鎖影の庭   作:土斑猫

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【Púca】

「……と言う訳で、目撃証言から一部の生徒君達が不審者の正体は君ではないかと言っている訳だが……」

「…………」

 午後の日差し差し込む生徒会室。

 些か困り顔のシンボリルドルフと差し向かいの席には、これまた不機嫌と言う文字をまんま貼り付けた様な顔のマンハッタンカフェ。

 さもありなんとは思いつつ、ここで切る訳にもいかないので話は続ける。

「どうなのかな?」

「……あの……」

 返る声は絶対零度。ジト目で見上げる金色の目が、正直メッチャ怖い。

「……本気で……疑ってますか……?」

「いや、ソレはない」

 正直に言う。

「お前が見てくれの印象に反して常識人なのは、近しい奴なら皆知っている」

「ただ、そう言う噂が一人歩きするのは上手くないからな。お前の為でもある。理解して欲しい」

 脇で待機していたナリタブライアンとエアグルーヴの言葉に、取り敢えず頷いておく。

「そもそも、今回の犯人は君は勿論、この学園……否、この界隈の関係者は全て除外すべきと私達は考えている」

 その言葉にマンハッタンカフェは小首を傾げる。

「でも……犯人は、追いかけたスズカさんとテイオーさんを振り切ったと聞きました……。そんな事、幾らウマ娘でも素人には……」

「だからだよ」

 疑問の言葉は、真正面から切って否定された。

「コレは、当事者であるサイレンススズカから直接聞いた事だが……。確かに犯人は彼女とテイオーを振り切った。『万全』の状態で『全力』の二人を『かなりの余力を持って』だ」

 マンハッタンカフェの顔が、微かに引き攣る。

「本当、ですか……?」

「『最速の機能美』の知見だ。間違いないだろう」

 確かに。常に先頭の景色を求め続ける彼女が、その障害となる者の力を見誤る事は有り得ない。

「それを踏まえて訊こう。マンハッタンカフェ」

 シンボリルドルフが、投げかける。

 

「君に、可能か?」

 

「……無理です」

 即答。

「そう。私にも無理だ。そして、この学園にいる誰にも……ね」

 それは即ち、この界隈にそんな者は存在しない事の証明。

 マンハッタンカフェとて、アスリートとしての矜持がある。

 至高の機能美であろうと絶対の帝王であろうと。目の前に座す最強の皇帝であろうと。

 及ばない等とは微塵も思わない。

 同じターフに立つのであれば、この全力を持って寝首を掻っ切る自信がある。

 そう。

 『全力』で、である。

 一つの競技の頂きへ詰める事は、持てる可能性を食い潰していく事。故に、其処に至れば至る程。競い合う者達の可能性は減って行く。

 皆が同じウマ娘。

 同じ生物。

 同じ構造。

 等しき理。

 同じ始まりから目指すが同じ高みなら。

 至りし時に残る可能性に、多大なる差などある筈もない。

 だからこそ、同じターフに立つ者は全力を尽くす。共に残火に等しき力に、足掻きの如き輝きを灯す為。

 そのギリギリの境界に、『かなりの余力』などある筈もない。

 もし、それが可能だと言うのならば。

 それは最早、『別のモノ』。

「……君を呼んだのは、それを踏まえての意味もある」

 シンボリルドルフの声が、微かに揺れる。

「この事件に置いて、あらゆる人的被害は報告されていない」

 被害は無かった。

 負傷した者も。

 精神的な傷を負った者も。

 暴行を受けた者もいない。

 学園の生徒は一人とて欠ける事無く。

 いつも通りの朝を迎えた。

 あまりにも、いつも通りの。

「だから、マンハッタンカフェ。君に訊きたい」

 そう。あんな事があったのに。

「今日。今。この学園は」

 何もかもが、そのまんま。

「君の、その目には」

 まるで、昨日をコピペでもした様に。

「どの様に、映っているのだろうか?」

 怖いくらいに、そのまんま。

 だから、答える言葉なんて。

 

「……昨日のまま、です……」

 

 言い様なんて、ありゃしない。

 

 ◆

 

