シン・メフィラスの食卓   作:George Gregory

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噴煙突破せよⅡ

 ここでいう『生』とは『生ビール』を指す。

 

『ビール』とは発芽した麦を酵母により発酵させた酒の一種である。古くは5000年以上の歴史を持ち、それ故に数多くの製法が存在しているが、その醸造法と酵母の種類によって分類する場合は『上面発酵(エール)』と『下面発酵(ラガー)』に大別され、現在の日本(このくに)の主流はラガービール、その中でも特に多いのが、ミネラル分の少ない軟水を使うことで麦芽の黄金色が綺麗に現れるピルスナービールなのだという。

 

 では、『生ビール』とは。これは、酵母の過発酵による品質変化の防止や保存性の向上の為に加熱処理を行うビールに対して、濾過機とフィルターで酵母を完全に取り除いた非加熱処理ビールの別称である。嘗ての主流であった熱燗に比べて遥かに短時間での提供が可能な為、客は待たずに、店は待たせずに済むという利点から『最初の1杯は生ビールで』というのが、ビールが大衆化し始めた高度経済成長期なる時代から慣習として根付いたのだという。

 

 提供している企業毎に商品の特徴は大きく異なっているそうだが、今回は店が取り揃えている中から特に『飲み口が柔らかくキレが良い』と聞き及んでいる銘柄を選んだ。注文を聞き届けた店員はやはり気風の良い返答をして戻っていったので、そのまま目の前、硝子越しに厨房の様子を覗き込んでみる。

 

 忙しなく人影が行き交う中、まんじりともせず佇む壮年の男性が1人。彼の前には紅々と熾る炭の火を挟むようにして平衡に並ぶ分厚い鉄塊。その上にいくつも架けられた肉の橋から一切目を逸らさぬ集中力といったら、ほんの微かな変化や兆候すら見逃すまいとする生粋の職人のそれである。

 

 私が『焼鳥』という文化について調べ始めた当初の感想を包み隠さず正直に述べるのであれば、拍子が抜けたような、肩透かしを食らったような、そのような虚脱感が少なからずあったことは否めない。何せ、端的に言ってしまえば、読んで字の如く「串に刺して焼いた鶏の肉」である。食文化について多くの蔵書を読み耽り、当初に比べて幾許か造詣も深まって来たからこそ、ここにきてこれほど簡素な料理は『上がったハードルの下を潜り抜けてしまっている』と感じられたのだろうと自己分析しつつも、否、決して侮るなかれ、と更に調査を進めてみれば、()()()()()()()とばかりに出てくる興味深い事実の数々。

 

 焼鳥業界には『串打ち三年、焼き一生』という言葉があるという。この『串打ち』とは、ただ肉に串を刺せば良いのではなく、部位毎に異なる特性を見極め、満遍(ムラ)なく均一に焼き上げる為の重量や形状、厚みのバランスを整えた上で、更に刺した後の肉が回転したり隙間が出来てしまわないよう、的確に重心を捉えながら更に繊維に対して垂直に刺さねばならない、という熟練の腕のなせる技であり、そしてその串打ちが完璧だとしても『焼き』次第で簡単に硬くなってしまったり焦げてしまったりと、ほんの些細な過誤(ミス)でいとも容易く水泡に帰してしまうのだという。故に、一流の職人は長年の経験を経て、鶏肉の味を最大限に引き出す焼き方・焼き加減・火加減・味付けを見極め、至高の一品を求め続けるのだ、と。

 

 そしてそれは、『炭火』による焼きとなった時、格段にその難易度が跳ね上がるのだという。

 

 炭火焼きによる利点は幾つかある。加熱による調理は大まかに『伝導(焼く)』『対流(煮る)』『輻射(炙る)』の3種に分類され、炭火焼きはこれらの内の輻射にあたるのだが、炭火の遠赤外線による輻射熱は周囲の大気のみを介して食材の表面組織を一気に硬化させる為、旨味を逃がさず封じ込める効果を持ち、同時に近赤外線が食材の分子を振動させることで内部まで迅速に、そして確実に熱を伝達する。よって、炭火焼きは表面を急速に焼き固めて覆った上で、内部までしっかりを火を通した絶妙な焼き加減が実現可能になる、という訳だ。

 

