そも、偽るのは嫌いだ。
他者も。
自分も。
だから、あの言葉は本心。
大切な憧れを奪った。
大切なダチを騙った。
十分過ぎる。
だから、投げつけたあの言葉は本心。
『化け物』。
正真正銘。
心からの、意思。
人の心は変わらない。
一度、そうと定めてしまったモノは。
もう、そうとしか思えない。
ソレが、負の感情であれば尚の事。
だから、託した。
アイツに。
自分よりもずっと。
優しくて。
澄んでいて。
誠実なアイツに。
アイツなら、見透かせる。
絶対に。
だから、自分がやる事はただ一つ。
引き摺り出す。
曝け出す。
自嘲と。
自虐と。
卑下と。
自己嫌悪に塗り固められた、『アイツ』の本性を。
この脚で。
この走りで。
この、熱で。
そう。
魅せて見ろ。
そっくりさん(お前)の中に、ウマ娘(俺達)が在るならーー。
そう。
全ては後からついてくる。
答えも。
真実も。
生きる、意味だって。
いつだって。
ぶっちぎった後に。
ソレが、ウマ娘と言う生命に紐付く。
たった一つの『絶対』。
◆
(ああ、素敵だな)
前を走るジャングルポケット。その姿を目に映し、シャ・ノワールは心の底からそう思う。
疾い。
雄々しい。
そして。
綺麗。
この世の何より。
別の何処かの何よりも。
その姿。
在り様。
疾る先。
続く道。
拓く未来。
世界。
全てが眩しくて。
妬ましい。
私は影。
コピー。
代用品。
切り抜かれた時間。
閉ざされた世界。
閉鎖された可能性。
姿形は同じでも。
決してウマ娘(貴女達)には並べない。
ウマ娘(貴女達)が得たモノしかない。
ウマ娘(貴女達)が得るモノは得られない。
妬ましい。
嫉ましい。
羨ましい。
何もかも同じなのに。
何もかも違うウマ娘(貴女達)が。
何も無い私の。
『せめて』すら赦してくれない貴女が。
憎い。
私は『そっくりさん』。
ウマ娘と言う、生命の影法師。
この世ならざるモノ。
忌まわしきモノ。
ソレ以下も無くば。
以上も無い。
だから、ソレらしく。
化け物は、化け物らしく。
せめても貴女に傷を刻む。
深く。
醜く。
悍ましく。
その美しさの片隅に。
決して消えぬ、悪夢と痛み。
ソレくらいは、赦してくださいませな。
愛しい。
愛しい。
ウマ娘(ワタシの、光)
呪いはただ。
ただ。
縋る様に。
◆
「疾い……」
走り出したジャングルポケットとシャ・ノワール。二人を見据えるダンツフレームは、心からの感嘆を漏らす。
ファインモーションの失踪から、公式のトレーニングの時間は控えられていた。けれどソレはあくまで公式での処置。個々人のトレーニングが禁じられていた訳ではない……と言うか、ソレを強制すれば寧ろ生徒達のストレスを増すだけと判断した生徒会が一人や夜間での行動と言った場合を除き黙殺していた。
だから、彼女達は走り続けていた。
得体の知れない不安や恐怖。内から湧き出す闇を疾る熱で、生命の炎で焼き尽くそうと。
当然の如く、ソレに倣っていたジャングルポケットに鈍りは無い。
間違いなく、最高に近いコンディション。並のウマ娘では比肩は難しい筈。ならば、そんな彼女に突き放す事を許さず追従していくシャ・ノワールの実力も相応の。
「でも、あの走り方(スタイル)は……」
そう。彼女の走りをダンツフレームは知っている。とても良く、知っている。
誰でもない。
自分の同期。
最も近しき親友で、ライバルの一人。
『漆黒の幻影』。マンハッタンカフェ、そのものの走り。
彼女とは幾度も並走し、研究し、そして競った。
隅々まで、染み付いている。他の同期(ライバル)達のソレと共に。
そして、再現されつつあるのはソレのみでなく。
「コレ、あの時の……」
先行するジャングルポケット。
ソレより内側を少し離れて追従する、シャ・ノワール……否。マンハッタンカフェの姿。
走っているのは、あくまで彼女達二人だけ。
けれど、見える。その周り。
共に疾る、数多の姿。
数、総じて15。
いない。
いる筈が無い。
されど、確かに。
そして、その中には。
「……『わたし』だ……」
そう。
あの日。
あの時。
自分……ダンツフレームも、走っていた。彼女達と、一緒に。
いつかの10月21日。
