トレセン学園分遣隊活動記録   作:山屋な司令官(改)

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お待たせしました。デビュー戦の後編になります。

何というか、転職して以降自分でも驚くくらいに執筆速度が上がりました。正直、執筆速度は今までよりも遅くなると思っていたので以外です。1話あたりの字数そのものはさほど変わっていないのですが、結果として思ったよりも早く書き上げて投稿することが出来ました。

後、皐月賞を現地観戦してきました。ソールオリエンス凄かったです。私は枠順と当日の馬場状況を見て切ったのですが(マイネルラウレアとトップナイフのそれぞれ複勝とワイドを買いました)見事に外れました。

枠順の不利も馬場状態も展開次第でどうにかなるんだなと思いましたよ。今後馬券買う時の参考にしようと思います。

それではどうぞ。




第9話 デビュー戦・後編

(スタートは悪くなかった・・・あとは指示通り)

 カフェは走りつつ、周囲の様子を見ながら自分の位置を調節する。他のウマ娘を追い抜いて行ったり、逆に追い抜かれたりしながらも彼女は向こう正面のあたりで、隊列の先頭から数えて丁度9人目の位置に落ち着いた。

(勝負は最終直線。それまでは・・・この位置を保つことに専念)

 目の前を走る者らを見つつ、後ろから追う者らの気配にも気を配る。ちょうどその2者に挟まれるような位置取りだ。カフェはそのまま、よほどのことが無い限り、最終直線までは現状を維持しながら走り続けることにした。

 

 問題ない、その様子を阪神レース場のオーロラ・ビジョン越しに見ていた小島は思った。カフェは彼の指示を遵守し、きっちり中団後方辺りにつけている。やがて集団がコーナーに差し掛かると、画面越しにもはっきりと分かるほどに隊列の長さがちぢまっていく。

 そのようにして、全員が出来る限り速度を維持したままカーブを曲がろうとしたことにより、曲率と遠心力という呪いが平等に15人に襲いかかる。結果、最終直線手前では全員が不ぞろいな一団を形成しつつも、適度に横にばらけることになった。

 

 カフェはその機会を見逃さなかった。周囲を見ると、視界に映っている全員がラストスパートをかけているのが分かる。目の前には525メートルの直線と高低差2.1メートルの坂。急とは言えないが最後のスパートでは足に来る。問題ない、彼女は瞬時にそう判断を下し、足に力を籠める。

 足の回転が早まるのと同時に無酸素性エネルギーが彼女の体内で急激に消費され、一気に速度へと変換されていく。右側からは大きな歓声。前を走るウマ娘を1人、また1人と追い抜いていく。左側には2と書かれたハロン棒。一瞬で通り過ぎる。だが前にはまだ2人。ゴール板が視界に入る。さらに加速。そのまま2人目に並びかけたところで、ゴール板を通り過ぎたことに気がつく。自身が1着では無いことをカフェが理解するのには、そこから少しばかり時間を必要とした。

 

(首差の3着か)

 阪神レース場の関係者席で、周囲の熱気を感じ取りながらも表情一つ変えずに小島は思った。1着こそ逃したものの、順位と着差を見れば決して悪い結果ではない。何より、怪我無く走り切ってくれたのであればそれでよかった。

 ふとコースに目をやる。画面に映し出されていたものにあてられた熱気も冷めやらぬ中、ファンファーレが鳴り響く。タキオンのデビュー戦が始まろうとしていた。

 

 (カフェのデビュー戦は、無事に終わったようだねぇ)

ゲート入りを終えたタキオンは軽い圧迫感を感じながら思った。4枠4番。内回りコースを一周する阪神2000メートルのコース形状を考えると、有利な枠順と言っていい。全員のゲート入りが終わり、緊張感が漂う。周囲と共に彼女は体制を整える。

 

 一瞬だった。ゲートが開かれると同時に、タキオンは足に力を込めて駆けだす。スタート直後は横に広がっていた隊列だったが、出走者全員が出来る限り最短距離を走るべく徐々に内ラチ沿いへと寄って行った結果、ゴール板前を通過する時点では列がやや縦長になっていた。

