シン・メフィラスの食卓   作:George Gregory

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空の贈り物Ⅱ

 カレーライス。正式名称を、Curry and Rice。香辛料を用いたソースを米飯にかけて食べる料理。決まった香辛料による味付けさえしていれば、ソースのベースや材料が何であれ、それはカレーとなるというその定義の寛大さたるや、さしもの私も舌を巻いたほどである。

 

 カレーに用いられる香辛料は生薬でもあり、誘導体(エイコサノイド)合成阻害効果や遊離基(フリーラジカル)補足能等による抗腫瘍・抗酸化・抗炎症効果のみならず、消化機能の促進・食欲の通性化といった健康食としての側面も強いのだという。また、発祥地であるインドなる国家は赤道に極めて近い位置にある為に通年で気温が高く、辛口の味付けは食欲増進効果だけでなく、発汗作用による体温調節の役割も兼ねているのだそうだ。

 

 そして、その配合比率が海を渡り風土の異なる土地へと辿り着く毎に変遷、やがて日本という国で独自の様式(スタイル)を築き上げ国民食にまで成長を遂げた。その陰には実に好奇心を刺激される数々の偶然や発見、それらを見出した立役者たちの歴史があったのだが、それについては今は割愛するとして。

 

「いつでも、どこでも、誰であっても、同程度の品質を提供できるシステム」

 

 特に()()()()()のはその部分である。

 

 発祥地のインドにおけるカレーは元来、香辛料を炒めて抽出した香気成分や色素を磨り潰したり刻んだりした青果や油脂に定着させ、水分を加えて追加の香辛料で調味、というような過程を経て作られるのだそうだ。この際の香辛料であるが、その時々の用途や体調に合わせて完全に配合を変える為、『同じ味は1つとしてない』とまで言われるほどなのだという。

 

 そこに、まずイギリスが手を加えた。予め多種類の香辛料を調合した粉末を用意することで調理の省力化を図ったのである。この配合粉末を『カレー粉(Curry Powder)』として一般に販売したことで現地の家庭料理の一角に加えられるまでに普及し、それが日本へと伝来。そして、ここでもまた大きな発展を遂げる。

 

 カレー粉を用いたソースの主な調理手順を以下に述べる。まず、小麦粉を油脂(バター)と共に炒めることで澱粉を(アルファ)化させ、メイラード反応によって褐色物質(メラノイジン)や香味成分を生成。ここにカレー粉を加えて練り上げた『カレールウ』に、更に出汁(だし)や具材を合わせることでソースの完成となる。このカレールウを、予めカレー粉に油脂・小麦粉・旨味調味料を加えて固形にした『即席カレールウ』として更に省力化。これにより、カレーソースは単に具材を水で煮てから、この即席カレールウを投下するだけで作れるようにまでなった。

 

 カレー粉及び即席カレールウによる手順の省力化ならびに品質(あじ)の一定化。これらの開発が、渡来して間もない頃は嗜好品の類であったカレーライスの一般家庭への普及に大いに貢献したのである。

 

「理解なくして価値はなし。普及なくして発展はなし」

 

 0を1にする才と、1を10にも100にもする才は、全くの別種である。私は後者であるが故に、何としてもこの『(カレーライス)』を理解しなくてはならない。

 

 それにしても、だ。

 

(左に見える同じカウンター席の男性の皿に乗っているのは、恐らくハンバーグなる挽肉を塊にして焼き上げたもの。あちらの席の親子連れは、えびといかのシーフードに、ナス・トマト・ほうれん草とキノコ各種。窓際の席に座るご老人の皿のは、もしや噂の納豆とやらでは)

 

 ソースの味付け、辛さの度合い、米飯の量、具材の種類、追加する単品食材や一品料理。この店におけるそれらの組み合わせの総数を計上すると、その数は優に一兆を上回る。それら全てにおいて一定以上の品質を約束する高い汎用性。事前に文献を紐解いて入念に知識を仕入れて来ているし、おでんやそばのツユも大概ではあったが、それでも実際にこうしてその様を目の当たりにすると、改めて目を見張らせられる。流石、『奇跡の粉(ミラクルパウダー)』などと呼ばれるだけのことはある。今回は初の来店ということもあって極めてスタンダードとされているらしい組み合わせにしたが、他にも試してみたいものはそれこそ山のようにあった。

 

 選択肢というものは、多いに越したことはない。『選べなかった』と『選ばなかった』の間には絶対的な差があるのだ。故にこそ、私はそれらを狭め、減らし、奪う側であるのだが。

 

「お待たせしました。辛さ普通のポーク300、手仕込みとんかつとチーズトッピングに、らっきょうです」

「恐縮です」

 