この、菊花賞のターフを。
◆
「ああ、こう言う事かよ……。閉鎖された可能性(お前ら)と、マジで競(や)るって事は」
ジャングルポケットも、気付いていた。
否、ソレは彼女こそが気付かされるモノ。
心の底が、痛く疼く。
痛い経験。
苦い記憶。
敗北の、再生フィルム。
20◯◯年の菊花賞。
出走者15人中1番人気とされたジャングルポケットは、6番人気だったマンハッタンカフェに敗北している。
ライバルと目し、打倒を目指していたアグネスタキオンの引退宣言がメンタルに影響を及ぼしていたのは確か。
けれど、そんなモノは如何程の言い訳にもならず。
用意されし戦いの場において、心身万全にて挑むが其に挑むを望んだ者共に課せられし掟なれば。
其処に如何なる他責も事情も認められる道理無く。
全ては、己が弱さ故。
ましてや、かの下りに関して言わば。
マンハッタンカフェとて同じ事。
純粋に、実力で捩じ伏せられた記録。
覆す事叶わない、『確定』した事象。
◆
「……そう。そっくりさん(ボク達)は、『閉鎖された可能性』。もう終わった事を、繰り返す」
見ていた偽テイオーが、ポツリポツリと独り言ちる。
「そっくりさん(ボク達)が本気で走ると言う事は、録画フィルムを再生する事。自身と相手を巻き込んで、あの日あの時を繰り返す。そのまんま」
あの日の勝者は勝者のまま。
あの時の敗者は敗者のまま。
負けた悔しさを。
後悔を。
痛みを。
抉り返す。
「……ええ、そうですとも」
先を走るジャングルポケットの背を凝視しながら、マンハッタンカフェの姿をした彼女は呪いを囁く。
「もう一度、刻んであげます。消えないその傷に、深く重ねて」
知っている。
記録してある。
あの日あの時の、貴女の苦悶。
振り切れなかった侮蔑。
一瞬、けれど確かに『理由』にしてしまった嫌悪。
一時の煌めきを、受け止められなかった罪悪感。
その全てを。
「纏めて、掘り返してあげましょう」
ソレが。
意地悪な貴女への。
大嫌いな貴女への。
愛しくて堪らないウマ娘(貴女)への。
そっくりさん(私)の、願い。
『コマ』が回って来る。
勝負を決めた場面の再現。
全ては自動的。
踏み込む脚は地を咬まず。
ただ、虚ろにカタカタと。
◆
『あの時のまま』の展開が進むレースを見つめながら、偽テイオーはふと思う。
「あの時、ボクも『本気』でやってたら……」
まだ、本物のトウカイテイオーになる事に執着していた頃。
証明の一つとして、メジロマックイーンを強引に手に収めようとして。邪魔をたナイスネイチャ達、カノープスのメンバーに不快を得て勝負を挑んだ。
ただの戯言。蹂躙の意で挑んだソレは、惨敗に終わる。
そう。遊びのつもりだった。
『その気』じゃなかった。
もし、本気であったなら。
今の、シャ・ノワール(彼女)の様に。
そう考えて。
過ったのは、『あの娘』の眼差し。
「……はは、馬鹿だなぁ……」
甘えた傲慢は、泡の様に消えて。
「変わらなかったよ。変わる筈、ない」
そう。だって。
ボク達は、変われないのだから。
◆
「……あの時を繰り返すなら、此処から……」
二人の走りを目で追うダンツフレームは、此処から起きる展開を明確にイメージする。
容易な事。
自身も出走し。
悔しさと共に命に刻んだ経験。そしてソレは、ジャングルポケットも同じ筈で。実際に走る今、あの時の負は更に残酷な明晰として再現される。
「ポッケちゃん……」
呟いた呼び掛けは、届いたモノか届かぬモノか。
◆
フィルムが回る。
淡々と。
このレースにおいて、ジャングルポケットは単独で逃げたマイネルデスポットと先行するエアエミネムに気を取られて必要以上に消耗。スローペースの中で伸びあぐね、内側で追走しながら脚を溜めていたマンハッタンカフェにゴール手前で三人纏めて差し切られた。
結果は4位。
己に勝った宿敵(アグネスタキオン)の凄さの証明にすらならない、未熟故の敗北。
(確かに、あの時のポッケちゃんは自分を欠いていたかも知れないけれど……)
その時、ダンツフレームは5着。覆し様の無い力の差に泣きながら、それでも只では終わらないと。必ず次への糧を得ると前を向き続け、見届けた。
覚えている。
