戦国異聞〜偽物・慶次郎〜   作:ちょろいん

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目利き

 

 見定めるふうで眺めてはいるが、紋次郎自身、茶碗の良し悪しに通じているわけではなかった。

 焼きの深さも、土の質も、素人目にはどれも同じに映る。

 

「不完全を以て美とする」――そんな言葉が、教科書の片隅に載っていた気がする。それがふと脳裏に引っかかった。その程度の断片的な記憶を引き寄せ、さも心得た風を装ってみせたにすぎない。

 

 知ったような口を利いたのは、まさに綱渡りの一手であった。あの場で黙っていれば、場は流れのまま土屋の手に落ちていただろう。

 

 見栄を張るつもりはなかった。ただ――少年の必死の訴えを前に、言葉ひとつで支えねばならぬ場面が、目前に現れた。それだけのことである。

    

    ***

 

 

 素焼きの肌は土気色にくすみ、指先にざらりとした粗さが残った。高台は浅く波打ち、整った形にはほど遠い。伏せた茶碗の底が、陽の光を受けて、わずかに鈍く光を返していた。

 

 ――こいつぁ、野良に転がった瓦片と見紛代物だな。

 

 誇るべき意匠もなければ、目を引く装飾も見当たらない。見栄えという点では、どこを取っても欠けが目立つ。どれほど贔屓目に見たとしても、これを価値あるものと見る者は稀だろう。売るにしても、せいぜい二束三文。そう断じるほかない代物であった。

 

「これじゃただの汚れた土くれだな」

 

「やっぱりガラクタじゃねぇか!」

 土屋が得意げに口角を吊り上げ、通りの町人たちにまで聞かせるような大声を張っていた。

 

 貞子と秋子は黙して紋次郎を見守っていた。貞子はひと言も発さず、視線だけで彼の動きを追っている。秋子もまた困惑の色を隠さぬまま、言葉を挟むことなく沈黙を選んでいた。

 

 紋次郎は茶碗を手にしたまま、ふと視線を落とす。

 

 底に滲んでいたのは、まるで陽を呑んだかのような青。その青は、乾いた土の窪みにひっそりと息づき、水脈でも這うかのような気配を帯びていた。

 

「ふむ……青を満たすつもりで窯に入れたのだろうが、火の加減に見放されたか」

 

 底に滲んだ青を見つめながら、紋次郎は思考を深めていた。

 

 釉薬は定まらず、焼きも浅い。色は器全体に行き渡らぬまま、底にだけ重たく沈んでいる。あたかも、どこかで息を止めたまま最後まで形を成せなかったもののように。

 

 滲みきらなかった青、定まらぬ釉――この器は、まるで満ちきる寸前で立ち止まったかのようだった。咲ききらぬ花に似て、整わぬがゆえに、かえって先を想わせる。紋次郎の目にはそれが静かに映っていた。

 

「……かの兼好法師も、よう言ったものよ。『花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは』と、な」

 盛りに咲いた花ばかり追い回す手合いは、花の散り際を知らず。

 満月だけを仰ぐ者は、雲間の月に宿る趣に気づかず。

 欠けているからこそ、なお美しい。

 散りゆくからこそ、心を打つ――。

 

「そういうもんを『わび』だの『さび』だのと言うらしいがな。まあ、足らぬがゆえに滲む味というやつだ」

 

 すると、土屋が鼻で笑った。

 

「へっ、よくもまぁそんな見苦しいもんをそんな持ち上げられるもんだ。歪んでる、くすんでるも中途半端、ただの出来損ないじゃねぇか。そんなもんに惹かれるなんざ、物好きの極みだな」

 

 反論はせず、器を見つめたまま口を開いた。

 

「ああ。まったく、そのとおりだ」

 

 一瞬、土屋が言葉を詰まらせる。

 それでも紋次郎は続けた。

 

「形は整っておらず、色も流れている。焼きも甘ければどこか頼りなくも見える。誰がどう見たってこいつは欠けた器だろうな――」

 

 言葉が、腹の底から突き上げるようにして迸った。

 

「だが、それが良い」

 

 鼻で笑い飛ばしたはずの土屋が返す言葉を見失った。

 紋次郎の声音に、ただの負け惜しみではない何かを感じ取ったのかもしれない。

 

