トレセン学園分遣隊活動記録   作:山屋な司令官(改)

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お待たせしました。ついにデビュー戦です。但しレース本番まではいきません。

・・・・プロット段階では1話で納める予定だったんです。ですが3分の1ほど書き進めたところで予想以上に話が膨らんでしまい、1話ではおさまりが悪くなってしまったので分割しました。どうもすみません。







第9話 デビュー戦・前編

 小島隆史とアグネスタキオンはこの日、阪神レース場の待機所内部にある控室にいた。目的は勿論、デビュー戦への出走である。

 2人は前日の夜に東京から新幹線とJRを乗り継いで大阪へと移動し、その日はURAと提携している梅田のホテル(勿論別々の部屋である)に宿泊した。そして翌朝ホテルで朝食をとると、阪急電鉄の梅田駅から神戸線と今津線を乗り継いで阪神レース場の最寄り駅である仁川駅へと降り立ち、そのまま出走の1時間前までに入ることが義務付けられているレース場の待機所に向かった。

 レースに出走するウマ娘はここで医師による身体検査と、係員による装備品のチェックを受けた上で最終的に出走を許可される。逆を言えば、本人の体調や装備品に不具合や不正がある場合には出走できない。幸いにも2人はその双方をパスし、後はパドック入りを待つだけの状態となっていた。

 

「しかし君、その服はどうにかならなかったのかい。いくら君が本来属している組織の物とは言え」

 体操服とゼッケンを身に付けたタキオンが、小島の姿を眺めながら呆れたような口調で答える。彼はこの日、黒い革製ベルトで胴のあたりを締めた紺のスラックスに淡い水色の、両胸にそれぞれポケットの付いた半袖ワイシャツに黒の革靴といういで立ちでこの場にいた。首からは、薄手の透明なビニール・ケースに入れられたトレセン学園の職員証をストラップで掛けている。それだけならば他のトレーナーらと何ら変わりはない。

 但しそのワイシャツの両肩には、紺地に銀色で線一つと星三つの意匠が記された肩章が付けられ、右胸には細長い長方形をした名札が取り付けられていた。加えて、今被っていないとはいえ制帽も持っている。

 小島が昨晩も今日も移動中ずっとこの姿であり続けたため、周囲から仮装行列でも見るような視線がいくつも突き刺さってきた。おかげで他人の機微に無頓着な所のあるタキオンですら、不特定多数から注がれる眼差しに若干辟易する始末であった。しかし目の前の男はそれを気にすることなく、まるでどこにでもいるような会社員のような振舞いを続けている。

「会社勤めする人間がスーツを着るような物だ、何が悪い」

小島はさも当然の如く答えた。

「まあいいさ-それで、これから私はめでたくデビュー戦という訳だが、何か作戦はあるのかい」

 君の本職柄そう言うのは得意だろう、タキオンはからかうようにそう続けた。

「とりあえずは先行だな」小島は答えた。「序盤-向こう正面までは集団前方から中団あたりにつけて、第3コーナーの手前から少しずつペースを上げて先頭に立って、後はそのまま足を延ばして押し切れ。それだけを守ってくれるのなら細かい部分はお前さんに任せる」

「随分と単純だねぇ」どこか意外そうな表情を浮かべながら彼女は答えた。「色々なことを考慮したような、もっと細かい指示が来るものだと思っていたよ」

「どれだけ準備したところで想定外の事態は起こるものでな、あまり細かすぎる指示を出すとそれに対処できない」

 説明文を読み上げるような声で小島は答えた。一度言葉を切り、続ける。

「特に俺たちみたいな組織だと、状況に応じて柔軟な対応が取れなきゃ敗北に直結する。だからこそ、大まかな方針だけ指示してその範囲内なら現場-今回の場合はお前さんに一任ってのは俺たちが良くやることだ。それを応用したまでさ」

「成程ねぇ」興味深げにタキオンは答えた。「それなら一先ずは、君の言ったことに従うとしよう」

「そうしてくれ」小島は答えた。「あとはそうだな、怪我しないで帰ってこい。これは勝利よりも優先するべき事項だ。これを守ってくれるのならば、たとえどんな結果になってもお前さんを責めることはしない」

