「ほぉ……幽殿が、ここまで率直に褒めるとは」
実枝の口調はどこか愉しげで、ついぞ聞けぬような冗談交じりの調子だった。
幽が肩をすくめて応じる。
「ええ、つい口が滑りまして。ですがあれほどの語り口を前にして黙っていては、逆に無粋でございましょう」
気障なようでいて、場を読む力は確かだ。そう思ううちに、柔らかだった空気がふっと落ち着いていった。
場が和みかけたそのとき、紹鴎が身を少し乗り出し、膝に置かれた手がゆっくりと組み直された。
「……おかめ丸殿」
その声に視線を向ければ、紹鴎のまなざしが、こちらに向けられていた。冗談でもなければ、客あしらいでもない。まなうらに隠しようのない静かな熱を感じる。
「もし、お時間が許すのであれば、私の下で茶の湯を学んでみる気はないか?」
すぐ隣、実枝が息を呑んだ気配がした。視線を向けると、膝の上で手をそっと重ねる仕草が目に入った。喜びとも、戸惑いともつかぬような――そんな風に、紋次郎には映った。
紋次郎としても、さすがに虚を突かれた。目の前で扇子でも開かれたかのように、空気が一気に変わった気がした。
幽が目を細め、話に加わる。
「これはまた希有なお話で。紹鴎さまが御弟子を取るなど年に一度、あるかどうか。茶碗が空を飛ぶ方が、まだ現実味がございますな」
口調は軽いが言葉の裏にはしっかりとした驚きが見て取れた。冗談に包んでいるだけで、本気で意外だったのだろう。
「……それほどの話とは思いませんでしたが」
それでも口元に浮かんだのは苦笑だった。驚いたとはいえ、慌てふためくほどではない。こういうときは、少しとぼけて返すに限る。
だが、紹鴎の眼差しに揺れはない。紋次郎の反応すら、あらかじめ織り込み済みのようだった。
「ご無理を承知で申し上げております。されど昨日の質屋での一件、そして今の語り口。言葉を飾らず、ただ“人の心に手を差し伸べる”その在りようは、まさしく茶の湯の心に通ずると感じました」
ただの賛辞ではない。本気で見込んでいる。そういう人間の目だった。
幽が茶碗を軽く持ち上げる。
何気ない仕草に見せかけて、会話の流れを誘導する手つきは見事だった。
「いやはや……これはまた、紹鴎さまもずいぶんと風通しのよいご判断で。お聞きしておりますよ? これまで弟子入りを願う方は多くとも、その門はなかなか開かれなかったとか」
軽く紋次郎に視線を流し、ことさらに冗談めかして言葉を添える。
「それがこうして、思いがけぬご縁にていかがですかとお誘いなさるとは……。茶の湯の道というのは、何とも移ろいやすいものでございますなあ」
皮肉に聞こえそうな言い回しだったが、その口ぶりは柔らかく、敵意のかけらもない。
ただ、そこに続いた言葉は少しばかり重みがあった。
「とは申せ、これまで断ってこられた数々のお顔もございますし……すぐさま弟子入りというのも、さすがに角が立ちましょう。いっそ、まずはお試しをという形ではいかがでしょうか。紋次郎さまが本当に茶の道にご縁ある方か――それを見定めるひと口味見、ということで」
言い方こそ婉曲だったが、言わんとすることは明白だった。
――つまりは、試験を通して間口を開くってわけか。確かに、他の門を叩いて跳ね返された連中にしてみれば、いきなり弟子入りなどと聞けば、面白くはあるまい。
紹鴎も静かに頷いていた。
まるで、それこそが最初からの着地点であったかのように。
口には出さずとも、納得している様子が見て取れた。
紋次郎としても、妙にすんなり腹に落ちる。
――特別扱いは御免こうむりたいところだしな。これくらいが、ちょうどいい。
幽が、また合いの手を入れるように微笑む。
「何かと特別扱いと申しますと、世の中では羨ましがられることも多いようですが……実際のところ、針のむしろでございますからな。下手をすれば、お茶ではなく人の妬みに煮られてしまいましょう」
笑い混じりの軽口。だが、紋次郎にはそれが本質を突いていると感じられた。あれは人の腹をよく見ている。
「お試しという形でしたら、これまで門を叩かれた方々にも顔向けできますし、紹鴎さまのお立場にも適った流れでございましょうな」
紹鴎のまなざしが、改めて紋次郎へと向けられる。
「道理であるな……。どうです、おかめ丸殿。弟子入りという形ではなく、ひとまず試しとして。それならば、少しは肩の力も抜けましょう?」
その問いかけに、紋次郎はひとつ息を吐き、顎をかすかに引いた。
