鎖影の庭   作:土斑猫

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【あの、記録】

 太陽が、消えた。

 ダイタクヘリオス。

 苦しく迷いを廻る度、皆を照らし勇気付けてくれた彼女が。

 悪夢の夜を境に。

 姿を、消した。

 ソレが、何よりもの答え。

 ダイタクヘリオスは、当の昔にすり替わっていた。彼女の姿をした、この世ならざるモノと。

 事実を晒された皆のショックは、当然と大きかった。

 最も憔悴が激しいのは、メジロパーマー。

 彼女のダイタクヘリオスへの想いは、親友を超えた域にある。

 文字通り、闇の中にいた自身を照らしてくれた太陽。

 次は、必ず自分がと決意していた相手。

 なのに、届く所か。

 気付く事すら、叶わなかった。

 どうしようもない事。

 人智外の事象。

 事実、かの夜の事件がなければ。同様に気付けなかった者は多数。

 オリジナルの、完全なるコピー。

 サクラローレルの罠に嵌ったセイウンスカイ達の様に、自ら馬脚を晒す様でなければ。

 けど、そんな慰めが何になろう。

 大事な人を。

 守ると決めた人を。

 手を伸ばす事すら出来ず。

 己に絶望するには、十分過ぎる。

 そして、ソレは彼女も同じ。

 ダイイチルビー。

 ダイタクヘリオスに想いを寄せられる彼女とて。普段こそ素っ気のない態度を取りつつも、かの輝きを良きモノと思っていた事は確かで。その事は痛ましい苦悩の様として現れていた。

 部屋で沈むダイイチルビーの姿に、(何か出来ないか)と考えて。

 気付けばケイエスミラクルの足は図書室へと向いていた。

 彼女は、絵本が好きである。幼い頃より続く、儚い綱渡りの様な生。辛い時も、悲しい時も。優しい幻想の世界に没頭すれば、束の間であれ忘れる事が出来た。

 だから。

 せめてもその安寧を、彼女にも。

 否。

 ソレはあくまで建前で。

 本当は、自分も逸らしたいのかもしれない。

 太陽が消えた、冷たい朝霧が漂うだけの此の空から。

 ああ。

 全く。

 こんな時にすら。

 おれは。

 ともすれば、霧中に溶け落ちそうになる気持ち。何とか踏み止まりながら。

 力にならねばならない。

 ただ、返すべきモノを。

 今、少しでも。

 思考に纏わる靄を払いながら、何とか辿り着いた図書室の前。

 扉に手を伸ばした、その時。

 声が聞こえた。

 扉の向こうから聞こえるソレが、嗚咽。ソレも、知った者のモノ。

 気付くと同時に、扉を開けた。

 薄暗い部屋の中、一人椅子に座り込んで泣いていた彼女。急に開いた扉に驚いた様に顔を上げ。

「ミラクル、さん……」

 涙で曇った眼鏡に、立ち尽くす友人の姿を映し。

 ゼンノロブロイは濡れた声で呟いた。

 

 ◆

 

「どうしたの? ロブロイ」

「い、いえ! 別に……」

 慌てて目を拭って立ち上がる彼女。その前に開かれていた一冊の本に気付き、足が止まる。

 古びた羊皮紙に、外国の文字。

 何かが抜き出た様に、不自然に開いた白地。

 知っている。

 初めて手に取った時には、落丁くらいにしか思わなかったが。

 今は。

「ロブロイ……」

 少し変わった声音に、何かを察したのか。ゼンノロブロイは取り繕おうとしてた口を噤む。

「何が、あったの?」

「……」

 それでもなお躊躇する彼女に、ケイエスミラクルは自分から打ち明けた。

 消えた友の事。

 傷付いた仲間の事。

 癒したい大切な人の事。

 今のゼンノロブロイが彼女達と同じ目をしてる事。

 そして、自分もまた同じ目をしている事。

「教えて。必ず、力になる。だから……」

 

 おれにも、力を貸して欲しい。

 

 一人では、叶わない。

 だから、一緒に。

 暫しの間。

 ゼンノロブロイは、大きく深呼吸をして。

 全てを、伝えた。

 

 ◆

 