「分かったよ-それよりも、一つ不思議でならないことがあるのだが、聞いていいかい」

「なんだ」

 亭主の浮気を問い詰めるような声でタキオンは口を開いた。

「君の奥方-森宮トレーナーの事さ。いくらウマ娘と担当トレーナーとは言え、自分以外の女性と泊りがけで出掛けることをよく許可したものだねぇ」

「あいつは俺の女の好みをよく理解しているからな」小島は答えた。「10個以上も年が離れてるような奴は守備範囲外だ」

「明確な回答をどうもありがとう」

 壁にかけられた時計に目をやりつつ、苦笑しながらタキオンは答えた。時計の針は12時15分を指している。

「さて、そろそろパドックに向かわなくてはならない時間だ。行くとしようじゃないか」

「途中までは一緒だな」

 小島は答えた。彼はパドック内にある関係者用の席に向かうため、タキオンとは途中から別行動をとることになっている。そしてその後、彼女に声をかけることが出来るタイミングは本場入場直前の地下道まで無い。そのことを思い返した小島はタキオンに声をかける。

「ユニフォームやゼッケン、蹄鉄シューズに気になるところはないか」

 それを聞いて、タキオンは自分の全身を嘗め回すように確認する。くまなく見た感じ、異常は認められなかった。それを確かめた彼女は応じる。

「問題は無いよ。それじゃあ行こうか」

「ああ」

 2人は共に立ち上がると、部屋を出てパドックへと向かう。その道中で制帽を被りながら、今頃あいつらも府中でこんなことやってんだろうな、そう小島は思った。

 

 

「作戦については問題ないわね」確認するような声で、森宮有沙は口を開いた。「途中までは中団あたりにいて、最終直線に入ったらカフェちゃんご自慢の末脚でごぼう抜きにしなさい、ってあいつ(隆史)から言われてるわ」

「・・・分かりました。大丈夫、です」

 東京レース場の待機所、その中にある控室の一つではそのようなやり取りが繰り広げられていた。本来ならばライスシャワーの担当である有沙が、なぜカフェの面倒を見ているかについては理由がある。

 

 小島がタキオンとカフェのデビュー戦の出走登録を行う際、当初は2人とも別々の日程のレースに登録するつもりでいた。その方がそれぞれに担当として付き添え、一つ一つのレースに集中して取り組む事が出来ると考えたからだ。

 だがここで問題が生じた。2人の適性にあった距離とレース場-東京と阪神、それぞれの2000m前後-のデビュー戦を走らせるとなると、開催日程の都合上どうしても同じ日になってしまう。デビュー戦の日程をずらす事も考えたが、それだと東京と阪神の春開催は既に終わってしまい、新潟や福島、小倉といった夏開催をメインにしているレース場でのデビュー戦となる。

 2人の適性を鑑みた場合、それらのレース場のコース形状から判断して好走できるとは考えづらかった。そのため小島は、同じ日に東京と阪神で行われるデビュー戦に出走登録を行った上で、東京で走るカフェには有沙を担当代理として付き添わせ、自らは阪神で走るタキオンに同行することにした。

 

 なお、何故彼がタキオンに付き添うことにしたのかについては、タキオンとカフェにその理由を問われた際、タキオンに向かって間髪入れずに、

「お前さんは何をしでかすか分かったもんじゃないからな」

と答えたのに加え、その言葉を聞いたカフェが何度も首を縦に振ったことが全てを物語っていた。

(ちなみにタキオンはその際「どれだけ私を信用していないんだい」と答え、小島に「初対面で怪しげな薬を飲ませようとしたやつが何を言う」と反論されていた)

 

-尤も、今回何かを(彼だけに原因がある訳では無いとは言え)しでかすことになったのは皮肉にもタキオンではなく小島自身の方であるのだが、この時の彼はそれを知る由もなかった。

 

