シン・メフィラスの食卓   作:George Gregory

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空の贈り物Ⅲ

 いささか迷いはしたが、ここはやはり経時変化が如実であろうとんかつの方からにしようと決める。

 

 とんかつ。豚の肉に小麦粉・溶いた鶏卵・パン粉を順に纏わせ高温の油で揚げた、てんぷらとはまた異なるカツレツなる料理の略称。日本(このくに)では、カツレツと言えばまず豚肉にイメージを結びつけるほどに著名な料理で、専門店も数多く存在するのだという。そちらの店にも勿論興味は尽きないのだが、まずは今、目の前にあるこのとんかつをじっくりと味わうこととする。

 

 白米の上に鎮座する『手仕込みとんかつ』なるそれは、掌大の大きさが食べやすいよう等間隔に切り分けられており、半分ほどにカレーソースがかけられた痕跡が見受けられる。末端の一切れを掬い上げて断面を観察すると、肉は全く偏ることなく均一に熱が通った白桃色をしており、黄褐色の表層(ころも)は、表側の粗い薄片を内側の黄白色の生地が繋ぎ合わせているのが見て取れる。これらがそれぞれパン粉と、小麦粉と鶏卵の混合液なのだろう。同じ揚げる料理でありながら、てんぷらとは明確な差異が認められる技法だ。大変に興味深い。

 

 調査によれば、小麦粉は肉の水分を吸収することで調理時の油の飛散を削減する効果があるのみならず、その際に生成される麩質(グルテン)が高熱で凝固することで緻密な網目状構造を形成し、旨味成分の漏出を防止する効果をも齎すのだそうだ。ここに親水性・親油性共に優れた鶏卵を加えることで、鶏卵そのものの旨味だけでなく、更に油の飛散の削減と、粘度をより増強しパン粉を纏わせやすくする効果も生じるのだという。こういうのを『一石二鳥』だとか『一挙両得』だとか言うのだったと記憶している。

 

 てんぷらの場合はこの小麦粉と鶏卵の混合液が持つ粘度を敢えて出さないよう、あまりよく混ぜないのだそうだ。油に入った瞬間に水分の蒸発による凝固を誘発し、油が食材に浸透するのを防止する目的から、予め生地を冷却して熱した油との温度差をなるだけ大きくしておく必要があるのだという。

 

 では何故、カツレツにパン粉を使用するのかといえば、含有する水分によって内部の肉の乾燥を防止しながらも、その水分が水蒸気ガスとして噴出することで内部に発生する空洞が独特の軽快な食感を生み出す為、なのだそうだ。つまり、てんぷらの表層(ころも)が、し尽くされた計算の上で素朴かつ柔軟に食材を被覆しながら彩りも添える装束であるのに対し、カツレツのそれは、小麦粉・鶏卵・パン粉による合理の合算で築き上げた堅牢な三重の防壁による封印、という印象を受け、一通りの資料を読了した直後の私はこの差異に発祥当時の環境や歴史の変遷のそれを見出し、一種の美しさすら覚え、暫し思いを馳せたほどである。

 

 さて、思案に耽るのはそろそろ切り上げて、賞味の段階へと移るとしよう。

 

 まずは掬い上げていた一切れの、素の状態である側の半分を噛み切り、味わう。てんぷらのそれとは明らかに異なる、ざくりとした何とも耳に心地好い音を鳴らしながらも、吸い上げた油と共に膨れ上がる表層(ころも)の香ばしさ。それをじっくりと堪能する寸暇も与えずに押し寄せる優しくも力強い肉の甘味。分厚い獣肉でありながら全く血生臭さがなく、固すぎず柔らかすぎずの絶妙な中庸を捉えた噛み応えが、表層(ころも)の食感との対比にもなっていて、また良い。

 

 かつて名を馳せたこの国の美食家は、食材本来が持つ食味をいかに損なわず引き出せるかが肝要、という言葉を遺したそうだ。今ならば、成程、()()()()()()()、と快く腑に落ちるし、我々(わたし)にも相通ずるものがあると感じられる。

 

 続いて、残った半分をカレーソースに潜らせる。滴り落ちるほどの芳しい香りを纏ったとんかつは、それだけで豪奢と思わせるだけの風格があるように感じさせられる。一息に口に含めば、嗚呼、どうだろう。濃厚なカレーソースの旨味に呑まれることなく確りと主張を続ける肉の旨味。調理過程で損失した水分を補うようにソースを吸収し仄かにふやけ始めた表層(ころも)の食感の変化の衝撃。この組み合わせの発案者については諸説が多く、未だ十分な調査を行えていない為に判然としていないが、いずれにしろ慧眼の持ち主であることに疑念の余地はない。

 

 そして、ここに更に。

 

「米」

 

 嗚呼、いけない。これはいけない。とてもとてもいけない。

 

 まず、とんかつと米。双方共に淡くも芯のある旨味があり、それでいて相互に邪魔を一切しないどころか、異なる食味・食感の組み合わせとして非常に好相性である。それらを更に、カレーという強烈に刺激(パンチ)の効いた風味が、流動体(ソース)という形態をもってして、全く申し分のない領域にまで包括・昇華させている。

 

 不味い。これは不味い。否、美味い。美味いが不味い。美味いからこそ不味い。

 

 我々(わたし)は主にNegentropy(ネゲントロピー)、即ち情報量(エントロピー)の排出によって自己を確立し生命活動を維持する生態機構を持った種である。これは生命体であれば大部分の種が無意識下で実行している機能であるが、我々(わたし)はその比率が他種に比べて突出して高い。

 

 故に、『食事』という行為とは基本的に無縁であり、積極的であったり過剰なエネルギーの摂取はそれと全く相反する行動であって、決して推奨されるものではない。ない、の、だが。

 

「美食とはよく言ったものだ」

 

 食事は大多数の有機生命体において必須の生命活動であると同時に、『嗜好』としての側面も強く持ち合わせている。こういった形の欲望もまた確かに存在し、それは時に利益や脅威によるもの以上に抗い難い力を持つのだと、今までの経験を通して、改めて理解を深められたという実感がある。

 

 ……そういえば、調査中の気分転換に、と全く別種の書物を紐解いて知ったものではあるが。

 

「フフ」

 

 そういった甘露な誘惑をちらつかせ、その代償として(いのち)あるいはそれに等しい価値のあるものを要求する存在をこの惑星では主に『悪魔』と呼び、その中でも特に著名な文学作品に登場する個体の名を。

 

Mephistopheles(メフィストフェレス)

 

 これはいかなる星の巡り合わせか。偶然にしては、あまりに()()()()()()()。尤も、今の私は完全に誑かされる側である訳だが。

 

「さて」

 

 気を取り直して、そろそろ最後の食材の賞味を始めるとしよう。古来よりそういった悪魔との関連も深く、未だに何故発見されたのかも定かではないという、実に興味深い食材。

 

 チーズ。果たしてどのような味がするのか、試してみようではないか。

 

 




 大変に遅くなりまして、面目次第もなく。

 プロットは前回の更新直後にほぼ出来上がっていたのですが、完全に物書きとしてのモチベが落ちていたのをいいことに新作ラッシュのゲームに浮気してました。元々は今回で書き切る予定だったのですが、モチベ維持の為、短めですがでここで区切っております。私が空腹にこれ以上耐えかねたってのもあります。近日中に完結編放り込みますのでお許しくださいませ。

 では、また次回お会いしましょう。
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