 タキオンは隊列の後方を追走する形で第1コーナーから第2コーナーへと入る。この時点で彼女は前から数えて10人中7人目に位置しており、隊列はスタンド前の時点よりも更に縦へと長くなっていた。

 

(もう少し前へ行っておくとしよう)

 

 周囲のウマ娘らの様子を見たタキオンは小島からの指示を思い出し、少しペースを上げながら向こう正面に侵入していく。時速60km近い速度で走る彼女の顔面を、空気が風圧となって打ち据える。それを見た数人のウマ娘が彼女と共にペースを上げていった。タキオンはわずかに首を振り、その様子を確認する。詰め寄られているが問題ない、彼女はそう判断し再び前を見据える。同時に更にペースを上げた。

 やがてウマ娘の集団は第3コーナーへ差し掛かる。スタート直後から先ほどまでは縦長だった隊列はかなり圧縮されており、この時点で、タキオンを含む4人が先頭から数えて4番目にいた。それを見た彼女は決断する。

 

(さて、いくとしようか)

 

 タキオンは三度ペースを上げ、先頭を捉えにかかった。顔面には無意識のまま、獲物を捉えんとする肉食獣さながらの表情を浮かべている。その様子を見た周囲は驚愕すると同時に彼女を捉えるべく仕掛ける。しかし差は縮まらない。それどころか逆に広げられていく。結果、第4コーナーを回って最終直線に入った時、タキオンの前にいたのはスタートから先頭に立って逃げる1人だけだった。

 彼女はさらに加速する。進路は直線コースのやや外側に取った。先頭との差がぐんぐん縮まってゆく。2と書かれたハロン棒を右に見ながら通り過ぎたあたりでタキオンは先頭を走るウマ娘を捉え、そのまま交わして突き放す。追い抜かれたウマ娘が驚愕の表情を浮かべるのが一瞬見えた。彼女はそのまま走り続け-2着を3身半離したところがゴール板だった。

 

 33秒8。着順掲示板に表示された上がり3ハロンのタイムを見て観客らがどよめく様子を、小島は関係者席から見ていた。タキオンの2000メートルの走破タイムは2分4秒3と、平凡な物であった。しかし彼女の、デビュー戦のものとは思えないような上がり3ハロンのタイムと走りを見た、関係者席に座っていた者たちは信じられないとでも言いたげな表情を浮かべながら、着順掲示板と小島の様子を交互に見ている。

 それを尻目に彼は無表情のまま席を立つ。フライトがそれに続き、篤とマーキュリーもそれを追った。

 

 5分後、4人の姿は地下通路にあった。目的は勿論、勝者を出迎えることにある。レースを終えたウマ娘たちが続々と引き上げて来ていた。その表情には様々なものが浮かんでいる。

 悔しさをかみしめる者、現実を理解出来ずにいる者、眉間にしわを寄せながら爪が食い込まんばかりに拳を握りしめる者。中にはこちらを睨みつけてくる者もあった。それらを出迎えるトレーナー達もまた、心中に何かをしまい込んだまま、表向きの表情は変えずに担当するウマ娘を労う。

 レースの本質とは何であるかを如実に表しているな、それを見た小島は思った。尤も彼はその者たちとは異なり、(少なくともこの時だけは)明るい側面だけを見ていればよい立場にある。

 

 やがて最後に、このレースの主役が地下通路に凱旋してくる。そこに喜びはなかった。まるで勝者とは思えないような、常日頃浮かべている飄々とした態度を浮かべながら悠然とこちらに歩みを進めてくる。周囲からは一部を除いて、彼女を湛える拍手が起こっていた。小島はそれに加わらず、近づいてきたタキオンに抑揚の無い声で話しかける。