「ああ、それとあいつからカフェちゃんに伝言を預かってるから言っておくわ」

「・・・何でしょうか」

「『怪我をしないで帰ってこい、それを守ることが出来たのならレースの結果にはとやかく言わん』だそうよ」

 それを聞いたカフェは、その言葉を発した小島の様子を想像すると同時に、全身から程よく緊張感が抜けていくのを感じた。加えて無自覚なまま、微かな笑みも浮かべている。

「・・・ふふっ、小島さんらしい・・・ですね。・・・でもおかげで、リラックスできました」

 微笑ましい、とでも言いたげに彼女は答えた。それを聞いた森宮は、まるでプロポーズに対する答えを返すように口を開く。

「そうでしょう。あいつはね、自覚なしにそういうことを自然体で言えるの。あたしにだってそう。真顔で何度もこっちが恥ずかしくなるようなことを言ってきたことやら」

 天然なのよ、そう言って有沙は言葉を切った。どこか深い愛情を感じさせるような表情を浮かべている。カフェは口元を緩めながら口を開いた。

「・・・小島さんは本当に、森宮さんのことが好きなんですね」

 それを聞いた有沙は一瞬どこか呆けたような表情を浮かべたものの、やがて当り前よとでも言いたげな口調で答えた。

「そりゃそうよ。あたしだってあいつの事は大好きなんだから。言っちゃなんだけど、あいつよりあたしの亭主にふさわしい男はいないわ」

「・・・羨ましい、です」

「正直、同病相憐れむって言った方が近いけどね」苦笑を浮かべながら有沙は答えた。「あいつを見てると時々、自分を見ているように思えてくるのよ」

 

-あの2人は似た者同士だ。

 

 有沙の言葉を聞いたカフェは以前、真田忠道に言われたことを思い出す。あながちそれは真実であるのかもしれない、彼女はそう思った。それでも未だに、目の前の女性と小島の2人が夫婦である事には納得できていないのだが。

 

 その時ふと、カフェは有沙に対して違和感を感じた。1時間ほど前、共にレース場に入場する際に彼女が押していたベビーカーと、そこに乗っていた赤子の姿が無い。どうしたのでしょうか、そう思ったカフェは問いかけるように口を開いた。

「そういえば・・・隆俊君は、どこに」

「心配しないで」有沙は答えた。「助っ人を呼んだから、その人に預けてあるわ」

「・・・助っ人?」

「あいつのお姉さんよ。ここから武蔵野線で一本で行ける所に住んでるから、関係者席への入場と、交通費と昼ご飯代をこっちで出すことを条件に来てもらったわ」

「小島さんの・・・お姉さん?どんな人・・・なんでしょうか」

 あの人にお姉さんなんていたんですね、そう思いながらカフェは答えた。

「優しそうで、いつも笑みを浮かべているような人ね。目のあたりがあいつにそっくりなのよ」

「・・・聞いた限りでは」カフェは答えた。「あの人のお姉さんとは・・・思えない人ですね」

「まあ、あたしも勘違いしたことあるから。よかったら、レースの後で会ってみる?」

「いいん・・・ですか?」

 思いもよらぬ言葉に、逡巡の表情を浮かべながらカフェは答えた。

「カフェちゃんさえよければね」

「それでしたら・・・お願い、します」

「後でお姉さんに言っておくわ」腕時計に目をやりながら有沙は答えた。「それよりも、そろそろパドックに行く時間よ。途中まで一緒に行きましょう。蹄鉄シューズやユニフォームに問題は無いわね?」

「・・・大丈夫、です」

 自分の全身を一瞥しながらカフェは答える。それを確認した有沙は自分も忘れ物が無いかを確認すると、カフェと共に部屋を出た。

 

 阪神レース場のパレード・リング-通称パドックは、骨組みの上に覆いを直接被せられたような屋根が客席を覆っており、それを支える柱の位置と相まって、まるで大がかりな野外劇場の様な印象を覚える。屋根は(パドック内側から見て)手前側が、半開きになったドーム球場の天井のように切り取られており、そこからは青空を直接拝むことが出来た。

 パドックの内側、客席から見て右側にある関係者用スペースへ小島が入った時、そこにいる全員が一斉に彼の方を向いた。男もいれば女も、更にはウマ娘もおり、小島と同じように、自分の担当するウマ娘がデビュー戦に臨むトレーナー達だった。その視線には何れも余所者を品定めするような、どこか敵意を感じさせるような物が含まれている。

 小島はそれを気にすることなく飄々とした態度で前の方に陣取り、客席の方を見渡す。人と空間の比率は大まかに1対1と言ったところだった。時折こちらに-というよりは小島に、まるで珍獣でも見るような視線を向けてくる者もいる。パドックの中央には、お立ち台のようなものと幕が張られた門とが一体になったようなものが置かれていた。出走するウマ娘は後ろの門から出て来た後、ここで観客の前に姿を見せることになっている。

 

-だったら中央の舞台じみたものだけで十分だと思うんだが。彼はそのような疑問を抱いた。

 第一、周囲のサークルは何のためにあるんだ? いくらここから地下道を通ってコースに出るとはいえ、たかが舞台を置くためにしてはいささか大きすぎる。まるでメテオのような、4()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 彼はそのような事を考え-すぐに思考回路を切り替えた。今この場で考えるべきは担当しているウマ娘(アグネスタキオン)の状態を見る事であって、それ以外の事はレースの後で考えることにしよう。そう考え、浮かんだ疑問を脳内の箪笥に一度しまい込む。客席の方に視線を向け、その最上段、通路と一体になった部分に目をやる。

