明後日からの使者   作:カリフォルニア饅頭

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EP.03 原点

「……ヒカリさん、サトシくんの様子は」

「部屋にいないんです。ジョーイさんが、外に出ていくのを見たって」

「そうか……」

 

ヒョウタは、言葉少なにヒカリに反応した。マサゴタウンのポケモンセンターの待合室に重い空気が満ちる。

 

「『亡霊』が言っていたあの話、どこまで本当なんでしょうか」

「正直僕にも解らない。……あんな話、それこそできの悪い映画そのままじゃないか」

 

ヒョウタは困惑していた。その内容の荒唐無稽さに呆れると同時に、それを発言した『亡霊』のかつてないほど怒りと哀しみとやるせなさに満ちたその声が、耳に残って離れない。

それは、ヒカリも同じだった。誰が信じられるのか、そんな無茶苦茶な話を。誰が語れるのか、そんなデタラメをあんなに真剣に、実感と怨念を込めて。

 

『この文明は、あとわずか15年を待たずして崩壊する』と。

『亡霊』は確かに言ったのだ。

そして、自分はそれを止めに来たのだ、と。

 

ヒカリは先程のシンジ湖畔での戦いを思い返す。

上空で、二匹のリザードンが激しい空中戦を繰り広げる。

舞い散る「かえんほうしゃ」「エアスラッシュ」「ドラゴンテール」

互いの爪と、翼と、尾が激しくぶつかり合う。

戦局は……サトシのリザードンに不利。あのリザードンが、押されている。

 

そして、サトシが逆転を意図して「フレアドライブ」を指示したとき、亡霊は怒りを込めて言葉を放ったのだ。『お前は、そうやって自分のエゴでポケモンを傷つける』と。

そこからの亡霊は、これまでのまるで自我を消した空気のようなあり方から一転して、亡霊の名にふさわしい、怨念を纏ってサトシを詰り始めた。

 

それは、おぞましい呪いの言葉たち。

その言葉の対象でなかったヒカリでさえも気を乱してしまうような。

 

『お前の信念は、破滅へ向かう世界を生み出すだけだ』

『人とポケモンが共に歩む、などという聞こえのよいまやかしの行き着く先を教えてやろう……破滅だよ』

『人は滅ぶ。ポケモンも滅ぶ。大勢が死んで、たくさんの生命が蹂躙される。お前のように、人とポケモンが共に歩むことができると、そう嘯く者たちのせいで』

『――人とポケモンは、交わってはいけなかった。だから俺は、新しい世界を作る。自分のエゴを抑えられないヒトからポケモンたちを隔離して。それぞれ交わることのない、2つの世界を』

…………

 

改めて思い出しても、未だ背筋の寒くなるような言葉。

ヒカリは、思わず両手を二の腕に当てて、自らをかき抱いた。

寒い、とても寒い。発せられたおぞましい言葉が。それによって痛めつけられた心が。

 

「……サトシ」

 

ヒカリは、思わずその名前を口にした。

きっと今頃、自分なんかよりももっと傷ついているであろう、その人の名前を。

ぴこん、とヒカリのワンピースのポケットに入れた携帯電話が震えた。

 

 

 

 

マサゴタウンのポケモンセンターのそば。

緑の芝生が、柔らかな風に煽られて揺れている。

その上に体を横たえたサトシの心情は、その穏やかな光景とは全く似ても似つかない。

 

何も、できなかった。

己の信念を否定する未来の自分。それに対して、どれだけ「違う!」と言葉を荒げても、そのおぞましい呪いの言葉の前に呑まれてしまった。

リザードンを、守れなかった。アイツは最後までサトシの想いに、願いに応えようとしてくれた。なのに、トレーナーである自分は『亡霊』とそのリザードンを前に足が竦んで、勝機を見出すことができなかった。アイツは今、ピカチュウとともにポケモンセンターにいる。比較的軽傷なピカチュウと違って、かなりの重症。

 

格闘戦では向こうに分があるとわかった時点で、すぐにでも何かの対策を思いつければ。あるいは林の中から奇襲だなんて、馬鹿な指示を出さなければ。俺がもっとちゃんとしていれば……俺が、俺が……

 

蘇るのは、地獄の底から響いてくるかのような、『亡霊』の低い声。

おぞましい、呪いの言葉。怨嗟と悪意に満ちた、聞くものの心を冥府に引きずり込むような暗い言葉。

 

『――人とポケモンは、交わってはいけなかった』

 

自分の過ごしてきた時間は、間違いだったのか?

