まるで、運命の人に初めて目見えたかの様に。

 知ってたけど。

 知らない。

 抱いていたのは所詮。

 ただの『記録』だったから。

「……準備は、良いな?」

 隣に並んだ、彼女が問う。

 声は出さず、ただ頷く。

 意図的な塩対応なぞ気にもかけず、『おし』と頷き返して。

「加減はしねぇ」

 チリ。

「ぶっ潰すつもりでやる」

 チリ。 チリ。 チリ。

「だから、お前も」

 チリチリ。 チリ。

「その気で、やれ」

 チリ。

 肌に感じる、焼け付く気配。

 まるで、散り掛かる火粉の様なソレは彼女の。ジャングルポケットの放つ覇気。

 彼女の言葉が。

 意思が。

 正しく真意であり、真実で在る事は如実。

 そして、降り掛かった炎は引火する。

 空っぽの。

 火種も火材も無い筈の、代用品に。

 ああ。

 コレは。

 コレは、何?

 私は。

 私が、分からない。

 それでも。

「……見せ付けて、あげます……」

 身構えながら、溢れた言の葉。

 いつかの『漆黒の幻影』。その、なぞり。

 けれど、込められた意は。

 視界の端。

 並んで身構えながら彼女。

 笑っていた。

 不敵に。

 嬉しそうに。

 愉しそうに。

 ゾクリとした。

 そして、思った。

 自分も、同じ顔をしているのだろうかと。

 審判を務めるダンツフレームが、ゆっくりと右手を上げる。

「用意……」

 静かな声。

 一泊の静寂。

 永遠。

 刹那。

 そして。

 

「スタート!」

 

 審意の女神の手が落ちて。

 二つの魂火が、点火した。

 

 静謐の檻。

 霧の束縛。

 ただ一人しか見る者がいない筈のレース。

 けれど、視線は他にも。

 少し離れた所に、小柄な影。

 トウカイテイオーと言う少女を模した彼女も、かのレースを見つめていた。

 ジッと。

 ジッと。

 成り行きとは言え、自分の決意より先に踏み出た同胞。彼女の駆け抜ける先に、何が見えるのか。

 知りたい。

 知りたい。

 ただ、知りたい。

 だから。

「……頑張って」

 せめて心からの、エールを。

 

 

 チャリチャリ……。

 チャリ。

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