「ハッ、ハァッ! ハァッ!」
ゴールラインを超えた足を止め、大きく息を吐く。
乱れる呼吸は、ソレでも真の苦痛は孕まず。
流れ落ちる汗も、ただ冷たい。
幾百目かも分からない走り込み。幾度も辿る道筋は、何も身体に刻まない。
当たり前。
コレは、トレーニングではない。
ただの、記録再生。
トウカイテイオーと言うウマ娘が、いつか通り過ぎた道の記録。
ただソレを巻き戻し、再生しているだけ。
糧にはならない。
成り得ない。
この息も。
汗も。
筋肉に溜まる、乳酸の重さも。
全ては、形だけ。
「くそっ!!」
拳でターフを叩く。
返って来るのは、虚しい衝撃と痛み。
答えてはくれない。
応えてもくれない。
ただ、沈黙。
分かっている。
無意な事に、拘わっている暇はない。
時間は無限にある様で、きっと少ない。
プーカの気まぐれ。
そして、自分の。
汗で滲んだ視界。
その先。
ターフの向こう。
背を向けて佇む、『彼女』の姿。
『トウカイテイオー』。
絶頂期だった時の、『絶対の帝王』。
自分の。
己の存在の、コピー元。
そして、可能性を縛る。
閉鎖する。
『鎖』。
アレを。
彼女を超えなければ、自分は成す事は出来ない。
『あの人』と同じターフに立つ資格も。
その先にある、『奇跡』を掴む事も。
嘆いてる暇なんて無い。
終わりは、いつ来るかも分からない。
せめて、終わりの時くらい。
自分の手で。
世界でたった一人の、自分として。
ああ、でも。
ソレでも。
「あはは、キミのせいだぞ。こんな気持ちに、してくれて」
語りかける、あの娘の顔。香りが残る絆創膏は、いつも手の中。お守りの様に握り締めた拳で、ちょっとだけ漏らした弱音に釣られて溢れた涙を乱暴に拭う。
今のままでは、この涙だってただの見せかけなのだ。
また、繰り返す。
そうしようと、立ち上がり。
ムンズ。
「ぴえ?」
いきなり掴まれた。
脹脛。
変な声出た。
グニグニと揉みしだき、そのまま上。
膝裏。
太もも。
挙句に付け根。
アキレス腱にヒラメ筋。
ムニムニ。
前脛骨筋、腓腹筋。
グニグニ。
大腿四頭筋にハムストリング。
ギュムギュム。
「ぴぇえええええ……」
「ふーむ……」
内転筋群、縫工筋と来て臀筋群。
グ〜ネグネ。
「成程、確かに筋肉の質はテイオーと同じか。しかし、これは……」
「ぴわーーーー!?!!?」
「ごぼぁ!!?」
堪らず放った後ろ蹴りに確かな手応え。断罪の絶叫は長く長く尾を引いて遠ざかりーー。
ドンガラガッシャン!
後方に積んであった競技資材の山に突っ込んで、止まった。
「う、うむ……脚力も、『あの頃』のテイオーと同じ……と。懐かしいな……」
瓦礫の中から聞こえる、そんな呟き。
無事らしい。
人間だろうか?
「あ……」
声を聞いて、思わず声を漏らした。
とても良く知っていて、とても意外な人。
「トレー……ナー……」
「うん? あー、そうか。その呼び方……って言うか、その呼び方『しか』出来ないんだったか? お前は」
固くなる、偽テイオーの表情。
「……気付いて、たの?」
「まあ、違和感は感じてたな。もっとも、『常識』が邪魔して偽物なんてトコまでは思わなかったが。だが、『あんなコト』があっちゃあ、流石にな……」
立ち上がった『彼』が埃を払いながら言うのを聞いて、舌打ちをする。
やはり、あの動画……否、偽セイウンスカイ達の行動が転機になってしまった。
トレーナー達と担当ウマ娘達との絆は深い。場合によっては、親子や恋人のソレよりも。
すり替わった違和感に気付かない道理は無く。ただ『そんな事は有り得ない』と言う『常識』だけが彼らの猜疑を誤魔化していた。
けれどあの度を越した凶行が確信をもたらした。
『彼女達が、あんな事をする筈は無い』と。
何の事は無い。『常識』と言う固定概念を超えて仕舞えば。真実まで一飛びに導くのだ。トレーナー(彼ら)とウマ娘(彼女達)の間に築き上げられた理解と信頼と言う翼は。
「で、だ。ソレを踏まえてお前に話があるんだが……」
身構える。
決して良い話ではないと分かっていたから。
当たり前。
己が教え子を奪った挙句になりすまし、謀った相手。穏便な処置など、出来る筈もない。
近づいて来る、『彼』。
一歩。
また、一歩。
どうする?
