慶次郎は路銀が心許ないので切実に食い扶持を稼がねばならなかった。下手すればこのままだと餓死しかねない。転生してからの死因=餓死は避けたいところであった。
そこで手っ取り早く銭になる仕事を探した。幸い春日山の城下町には様々な職がある。金さえ払えば何でもやってくれる便利屋のような商売から荒事専門のヤクザまがいのものまで多様だった。
賑わいを見せている春日山城下町の店々を転々とし、雇ってくれそうな店を探していると黒山のように集まっている人混みが目に止まった。
背の高い慶次郎は人混みの頭上から立札を覗き込む。
『腕ある者求む、我こそはと思わん者は機会を与ゑん。長尾家に尽くすもののふきたれ』とある。どうやら兵士を募集しているらしい。しかも越後でも有力な御家のひとつ長尾である。
――なるほどな。これはいいかもしれん。
立札の下には大きな木板があり、その脇で女性が声高らかに口上を述べていた。
原作キャラのひとり、柿崎景家。通称は柘榴であった。
「この度、春日山城主、長尾為景さまよりお呼びがかかったっス。これは大出世であるっスよ! なんたって武士ならば誰もが憧れる長尾家の足軽として召し抱えられるっスから!」
集まった群衆の中からどよめきが起こり、やがてそれは喚声に変わった。中には涙を流して喜んでいる者もいる。どうやら彼女はかなりの名士らしい。
「さあ、まだ間に合うっス! 今すぐ城へ出向き、登城を申し出た方がいいっスよー!」
彼女がそう言うと群集の中の一人が進み出て叫んだ。
「儂も行くぞー! 必ず召されに行くぞ〜!」
男は狂ったように叫びながら駆け出した。他の男たちもそれを追うようにして走り出す。その男はちらりと振り返り、後続の様子を確認するような素振りを見せた後で、浪人たちを引き連れ、往来の奥に砂塵と共に消えて行った。
「待てい! 俺だって行くんだ!」
「わしだ! わしが一番乗りじゃ!」
たちまちあたりは修羅場となった。男同士が掴み合い、殴りあい、果ては刀を抜いて斬り合ったりしている。
慶次郎はその騒ぎの中で一人平然と立っていた。別に怖気づいたわけではない。むしろ面白そうだと思ったくらいだがこんなところで喧嘩しても意味がない。まして相手を殺してしまっても益はなかった。
なによりあの柿崎景家が気になる。一歩離れた位置で意味ありげに視線を張り巡らせているようで――――いやそんなことはなかった。慶次郎の勘違いであったようだ。彼女はこんなはずじゃ無かったとでも言いたいような表情をしている。心なしか冷や汗をかいているようだ。
すると騒ぎを聞きつけたのか、眼鏡をかけた女性が兵士たちを引き連れ、詰所からやって来た。
「何の騒ぎ」
「あぁん? 何だぁてめえ!」
浪人の一人が殴りかかろうとした。眼鏡の女性は紙一重で躱すと、首筋に刀の鞘を叩きつけて卒倒させる。
――おお、鮮やか!
