原石達の軌跡・輝かぬ石など一つもない   作:kazuya2009

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第十八話・不安な気持ちは乗り越えて

 エターナルガールショック騒動が大方収まり、夏合宿も終わりに近づいていた。

 また夏合宿の終わりとともにブラッドスプラッシュの札幌記念、イーグルファングのメイクデビューの両方も近づいてもいたのだ。

 合宿でのトレーニングも大詰めである。

 ブラッドスプラッシュは言う事はない。この一か月で更にパワー、スタミナがレベルアップして俺としても手応えを感じてる。ロングスパートのためのスタミナも、末脚に欠かせない瞬発力もクイーンステークスを制した時より一段とアップしているのが分かった。

 札幌記念は取れるだろうと踏んでいたが、彼女の頑張りを見る限り十分勝てるレベルに達している。

 当日の出走メンバーを確認したが今のブラッドスプラッシュなら大丈夫だろう。

 イーグルファングはエターナルガールショックを乗り越えてからはブラッドスプラッシュ同様、パワー、スタミナがしっかり付いて俺が見抜いた本来の適正距離である二千メートル以上なら十分勝ち負けに絡むレースが出来るだろう。

 

 レースが一週間後に迫った日の夜。

 自室でイーグルファングのデータを見返していたら、部屋のドアがノックされる。

 時計を確認すると時間は就寝時間三十分前だった。

 立ち上がると、ドアまで行き開ける。ドアの前に立っていたのは予想通りで、イーグルファングだった。

 少しゆとりのある白い布地のTシャツに青い短パンというラフな格好だ。俺の目線の位置からだと小柄な彼女の大きな胸の谷間が見えてしまい目のやり場に少々困る。

「トレーナーさん、少し時間ありますか?」

「ああ。レースについてだろ?」

 イーグルファングが頷くのを確認すると、動揺を隠しつつ中に入るように促す。

 クラウドスカイの時のように布団を敷いている方とは逆側に座るように勧めた。

「さて、レースに不安でも出て来たか?」

「そうですね……。不安というか緊張というか……。エターナルちゃんの事は吹っ切れたんですが、やっぱりレース自体は不安があります」

 いつもは表情が明るいイーグルファングもやはりレースが近づいて来てナーバスになっているようだった。デビュー戦前なのだ。不安になるのが普通である。

「普通に考えればデビュー戦前は緊張するものだからな。中距離に合わせたトレーニングを付けてきたがタイム的には十分勝ち負けに絡むことが出来る。自信を持っていいし、自分の走りをすればいいと俺は思っている」

 イーグルファングは胸の辺りに両手を当てながら小さく頷く。

「トレーナーさんに指導して貰って自信が無いわけじゃないんです」

「だけど不安か?」

 素直に頷いて答えるイーグルファング。

 俺はノートパソコンの画面に出ているタイムを見る。

 現段階でのイーグルファングの二千メートルは二分二秒八。札幌はコンパクトなレース場だ。だいたい基準タイムは二分三秒台後半。東京と比べると大体コンマ三から五秒は遅くなる。

 それを考えても、やはりイーグルファングは勝ち負けの範囲内にいるわけだ。

 イーグルファングのタイムと札幌を想定した補正したタイム。ここ近年の札幌レース場、二千メートルの平均勝ちタイムを出しイーグルファングに見せる。

「これがイーグルの最高タイム。下が札幌レース場での補正を入れた予想タイム。で、近年の札幌レース場メイクデビュー二千メートルの平均勝ちタイムだ。君のタイムを見る限りメイクデビューの平均勝ちタイムと同等なんだ。十分通用する」

 イーグルファングも真剣にタイムを見ている。

 あるのは三つのタイムだが、噛みしめるように見ていた。

「わたし、勝てますか?」

「そう信じて走るしかないな。俺に出来るのは勝てるように準備を整えるところまでだ。俺が代わって走ってられたらいいのかも知れないが」

 俺の言葉にイーグルファングがきょとんすると、可笑しそうに笑った。

 代わりに走ったら意味ないからな。

「もう、トレーナーさんって本当面白いですよね。トレーナーさんが走ったら怒られちゃうじゃないですか」

「もっとも人間の俺じゃバイクで持ち込まないと勝負にならないけどな」

 バイクを持ち込んだ俺を想像したのだろうか、お腹を抱えて笑い出すイーグルファング。

「や、やめて下さいよぉ! お、お腹痛い、もうレース場をバイクで走るとか、あはははは!」

 笑えるとなれば調子も悪くないし、深刻ではない。やはり少し不安なだけだな。

「どうだ? 不安は消えたみたいだな」

「はい! トレーナーさんにバイクを持ち込ませちゃったら大変ですから」

 可笑しそうな笑顔の奥には確かな決意が見えていた。

 不安なんかに負けないという決意が。

 もう大丈夫だと俺もイーグルファングの顔を見て確信するのだった。

 

