一葉が目覚めたのは宿について少し経ってからであった。
まだはっきりとしない意識の中で、一葉は、あぁ、そういえばと、ようやく先ほどの出来事を思いだした。
足軽の襲撃に遭ったのだ。それは恐ろしい体験であった。自分は危うく殺されるところだった。
自分を殺そうとした足軽がどうなったのかまでは分からない。一葉はとにかくあの場から逃げた。無我夢中で、必死に走って逃げた。あの足軽の仲間たちは追ってきて、ついには戦闘
になった。
ただ戦闘というにはあまりにも一方的な展開であった。一葉は、その足軽たちを殺して、ようやく逃げおおせたのである。
しかし油断して殺し損ねてしまい、その結果としてこうして今、生きていることが不思議なくらいの傷を負ってしまった。その傷は脇の下や、太股など数カ所に及ぶ。
一葉は、ぼんやりと目を開けた。天井の木目がはっきりと見えた。
今、自分がいるのは部屋の中だ。自分は殺されずに済んでいる。身体のあちこちに痛みがあるが幸い死んではいない。
一葉はゆっくり上半身を起こした。その瞬間、傷口に激痛が走った。
痛みに顔を顰めて、自分の身体を見た。改めて見てみると、その有様は凄まじいものであった。血で真っ赤に染まった服がはだけ、包帯の代わりの布きれも、血と汚れている。
「よう。起きたかい」
突然、一葉の背後から声がした。ハッとして声のした方を見ると、一人の男が、壁を背に胡座をかいていた。
一葉は、その男の顔に見覚えがあった。確か足軽に追われていたとき、突然現れて助けてくれた男であった。
一葉は、警戒しながら男を見た。この男が自分を助けてくれたのは間違いないであろう。歳は二十代半ばくらいであろうか。服装は、浪人のような着物に袴姿だ。腰には脇差を差している。髪はぼさぼさで後ろでひとつに纏めている。顔は一見すると優男風だが、眼光が鋭い。手には竹筒を持ちそれを一葉の口元に当ててきた。
突然のことに一葉は、
「な、何を!」
と、慌ててそれを手で払った。男は、そんな一葉を見てニヤリと笑った。そして竹筒の中の水をぐいっと飲むと、プハーッと息を吐いた。
「おいおい。毒なんか入れてないさ」
「な、なら」
「ただの水だ。安心されよ」
男はそう言うと竹筒を床に置いた。一葉は竹筒を一瞥すると、再び男を見た。
「そ、そなたは」
一葉は、やや掠れた声で男に問いかけた。男はそんな一葉をじーっと見ていたが、やがて口を開いた。
「まずは飲みな。ずっと寝ていたんだ。喉も枯れてる」
「え?」
ずっと寝ていた? そのとき一葉の腹の虫がぐぅっと鳴った。男はそれを聞くとフッと笑った。そしてもう一度竹筒を差し出す。今度は何も言うことはなかった。
一葉は、竹筒を受け取り、口に当てた。少し傾けると水が流れ込んできて乾いた喉を潤した。血が随分と失われていたのだろう。身体が水分を欲していたらしく、その水は美味かった。
「……すまぬ。助かった礼を言う」
「なに。気にすることはないさ」
「…………余はどれほど寝ていた?」
一葉は、竹筒を男に返しながら尋ねた。
「二日ほどだな」
「そんなに……」
「それだけの傷なんだ、当たり前さ。だが運がいい。傷が化膿することもなく、治りかけている」
「……お主が助けてくれたのか?」
「いいや。オレの主だよ」
「主……とな」
「あぁ。お前さんを助けてくれたのもオレの主さ」
「そうであったか……」
「とりあえず粥でも食って腹ごしらえしな」
「うむ。……そうだな。そうしよう」
一葉は、頷く。確かにこの男の言う通り何か食べ物を腹に入れた方が良さそうだ。とにかく今は、傷の回復に体力をつけなければなるまい。
「お主のあるじは何処に?」
「ああ、それなんだが野暮用で出かけてる。まあすぐに戻るだろう」
「そうか……」
「粥を貰ってくるから待ってな」
男は立ち上がると部屋から出ていった。一葉は、改めて自分の身体を見る。布団は、包帯代わりの布きれが巻かれた腹を中心にして真っ赤に染まっている。
「これは……、酷いな……」
