慶次郎は山奥の村に辿り着いた。迷ったのではない。道なりに進んでいたら辿り着いたのである。
そこは山の谷間を左右に切り拓いた辺鄙な村である。聚落と呼べるような大きな集落はなく、百軒ほどの家が寄り集まっているだけだけだった。
緑の生えた茅葺き屋根が点在し、山の輪郭とよく重なった。子供のように頭を出した稲穂の群れが一面に広がり、あぜ道で子どもたちの駆け回る姿があった。
「いい所だ」
慶次郎の言葉通り、空気も水も澄んでいる。何れはこんな所にひっそりと隠れるようにして住むのも良いかもしれないと思った。
「あの寺の住職小坊主共に決まってるべ……」
「んだんだ。おら達見てくすくす笑いおるに。ありゃあ知ってる笑いだべ」
「家族におまんま食わせていかなきゃいかんのに。どうしたらいいんだ……」
民家の前を通る度に村人達が口々にそんなことを言った。慶次郎は黙って聞いているだけだが井戸端会議の内容はとても興味を唆った。
――何やら面白い話しをしているねえ。
邪魔する気はなかったがついに欲に負けてしまい、たむろしている村人たちに近寄った。
「お、おおおお役人様で!?」
「いやいや。オレは旅の浪人おかめ丸紋次郎。それよりもなんだか興味深い話してるではないか。聞かせてくれよ」
村人たちは目を丸くした。ちなみにおかめ丸は慶次郎の偽名である。通称おかめ丸紋次郎だ。
「どうする?」
「まあ、いいんでねえか」
「あまり面白くない話だけんどな」
+++
事の発端は新たに赴任した僧にあった。
辺鄙な村には寺がなく、隔週で近辺の林泉寺から住職小坊主が訪れては村を周り仏の何たるかを説くという。
しかしあるときからその僧の教えに違和感を抱きはじめた。
この村の前任者は天室光育という名僧であった。彼は仏の教えを知悉しており、その彼と比べ、その僧の仏の教えに随分と齟齬があったそうなのだ。
ずさんな仏の教えを説く僧に対し、やがて住民たちは不信感を抱きはじめ、耳を貸さなくなった。すると住民たちの態度に立腹した僧は仏の怒りがあるだの何だのと言い出しはじめたという。
当初は信じていなかった村人たちであったが次第に身の回りでおかしなことが起こりはじめる。
「枕元に隠してあった簪が突然無くなっちまったんだよ!」
「銭が、銭が全部きえちまっただよ……」
「へえ」
慶次郎は最初自分たちの管理不行き届けではないかと思った。大切なものならば自分しか分からない所に隠して然るべきであるが、彼らが主張するにはしっかりとした隠し場所があったようだ。
簪は枕元にある板敷の下に保管しており、銭は肥壺に見せかけた壺の中に隠していたのである。他の住民も日々を生きるための糧が忽然と消えてしまったという。
そうして何の脈絡なく起こり始めた異変が仏罰であると信じ、恐れ、訪れる僧たちの話にしっかり耳を傾けるようになったそうだ。
それでも日に日に消えていく物品や食料。あまり実りがない土地柄なので住民たちに更なる貧窮が迫ることに。
あるとき住民のひとりが盗人を捕らえた。作物を懐にしまい、逃走しようとしたところであったそうだ。下手人は仏の教えを説いたそうに付き従っていた小坊主であった。
小坊主を囲み、話を聞くと僧から命令された事だと涙ながら口にした。さらに住民たちからあれこれ物を盗んでいたとも白状した。
その証拠に小坊主は住民のひとりが家宝として大切にしていた簪を差し出す。
住民たちは訪れていた僧に対し、これはどう言うことなのかと詰問した。
『寺の小坊主たちへ、仏の教えではなく盗みの教えを説いていたのか』
『ほ、仏に仕えるものが盗みを働くことはありえない。我らが林泉寺は為景公の庇護を受けた由緒ある寺なるぞ。出任せを申すな、それは為景公の敵となると同義であるぞ!』と激昂したそうである。
林泉寺は長尾家に縁のある寺であった。難癖つけて殺されてしまっては堪らないと住民達は急ぎ謝罪したそうだ。
そうして今に至る。一連のやり取りにより異変には仏様ではなく住職たちが関与しているであろうことは周知の事実となった。それから井戸端会議を開催しては鬱憤をどう晴らすべきか考えていたようだ。
「はーん、なるほど、ひでえ話だ」
その住職は激昂している時点で黒だろう。まごう事なき確信犯だ。虎の威を借る狐共め。何と見下げ果てた奴らか。仮にも仏に仕える者たちならば民を救ってみせて然るべきだろう。
聞けばその住職、名を公庵といい、細身で吊り上がった目をし、口元に大きな黒子があるという。
──ちっとばかし懲らしめてやるかね。
