戦国異聞〜偽物・慶次郎〜   作:ちょろいん

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茶会

 

 朝の街路を、三人並んで歩きながら、紋次郎がふと言葉をこぼす。

「しかしあの男……。名は聞いたが、どうにも只者じゃなさそうだったな。いったい何者だったんだ?」

 

 すると、貞子はきょとんとした顔で首をひねった。

  

「……武野殿、でしたか。失礼ながら、名は伺ったものの詳しくは存じ上げず……秋子殿は何かご存じでしょうか?」

 

 代わって、秋子がやや声を潜めて応じる。

 

「武野紹鴎――たしか堺の豪商で、茶の湯にも通じた文化人だと聞いています。京や幕府にも名が通っているとか」

 

「ほう。そんな大物が、あんな町角にひょっこり現れるもんなのか」

 

「まったくです。まさかあんな場所でお目にかかれるとは……京に来てから、驚くことばかりですよ」

 

 そう言いながら秋子は小さく息をついた。若干、紋次郎にも視線を寄せる。

 

「こうしてご一緒するようになってからというもの、想像もつかないことが次々と起きて……おかげで驚かされっぱなしです」

 

 紋次郎はにやりと口の端を上げる。

 

「ほう! ただの風まかせの道中ってつもりだったがね。もっとも驚きの種くらいは多少まいてきた覚えはあるが――」 

 などと軽口を叩きつつ、紋次郎の脳裏にいくつかの場面がよぎった。

 

 思い返せば、越後を出てからというもの、盗賊退治に侍の介抱、京の町でのひと芝居まで。まるで騒ぎが向こうから転がり込んでくるかのようだった。

 

 語れと請われれば語ったこともあった。たとえば三条西家にて夢物語を語ったあの日――実枝の真剣な眼差しはいまだ記憶に残っている。

 

 何の因果か、黙って歩くだけでは済まないのが、この道中の常らしい。

 

 蒔いた覚えのある種も、そうでない種も、勝手に芽を出して騒ぎを呼ぶ。どうやら、そういう道を選んでしまったようだ。

 もっとも、咲いた花が人の目を引くのなら、それもまた一興というものだろう。

 

「ふふっ。ですがわたしは退屈なんてしておりませんよ? 紋次郎さんの普段と違う一面が見られて……少し得した気分です」

 と、貞子がいった。

 

「へぇ、そいつはうれしいこったな。退屈させておらんようなら道連れ冥利に尽きるってもんさ」

 

「……確かに、退屈はしていませんね。驚かされてばかりですけれど」

 秋子は口調は控えめながらも、どこか楽しげだった。

 その視線の奥には、ただの道連れ以上の信頼が、ほんの少しだけ滲んでいた。そんな気がした。

 

「とはいえ、次はどんな種が芽を出すのか……今から少し、怖くもありますが」

 冗談めかして言いながら秋子は前を向く。その歩幅は自然と、紋次郎とそろっていた。

 

 風まかせの旅路にしては、ずいぶんと賑やかな朝だった。

 

 そのまましばらく歩を進めるうちに、通りの向こうに目指す屋敷が見えてきた。山吹の花が垣間見える垣根の向こう、門構えは古びてはいるが、不思議と荒れた印象はない。

 

「……あれか。どうやら、ついたようだな」

 紋次郎が足を止めると、秋子と貞子も立ち止まった。

 

 通りの向こうに見えるのは、ひときわ控えめな佇まいの屋敷だった。

 入り口からの飛び石は苔むしながらも、等間隔に並び、奥へとまっすぐ延びている。

 

 屋敷と呼ぶには、少々、こじんまりとしていた。

 ただ古いだけでは片付かない、どこか妙に整った装いだった。

 

 屋根は木の板を重ねた板葺きで、ところどころ雨に洗われて色が褪せている。戸の枠も整っており、むしろ静かな品があった。

 

 垣根こそ傾いて見えたが、枝ぶりはどこか整っていた。無造作に見えて、むしろ『そう見せている』気配がある。

 