 

 そこには仲睦まじげに寄り添う一組の男女の姿があった。男の方はくっきりとした目を筆頭に、世の中の大半の女性が見れば十分イケメンと判断するだろう整った顔立ちをしている。無地のボタンダウンのシャツの下にサマーニットを着こみ、きちんと折り目の付いたズボンを穿いて、カジュアルさとフォーマルさを両立させていた。

 一方、女性のほうは淡い色をした無地の半袖シャツにグレーのロングスカートを身につけている。髪型は腰のあたりまであるような長さの、濃い茶色のストレートヘア。そして彼女の頭頂部には自身が何者であるのかを如実に示す、二等辺三角形状の耳が2つ存在していた。それだけを見るのであれば、ごくありふれた人間とウマ娘のカップルに過ぎない。

 だがよく見るとそのウマ娘の背丈は、耳の先端部まで含めても隣で立っている男の胸のあたりまでの高さでしかなかった。その理由を説明するには、彼女が両側に大きな車輪の付いた椅子に座っていることを付け加えるだけで事足りる。そして小島は、その2人と面識があった。

 彼は2人の方に手を振る。向こうもこちらに気がついたらしく、軽い会釈が返ってきた。

 

 やがてこの後のレースに出走するウマ娘たちが1人1人パドックに、紹介アナウンスと共に姿を現す。タキオンは4番目に出てきた。いつもの通りどこか飄々としている。後ろの電光掲示板を見ると3番人気とあった。-それが何を意味しているのかについては、知ってはいても理解できないでいるが。

 全員の紹介が終わると、彼女たちはそれぞれパドックの中で思い思いに過ごしていた。物思いにふける者、準備体操をする者、呼吸を整える者-そのような中でタキオンはまるで実験対象を品定めするかのように客席を見回している。あいつらしいな、小島は思った。

 そうこうしているうちに発走15分前となり、係員から合図が掛かる。同時にトレーナー達はそれぞれ担当するウマ娘の傍へ向かった。小島もまたタキオンの傍へ向かうと、皆と共にパドックとコースをつなぐ地下通路を彼女と隣り合わせで歩いて行く。周囲からデビュー戦独特の緊張感が伝わってくる中、それとは対照的な、落ち着き払った表情を彼女は浮かべていた。そんなタキオンに対し、小島は事務的に話しかけていく。

 

「レース運びについては、控室で説明したことが全てだ。今さら言うべきことは無い」

「要は先行して押し切れ、という事だね」

「そう言う事さ」

 デビュー戦前とは思えないような、緊張感の欠片のもない会話が繰り広げられる。その時、何かを思い出した小島はタキオンに念を押すように話しかけた。

「ああ、繰り返しになるが一応言っておく」

「何だい」

「怪我しないで帰って来いよ。それさえ守ってくれるなら、結果についてはとやかく言わん」

 それを聞いたタキオンは軽く笑みを浮かべる。少しの間を置いて彼女は答えた。

「全く、君らしいねぇ。ならばせいぜい、やるだけやってみるとしよう」

「俺は席で見てるよ」

 彼はそう言って、コースに向かうタキオンと分かれる。関係者用の出入り口からレース場のコンコースへ抜けると、そのままスタンドの5階にある関係者席へと向かう。

 

「お久しぶりです、お義兄さん」

 声をかけられたのはその時だった。振り返ると、そこにはウマ娘の乗った車椅子を押している男の姿があった。

「まさか来てるとは思わなかったぞ、(あつし)君」

 小島は軽く驚いたように答えた。

「姉ちゃんから連絡がありまして。それに今日は2人とも仕事が休みだったので、予定を合わせて行こう、という事に」

 篤君、と言われた男は答えた。彼は現在、京都大学の経済学部でフルタイム-すなわち、無任期雇用の助教をしている。

「仲睦まじいようで嬉しいよ」小島は答えた。「早い所、有沙と同い年の義妹というのを見せてほしいもんだ」

「鋭意努力してますよ」恥ずかしそうに篤は答えた。

 