この状態でよく生き延びられたものだ。もしかしたらあの男が助けてくれたときすでに死んでいて、今見ているのは幽霊か何かかもしれないと馬鹿な考えが浮かぶほどである。
一葉が再び外を見ると、日は既に暮れていた。
「そういえば、お主の名は?」
一葉は、粥を運んできた男に尋ねた。
「おかめ丸紋次郎だ」
「? おかめ丸か……中々変わった名じゃ」
「よく言われる。結構気に入っているんだがね。まあ親しみと愛を込めて呼んで紋次郎と呼んでくれ」
「うむ。紋次郎だな。分かった」
一葉は頷いた。確かに変わった名だとは思うが、今はそんな些細なことを気にしている余裕はなかった。
「では余からも自己紹介しておこう。余は……」
と、言い掛けたところで果たしてここで自らの名を明かしても良いのだろうかと疑問に思った。
一葉は足利将軍の嫡子であった。
「どうした?」
一葉が名を口に出さずに躊躇していると紋次郎が聞いてきた。
「いや、何でもない」
一葉は、笑って誤魔化した。素性の知れない男に自らの名を明かすなど危険なことはないとも思えたのである。
「そうか、ならいいが」
「うむ。それで余の名は一葉じゃ」
「ほう、どこから来たんだい」
「うむ、駿河の者じゃ」
「駿河か、また遠くから来たもんだ。それで旅の途中で襲われたのかい?」
「………その通りじゃ。それも立派な武士にな」
「そりゃあ災難だったねえ。行き先どこだい?」
「京じゃ。一刻も早く向かわねばならぬ」
「へえ、京か。色々ときな臭い場所だが、それでも行くのかい?」
「うむ。余はどうしても京に向かわねばならぬのだ」
「そいつはまたどうしてだい?」
紋次郎が不思議そうに聞く。
「それは……」
一葉は言葉を詰まらせた。自分の素性を明かすわけにはいかない。まさか現将軍の嫡子であるなどとは、たとえ命の恩人であろうとも言えるはずがない。
「すまぬ……言えぬ」
「そうかい。ま、なら聞かないでおくさ」
紋次郎は気を使ってくれたのかそれ以上聞こうとはしなかった。一葉は、少しホッとした。ここで自分の素性を明かしたらどうなるのか想像がつかないからである。
それから二人は少し話をした。お互いの身の上やこれから行く京の話などである。一葉も自分が将軍の嫡子であるということは伏せて、ただ京に向かわなければならないとだけ伝えた。
紋次郎もそれ以上のことは聞かなかったし、自分も言わなかった。
「良かった。気が付かれたんですね」
一葉のいる部屋に一人の女性がやって来た。彼の主である女性だろう。女は部屋に入るなり安心したような表情でそう言った。
一葉は、上半身を起こしながら礼を言った。
「お主のおかげで助かった。かたじけない」
「いえ、お気になさらず。それよりも具合はどうですか?」
「うむ。大分良くなったようだ」
「そうですか、それはよかったです」
女はそう言うとニコッと微笑んだ。一葉は、彼女の笑顔を見てどこかホッとするものを感じた。
「用事は済んだのかい?」
紋次郎が女に尋ねる。
「はい。もう大丈夫です」
「そいつは良かった。貞子は?」
「おつかいです」
「そうかい」
「それで……」
と、彼女はそこで一旦話を止めた。そして一葉に向き、じっと彼女の顔を見た。なんだというのだろうか? 一葉は首を傾げる。
「貴方はこれからどうなさるおつもりですか?」
満足な体調でないことは一目瞭然である。どうするか、と問われても一人ではどうしようもなかった。
「……」
「盗み聞きするつもりは無かったのですが京に行くというお話が聞こえて来ました。そこでどうでしょうか。ご一緒しませんか?」
「それは……」と言いかけたところで紋次郎が横から口を挟んだ。
「そいつはいい」と頷いている。一葉は困惑気味に言った。
「……よいのか?」
「オレたちも京に向かうところだったんでな。同道がひとり増えたところでどうってことないさ」
「彼の言う通り。私たちも京に向かう所でしたから問題はありませんよ」
と、彼女はにっこりと笑って言った。
「ほんとうに……?」
