ここでいう『生』とは『生ビール』を指す。
『ビール』とは発芽した麦を酵母により発酵させた酒の一種である。古くは5000年以上の歴史を持ち、それ故に数多くの製法が存在しているが、その醸造法と酵母の種類によって分類する場合は『
では、『生ビール』とは。これは、酵母の過発酵による品質変化の防止や保存性の向上の為に加熱処理を行うビールに対して、濾過機とフィルターで酵母を完全に取り除いた非加熱処理ビールの別称である。嘗ての主流であった熱燗に比べて遥かに短時間での提供が可能な為、客は待たずに、店は待たせずに済むという利点から『最初の1杯は生ビールで』というのが、ビールが大衆化し始めた高度経済成長期なる時代から慣習として根付いたのだという。
提供している企業毎に商品の特徴は大きく異なっているそうだが、今回は店が取り揃えている中から特に『飲み口が柔らかくキレが良い』と聞き及んでいる銘柄を選んだ。注文を聞き届けた店員はやはり気風の良い返答をして戻っていったので、そのまま目の前、硝子越しに厨房の様子を覗き込んでみる。
忙しなく人影が行き交う中、まんじりともせず佇む壮年の男性が1人。彼の前には紅々と熾る炭の火を挟むようにして平衡に並ぶ分厚い鉄塊。その上にいくつも架けられた肉の橋から一切目を逸らさぬ集中力といったら、ほんの微かな変化や兆候すら見逃すまいとする生粋の職人のそれである。
私が『焼鳥』という文化について調べ始めた当初の感想を包み隠さず正直に述べるのであれば、拍子が抜けたような、肩透かしを食らったような、そのような虚脱感が少なからずあったことは否めない。何せ、端的に言ってしまえば、読んで字の如く「串に刺して焼いた鶏の肉」である。食文化について多くの蔵書を読み耽り、当初に比べて幾許か造詣も深まって来たからこそ、ここにきてこれほど簡素な料理は『上がったハードルの下を潜り抜けてしまっている』と感じられたのだろうと自己分析しつつも、否、決して侮るなかれ、と更に調査を進めてみれば、
焼鳥業界には『串打ち三年、焼き一生』という言葉があるという。この『串打ち』とは、ただ肉に串を刺せば良いのではなく、部位毎に異なる特性を見極め、
そしてそれは、『炭火』による焼きとなった時、格段にその難易度が跳ね上がるのだという。
炭火焼きによる利点は幾つかある。加熱による調理は大まかに『
また、滴下した油脂が炭火に触れることで舞い上がる煙が食材を燻し独特の風味を付加するたけでなく、炭に含有される各種ミネラルが旨味成分であるアミノ酸を増幅させる副次効果もあるのだという。
そして、何よりも今、こうして目の当たりにして実感していることだが。
(口にする前から強烈に訴えかけてくるこの
鶏肉表面の適度な焦げとの
「お待たせしました。ご注文の中ジョッキとこちら、お通しになります」
「恐縮です」
成程、注文してから僅か3分弱。これは確かに速い。大人数が同時に注文したとしても、然程影響はなさそうである。とりあえずの一杯目に選ばれるのも得心がいくというものだ。……さて、早速味わいたいところであるが、それよりもどうにも気になるのが、お通しとして提供された目の前の一皿。
「これは、キャベツ?」
『お通し』という文化についても履修は済ませてきた。客から注文を受けた後に出す、軽くつまめる程度の小料理。『お客様の注文はお通ししました』の意味から転じて『お通し』と呼ばれ、席料としての意味を持つ場合も多いという。また、空腹時の飲酒は胃から小腸への
そのように考えれば、確かにキャベツの生食は適切な選択肢であると言えよう。ビタミンCの含有量は淡色野菜の中でも上位に食い込み、胃の粘膜の再生・潰瘍等に効果的なビタミンU・ビタミンKも豊富。これらの栄養素は加熱によって分解され易く、且つ水溶性である為、調理法次第では容易く失効してしまうことからも、生食による摂取が最適と言える。
しかし、どうにもこのキャベツ、ただ生のままで提供されているようではない。適度なサイズに千切られた葉の表面にはうっすらと油膜が見て取れ、白と黒の粒、これは恐らく白胡麻と黒胡椒だろうか、それらが塗されている。生野菜を食する際には、一般的にはドレッシングなる調味料を用いると聞いたが、その類だろうか。疑問は尽きないが、下手の考え休むに似たり。まずは一口、試すとしよう。