自分の信じてきたものは、災いにつながる道だったのか?

だとしたら……だとしたら……

 

 

 

どれぐらいそうしていたのか、ふと、ポケットに入れたままだった携帯電話が震えている。

誰からの、どんな要件のものなのか、確認するのさえも億劫だった。やたらに震えて、太ももに不快な感覚があるのも好ましくない。すいとポケットから引っ張り出して、そこらへんに捨てた。

 

『もしもし……サトシ?』

 

だが、サトシの思惑とは裏腹に、通話は始まってしまった。

引っ張り出した時に触れた指か、あるいは捨てたところの地面にあった何がしかと反応したのか。僅かな刺激にすら反応してしまう最新の電子機器が恨めしい。

 

だが、次の瞬間にサトシの頭を巡ったのは、全く別の考えだった。この声の主。懐かしい、自分のトレーナーとしての原点の一つ。やたらと悪いナンパ癖と、それを補って余りあるポケモンへの愛と知識。そして何より、温かい食事。

 

「タケシ……」

 

その声の主は、サトシの消え入るような呟きを聞き取ったのか、さらに言葉を続けた。

 

『色々あったみたいだな』 

「……ああ、まあな」

 

ついつい言葉を返してしまう。今の自分を形作った旅のその前半部分、それはずっとこの男に、タケシに支えられてきたのだ。その声に、誰かと会話する気力など無かったはずなのに、なぜか答えてしまう。この温かさ、これこそが何よりもタケシをタケシたらしめるものーー場違いにも、そう思った。

 

『なあ、サトシ……まずは携帯を、っておわっ!』

 

タケシが何か言葉を続けようとしたその矢先。タケシの声は途切れる。一体何が……と疑問が浮かんだのも束の間。答えはすぐにやってきた。携帯電話ごしに、ドタバタと騒がしい音。続いて、『まどろっこしいのよ!』と勝ち気な高い声が聞こえる。ああ、この声は。

 

『何自分に酔ってるのよ!この大馬鹿!!』

「な“っ!?」

 

瞬間、耳をつんざくような大声が聞こえた。きぃん、と鼓膜があたらに高い音を拾う。携帯電話ごしだというのについ耳を塞いでしまいたくなるような、そんな大声。そして、その声と過激な内容。そんな奴なんて1人しか心当たりは居ない。怒りがふつふつと湧いてくる。人の気も知らないで。気がつくと、サトシは放り投げていたはずの携帯電話を拾って、ムキになって言い返していた。

 

「なんだと!こっちの気も知らないで!この出涸らし人魚!!」

『……ふっ、やっと携帯を拾ったわね』

 

ほら、どかっと言ってやったほうが早いじゃない、と通話機ごしに勝ち誇った声が聞こえる。

まあそうかもしれんが……と呆れたようなタケシの呟きが続く。一瞬遅れてしてやられたということに気がついたサトシは、露骨に不機嫌になって続けた。

 

「……何の用だよ、カスミ」

『べっつにぃ。誰かさんがへろへろになってるみたいだから、笑ってあげようかと思って』

「……切るぞ」

『まあまあふたりとも』

 

旅の潤滑油ことタケシが、危険を察知して会話に入る。途端に和らぐ緊張。

サトシは、場違いにもふふっと笑った。懐かしい、懐かしいやり取り。自分の、ポケモントレーナーとしての原点。その旅のさなかで、数えるのも億劫になるほどに繰り返してきたやりとり。サトシとカスミがやいのやいのと騒いで、それをタケシが見守るか、たまにこうやって仲介する。本当に、懐かしい思いが胸にこみ上げてくる。