「旅は道連れ世は情けと言うじゃないか。それもこれも何かの縁さ。見たところお前さん頼る宛も金も無い、まさに無い無い尽くしとみたが如何に?」
「む……」
「それにその足じゃ歩くのも難儀なんじゃあないかな?」
一葉は黙った。図星である。
「なら素直にオレたちと同道した方が良い。京にたどり着くのも早くなること違い無しさ」
紋次郎は、一葉に言う。
「どうだい? 異論あるかい?」と主である女にも尋ねた。
「ありませんね」
女は、笑って言った。
「そうか。すまぬ。……世話をかけるがよろしく頼む」
「おうとも。たっぷり世話を焼いてやるから心配しなさんな」
紋次郎はあくまでも気楽に言った。
彼らは見知らぬ自分に命を救い食事や薬を与えてくれたうえに寝床まで用意して施してくれたお人好しの者たちだ。決して悪人ではないだろうし自分を騙すような真似をするとも思えなかった。
一葉は紋次郎という男の顔と声を見た。紋次郎は、ニッと笑った。笑うと意外と人懐っこい表情になる男だと一葉は思った。彼は──紋次郎は奇抜な恰好をした、どちらかというと怪しげな風体の男である。だが中身は恐らく善人であろうと一葉は見ていた。
主であると言う女もおそらくは同じだろう。二人は、自分を騙すようなことはするまいという確信があった。ならばこの二人と共に行くことにそれ程の危険はないだろうと思った。
そんなこんなで翌日、京へ向けて出発した。
「ついでだ、金も少しばかり稼いでおこう」
道中で、紋次郎が前を歩く秋子に声を掛けた。
秋子は不思議そうな顔をして振り返る。
「はい? 金を稼ぐ、ですか?」
「ああ、そうだ」と紋次郎が頷いた。
「何かと金が必要になるだろうからな。オレぁ刀以外にも算盤も弾くんだ、ひと一人分の旅費くらいは稼いでみせよう」
次の宿場町まではまだ少し距離がある。近くの村に立ち寄って今晩の宿泊地を借りると同時に路銀を稼ぐ必要があると判断していたのである。同道者が一人増え、その分だけ稼ぐ必要性も増えるというわけだ。
「え、ええと、なるほど?」
秋子は眉尻を下げて困惑しながら答える。
「その路銀ってどのくらい必要なんです?」
貞子が尋ねる。ちなみに一葉は紋次郎におぶられたまま眠っていた。傷の回復と疲労で、旅を始めてからの数日は眠り続ける日々が続くだろう。
「あるだけいい」
紋次郎が淡々と答えた。
「ですがどうやって稼ぐんですか?」
さらに貞子が尋ねてきた。紋次郎は、その質問に対してはにやっと笑うだけで答えた。
秋子と貞子は顔を見合わす。二人は不思議そうに首をかしげた。
日暮れも近づいた頃、一行の前に複数人の男たちが現れた。
一団の中には刀を持った男もいる。一目で堅気ではない男たちだと察せられた。よく目を凝らせば足軽が装備するような貧相な胴丸を着ているのが分かる。
一団の中でも髭が目立つ男が進み出て
「女と荷物を置いて消えな」
と、凄んだ。女たちというのは秋子や貞子のことだと思われた。
「見たところ足軽崩れか。オレからも尋ねたいのだがな。アンタらこそ金目の物さえ置いていけば命までは取らんが如何かな?」
紋次郎が普段のふざけた調子で言う。すると男たちはおおいに笑った。そしてしばらく笑い続けた後に、やがて一団の中から髭を生やす男が口を開いた。
「阿保が。何いってんで、状況分かってんのかてめえ。女と金だけ置いてとっとと消え失せろって言うとんのや!」
訛りから察するに彼らは京近辺の連中だろう。方言でまくし立てるのは流暢な標準語を操るよりもよほど印象が悪くなる。格好が悪いという方がより正確かもしれない。
「ほう。ならば致し方なし。敗者に情けはかけんぞ、貰えるものを貰わねばならんからな」
芝居がかった口調でやれやれと大げさな動作を見せる紋次郎。しかし口元には笑みを湛えていた。
「秋子、この娘を任せた」
紋次郎は一葉を秋子に預けた。秋子は無言で承諾する。
貞子の刀が鍔鳴りの音を立てると同時に男たちは腰の刀を引き抜いた。
紋次郎がずいっと、一歩前に出た。すると彼の前には髭男が立ちふさがる。紋次郎たちを囲むように他の男たちが散らばった。現れた足軽崩れの数は総勢七名である。