「引っ立てて」
「はっ」
彼女も原作キャラのひとり、名を甘粕景持という。通称は松葉。慶次郎が彼女に気を取られているうち、いつの間にやらあの柿崎景家は音もなくその場を立ち去っていた。
残るのは乱闘騒ぎとなった往来だけである。騒ぎの元凶である浪人たちは次々と捕縛され、連行されていった。
慶次郎はそっとその場を離れた。刀を帯刀している以上、下手な騒ぎに巻き込まれる前に逃げるのが一番だと思ったのだ。乱闘の場を離れれば離れるほど人影は少なくなってゆく。ようやく人気のない裏路地に入ると春日山の方角へ歩き出した。
幸いにも春日山へはこの道からでも繋がっている。半刻(一時間)ほど歩いたろうか。
民家の陰に女性がうずくまっていた。服が乱れており、大きく肩で息をしている。
「おい、大丈夫か?」
慶次郎が声をかけた。女性は顔を上げた。まだ若い女性だ。
「み、みぃ、……ずぅを……」
何か言おうとしたが言葉にならないらしい。
「飲むか?」
瓢箪を差し出す。女性はこっくりと肯くと、ひったくるようにして奪い取った。そのままごくごくと飲み干す。よっぽど渇いていたに違いない。
もう一杯欲しいという仕草をした時、慶次郎は新しい瓢箪を取り出して渡してやった。それもすぐに空になった。最後の一滴まで飲み干した後、こちらを見上げた。
「た、助かりました……」
やっとまともに喋れるようになったらしく、ほっとした表情を浮かべていた。
「一体、何があったんだ」
「そ、それが……」
聞けば、浪人に襲われたそうである。乱闘騒ぎの件だろう。春日山を目指して駆け出していたはずだが、そのうちのひとりが、魔が差して襲ったようである。
彼女は見目が麗しかった。そのため浪人に狙いをつけられてしまった。路地裏に引き摺り込まれ矢先、例の詰所の兵たちがたまたま警邏に来て、相手が手を離したため何とか難を逃れることができたものの、危うく恐怖で失神しそうなところを必死になって堪えたという。その後は呼吸も無視して全速力でその場から逃走したそうだ。
「何というか。凄まじいなあ」
慶次郎は感心してしまった。この女性には気概がある。意志の力で踏み止まらせるとは大したものだ。さすがは原作キャラというべきか。その気概は途轍もないものに思える。
まだ少女特有のあどけなさが残る彼女はおそらく十八歳ぐらいだろう。細い身体つきに白い肌の色が印象的だ。しかもかなりの美人である。
だがそれだけにさっきのような行為を受けたショックが大きかったのかも知れない。
しばらく呆けたようになっていたが、やがて我に返ると慌てて立ち上がろうとして慶次郎の胸に倒れ込んだ。
「ぁ、す、すいません。足が痺れたみたいで……」
見上げる顔は困惑の色が浮かんで見える。言い訳しながら立とうとするが立てない。相当長い間しゃがみ込んでいたのだろう。
「どれ、見せてみろ」
慶次郎は自分の胸の上にいる彼女を片手で支えて立たせた。もう一方の手で足首を握ってみる。腫れ上がって熱を持っていた。これでは歩けない筈である。
「痛むか」
彼女が顔をしかめたので訊いてみた。
「いえ、それほどでもないです。少しびっこを引くかも知れませんけど……きゃっ!」
いきなり抱き上げられたので驚いたのである。
「ちょ、ちょっと待って下さい。わたし重いですよ。それに恥ずかしいし……」
真っ赤になっている。
「ははっ、軽いなぁ。まるで羽根のようだ」
お世辞ではなかった。本当に羽根のように軽かったのである。だが彼女の方はそう思わなかったようだ。ますます赤くなって俯いてしまった。
「家まで送って行こう。どこだい?」
「え? そんなご迷惑をおかけするわけには……」
遠慮しているのではない。本気で困っているようだ。
「このまま放っておく方が、よっぽど迷惑だがね。家はどの辺かな」
「あの、春日山の麓です。父がいますので大丈――」
「分かった。しっかり掴まっていろよ」
慶次郎は歩き出した。
「ち、近いんですよ? 歩いて十分くらいなんです」
「なんだ。それなら最初から乗せて行ってやればよかったな」
慶次郎は笑った。
長尾家の居城・春日山は越後平野の真ん中にある小高い山だ。天然の要害で、頂上は広く平になっており、そこに本丸が築かれている。麓から山の中腹にかけて大小の曲輪が複雑に入り組んで造られている。山全体が一つの城といってもいい。
その山の麓の一番下の郭に小さな屋敷があった。それが彼女の父の屋敷なのだと言う。門の前まで来て、彼女から「あの……そろそろ降ろしていただけると助かります」とか細い声をかけてきた。
「足の方は大丈夫か」
「はい。少し痛みますが歩けないほどではないと思います」
「分かった。じゃ、降ろすぞ」
ゆっくりと地面に足を着かせると、彼女は慶次郎の顔を見上げて礼を言った。
「ありがとうございました」
「ああ。だが無理はせんことだ。それではな」
「お待ちになってください。もう夜も更けて来ています。どうでしょう、今夜はお泊まりになってくださいな」
「しかし……」
「ではせめて父に会っていただけませんでしょうか。見たところ士官先を探しに来たと推測致します。もしかしたらお力になることができるかもしれません」
「ふむ……あんたの名は?」
「直江景綱と申します。通称は秋子です」
「オレはおかめ丸紋次郎だ」
「まあ、素敵なお名前ですね!」
――し、正気か!?