 沈黙が落ちたその隙に、紋次郎は続けた。

 

「隙なく揃ったもんなぞ、そこらに転がっていよう。だがこいつは、足らぬがゆえに余白がある。満ちきらぬ底の青、それが心を惹きつける。まさに侘びというやつよ」

 

「な、な何を偉そうなこと言ってやがる! そんなもんに何の価値があるんだよ!」

 

 紋次郎は茶碗をそっと伏せ、土屋を真っ直ぐに見据えた。

 

「では逆に俺が訊こう。貴殿、その目でこれをガラクタと断じたようだったな」

 

 土屋が一瞬たじろぐ。

 

「そ、そうだ! 誰がどう見たって、ただのガラクタだろうが!」

 

「なるほど、よぉくわかった。やはりあんたの目は器の価値を見るのではなく損得しか映らんと見える。いや、失敬ならば目利きではなく、銭の皮算用人とでも呼ぶべきか。そりゃあ話が噛み合わんはずだ。そんな色の眼で商いを語るとは片腹痛い」

 

 土屋が何か言いかけた瞬間、「だが!」と紋次郎が声をかぶせる。

 

「世の中ってやつは、そんな銭勘定だけじゃ回らん時がある。たとえば、この器ひとつ、ひと目見ればガラクタにしか見えん。だがそれを母親のために差し出そうとした子がいるんだ」

 

 紋次郎は声を落とす。ここまで来たら情に訴えるしかない。

 

「見ろ、寒空の下を歩いてきたんだろうよ。着物の裾はすり切れ、草履も顔も泥まみれときた。それでも顔を上げて、必死に頼み込んでいた。あんた、それを門前払いか?」

 

「うぅ、お、おい……勘弁してくれよ。こちとら商売なんだ、ガキの情にほだされてたらきりがねぇ」

 

 土屋は気まずげに視線を泳がせたが、すぐに口を尖らせて言い訳を重ねる。

 

「だいたいよ、こんな器、どう見たって……」

 

「そう。どう見たってガラクタだ。だが器に値打ちがなかろうと、この子の行いに情けはある。あんたが秤にかけるべきなのは、そこじゃないのか?」

 

 一拍、紋次郎の声が低く沈む。

 

「いま、この子を追い払えばそれで終いよ。ただの貧乏人を追い返した話で済む。しかしだ。もし、買い取ってやればどうなる?」

 

 そこで紋次郎は土屋に視線を向け、ゆっくりと微笑んだ。

 

「『土屋の店は義理人情を通す』あるいは『あの店の主は、目利きの上に人を見る』そういう評判が立つやもしれん」

 

 土屋は押し黙った。だが唇の端がぴくりと動いた。

 

 紋次郎はさらに一歩踏み込む。

 

「情を取るか。名を落とすか。その商いの看板、ただぶら下げているだけではあるまい」

 

 土屋は腕組みしながら、視線を泳がせた。

 

「……あんたの言い分にも一理はある。だがな、こんなことやってたらキリがねぇんだ。こっちも商売でやってんだよ」

 

 口ではそう言いながらも、声にはどこかためらいが滲んでいた。紋次郎の言葉が、まるっきり響いていないわけではない。踏み出すにはまだ何かが足りなかった。

 

 そんな土屋を、紋次郎は見透かしたように言った。

 

「ふむ。それでも踏み切れんのならせめて見てやってくれ。……あの子が持ってきた包みと、着ているものをな」

 

 土屋が不機嫌そうに顔をしかめたまま、ちらと視線を向ける。少年の着物は、たしかにところどころ綻び、擦り切れている。

 

「襟元、見えるか? すっかりくたびれてるが、細かく丁寧に縫い取りが施されてる。上布の仕立てだな、あれは。町の子じゃあまず着てこられん代物だ」

 

 そして、紋次郎は、投げ捨てられた器を包んだ布を拾ってきて、開いて見せた。

 

「包みも、無駄に綺麗だ。これが安物なら、わざわざこんな布では包まんだろう。目立たぬよう包み直したというところか。……なるほど、擦り切れた着物に上等な刺繍。粗末に見える上質な包み布。貧しさの中に、出自が透けて見える」

 

 紋次郎は、布の端を軽く指で摘みながら、土屋の顔を見ずに言う。

 

「もしかすると、この子は、どこぞの筋の出かもしれんな」

 