「もう、小島さんったら」

 車椅子に座っているウマ娘が口を開いたのはその時だった。頬を微かに赤らめている。

「有沙ちゃんと小島さんに比べたらまだまだですよ」

「これは失礼しました」おどけたように小島は答えた。「お久しぶりです、マーキュリーさん」

「お正月以来ですね。そう言えば、隆俊君は元気にしていますか」

 マーキュリー、と呼ばれたウマ娘は答えた。

「おかげさまで、元気すぎるほどですよ」

「それはよかったです」

 彼女は答える。それを聞いた小島は、まるで世間話でも持ち出すような口調で返した。

「よかったら、これから3人一緒に関係者席へ行きませんか。確か、車いす用の席もあったと思います」

「いいんですか?」

 心配そうな表情を浮かべながらマーキュリーは答えた。事実、レース場の関係者席に入場できるのはURAと中央トレセン学園の職員並びに学園所属のウマ娘とその親族、そしてレースのスポンサーとなっている企業や団体の関係者に限られている。元は中央トレセン学園のウマ娘であったとは言え、現在はただの民間人に過ぎない彼女がそこに入れるとは思えなかった。そんなマーキュリーをよそに小島は答える。

「関係者席は確か、親族以外でも関係者の付き添いがあれば入室出来ますから問題ありませんよ。勿論身分証明書を提示して頂く必要はありますが-持ってますか」

「運転免許なら、確か財布の中に」彼女は答えた。

「それなら大丈夫です」

 行きましょうか、小島はそう言って歩き出そうとする。目の前の2人とは別の方向から声をかけられたのはその時だった。

「あの、すみません、タキオンのトレーナーさんで良かったでしょうか」

「誰だ君は-って」

 振り向いた小島は驚く。なぜならばそこには、菫色を基調としたトレセン学園の制服を着こんだ、アグネスタキオンにそっくりな-瓜2つと言っていい-顔をしたウマ娘が立っていた。唯一の相違点は耳飾りで、左耳についているのはタキオンと同様だが、彼女のそれとは異なり、化学式ではなく飛行機のステンシルを模したものが付けられている。

 

 そこまで見て彼は思い出した。確か、タキオンには彼女と瓜2つの-そこまで考えたところで、目の前のウマ娘が口を開いた。

「初めまして、アグネスフライトと言います。アグネスタキオンの姉です-妹がいつもお世話になっています」

「こちらこそ。君の事は彼女から聞いているよ」小島は答えた。「ところで、今日は何をしに来たんだい」

「タキオンがデビューするので、その応援に」フライトもまた応じる。「それで、彼女はどんな様子でしたか」

「いつも通りさ。落ち着いていて-どこか飄々としていた。後はそうだな、客席をまるで実験対象でも探すように見回していたよ」

「タキオンらしいですね」

 どこか遠くを見るようにフライトは答えた。

「本音を言えば、あの子の事が心配だったんです。私よりも素晴らしい素質を持っていながら、せっかく学園に入ったというのにデビューもせずに実験ばかり。両親は放任主義だったのであまり心配していませんでしたが、私は不安で一杯でした」

「ダービーウマ娘が言うと説得力があるな」

 口元を緩めながら小島は答えた。その姿を見たフライトは一瞬、何かを感じ取ったような表情を浮かべたものの、すぐにそれを引っ込めて口を開いた。

「そんなわけでトレーナーがついたと知った時には驚きと-安堵の気持ちで一杯でした。そのトレーナーが自衛隊の方だと知った時には再度驚いたものですが、こうして実際に会ってみて、タキオンが貴方を担当として選んだ理由がよく分かりました」

「興味深いな、聞かせてくれ」

 望遠鏡を覗き込むような態度で小島は答える。その、彼の態度と目を見たフライトはどこか納得したような調子で応じた。

 

「貴方は、タキオンと似たようなところがある-そう感じたんです」

「俺が、あいつと」予期せぬ相手から妊娠を告げられたような態度で小島は答えた。「あんなマッドサイエンティストと一緒にされるのは困ったもんだが-まあいい。それよりも君がそう感じた理由を教えてくれるか」

「目、ですね。あなたはタキオンが実験に集中している時の様な、そんな目をしているんです。まるで、狂気が宿っているような」

「狂気、か」

 噛み締めるような口調で小島は答えた。同時に、初対面のタキオンの様子を思い出す。いきなり自分を怪しげな薬の実験台にしようとしたこと、その後で狂気と優しさが同居しているようだと自分を評したこと-それらを思い出しながら再び口を開く。