「おお、カフェしゃ〜ん!」

 生徒会室を出たマンハッタンカフェが、自分を呼ぶ声に視線を向ける。駆け寄って来るのは、ツインテールの見慣れた顔。

「……デジタルさん……」

 目の前まで駆け寄って来たアグネスデジタルが、ゼェゼェと息を切らす。

「ああ、良かった。ご無事でありますか」

「どうして、貴女が……?」

「タキオンしゃんに頼まれたんですよぉ。そろそろ開放される頃合いだから、迎えに行ってくれって。読みはバッチリでしたね〜」

「タキオンさんが……」

 なら自分で迎えに来れば良いものを……などと思いつつ、まああの人らしいかと収まりを付ける。

「でも、何でまたカフェしゃんが疑われたんですかねぇ? いくら見た目が被ったからって、カフェしゃんがそんなヤベー奴じゃない事は会長しゃん方もご存じでしょうに」

「それは……」

 生徒会室での会話を話す。聞いたアグネスデジタルが、何やら神妙な顔をした。

「それで、カフェしゃんは何と答えたので?」

「……実際に、被害は無く……皆、変わりはありません……。私にも、『そう見え』ます……。そうとしか、言い様が……」

 そこまで言って、アグネスデジタルがジッと自分を見ている事に気づいた。いつもの、恍惚に満ちた目ではなく。酷く、真剣な目で。

「何、ですか……?」

「それは、『見た目』の話ですよね?」

「……はい」

「なら、『感じ』はどうなのですか?」

「!」

 そう。恐らくはシンボリルドルフがあんな問いかけをしたのも、ソレが理由。

 違和感がある。

 何もない。

 何も変わらない。

 なのに。

 学園全体に、零したインクの様に滲む違和感が。

 けれど、『そんな気がする』と言う理由だけで生徒会や他の組織が行動を起こすことは出来ない。

 そも、何に対してどんな行動を起こせば良いのかすら分からない。

 だから、シンボリルドルフはマンハッタンカフェに訊いた。

 確かな異変の証を求めて。

 『君の目に見えるモノは無いか?』と。

 けれど、期待に応える事は出来なかった。

 異界の存在を見通す彼女の目にも、見えるモノは何も無い。

 恐らくは、シンボリルドルフが感じていたモノと同じ。

 現実の力の起動には繋がらない、『漠然とした違和感』だけ。

 失望されただろうか?

 そう思った時、浮かんだのは『あの人』の顔。

 ……まあ、あの人なら。ソレならソレと、また別の手段を模索するまでだろうけど。

「カフェしゃん?」

 思案する顔を覗き込まれて、我に返る。

 そして、ふと思い立ち。

「……そうですね……。デジタルさんは、どの様に……?」

 などと訊き返して見る。

 吃驚するアグネスデジタル。

「ふぇえ!? い、いえ! デジたんの如き一兵卒の愚考など……」

 いつも通り不必要な程に畏まる彼女に、『構わないから』と促す。

「は、はぁ……。では……」

 スーハーと深呼吸し、コホンと咳払い。何でそこまで緊張するのだろうかと思うマンハッタンカフェを前に、畏み畏み話し始める。

「ハッキリ申しますと、デジたんもめっさオカシク感じておる次第なのです」

「……どんな風に、ですか……?」

「萌えないのです。尊みを感じないのです」

「……!」

 目を細めるマンハッタンカフェ。

「いつもであれば、学園はウマ娘ちゃん達の萌えや尊みで溢れています。デジたんはソレを少々頂戴致しまして日々の原動力にしている訳ですが……」

 時と場合と相手によってはドン引きされそうな発言ではあるのだが、本人の顔は至って真剣。

「けど、今朝方からその供給量が激減しているのです。いつもと同じ、推しのウマ娘ちゃん達。なのに……」

 力説に聞き入るマンハッタンカフェ。

「何と言いましょうか……出来の悪い二次創作? いえいえ、推しにどの様な理想を抱くもソレは此処のオタクの自由。例え自分の嗜好とは異なる解釈違いであったとしても、そこに確かな愛さえ有れば如何なるモノであっても理解はし合えるモノなのですが。コレは何の思い入れも無い、別の目的の為に適当に見てくれ体裁だけを整えた……」

 

 ーー無味空っぽの、ハリボテと言う感じなのですーー。

 

 物凄い速口で言い終えると、ハッと我に返ってまたペコペコ畏まる。

「こ、コレは失礼致しました。つい熱が……」

「……いえ……かなり適切な表現かと……」

「あ、そうなんです? お役に立てたなら光栄至極……」

 照れる彼女を置いといて、考える。

 正しく、アグネスデジタルの言い様は的を得ていた。ただ、コレだけを提言した所で意味はない。あくまでコレもシンボリルドルフや自分が感じていた違和感の言語化に過ぎない。この違和感の根源。それを何らかの形で突き止め、証明しなければならない。

