景綱の屋敷を後にして春日山城に向かう。屋敷のすぐ隣が山を登る道になっていて、これを登れば城に達することが出来る。
門番はいなかった。勝手に入ればいいのかと思いきや、そんな筈はなかった。槍を持った二人の屈強な侍が立ち塞がった。
「何用あって参られた?」
案外丁寧な口調だったので少し驚いた。
「雇われに来たのだが。大和守殿から聞いてはいないのかね」
慶次郎は何時もの調子で答えた。
「大和守殿から? 雇って欲しいと言うことで宜しいか、何故だ」
「食わねばならんのよ。仕事がなければ餓え死にするだけだ。それに城下町の立札を見てきた」
「なるほど。では少し待たれよ」
やがて通用口の扉から少女と言っても過言ではない女性が顔を出した。
「おお、そなたが。大和守から話は聞いておる。奴の娘が世話になったそうじゃの。儂からも礼を言うぞ」
随分小柄な女性だった。背丈は慶次郎の腹部あたりほど。花魁のように着物を着崩している。その上、兎耳のようなリボンで長い髪を纏めていた。
「別に礼を言われる筋合いはないさ。当たり前のことをしただけだ。それより士官願いたいのだが」
「かっかっか、そう急くなよ若人。城に通すよう仰せつけられておるから、ついて参れ」
「ありがたい」
広い廊下を渡り、幾つか角を曲り、階段を昇り、また降り、ようやく一つの部屋に通された。
「さて。儂はこの度の募兵について全権を任された宇佐美定満、通称は沙綾じゃ。お主、名はなんと申す」
彼女は観察するかのように鋭い視線を全体に配った。頭から手に。手から腰に。そして足下に視線が行く。
「おかめ丸紋次郎」
「……ふざけておるのか、主は」
誓ってふざけているのでないと伝えると女性は呆れたように言った。
「では本名か」
「ああ」
「変わった名前じゃの……」
「よく言われますな」
それが普通の反応なので、別に腹も立たない。
ところで慶次郎は彼女を知っている。原作キャラの一人だ。長尾家が誇る『越後の怪人』である。良い歳して兎耳のような髪結をした、見た目だけは少女の属性てんこ盛りの女性だ。
「主はどこより参ったのじゃ」
「陸奥より北のそれはそれは遠い蝦夷の地から参りました者にございまする」
「…………なに? 蝦夷の民じゃと。ううむ」
一瞬、間があった。少女は考え込む仕草をみせる。まさか蝦夷の地から士官が来るなど思っても見なかったのだろう。ほどなくして顔を上げ「詳しく話してみよ」と言った。
慶次郎はもの○け姫になぞらえて話した。その方が面白くなりそうだと思ったからだ。
――大和の王朝との戦いに破れ、北の地の果てに隠れ住む我等が蝦夷の一族。獅子神、タタラ場云々は省いた。なお蠣崎ではないので、そこはしっかりと説明した。
「しからば我が名『おかめ丸紋次郎』は蝦夷の民の文化なれば、ふざけている訳ではないのです」
即興で語った物語ではあるが慶次郎はさも事実であるかのように真剣に話した。少女も分かってくれたのか「相わかった」と納得してくれた。
「儂の配慮不足じゃったな。許しておくれ」
「気にしておりませんよ」
そもそも名前事態嘘っぱちだ。赦すもくそもなかった。
「うむ。では早速だが、主の力を見せて貰おうかの」
「ここですかな」
「いや外に出る。案内するゆえ、ついて参れ」
山道を下り、城の前の広場に出た。既に大勢の人が集っている。皆、これから何が始まるのかと興味津々の顔つきだった。
よく見れば覚えのある顔つきばかりである。往来で春日山に駆け出した連中や騒ぎを起こした奴等だ。それと立札の近くで口上を述べていた柿崎景家や浪人共を引っ立てた甘粕景持もいる。他にも直江景綱こと秋子やその父・親綱もいた。
「あの連中を相手取って一騎討ちをして貰う。存分に力を見せるがよい」
慶次郎は呆れたように笑った。
「冗談でしょう……」
いくらなんでもそれは―――弱すぎる。とても勝負にならない。慶次郎は槍使いだ。戦場ならともかく、こんな素人たち相手に槍を使うまでもなかった。
「かっかっか。手加減は無用じゃ」
「何故です」
「あれらは昨日の騒ぎで連行した浪人崩ればかりじゃ。どうせ役に立たん」
「なるほど」
確かに、腕に覚えのある者ならばあんな騒動には巻き込まれることもないだろう。大方、腕に自信のない腰抜けどもが暴れ出したというところであろうか。そう考えると哀れでもあった。
「でしたらオレからもひとつ宜しいでしょうか」
「なんじゃ」
「一騎討ちとは言わず纏めて相手してご覧に入れましょう。その方が時間の節約にもなりますからな」