若い成人男性とは言え、所詮は人間。ウマ娘の膂力であれば、制圧するのは容易。
逡巡する間に『彼』がまた前に立つ。
今、断たれる訳にはいかない。
やるしかない。
けれど、身体は動かない。
チラつくのは、あの娘の顔。
ああ、ボクは。
キミに。
キミの。
だから。
「お前……」
断罪を紡ぐ、その声は。
「俺のトレーニング、受けてみないか?」
全く別の方向から、彼女をぶん殴った。
◆
「………………え?」
口をアングリと開けたまま固まる偽テイオーを見て、『彼』は首を傾げる。
「どうした? 嫌か?」
「あ、いえ……その……」
「行き詰まってるんだろ? 俺ならどうにか出来るぞ。多分」
「いや、だから……」
「あー、ひょっとしてずっとお前の事『テイオー』だと思ってた事を怒ってるのか?」
「!」
「いや、そこんトコは悪かった。謝る」
「謝んなくて、良い……そんな事……」
そう。謝る理由など無い。
そっくりさんは、オリジナルの代用品。
そう言う風に、造られた。
ウマ娘達だって、きっかけがなければ気付けない。まして、人の身でなど。
「それでも、嫌だろ。自分が、自分として見て貰えないなんて」
ヒュッ、と息を呑む。
やさぐれた強がりの向こうを、言い当てられて。
「お前は、『お前』だものな」
「……」
真っ直ぐに、見つめて来る目。
トウカイテイオーとしてでもなく。
その代用品としてでもなく。
自分を、自分として見つめる目だった。
何かが、溶ける。
警戒も、不信も、不安さえも消えていく。
「……良いよ」
「ん?」
溢れた声音は、自分のモノとは思えない程に柔らかく。
「聞いてあげる。話くらい」
「おお、そうか!」
嬉しそうに、綻ぶ顔。
あの娘みたいだと、何処かで思った。
◆
話す二人の姿を、ヴィクトリー倶楽部の面々は遠巻きに見守っていた。
「驚きましたねぇ……。ゴールドシップさん、テイオーさんのトレーナーさんを連れて来るとは。よもやよもや、です」
「でも、確かにこう言う時には適任ですね。『餅は餅屋』……か……」
正しく、ウマ娘(自分達)は選手。教えを受ける側。身に付けた技術・技能を伝える事は出来ようが、今はまだ受け売りの域を出はしない。
相手を理解し。素質を見抜き。適した道を教え導き。開花させるのは、また別の分野の力。
ソレを出来るのが、彼ら『トレーナー』。
その存在がどれ程の意味を持つか。ソレこそを、ウマ娘(自分達)が誰よりも知っている。
とは言え。
「受け入れるかな……偽テイオー(あの娘)は……」
サクラローレルの懸念は、皆も同じく抱くモノ。
『彼』はトウカイテイオーのトレーナー。確かに、トウカイテイオーのコピーである彼女を指導するには適任であろう。しかしソレは、偽テイオー(彼女)がトウカイテイオーの『代わり』である事をより強く意識させる事であり。
今の偽テイオー(彼女)にとっては、何よりも勝る屈辱と苦痛と成り得る事。
「まぁ……『堕とせる』かどうかは、あの方の『てくにっく』次第でしょう」
「……えーと。何か、言い方がイヤらしくないです?」
そも、そう言う意図で言ったのだろう。サクラチヨノオーの囁きに、サクラチトセオーはクスリと笑い。
「失礼。でも、言い得て妙ではありましょう? そうやって、心根を尽くして下されたから堕ちたのですから。我も、皆々様も」
チラリと流し見られて、ヘラリと笑う。
思い出すのは、各々の『かの時』。
そう。
ウマ娘も。
トレーナーも。
個々では只の歯車一枚。
噛み合う互いを見つけ。
噛み合う伴侶を捉え。
正しく噛み合い、回り出す。
進み出す。
ただ、まだ心初いウマ娘達にその術は拙く。
故に、見出すは常にトレーナーの役目。
素質。
可能性。
熱。
高鳴り。
キミに感じた何かを信じると。
キミと勝ちたいと。
全てを賭けて、口説き落とす。
彼女の未来に。