 そして、此処までが自分の限界。それを成せる知識と思考力を持つのは、やはり彼女だけ。

「……デジタルさん……」

「あ、ハイハイ?」

「戻りましょう……タキオンさんの所へ……。そして……」

 

『あ はぁ』

 

 遮る様に、声がした。

 聞いた事が無い声。でも、良く知る響き。

 此の世界とは、別の場所で響く声。

 視線を向けた先。気怠い午後の日差しが射す廊下。その、向こう。窓の無い場所。曲がり角の暗闇。その、中に。

『あは は。珍し いな ぁ』

 真っ黒な、彼女が笑う。

 金色の目を、爛々と輝かせて。

『『見鬼』だ。 まだ いるのだ ねぇ』

 チャリチャリと鳴く鎖の音。

 重なり歌う異世の声。

 正味、虚を突かれた。

 夜が明け、日の光の元で人の気配が増えた時間帯。大抵の怪異は鳴りを潜める筈なのに。

 こうも平然と現れるとは。

 咄嗟に隣を見る。真っ青になって立ち竦むアグネスデジタルの姿。見えている。自分以外の者にも。

 安全の証明になる事はない。

 寧ろ、経験から言えば。

 あの手合いの中にあって、誰彼構わず姿を晒すタイプの輩は。

 

 得てして、『碌なモノではない』。

 

 敵意が満ちた。

 アレからではない。

 背後の、『お友だち』。

 彼女がこんなにも激しい吐露を晒すのは、マンハッタンカフェにとっても初めての事。

 つまりは、それほどまでに。

 怖気が走った瞬間、『お友だち』が走った。凄まじい大気の流動。振動する窓ガラス。床の塵やゴミ箱が舞い上がる。

 俗に言うポルターガイスト現象。悲鳴を上げるアグネスデジタルを守る為に前に出る。見守る中、血に飢えた猟犬の如く『お友だち』はソレへと襲いかかる。

 けれど。

 

『あ は』

 

 笑った。

 ソレだけで、『お友だち』は八つに裂かれて霧散した。

「ーーーーっ!」

 絶句するマンハッタンカフェの後ろで、アグネスデジタルが『ひっ!』と悲鳴を上げる。

 目の前に、もうソレが。

 陽光の中ですら、揺らぎもしない存在感。それほとまでに、強い。

 自身を間近から眺める金色の目。人のモノではなく。獣のモノでもない。もっと。もっと遠い、微塵程も交る事のない程に遠きモノ。

 此処に至りて、理解する。

 コレは、これまで自分が感じ。見てきた者達とは全く違う。

 異質。

 余りにも、異質。

 常識も。

 価値観も。

 倫理観すらも共有しない。

 下手をすれば、人やウマ娘を意義あるモノと認識しているかすら危うい。

『さて どうし よ う?』

 動けないマンハッタンカフェをジロジロと眺めながら、ソレは仕切りに思案する。

 対話の意思は無く。まるで昆虫を観察する子供の様。

『見えるか ら、邪魔。けど、あんまり 連れてき たくもな いな ぁ』

 思案。

 そして、思いついた様に。

『ああ、 そうだ』

 笑みと共に、手が伸びる。マンハッタンカフェの首。弛緩する身体。抵抗は無意。樹木の様な冷たさが、首に絡まる。そして。

 ガシャン。

 何かが、閉じる感覚。気がつくと、首に幾条にも絡まる鎖の輪。

『あ あ、 と ても お似合い」

 笑う。

『余計 な事は ダメ よ? 言う事 聞かなきゃ』

 首の鎖から、伸びた一条。その先は、ソレの手の中。

『連れ てっ ちゃう から』

 ウフフ、と愉しげに。手にした鎖をチャラリと鳴らし。

 消えた。

 全て、白昼夢の微睡みの様に。

 けれど、須くは夢に在らず。

 今だ首には、不可視の首枷。その感覚が、ハッキリと。

「カ……カフェしゃん……」

 成す術なく見守っていたデジタルが、立ち尽くすマンハッタンカフェに震え止まらぬ声で呼び掛ける。

 廊下の向こう。ようやく立ち直った『お友だち』が、憎々しげに気配を揺らした。

 

 そんな皆の有り様を、見ていた者がいた。

 エアグルーヴ。

 所用の為、マンハッタンカフェから遅れて生徒会室を出た彼女。行き行く先で、全てを見た。

 恐怖の中、目に焼き付いた妖しきモノの姿。

「……アレは……」

 その姿形。

 確かな、覚えが。

 

 ◆

 

