戦国異聞〜偽物・慶次郎〜   作:ちょろいん

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京へ行く

 

 

 越後国内が農繁期を迎えてから長尾の戦はめっきり減った。

 それでも時折小競り合い程度の戦闘はある。どれもこれも形だけのもので、しかも短時間のうちに勝敗がつくような小さいものばかりである。雇われ兵士である慶次郎はフットワークが軽かった。何処へでも出かけて行って、誰とでも戦った。そのくせ必ず勝つのだ。当然のように連戦連勝であった。

 

 

 この国の武将たちはいずれも勇猛果敢で知られていたが、慶次郎ほど異彩を放っている者はいない。誰もが一目置く存在であることは間違いなかった。

 

 背が高く、肩幅も広い。筋骨隆々たる体つきをしている。後ろに撫で付けた髪はいわゆる総髪で眉毛の下の大きな眼といい何処か猛禽を思わせる顔立ちをしていた。しかもただ大きいだけではない。全身から発散されているものは強者の威圧感であり、それは彼が並大抵の男でない事を告げていた。

 

 

 一見して荒々しい印象を受ける男だったが、よく見るとなかなかどうして整った貌立ちをしている。女性達は彼を見れば色めき立つだろうし、男達でも惚れ込む者は少なくないだろう。

 

 だが慶次郎に対する評価の中で最も大きいものは、『人間離れした強さ』と言うものである。確かに慶次郎の動き方は尋常ではない。敵の間合いに入る前に槍を一閃させて敵の首を飛ばすことなど日常茶飯事だし、騎馬に乗ったまま矢のような速度で疾走して来るかと思うと、次の瞬間には遥か後方で馬を降りていることもある。

 

 並外れた反射神経を持っていることだけは確かだろう。だがそれにしても限度というものがある筈なのだ。まるで忍者ではないか。いや、それとも妖術使いだろうか。そんな声さえあった。それほど異常な動き方をするのである。

 

 

 しかし最も強い意見はこうだった。

『あれはもう化物の領域に達している』

 慶次郎の戦いぶりを見知っている者は例外なくそう言った。そして言われるたびに慶次郎は大声で笑った。

『オレが化物ならお前らは何だ? 幽鬼かなにかか?』

 そんな冗談まで言って笑い飛ばしたと言う。

 

 慶次郎は一介の傭兵に過ぎない。身分も低いし、俸禄も多くはない。金に不自由することはないが、贅沢が出来るわけでもない。質素で清潔好きな生活を送っている。女好きで派手な言動が目立つ割には、実はかなりの倹約家でもあるのだ。何れ出奔する身の上であるので、路銀はできる限り貯めておきたいからである。

 

 そんな彼だが今は着流し姿で、城下町の茶屋の店先でぼんやりと雲の動きを追っている。そこでゆったりとした時間を過ごしていた。

 

 茶が来るまで手持ち無沙汰なので団子を注文した。空を仰ぐ。青い大海に白い雲がゆっくりと流れている。その様子があまりにも悠然としていて、今が乱世であることを忘れさせてくれる。風情があるとはこう言う事を言うのかもしれない。

 

 慶次郎の外見から受ける粗暴な雰囲気は、実はこの泰然自若とした態度によって相殺されていたりする。用は「大人の男」の雰囲気があったのである。

 

「遅すぎる……」

 慶次郎は思わず呟いた。茶が来ないのだ。

 

「まあ、そう焦らずとも良いだろうよ」

 

「……居たんなら声くらい掛けてくださいよ」

 慶次郎が苦笑した。いつの間にかとなりには初老の男──長尾家臣の本庄実乃が座っていたのだ。

 

「何、おまえさんのことだ、どうせすぐに気づくと思ってね」

 実乃は笑った。

 

「……しかし、あんたがこんなところにいるとは思いませんでした」

「ここはワシの行きつけの茶屋でな。時々こうして来るんだ」

 慶次郎が頷く。すると看板娘が盆に乗ったお茶を運んできた。団子も一緒だ。礼を告げてお茶を啜る。実に美味い茶だ。素朴な味わいだがこれがまた良い。

 

「なるほど、確かにこの店の茶はうまい」

「だろう?」

 団子も美味い。茶と団子。これは実に良い組み合わせだ。注文して正解だった。一本食べ終えたところで、実乃が切り出した。

 

「ところで紋次郎、頼みたいことがあるんだが、頼まれてはくれんかな?」

 慶次郎は眉根を寄せた。実乃は越後の軍師格の武将だ。その軍師の頼みとなると、どう考えても厄介事に違いない。

 

「話によりけりですな」

 実乃は頷いた。

 