 庭の草も伸びてはいたが、踏み跡を妨げるような雑草だけが、妙に避けられているようだった。

 

 踏み石の間に土がなじみすぎるほどなじんでいて、ただの古さでは済まされない風情がある。手入れを怠ったのではない。華やかさや見栄を初めから排し、静かに『見せる』構え。

 

 ――飾らんのか、飾れねぇのか……いや、わざとだな。ここまで徹してるとなると。

 

 茶の湯とやらは、こういう風情を好むのか。それとも紹鴎の趣味なのか。はたまた昨今の情勢が故か。

 

 見た目こそ古びているが、どこか妙に落ち着く。肩肘張らずに済む空気が、むしろ心地よく思えた。

 

 迎えの者に案内され、三人は屋敷の奥へと進んだ。

 

 通されたのは、思っていたよりも広めの一室だった。

 

 畳はところどころ日に焼け、壁も煤けてはいたが、座卓や水差し、掛け軸にいたるまで、余計な飾りのないしつらえがどこか整っていた。道具の置き方や間合いに乱れがなく、控えめながらも手が入っていることがわかる。

 

 だからこそ、薄い埃の匂いさえも気にならない。見た目の古びに反して、空気は妙に澄んでいた。

 

 座にはすでに三人の姿があった。

 

 ひとりは、この屋敷の主――武野紹鴎。

 

 昨日と同じ男とは思えぬほど装いが改まり、淡い色味の小袖に身を包んでいた。髪は丁寧に撫でつけられ、口元の髭もきっちりと整っている。背筋はまっすぐに伸び、動きには余計な揺らぎがない。

 

 秋子が語っていた通り、豪商にして茶の湯にも通じた文化人。その言葉を裏打ちするだけの気配が、所作の端々にあった。

 

「これはご足労をおかけしました。どうぞ、気楽にお座りくだされ」

 

 紹鴎が穏やかに迎えると、その隣にいた女性が、わずかに目を丸くした。

 

「……まあ。皆さまがお越しになるとは」

 驚きはすぐに柔らかな笑みへと変わる。

 三条西実枝――写本の件で幾度か言葉を交わした公家の女当主であった。

 

「おや、三条西殿のお知り合いでしたかな?」

 

「ええ、少々ご縁がございまして……。まさか、本日こちらに招かれていたとは存じ上げず」

 

 その言葉に、紹鴎の眉がわずかに動いた。

「ほう、それはまた。となれば、この方々が――」

 

「はい、写本を許した相手でございます」

 

「なるほど。……いや、面白い巡り合わせというべきか」

 

 紹鴎が微笑みとともに呟いたそのとき、座の端に控えていた人物が、ひとつ小さく喉を鳴らした。

 

 ただの客人とは思えない佇まい。気配を消していた女が、ようやく口を開く。

 

「まあ……茶の香りに誘われて、なかなか香ばしいご縁が集まりましたなあ。やはり茶の席とは油断なりませぬ」

 

 黒と桃を基調とした衣に身を包み、柔らかな金の髪が片目を隠している。控えめながら風変わりな意匠は、むしろ意図された静けさを纏わせていた。

 

 隙のない立ち居振る舞い。声の調子も、言葉の選び方も忘れようにも忘れられない。

 

 名乗りを待つまでもない。紋次郎には、すでに察しがついていた。

 声も、佇まいも、あの頃に見たまま。前世で遊んだ『あのゲーム』に登場していた女――間違いない。

 

 細川与一郎藤孝。通称を幽。

 足利家の懐刀にして、飄々と笑いながら剣を抜く食わせ者。腹の底を見せぬまま、笑いながら人を転がす。そんな手合いだった。

 

 ――まったく、どこまでが縁やら。こんな形で出くわすとはな。

 そんな紋次郎の思考をなぞるように、紹鴎がやわらかく声を継いだ。

 

