応仁の乱以降、度々戦火に染まる京の都は地獄絵図のような有様だったと言われている。町中で人々が血みどろになって戦い、屍がごろごろ転がり、死体には無数の槍が突き立てられていたと言う。以降も戦乱が絶えず京の都は荒れ果てた土地となっていた──。
★★★
紋次郎は貞子と共に旅装を整え秋子と落ち合った。
貞子はともかくとして秋子の方はいかにも頼りなげだった。
着ているものは上等だったが腰回りはほっそりし過ぎていてまるで合わない。帯の上に乗った乳房がひどく目立ち、目のやり場に困った。
「大丈夫かね、着物」
心配して尋ねると、秋子が恥ずかしげに微笑んだ。
「うぅ。あ、あまり見ないでください」
この時代は平均身長が低く、女性は痩せていた方が美しいとされていた。ましてやこの時代は栄養状態が悪く、食糧事情が悪いだけに尚更だ。だからこの時代の女人は痩せ型が多く、中には骨と皮ばかりという者も珍しくなかった。
秋子は武将たちの中ではふくよかな方だった。その上、色白で肌がきめ細かく、肉感的な魅力に溢れた豊満な肉体を持っているくせに、顔立ちはまだ少女めいて幼ない。そのアンバランスさが、何とも言えない艶っぽさを醸し出している。
紋次郎ならずとも思わず目を奪われてしまいそうだ。実に眼福である。
「むぅ……紋次郎さん、紋次郎さん」
貞子に呼ばれて、我に返った。
「なんだい」
「なんだいじゃないですよ。どうしてそんな風にぼうっとなさっておいでなのか、理由をお尋ねしてもよろしいですか」
貞子が口を尖らせている。本気で怒っているらしい。案の定冷たい目で睨まれている。この女がこんな目をするのは決まって他の女に目を奪われたときである。
「別に大した事じゃあない。少し考え事をしていただけでね」
「……どんなことを考えていらしたのです?」
「ああ。京の情勢だよ」
咄嵯に嘘が出た。
「と言うと先日起きました公方様と三好の争いですね」
秋子が不安そうな顔をする。
「京の町は変わらず荒れ果てたままと聞き及びますけど……」
「荒れ果てるどころじゃないさ。周辺は戦火を逃れ、逃げて来た人々で溢れているそうだ。それに加えて難民の群れだ。治安なんかありゃしない。強盗・殺人の類は日常茶飯事で、毎日のようにどこかで誰かが殺されてる。まるで地獄絵図だよ」
紋次郎の言葉に秋子は息を呑んだ。顔色も心なしか悪くなった様に見える。少し脅かすつもりだったが、やり過ぎてしまったようだ。
「ふっ。だが心配御無用。このおかめ丸紋次郎、身命を賭しまして秋子殿を必ずや守り通して見せましょうぞ」
「ふふっ。それは心強いですね。お願いします紋次郎さん」
如何にも芝居がかった紋次郎の大仰な言葉に秋子はくすりと笑った。すると貞子が横合いから突っ込んだ。
「……紋次郎さんは酷いお人です。手弱女な私は眼中にないようで」
貞子が頬を膨らませた。その仕草は子供じみていて可愛らしい。
「んもぅ何を言っているんですか。貞子ちゃんも護衛する側の一人でしょう。そもそも、かの鬼小島が手弱女ってどんな冗談ですか」
「むぅ。秋子殿が羨ましいです」
「貞子そこまでだ。御役目を忘れるな、此度は晴景さまのために京へ行くのだ」
紋次郎はきっぱりと貞子に言い渡した。
「でもぉ……」
「でももヘチマもない。全てはお前の思い過ごしだよ。なあ秋子殿」
「ええ、まぁ……そうですね」
秋子が曖昧な返事をした。貞子は不満そうな顔をしたが、それ以上は追及しなかった。
そんなこんなで話は終わり、一向は京へ向けて出発。と、同時に紋次郎はほっと胸を撫で下ろしたのだった。
京までは百六十里(約五百七十六キロ)ある。
急げば二週間ほどで着く距離だったが、山越えの道程を考えると無理は出来ない。加えて秋子や貞子もいるので尚更無理は禁物だった。
五日目には越後と信濃の境を越え、越中に入った。この辺りになると平野が拡がりを見せ、北越地方特有の荒涼とした大地が現われる。平野といっても山間の土地だった。木立の中に道が通っているような感じで、所々に農家が点在しているだけだ。
現代で言う限界集落の様な有り様である。とは言え戦国時代の農村ではこの様な光景は珍しくない。
日暮れ近くなった頃、紋次郎が立ち止まった。その視線の先には何時の間に来たのか複数人の男が立っていた。
紋次郎が立ち止まったので、それに気づいて二人も立ち止まる。
「秋子殿、貞子から決して離れんようにな」