「うむ。しかしここでは話せん。ワシの邸にて話そう」

 

「御免蒙ろう。女人のいない処へ男二人だけで密会というのは、いささか品位に欠ける行為だと思うがね」

 ふざけた調子で慶次郎が言うと、実乃が破顔した。

 

「ほほほ。しつれいな男だ。なに、心配しなさるな、そう言うと思ってお前さんが好きそうな娘を呼んでいるわ」

 

「ほう。オレが好きそうな娘と。興味が湧きました、是非お会いしたいものだ」

 実乃はますます笑う。この男、慶次郎の扱い方を知っているようである。まるで手のひらの上だが慶次郎は敢えて乗ってやる。

 

「そうか。あの娘は年頃の娘。きっと気に入るよ、お互いにな」

 

「どういう意味です?」

 おかしな物言いに慶次郎は不審そうな顔をした。

 

「じきに判るさ」

 実乃はそれ以上説明しようとしなかった。

「さあ、行こう。ぐずぐずしてはいられん」

 実乃は立ち上がった。慶次郎も残りの団子を頬張って、腰を上げた。

 

「こっちだ」

 実乃が先に立って歩き出し、慶次郎は無言で後に続いた。

 

 実乃の邸は城下町の外れにあった。かなり大きな敷地の中に、これまた大層立派な屋敷が建っている。実乃は家老格の武将なのだから、このくらいの家は当然かもしれない。

 

 実乃の屋敷に着くと奥の一間に案内された。そこで待つように命じられる。暫くして実乃が入って来た。さらに家老の直江景綱こと秋子も続いて入ってくる。

 

 慶次郎が実乃に目線をやるとにっこり微笑まれた。なるほど。そう言うことらしい。どうやらいっぱい食わされたようだ。

 

「こんにちは、慶次郎さん」

 慶次郎を見て秋子が微笑んだ。相変わらず胸が大きい。思わず目が行ってしまいそうになる。慶次郎はごほんと咳を立てて誤魔化した。確かに慶次郎の好きなタイプの女性ではあった。

 

「それで頼みとは一体なんでしょうかな」

 家老格が二人もいるので並大抵の内容では無いと推測はできる。

「実は折り入ってお願いしたいことがありまして……」

「ほう」

 

「あなたに警護を頼みたいのです」

「警護?  誰の?」

 

「私です」

「ふむ。お引き受け致す」

 

「まだ理由もお話ししていないのですが」

 

「アンタに頼まれれば否やはない」

「まあ」

 秋子は嬉しそうに笑顔を見せた。

 すると実乃が笑い出した。

「ははは。ワシの言った通りでしょう秋子殿」

 

「はい、本当に。何となく分かってはいましたが改めて言って頂けると安心しました」

 何から何まで実乃の手のひらの上であったらしい。この男、油断ならない。

 

「ところで何処まで行く予定なんだ」

「京です」

 

「へえ」

 慶次郎は目を丸くした。

「それはまた随分と遠い」

 

「どうしても必要な旅なのですが、如何せん女子の身では無理がありまして」

 確かに無茶な話だった。道中は山越えの道程になる。しかも女の一人歩きは危険きわまりない。盗賊・追い剥ぎの類から始まって狼や熊といった猛獣にまで襲われかねないからだ。

 

「それで護衛を」

「そうなんです」

 

「引き受けるが、詳しい訳を話していただきたいね」

「もちろん。ワシから話そう。他言無用で頼むが、晴景さまが芸事に傾倒しておいでのことは知っているか」

 小耳に挟んだ事はある。家督を譲られたものの実権は未だ父・為景にあり晴景は半ば傀儡と化している。それを不満に思ったのかどうかは分からないが晴景が芸事に凝り出しはじめたと聞く。

 

「最近では和本や小説集に興味がおありなようで、有名所の写本を所望するようにまでなっておられる」

 

「なるほど。しかしそれなら別に京でなくとも、越後にだってあるでしょうに」

 

「それがそうでもないのだ」

 実乃の言葉に今度は秋子が口添えする。

「都の書物でなければ意味がないと仰せでして……」

 

「ふうん。そういうものかね」

 この時代、書籍といえば主に三種類あった。一つは経書、即ち仏典である。これは僧侶たちの専売特許だ。僧籍にある者以外が手に入れることは出来ない。

 

 次に、漢詩集、和歌、連歌などを記した『和本』と呼ばれる製本。これは公家たちが愛好したもので、誰でも読むことが出来る。但しこれらは非常に高価であり、庶民の手には殆ど届かない。

 

