戦国異聞〜偽物・慶次郎〜   作:ちょろいん

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生存報告です。


公家

 

「何も意地悪をするつもりはなかったのだがな」

 

「……まったくもう意地の悪いお人ですね、紋次郎さんは」

 そっけない言葉に含まれた微かな照れ。それを読み取れるだけの余裕が自分の中にある。

 

 彼女の好意を計算に入れられるほどには、自分も鈍くはないつもりだ――そう思いながらも紋次郎はそれ以上言葉を返さなかった。

 

 からかえば拗ねるし、下手に出れば気まずくなる。加減が難しいのは女の機嫌というより、貞子という女の距離感のほうだ。故に今はまだそこを間違えてはいけない。

 

 ――まっすぐで、懸命で、好きになった相手には少しばかり執着が過ぎる。

 そういう女を嫌いになれる道理は、残念ながら持ち合わせていない。

 

「さて、一葉さんはここから先はどうされますか?」

 

「そのことだが余は、ここで別れるとする」

 

「一人で行くつもりかい?」

 

「うむ。余が自ら会わねばならん者がおるでな。他の誰の手も借りられんことじゃ」

 

「そうか。わかった。おろすぞ」

 紋次郎は一葉の背をそっと片膝を立てて腰を落とした。派手な仕草もなければ、殊更な言葉も使わない。

 一葉は、背からそっと降ろされると、わずかに息を整えて頷いた。

 

「ふぅ……礼を言うぞ。紋次郎」

 一葉は一歩、足を踏み出した。

 

 けれど――一葉の体がふわりと前に傾きかけた、その瞬間、紋次郎の腕が自然に伸びていた。

 まだ熱の残る身体を、後ろから静かに支える。かすかに震える肩越しに、その小さな胸のうちが伝わってくるようだった。

 

「おっと……そう急くな」

 

「一葉さん、まだ本調子では──」

 

「し、心配無用じゃ」

 そう言い切る声には、気丈さと……ほんのわずかな照れが混じっていた。あくまで平然を装っているが、支えられたままの背には、どこか落ち着かぬ熱があった。

 

 彼女が自ら立つと言うのなら、それでいい。

 紋次郎は静かに手を引き、余計な言葉を挟むことなく一歩引く。

 

「――っ」

 彼女の足元が、わずかによろめいた。

 

「一葉」

 

「大丈夫じゃ」

 支えを求めなかったのは彼女の意思であり、それを尊重するのが筋だろう――そう紋次郎は判断した。

 

「……一葉殿、無理なさらないでくださいね。まだお身体は万全ではないのでしょう?」

 

「どうか、せめて風下を歩いてください。冷えは思いのほか堪えますから」

 

「ふ、余を誰と心得る。これしきで音を上げるようなら、京など目指さんよ」

 

 貞子と秋子は手を振って別れを告げた。

「そなたらには世話になったな。この礼はいつか必ずするゆえ。またどこかで会おう」

 

「ああ――またどこかでな。無理はすんなよ」

 

 ***

 

 一葉の姿が見えなくなると同時、紋次郎は空を見上げ、ぽつりと呟いた。

 

 ──さて。

「しっかし、やっぱり京は落ち着かんな。なんというか、町全体が沈んでる」

 実際、京の町並みは戦火と荒廃に蝕まれていた。屋根は崩れ、路地には物乞いと浪人が入り交じる。かつての京とは思えぬ有様である。

 

 その一角、九条通りのはずれに長尾家が所有する京屋敷があった。

 戦乱の爪痕をあちこちに残す京の街並みの中にあって、その屋敷は、意外にも静謐さを保っていた。壁こそ煤け、門構えも多少傾いてはいるが、それでも全体としての体裁は保たれている。何より、庭の雑草すら刈り込まれており、住まいとしての体は成していた。

 

「どちらさまで……? 此処は長尾家の……」

 

「はい、長尾の者です」

 秋子は歩み出ると、袖の内より一通の書状を取り出した。

 

「越後は春日山より参りました。これは我らが当主、晴景様よりの預かり文にございます」

 老人は目を細め、秋子の差し出した文に目を落とすと、わずかに背筋が伸びた。

 

「これはご無礼を。晴景様のお使いとはつゆ知らず、失礼をいたしました。どうぞ、お入りくださいませ。屋敷はご不便も多うございますが、手は入れておりますゆえ、拠点としては十分かと存じます」

 