 イーグルファングが戻ると俺は食堂のドリンクコーナーへとコーヒーを飲みに来ていた。

 紙コップにアイスコーヒーを入れると適当な席に座る。

 アイスコーヒーを一口飲むと胃に流れ込む冷たい感覚が腹に広がって気が休まる。

「よお、どうした?」

「浅間か。ちょっと最近いろいろあってな。アイスコーヒーで気を休めてたとこだ」

「アイスコーヒー、一杯で休まるとか安いやつだな。しかしエターナルちゃんの一件は確かに気が気じゃなかったわ。誰か一人でも緊張の糸が切れたら大惨事になるんじゃないかとヒヤヒヤしたぜ?」

 浅間も気にしていたのか。

 口が避けても言えないな。その大惨事が誰も知らないところで起きていたとは。

 あの後、一度だけあの子にあった。

 事が起きた時は言いそびれてた事を言わねばならなかったからだ。

 即ち、たった一人のウマ娘の暴走が周りに多大な影響を与えるということだ。場合によってはトレセン学園自体が何かしらの責任を追わないとならない自体もあり得ると伝えると、今後はセルフコントロールをしっかり出来るようにと伝えた。ついでに君ならちゃんと冷静になればダービーまで来れるだろうとエールも送って。

「次もブラスちゃんだな。クイーンステークス取って勢いあるし、重賞連勝というとこか?」

「ああ。今のあいつを止めることが出来ないさ」

 それくらいには勢いはあるのは確かだ。

 とはいえ、過信は禁物なのだが。

「しっかし、お前も気がつけば十人超えの大所帯になったな」

「十三人な。うち四人は九月の選考レースに再チャレンジしたいと言ってたから九月の中盤には九人で落ち着くだろうさ」

「そっかー、お前んとこにいた方が伸びそうなもんだがなー」

 浅間はこういうが、どんなウマ娘にだって相性はある。俺自身、ウマ娘の力を引き出すことに関しては誰にも負けない自負はある。しかし俺の自信とは違い見えない絆や相性はある。もし彼女たちにとってのオンリーワンのトレーナーと出会えるなら出会うべきなのだ。

「そういってやるな。彼女らが自信をつけてのことなんだからさ」

「まあ、それはな。それより夏合宿終わったらサブトレーナーの募集か、人事に相談しろ。お前一人じゃ無理がありすぎるぞ?」

「そうだな。今のうちに人事に相談しておくわ」

 確かに最近、全員のデータまとめてトレーニングメニュー考えてとなかなかにハードだ。

 サブトレーナーにデータだけでもまとめて貰えればだいぶ楽になる。トレーニングも基本メニューさえ出来ていればある程度は任せられるだろうしな。

「さて、そろそろ俺は戻る」

「俺も戻るか」

 俺は二人で席を立つと互いに自室へと戻るのだった。

 