己の未来を対価と賭けて。
愛程に優しくはなく。
恋程に甘くもなく。
まして、情欲程に冒しはしなけれど。
同じか其れ以上に。
深く。
熱く。
より深く侵す情火。
其れに囚われ。
加熱され。
ウマ娘達が孕む燻りは燃え上がる。
かくて、彼らは走り出す。
離れるも叶わず絡み合う、焔車。
道の果て。
ターフの果て。
共に燃え尽き、一握の灰塵と成るまで。
其が成れ果ての如何に甘美なるかを知るが故。
ウマ娘(彼女達)は確を得る。
そう。
『彼女』は堕ちる。
トレーナー(彼)が種火を差し出すは。
キミに其れを見出しているから。
ウマ娘(私達)と同じ。
『何か』を感じているから。
◆
「ゴールドシップ……余計な事して……」
「まあ、そう言うな」
次第を聞いて渋い顔をする偽テイオーを『彼』はそう言って宥める。
「アイツのお陰で俺はお前を見つけられたんだ。個人的には、感謝してる」
「見つけた?」
『彼』の顔を、ジロリと睨む。酷く楽しそうな表情が、気に食わない。
「見つけたって何? いなくなったトウカイテイオーの代わりを見つけたって事でしょ? そんな嬉しそうな顔して。良かったね?」
吐きつける言葉には、たっぷりの悪意。意識的に。
そっくりさん達は総じてオリジナルのトレーナー達を嫌っている。
当然と言おうか。
『今』のオリジナル達を作り育てた者。
オリジナルを証明し、肯定する者。
そっくりさんの存在を誰より否定し得る者。
その忌避感は、本能レベルで根差している。
偽テイオー(彼女)も、ソレは変わらず。
「いや、思ってないぞ? さっきも言ったろ? 『お前』は、『お前』だって」
「……そんな事言って、ゴールドシップに言われて気付いたんじゃん。アンタの目なんか、どうせトウカイテイオーしか見てないんだ」
そう。トレーナー(貴方達)は、この世で一番オリジナル達に執着する者。
愛とも恋とも違う次元で。
知っている。
理解している。
オリジナルそのままの、そっくりさん(自分達)だからこそ。
トレーナー(貴方達)にとってそっくりさん(自分達)は偽物に過ぎない。
どうなっても。
どうあっても。
そうでなけりゃ、いけないから。
けど。
「確かに、その点に関しちゃ何度でも謝る。ただ、今は間違いなく見てるのはお前だよ」
『彼』は、いけしゃあしゃあと宣う。嘘偽りの気配が無いのが、また苛立たしい。
「何で……」
「確認したからな」
ワキワキと動かす手。
「自慢じゃないが、トウカイテイオー(アイツ)の身体は誰よりも良く知ってる」
『言い方がヤらしい!』とツッコミそうになったが、話の腰を折るとますます面倒になるので黙っておく。
「お前の脚の筋肉、確かにテイオーの筋肉だ。だが、今のアイツのじゃない。ソレは東京優駿を勝った時の『無敗の帝王』の脚だ」
ザワリと、背筋が震えた。
そう。そっくりさんはオリジナルの『最高の時』を切り取って生み出される。
オリジナルのトウカイテイオー、最高の時。ソレは正しく、一回目の骨折。ウマ娘としての命に仇花が穿たれる刹那の手前。重賞二冠への栄光を駆け抜けたあの瞬間。
其の切り抜き。模写が今の自分であり、そしてその自分の可能性を閉鎖する鎖錠。
忌わしい。
ただ、忌わしい。
「ふ、ふぅん……流石だね。でも、なら分かるんじゃないの? ボクはトウカイテイオーの到達点なんだ。これ以上、変わる事なんて……」
「ああ、『ソレ』か」
戦慄く気持ちと共に、ポロリと溢れた『弱音』。
『彼』は、見逃さなかった。
「へ?」
「『ソレ』だよ。お前が先に行けない理由。お前は自分が完成品……つまり『完結』したモンだと認識してる。だから足踏みだけを繰り返す。自分は、もう此処から先に行く場所は無いと思い込んで……いや」
「怖いんだろうな。何も無い、自分の知らない場所へ踏み出すのが」
息が止まる。
怖い?