「ありがとうございます」

 中へ案内されると、廊下には掃き清められた形跡があり、雨戸もよく動いた。奥の座敷に通されれば、畳は一部古びているものの踏み心地は悪くなく、風の通りもよい。

 

 もっとも、見栄えというやつは別だ。黄ばんだ障子はところどころ破れ、隅には小さな染み。柱の継ぎ目に浮いた木肌が、歳月の重さを語っていた。

 

 京に残された屋敷としては、まだましな部類に入るのだろう。京の町は戦乱に灼かれ、焼け落ちたままの建物も珍しくない。少なくとも雨風を凌げ、床が抜けぬだけでも十分に幸運だった。

「僅かの間ですが、お借りいたします」

 

「……静かで落ち着きますね。こういう屋敷、私は嫌いじゃありません」

 

「ありがたきお言葉。どうか、ご自愛のうえ無事にお勤めを」

 

 その日の夕刻、秋子は早速、三条西家宛てに書状をしたためた。文庫拝見の願いを丁重に記す。あくまで使者の体を崩さぬように言葉を選びながら。

 

 その内容を一読した紋次郎はその筆の冴えには頷かされるものがあった。越後の田舎者が、いきなり京の門を叩く無礼と見なされぬようにという配慮が、行間にまで沁みていた。

 

 書状は、翌朝早くに屋敷の使いを通じて三条西家へと届けられた。

 

 返答は早かった。返書には「二日後の正午、屋敷にて応対する」とあり、秋子の言葉を借りれば「予想以上に上々の返礼」とのことだった。

 

 そして、日が改まる。

 

 

***

 

 

「では三条西家へ参りましょうか」

「そうしよう。晴景様から預かっていた礼金を使おうか」

 

「写本が手に入れば旅の目的は果たせます。ここからが本番ですね」

 三条西家の門前。迎えに出た女中へ秋子が書状を手渡すと、思いのほか早く中へ通された。

 

「……思ったよりも応対が早いですね」

 秋子が囁く。

 女中の身のこなしにはどこか馴れ合いとも違う妙な柔らかさがある。それが探るような動きに見えたのはきっと気のせいではない。用件よりも、まず人物を量ってきた――そんな印象だった。

 

「大方、こちらの腹を探ってるんだろう。礼金をちらつかせた効果ってやつだ」

 この京に生きる公家たちは、見目には気品を湛えていても、内実は薄氷の上を渡るような暮らしぶりだ。武家に対抗するだけの軍事も財もなく、荘園からの年貢も大名たちに勝手取りされる。生き延びるには、形ばかりの格式と、過去の栄光を担保に、世を泳ぐしかない。

 

 だからこそ、金をちらつかせた者には敏くなる。飢えた鹿が水音に敏感なように、彼らは『財』という香りに鼻が利くのだ。

 

 広間の襖が滑るように開かれ、迎えの女中が下がると、奥から別の気配が差し込んだ。

 

 足音一つ立てず、部屋の奥に進み出た女は、紛れもない京のひと――三条西家の女当主、三条西実枝である。

 

「遠路はるばる、ようこそ」

 実枝は柔らかな口調で言った。だがその瞳は笑っていない。

 秋子が深々と一礼する。

 

「ご高名は常々耳にしております。……わたくし、越後は春日山にて、長尾家に仕える身。名を、直江与兵衛尉景綱と申します」

 名乗りを受けた実枝の目が、ほんのわずかに細められる。その表情に、丁寧な笑みは浮かんでいたが、その奥にある感情は読めない。

 

「――まぁ、長尾の御方にていらしたとは。……てっきり、書の道に通じた修験者の類かと存じておりましたが……」

 実枝の声音は柔らかく、あくまで礼を保っている。されど、その言葉の選び方は、紋次郎の目から見ても、まるで見えぬ扇の奥から探りの風を送るようなものだった。

 

「このような立場にての訪問、失礼の段があればお許しください。書に魅せられし一人として、ただ一読の望みを抱き、参上いたしました」

 

「ほう。越後とて遥かな地。さぞ、道のりも険しゅうございましょうな」

 

「は。風雪もございますれば、行き交う者には厳しき地にございますが……それゆえ、文のぬくもりが一層、身に染みまする」

 

 そこには、何気ない応酬の中に此方の志を滲ませる配慮があった。

 実枝もまた、それを受けて一つ頷いた。

 

「……なるほど。越の風は時に鋭くとも、文を運ぶとあらば、悪しき便りばかりではござりませんな」

 