 しばし後、エアグルーヴの姿は図書室にあった。世界の絵本を集めたコーナー。

 その棚を、丹念に調べていく。

「……此れだ」

 手に取ったのは、他の本に比べて大分くたびれた品。

 表紙を飾るのは、アイルランドの綴り。

 ファインモーションが寄贈した、自身所有の古本。その内の一冊。

 急かされる様に、ページをめくる。

 覚えている。

 あの時、何かの拍子で開いたページ。そこに描かれていた姿。アレは、確かに。

 めくる手が止まる。

「どう言う……事だ……?」

 そのページには、覚えのある『púca』の印字。けれど、それだけ。確かに描かれていた筈の、『絵』が無かった。まるで、ソレだけが抜け出したかの様に。古びて茶けた羊皮紙の中、ハッキリと真っ白なシルエットを残して。

「グルーヴさん?」

 唐突にかけられた声に、驚いて振り返る。いたのは、ライスシャワーとミホノブルボン。

「ご、ごめんなさい! びっくりさせちゃった……」

「あ……い、いや。此方こそすまない。少し、呆けていた様だ……」

 これでもかと言うくらい申し訳なさそうに謝るライスに、グルーヴも頭を下げる。

「珍しいですね。この様な場所に、貴女がいるとは」

 ミホノブルボンがそう言って、小首を傾げる。この様な場所と言うのは、絵本コーナー。まあ、エアグルーヴのイメージではない。

「いや、少し気になる事があってな……」

 先の変事の記憶は確かなものの、直接目にした者でなければ到底信じられる筈もなく。実際、自分も混乱して去って行くマンハッタンカフェ達に声をかける事も出来なかったのだから。

「あ……その本、ファインさんの寄贈物だね」

 エアグルーヴが手にしていた絵本に気づいたライスシャワーが言う。

「ライスも持ってたんだ。絵本、好きだったから」

「そうなのか……?」

 思わぬ言葉に驚くエアグルーヴに、ニコニコしながら『うん』と頷く。意図せぬ接点が出来た事が、純粋に嬉しいのだろう。

「ライスのは翻訳された復刻版だったから。原本を見たのは初めてで、嬉しかったよ? でも……」

 ちょっとだけ、残念そうに。

「『プーカ』のページだけ、イラストが抜けてるんだよね。印刷ミスかなぁ……?」

 呟いた言葉に、息を飲む。

「知ってるのか!? プーカの事を……!」

「え、う……うん」

 明らかに掛かった反応に、驚くライスシャワー。ミホノブルボンが、不思議そうな顔をする。

「心拍及び脈拍の急激な上昇。加えて脳波に乱れを確認。明らかな動揺が見られます。どうしたのですか? グルーヴさん。貴女らしくありません」

 淡々とした彼女独特の口調が、エアグルーヴに我を返させる。

「あ、いや……。すまない。つい……」

「本当に、どうしたの? 何か、あった?」

「いや、本当に何でもないんだ。ただ、ライスシャワー……」

「何かな?」

「教えてくれないか? その、プーカと言うモノの事を」

 思わぬ頼み事をされ。キョトンとして、けどすぐ嬉しそうに微笑む。

「良いよ。じゃあ、昔読んだ絵本の受け売りだけど……」

 そう言うと、ライスシャワーは舞台の始まりの様に優雅に一礼。そして、歌う様に紡ぎ出した。

 

ーー小さな町のすぐ側に、小さなお山がありました。深く茂った森の奥。やっぱり小さな丸太小屋。一人で住まうお爺さん。悪戯しに来た悪い子に、シャノンの煙吹きかけて。悪いお顔で話すのです。

『プーカは昔いっぱいいたもんだ。ソイツはとても酷い性悪の、真っ黒白肌の妖精さ。鎖を回りに垂れ下げた、見た目可憐なウマ娘。ケラケラ笑って現れて、疎い旅人若者に、随分悪さをするモノだ。気に入られたらもうお終い。チャリチャリ鎖で引き摺られ、帰って来たら知らない子。だからお帰り坊や達。夕焼け降りる向こうから。チャリチャリ鎖が呼ぶ前に』

 最後に煙をもう一吹き。すっかり怖じけた子供達。摘んだベリーも置いたまま、転がる様に帰るのですーー。

 

