シン・メフィラスの食卓   作:George Gregory

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大爆発五秒前

 この日本と言う国を選んだ理由はいくつかある。

 

 1つは、島国だという点。この程度の文明水準で()()()()()()()()()というのは何かと都合が良い。空路あるいは海路という手段の為に流れが非常に(あやつ)りやすく、物資の流通に何かと時間も手間も要するからだ。一度大きく変化してしまった流れを元に戻すのは、今の地球人(かれら)には相当難しいだろう。尤も、私の想定を上回ってくるのなら、それはそれで大変結構であるのだが。

 

 2つ目は、この国には多数の()()()()()()()()()()()()()が点在しているという点。これは、この国の大地が惑星表層の大陸間プレートの境界上に位置しており、惑星内部から漏れ出ているエネルギーあるいはその余波の影響を直に受けていることに起因していると推測する。地殻内部の変動による地震動や、膨張した大型低気圧による暴風被害が頻発しているのもその為であろう。

 

 そして3つ目。これは正直に言えばつい今しがた、この国の歴史を学ぶ内に知った望外の僥倖であるのだが、この日本という国はかつて()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()がある。それも、1度や2度ではない。無論、彼らの平均寿命から察するに、それらの生き証人たる者は殆ど現存していないのだろうけれども、()()()()()()()が刻み込む爪痕というものはおしなべて深く、そして治り難いものである。

 

 これは大きい。とてもとても大きい。それはつまり彼らは『喉元過ぎれば熱さを忘れる(その程度には愚かである)』し、それと同時に。

 

「不撓不屈。雑草魂。あぁ、実に好い言葉ですね。……おっと、これは失礼」

 

 その度に立ち上がり跳ね除けて来た、というタフさの証明でもあるのだから。この事実に行き着いた瞬間、これが「棚から牡丹餅」の正しい使いどころか、と思い至って二重の喜びで思わず笑い声を漏らし、偶然近くを通りがかったこの蓄積型文化施設(としょかん)管理員(ししょ)に沈黙を促すジェスチャーをされてしまった。いけないいけない。不審を招くような行動は可能な限り避けなくては。

 

 さて。壁掛け時計によれば間もなく午前10時半。この惑星は基本的に1昼夜を24分割し、真夜中の始まりを正子(しょうし)、真昼の始まりを正午(しょうご)として、その前後で1日を午前と午後とに分割して言い表すようだ。これには十二支という概念も絡んで来るそうだが、それに関してはまだ深くは調べられていない。

 

 それで、今から何をするのかと言うと。

 

「ここから3丁目ほど先に行ったところにね、美味いのを食わす店があるんだ。今時あぁまでこだわってる店は珍しいからね、行ってみるといいよ」

 

 昨晩、おでんの残ったスープ(どうやらツユと呼ぶらしい)を熱燗で割って飲んでいた私に随分と機嫌を良くした店主が教えてくれた食事処が、ここから程近い立地にあるという。その店へと向かう為、読み終えた書籍を閉じて元の場所に戻すと、表へと出た。

 

 そうそう。他にも色々と調べていて特に驚いたのが、昨夜も食した柚子胡椒。このような名前をしておきながら、実際には胡椒というものは使われていないという。実際には柚子という果実の皮に塩を加え、粗く刻んだ唐辛子という果実と混ぜ合わせて熟成させた調味料なのだそうだ。発祥の地では嘗て唐辛子を『胡椒』と呼んでいたことから、このような名前になったのだという。

 

「所変われば品変わる、か」

 

 あぁ、これも響きが小気味好い。今後積極的に使っていくとしよう。

 

「っと。ここですね」

 

 考えている内に件の店に到着する。角ばった石造りの建造物の地上階だけが木造の佇まいをしたその店の出入口には、昨夜のおでん屋にもあった布がゆらゆらと風に揺れている。暖簾、というのだったか。藍色のそれには何やら細長い糸のようなものを太く束ねて力強く走らせたような文字で『味自慢 そば てんぷら』と書かれている。

 

「そばに、てんぷら、ですか」

 