 脇の女中が控えめに動き、茶が運ばれる。湯気の向こう実枝はそのまま言葉を継いだ。

 

「さて。長尾のご家中が、こうして我が屋敷を訪れるのは珍しきこと。まして、昨今のご動向を思えば……一層、興味深いものですわ」

 

「……お察しの通り、長尾家と三条西家の間には、未だ青苧の件にて、意見の相違がございます。けれど、本日の訪問は一介の文人としての願いにございます」

 

「ほう。長尾の家老が一介の文人を演じて訪ねてくるとは……随分と情趣に満ちた演出ですわね」

 そこまでは予想の範疇――と、紋次郎は内心で頷いた。

 やはり、京の貴族というのは、切り口が違う。言葉の間接が深く、こちらの手を一枚ずつめくってくる。

 

「そして、そちらの御方。ひと目で只者ではないと存じますが……お名前を伺っても?」

 

 視線が自分に向く。軽く会釈すると、柔らかく笑ってみせた。

「旅の従者、ただのおかめ丸にございます」

 

「……おかめ丸。風変わりなお名ですね」

 実枝はそう言いながら、紋次郎の笑みを見つめたまま、再び茶を置いた。

 

 秋子は静かに姿勢を正し、胸元から一通の封を取り出す。

 

「まずは、この場を借りて――我が主・晴景様よりの書状をお渡し申し上げます」

 

 女中が受け取り、実枝のもとへと届ける。封を開いた実枝は、その筆跡に目を落としながら、静かに眉を動かした。

 

「……これは確かに、晴景公の御筆……」

 

「我ら三名、長尾家の命を受け、晴景様の名代としてまかり越しました。御所蔵の『源氏物語 』、その写本を一部拝見し、写させていただきたく存じます」

 

 実枝の瞳がすうと細くなる。

「青苧の件では、我が家と長尾の間に浅からぬ因縁がある中で……随分と大胆なご所望ですこと」

 

「承知の上です。されど、晴景様のご意向は、争いを前にしてなお『文化の火』を絶やさぬこと。そのためには、京の文を、越後に継ぐ必要があると……」

 

「それで、写し取った文は、どこへ?」

 

「越後・春日山にございます長尾家の文庫に納められます。公の手にて、文化の継承の礎といたします」

 

「……ふむ」

 その表情からは、肯定も否定も読み取れなかった。

 ただ、その目には明らかに思案の色が浮かんでいた。

 

「……明日、正午に再びお越しくださいませ。…………ご用意いたします」

 

「ははっ」

 それを受けて、秋子が深く頭を下げる。紋次郎と貞子も、それに倣った。

 目的は、まず一歩。京の文の芯に、触れる機会は得られた――そう、紋次郎は受け取った。

 

***

 

 翌日の正午。

 再び三条西家を訪れた秋子たちは、昨日と変わらぬ女中に案内され、奥の書院へと通された。

 

 部屋の奥、障子の向こうに控えていたのは、例の実枝。今日もまた、貴族らしき気品を漂わせながら、秋子の一行を迎え入れる。

 

「お約束通り、ご用意いたしました」

 実枝が片手を挙げると、女中が盆に乗せて持ってきたのは、写本であった。表紙は藤色の布に包まれ、繊細な文様が手描きであしらわれている。

 

「……っ」

 秋子は息を呑み、そして深く一礼した。

「かたじけなく存じます。……僭越ながら、拝見料として、こちらをお納めくださいませ」

 

 そう言って懐から布包みを取り出し、そっと卓上に置く。女中がそれを開けば、中には丁寧に揃えられた小判が何十枚と淡い香の移る紙に包まれていた。

 

 実枝はちらりと視線を落とす。だが、金子を見ても、満足げな表情は浮かばなかった。

 

「……ありがたく頂戴いたします。けれど」

 秋子が顔を上げると、実枝の眼差しが鋭くなっていた。

 

「写本を許すには、それだけでは不足です。金銀財宝は流れ物、けれど文化とは根ざすもの。私が求めるのは、京に相応しい何か……それを、お持ちではないのですか?」

 

 言葉の端々にある種の試しが滲む。

 秋子が口を開かずにいる間、部屋の空気が徐々に沈んでいくのを紋次郎は感じ取っていた。

 

 紋次郎としては――金が欲しいのに、何が不満なのだ、というのが率直な心持ちであった。

 

 京の公家というのは、かくも回りくどいものかと、内心で溜め息をつく。

 