 そして最後に、小説である。これは僧侶以外の一般の人々が好んで読んだもので、特に貴族階級の人々が競ってこれを蒐集した。これもまた高値で取引されている。中でも有名なものは、『源氏物語』『伊勢物語』『落窪ものがたり』『徒然草』などである。

 

 この中のどれもが晴景が求めているとすれば、確かに京の都に行かないわけにはいかないだろう。

 

「晴景さまは何の小説をご所望なのかね」

 

「紫式部の『源氏物語』です」

 

「また大層なものをお望みであらせられる」

 

「お陰で私達は京まで参らねばなりません」

 秋子は困ったように眉尻を下げた。その顔が妙に色っぽい。その顔を見れただけでも実乃の言葉に乗った甲斐があるものだ。

 

「他にもあるのかい?」

「はい。和歌集の類です」

 

「なるほど。そりゃ大変だ」

「ええ。本当に」

 

「だが問題も幾つかある。まず前提として素直に写本を売ってくれるかと言うところだ」

 実乃が腕を組み険しい顔で言う。

「はい。『源氏物語』の写本で有名な三条西家は特に怪しいですね……」

 実は長尾家と三条西家の間では青苧を巡ったトラブルが起きていた。

 

 青苧は衣服の原料になる。青芋は、越後では量産が盛んで『越後青苧』といった風に完全なブランド化を確立しており、越後における青苧は経済を支える柱である。

 

 対して三条西家は畿内最大の天王寺青苧座を取り仕切る公家だ。その力は絶大で『越後青苧』を専横してしまうほど。その越後青芋の専横が目に余るもので、長尾氏が介入することになる。長尾氏は生産地である越後の青苧座による特権的な移出や更に青苧取引の統制管理を現在進行形で交渉していた。

 

 そうなると、当然、三条西家の収入に関わることなので三条西家は長尾家に対して良い思いを抱かなくなるわけで……。

 

「何とか穏便に話を持ち込みたい所ですが……。あちらが足元を見るようでも、こちらにも譲れない理由がありますからね。はぁ、骨が折れそうです」

 ため息をつきながらトントン…と肩をたたく。そう言えば最近、肩凝りが酷いとぼやいていた事を思い出した。後で肩でも揉んでやろうと慶次郎はひそかに思った。

 

「難しいことをお願いして申し訳ない。金はいくらかかってもいい。秋子殿、頼んだぞ」

 それから路銀やら移動経路について話す。路銀に関してはそれなりの額の金子を晴景から預っていたようである。移動は陸路と海路があったが今回は陸路の越中・飛騨を経由することとなった。

 

 そんな話し合いも程々に、ふいに実乃が「そう言えば」と慶次郎を肘でつついた。

「お前さんのことだ。暇なんだろう」

 

「さあ。護衛がありますからな、なんとも」

 

「ずっと気を張り詰めていては疲れるだろう。息抜きも必要だよ。護衛ついでに京見物でもしてきたらどうだ」

 実乃の言葉に秋子が顔を輝かせた。

 

「さすがは本庄殿。良いお考えです。どうでしょうか紋次郎さん」

「そうだな。それも悪くない」

 

「はい! そうですよね、よかった……」

 ほっとしたように胸を撫で下ろした。

 

「それでいつ出発いたしますか?」

 

「……早い方がいいだろうな。明日明後日辺りにでも行こう」

 

「分かりました。それではすぐに準備して参ります」

 秋子は弾むような足取りで部屋を出て行った。よほど楽しみなようだ。

 

 慶次郎はその後ろ姿をじっと見送っていたが、ふと視線を感じて振り向くと実乃が意味ありげに笑って見ている。

 

 慌てて咳払いし誤魔化したつもりだが、実乃は笑ったままだ。

「全く。アンタにはいっぱい食わされましたよ」

「はて。何のことやら」

 

「油断も隙もないね」

「ははは。それより紋次郎、京の女はみんな美人だって言うぞ」

 

「それがどうしたんです」

 

「気をつけろよ。あの辺りは公家どもの巣窟だぞ、あいつらは贅沢好きで気位が高くて自尊心が高い。おまけに嫉妬深いときてる。厄介な土地だよ」

 

「ほほう。そいつは面白い」

 

「何が面白いんだ」

「つまり京の都には一途な女が沢山いるってわけだ。是非ともお目にかかってみたいものですな」

 

「……贅沢好きで自尊心が高いが抜けとるぞ」

 

「京の女は皆そうなんでしょう? だったら大した問題じゃない」

 

「これだから色男は……どうなっても知らんからな」

 実乃はやれやれと呆れたように言った。身を案じてくれてのことだが慶次郎には女を見る目があるつもりだ。良い女とそうでない女の匂いは嗅ぎ分けられる自信がある。

 