 時間は過ぎて三度の札幌レース場。

 夏レースの終わりの大一番、札幌記念。

 GⅠのない夏レースで唯一のGⅡレース。過去にはGⅠウマ娘が乗り込んでくることもあり、夏レースと言えば札幌記念と言うくらいでもある。

 先日まで雨が降っていた影響で、バ場状態は芝・ダートともに重バ場と力のいるバ場状態となってしまっているようだ。

「さて、いよいよ夏合宿の総決算という感じだな。ブラスどうだ?」

 右隣を歩くブラッドスプラッシュに尋ねる。

「悪くないよ。トレーナーさんが最後に息抜きさせてもくれたしね!」

 イーグルファングが訪ねてきた翌々日だが、レース前のリラックスも兼ねて一日オフにしたのだ。

 特にブラッドスプラッシュとイーグルファングは息抜きが必要だと感じていたからな。

 しかし、その甲斐あってかブラッドスプラッシュの調子も好調をキープしてこの札幌記念に挑めている。

「初重賞取ってからの札幌記念だ。そこまで気負いもないだろう。今日は力比べくらいの思いで楽しんで走れよ」

「うん! トレーナーさん見ててね! この夏合宿の成果を見せてあげるから」

 良い笑顔で応えてくれる。

 この分なら心配ない。

「イーグルファングはどうだ? 緊張してないか?」

 ブラッドスプラッシュとは反対側、つまり左隣を歩く青鹿毛の小柄なウマ娘に尋ねる。

「緊張はしてますよ。トレーナーさんがバイクで乗り込んできたらどうしようって」

 これはこれは冗談で返してきたか。

 余程あの話が面白くてツボにはまったと見た。

「あの話を持ち出してくるとは、緊張なんてしてなんじゃないのか? まあ、冗談はともかく程よく緊張してるということだな」

「デビュー戦だけど、トレーナーさんのおかげでそんなには緊張しないで済んでます」

 こちらも良い笑顔で答えてくる。

 メンタルは悪くない状態だ。調子自体はブラッドスプラッシュ同様に好調そのもの。この子も今日上手く行けばデビュー戦を勝利で飾れるかもしれない。

「イーグルさんの次はわたし達なんだ」

 そういうのは後ろを歩いていたキャプティブガール。

 今回はキャプティブガールとサンドネイチャを連れてきている。引率にカントリークライシスだ。

 この後、九月にデビュー戦を迎える二人にはしっかり同期のレースを見ていて欲しい。特にサンドネイチャは久しぶりの生のレース場の空気を感じさせるのが目的だ。

 もちろん未勝利戦を始めとしたデビュー済みのウマ娘達の走りを当事者として見て欲しいというのもある。

「サンドネイチャはこのレース場の空気を感じつつ自分が走ることをしっかりとイメージしていけ」

「トレーナーさん、分かりました!」

 良い返事だ。サンドネイチャも気合いがしっかり入ってる。

「さて、控室へひとまず行くぞ」

 俺の声に全員が返事をしたのを確認して控室室へと向かうのだった。

 

 控室へ行き、カントリークライシス達にレースの見学を頼みイーグルファングのレース前にまた控室に来てもらうように伝えた。

 控室に残ったブラッドスプラッシュとイーグルファング。

「さて、イーグルファングだが今日は重バ場という事もある。先行して三、四番手をキープしつつ第四コーナー中盤で先頭に並ぶ。先頭に並んだまま直線に入って抜ければ理想だ」

「はい」

 頷いて返事するをする。

 だが、戦法は複数あった方がいい。

「先行出来なかった場合だが、中団待機しつつ第三コーナ―終盤から外に出て第四コーナーは言ったらスパートだ。重バ場で力がいるが砂浜でパワーも付けている。しっかり踏み込んで末脚を使え」

「はい。外に出れない場合はどうすれば?」

「いい質問だな。うちに閉じ込められた場合は、焦らずに隙間が空くのを待て。前方であれば僅かな隙間を突いて上がれ。第四コーナー中盤になっても開かないならこじ開けてもいい」

「こじ開ける……。わたしに出来るでしょうか?」

 パワー不足なのではないかと考えているのだろう。

 実際こじ開けるトレーニングはそんなにやっていない。だが、出来ない事はないだろう。

「大丈夫だ。イーグル。お前なら出来る。だが、これは最悪の場合だ」

「はい、分かりました」

 力強く頷いて答える。

 次にブラッドスプラッシュを見る。

「ブラスは不安なことあるか?」

「不安な事を上げたらキリ無くなっちゃうよ。でも、大丈夫。戦い方は先行こそすれど前回と同じだよね?」

 今回はブラッドスプラッシュも先行だ。

 この重バ場で末脚勝負はパワーが居る。今のブラッドスプラッシュなら末脚勝負でも大丈夫だが、出来るなら余計な体力は使わせたくない。

「ああ。ブラスの場合は先行出来れば第三コーナー中盤からロングスパートで行け。ブラスの場合は最悪自分の判断で状況に合わせて最適な走り方を探してもいい。もう、それくらいの力は付いているはずだ」

 七夕賞、クイーンステークスを走って札幌のコースも経験済みだ。しかも二か月の間に二回も走っている。短期間での経験でもある以上、十分やってのけるだろう。

「分かったよ。札幌記念も取ってくるから」

 挑戦的な笑顔で握りこぶしを握って応える。

 頼もしいものだ。

「良し、あとはレースだけだ。まずはイーグル。今日までの練習の成果は思いっきり出してやれ」

「はい! トレーナーさんの指導の結晶を皆さんに披露してきます!」

 イーグルファングも闘志が燃えている。

 これはレースが楽しみだと俺は感じるのであった。 




2023.12.20誤字修正
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