 高い矜持とやらが実より『体裁』を優先させるらしい。こちらが差し出したのは金貨の山。これでも不足だというならば、何なら金貨で屏風でも拵えてやろうかと毒づきたくもなる。だが、それを口に出せば話が壊れる。そういう席なのだ。

 

 秋子の口が固く閉ざされたまま、部屋の空気が目に見えぬ水のように冷えていく。

 

 ――ああ、まずいな。これ以上問答になれば、話そのものが立ち消えしかねん。

 

 そんな読みが働いたとき、自然と体が動いていた。紋次郎は視線をまっすぐに実枝に向け、穏やかな笑みを湛えて言った。

 

「では、それがしより一興、物語を献上いたしましょう。山と人と、命の狭間に生きる者たちのこと――もし、お気に召されれば、それが京に捧ぐ『文化』のかけらとご覧じていただきたく」

 

「ほう。()()、と申されますか」

 

「は。金銀ではござりませぬ。言葉にて紡がれし、ひとつの物語にございます」

 

「……語ってくださるのですか? 従者の貴方が?」

 実枝の目がわずかに動いた。まるで面白い戯れに出くわしたかのように。

 

「は。それがし従者ではありますが、言葉を紡ぎ、筆を持ち、歌を唄うこともある、少々変わった道化にございます」

 

 秋子と貞子がそっと顔を見合わせた。だが、それ以上は言葉を挟まず、静かに紋次郎を見守る。

 

 実枝は膝の上で指を重ねたまま、しばし沈黙していた。やがて、言葉少なに告げる。

 

「よろしゅうございます。お聞かせくだされ」

 それは許可であると同時に、見定めの合図だった。

 どうやらこちらの腹も、覗かれて当然ということらしい。

 

 ――なるほど。ならば、望むままに。

 

「――昔々、とある東の国の山奥に、ひとつの村がありました。その村を襲ったのは、瘴気を纏った巨大な化け物。黒き毛に覆われたその者は、山の神の成れの果て……」

 

 語りの声が静かに響く中、実枝は黙って耳を傾けていた。そのまなざしは、次第に色を変えていく――。

 

「――黒き毛並みに覆われ、眼は怒りに濁り、体は腐り果てながらもなお進むその獣は、村を呪い、荒らし、田畑を喰らい尽くした。人は恐れ、神と呼び、けれど祈りも届かぬほどに、その心は穢れていた」

 

「――その獣を討ったのは、一人の若者だった。彼は村を救ったが、その右腕に、瘴気が宿った。呪いだった。触れた者を蝕み、心を蝕み、やがて命を奪うその呪いから逃れるため、若者は旅に出た。答えを求めて。赦しを探して」

 

 実枝は目を細めた。秋子と貞子も、言葉を忘れて耳を傾けていた。

「――そして若者は、森に辿り着く。そこは人の手が入らぬ、山の神々の領分。そこにいたのが、『もののけの姫』と呼ばれる娘。人でありながら、獣に育てられ、人を憎み、人の世を拒む少女だった」

 

「――っ」

 ふと、貞子が息を呑んだ。

 実枝の指先が、茶碗の縁をそっとなぞる。

 

「……彼女は剣を手に人を斬る。山を汚す者を許さない。けれど、その若者は斬らなかった。人を殺すことなく、山と人の間に立ち、言葉を尽くした。己の命が削られようとも、争いの火を消すために。……それは刀ではなく、『祈り』の戦だったのです」

 

 語りを結ぶ気配を、自然と息遣いの中に織り込んでいく。

 場の空気が静まっているのを、声の響きでおぼろげに感じ取る。

 

「――やがて山の神は死に、森は崩れ、人は生き残った。若者も、姫も、命を繋いだ。だが、ふたりは共にはならなかった。若者は森に残り、人と自然が共にある道を探し続けた。姫は姫として、森の奥へと戻っていった。けれど、互いの存在を否定せず、祈るように、思い合ったのです」

 

 しばしの沈黙。

 紋次郎はゆっくりと頭を下げる。

 

「……この物語は、遠き国の説話にございます。刀ではなく、言葉で結ばれた縁。争いを止めるために流した血よりも、交わした視線の温もりが人の心に残る……そんな和の姿が、もし、京の御心に響けば幸いにございます」

 

 障子の向こうで、風がひとつ吹き抜けたような気配がした。

 実枝は、じっと紋次郎を見ていた。その瞳は先ほどまでの静けさを保ちつつも、どこか濡れたように輝いていた。

 

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