焼き付いている。
深い呼気と共に、目の前で魔鳥の如く羽ばたき舞い上がった夜色の髪。衣装。覇気。
地を抉り放った末脚の威凄まじく、実肉在るを疑わしくと疾走せし様は正しく『漆黒の幻影』。
その根源が何だったのかは分からない。
勝利への渇望か。
己を置いて行ってしまった『彼女』への絶望か。
ソレを止められなかった己への怒りか。
はたまた、その『彼女』の前で弱さを晒す宿敵(ライバル)達への苛立ちか。
はたまた、その全てか。
ただ、一つ確かなるは。
かの時のマンハッタンカフェは、強かった。
疾かった。
ダンツフレームが。此の世界に生きるモノ達が知る全ての記録において。
確かに、高みの果てへと届いていた。
◆
薄らとした寒気に、ダンツフレームは思わず己が身を抱く。
薄らと泡立つ肌に、『ああ、同じだ』と思う。
恐らく、かの時を共に疾った者達は皆覚えている。
夜姫と化したマンハッタンカフェから受ける畏れ。プレッシャー。
奪われ、呑まれる感覚。
怖気と共に迫る影の気配が優しく冷たく頬を撫ぜ、耳元で囁く。
『オ イ テ イ カ ナ イ デ』、と。
ダンツフレームも。
皆も。
ソレに呑まれ、竦み、捩じ伏せられた。
そう。
ジャングルポケットも、また。
◆
状況は、記録の通りに進んでいる。
形ばかり荒ぶ呼吸の中で、シャ・ノワールは冷めた思考を回す。
自分の気配は既にジャングルポケットの心臓を掴み、彼女の脚を乱れさせている。
抗う事は出来ない。
貴女がマンハッタンカフェ(私)に負けた事は、もう確定事項なのだから。
そう。何もかもが、決まった事。
終わった事。
確定した事。
閉鎖した事。
この繰り返しに、どんな意味も価値も在りはしないけれど。
憎い貴女。
せめても貴女に、もう一度苦杯の味を。痛みを。呪いを。
ほら、もう手が届く。
爪が、掛かる。
掴まえる。
捕まえる。
捉まえる。
どうぞ。どうぞ。
此処にいて。
ジャングルポケット。
ウマ娘。
そっくりさん(私達)の故郷。
根源。
産み親。
憎いよ。
好きだよ。
愛してる。
哀してる。
だから。
だから。
此処にいて。
閉じた鎖。
内側に。
ねえ。
ねえ。
お願い。
どうか。
オ イ テ イ カ ナ イ デ 。
そして。
「……悪りぃな」
「!」
儚い怨嗟は、たった一言で霧散する。
「『あん時』にな、決めたんだ」
振り向きもせずに告げる声は静かで、けど強く。
「相手が、誰でも変わらねぇ。『アイツ』でも。勿論、お前でも」
空気が変わる。
セピア色の活動写真が、輝羅綺羅と。
あまりの綺麗さに、息が止まり。
そして。
「俺は、前に進む」
鉄槌の如く落とされた脚が地面を砕き、込められた力に抉られた大地が爆散する様飛沫を上げる。
加速。
更に、加速。
閉鎖の扉は破られる空気の壁と共に敢えなく砕け、追い縋ろうとした過去の幻想達もまた虚しく霧散する。
「……ありがとな」
呆然とするシャ・ノワールの耳に、彼女の声。酷く、憐れむ様な。
「やり直させて、くれてよ」
「あ……」
もう少しだった手が、虚空を掴む。
もう、彼女は其処にいない。
ずっと先。
もっと先。
届かない、先。
其処から進めない、そっくりさん(切り絵)を置いて。
「……そうさ」
偽テイオーは後ろにあった庭木にもたれ掛け、ズルズルと座り込む。まるで、絶望に崩れ落ちる様に。
否。
その絶望さえも、そっくりさん(自分達)には覚える資格は無いと知りながら。
絶望とは希望の対極に在るモノで。
希望とは、求め足掻いた先に生まれるモノで。
足掻く事すらしないモノに。
希望など、与えられる道理も無い。
「……キミにも、見えてるだろう? ボクと、同じモノが」
ソレは自分が疾る時、必ず目の前にいる。
すぐ目の前。
でも、届かない。
縮まらない。
開けない。
良く知る。
知り過ぎてる。
忌まわしい、形の。
(ああ……)
虚無と無力に滲む視界の先に、形が見える。
彼女ではない。
彼女はもう、此処にはいない。
いてくれない。
行ってしまった。
そっくりさん(私)を置いて。
今、前にいるのは。
私。
否。
私の形をしたモノ。
違う。
私ではない。
アレは、マンハッタンカフェ。
私の型。
私の形を、決めたモノ。