怖い。
ああ、そうか。
ボクは、まだ。
「……嫌な人」
漏れた声に混じる嘲笑は、『彼』に対してか。
それとも、自分か。
「ボクよりも、ボクの事を知ってる。嫌だ、嫌だ。ソレも、アンタがボクのオリジナル(トウカイテイオー)のトレーナー(理解者)だから?」
「かもな。だが……」
否定も取り繕いもせず。
「俺が、『俺の知ってるトウカイテイオー』から推測出来るのは此処までだ』
そう言って、その場にドッカと腰を下ろす。
「……何してんの?」
「聞かせてくれ」
見上げる眼差しが、真っ直ぐに此方の目を見る。
「今の、『お前』を。トウカイテイオーから抜け出そうと足掻くお前が、その先に何を求めているのか。お前が起こそうとしてる『奇跡』ってのは、何なのか」
「……………」
「そこに在るのが、『お前』だ。トウカイテイオーじゃない、お前だ。ソレを、教えてくれ」
もっとハッキリ、『お前』を見る為に。
見下ろす。
ジッと。
煩わしい。
苛立たしい。
この目。
言葉。
共に歩けると思っている傲慢さ。
トウカイテイオーを理解し、トウカイテイオーが信頼したその全て。
そして、其処に疼きを感じてしまう自分自身。
全部、全部が。
忌まわしい。
だから。
「……良いよ」
対面に、腰を下ろす。
「教えてあげる」
そして、ガッカリさせてあげる。
きっと、その方が。
「その前に……」
上着の裾を掴み、捲り上げる。
「うおっ!?」
『彼』、ビックリ。当然である。
「ま、待て待て! 俺が知りたいってのは、そう言う事じゃなくて……!?」
「何が勘違いしてんのさ。見せたいのは、『コレ』!」
言われて、目を隠した指の間から覗き見る。
そして。
「ソレは……」
スマートなデザインのスポーツブラに包まれた、淡い膨らみ。小さく鼓動するその少し上。
丁度、心臓の位置。
其処に、脈打つ様に光を零す一筋の。
『ひび』。
「見えるよね? アンタなら、ハッキリと」
頷く『彼』に、囁く様に。
「そうさ。アンタみたいに、より『近く』にいたヤツに程、コレは良く見えるから」
「お前……」
「剥がれかけてるんだ。ボクに貼り付けられたトウカイテイオーの『テクスチャ』が」
囁く声は少し震えて、上擦っている。
高揚しているのかも知れない。
一人。ただ一人、抱え続けていた恐怖と不安と。悲しさを。
泡沫と言えど。仮染めと言えど。
誰かに打ち明けられると言う、喜びに。
「ボクは、トウカイテイオーの代用品。トウカイテイオーであり続ける事が、世界に在れる条件。けど、ボクは負けた。『トウカイテイオーが負ける』と言う事象が設定されてない、『あの娘達』に……」
カノープスの事か……と思い当たる。
話は人伝てに聞いていた。
らしくない話とは思いつつ、親しい同期同士のじゃれ合い混じりの並走トレーニングくらいに思っていたのだが。
「いやいや、大事だったさ。そっくりさん(ボク)にとってはね」
考えを悟るかの様に、笑う。
儚く、寂しく、自嘲して。
「結果、ボクはこの世界におけるトウカイテイオーとしての資格を喪失した。誰でもなくなったそっくりさんは、居場所を失う。こんな風に」
指し示す、胸のヒビ。ミシリと軋む、そんな気配を感じた。
「だけど、お前……」
彼女の言を疑おうとは思わなかった。
目の前に在るソレが、全ては真実と告げて来る。
でも、なら。
「そう、なのにボクはまだ世界(ここ)に在る」
トウカイテイオーである事が彼女の存在条件ならば、そうでなくなった時点で彼女は消えなければならない。