 土屋の目がわずかに見開かれる。

 

「……まさか。お公家か?」

 

「さてな。だが、そうであればこの子に情けをかけた一件が、後々どんな形で返ってくるかは分からん。商人たるもの、貸しと恩は上手く使うもんだろ?」

 

 唇を引き結んだままの土屋は、包みと着物とを交互に見た。なにかを呑み込むように唾を飲み、ぐっと奥歯を噛みしめる。

 

 だが――その瞬間、奥の暖簾がさわりと揺れた。

 

 しずしずと現れたのは、どこか品を纏った初老の男だった。

 落ち着いた足取りで店先に進み出ると、ざわつく空気を一変させるような重みが、場に静かに落ちた。

 

「……なんだか、少々騒がしいようだな」

 

 土屋はぎくりと肩を跳ねさせ、咄嗟に背筋を伸ばす。

 

「お、大旦那……これは、その、ほんの些細なことで――」

 男の視線は、まっすぐ紋次郎へと向けられている。

 

 土屋は唇を噛み、逡巡していたが――次の瞬間、ふいに顔を上げた。

 

「大旦那……! こいつらが、ガラクタの茶碗を押しつけてきやがったんです!」

 紋次郎の目の前で、土屋が声を張り上げた。

 

 ――あぁ、惜しいなあ。もう一押しで名を取る方に傾いていたというのに。

 

「ガラクタを押しつけただと。一体どういうわけだ」

 男は静かな声で言いながら、視線を紋次郎と少年、そして土屋へと順に流す。

 

「その茶碗が何か問題なのかね?」

 

「いえ、特には」

 紋次郎はにこやかに言った。

 

「ただ、この少年が病の母上のためにと質に入れようとした品でしてな。こちらの旦那の方が、見る目がないと一蹴されただけの話です」

 

 すると、男はちらりと土屋に目をやった。土屋が舌打ちして目を逸らすのが見えた。それを見て僅かに嘆息すると、少年に尋ねた。

 

「坊や、その茶碗はどこで手に入れたのかね?」

 

「は、母上が大切にしていたものです。家に代々伝わる品だと……」

 

「その器を、少し拝見しても?」

 紋次郎は茶碗をそっと差し出し、そのやり取りを少年が食い入るように見守る。

 

 男は両手で丁寧に茶碗を受け取り、光の下で角度を変えながらじっと見つめた。

 

 釉の流れ、土の質感、そして器の底――青の滲み。

 しばらく沈黙の時間が流れたあと、男は低く呟いた。

 

「……これは、唐物だな」

 

「な、なにっ――!?」

 土屋の顔から血の気が引いた。

 唐物とは中国から渡ってきた高級品を指し、この時代では希少価値が非常に高かった。

 

「馬鹿な、こんな……こんな汚ねえ器が、唐物だなんて……!」

 

「確かに、焼きは失敗している。釉の流れも不安定だ。けれど土と高台、それにこの滲み方。これはあちらの窯、明の初期の型に近い」

 土屋は言葉を失ったまま立ち尽くした。

 

「土屋殿、先ほどのは褒められた行為ではない。商人たるもの、信用が命。一期一会の出会いを大切にするのが商いの心得というものだ。私はそう教えたはずだが?」

 

 土屋は反論しようとしたが、男の眼光に言葉を飲み込んだ。

 

「坊や」

 男は少年に優しく声をかけた。

 

「先ほどは失礼した。この茶碗、高く買い取らせてもらおう」

 

 少年は驚いたように目を見開いた。

 

「え……? ほんとですか?」

 

「もちろんだ。母上の薬代になるのだろう?」

 

 すると、秋子が優しく少年の肩に手を置いた。

 

「よかったですね。これで、お母さまのお薬が買えますね」

 

 貞子が土屋のほうに目をやる。特に何を言うでもなかったが、あの男の眼差しは、どんな叱責よりもこたえるだろう。

 

 土屋は気まずそうに目を逸らし、そのまま足早に奥へと引っ込んでいった。

 

 その様子を見送りながら、男が紋次郎の方へ向き直り、深々と頭を下げた。

 

「さて、若者よ、見事な審美眼恐れ入った。この茶碗の真価を見抜くとは」

 大仰な物言いだったが、口調に驕りはなかった。

 