そう心に決めたものの、如何せん相手が悪い。下手に手を出せばこちらが罪に問われかねないのだ。そこでまずは下調べから始めた。
この寺では僧侶たちが交代で夜の番を務めている。そしてその当番表を入手したところ、なんと件の公庵の名はあった。近日中に夜の番が回ってくるはずだろう。そこで公庵を仕留められる。
だが油断はできない。なにせ相手は為景公の庇護受けている。念のため公庵の私室を確認しておこうと思ったのだが、これがなかなか上手くいかなかった。
なにせ夜中の十二時を過ぎても本堂の方からは灯りが漏れているからだ。恐らく寝ずに読経でもしているのだろう。これでは中に入れても物音でバレてしまいそうだ。
しかし諦めるわけにもいかない。慶次郎は朝まで張り込むことにした。
そして翌朝、ようやく姿を現した公庵は寺の一室から出て来た。あそこが公庵の私室らしい。これだけ分かれば充分だろう。
夜になるのを待ってからコッソリと公庵の私室に忍び込んだ。今夜の夜の番は公庵ではない。戸棚を開けてみると綺麗な簪や壺一杯に入る銭が目に入った。
──ふんっ、こいつぁ貰っておくか。
それから文机の上に日記を見つけた。悪いとは思ったが中を開いてみる。するとそこには悪行の数々が書き連ねられていた。やはりこいつは悪党だったのだようだ。
慶次郎は翌日、またその寺に出向いた。
林泉寺の黒塗りの門扉は立派だ。門には『林泉寺』と墨書された扁額が掲げられている。慶次郎がこれ迄に泊まらせて頂いたどの寺よりも荘厳であった。
為景公の庇護を受けていることは事実である。しかしだからといって村人たちへ仕打ちは許せるものではない。
「たのもー、たのもー」
山門扉の前で声を大にして叫ぶ。山門脇の通用口から僧が出て来て出迎えた。
「はいはい、何か御用でございますか」
細身で目の吊り上がった法衣袈裟を着込む男である。口元には大きな黒子があった。件の僧かもしれない。
「おお突然すまない、オレは旅の浪人、全国行脚旅をしているおかめ丸紋次郎という。実は今夜宿がないので泊めていただきたいのだ」
「そうですか。拙僧は公庵と申します。我が林泉寺は来るもの拒まず、去るもの追わずを信条にしています。どうぞお入りくだされ」
やはり彼が公庵で確定だ。
「おおそうか、助かるぞ。貴殿は話の分かるお方のようだ」
僧は軽く会釈をした。
「ここに来るまで幾つか寺に寄ったのだがどこもかしこもこの身なりを見て拒否をするのだ」
「そうでしたか。たしかに些か、かぶいて、もとい、派手に見えますからな」
公庵は上から下まで一瞥した。慶次郎の格好は一風変わっている。
黒い髪を後ろに撫でつけ、胸元が見えるほど衣服を着崩し、腰には虎模様の腰巻きと瓢箪をつり下げている。一見するとこの時代の装いにしては派手であった。
「はっはー。どうだろう公庵殿、ここに酒があるのだが今から如何か?」
「いえ。私は御仏に仕える身なれば酒は嗜みません」
「なに、貴方のような徳ある僧を仏様は見逃してくれるだろうよ」
「はぁ。…………そうでしょうか」
「おうとも! きっと見逃してくれるに違いないさ」
「………」
「某のような者を泊めてくれるのだ。オレが保障する。そら、やるぞやるぞ、部屋に案内せい」
「……わ、分かりました」
チョロいもんだ。
慶次郎はほくそ笑んだ。意思も弱いようで、見た目からして小物臭がぷんぷんする。
案内された一室は畳の部屋で、障子があり、部屋の隅には火鉢がある。日当たりが良いようで格子の窓から陽の光が差し込んでいる。
慶次郎は部屋の片隅に碁盤が置かれている事に気づき「折角だから碁を打ちながら飲みたい」と願い出た。
公庵は二つ返事で快諾した。
瓢箪と徳利を用意し、酒を満たして、さてと云う時になって慶次郎は更なる提案をした。
「なあ公庵殿。ただ指しているだけではつまらん。どうだろう負けたらしっぺをしようではありませんか」
「うむ。たしかに。やりましょうか」
「やろう。負けた方は鼻を出すことにしましょうかね」
二人はたちまち大童になった。二刻(四時間)ほども経った頃である。
慶次郎が俄かに頓狂な声を上げた。
「あっ! しまった!」
あわてて碁盤を見つめたがもう勝負はついていた。慶次郎がわざと負けてやったのだ。
「おっと。オレの負けだ。さあ、公庵殿やってくだされ」
自分の鼻にシッペするように促した。
「ははは。無理ですな紋次郎殿、私は未だ修行中の身。人を傷つけることはできんのだ」
そう言って公庵は固辞した。その態度言葉に慶次郎は内心憤る。
――なにを言うこの野郎め。人心は簡単に傷つける癖して、何が人を傷つけることはできないだ。二枚舌野郎め!