 そのようなことを考えている内に注文の品が出来上がったようだ。店員がカウンター越しに差し出す深めの丸皿には、丁度線対称になるようにしてカレーソースと白米が盛られており、それらの熱で程よい塩梅に溶解したチーズがカレーソースに、黄褐色の粗い表層(ころも)で未だぷつぷつと細かい油の泡沫が弾けているとんかつが白米の上に乗せられている。次いでその隣に掌大の小皿がことりと置かれ、中では白く瑞々しい透明感をした鱗茎が甘酸っぱい香りを放っていた。

 

「こちら、とんかつ用のソースです。ご自由にどうぞ」

 

『芳醇ソース』と書かれた瓶入りの調味料を更に添えて、再び厨房の奥へと消えていく店員を見送り、紙ナプキンで先端を包まれたスプーンを抜きながらどのように食べ進めたものかと考え、まずは純粋に米と言うものを味わってみるか、と白米の一部を掬い上げる。

 

 店内照明を受けて艶やかな照りを見せる白い粒は、小さいながらも一つ一つが非常に色濃く、香りは仄かに甘味を感じる程度。口に含み味を確かめる。香りからの想像に相違ない淡白さであるが、噛み締めるにつれて徐々に甘味が増してきているように感じられた。成程、ヒトの唾液が持つ消化酵素(アミラーゼ)による麦芽糖(マルトース)への分解作用か。加えてこれだけの含水率と噛みごたえであれば自ずと噛む回数も増え、消化吸収の幇助や満腹中枢の刺激といった副次効果も発生する。主食とするのも頷ける要素だ。

 

 続いてカレーソースをひと掬い。蕩けたような茶褐色の液体には一切の混じり気がなく、ゆらゆらとした湯気と共に円やかな、しかし確かに刺激と判る独特の香りが立ち昇っている。口に含むとその香りと共にあらゆる辛味・酸味・苦味・渋味を絶妙な比率(バランス)で纏った旨味が超新星爆発にも似た猛烈な勢いで広がっていく。思わず目を閉じ、僅か上を仰いで。

 

「美味い」

 

 嗚呼、と暫し余韻に浸る。どのような味かと問われれば仔細な言語化が実に難しいが、端的にはその一言に尽きる。おでん然り、そば然り、このカレーソースが土台として強靭であるが故に、あらゆる食材や他の料理と合わさっても呑まれることがないのだと理解する。

 

 そして、より強く興味をそそられた。このソースが白米と合わさることで、一体どのような変化を見せるのか。

 

 いざ鎌倉。スプーンの先をカレーソースと白米との境界線上にそっと沈め、一口分を掬い上げる。縁から滴り落ちるほどの茶褐色の濃いソースを纏うことで、米の白さや艶やかさがより際立っているように感じられた。勢いのままに口に含む。するとどうだ。あれだけ淡白に感じたはずの白米の味がカレーソースのそれと絶妙に混じり合い、勝たないまでも確りとした主張をしてみせているではないか。

 

「そうか」

 

 ここでようやく思い至る。()()()()が異なるのだ。私は今の今まで、カレーライスとはこのカレーソースを食べるにあたって、単に主食である白米が相性が良かったから選ばれたのだと考えていた。だが実のところはそれだけではなく、このカレーソースは恐らく、主食である白米をより美味く食する為に更なる最適化が施された代物なのだ。各種香辛料の配合。ソースの味の濃淡や粘度の具合。それらの相性を鑑みつつも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()材料や調理工程の取捨選択。

 

 カレーライス。なんと玄奥たる料理であることか。今日(こんにち)に至るまでの、あらゆる知恵者たちによる深謀遠慮を思えば、自ずと頭が下がる。そして、これでまだ序の口、氷山の一角であるという事実が、更に私の好奇心を強く掻き立てる。

 

「さて」

 

 目の前には未だ手つかずの、料理の熱でいよいよ原型を留めないまでに蕩けたチーズと、一種の毛細管現象だろうか、一部の表層(ころも)がカレーソースを吸い上げて軟化し始めたように見えるとんかつ。果たして、どちらから手を付けたものだろうか。

 




 普段は野菜三昧か納豆チーズ、作者のGeorge Gregoryです。少々リアルの方が多忙の為、本エピソードは短めでもある程度書き上がったら細かく更新していく方針にしますこと、ご了承ください。

 本日の唐突な永遠に使えないかもしれない無駄知識~ッ。元板前の飲み友に聞く一説によれば、カレーライスとカレー丼の定義は『皿とスプーンで食べるか』『丼と箸で食べるか』の違いだそうです。また、『Curry』の語源はインドのタミール語『Kari(意訳:ソース)』という説があるので、『カレーソース』って書くと一種のダブルミーニングになります。頭痛が痛いですね。

 では、また次回お会いしましょう。……ハァ、オナカスイタ。
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