「ところで……」

 実乃は声をひそめて、慶次郎を睨むように見た。真剣な表情になるとかなりの迫力がある。慶次郎が思わず居住まいを正す。すると実乃がいきなり切り出した。

 

「貞子とはどうなのかね」

 慶次郎は苦笑して答えなかった。身構えていたらこれだ。どの時代でも他人の色恋沙汰は気になってしまうらしい。

 

 貞子はこの数ヶ月ですっかり慶次郎に惚れ抜いていた。しかも尋常一様ではない。狂信的な思慕といってよい。うちに秘めた情は並大抵のものではなかった。それが故に、物陰に潜んで、慶次郎を監視していることもあった。

 

 それは感情故の行動であると慶次郎は理解している。その上で度々目にしていたものの、敢えて見逃し、挙げ句の果てにはのらりくらりと好意を躱しているのだ。

 

「ふむ。では秋子殿はどうかな?」

 彼女も明け透けではないが思慕の感情を言葉の節々に見せることがある。当然、女性の機微に敏感な慶次郎は気づいているが、敢えて何もしていなかった。

 

「何事にも機というものがある」

 

「それでよく我慢出来るものだな」

 

「別に我慢しているわけじゃない。本当に機を窺っているだけですよ」

 実乃がまじまじと見つめてから、にやりと笑った。

「なるほど。それが流儀という奴か」

 

「違うね。オレのやり方だ」

 慶次郎は平然と答える。果物が熟れるのを待つように。機が熟してから頂くことこそ慶次郎のやり方である。

 

「面白い男だ」

 実乃は感心したように言ったが、やがて真顔になると、

「だが女は袖にされたとき、何を仕出かすか分からんと聞くぞ」と言い渡した。

 

 慶次郎は肩をすくめただけで返事をしなかった。

「そうだ、貞子も連れていったらどうだ」

 実乃が思い付いたと言う風に言い出した。

 

「京まで行くんなら、一人ぐらい増えたって同じことだろう」

 

「元よりそのつもりです」

 実乃の屋敷を出た後、慶次郎はすぐに貞子を捜しに行った。

 彼女の長屋は奥まった一画にあって、そこに一人で暮らしている。実は慶次郎の長屋の向かいだったりするのでお隣さんでもあった。

 

 慶次郎が訪ねて行くと、貞子はとても嬉しそうな顔をしたが、すぐに不安げに眉を寄せた。何かを察したらしい。大方、盗み聞きでもしていたのだろう。

 

「……お出かけになるんですか」

「ああ。京へ行く」

「京へ……」

 貞子は黙り込んだ。言葉を失ったかのように何か考えているらしい。胸中には様々な想いが交錯していることだろう。

 

 しばらくして、

「私もご一緒させて下さい」と言い出した。

 

「そのつもりだが」

「お願い…………え」

 信じられないといった表情だった。そんなに信用ないのだろうか。

「まさか嫌とは言わんだろう」

「いいませんよ」

 

 貞子の顔がぱっと輝いた。

「行きます。絶対に行きます。嬉しい……」

 慶次郎の手を取り、手のひらで包むようにして握った。

 

「そんなに喜ぶほどのことかね」

 

「勿論ですよ。だって、一緒に居られるんですよ」

 

「……まあ、そうだがね」

 とはいえ京に行って帰ってくるまでの間だけだ。

 

「……ずっと、ですよ」

 低い声で念を押すような口調だった。

 

「あ、ああ」

 あまりの変化っぷりに慶次郎は曖昧に頷くしかなかった。

 

 ふと、実乃の言葉を思い出した。

『女は袖にされたとき、何を仕出かすか分からんと聞くぞ』

 

 この娘の慶次郎への慕情は狂信的で依存性がある。慶次郎もそれはなんとなく肌で感じ取っていた。もしその依存先が無くなってしまったらと考えるだけでも恐ろしいことである。

 

 慶次郎はこの娘に対して責任があった。だから自分の方から離れていくことはないだろう。だがそれは裏返せば、自分が去れば、貞子は必ず追ってくるということではないか。しかも二度と引き離されることのないよう、狂気じみた手段に訴えてくるに違いない。

 

 ――やれやれ。

 慶次郎は内心溜息をついた。貞子に惚れられたことが不運だとは思わないが、面倒臭いことは確かである。むしろ自分で蒔いた種であったので自業自得だ。だが原作キャラ中でもお気に入りのひとりなので嫌な気はしない。

 主人公には悪いが彼女は貰い受けようか。

 

「では支度しちゃいますね」

 貞子はてきぱきと動いたのだった。

 

 

 

 




下げて上げる曇らせが大好きです。(←

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