男たちは浪人のように見え、それでいて雑兵とは違った雰囲気を持っていた。手には小刀、背中には弓を背負っている。どちらにしてもそこら辺の農民の出立ちではなかった。
顔色は悪く、頬骨が高い。眼ばかりギラついていた。紋次郎は油断なく男を眺めた。腰の大太刀に手をかけてすらいない。ただ立っているだけだ。
男たちのほうでも紋次郎たちに興味を覚えたらしい。近づいて来ると、いきなり訊いた。
「あんた方、何処へ行かれる?」
紋次郎が微笑した。
「京だ」
「名は?」
「紋次郎。おかめ丸紋次郎だ」
男はじろりと紋次郎を見た。値ぶみするような視線だった。自分で言うのも気が引けるが、かなりヘンテコな名だろう。
「女連れでか」
紋次郎は肩をすくめた。
「それがどうかしたか」
男は嘲るように笑った。それが波のように伝播して取り巻きたちも薄く笑う。
「死ぬぜ、そんなことをすると」
紋次郎は不思議そうな顔をして訊き返した。
「何故だ」
男は呆れたように首を振って見せた。
「俺がここで殺すからだ」
紋次郎の顔色が僅かに変り、その視線が鋭くなった。
「やってみろ」
紋次郎は一歩前に出た。男たちは一瞬ひやりとしたようだったが、すぐにまた嘲笑を取り戻した。
「馬鹿か、お前は」
男が刀を抜いて紋次郎に向けた。
「俺たちは五人いるんだぞ。しかもこっちには刀もある。勝てると思うのか」
紋次郎は無造作にもう一歩前に出た。
「思っている」
男たちの間に動揺が走った。まさかこれほど堂々と挑んで来るとは思ってもいなかったようだ。
「死にたいらしいな」
男は怒りに眼を剥いた。
「死なんさ」
紋次郎は平然と応じ、ゆっくりと鞘を払って大脇差を抜いた。大脇差とはいえ刃渡りは一尺半近くある。その長さが並ではない。
男たちの顔に恐怖が浮かび上がった。
紋次郎は一足飛びに間合いを詰めると、先頭の男の胴を薙ぎ払った。
血飛沫が舞い、絶叫が上がった。肋骨の下半分と内臓の一部が宙に飛び散った。即死だった。
紋次郎は振り向きざま次の一人を袈裟懸けにした。これも一撃で致命傷を負い、悲鳴を上げる間もなく絶命した。
三人目の男が恐慌を来たして逃げ出した。刀を捨て、両手で腹を抱えて一目散に逃げて行く。
紋次郎はその背を深々と斬って捨てた。
四人目がようやく気を取り直し、上段から斬りかかってきた。
紋次郎がひらりと身をかわすと、男はまともに自分の頭上に太刀を振り下ろしてしまった。頭蓋を割られ、声もなく倒れた。
五人目は腰を抜かし、泡を吹いてへたりこんでいる。
紋次郎は容赦なくその首を叩き落とした──。
そんなてんぷれ盗賊との邂逅もありつつ、一行は村外れにある廃寺に着いた。そこで一泊することにした。
「そろそろ野宿は辛くなってきましたねえ……」
翌朝になり、しんみり秋子が言うと、貞子も相槌を打った。
「そうですね……。早く布団のあるところで眠りたいものです」
さすがに疲れが溜まって来たのだろう。二人は肩を揉みながら首を回している。この五日間歩き通しだったのだ。いくら健脚を誇る二人だって、そろそろ限界に近いはずだ。
「あと四日ほど歩けば大津に着く。そこまで行きゃ宿が取れる。それまでの辛抱だよ」
「本当ですか」
秋子が嬉しそうな声をあげた。顔も輝いている。
「ああ。淡海が見えるぞ」
その後の紋次郎たちの道程は平穏そのものであった。
とはいえ慣れない山道を歩くため足取りはかなり遅い。だが話しながら歩いていればそれも気にならない。秋の日射しも爽やかな好天気に恵まれて旅路としては申し分のない一日だった。
紋次郎たち一行が大津まで後一歩に迫った夜のことである。
秋子が食事の用意をしていると、いきなり後ろでどしんと言う大きな音がした。驚いて振り向くと、そこには倒れ伏す薄汚れた武者の姿があった。
髪を振り乱し、顔は垢じみて土色になっていた。よく見れば鎧に矢が何本も突き立っている。息も荒く、全身傷だらけだ。
「何奴!」
貞子が叫んで太刀の柄に手をかけた。
紋次郎も素早く立ち上って秋子を背中に庇う。刀は抜かない。いつでも背負って走れるように構えているだけだ。
──むむ。この武士の顔、見覚えのある気がするぞ。
咄嵯にそんなことを思った。秋子が駆け寄ろうとするのを制して、代わりに近づく。
武士は血走った眼で紋次郎を見上げた。唇の端から泡が吹き出ている。
──こいつは……! か、一葉だとぅ!?