「よくやった」

「スタートは上手く行った、と言ったところだねぇ」

彼女もまた落ち着き払った声を返した。

「次のレースについて、何か希望はあるか」

「比較対象以外の条件は同一のものにするのが実験の要諦だからね。そうだな、今日と同じような-2000メートルのコースがいい」

「分かった。少し間が開くことになると思うが、構わんか」

「私の足のことを考えれば、それが最適だよ-それにしても」

彼女は答える。その視線の先にはタキオンの姉-アグネスフライトの姿があった。

「まさかフライト姉さんがここにきているとはね」

「おめでとう、タキオン」

フライトは純粋な喜びに満ち溢れた表情を浮かべながら答えた。

「わざわざ私のデビュー戦を見に来る必要は無かったと思うんだが」

「姉が妹を応援するのに、理由は必要なの?」

「やれやれ、姉さんは非論理的な答えを返すねぇ。でもまあ、一応ありがとうとは言っておくよ」

 

 ほんとに瓜二つだな、こいつら。それを見た小島は思った。その時、ポケットにしまいこんでいた私物のスマートフォンが連続的に振動する。画面を見ると最愛の妻からの着信だった。画面に表示される着信部分をタップし、そのまま耳にあてる。

「見てたわよ、おめでとう」

「ありがとさん。そっちは残念だったな」

「でも上がり3ハロンを最速で-34秒9で走り抜けての頭差3着だから、まあ悪くないんじゃないかしら。ちょっと見てみたけど、足に不具合もないしね」

全く、有沙も俺もトレーナーとしての思考回路が大分染みついてきたな。そう思いながら小島は答えた。

「そうか、それならいい。次の事はこっちで考える-ところで、カフェの様子はどうだ」

「一応労ってはおいたけど、タキオンちゃんが勝ったのを見て複雑な気持ちになってるわ。後でご飯食べるついでにカフェちゃんの事、お義姉さんたちに紹介するけど構わない?」

「お前さんに任せるよ、好きにしてくれ」

「分かったわ、じゃあ切るわね-ああそれと」

「なんだ」

「愛してるわ」

「俺もだ。じゃあな」

 彼は苦笑しながら電話を切る。目線の先では、タキオンとフライト、更にはマーキュリーと篤が談笑していた。それを見た小島はタキオンに話しかける。

「ちょっといいか、タキオン」

「何だい」

「あっちを見てくれ」

 そう言って彼はある方向を指さす。そこには、デビュー戦で彼女に敗れた者たちが、自分を担当しているトレーナーたちに寄り添われながら、多種多様な表情と態度を浮かべている。

 どんな意図があるのか分からない、とでも言いたげな表情でタキオンは小島に視線を向けた。それを見た彼は何かを込めたような口調で彼女に話しかける。

「お前さんに勝利というものの現実を理解してほしかったからさ」

「勝利の現実?」

「勝つという事は誰かの夢や希望をたたき潰すという事だ」

刃物を突き立てるような口調で小島は答え、言葉を続けた。 

「そしてもし、幸運にも勝ち続けることが出来たのならば、現役でいる限り-いや、引退した後もなお、そのことがずっとお前さんに付きまとうことになる。それをよく理解しておけ」

 

 小島の、冷酷極まりない声を聴いたタキオンは一瞬たじろぎをみせる。しかし次の瞬間にはいつも通りの飄々とした態度に立ち戻っていた。

「覚えてはおこう。だがね」

「何だ」

「私は正直、レースの結果というものに興味は無いんだ。私にとってレースとは、他者と競い合うことで研究を-この、ウマ娘という肉体がどこまで速く走れるのかを追求する手段に過ぎないのさ」

「好きにしろ」

 そう言いながら小島は思った。-ひょっとしてこいつ、俺と同類じゃないのか?くそ、フライトが言ったことが今更ながら正しく思えてきやがる。

 待てよ、もしそれが仮に正しかったとするならば、有沙もまたタキオンの同類という事になるぞ。何せ俺とあいつはお義父さん曰く「鏡のようなもの」だからな。つまりは-

 

 彼はそれ以上思考することが出来なかった。なぜならば、タキオンのデビュー戦で2着に敗れたウマ娘が、肩をいからせながらタキオンの傍に近づくと、地下道中に響き渡るような声で彼女に食ってかかったからだ。

「ふざけないでよ!」

 それを聞いたタキオンは表情と態度を変えないまま、まなじりを僅かに上げる。その傍らにいるフライトは突然の出来事に唖然としていた。周囲もまた、フライトと同じような反応をしている。