「いただきます」
箸立てより割り箸を一膳取り出し、大口を開ける必要もなさそうなので、一息に頬張ってみると。
「フム」
生食特有の瑞々しい歯応えと仄かな甘味を引き立てるような香ばしさと塩気の裏に感じる、つんと鼻を衝くような強い芳香。これは、ニンニク、だろうか。主張し過ぎず、しなさ過ぎずの、前菜として何ともいい塩梅。二口目を強くそそられもする。面白い調理法だ。一般的なものなのだろうか。後程調べる為にも、心に留めておくとしよう。
さて、二三枚食して腹も程好く熟れ、興も乗って来たところで、いよいよビールの試飲といこうではないか。
分厚いガラス製の円筒形をした容器は表面に霜が張るほど冷却されていて、それこそ氷塊のようである。中身は白くきめ細かい泡の層で蓋をされた黄金色の液体で満たされており、よくよく観察すると細かい気泡が幾つも生まれては水面へと昇っていく様が見て取れた。これは液体内に飽和し内包しきれなくなった炭酸ガスであろう。
ビールを冷やす文化は惑星全体で見ても少数派であるようで、この
そして、これまた興味深いのは、ビールを飲む為だけに拵えられたという、このジョッキなる食器。
厚手の飲み口は、人体が唇の力を抜いて口を半開にした際の厚みに揃えられており、これがより爽快感を引き立てるのだそうだ。翻って、繊細な味わいを楽しむ飲料の場合は薄い飲み口に拵えるのだという。また、厚い硝子は保冷能力に優れ、更に持ち手があることで体温や気温からの影響を最小限に留められるという利点もある。ビールの種類によって他にも木製・陶器製・金属製のものを使い分けたりするようだが、ラガービールを冷やして飲むには
「ほぅ」
新緑の生い茂る森林を彷彿とさせる華やか且つ爽快な香りが鼻腔を抜けてゆく。これは、原材料の一つであるホップのものであろうと推測する。風味付け以外にも雑菌の繁殖を抑制し保存性を高める効果があるそうだが、これは何とも、純粋に清々しくて心地が良い。より一層高まる期待を胸に、ようやく最初の一口目を含んで。
「―――…………」
言葉を失わせたのは、口腔一杯に広がった更なる芳醇な香りと苦甘さ。それらがよく冷やされていることと炭酸ガスの刺激によって絶妙に角を削ぎ落されており、何とも円やかな口当たりのままするすると喉を通り越していく。これはいけない。とてもとてもいけない。一口で留めておく筈が、自制に徹していなくてはこの結構な量を一気に飲み干してしまいそうなまでの誘引性があるではないか。
「……フゥ」
どうにか半量程度に留め、一旦息継ぎをするような感覚で口を離す。そこで熱燗の際とは全く真逆の、冷たさが肉体の真っ芯へと落ちて染み渡る様に全身に伝播してゆく錯覚を覚えて、自ずと全身を脱力させ余韻に浸りながらゆっくりと息をつく。これは大変に危険である。危険であるが、同時にこれを堪らなく欲する現生人類、特に労働者階級の彼らの機微を理解する。
(これは、他の銘柄も早急に試飲する必要がありますね)
ジョッキの表面に描かれた『
「お待たせしました。『おまかせ満足コース』最初の盛り合わせになります」
いよいよ主賓が姿を現した。楕円形の皿の上に並ぶは、それぞれ見るからに異なった7本の串。
「左からそれぞれ、ねぎま、せせり、ハツ、ぼんじり、かわ、なんこつ、つくね。全て塩になっております。ごゆっくりどうぞ」
「恐縮です」
説明を終えて去っていく店員に会釈をしながらも、待ちかねた対面にただでさえ綻んでいた頬が更に緩むのを止められない。さて、まずどれから頂くとしようか。
お久し振りです。2ヶ月も更新が滞ってしまいましたこと、大変申し訳ございません。仕事が多忙化したのも勿論なのですが、その上でやはりこれを書くにあたっての大前提であります『思考を外星人に寄せる』というのが難しく……次の更新は可能な限り速く、ということで、ここはひとつ。
気付けば円盤発売まで2ヶ月を切ってしまいましたね。アマプラで何度見ているか解りませんが、やはり特典映像が気になるところ。東京では再上映が決まったそうですね。こちらでもやってくれないかしら。
(できる限り)近い内にまたお会いしましょう。ではでは。