 

『やっと笑ったな、サトシ』

『ほーんと、ただでさえ不器用な顔なんだから、せめて愛想ぐらい持ちなさいよね』

「不器用な顔って何だよ!!だいたいカスミだって――」

 

そんな下らないやりとりが延々と続く。

サトシにも、わかっていた。彼らが心配して態々電話をかけてくれていることぐらいは。

ふと、しばらく続いた会話が途切れる。タケシもカスミも、サトシも続く言葉を発さない。

気がつくと、言葉が口から漏れ出ていた。

 

「未来の俺に会ったんだ……『ヒトとポケモンは、交わってはいけなかった』とぬかすアイツに、何も言い返せなかった。最後まで戦おうとしてくれたリザードンの気持ちを裏切ってしまった。それに……どうしていいのか解らないんだ。未来のこととか、アイツのポケモンのこととか、色々なことが頭をよぎってパンクしちまいそうだ」

 

漏れ出た言葉。それに、反応するものは居なかった。少なくとも、一瞬だけは。

 

『くくく……あんた、ホンットーにバカね』

「な“っ!?」

『おいカスミ……だが、今回ばかりは俺もカスミに賛成だな』

『そうそう、あんた、カッコつけすぎなのよ!チャンピオンだか偉くなったかなんだか知らないけど、気取っちゃってさ?そんなコムヅカしいことなんて捨て置いて反射で動くのがあんたの流儀じゃないの?』

『まあ、カスミの言い草は少しひどいが……伝えたいことは同じだよ。サトシはどう思った?どうしたい?それがきっと、サトシの答えだ』

『そ、今のあんたは、押しも押されぬカントーのチャンピオンかもしれない。でもね、あたしたちからすれば、お情けでバッチを貰った情けない奴。ニビジムにピカチュウで挑む、出たとこ勝負のとんでもない脳筋。それでいいのよ。あんたが未熟極まりないところから見てきたあたしたちにとっては、それはもう百も承知なんだから。最近はなんだかエラソーにしてるみたいだけど、ハナダジムに来たら、もうボッコンボッコンのギッタンギッタンにして追い返してあげるわ』

「……そうかよ、それはどうも」

『そうそう』

『そうだぞ?ポケモンドクターになったとはいえ、ポケモンと関わり育てることは止めてない。ニビジムに来てバトルしたなら、俺もサトシを全力でお相手して、のしてやるさ。……一応、スプリンクラーは外して』

「……ありがとう、タケシ」

『あたしにはお礼の一言もないわけ?』

「じゃあ俺は行くから切るぞ、タケシによろしく」

『あっまちな』

 

意気地の悪い誰かさんのセンテンスが完結するよりも早く、サトシは通話を終了させた。

あんなひねくれお転婆人魚に、ぜってー礼なんて言ってやらね――。

 

「俺がどう思うか、どうしたいか、か……」

 

 

 

ハナダシティのポケモンセンター。ロビーにて携帯電話で通話していた一組の男女が、音声が途切れた後、互いに顔を見合わせて、肩を竦めた。

 

「ほーんと、お子様で世話が焼けるわねぇ~」

「まあ、そう言ってやるな。あんなことに巻き込まれたら、誰だって立ち止まってしまうさ」

「でもねぇ、一度のされたぐらいであんな世界の終わりみたいな顔しちゃってさ!ほんと、やっすいプライド」

「男の子にとっては、結構大事なものだと思うがなあ」

「それがまだまだってことじゃない。あーほんと、あんなのがチャンピオンだなんて、カントーリーグの将来も不安ねぇ」

「……まあ、そう言ってやるな」

 

そのまま、カスミはひとしきりぐちぐちとサトシへの文句を連ねる。ただしその表情はどことなく楽しそうで。そうして一通り語り終わった後に、カスミはふと不安げな表情で問うた。

 

「あいつ、立ち直れるかしら」

「……正直なところ、解らない。相当手ひどくやられたみたいだからな。だけど……サトシを気にかけているのは俺たちだけじゃない」

 