 果たしてどのような料理なのか。あの店主が勧めるのだから、さぞ美味いのだろう。カラカラと鳴る引き戸を開けて店内へ踏み込んだ瞬間、ふわりと漂ってくるのは昨夜のものよりもずっと塩気の強い、けれどそれをどこか柔らかく感じさせる香り。これは確か、醤油という調味料のものだっただろうか。

 

「いらっしゃいませぇ。お1人様ですか?」

「はい」

「お好きな席へどうぞ。今お冷をお持ちしますね」

 

 店の奥から出て来た、割烹着とかいうこの国独自の衣服を着た、見たところ壮年から中年であろう女性店員がそのように案内をした。店内には調理場に面したカウンター席と、これまた木造の角ばったデザインをしたテーブル席。そして膝ほどの高さをした段差の上に、細長い植物を細かく織り上げたような表面をした敷材を並べ、その上に低めのテーブルと、座り込むのに適した形状をした調度品が規則正しく並べられているスペースがある。これが噂の『畳』と『座布団』か。ほぼ開店時刻に合わせて来たのもあってか、他に客も数名しかいないようだし、折角なのでこちらを利用してみることとする。

 

 正座は箸使いに並んで真っ先に修得した文化である。淀みなく両脚を折り畳んで、その上に臀部を下ろす。テーブルの上に紐を使って綴られた『お品書き』を見つけたので、まずは手に取って開き、眺めてみる。

 

「温かいそば、と、冷たいそば」

 

 ふむ。どうやらそばという料理は仕上がった際の温度で大きく2つに分かれるようだ。温かい方には『かけ』『月見』『おかめ』『南ばん』、冷たい方には『せいろ』『おろし』『やまかけ』『なめこ』、等々。名前からだけでは全く想像がつかない。

 

 次のページを捲ってみる。こちらはてんぷらのリストのようだ。イカやエビ、各種野菜まではそのままの名前が使われているのである程度の想像はつくものの、こちらにも『かしわ』や『げそ』など、少々首を傾げたくなるような名前がちらほらと見受けられる。

 

 はてさて、どうしたものか。暫く無言で眺めていると、再び店の奥から先程の店員が透き通った持ち手のないカップの中に氷の浮いた水を持ってきた。成程、お冷とは飲料水のことか。

 

「ご注文はお決まりですか?」

「……すみません、少々お伺いしたいことがあるのですが」

「はい、何でしょう?」

 

 こういう時はやはり、この手に限る。

 

「何か、おススメはありますか」

 

 昨日初めてこの国に来たばかりで食文化には然程詳しくないことも併せて伝えると、店員は「それでしたら」とおもむろに私が広げているメニューを捲り、私が見逃していたらしい最初のページを開いて指さしながら教えてくれる。

 

「こちらがランチメニューでして、おそばとてんぷらをセットにできるんですね」

「ほぅ」

「ウチのおそばは十割なので、折角なら冷たい方が美味しく召し上がって頂けます。てんぷらは、この『盛り合わせ』を頼んで頂ければ、こちらでいいのを見繕って一緒に持ってきますので」

「では、それでお願いします」

「はぁい、畏まりました。お父さん、せいろと盛り合わせのセットね」

「あいよ」

 

 途端、店の奥、厨房の方から年老いた男性の低い声が聞こえる。恐らくこれが店主のものなのだろう。『お父さん』という呼称から、この店はどうやら夫婦で営んでいるようだ。年季の入り具合からして、恐らく数年では済むまい。つまり、それだけの期間を顧客に支持されてきた実績がある、という証左。俄然、楽しみというものである。

 

 お冷で喉を潤し、出来上がりを待つ。この席からでは調理過程が見られないのは少々残念ではあるが、こうして静かに待つというのも決して悪くはない。店の隅の天井近くに据えられた古めかしい雰囲気の筐体からは淡々と政治や事件・事故、近隣地域などに関する最新の情報が読み上げられており、カウンター席の付近には随分と使い込まれて色褪せたり所々が折れたり破れたりしたいかにも娯楽用の書籍が詰め込まれた棚がある。店内の壁にはメニュー名を彫り込まれた木片が規則正しく並べられている他にも、飲料等の宣伝用貼紙(ポスター)や、何と書いてあるかいまいち読み取れない文章が額縁に入れて飾られたりしている。見るからに手書きの紙片もいくつかあるようだが、あれらは恐らく手元にある『お品書き』には載っていない臨時の商品であると見た。