「こちら、お茶の席をご一緒いただく客人のひとり。細川殿です」

 紹鴎の言葉に、幽はゆるやかに一礼した。

 

「某は細川与一郎幽藤孝。通称は幽と申します。影のように目立たぬのが取り柄でして、こうしてご注目いただくのは、かえって落ち着きませんなあ」

 

 幽の挨拶に続き、室内の視線が三人へと向けられる。

 秋子と貞子が、それぞれ簡素に名乗った。どちらも必要最低限、だが礼を欠かさぬ名乗りだった。そんな様子を見届けてから、紋次郎はひとつ喉を鳴らし、ゆるりと口を開く。

 

「某は越後よりまかり越した、おかめ丸紋次郎と申します。何か粗相がございましたら、どうぞ粗忽者の戯れ事と笑ってお流しくだされ」

 

 声にいくらか芝居がかった調子を混ぜたのは、言葉の座興というやつだ。こういう場では真面目ひとつでは場が痩せる。少々の冗談くらいは、茶の香の隠し味にもなるだろう。

 

「おかめ丸……ほう、また一風変わった御苗字で」

 

 幽もすぐに反応を返す。

 

「ええ、『おかめ』とは、どことなく福を呼び込みそうな響きですな。こうした雅な場には、実にお似合いで」

 

「誠にそうですな。……では、せっかくのご縁。かしこまらず、まずは一服、差し上げましょう」

 

 その声音に、肩肘張った構えが少しだけ緩む。作法に厳しい席かと覚悟していたが、その一言でずいぶんと楽になった。

 

「今日の席は、皆さまへの感謝と、ちと好奇心からのもの。作法など、堅苦しいことは抜きにしてよいのです。まずは一服、それで十分でしょう」

 

 客人たちが頷き合う気配のなか、茶が静かに運ばれていく。湯の音、茶筅の音――控えめな音が重なり、言葉のための間が自然に生まれていた。

 

 やがて、幽が首をかしげるようにして、こちらを見やる。

 

「そういえば先日、京の町で少しばかり話題になっておりましたな……なんでも質屋の店先で、若い侍が『がらくた茶碗』を名器に化かしたとか。あれは、こちらの御一行の仕業だったとか……?」

 

 からかうでもなく、興味を隠さぬ調子だった。

 紹鴎がくつろいだまま、静かにうなずく。

 

「ええ、まさしくその通りでございます。まったく、茶人の目をも唸らせるような見事な語りぶりでしたぞ」

 

 と、自然に視線がこちらに流れてくる。

 

「おかめ丸殿。先日は見事な見立てと申しますか……まさか、あのような侘び寂びの赴を心得ておられるとは、驚きでしたぞ」

 

 紹鴎はふと目を細めた。

 何か言葉を選んでいる気配があった。

 

「……いえ、風情と申されましたな。なるほど、そう受け取られたのも道理にございます」

 

 紹鴎の声音は柔らかだったが、言葉の綾を見逃さぬ目が、どこか奥にあった。風情と侘び寂び――似て非なる言葉をあえて区別したのは、さすがに茶の湯を極めた者らしい。

 

 堅苦しい指摘というより、素朴な言葉に込められた感覚を、文化人として丁寧に拾い上げた。そんな言い方だ。

 

 紹鴎の目が、ふと和らいだ。

 

「お若いのにしては、侘び寂びに通じた目をお持ちとは……これは、茶の湯に深く関わる者として、なんとも頼もしいことです」

 言葉を切ると、紹鴎はゆっくりと茶碗を手にした。

 

「見立てとは、見えるものの奥に、見えざるものを感じ取る目――そう心得ております。して、おかめ丸殿、貴殿はいかにしてあの器に侘び寂びを見たのか、少し聞かせていただけますかな?」

 

 声に棘や含みはない。単なる社交辞令ではなく、心からの興味。そう見て取れた。

 

 さて。これはまた、どう転がるか。

 