「おお。流石は公庵殿でございますな! ですが約束は約束。さあオレにシッペを!」
「いえいえ遠慮しておきます」
「何をおっしゃいますか。武士に二言はないでしょう」
「いや、私は武士ではありませんから……」
慶次郎のしつこさに根負けしたように、やっと公庵は慶次郎の鼻に手を当てた。
「さあやっておくれ、な?」
ぺしっ。渋々だったが公庵は軽く小突く。
「これでいいですね」
だが慶次郎は大仰に顔をしかめて見せた。
「なんですかこれは? 蚊でも叩いたようなものではないですか。これでは勝負しがいありませんよ。もう一回やって下さい」
「ええ……」
明らかに迷惑そうな表情になった。
「さぁ、どうぞどうぞ」
「はぁ……仕方ありませんね」
今度こそ公庵は強めにしっぺをすると、慶次郎は満足気に頷いた。
「では続きをやりますかな」
公庵は赤い顔で頷いた。酔いがかなり回って来ているようだ。
続く二戦目の途中、慶次郎はふいに話を降った。
「そう言えば公庵殿、御本堂の仏さまをご覧になったことはありますかな」
「ええ。それは勿論何度もね」
「ほう。詳しく聞きたいね、仏様はどんなお姿だったんです?」
「それはもう大変ご立派でございました。御仏の身体に散りばめられる黄金はまるで後光が差しているかのような神々しさがありましたから」
「それは凄い、それでその仏様、服は着ていたのですかな?」
「ははは、紋次郎殿、これは異な事をおっしゃりますな。何処の御仏さまが服を着てらっしゃるので」
「おお、たしかにそうでしたな。……うむ、よし、オレの勝ちだ」
「ああ負けてしまった。では紋次郎殿、どうぞ」
公庵は鼻をつんと前のめりに出す。
しかし慶次郎は「待ってくれと」と言った。顎に手を当てて考える素振りを作る。
「公庵殿、果たしてオレは仏に仕える僧をぶっていいものか不安になって来たぞ。なんと恐れ多いことなのだろうか」
「なにをおっしゃる。私は未だ修行中の身なればしっぺをしていただいても問題はない。それに不公平ではないか、遠慮なくやるといい」
「ほう! 遠慮なくとな。あい分かった、このおかめ丸紋次郎、全力を賭してしっぺさせていただく」
慶次郎は見せつけるように拳をぎゅうと固く握り締めて掌の肉に爪を立てる。
「え? あのそれ違、ぐわばらっっ!??」
バゴォッ!!!