 

 そのようにして店内を見渡しながら時間を潰し、お冷の氷が2割程度溶けた頃。

 

「はい、お待たせしました。こちら、せいろそばと、てんぷら盛り合わせのセットです」

「恐縮です」

 

 四角く浅い容器(トレイ)に乗せられた注文の品がとうとう私の前に出て来る。板切れを真四角になるよう嵌め込んだ器の内側、同じ長さの平らな棒きれを等間隔になるよう紐で結び並べたものが敷かれており、その上にこんもりと盛られているのは昨夜のこんにゃくを彷彿させる黒ずんでいて細かい粒が散見される細長く成形された何か。成程、これが麺というものか。想定していたよりもずっと早い出会いに、少々面食らってしまった。

 

「この蕎麦猪口(そばちょこ)に徳利の中のツユを注いで、それにつけて召し上がって下さい。こちらの薬味は、お好きに使って頂いて」

 

 そう言って店員が指さす小皿の上には、白い繊維質を含んだ水分豊富な何かが粗く擦り下ろされたものと、細かく刻まれた淡い緑と白の植物の茎らしきものと、これまた緑の、しかし微かにツンと刺すような刺激臭を感じるペースト。薬味と言うからには、味付けを引き締めるだけの刺激や爽快感を得られるようなものなのだろう。加減には気を配らなくては。

 

「てんぷら盛り合わせは手前から順番にピーマン、おなす、大葉、かぼちゃ、まいたけに、エビが2本。あと、こちらが今だけやってるアスパラガスとたけのこに、とうもろこしのかき揚げね。おツユでもいいですし、こっちのお塩でも美味しく頂けます」

 

 1つ1つを指し示しながらの説明に耳を傾ける。てんぷら。見たところ、食材に何かしら水気の多い生地を纏わせた上で、高温の油の中で加熱調理したもの、であるようだ。表面の水分が瞬間的に沸騰・蒸発していなければこのような形状にはならない。微かに顔を近づけるだけでほんのりと熱を感じるのだから、それだけ相当な高温であったのだろうことが解る。

 

「それじゃ、ごゆっくりどうぞ。他にも何かございましたら、気軽にお声がけ下さい」

 

 嫋やかな笑みを残して店の奥へと戻っていく店員に了承の意を込めて微笑みながらの会釈をする。さて、まずはそばの方からにするとしよう。

 

 徳利の中身を蕎麦猪口なる容器へ半分ほど注いでみると、店に入った時から漂っていた醤油の塩気を帯びつつも甘い香りが静かに、けれど馥郁として舞い上がる。昨夜のおでんと同系統のようで、しかし明確な差異を感じ取れる香りだ。単に配合の比率を変えただけでなく、何か別種の甘味や旨味が加えられている。そのような直感に従って『視』てみれば、やはりおでんのツユに比べて糖質に各種ビタミン・ミネラルの含有量が豊富であるようだ。ほんの少し口に含み舌の上で転がしてみれば、香りからの想像に相違ない甘辛さを感じつつも、その口当たりのなんとまろやかであることか。成程。おでんのツユが旨味成分(アミノ酸)を抽出したスープに風味付けとして醤油を加えるのに対して、そばのツユは醤油そのものの味も楽しませる、言わば複合調味料というワケか。

 

 箸立てより割り箸を1膳。ぱきりと割り構えて、いざ実食。こんもりと盛られた山から数本持ち上げれば一切絡まることなくするすると解けていく瑞々しい麺は、黒ずんでいながら何故だか透明感すら覚えさせる。ツユに潜らせるようにして、まずは一口目。

 

「ほぉ」

 