「ライスと、ブルボンが……」

 茫然と呟いて、卓の上に開かれたままの本を見る。

 燻んだ白だけの、空虚なページ。その向こうに彼女達が。

 手を伸ばし、触れてみる。けれど、感じるのは古びた羊皮紙の感触だけ。

 道はもう、閉じている。

 向こう側に行ってしまった彼女達に届く術は、もう無い。

 消えてしまった、太陽の様に。

「私が……私が、安易にあの子の話を信じたりしたから……」

「ロブロイのせいじゃない。もし、そう言われたら、おれだって……」

 そっくりさんのライスシャワーがゼンノロブロイに持ち掛けたのはオリジナルのライスシャワーの帰還。

 その条件として、ミホノブルボンとの逢瀬を希望した。

 その、結果は。

 責める事など出来ないと思った。

 もし、同じ事を。

 いなくなってしまった太陽を、返してやろうと持ち掛けられたら。

 自分とて。

 いや、彼女を想う皆が。

 差し伸べられた手を取るに違いない。

 例えソレが、危険な誘いと分かっていても。

 それ程までに、大切だから。

 だからこそ、許せなかった。

 だからこそ、恐ろしかった。

 その想いを知って。

 なお利用したそっくりさん(彼女達)のやり方が。

 けれど。

 けれども。

 此処で逃げたら。

 放り出してしまったら。

 本当に、失ってしまう。

 ソレはきっと。

 否、間違いなく。今この胸を抉る怖れよりも痛い事。

 一生背負わねばならない、呪いと化すモノ。

 だから。

 だから、立たなくちゃならない。

 立ち向かわなければならない。

 絶対に。

 泣きじゃくるゼンノロブロイ。

 彼女にそう告げようとして。

 

「あれ? お取り込み中だったかしら?」

 

 二人を我に返らせたのは、ソレまで無かったもう一人の声。

 

 ◆

 

「テイオー……?」

「テイオー、さん……?」

 いつ間にか戸口に立っていたのは、見慣れた姿。

 トウカイテイオー。

「ケイちゃんに、ロブロイって。珍しい組み合わせじゃん。どうしたの?」

 尋ねながら、近づいてくる。

 人懐こそうな顔。心の何処かがホッとした。

「ちょっと用事があって来たんだけど、何かあった? 何なら、ボクも手伝おうか?」

 そうだ。彼女にも、事情を話そう。きっと協力してくれる筈。

 そう思って、此方からも歩み寄ろうとして。

 腕を、掴まれた。

 引き留める様に。

 掴んでいたのは、ゼンノロブロイ。

 怖い顔だった。

 彼女がしているとは思えないくらい怖い顔で、こっちを睨み。

 首を振った。

 行っては、駄目だと。

 そして、ケイエスミラクルは思い出す。

 いつ頃からか、流れていた噂。

 かの夜、確定した真実。

 そう。

 この、トウカイテイオーは。

「!」

 息を呑んで身を引いたケイエスミラクルを見て、トウカイテイオーの形をした彼女へ苦笑いする。

「ああ、バレてるんだっけ。ボクは、もう」

 懐疑に対する、肯定の言葉。

 気持ちの悪い汗が、吹き出す。

「そんな怖い顔しないでよ。何もしやしない……」

 ケイエスミラクルとゼンノロブロイ。二人の顔を交互に見て、そして視線を卓の上の本に落とし。

 察した様に、目を細くした。

「何か、あったね? そっくりさん(ボク)の、同胞と」

 答えない。ただ、敵意と警戒を込めた視線で答える。

 暫しの交錯の後、緊張を解いたのは偽テイオー。

「本当に、何もしないよ。少なくとも、ボクは」

 言って、一歩近づく。

 明らかに強張る、ゼンノロブロイの表情。其処に確かな恐怖を見て取り、守る様にケイエスミラクルも一歩前に出る。

 なお引き止めようとする彼女を、『大丈夫』と制して。

「近づかないで」

 自分でもらしくないと思う、強い声。

 偽テイオーも、目を丸くして足を止める。

「……駄目?」

「当たり前じゃないか。自分達が、何をしたか……」

 

 信用なんて、出来ない。

 