 また、滴下した油脂が炭火に触れることで舞い上がる煙が食材を燻し独特の風味を付加するたけでなく、炭に含有される各種ミネラルが旨味成分であるアミノ酸を増幅させる副次効果もあるのだという。

 

 そして、何よりも今、こうして目の当たりにして実感していることだが。

 

(口にする前から強烈に訴えかけてくるこの視覚(いろ)聴覚(おと)嗅覚(かおり)

 

 鶏肉表面の適度な焦げとの対比(コントラスト)。油脂が炭火で弾ける高音。渾然一体となって舞い上がる白煙。一つ一つの要素が絡まり、重なり、束なり、その歩みこそ緩やかなれど着実に網膜を、鼓膜を、肺腑の隅々までを満たしてゆく。そこに不快はなく、むしろ快いまであって、こうして眺めているだけでも不可思議な充足感と期待感とがある。これほどまでに単純な調理で、これほどまでに強烈に五感へと訴えかけてくるとは、何たる誤算、いやさ僥倖か。俄然、賞味への期待も高まるというものである―――などというようなことを考えていた、その時であった。

 

「お待たせしました。ご注文の中ジョッキとこちら、お通しになります」

「恐縮です」

 

 成程、注文してから僅か3分弱。これは確かに速い。大人数が同時に注文したとしても、然程影響はなさそうである。とりあえずの一杯目に選ばれるのも得心がいくというものだ。……さて、早速味わいたいところであるが、それよりもどうにも気になるのが、お通しとして提供された目の前の一皿。

 

「これは、キャベツ?」

 

『お通し』という文化についても履修は済ませてきた。客から注文を受けた後に出す、軽くつまめる程度の小料理。『お客様の注文はお通ししました』の意味から転じて『お通し』と呼ばれ、席料としての意味を持つ場合も多いという。また、空腹時の飲酒は胃から小腸への酒精(アルコール)の吸収速度が速く、肝臓を経由して脳へ到達する為に酔いが回りやすい為、先んじて消化効率の良いものを適量口にしておくことでそれを緩和し、内臓への負担を軽減させるばかりか、食欲増進効果まであるのだとか。要は運動の前の柔軟体操(ストレッチ)のようなもの、というワケだ。実に理に適っている。

 

 そのように考えれば、確かにキャベツの生食は適切な選択肢であると言えよう。ビタミンCの含有量は淡色野菜の中でも上位に食い込み、胃の粘膜の再生・潰瘍等に効果的なビタミンU・ビタミンKも豊富。これらの栄養素は加熱によって分解され易く、且つ水溶性である為、調理法次第では容易く失効してしまうことからも、生食による摂取が最適と言える。

 

 しかし、どうにもこのキャベツ、ただ生のままで提供されているようではない。適度なサイズに千切られた葉の表面にはうっすらと油膜が見て取れ、白と黒の粒、これは恐らく白胡麻と黒胡椒だろうか、それらが塗されている。生野菜を食する際には、一般的にはドレッシングなる調味料を用いると聞いたが、その類だろうか。疑問は尽きないが、下手の考え休むに似たり。まずは一口、試すとしよう。

 

「いただきます」

 

 箸立てより割り箸を一膳取り出し、大口を開ける必要もなさそうなので、一息に頬張ってみると。

 

「フム」

 

 生食特有の瑞々しい歯応えと仄かな甘味を引き立てるような香ばしさと塩気の裏に感じる、つんと鼻を衝くような強い芳香。これは、ニンニク、だろうか。主張し過ぎず、しなさ過ぎずの、前菜として何ともいい塩梅。二口目を強くそそられもする。面白い調理法だ。一般的なものなのだろうか。後程調べる為にも、心に留めておくとしよう。

 

 さて、二三枚食して腹も程好く熟れ、興も乗って来たところで、いよいよビールの試飲といこうではないか。

 

 分厚いガラス製の円筒形をした容器は表面に霜が張るほど冷却されていて、それこそ氷塊のようである。中身は白くきめ細かい泡の層で蓋をされた黄金色の液体で満たされており、よくよく観察すると細かい気泡が幾つも生まれては水面へと昇っていく様が見て取れた。これは液体内に飽和し内包しきれなくなった炭酸ガスであろう。

 