 ツユの風味がふわりと広がる中、歯を立てればふつりと簡単に切れる。瞬間、押し込めていた蓋が外れたかのように溢れ出る力強い香りの波紋。かと思えば、見た目の細さからは想像もつかないほどしっかりとした歯応え。粗い粒のような感触が唇や舌先を楽しませ、噛み締める度に膨れ上がり口腔・鼻腔を抜けて広がり続けていくような感覚。大袈裟に聞こえるだろうが、私は今、このそばというものに1つの銀河を見た気さえしている。

 

「美味い」

 

 ツユのみの時点でかなり味が濃く、更に薬味をも必要とするのであれば、もう少し味は淡白なものであろうと予測していたが、それがとんだ早合点であったことを悟る。もっと警戒度を高めておくべきであった。油断した上での弛緩状態に食らう不意打ちほど()()()なものもないというのに。そのような戦慄から暫し呆然としていた、その時。

 

「ズズッ」

「む」

 

 何やら聞き慣れない音が店内の随所から聞こえてくる。その一方へと視線をやると、スーツを着崩し首元も緩めた体格の良い男性が、私と同じせいろそばを3段も重ねたものを食しているところであった。成程、この容器の形状であればあのような配膳も可能であるのか、と新たな知見を得ると同時に。

 

(随分と派手な。あれでは飛沫で無為に汚してしまうではないか)

 

 箸を山に挿し込む度、その3~4割程が一気に持ち上げられ、ツユに半分程度が浸されるや否や、一息に口の中へと吸い込まれていく。どうやら彼だけではない。店内にいる他の客も大小の差こそあれど、全員が音を立ててそばを吸い上げている。もしや、これがそばを食する上での作法、なのだろうか。であるならば。

 

「郷に入っては、郷に従う」

 

 二口目。彼らに倣い、思い切って多めの分量を持ち上げ、溢れないよう配慮しながら半量程をツユに浸し、あの音の鳴り方からして周囲の空気ごと強引に吸い込むのだろうという推測の下、上手く出来るだろうかと思いながら蕎麦猪口と共に口元へと持ってきて、一気に頬張り噛み締めた瞬間。

 

「――――――――――」

 

 それは最早奔流を優に通り越した爆発となって炸裂。口腔から鼻腔を大火の如く蹂躙し、私の意識を彼方へと吹き飛ばした。成、程。周囲の空気と共に吸い上げることでツユが滴下してしまう量が減るだけでなく、それによって発生する気流が突き抜けていく香りの爆風を更に後押しするのか、と遅れて自己分析を試みてはいるものの、咀嚼する度に昇ってくるより濃厚な香りと旨味の勢いは未だ衰える気配がない。何よりも恐ろしいのが、するすると通り抜けていく喉越しの良さ。先程の彼がまるで呑むように食していた理由を身をもって理解した。これは、呑める。3段も頼むのも納得である。

 

 と、そのようなことを考えながらも硬直していたはず、なのに。

 

「―――おや?」

 

 見下ろした先に、そばがない。おかしい。まだ精々が半分程度しか食べた記憶がない。残りは一体どこへ、と卓上を見回しても未だ手つかずのてんぷら以外には何もない。敢えて、他に変化があるとするならば、蕎麦猪口のツユが心なしか減っているような。これらの状況証拠から導き出される結論は、つまり。

 

「あら。お客さん、もう食べちゃったんですね。お箸も啜るのもお上手でびっくりしちゃった」

 

 折よく通りすがった店員の言葉でようやく我に返る。不覚。まさか無意識の内に平らげていたとは。まだ薬味を1つも試していないというのに。

 

 致し方あるまい。かくなる上は。

 

「あの、すみません」

「はい、何でしょう?」

「同じものをもう1つ、頂けますでしょうか」

「あらあら、喜んで。お父さん。せいろ、もう1枚ね」

「あいよ」

 

 これでよし。さて、それが来るまでの間に、気を取り直して。

 

「てんぷら。どれから手を着けたものでしょうかね」

 

 




 司書(あの黒いスーツの人、なんで朝一で来てからずっとことわざ・慣用句辞典とか歴史書読みながらニヤニヤしてるんだろう……)

 次回『てんぷら』編、近日中投稿予定。意欲向上之為、諸兄感想求ム。
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