 突き放す言葉に、少しだけ悲しそうな顔をして。

「そうだよね」

 ソレでも納得して頷いて、両手を開いて晒す。丸腰である事、引いては害意がない事を示す様に。

「でも、分かって欲しい。ボクは……」

「……」

 警戒は解けない。

 敵意も、溶けない。

 当たり前。

 それ程迄に、そっくりさん(彼女達)の罪は重くて。

「……分かった」

 はぁ、と息を吐く偽テイオー。

 そのまま、考え込む。

 諦めるのか。ソレとも本性を現すのか。ひょっとして、実力行使で来るかもしれない。と言うか、そもそも彼女の目的が分からないのだが。

 此方も、ぐるぐる考える。

「……よし!」

 やがて、偽テイオーが言った。覚悟を決めた顔。感じ取れる、強い意思。

 ただならぬ気配に、思わず身構えるケイエスミラクルとゼンノロブロイ。

 そして。

「よいしょ」

「……え?」

「はい?」

 唐突に上着を脱ぎ捨てる偽テイオー。

 いきなりの事態に唖然とする二人を置いてけぼりに、今度はスカートを。下着姿になった彼女がいよいよブラジャーのホックに指をかけ……。

「うわ、うわわ!?」

「な、何やってるんですかー!!?」

 ようやく我に返った二人が飛びついて止める。

「何で止めるの?」

「止めるでしょ! 普通!!」

「ロブロイ、早く上着とって! あ、いや、スカートが先かな? とにかく早く!!」

「いや、何て言うか……敵意はないよーって証明するにはもう生まれたままの姿を晒すしかないかなーって……」

「そうはならんやろ!!?」

「ロブロイ、良いから! 怒るのは後! グズグズしてると誰か来ちゃうよ!!」

「は、はい!」

 取り敢えず、抵抗はない。これ幸いと強引に上着を被せようとして。

(……!)

 何かを感じた様に、ケイエスミラクルは一瞬動きを止めた。

 そんな彼女を、少女の形をした何かは服の隙間からジッと見つめた。

 

 ◆

 

「はあ、はぁ……ひ、人が来なくて良かった……」

「どっと疲れました……」

「大丈夫? ケイちゃんなんか、無理しちゃダメなんじゃない?」

「だ、誰のせいだと……」

 あっけらかんとした言い様に文句の一つも言ってやろうするゼンノロブロイだが、偽テイオーのキョトンとした顔を見て崩れ落ちる。

「はぁ、もう良いです……」

「良いって……信用してくれるの? ボクの事……」

「信用……と言うか……」

「あはは……何か、毒気抜かれちゃったよ……」

 疲れた顔で笑うケイエスミラクルに、偽テイオーは小首を傾げた。

 

 ◆

 

「そっか……ライスとブルボンが……」

 開かれた白紙のページに触れながら、偽テイオーは首を振る。

「駄目だ。もう『閉じて』る……。向こうには、行けない……」

「そんな……」

「また開く事は出来ないの?」

 目に見えて落胆するゼンノロブロイを宥めながら、尋ねるケイエスミラクル。

 けれど、答えは同じ。

「そもそも、そっくりさん(ボク達)に『庭』への『門』を開く術(すべ)なんて無いんだ。ソレは庭の主……プーカだけの特権だから」

「でも、アッチのライスさんは……」

「でも、有り得ない」

 パタリと、本を閉じて。

「だから、考えられるのは一つだけ」

 自身を見つめる二人に、キョロリと視線を向けて。

「『何か』が、手を貸したんだ」

「何か……?」

「そう。プーカと同じか、それ以上の『何か』」

 一瞬の間。誰かがゴクリと喉を鳴らす音が、妙に大きく。

「ソレって……何ですか……?」

「分からない」

 ゼンノロブロイの質問を一蹴して。

「色々いるじゃん? この学園。プーカが来る前から。その内のどいつかが、ちょっかい出したのかもね。どう言うつもりかは、知らないけど」

 確かに。

 ゼンノロブロイにもケイエスミラクルにも、そう言った『モノ』を感じ取る事は出来ないが。

 友人達の中には居る。そう言った、『向こう側』を見晴かす者達が。

 彼女達の言う事を、疑う事は無い。

 そう思わせるだけの意を、語る時の彼女達の言葉は宿しているから。

「……やめときなよ」

 見透かした様な偽テイオーの声に、ギョッとするゼンノロブロイ。

「『ソイツら』が助けてくれるかも、とか。頼んでみようとか、やんない方が良いよ。対価に何を求められるか、分かったモンじゃない。そう……」

 ほんの少しだけ、間。

「キミ達は、拘わない方が良いんだから。コッチ側には、さ……」

 『コッチ』と言った目が、ほんの少し寂しく揺れる。

 

 ◆

 