一葉。正確には足利一葉義輝──時の足利幕府の将軍であり剣豪将軍の異名をとる当代随一の女武将である。
紋次郎は原作の中でも一葉を自分(剣丞)の女にしたものだ。
──しかしこれは現実だ。
しかも目の前の一葉はゲームの中とは似ても似つかない。汚れて痩せこけ、見る影もない。まるで別人だ。だが面影はある。
──そういえば、一葉と言えば……
ふと気づいた。一葉の腰には大般若長光が佩かれている。
──本人みたいだ。いや考えている場合じゃないか、直ぐに手当てせねば。
「秋子殿、手当を頼む。あんたオレたちは敵じゃあない、手当するから安心めされよ」
出来るだけ優しく言ってみる。一葉が僅かに警戒心を解いたように思えたからだ。
秋子は紋次郎の意図を理解したらしく、こくりと肯くと一葉の前にしゃがみこんだ。
紋次郎は素早くあたりを見廻した。
ここ周辺は木立に囲まれていて、身を隠せそうな所が沢山ある。そして一葉を襲ったであろう者たちの姿は、紋次郎たちのいる位置からは見えない。
──どこにいるんだ……?
そもそも、そのような追手が近辺に身を潜めているかすら定かではない。貞子を見ると相変わらず太刀に手を掛けたままである。用心するに越した事はなかった。
──一葉を連れて逃げるか。しかし無理に動かせば命に関わる……。
ここに留まるべきかと一瞬迷ったが、やはり一葉を連れて逃げるべきだと思った。
紋次郎はそっと一葉の身体を抱え上げ、秋子に言った。
「秋子殿、今直ぐ火を消せ。そして貞子の側にいろ、決して離れんようにな」
「わかりました」
「秋子殿、お側に」
一葉は瀕死だがまだ息はある。一刻も早くこの場を離れる事が先決だろう。
一葉が微かに眼を開けた。何か言おうとしている。唇の動きを読むと、 ──ありがとう と礼を言っているようだ。
──気丈な女よ
紋次郎はにやりと笑って首を振った。
一葉がほっとしたように気を喪い、紋次郎の肩口へ頭を預けた──。
結局、追手らしき存在は現れないまま、一葉を背負った紋次郎は、一刻(二時間)ほど歩き続けて、ようやく街道に出た。彼女は意識を失ったままだが顔色は良く、呼吸も安定している。
紋次郎は背の一葉をそっと降ろして木立の中に寝かせた。
「大丈夫でしょうか」
秋子が心配そうに訊いた。
「わからんね。だが死ぬような傷じゃない。じきに眼を醒ましてくれるさ」
紋次郎はあっさり言った。
「それよりこれからどうしますか?」
貞子が言った。
「まずは予定通り大津へ行こう。そこで船を調達すれば京へ向かえよう。近江からなら京へは船で半日もかからん。それから先は、その時考えればよい」
まあ行き当たりばったりである。ある意味旅の醍醐味であろう。
「わかりました。じゃあ急ぎましょう。夜になると危なくなります」
「同感だ」
小休止の後、三人は歩き出した。
紋次郎は背の一葉を気遣って、ゆっくり歩いている。そのせいで遅れがちになる。
貞子が紋次郎の前に出た。
「紋次郎さん、変わりましょうか」
紋次郎は笑って手を振った。
「大丈夫だ。このくらいはなんでもない」
実際、大した重さではない。それに、一葉の身体は柔らかかった。女らしいふくらみといい、しなやかな筋肉のつき具合といい、申し分のない肢体だった。何より温もりがある。紋次郎自身の温もりと合わさって若干熱いくらいだ。だがそれがいい。一葉が生きている証拠のような気がして、紋次郎はむしろ嬉しかった。
そんな下心満載のやましい考えに気付いたのか、貞子の眼が一瞬細くなった。とはいえ彼女たちは一葉の性別を知らない筈だ。
伝えてもいないので勘違いと思いたい紋次郎であった。