風を切る鉄拳が公庵の顔面に直撃した。あまりの衝撃に公庵はふっ飛んだ。
「おお良い吹っ飛び具合だ。すまんな、遠慮なくと言うのでな、全力を出させてもらった」
公庵は鼻から夥しい血を流し伸びてしまっていた。彼の耳には何一つ言葉は届いていないようであった。
「やや公庵殿、どうして服を着ているんだ。御仏様は服を来ていないそうじゃないか。御仏様が衣服を着込んでいないのに仕える貴方が服を着ているようでは格好がつかないぞ。どれ脱がしてしんぜよう」
わざとらしく芝居がかった口調で公庵の法衣袈裟を剥ぐ。剥いだ衣服はたたんで懐にしまった。どうせだから売って銭へ換えるつもりである。公庵はどの道、飲酒してしまったので破門は間違いない。もう彼に法衣袈裟は必要ないだろう。
いい気味だ。部屋中を漁り始め、目ぼしい物品を拝借していく。
「はっはー、さらばだ悪僧公庵」
ついでに公庵は部屋の外にある木に縛りつけておいた。
続いて慶次郎は公庵の法衣袈裟を着込み、小坊主共が修行している境内へ向かった。
小坊主共は落ち葉を掃きながら境内にてたむろしている。
そこに堂々とした足取りで法衣袈裟を着込む巨漢が現れた。慶次郎である。なまじコソコソ臆すことのない足取りなもので、小坊主共は僧たちのいずれかの関係者かと勘違いした。
小坊主共は怪訝な視線をぶつけてくる。
「貴殿らが公庵殿から指導を受けている小坊主共か」
「い、いえ、その者らはあちらでございます」
竹箒を持った小坊主はたむろしている彼等へ目を移動させた。
礼を述べ、慶次郎は彼等の元に近寄る。
「初めまして。拙僧はおかめ丸。公庵殿の実弟である。公庵殿が体調不良故、今日の修行は拙僧が持つ故、さあ参るぞ」
「お待ちください。修行とは何のことです?」
「修行は修行だ。そうだな、秘密の鍛錬とでも言っておこうか」
にやりと慶次郎は口角をあげる。これで察してくれると助かるんだが。
「秘密の、ですか?」
「中々に察しの悪い。村のこと、と言えば分かるだろう」
「!」
漸く察したようである。
彼等を連れて御本堂へと移動した。
「村に行くのではないのですか?」
「その前に貴殿らには修行が必要である。座禅を組むのだ」
「はあ」
小坊主たちは言われた通り座禅を組んだ。
御本堂の隅に置かれていた警策を手にし、ひとり一人の肩に触れていく。
如何せんやり方が分からないのでほぼほぼ適当である。
小坊主どもは微動だにせず、目を瞑り手を組んでいる。
慶次郎は仮にもここでは住職であるので、住職として振る舞い彼なりの人生観を説いた。
やがて慶次郎は「ときにあの村である噂が流れている事はご存知か」と静かに告げた。
「何でもある寺の僧や小坊主どもがやってきては住民たちへ悪さをしているらしい」
びくり。小坊主の身体が少しだけ揺れ動く。警策を当てた。
「仏の名を借りては民の物を我が物しているそうな」
家宝であるという大切な簪。
家族を養うための銭。
その悉くを奪い我が物とせんとする行為を慶次郎は「仏に仕える者として許せざる行為であり賊と変わらん」と言い切った。
「知ってるかい。家宝であった簪を奪われた娘は嫁入りが立ち消えたそうだ。そのせいであらぬ噂を立てられ石女と蔑まれているのだというぞ」
「まだあるぞ。銭を盗まれた者は家族が養えずして乳飲み子が死んだそうだ。あってはならんことよ、オレは目の前でそれを見た。命の灯火が消える瞬間をな!」
すべて即興で作った嘘である。
慶次郎は良心の呵責を攻めた。ほどなく小坊主のひとりが滂沱の涙を流し出した。
「心が揺れているぞ。どうしたのだ、その方らがやったわけではないだろう」
小坊主共の肩は揺れ動いていた。呼吸が少し乱れはじめている。
「我が愚弟は為景公の庇護を盾にこの件を揉み消そうとしたそうだ。果たしてこの人道外れた行為を為景公は赦してくださるのか」
良くて追放だろうが下克上の代名詞である彼のことだ。処刑ないし酷ければ一族連座で処刑かもしれない。
「人は死せると極楽浄土に行くと言う。その方らは果たして逝けるのだろうか。オレとしちゃあ仏の名を盾に悪さをする者を極楽浄土へ導こうとは到底思えんね」
再び小坊主共の肩を警策で触れる。
「いいか小坊主ども、仏の顔も三度までだ。覚えがあるのなら下を向け」
小坊主共は一斉に下を向いた。
「喝っ!!!」
+++
ある村人が畑仕事に出ようとすると家の前に壺が置かれている事に気がつく。
見覚えのある壺であった。不審に思いながらも近寄ると中身は銭で埋め尽くされていた。
それは奪われたはずの、彼が家族を養うための銭であったのだ──。
「源蔵! おっかあの簪もあるべ!」