各々が刀を手に持っていたり棍棒を持っていたりと、てんでんばらばらだった。
髭男の手には大振りの刀が握られ、刀身は鈍く輝いている。もっとも侍というわけでもないのか形は粗悪なナマクラ刀であった。
髭男は刀を正眼に構えた。そして無造作に踏み込んでくる。
同時に他の足軽崩れが横に回り込み、背後から貞子を捕まえようと迫った。
成程、手段としては悪くはない。数に劣る集団ならば効果も相応にある。賢明な判断だろうと紋次郎は思った。京近辺で足軽をしている連中だと考えれば荒事には慣れている相手だが今回は相手が悪かったと言わざるを得ない。
貞子は、素早く気配を察してくるりと後ろを向いた。
「ひぃ!」
向かってくる男との間合いを瞬時に計る。敵の刀が届く範囲から確実に外れると同時、迷う暇もなく抜き身の刃で肉を断つ。
彼女は抜刀術の遣い手だった。素早く距離を詰めてきた男の首に間髪入れずに刃を返す。ぼとりと首が地に落ちる。落ちた首は物も言わずに転がったままで、それに気付いたのか男の身体は足がもつれ地面に倒れこむ。
「う、うわぁ!?」
死の現実に直面した男は叫ぶ。それを一顧だにせず貞子は次の獲物を視界に収める。
男たちは慌てて逃げ始めるも恐慌に陥ったその動きは陸に上がった魚のように鈍い。たちまち追ってきた刃の錆となった。彼等は、たった二名を残し全てが首を落とされ絶命した。
貞子は武器を懐紙で拭った後、腰に戻した。
「も、ものの一瞬で……貴様ら何者だ」
髭男の言葉が終わらない内に紋次郎が刀を肩に担ぐように構え、刃を返すと横に凪いだ。呻き声ひとつ立てず男は倒れた。
「み、見えなかった……。余があやつの剣筋を捉えることができなかった……!」
いつの間にか眠りから醒めた一葉は、その一部始終を黙って見ていた。彼女は知らず知らずのうちに身を硬くして戦闘に見入っていたことに今更ながらに気付いた。
「貞子といい紋次郎といいとんだ手練れだな。このような剣技を身に着けている者が余の領国に幾人もおったとはのう。どこぞの家に仕えていたのか……?」
「ふふ、さてどうでしょうか……」
一葉の呟きを聞き取った秋子が妖しく微笑みながら言う。
「……素っ気ない返答よな」
一葉は眉を顰めた。秋子は微笑するだけで答えなかった。一葉もそれ以上聞くのは止めた。
「お二人ともお見事でした。あっという間のことで何がどうなったのか全くわかりませんでしたよ」
秋子は駆け寄りながら一葉と貞子に言葉をかけた。
「それにしても一体何者だったのでしょうか? 突然襲いかかってくるなど穏やかではございませんね」
「おおかた足軽崩れのゴロツキだろうさ。金に困って身をやつしたんだろう」
紋次郎は秋子の言葉に答えると刀を軽く振って鞘に収めた。
一葉はその流れるような動作をまじまじと見る中で気付く。
「あっ」
小さく声を上げた一葉に気付いた貞子と紋次郎が振り返った。
「なんと! 紋次郎よ、その男は殺しておらぬのか!」
「おお、一葉殿。起きなすったか」
「暢気に返事をしておる場合ではなかろう! そいつはゴロツキ共の親玉、始末しておかねば何が起こるか分からぬぞ!」
「うん? ああ、まあ慌てなさんなよ。このオレに考えがあるのさ。言ったろう路銀を稼ぐとな」
そう言うと、紋次郎は武器を構えたまま動くことができずにいる残りの足軽崩れの男たちの元へ悠然と歩み寄っていく。男たちからは恐怖と緊張が窺えた。
「さて、お前さん方に尋ねるんだがよお……。オレたちとやり合って命を失うか。それとも条件を飲んで生き永えるか、どちらを選べば良いと思う?」
紋次郎の問いに男たちは震え上がった。死の恐怖に直面すると誰もが似たような反応をするものだ。だが彼らはまだマシな部類であった。小便を漏らしながらも必死の覚悟で「条件とはなんだ! み、見逃してくれて」と言い返した者もいる。彼等の態度にはそれなりの必死さも感じられた紋次郎はニヤリと笑ってみせる。
「そうさな、取り敢えず服と武器は置いて行って貰おうか」