「ええ。そいつは……悪くない提案ですね。そうと決まれば、試される側としても妙な気負いがいりません。いつもの調子で通らせてもらいましょう」
それを聞いた紹鴎は、どこか満足げに目を細めた。
「結構。では、追って試しの内容をお伝えいたしましょう。何、難しいものではありません。心が宿るかどうか、ほんのささやかな問いかけです」
静かに流れる湯の香とともに、話はひとまずそこに落ち着いていった。
***
武野紹鴎の屋敷で「弟子入りの試験」が行われることが決まった。正式な日取りこそ追ってとなったが、あの場の言葉で、流れはもう決まっていた。
紹鴎の語りに虚飾はなく、試すという建て付けも理に適っている。あれならば、差し出された手を無下にせずに済むし、特別扱いの謗りも避けられる。紋次郎にしてみれば、悪くない塩梅だった。
屋敷を後にして、三人は京の街路を歩いていた。風が軽く吹き抜け、昼過ぎの空を仰ぐと、どこか景色まで澄んで見える気がした。
「……またやってくれましたね、紋次郎さん。毎度、想像のはるか上をいくんですから……!」
口火を切ったのは秋子だった。抑えた声ながら、胸の内から湧き立つものが、言葉の端々に滲んでいた。
「武野さまから、あのように直々に声をかけられるなんて……そうそうあることではありません。しかも茶を学ばぬかだなんて……どれほどの方が門を叩いて、叶わなかったことか」
そのまなざしはまっすぐだった。人の才を素直に喜べる、そういう質なのだろう。
続いて、貞子がすっと紋次郎の横へ歩を寄せ、やや声を潜めて言った。
「……武野さまがああして声をかけてくださったのを見て、改めて、紋次郎さんのすごさを思い知らされました」
言葉は丁寧だったが、そこにあったのは飾り気のない実直な想いだ。取り繕うわけでも、持ち上げようという下心でもなく、感じたままを吐き出しているだけ。――それだけに、妙に背筋が伸びる。
おだてに弱い自覚はあるが、こうも真っ直ぐ言われてしまえば、苦笑いの一つも漏れるというものだ。
――ほんとに、おだての上手い連中だな。
だが、悪い気はしない。謙遜するのも水を差すだけだ。どうせなら乗っておいた方が場もやわらぐ。
「ま、たまたま茶碗の欠けが俺の口に合ったってだけの話よ。なに、試されるうちが花ってやつさ」
肩を軽くすくめると、秋子と貞子が顔を見合わせて、小さく笑った。
***
知らせは三日後に届いた。
試験は武野紹鴎の屋敷にて行われるという。
文にはただ「庭を整えていただきたく候」とあった。
道具も用意してあるというから、要は掃除らしい。
だが、実際に案内された庭を目にして、紋次郎は眉を寄せた。
以前訪れたときには、まだ余地があった。
傾いだ垣根に、わずかに乱れた枝ぶり。草も、露地の踏み跡だけを避けるように伸びていて、無造作に見せかけた作為が、かえって柔らかな風情を添えていた。
踏み石と土とのなじみも極まりすぎていて、ただ古びているだけでは出ない見せるための風情が、そこには確かにあった。
そのゆらぎが構えすぎぬ静けさを宿していたのだ。
緊張のない呼吸。見せる美ではなく、在る美というものだろう。
だが、今や、それらはすっかり片づけられていた。
垣根はぴたりと直線を描き、枝ぶりも寸分の狂いなく剪られている。
草は根こそぎ刈り払われ、踏み石には水気ひとつ残っていない。
奥の林に至るまで、隅々まで掃き清められ――葉の一枚すら、乱れを許されていないかのような沈黙が張りつめていた。
あのとき感じたゆらぎは跡形もなく、今あるのは潔癖を越えた清浄さだった。
美しい。だが、それは人を遠ざけるために置かれた仮面のような美しさだった。
――掃除、ねえ……。
どこをどう整えろというのか。あまりにも隙がなさすぎる。
これ以上、何を足せというのだろう。露地から見渡せる景色には一切のゆらぎがない。
庭というより、舞台だ。
箒の跡すら芸に見えるほどの作為。清らかさの向こうに、妙なよそよそしさがある。
ふと、背後で幽がぼそりと漏らした。
「……掃除とは申せ、何を手に取ればよいのやら、ですな」
実枝も、目を細めて庭を見渡す。
「まさか、この庭に手を入れるとは……」
秋子も、貞子も、言葉はなかった。ただ、揃って紋次郎に視線を向けてくる。
――さて、これは困ったな。
何もせず戻るのも無作法だが、あまりに触れすぎれば無粋の謗りを受ける。