 一息に歌い上げ、また優雅にお辞儀するライスシャワー。

 パチパチと拍手するミホノブルボンに、照れた顔で微笑んだ。

「え……と、こんな感じで良かったかな?」

「ああ、参考になった。ありがとう」

「えへへ……」

 照れ笑いする彼女に礼を言うと、エアグルーヴは絵本を手にして席を立つ。

「お帰りですか?」

「ああ、他に調べたい事がある」

 ミホノブルボンの問いに答えて、出口に向かう。

「もうじき、日が暮れます。お一人での行動は控えるべきかと。例の不審人物の行方が未確認のままです」

 その言葉に、足を止め。

ーー正体は、知れかけているーー。

 そう言いかけて、口を噤む。今はまだ、言い様がない。余りにも、荒唐無稽過ぎるのだ。中身の希薄な説を流布した所で、不要な懐疑と混乱を呼ぶだけ。

 だから、今はせめて。

「分かっているよ、大丈夫。お前達こそ、気をつけてくれ」

「問題ありません」

 返る声は、強い意思に満ちて。

「ライスは守ります。その為に、私は此処にいるのですから」

 何の躊躇もなく飛び出る言葉。『ブ、ブルボンさん!?』と真っ赤になるライスを見て、クスリと笑う。

「そうだな。だが、油断はするなよ」

「了解しました」

 そして、エアグルーヴは薄闇が降り始めた図書室を後にした。

 

 ◆

 

 寮室に戻ると、ファインモーションの姿は無かった。最近は、彼女もいない時が多い。残り少ない時間を、刻み付ける事に費やしたいのかも知れない。今の事態を考えると不安が無いではあったが、基本SPが一緒にいる彼女であれば危険は少ないとも思えた。

 それに、今はかえって都合が良い。

 取り出す携帯電話。登録番号から選ぶのは、『彼女』が面白半分に無理矢理登録させたモノ。嫌だったら消して良いよとは言われていたが、万が一の為に保存していた。

「不本意な事、この上無いが……」

 しばしの躊躇の後、意を決してボタンを押す。

 呼び出し音。そして。

『はい』

 出たのは、確かに聞き覚えのある声。間違いない。二度と聞きたいとは思っていなかったのだが。

「お忙しい中、誠に失礼いたします。『殿下』。私は……」

『おやおや、そんな他人行儀はよしておくれよ。悲しいじゃないか、愛しき『女帝』殿』

 なけなしで振り絞った体裁を、速攻でぶち壊された。明らかに茶化す気配に、米神が引きつく。

「……随分と鋭いですね。『殿下』。お電話するのは初めての筈ですが……?」

『私の私用番号を知っていて、尚且つ私が把握してない相手など君一人くらいのモノだ。だから、わざわざ日本語で出てあげたのさ」

 この妙な賢しさが、また癪に触る。

『ファインにはダメ元で頼んでおいたのだがね。思いの外、上手く行った。君の番号は有り難く登録させて貰おう。出来た妹には、帰って来たらたっぷりと対価を払わなければいけないな」

「……謀ったな、貴様ら……」

 限界突破、である。本当なら『たわけ!』と怒鳴って切ってやりたい所だが。

「……好きにしろ……。その代わり、こっちの質問には答えて貰うぞ……?」

『あはは、らしい君に戻ったね。それでこそ、私が愛でたい『女帝・エアグルーヴ』だよ。さあ、何でも聞いておくれ。いずれ君を手に入れる為の、些細な前払いだ』

 首絞めたい。

 力一杯、締め上げたい。

「……黙って答えろ……」

『ハイハイ』

「ファインには、以前妙な事が起こったりした事はないか? そう、例えば……」

 

ーープーカと言う、言葉絡みでーー。

 

『……さて』

 電話の向こうの、チャラけた空気が消えた。

『寧ろ、私の方が訊きたいかな……?』

 返って来たのは、猜疑と不信に満ちた声。

『何故君が、そんな事を知っているんだい? エアグルーヴ』

 淡々と響くピルサドスキーの声に、エアグルーヴは確かな手応えを感じた。

 

 ◆

 

「ふぅん……?」

 薄暗い研究室の中。マンハッタンカフェの首に触れたアグネスタキオンは、確かな違和感に目を細めた。

「成程。所謂マーキングをしてくれた訳だ。私のカフェ(所有物)に」

「……すみません……」

「君の不備じゃないさ。ただ……」

 謝る彼女を、そう宥め。

「不愉快だね……」

 昏い声で、そう呟く。

「全くもって、不愉快だ……」

 呪詛の様なその呟き。聞くマンハッタンカフェの顔は、何処か恍惚としていて。

 傍らで見ていたアグネスデジタルは、こう思うのだ。

『あ〜、コレはコレで尊いですねぇ……』

 と。

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