「……じゃ、コレで」

「え?」

 立ち去ろうと腰を上げた所に視線の集中を受けて、今度は偽テイオーが驚く。

「な、何さ?」

「え、だって……」

「何か用があって来たんじゃないの?」

「へ? あ、ソレはそうなんだけど……」

 思ってもいなかった事を言われたみたいな顔で、ポリポリ頭をかく。

「ボク、役に立たなかったし……?」

「コッチは別に、そんなつもりでいた訳じゃないよ」

「ソレに……良いの?」

 ボソリと呟いた問いに、クスリと二人は笑って。

 ただ、『もちろん』と頷いた。

 

 ◆

 

「コレで、良いでしょうか?」

「……うん、十分だ。ありがとう、ロブロイ」

「いえ……ソレでは、再生を始めますね」

 偽テイオーの頼みは、少し意外だった。

 図書館の、映像ライブラリ。

 記録として残された、過去の公式レースの映像

 それらを、見せて欲しいと。

「どうしてかな……?」

 ケイエスミラクルは、思う。

「そっくりさん(あの娘)達は、ウマ娘(おれ)達のコピーだって聞いた。なら、今までのレースの記憶だって持ってる筈なのに……」

「違う、そうです」

 ゼンノロブロイの呟きに、目を向ける。

「映像の用意をする時に、私も訊いたんです。こんなの見て、どうするのかって」

「……何て?」

 問われて、少し自分で咀嚼する様に考えて。

「『記憶』じゃない。『記録』なんだって……言ってました」

「記録……?」

「はい」

 また、少しの間。彼女の言葉を、もう一度紡ぎ直す。

「テイオーさんのコピーである自分にあるのは『記録』。自分で見た訳でもなければ、刻んだモノでもない。本当に、コピー機で模写しただけの空っぽの記録なんだって」

 聞いて、改めて彼女の方を見る。

 真剣な顔だった。

 トレーニングの時。

 レースの時。

 自分とて、した事があるだろうかと思う程に。

 文字通り、瞬き一つせず。

 彼女は画面に見入っていた。

「通わせたいと言っていました。空っぽの記録に。空っぽの自分の中に。血を、熱を。ウマ娘(私)達と、同じモノを」

 例えソレが千分の一、万分の一程であったとしても。

「そうしなくちゃ、いけないからと」

 

 そうでなければ、同じターフに立つ事すら出来ないからと。

 

「同じ、ターフに……?」

 視線を戻す。

 彼女は、泣いていた。

 数多の伝説が流れ。

 いま画面に映るのは、◯◯◯◯年12月26日のGⅠ有馬記念。

 あの『奇跡』。

 自分の中にも在る筈のソレを。

 彼女は涙と共に見つめていた。

 まるで、遠い憧れを追う幼子の様に。

 

 ソレもまた、記録。

 『彼女達』が刻んだ、『奇跡』の記録。

 デジタルの羅列に刻まれた、あの日の映し身に過ぎぬモノ。

 でも。

 それでも。

 そこに在るのは、あの日の熱。

 かの日の、証。

 彼女しか無い、『個』の記録ではない。

 『奇跡』の全て。

 見つめよう。

 『彼女』ではない、『自身』としての目で。

 思い知ろう。

 借り物の矜持の、如何に空虚なるかを。

 そこに在った世界の。

 時間の。

 彼女達の。

 如何に崇高なるかを。

 そして、その果てに見定めよう。

 『自分』が走り抜けるべき道を。

 

 駆け抜ける。

 数多の伝説が。

 幾度の奇跡が。

 燃える、命の軌跡。

 

 ああ、ボクは。

 ボク達は。

 

 ◆

 

「どうも、ありがとう」

「いえ……」

 涙の跡を擦りながらお礼を言う偽テイオーに、ゼンノロブロイは柔らかい表情で応じる。

 そこには先にあった嫌悪と恐れ、猜疑の色は無く。その事を察した偽テイオーもまた、嬉しそうにはにかんだ。

「……欲しいモノは、あった?」

「……うん。でも、『糧』に出来るかはボク次第だろうから」

 投げた問いに、『叶うかは、分かんないかな?』と笑う彼女に向かって。

「叶うよ」

 と、ケイエスミラクルは断言する。

「信じて、諦めないで、頑張れば」

 

 君の『命』は、必ず答えてくれるから。

 

 見つめる瞳と、彼女だからこその言の葉の意を知って。

「……そうだね。キミが言うなら、きっとその通りだね」

 トウカイテイオーの姿を借りた彼女は、己の胸に手を当てて。

 大きく、大きく。頷いた。

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