要は、手並みではなく、風情を見ているのだろう。
紋次郎はゆっくり庭を回り、やがて奥の林へと歩を進めた。
風が枝を揺らすほどでもない。だが一本だけ目についた木に手を伸ばしてみた。指先で軽く幹を押し、試すように力を加える。
さらり。さらり。
葉が幾数枚、枝から離れ、空をかすめるように舞い落ちた。日差しを受けて、淡い影が地面に揺れる。
――ああ、これだ。
葉は露地の上に、点々と不規則に模様を描いた。もとより何も足さず、ただ庭に風を入れるような所作。均された美の中に、わずかな不揃いがひとつ加わっただけで、空気に柔らかなうねりが生まれた。
しばらくそれを見つめてから、紋次郎は静かに振り返った。
「……謹んで、頼まれたことは果たしました」
庭を一望する縁側には、紹鴎が座していた。その傍らには、実枝と幽、そして秋子と貞子も並ぶように控えている。
紋次郎は正面へ戻り、きちんと座して口を開いた。
「整いすぎた庭というのは、どこか寂しゅうございますな。侘びの心というのは、欠けた茶碗にこそ宿るもの。故に落ち葉の一枚もなければ、風が通りません」
言いながら、自分でも苦笑した。
我流の真似事だが、それでも言うだけの手応えはあった。
紹鴎の眼差しが深くなった。やがて、ふっと唇が緩み、ひとつ頷いた。
「……お見事」
それは、わずか一言だったが、確かな賞賛だった。
すぐ横で、実枝が手を合わせるようにして小さく頷き、幽は扇子を静かに開いて口元を覆った。
「いやはや……やりますな、おかめ丸殿」
どこか心底、愉しんでいるような声音だった。
「さて……武野さま。合格か否か、尋ねるのも無粋ではございますが――」
と、そこまで言って小さく首を振る。
「……いえ。これはもう、問うまでもないことでございましたな」
まるで出来のよい芝居を見届けたあとのような口ぶりだが、そのまなざしは冴え渡っていた。
紹鴎が、ゆっくりと頷いた。
「申し分ない。あれだけで、十分に心得は伝わった。合格といたそう」
判を押すような口ぶりだった。
「改めて申すが……もし許されるならば、おかめ丸殿、君を弟子として迎えたい。茶の湯というのは、技でなく、人の芯を磨く道。今の君には、その資質があると私は見る」
静かな言葉だが、込められた熱は隠しようもない。冗談で誘っているのでないことは明らかだった。
だが、紋次郎はゆるりと口を開く。
「ありがたいお話ですが……越後に帰らねばならぬ事情があるのです。京には、そう長くは留まれません」
紹鴎は、しばし目を伏せる。だが、次に顔を上げたときには、ふっと笑みをたたえていた。
「…………そうだろうと思っていたよ」
惜しむそぶりはあっても、それ以上の言葉を重ねることはなかった。ただ、納得と惜別をたたえたそのまなざしが、紋次郎の返答を受け入れていた。
「だが、私の庵はいつでも開いている。もし再びこの京へ立ち寄ることがあれば、遠慮なく訪ねてくれ。君のような感性を持つ人間との縁を、こちらから断つなど、実にもったいないことだからな」
こうして惜しんでもらえるのは、悪くない。むしろ、過分なほどの言葉に背を押されるような気さえする。
「ありがたく、胸にとどめておきます」
そう言って、深く頭を下げると、その脇から幽が身を乗り出すように声をかけてきた。
「では、せめて私ともひとつ、細く長いご縁など繋がせていただけませんか? おかめ丸殿」
口調は柔らかだったが、そこにからかうような響きはなかった。
「先ほどのご所作、なかなか心惹かれました。過ぎた清らかさに、あえて落葉をひとひら。あれを掃除と見せて、侘びを添えるとは……ふふ、実に興味深い手並みでございましたな。語ってよし、見抜いてよし。……なんとも興味深いお方ですな」
言い回しには飾り気があったが、内容は実に理の通ったもので――要するに、目をつけられたということだ。
紋次郎は一瞬だけ思案し、それから応じた。
「恐れ入ります。そのお言葉、ありがたく受け取らせていただきます。いずれまたお目にかかる機会があれば、そのときは、こちらからご挨拶に上がるとしましょう」
調子を合わせたつもりはない。ただ、こういう縁は軽んじるべきではないと、心のどこかで思っただけだった。
幽がわずかに目を細め、満足そうに一度だけ頷く。
「ふむ、心得ました。それではそのとき、茶の用意をしてお待ちしておりますよ」
り、利休ちゃんの逸話ががが、、