「ほう。面白い……」
一度、浪人たちを睨め廻し、次いで慶次郎を見た。
「よかろう。やってみせい」
「と、言うことだ。纏めてかかって来られよ。全員を相手に勝って見せよう」
「あぁん? 何だぁてめえ!」
「なめやがって!」
たちまち凄まじい怒号が返ってきた。慶次郎は涼しい顔である。この程度の連中などまともに相手をする気にもならない。
「やめんか! 」
沙綾が怒鳴るとぴたりと止まった。
「儂はこの男の強さを知らん。故に貴様らが束になってかかるのを許す。なに、大言壮語を吐く男であればそれまでのこと。笑ってやればよい。じゃが儂の予想が正しければ貴様らは、いやみなまで言わん。もし勝つことが出来たのなら、一人頭、金十両与えるぞ」
その言葉はある意味、慶次郎の武が確かなものであると確信している証左であった。
「ひゃっほう」
あちこちから歓声が上がった。
――気前の良い女だな
「ただし負ければ、全員、切腹を申し付ける」
どよめきが起こった。
「当然じゃ。貴様らのような無頼の輩を野放しにしては、越後の恥となるだからのぅ」
なるほど。騒ぎを起こした連中を合法的に処分するつもりのようだ。金をちらつかせたのもそう言う事らしい。
「ま、待ってくれ。そりゃあんまりだ」
「そうさ。俺達だって好きでやったんじゃねえ」
「命あっての物種って言うぜ」
口々に喚き出すのを見て、慶次郎は心の中で嘆息した。
――馬鹿な連中だ。
所詮は素浪・破落戸である。根性がないのだ。だがこういう連中にも生きる権利はある。
「ではこうしよう。オレに一太刀でも浴びせることができれば切腹を不問とするように宇佐美殿に掛け合おう。無論、オレに勝てば金も手に入る。どうだ、やる気になったのではないかな?」
慶次郎は不敵に笑うと、見物人であった浪人たちに向って叫んだ。
「さあ、誰ぞ前に出ろ!」
誰ひとりとして慶次郎の前に出て来る者はいない。
「誰もいないか…………。ふむ。死が怖いか」
慶次郎は静かに訊いた。すると浪人崩れの連中の一人が言った。
「……あたりめえよ」
「じゃあ、こうしよう。オレは木刀しか使わん。貴様らは持ち前の得物を使うと良い」
とはいえ相手は真剣。殺す気であるならば相応に相手するつもりだ。詰まるところ、沙綾の思惑に乗ってやるのだ。
「いいね」
「乗った」
やる気になったらしい。
「じゃ、始めよう」
慶次郎は木太刀を拾い上げた。浪人たちも刀を抜いた。慶次郎を囲むように広がる。
慶次郎の身長は約六尺少し(185cmくらい)ある。体重も百キロ近くあるから並の男よりずっと重い。そんな男が振り回す木刀は凶器以外の何ものでもなかった。
だが浪人達は臆することなく、一斉に飛びかかって来た。なまくらもいいところだった。まるで豆腐でも斬るように簡単に叩き伏せられる。
半刻もしないうち、広場はたちまち浪人たちの死体で埋まり、立っている者はひとりもいなくなった。
「もう終わりか」
慶次郎はつまらなそうな顔をした。
「強い……!」
「……!!」
近くで見ていた者たちが息を呑むのが分かった。あまりにも一方的過ぎたのだ。
「お見事! これ程の遣い手は久しく見ておらなんだ」
沙綾は心底感嘆したように言った。
「まぁ、こんなもんだろう」
慶次郎はあっさり言った。
「まだやるかね」
沙綾は首を振った。
「いや。お主の力は良く判った。その腕を長尾の為に役立てて貰えないかの」
「承知」
「うむ。それでは早速だが近いうちお前には働いてもらう事になるゆえ。ひとまず住む場所は此方で用意するのじゃ、貞子、此奴を長屋に案内せい」
沙綾が命じると、彼女の側に侍っていた貞子と呼ばれた女性が恭しく頭を下げた。
「はい、畏まりました」
この後特に何も聞かれるまでも無くトントン拍子で長尾家にお世話になることが決まる。一先ずは仕事を確保する事ができ一安心である。
「紋次郎殿、こちらへどうぞ」
貞子と呼ばれる女性は顔立ちが上品でおっとりしている。
色白の肌に整った目鼻立、豊かな胸元が印象的である。着ているものはこの時代の女性としては余りにも目に毒ではあるが、よく似合っている。
彼女も原作キャラの一人であり、名は小島弥太郎貞興。通称"貞子"。史実にて『鬼小島』として名を馳せる勇将であった。
彼女はつい一週間ほど前に士官したばかりだと言う。
「仕官なさる前は何をなされていたのですか?」
「うん? 無職だ」