「風情があるか無いか、それだけの話ですよ」

 紋次郎としては真価など見抜いたつもりはなかった。

 

「いや、それだけではない」

 

「世の多くは姿形ばかりに目を奪われ、心で感じることを忘れておる。若者が見たこの茶碗の風情……侘びこそ、真の価値というもの」

 言いながら、男の口元がわずかに緩んだ。

 

「――君の言葉を借りるなら……『だがそれが良い』、だったかな?」

 紋次郎はふっと笑みを漏らした。

 

「それはお耳がよろしいですな。いや、目の方が利くとお見受けするか」

 

 男は楽しげに扇子をあおいだ。どうやら、このやり取りを愉しんでいるらしい。

 

「見ていたのは器だけではない。言の葉の裏にあるものも、ね」

 

「なるほど。それで黙っておられたとは。まったく食えないお方だ」

 

「ふふ、褒め言葉と受け取っておきましょうかな」

 ひと振り、扇子を折りたたんで帯に差すと、男は静かに一歩踏み出す。目元にわずかな余韻を残したまま、話題を継いだ。

 

「その眼、実に惜しい。できれば一席、茶を共にしたいところだ。――そうそう、ちょうど三日後、屋敷で茶席を設けておりましてね」

 

 そして、紋次郎を真正面から見据える。

 

「よろしければ、君たちも客人としていかがかな? 堅苦しい場ではない。風情を語り合える客を招く、ただそれだけの小さな席だ」

 さりげない物言いだったが、その奥には、しっかりと紋次郎の目を見込んだ者の信頼があった。

 

 紋次郎はひと呼吸置いてから、口元に静かな笑みを浮かべた。

「……面白そうな席ですな。三日後と仰いましたか?」

 

「ええ。場所はこちらの奥――少々古びてはおりますが、まあ、それも一興。滲む味、というやつです」

 

 紋次郎は、その言葉の裏にあるものを探るように、ふと視線を落とした。

 茶を点てるだの、客人をもてなすだの。そんな風雅には縁のない身の上だ。しかし茶席――ただの風雅な集まりと切り捨てるには惜しいものがあった。

 

 この男の振る舞いも言葉も、すべてが計算ずくというわけではない。だが名も知らぬ若輩に声をかけた以上、ただの気まぐれではないのだろう。

 

 ――戦の腕前だけじゃ通れぬ道もある。

 声より筆が、力より縁がものを言う場もある。

 

 とりわけ、京という土地は、目に見えぬ水脈のような縁と権威が、静かに地を巡らせている。

 

 いずれ来たる嵐の中――誰かを守るその時、踏み込めるか、退けるかは、こうした縁の一本一本が結んでくれるのだろう。

 縁とは、火急のときにこそものを言うのだ。

 

「……悪くない誘いですな」

 紋次郎は静かにそう呟き、隣に並ぶ秋子と貞子に目を向けた。

 言葉は交わさない。ただ、視線で問う。――いいか?

 秋子がわずかに頷き、貞子もまたわずかに目を細めて応えた。

 

 それを確認して、紋次郎は再び男の方へと向き直った。

 

「では、三日後。私ひとりで――」

 

 そう言いかけたところで、男が軽く首を傾けた。

 

「……何を仰るのです? お二人もご一緒いただくつもりでしたが?」

 

 思いがけない言葉に、秋子と貞子が互いに目を見合わせた。

 男はそれに気づいてか、扇子をゆったりと仰ぎながら続ける。

 

「品のある立ち居振る舞い、それに、場を見る目もある。そうした方々と席を共にできるのは、私にとっても光栄というもの」

 その口ぶりに、取り繕いはなかった。

 本心からの好意であり、誘いであることが伝わってくる。

 

「なるほど。お見通しというわけですか」

 

「いえいえ、ただの願いですよ。よい縁というものは、こちらから手を伸ばさねば始まりませんからな」

 

 紋次郎は肩の力を抜くように、静かに笑みを返した。

 

「承知しました。では、三日後、三人で伺いましょう」

 

「ええ、それは楽しみです。では、また」

 男は軽く礼をし、その場を後にしようと背を向け――ふと立ち止まった。

 振り返り、にこやかに名を告げる。

 

「そうそう。名乗りがまだでしたな。私は――武野、武野紹鴎と申します。どうぞ、よろしく」

 

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