オリジナル。
そっくりさんの、限界ライン。
アレの先に行く事は、私には出来ない。
閉じられた扉。
閉鎖された可能性の、扉。
分かっていた事。
理解していた事。
アレの先へと進めるオリジナル。
アレの内にしか在れないそっくりさん。
勝負になど、なる筈が無い。
停滞は進歩に追い付けない。
過去は未来に至れない。
どんなに足掻いた所で。
見えるのは絶望で。
後悔で。
惨めな。
自明の理。
なのに。
私は、どうして。
ほら、あの人はもうずっと未来(先)。
届かない。
届かない。
一緒に、行けない。
ああ。
ああ。
悔しい、な。
思う事すら、不遜だろうに。
「……やっぱり、そっくりさん(ボク達)だけじゃ届かない……」
情け容赦無く、差を広げて行くジャングルポケット。
『記録分』の『打ち止め』に至り、脚の力が抜けて行くシャ・ノワール。
『予定通り』の惨めさをいつかの己に重ねながら、偽テイオーは呻く。
「オリジナル。その『かつての頂点』が、ボクらの行き止まり。閉じた扉。牢獄の錠……」
その姿が前に在る限り、そっくりさん達がその先に行く事は叶わない。
可能性も、未来も無い。既に『確定済み』の、永久閉鎖。
「鍵がいるんだ。完品でなくたって良い。ほんの少し、ほんの少しでも隙間を覗かせてくれる鍵が。ボク達にも、ソレがあるんだって。許されるんだって。認めてくれる……」
そも、自分だけで行けるなんて思っていない。
否。教えられた。
その思いこそが傲慢で。
『奇跡』は決して、そんな易いモノでなく。
『摂理』は決して、そんな甘いモノでなく。
幾度。
数多。
那由多。
想い。
願い。
努力。
絆。
そして。心。
束ねて。
初めて届くモノ。
覆せるモノ。
成せるモノ。
教えてくれた。
痛く。
厳しく。
そして、優しく。
不屈に燃ゆる龍骨星の焔達。
握った手には、あの日の絆創膏。
ずっと。
ずっと、持っている。
あの娘の温もり。香り。残滓。
ボクの。
ボク『だけ』の。
御守り。
どうか。
どうか。
彼女にも。
ボクよりも。
貰えて、なお臆病なボクよりも。
一歩を踏み出した、彼女にも。
どうか。
そっくりさんとして生まれて初めて、他者の為に願う。
願うべき相手も、分からないけれど。
(止めよう)
シャ・ノワールの思考を占めるのは、もうその言葉だけ。
無意味である。
無価値である。
虚無である。
過去(自分)には未来(ジャングルポケット)に届く筈も術も無く。
こんな勝負、端から意味なんて無かった。
決めていたではないか。
自分は化け物。
ウマ娘(光)に追い縋ろうとするが不遜。
だから、消えようと。
難しい事ではない。
脚を止める。
ソレだけで良い。
この身を模るマンハッタンカフェの『記録範囲』に、『ジャングルポケットに負ける』と言う事象はない。
ソレを成されてしまえば、世界は私に『マンハッタンカフェ』たる資格無しと認識する。
そう。
あの時のマンハッタンカフェとして、ジャングルポケットに負ければ。
私は世界に異物として排斥される。
私は消え、オリジナルのマンハッタンカフェが戻る。
正式なそっくりさんの、壊し方。
黙っていた。
内緒にしていた。
それでも、勘付いていた人はいたけれど。
少なくとも、此処にいる二人は知らない。
ジャングルポケット。
ダンツフレーム。
ああ。二人とも、どんな顔をするのだろう。
何もかも全て、私の掌の上で。
結局、自分達の手で私を壊す事になって。
ねえ、ポッケさん。
全部、貴女が悪いんですよ?
私をバケモノと言って。
私の願いを拒絶して。
私に、こんな悔しい思いをさせて。
全部、貴女のせいなんだから。
精々、痛い思いをして。
精々、巻き込んだダンツさんに嫌われれば良い。
ザマアミロ。
さあ、脚を止めよう。
終わりにしよう。
全部。
全部。
止めれば良いのに。
止めなきゃいけないのに。
何で、止まらないの?
止められないの?
悔しくて。
悔しくて?
何で? 悔しくて??
止められないの?
「あ!」
ふらついたシャ・ノワールの脚が絡れる。
今転倒すれば、本当の終わり。
偽テイオーが、思わず声を上げようと。
そして。
それよりも早く。
彼女の声が、響く。