慶次郎は事もなげに答えた。この時代、農民ならともかく武士が無職など中々いない。だが『おかめ丸紋次郎』の場合はれっきとした無職である。
「無職ですか!?」
貞子は驚いている。
「そうだ。オレは旅の浪人、全国行脚の風来坊なのさ」
慶次郎が平然と答えると、貞子の目が丸く見開かれた。
「風来坊……」
「ああ。各地を放浪しながら国を見て回っている。時には用心棒なんかもやったな」
「それは凄いですね」
「大したことじゃない」
慶次郎は軽く言った。
『勝ち戦よりも負け戦こそ揶いくさ人。人は皆、生まれながらにして流浪の身なのだ』これは史実の戦国期の武将・前田慶次の口癖だがこの言葉はこの慶次郎自身にも当てはまるといえる。
前田慶次郎は本来、武将でありながら戦場に立ったことは数えるほどしかない。しかも常に劣勢な陣の中に身を置いている。そしてそんな場合の方が遥かに多かった。つまり慶次郎とはそういう男だった。
貞子に先導されて、慶次郎は後に続く。貞子はまだ信じられないという表情のままである。彼女は慶次郎の凄まじい武を目にしたが、そんな男が無職だったとは些か信じられていないようであった。
「どうしてまた仕官しようと思われたのです」
「女の為だ」
「えっ!」
貞子が思わず足を止めた。振り返りざま慶次郎を見つめる眼差が妙に艶っぽい。慶次郎はその視線を受けとめ、ニヤリとした。
「嘘だよ」
「あ……」
貞子の顔が見る間に紅潮した。
「おかめ丸殿はひどいお方ですね」
拗ねて見せる様子が可愛い。
「すまん、すまん」
慶次郎は全く悪びれない。
「何故、女の為だとおっしゃったんです」
「女に惚れられる為だ」
今度は貞子も笑った。
「正直なお方です」
「それが取り柄なんでね」
「いいと思います」
「あんたも綺麗だからな」
貞子が立ち止まった。まじまじと慶次郎を見る。
「本当ですか」
「本当だとも」
「嬉しい……私、褒められたのは初めてかもしれません」
「そうなのか」
「はい」
「そいつらは見る目がないね。こんなに美しいんだ。だが誰も気づかないなんて漢冥利に尽きるな」
「どうしてですか?」
「オレがお前さんの魅力に気づいた初めての男だからよ」
貞子が俯いた。頬を染めたままである。
「お世辞でも嬉しいです……」
「ふむ……世辞を言ったつもりはないのだがね」
「ありがとうございます」
「礼を言われるような事は何も言っちゃいない」
「いいえ。本当に嬉しかったのです」
再び歩き出す。
慶次郎が訊いた。
「ところであんたの名は何というのだ?」
「申し遅れました。私は小島弥太郎貞興、通称を"貞子"と申します。貞子とお呼びください」
「わかった」
そんなこんなで長屋に着く。六畳ほどの板の間があってそこに蒲団を敷いて寝るみたいだ。台所はあるが風呂はない。井戸端に行けば水を汲むことが出来るし、薪代さえ払えば湯も沸かせる。北側に井戸があって反対側に厠がある。どちらも共用である。
貞興は手際よく部屋の掃除をし、火を熾し、米を研ぎ、水瓶の水を入れ換えた。
その間、慶次郎は荷物を解き、部屋の中でぶらぶらしていた。
「どうぞ」
飯が出来たようだ。
「ありがとう」
慶次郎が腰を下ろした。その横に貞子が座った。些か距離が近い。しかし指摘する意味もないのでそのまま放っておいた。
「熱いうちに召し上がって下さい」
「頂こう」
一口食べて慶次郎の目が大きく見開かれた。
「うまい! 驚いたな、こりゃ」
「まあ」
貞子の顔に喜色が浮かぶ。
「本当においしいと思って下さったんですね」
「勿論だ」
「よかった」
貞子は心底からほっとしているようだった。
食事が終わると、貞子が再び立ち上って、洗い物を始めた。
「何から何まですまん」
「気になさらないでください。好きでやってることですもの」
言いながら、ふと手を休めて慶次郎を見た。じっと見つめている。
慶次郎は落ち着かない。
「何かオレの顔についているか」
「いいえ」
「じゃあ何故見る」
「ご迷惑でしょうか」
「いや」
「ではもう少しこのままでも宜しいでしょう」
貞子の眼差しには心なしか、熱が籠っているようである。
「あなたのような殿方は見たことがありません」
「そうかい」
「はい。強いのに偉ぶらず優しいのに無頼ではない。それでいてとても男らしくて、魅力的です」
「ありがたいね」
「それにとてもお洒落です」
「この服のことか」
「はい」
「巷ではかぶいてるという」
「私は粋だと思います」
「そうかな」
「そうですよ」
貞子が初めて微笑した。花が咲くように美しい笑顔であった。