 誰に向けたとも知れない視線が、ぐるりと己に集まってくるのが、どうにも居心地が悪い。こうして問われると、なんだか自分が殊勝な目利きにでもなったような気がしてならない。

 

 実際のところ、あのとき茶碗を手にした紋次郎に、目利きの真似をするつもりなどなかった。ただ何かを言わなければ、あの場が持たなかったのだ。

 

 『村田珠光』の名と、『不完全を以て美とする』という言葉。

 昔、教科書の片隅で見かけたそんな断片が、ふと頭の中に浮かんだ。それが器の出来損ない具合と妙に重なって見えた。

 

 だからこそ、口が動いた。

 知った風の口調で、それらしいことを並べてみせた。まるで綱渡りだったが、結果として場は収まった。いや、正確には治めてもらったが正しい。

 

 少し間をおいてから、紋次郎は口を開いた。

 

「……あれは、理屈で見たわけじゃありません。だが理屈抜きじゃ通らない場だったんでね。言葉にするなら、あの器には『何かを成し遂げそこねた跡』が見えたんです」

 

 歪んだ口縁、焼きの浅さ、器にこびりついた釉薬の流れ。それらすべてが、どこか途中で手を離されたような、不完全さの痕跡だった。

 

「焼きも土も中途半端で、たしかに出来は悪い。だが……そこになりたかったものの影が見えた。そういうのを、侘び寂びと呼ぶのか風情と呼ぶのかは分かりませんがね」

 

 言ってみて、自分でも何を気取ったことを――と、少しだけ口元が緩んだ。

 

「人だってそうでしょう? 志半ばで止まったものほど、妙に記憶に残る。器も似たようなもんだと思ったんです。あの器にはなれなかった美しさがあった。それが、なんだかいじらしく見えた。で、つい、手を貸してやりたくなった。そういう話です」

 

 ぽつりと落ちた言葉は、湯の香に紛れるように静かに広がっていった。誰もすぐには返さない。ただ、その場に漂う温度だけが、ほんのわずかに変わっていく。

 

「……もっとも、あの場にいた子供の姿を見てたら、放っておくなんて無粋な真似はできなかった。それが背中を押したと言えば、それまでかもしれませんがね」

 

 思えば、理屈も美学もあとづけだった。どうしようもなく不器用な茶碗と、あの子供の懸命さが、ただ目に残っていた。

 

 そうして言葉が静かに着地すると、場にふわりとした沈黙が落ちた。だが、それは重苦しいものではない。

 

「……見事ですな」

 

 最初に声を発したのは紹鴎だった。目を伏せたまま、手の中の茶碗をしばし眺めるようにしてから、静かに呟く。

 

「なれなかった美しさとは、また……良き言葉でございますな。未完成のまま、時に置かれたものにこそ、深い趣がある。まさしく、あの器の在りようを言い当てておられる」

 

 目を細めた紹鴎は、静かに続ける。

 

「そして……その器に手を添えようと思われたのが、子供のためとは。いや、それもまた、茶の湯の心に通じるものですな。人のために湯を沸かす。かの村田珠光もそう申しておりました」

 

「私も……感じ入りましたわ」

 実枝が、ほうっと息を吐きながら言う。

 

「ええまさになれなかった美しさ、とは……ああ、ずるいですなあ。あれで名器と評された器も、いっそう誇らしげに見えることでしょう。まるで、自ら選んで道を外したかのように」

 

 幽はゆるやかに湯呑を手に取ったが、口をつけるでもなく、そのまま紋次郎を見た。

 

「お話を聞いていて、つい嫉妬してしまいましたよ。某なんぞ、言葉を尽くしても人の心に爪をかけるのが関の山ですが……あなたさまは、ぽつりと一言で人の芯を突いてしまわれる」

 

 わずかに笑みを含みながらも、その声音に漂うのは、率直な敬意だった。

 

「見事にございました。そう申して差し支えありますまい」

 

「ほぉ……幽殿が、ここまで率直に褒めるとは」

 実枝がくすりと笑いを含んで返す。

 

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