しかし、その絶対の契約は今だ履行はされず。
「理由は分からない。でも、そんなのどうでも良い」
胸のヒビを、握り締める様に手を当てて。
「時間が、在る。猶予が、貰えてる。トウカイテイオーとしての資格をなくした、トウカイテイオーじゃない、ボクであるボクだけの時間だ。なら、その時間に、ボクは意味を持たせたい」
「…………」
「ねえ、分かる? 分かるでしょ?」
黙って、けど目を逸らさずに聞く『彼』に泣きそうな笑顔を向けて。
「時間はね、有限なの。コレばっかりは、間違いない。いつか……きっと、そう先でもないよ。ボクは消える。間違いなく」
そして、返ってくる。
世界の理。その通りに。
彼女が。
「アンタは、待ってれば良い」
告げる超えは、何故か酷く優しくて。
「待っていれば、あの子は……トウカイテイオーは帰って来るから。アンタの、アンタ達の元に。だから、少し。もう少しだけ、好きにさせて。ボクの、自由に……」
「して、どうするんだ?」
遮られ、息を止める。
「お前で、お前だけで、届くのか? 間に合うのか? お前が望む、『意味』ってヤツに」
「……分かんない」
絞り出す答えに籠る震えが、真意を如実に。でも、隠し切れないと知るからこそ。
「でも、ダメだよ?」
「何がだ?」
「アンタは、トレーナーだ。ウマ娘と、一緒に歩く者だ。ウマ娘を、未来まで導いて。その対価に、輝羅綺羅の喜びを共に得る者だ」
ソレが理。
与えたなら、与えられる。
与えられなければ、いけない。
等価の交換。
そうやって、世界は巡る。
等しく。
整然と。
「でも、ボクじゃダメだ」
声の震えは、大きく。
「ボクは、未来には行けない。閉鎖された可能性だから。アンタは、何も得られない。未来も、輝羅綺羅も、喜びも。アンタに、対価は返せない」
そう。既に資格を失った自分には、理の歯車は回せない。与えられても、与えられない。
だから。
「お前、何か勘違いしてないか?」
「え?」
返された声が、少し怒ってる様な気がした。
「やれ未来だのキラキラだの……何が欲しくて何を得るかなんて、そりゃ俺が決めるこった。お前が勝手に決める事じゃない」
「いや、でも……」
「良いから、話せ。俺が聞きたいのは、そんな泣き言じゃない。意味だ。お前だけの時間で、お前が得たい意味ってヤツだ」
「…………」
「ソレだけだ」
「…………」
少し、間を置いて。
はぁ、と息を吐く。
呆れて。
諦めて。
少し。
嬉しいかも。
口を、開く。
ゆっくり、ゆっくり。
大事に。
大切に。
------。
「……そうか。ソレが、お前の……」
「そう。馬鹿みたいでしょ?」
神妙な顔で頷くのを見て、クスリと笑う。
「重賞とか取りたい訳じゃないし、偉大な記録を打ち立てたい訳でもない。ま、そんな時間もないけど……」
ヘラリと笑って、改めて。
「ただ、良いカッコしてみたいだけ」
言っちゃった。
でも、何かスカッとした。
詰まってた何かが、取れたみたいに。
「ね、違うんだよ。トレーナー(アンタ)が望むモノとは、根っこから。だから……」
「いや、良いんじゃないか?」
「へ?」
思わぬ言葉に、固まる。
「良いと思うぞ? 結構じゃないか」
「そう……かな?」
「そうさ。考えても見ろ」
言って、何かを思い出す様に宙を仰ぐ。
「アイツの……トウカイテイオーが起こした奇跡だって、願った意味はそう大層なモンじゃない。一人。たった一人の為に、アイツはあの奇跡を起こしたんだ。分かる筈だ、お前なら」