「まあ、似たような物だな。自分でも、かなり性格がねじ曲がっているところがあるのは自覚している」

「そうでもなくちゃ、タキオンのトレーナーなんて出来ないと思いますよ」

 納得したようにフライトは答えた。

「あの子は我儘で-これと決めたら倫理観を無視して突っ走るような所がありますから。そんな彼女を御せるのは多分、あの子と似たような面を持つ人じゃないと無理だと思います」

「一応言っておくと、俺はこんな性格になりたくてなったわけじゃない。そうならなければ、まともに生きていけなかっただけさ」

 遠くを見るような、それでいてどこか自分を嘲るような口調で小島は答えた。

「そうなんですか」

「過去に色々とあってね。そんなことはさておき、そろそろ席へ急ごうじゃないか。でないと、あいつのレースが始まってしまう」

 彼はそう言って動き出す。促されるように他の3人もそれに続いた。

 

「ところで、俺がタキオンの担当だとよく分かったな」

 関係者席への移動中、小島はフライトに尋ねた。

「それは」フライトは答えた。「妹から聞いていたんです。曰く、『随分面白い人間が私の担当になったよ』と。その時に、詳しい話も聞かせてもらいました」

 それを聞いた小島は思った。あいつ、俺のことを何だと思っているんだ。口調に関してはもう諦めているが-俺が面白いだと?分からないな。第一、俺は面白さの対極にあるような人間だぞ?

 いや、一つの物事について多面的に見ることで見えてくるものもあるという事か。そういう意味で言うのなら、納得できなくもない。あいつらから見れば、俺たちは異分子そのものだ。そちら側から見ることで、自分でも知らなかったことが見えてくる。成程、これが異なる者同士の衝突で見えてくるものという事か。そう言えば、あのおっさん(真田忠道)がそんな感じのことを言っていたな。

 彼はそこで思考を中断した。関係者席の入り口が目の前に見えてきたからだった。

 

 東京レース場の地下通路でコースへ向かうカフェを見送った有沙は、そのままスタンドへと向かった。レースの開催日という事もあって、それなりに賑わいを見せている。これがG1ともなると、立錐の余地がなくなるほどの観客が押し寄せるというのだから凄まじい。

 (そう言えば)

 歩きながら有沙は思った。マーちゃんのレースを見に言ったときもこんな感じだったわね。あのときは、あの子があんなことになるなんて思ってもいなかったわ。ここに来ている人たちはそのような、レースの世界の裏側をきちんと理解しているのかしら。それとも明るい面だけを見て全てを知ったような気になってはしゃいで、そんな負の側面は見たくないとでも言うの?全くもって莫迦げているわ。

 そう思いながら、彼女は同時にこんなことを思ったところで何の解決にもならないという事を自覚する。自分が感じている不満を感情的にぶつけているだけだというのは彼女自身十分に理解していた。それほどまでに、幼馴染をレースの世界から半ば強制的に追い出したトレセン学園に対する彼女の憤りは高い。

 だが、上官から命じられてトレーナーの仕事をやることになった以上、その感情を表にすることなく心の中にしまい込んで目の前の仕事に取り組んでいる。そしてそのうちに、自分がトレーナーとしての態度を身につけ始めていることも実感していた。

 

(ああ、いやだわ)

 有沙は再び思う。沸き起こってくる感情を処理しきれず、表情がきつくなる。周囲にいる観客が、ぎょっとしたような表情で彼女の事を見つめる。彼女の背の高さとスラックスタイプの空自の制服姿が加わることで、言葉では言い表せないほどの威圧感を周囲に与えていた。そんな周囲を意にも介さず、有沙はあることを内心で決意する。

-決めた。隆史が帰ってきたらあいつ相手にたっぷり発散させないと。一昨日の夜もしたけど、それだけじゃあ足らないわ。かまうもんですか。たっぷり搾り取ってやろうじゃないの。

 

「ありさおねえちゃん」

 足元に、彼女の半分ほどの背丈をした子供がじゃれついてきたのはその時だった。それを見た途端、有沙は先程までの態度をどこかへ置き忘れたかのように相好を崩す。そのまましゃがみこむと、笑顔を浮かべながら目の前の男の子の頭を撫でまわした。