そう言って、タケシは手元にあった携帯電話に再度視線を向けた。ぴこん、と表示されたメッセージ。

どれどれ、と同じく画面をみたカスミがふーんと感心したような表情を浮かべた。

 

「これ、あの可愛い子よね?ホント物好きねぇ。あんな唐変木のどこが良くて世話焼こうだなんて思うのやら」

 

はーやれやれ、蓼食う虫も好き好きとは言うけど、世の中って心底不思議よね、と続けるカスミ。

タケシは一瞬、世話を焼こうといい出した物好きはカスミもでは……といいかけてその言葉を飲み込んだ。それを発した際に、自分に向かってくる言葉の機関銃を想像してしまったからだ。

誰だって、マシンガンが配備された要塞に単独で突っ込みたくはない。

 

頑張れよ、サトシ。それから……ヒカリ。

タケシは、心の中でだけひとりごちると、送られてきたメッセージへの返信を送るべく、指を動かし始めた。

 

 

 

 

どれぐらい眠っていたのか、全く解らない。頭が痛いし体のあちこちが凝り固まっている。そんな状態で、サトシは目を覚ました。あの電話のあと、ポケモンセンターが用意してくれた部屋に戻って、倒れるように眠ったのだった。部屋の窓から見た外の景色は真っ黒で、月の光だけが辺りを照らしている。

 

ゆらり、と覚束ない足取りで二段ベットを出る。部屋は貸し切りで、他の宿泊者はいない。ついでに、両目のはしで固まっている目やにをぱらりと剥がして、そこらへんにぽろりと捨てた。

 

未だ心は、深い深い霧の中にあるようだった。どこを向いたらいい?何をしたらいい?自分の見てきた世界は、何だったのだ?自分のしてきたことは?

それでも、その心は、原っぱで死んだように横たわっていた時よりは、少しだけマシになった。

 

「……あの2人には、感謝しなきゃな」

 

サトシがどうしたいのか、それが大事だと。そう改めて言ってくれたのはあの2人だった。変なプライドに凝り固まって、自分の感情さえも認められなかった自分を動かしてくれた。約1名、相変わらずの言い草ではあったけど。

 

そのまま、部屋の入口に足を向ける。なんとなく、このままこの部屋でぼうっとしていることだけは嫌だった。

年季の入った引き戸をごろごろと開ける。

 

扉の向こうに、ヒカリがいた。

 

ヒカリは、急に扉を開いて現れたサトシに驚いている。胸の前で組んだ両手が、とてつもなく白い。もともとシンオウ出身で肌の白いヒカリだが、今のヒカリの手はいつもにもまして白くなっていた。それは、きっと彼女がどれぐらいこの扉の前で立ちすくんでいたのかを語っている。

 

「ヒカリ、何でここに……」

 

かけられた言葉に、ヒカリは「ええと……」と何かを言うことを躊躇い、視線を下に向けた。

しばしの静寂。だがやがて、覚悟を決めたように視線をサトシに戻して、その瞳を見た。サトシの目に、ヒカリの青く輝く瞳が映る。そうしてヒカリは、小さくもはっきりと、その言葉を紡いだのだった。

 

「サトシに貰ったものを、返しにきたの」

 

 

 

 

 

暗い、暗い、海の底のような場所で。2つの影が向かい合う。

この場所の主である者が、他方に問うた。

 

「創造主よ、優れたる操り人が未来から現れたのは事実か?」

「……事実だ。先程アグノム達が私に思念を送ってきた」

 

問いかけた者はそうか、と言わんばかりに目を閉じて俯く。

そこに、新たにもう1つの影が現れる。

 

「そうだとすると、私の「みらいよち」のビジョンとも一致するな。しかし、つくづくおかしな話だ。かつてクローンポケモンと本物との対決を止めた男が、今度は2人に増えるとはな」

 

最初からその場にいた2つの影が頷く。しばしの後、『創造主』と呼ばれた影が、それで決まりだ、と言わんばかりに言葉を紡いだ。

 

「では、我々も動くとしよう。我々の……ポケモンとヒトの明日を見極めるために」

 

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