 ビールを冷やす文化は惑星全体で見ても少数派であるようで、この日本(くに)で主流となっている理由は、高温多湿な気候も勿論であろうが、やはりラガービールの発酵に適した水温がおよそ5~12度である点に大きく起因しているように思える。発酵の際に生成される酒精、炭酸ガス、そして各種有機酸は、やはり発酵における至適温度下であった方が旨味がより際立って感じられるもの、らしい。どういった生体反応(メカニズム)によるものなのか、大変に興味深い点である。

 

 そして、これまた興味深いのは、ビールを飲む為だけに拵えられたという、このジョッキなる食器。

 

 厚手の飲み口は、人体が唇の力を抜いて口を半開にした際の厚みに揃えられており、これがより爽快感を引き立てるのだそうだ。翻って、繊細な味わいを楽しむ飲料の場合は薄い飲み口に拵えるのだという。また、厚い硝子は保冷能力に優れ、更に持ち手があることで体温や気温からの影響を最小限に留められるという利点もある。ビールの種類によって他にも木製・陶器製・金属製のものを使い分けたりするようだが、ラガービールを冷やして飲むには硝子製(これ)が最適解であると言えよう。ただの飲料1つにこの力の入れ様、なんとも面白可笑(ばかばか)しくて堪らない、と微かに頬を綻ばせてしまいながらも、手に取ったジョッキを傾け口に近づけた、その瞬間。

 

「ほぅ」

 

 新緑の生い茂る森林を彷彿とさせる華やか且つ爽快な香りが鼻腔を抜けてゆく。これは、原材料の一つであるホップのものであろうと推測する。風味付け以外にも雑菌の繁殖を抑制し保存性を高める効果があるそうだが、これは何とも、純粋に清々しくて心地が良い。より一層高まる期待を胸に、ようやく最初の一口目を含んで。

 

「―――…………」

 

 言葉を失わせたのは、口腔一杯に広がった更なる芳醇な香りと苦甘さ。それらがよく冷やされていることと炭酸ガスの刺激によって絶妙に角を削ぎ落されており、何とも円やかな口当たりのままするすると喉を通り越していく。これはいけない。とてもとてもいけない。一口で留めておく筈が、自制に徹していなくてはこの結構な量を一気に飲み干してしまいそうなまでの誘引性があるではないか。

 

「……フゥ」

 

 どうにか半量程度に留め、一旦息継ぎをするような感覚で口を離す。そこで熱燗の際とは全く真逆の、冷たさが肉体の真っ芯へと落ちて染み渡る様に全身に伝播してゆく錯覚を覚えて、自ずと全身を脱力させ余韻に浸りながらゆっくりと息をつく。これは大変に危険である。危険であるが、同時にこれを堪らなく欲する現生人類、特に労働者階級の彼らの機微を理解する。()()が業務後に待っている。ただそれだけで、どれほどの糧となることだろう。どれほどの支えとなることだろう。

 

(これは、他の銘柄も早急に試飲する必要がありますね)

 

 ジョッキの表面に描かれた『極上(PREMIUM)』の文字を見下ろしながら、そのようなことを考えていたところで。

 

 

「お待たせしました。『おまかせ満足コース』最初の盛り合わせになります」

 

 いよいよ主賓が姿を現した。楕円形の皿の上に並ぶは、それぞれ見るからに異なった7本の串。

 

「左からそれぞれ、ねぎま、せせり、ハツ、ぼんじり、かわ、なんこつ、つくね。全て塩になっております。ごゆっくりどうぞ」

「恐縮です」

 

 説明を終えて去っていく店員に会釈をしながらも、待ちかねた対面にただでさえ綻んでいた頬が更に緩むのを止められない。さて、まずどれから頂くとしようか。

 




 お久し振りです。2ヶ月も更新が滞ってしまいましたこと、大変申し訳ございません。仕事が多忙化したのも勿論なのですが、その上でやはりこれを書くにあたっての大前提であります『思考を外星人に寄せる』というのが難しく……次の更新は可能な限り速く、ということで、ここはひとつ。

 気付けば円盤発売まで2ヶ月を切ってしまいましたね。アマプラで何度見ているか解りませんが、やはり特典映像が気になるところ。東京では再上映が決まったそうですね。こちらでもやってくれないかしら。

(できる限り)近い内にまたお会いしましょう。ではでは。
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