「おっきくなったわねえ、悠ちゃん」

「あのね、あのね」幼児らしく、たどたどしい言葉で彼女の甥っ子は答える。「ぼくね、たかとしくんに、おにいちゃんしてあげたの」

「ありがとうねえ」甥っ子を可愛がりながら有沙は答えた。「それよりも、お父さんとお母さんはどうしたのかしら」

「あっちにいるよ」

 彼はそう言って後ろを指さす。そこには一組の男女の姿があった。いずれも赤子の乗ったベビーカーを押している。有沙の姿を認めた2人はそのまま彼女の下に近づいてきた。

 途端に甥っ子は実の母親の元に駆け寄っていく。肩にかかるほどの位置で切りそろえられた黒髪。女性としてはやや濃い眉に、弟そっくりの細めだがはっきりとした目。そして全体的に笑みを浮かべているような、優し気な顔立ち。隆史の実の姉であった。彼女は息子を抱き上げると、有沙に向けて話しかける。

 

「久しぶりね、有沙ちゃん。元気そうで何よりだわ」

「お久しぶりです、お義姉さん、お義兄さん-それに、洋子ちゃん」

 義理の兄が押すベビーカーの中では、隆俊と同じ時期に生まれた姪っ子が有沙の事を見つめていた。

「今日はわざわざ、隆俊の面倒を見に来て頂いてありがとうございます」

 義姉が押していた、息子が乗るベビーカーを受け取りながら有沙は答えた。

「いいのよ、あたしも拓郎も育休中だし。気分転換にちょうどいいわ」

 それにお金は全額隆史持ちだしね、そうからかうように有沙の義理の姉-福村(旧姓:小島)郁子は義妹に話しかけた。

「あいつは今日、大阪でしょ-仕事で」

「ええ。なんでも『あのマッドサイエンティストは俺がついていかなきゃ何をしでかすかわからん』だそうで」

「マッドサイエンティスト?」

「隆史が担当しているウマ娘-アグネスタキオンちゃんのことです。あいつはそう呼んでます」

「ふうん。それにしても、よかったの?」

「何がですか」

「いくら仕事とはいえ、有沙ちゃん以外の女の子と泊りがけで出掛けるっていうのは、姉としてちょっと思うところがあるわね」

「泊まる部屋は別々ですし、大丈夫ですよ」

 あっけらかんとしたように有沙は答えた。

「第一あいつがあたし以外の、それも10個以上も下の子にどうこうなるような女の好みしてたら、あたしと結婚なんてしてるわけないじゃないですか」

「それもそうね」

 2人は顔を見合わせて笑った。母親に抱っこされている甥もまた、よく分からぬまま、つられて笑みを浮かべる。

「ところで、席に行かなくていいの?そろそろ、レースが始まる時間じゃないかしら」

「あら、本当ですね」腕時計を確認しながら有沙は答えた。「じゃあ、一緒に行きましょうか。ついて来て下さい」

「ええ、そうさせてもらうわ」

 有沙はそのまま、息子の乗ったベビーカーを押しながら関係者席へと向かった。郁子もそれに続いて長男を抱っこしたまま、夫と彼が押すベビーカーに乗った長女と共に歩き出す。

 

 阪神レース場のスタンド5階にある関係者席からは、広大な窓ガラス越しにコース全体とその外側にある住宅街、そして木々の生い茂った山並みを一面に見渡すことが出来た。座席はコースに向かって下るような形の階段状になっており、背もたれとひじ掛け付きの椅子が2つ1組でそれぞれ通路を間に挟む形で規則的に置かれ、液晶パネルが中央に付いた固定式のテーブルがその前側に据え付けられている。

 小島はゴールが正面に見える所の最上段にある車椅子用の関係者席に篤とマーキュリーを案内すると、その一段下にあるブースにフライトと横並びの形で座った。コースの方に目をやる。スタンド正面の最終直線、内回りコースの第4コーナーとの合流点から少しゴールよりに寄った地点にスターティング・ゲートが置かれ、係員がせわしなく動き回っている。その後ろでは、これからレースに臨むウマ娘たちが軽い準備運動をしながらゲート入りを待っていた。

 

「最新巻はどんな感じになりますか」

 小島はマーキュリーに尋ねた。彼女は京都にあるゲームソフトメーカーに勤務する傍ら、『異端者による変革』をテーマに兼業作家として小説を書いている。と言っても、勤務しているメーカーから販売されているゲームのノベライズ版なので、実質的には会社の業務、その一部と言ってよい。

「宝塚記念が終わって、札幌記念の手前辺りまでですね」彼女は答えた。「多分来月中には出版されると思います」

「そりゃよかった、買いに行きますよ」

「よろしくお願いします」

 