「……たったそれだけで見逃してくれるというのか?」
男が訝しげに返した。どうやら生に対する執着が人並み外れて強い男らしい。
──ふん、意外と小心者だな。
再び笑みを浮かべて紋次郎は言葉を続けた。
「もちろんだとも、信じてくれよ。それともこのまま斬り合いを続けたいのか?」
男たちは大きく目を見開いた。彼我の戦力差を正確に推し量ったのであろう。
「わ、分かった。従う」
紋次郎は満足げに頷くと「おい」と気絶している髭男の顔をぺちぺちと叩いた。髭男の意識が戻ったようだった。
「よう、久しぶりだねえ」
「うぅ……お、お前は」
「単刀直入に言う。命が惜しくば服と武器を置いていきな。急げよ」
紋次郎は刃を光らせながら念を押した。
「わ、分かった。言う通りにする」
髭男が慌てて武器と衣服を脱ぎ始めた。もう考える気力も失せていたのかもしれない。彼らは最早一刻たりともこの場に居たくなかったに違いない。武器を持たず褌姿のままではあるが何とか身形を整えた三人組の足軽達は一目散に逃げ出していった。
「はーはっはっ、情けない姿よ」
大分この世界に染まってしまったな、と紋次郎は思った。
「よおし貞子、後は死んだ奴等の武器をいただくとしよう」
「はい分かりました」
「私もお手伝い致します」
紋次郎たちは身ぐるみを剥ぎ、次々と武器を巻き上げていった。中には刀もあったがいずれも手入れが行き届いていない粗悪な品物であり戦闘に使うのにも不安を感じる代物であったのでそれらは後に売り捌くことになった。貞子は倒れた者の死体を改めると彼らの財布を抜き取っていったが、殆どが空であった。
「……仕方のないこととは言えあまり気分の良いものではないな」
一葉が眉根に皺を寄せながら言った。
「オレにおぶられながら言う台詞かね」
「し、仕方ないであろう! 怪我の所為で身体に力が入らぬのだからっ」
「だがこれが戦国の倣いよ。生きる為には他者を蹴落とさねばならぬこともある。この乱世に足を踏み入れた以上、一葉殿も覚悟を決めねばなるまいよ」
一葉は唇を嚙みしめ、苦悶の表情を浮かべたものの、やがて小さく頷いた。
「……そんなことは言われずとも分かっておる。だが彼等が賊に身を落としてまで生き足搔いておることが気にかかってしまうのだ。ううむ……」
一葉はそう言って悲しそうに目を伏せた。それを見て紋次郎も口を閉ざした。まだ幼い時分とはいえ未来の足利将軍である。治めるべき民たちの現実を見て何を思ったのだろうか。
沈黙がその場を支配していたが、それは次の貞子の一言で掻き消された。
「……お二人はとても仲睦まじくって、私なんだか嫉妬してしまいますよ……」
軽口を叩いた彼女であったがその表情はどこか哀しげであったように見えた。こころなしか瞳に光が宿っていない気がする。
「貞子! そなたは斯様な目で余を見ておったのか!?」
一葉は驚いて叫んだ。
「いいえ違いますよ。単に紋次郎さんとくっついているのが羨ま……こほん、何でもありません……」
いじらしくちらちらと、紋次郎に視線を送ってくる貞子に吹き出した。その姿はまるで小動物が物欲しそうにこちらを見ているかのようだった。
秋子はくすくすと笑った後、貞子に向かって言った。
「もぅ貞子ちゃんたらそんなに拗ねないでください。ね?」
「むぅ秋子殿、別に拗ねてなどは……」
貞子はもごもごと口の中で言い訳しながら赤面した。その仕草がますます小動物のようだったため紋次郎はさらに笑ってしまった。
「何が可笑しいんですか~? どうして笑うんです〜?」
むくれたような顔を見せる貞子。そんな表情もまた魅力的だなと紋次郎は思った。
そして笑いながら言った。
「いやすまなんだ。ついな……ククッ」
悪びれた様子のない態度に対してなおも頬を膨らませる貞子だったが、やがて諦めたようにため息をついた。それから再び口を開いた。
「……まったくもう意地の悪い人ですね」
「ま、まさか。紋次郎と弥太郎殿はそう言う関係……?」
するどい女よなと紋次郎は思った。