ヘンテコな偽名を名乗る自分も人のことは言えないがこの女性、大丈夫だろうか。にこにこ屈託のない笑顔を浮かべている。心なしか頬も染まっている。
慶次郎は苦笑して、もう一度訊いた。
「で、どうしろというんだ」
「まずは父に会っていただきたいのです。それからでも遅くはないでしょう」
「わかった」
「では、こちらへ」
門の前で秋子が声をかけると、中から初老の男が現れた。
「おお、お前か。ずいぶんと遅かったな。そちらの方は?」
「遅くなってしまい申し訳ありません。実は……」
彼女はこれまでのことについて初老の男に話した。
「そのようなことが……。あれは無理してでも止めるべきだったか。いやともかく大切な娘を助けていただきありがとうございます。某は直江大和守親綱、この子の父です」
「おかめ丸紋次郎だ」
「ほう、変わった名ですな。ああいや、馬鹿にしているわけではないのです。ここらでは中々聞かん名なので驚きました」
この反応が普通だ。慶次郎は秋子にちらりと視線をやる。相変わらずにこにこしながら慶次郎を見ていた。
――うぅむ。一体何を考えているのやら……。
「仕官のお口添えをしてあげて欲しいと言われましたが、分かり申した。某のほうから口添えしておきましょう」
「それはありがたい」
「では早速。明日、登城していただくように手配を致すとして、今日は我が家に泊まっていただいたほうが宜しいでしょう」
「はい。私もそう思います」
「ではこちらへ」
案内されたのは屋敷の奥まった一画にある離れであった。
「母屋とは離れておりましてな。何分お客人を迎えるには粗末な家ですが、どうかご辛抱下さい」
通された部屋は六畳の書院造りで、床の間には見事な花鳥の軸がかかっていた。違い棚には水墨の山水が飾られ、部屋の隅には香炉が置かれている。畳は変えたばかりなのか綺麗な色合いをしており障子も新鮮な白一色であった。
――どこが粗末な部屋だよ。十二分過ぎるぜ……。
「今、酒を持って来させます。それまでごゆるりとお寛ぎ下され」
親綱が出て行くと、慶次郎は荷物を解き、どかっと腰を下ろした。
「やれやれ、やっと落ち着いたかな」
「すみません。こんなところで」
「なに、いいさ。むしろ十分過ぎる」
慶次郎からしてみれば外見と中身のギャップの差に驚くほかない。親綱はこの離れを粗末だと言ったがそれは間違いだろう。たしかに見てくれは御世辞にも綺麗とはいえなかった。正直山小屋とおなじだ。しかしいざ通されると、名工の掛け軸や違い棚の水墨画、新鮮な香炉は客人を迎えるには十分過ぎる代物ばかりである。親綱は何かしらの思惑があって言ったのだろうが今いち読めない。
「それより足は大丈夫なのか」
「はい。大分痛みは引きました」
「それならいい。さっきも言ったが、無理をすることはない。ゆっくり養生すればいい」
「はい」
「それにしても立派な家だ」
「そうでしょうか」
「ああ。あの掛け軸はどこぞの名工の作品じゃないか」
「ええ、よく判りますね」
「これでも一応、目利きの端くれなんでね」
「凄いんですね」
「まあ、多少の心得はある。だが所詮、多少だよ」
何となくの、これは名工の作品だなみたいな直感である。真の目利きには到底敵わないだろう。
やがて親綱が戻って来た。盆の上に徳利と杯を載せている。
「これは当家の自慢の銘酒で御座います。是非一度味わってみてくだされ」
「お酌致します」
「これは有り難い」
慶次郎は喜んで酒を注いで貰った。確かに旨かった。芳烈でいてしつこくなく、いくら飲んでも酔わない。慶次郎はたちまち一本を空にした。
翌朝、慶次郎は秋子に起こされた。
「――――起きてください紋次郎さん。出仕のお支度をしなくてはなりませんよ」
「……うぅ、朝か……?」
いつの間にか酔い潰れてしまったようである。記憶がない。頭がガンガンする。いくら飲んでも酔わないとたかを括っていたらこれだ。完全に二日酔いである。
「紋次郎さん」
「……わかった」
まだ半分眠ったまま、慶次郎は返事をしたが、ふと思いついて訊いた。
「昨夜あんたに頼んだ仕官の件だが……」
「今日にでも返事があると思います」
「……そうか。済まんな」
「いいんです。お気になさらないでください」