 その後はフライトも含んだ4人でとりとめのない世間話に興じる。しばらく話していると、マーキュリーが不意に小島に話を振った。

「それにしても、有沙ちゃんが小島さんと結婚してくれて本当に良かったです」

「どういうことでしょう」

 そう問いかける小島に、マーキュリーはさも当然というような口調で答えた。

「だって-小島さんと一緒にいる時の有沙ちゃんは、とても幸せそうな顔をしていますから」

 それを聞いた彼は腕と膝を組みながら二三度まばたきをすると、軽く笑みを浮かべた。少しの間彼女の言葉を脳内で味わうと、やがてさも当然と言わんばかりの口調で答える。

「当たり前でしょう。あいつより俺のカミさんにふさわしい女性なんてこの世にいませんよ」

「これからも大切にしてくださいね、有沙ちゃんのこと」

「勿論」

 それを言う小島の表情には、どこか気恥ずかしさが浮かんでいた。その間にもコースではレースの準備が着々と進められており、スタンド正面にある巨大オーロラ・ビジョンには東京でこれから行われるレース-カフェが出走するデビュー戦のそれ-の模様が映し出されている。

 

「それにしても、隆史がこんな所で仕事をするようになるなんてね」

 東京レース場のスタンド7階にある関係者席に座りながら、郁子は隣に座る有沙に話しかけた。2人の膝の上には、それぞれの長女と長男を座らせている。

「中学の時の一件の後、あいつはウマ娘-特にレースについてのニュースや記事が出る度に顔を背けたり、気分を悪くするような感じだったのよ。今は大分ましになってきてるけど、それでも隆史がウマ娘に関わる仕事をするようになるなんて、俄かには信じ難いわ」

「私も似たような物ですよ。幼馴染がトレセン学園で酷い目に遭って以来、あの学園のことはあまり好きじゃないんです。ですけど私もあいつも、あくまで命令によって与えられた仕事と割り切って、私情とは分けてますから」

「国家公務員って大変ねえ」どこか同情するように郁子は答えた。「私も拓郎も、民間企業勤めだからその辺りはよく分からないわ」

「その代わり、給料や福利厚生に(平時の)労働環境は以前に比べてすこぶる良くなりましたよ。特にお給料なんて、外資系やコンサルティング業界に勝るとも劣らない位もらえてますし」

「その点に関しては羨ましいわね。有沙ちゃんと隆史の年収、あたしと拓郎の年収の1.5倍くらいだっけ」

「今は実質3倍ですね。トレーナーとしての給料やボーナスが特別手当の形で入って来るので」

 後は担当してるウマ娘がレースに勝つか5着以内に入ると、順位に応じてもらえる賞金総額の1割が特別手当として入ってきます、有沙はそう続けた。それを聞いた郁子は表情を僅かに変えながら答える。

「確かあいつ、ここのほかに阪神でも担当してる子を出走させてるのよね。デビュー戦の1着賞金が720万ってプログラムに書いてあるから-2人とも1着になったら、144万も入って来るの」

 あたしのボーナスより多いじゃない、彼女は目を見張りながら答えた。

「あくまで勝ったらの話ですよ。それに社会保険料や税金でそこそこ持っていかれますから」

「それはそうだけど-やっぱり羨ましいわ。お金はあるに越したことは無いんだし」

「それについては同意しますね」有沙は答えた。「私みたいなお嬢さま育ちが言っても、説得力に欠けるとは思いますけど」

 

 レース場全体にリズミカルなファンファーレが鳴り響いたのはその時だった。有沙たちを含んだ観客の殆どが息を呑み、コースもしくはスタンド正面のオーロラ・ビジョンに視線を向ける。

 第2コーナーから斜め下に伸びた、ゴールまで1800メートルの引き込み線に設置されたゲートではウマ娘たちが続々枠入りを行っていた。その中にはカフェの姿もあったが、表情や態度までは確認できない。

 全員が枠入りを進め、やがて出走する全員が指定された枠に入り終えた。それを確認すると少しの間を置いて、昇降式のスタート台の上に乗るスターターが手に握られたレバーを、握りしめるように引いた。

 小気味よい解放音と共に一斉にゲートが開き、ウマ娘たちがコースへと飛び出していく。1800メートル先にある勝利、それをかけた戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 




レースの模様は次回になります。

私事になりますが転職活動に無事成功し、4月から新しい職場で働くことになりました。そのため、今までよりも少し忙しくなると思います(その代わり、前の会社より給料が増えました)ので、投稿のスピードが落ちるかもしれませんがご容赦ください。

それではこの辺で。
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