トウカイテイオーの奇跡の意味。そう、知っている。その意味も、尊さも。自分は、確かに。
「なら、お前だって同じだ。願う奇跡に、尊いもくだらないもありゃしない。語ってたお前、キラキラしてたぞ」
「ボクが……キラキラ?」
驚く彼女に『彼』は言う。
「じゃ、次は俺だ」
「?」
「さっき、俺はお前をテイオーじゃなくお前として見ると言った。けど、お前の話を聞いて自覚したよ」
「何を?」
訊かれて、宙を仰ぐ。
「テイオーは、あの故障で色んなモノを変えざるを得なくなった。ソレは、オレがかつて描いていたアイツの『完成系』とは違うモノだ」
彷徨う視線の先には、共に歩んだ『彼女』の姿。
「テイオー(アイツ)が、俺の最高傑作の一人だって事に変わりは無い。ソレでも俺は、未練があったんだ。テイオー(アイツ)がそのまま進めた先に在った筈の未来に。だから、ゴールドシップのヤツにお前の事を聞いた時に飛び付いた。思わずな」
視線を戻す。今度こそ、目の前の彼女に。
「すまなかった。あんな事を言っておいて、結局俺はお前に見ていたんだ。有り得たかもしれない、『トウカイテイオー』の未来を。だが……」
見つめる瞳に映る像。ソレは、もう違う事なく。
「お前の願いを聞いて、目が覚めたよ。アイツは、お前の様な願いは持たない。ソレは、お前だけの願い。お前は、『トウカイテイオーじゃない』」
心が鳴った。
その言葉が。
声が。
何の抵抗も無く。
胸のヒビを、埋める感覚があった。
「そして、俺はお前の願いを『良い』と思った。間違いなく。だから、今度は俺の『願い』を言う」
高鳴りは続く。
確信があった。
そう。
きっと。
「付き合わせてくれ。お前の願いに。お前が掴みたい、『奇跡』ってヤツに」
「…………」
暫しの沈黙。奥底に、染み込むまで味わって。大きな、大きな溜め息を吐く。
「くっさい台詞……」
絞り出した声は呆れた様で。けれど、上擦っていて。
「まるで、女口説いてるみたいじゃん……」
「そうさ。トレーナー(俺達)は皆その覚悟で口説くんだ。いつもたった一人の、ウマ娘(お前達)だけを」
「きっと、長くは無いよ?」
「だろうな」
「ボクは消える。願いに届いても、届かなくても」
「覚悟してる」
「夢だよ? 何もかも。泡沫の、シャボン玉みたいな」
「なら、最高の夢にしよう。シャボン玉が舞う間、一生分の熱に勝るくらいのな」
「ああ……本当に、くっさい。歯が浮くよ」
苦笑いしながら、立ち上がる。
『彼』も、立ち上がる。
真正面から向き合って。
「よろしくお願いします!」
ペコリと深く、お辞儀して。
「此方こそ、よろしく頼む!」
『彼』もまた、お辞儀を返す。
同時に頭を上げて、共に手を差し出した。
握り合った手に、互いの体温が混じり合う。
愛とか。
恋とか。
そんな甘いモノではないけれど。
其に勝るとも劣らない絆。
その感覚を、彼女は初めて抱き締めた。
「……お見事」
「おめでとう……」
「コレで、必ず!」
遠間に見守っていた桜の少女達が、細やかな。けれど心からの祝福を送る。
胸の奥が疼くのを感じたサクラローレルは薄く目を閉じ。
(大丈夫だよ。あの子も、知れたもの。だからきっと、大丈夫)
内で眠る『悲しい自分』を、あやす様にそっと撫でた。
歯車、二つ。
出会って。
繋がって。
噛み合って。
カラリカラリと進み出す。
冷たい鎖の籠の中。
ソレでも。
確かに。
真っ直ぐに。