 半ばヒステリーじみたような声で怒鳴り声は続く。

「私たちがどれだけの思いでレースに臨んでいるか分かっているの!全てを賭けて一生懸命練習して、やっとの思いでデビューできたのに、それをなに、研究の手段って!そんな中途半端な気持ちでいるようなら、さっさとここから出ていきなさいよ!あんたみたいな授業にもレースにも真面目に取り組まない奴に、負けたなんて思いたくないわ!」

 

 それに対してタキオンはなぜ言われているのか、何を言われているのか理解できないような表情を浮かべながら、口を開こうとする。それを見た小島は、火に油を注ぐような事態が起こりかねないことを瞬時に理解し、タキオンと、彼女に食ってかかるウマ娘との間に割って入った。

 だがそれは結果として、火に油どころかダイナマイト-いや、1t爆弾を放り込むに等しい結果をもたらすことになったのだが、この時点で彼はそれを予期する立場にはなかった。彼はただ、トレーナーとして担当ウマ娘をかばおうとしたに過ぎなかったのである。

 

 不意の乱入者に、タキオンに食ってかかったウマ娘は一瞬呆けたようになるも、やがていら立ちを隠せないような声で今度は小島に照準を定める。彼を睨みつけながら彼女は口を開いた。

「誰ですか、あなたは」

「小島隆史だ。アグネスタキオンの担当トレーナーをしている。それよりも君、少し落ち着きたまえ」

 努めて抑揚の無い声で彼は答えた。目の前のウマ娘は苛立ちながらも小島の全身を嘗め回すように見つめながら口を開く。

「あなたが、彼女の」

 全てを理解した、とでも言いたげに彼女は答えた。目にはどこか憎しみのようなものが浮かんでいる。小島はそれを知りつつも、平素の自分と何ら変わらぬ口調で応じた。

「負けて悔しい気持ちは分かる。だが君が彼女に食ってかかったところで、どうなるというんだ?」

 途端に彼女の表情が変わる。そんなことは分かっている、目でそう訴えかけていた。その理由は理解できなくもない。懸命にトレーニングを積んできたのに、自分より短時間のトレーニングしかしていない、自衛官と言う部外者がトレーナーとして担当についたウマ娘に敗れたのだ。当然だろう。

 

 だが、如何なる物事であっても練習時間の多さが結果を保障するわけでは無い。費やした時間の多さイコール結果という考えは世の中に広く浸透しているが、それは間違っている。効率よくやれば短時間の練習でも結果を出すことは十分可能-彼はそう考えていた。 

 それ故、チームSDFの練習時間は競争ウマ娘の基準でいえばかなり短い。その代わりに一人一人に合った、効率的で質の高い練習をすることでそれを補っている。しかしその光景は、他のトレーナーやウマ娘から見れば、練習をサボり倒しているようにしか見えていなかった。目の前のウマ娘の言葉はそのような、学園中の総意を代弁しているといっても過言ではなかった。

 

 目の前の彼女の様子を見たところ、レースの結果と現実を受け入れることが出来ていない-そう判断した小島は今まで以上に冷静に、そしてゆっくりと諭すような口調で彼女に話しかける。しかしその後何が起こったかを見る限りでは、彼の言葉は逆効果にしかならなかったというのもまた、一つの事実であった。

 

「君がどう言おうと結果を変えることは出来ない。それよりも今日の事を糧にして、前へ進んでいくほうが、より建設的だと思うのだがね」

 

 その言葉を聞いた彼女は自失した。彼女にしてみれば、小島の言葉は自分の全てを否定されたような物であったからだ。全てを捧げて練習に打ち込み、やっとの思いで出たレース。それを中途半端にレースに取り組み、自衛官という余所者のトレーナーが担当するウマ娘に敗北したのだ。それを自分の中で受け入れることが出来ずにいるのに、心の中から溢れ出てきたものをよりにもよって勝者に否定された-彼女はそう感じた。

 

 結果として、彼女の中で何かが切れた。ここで彼女が踏みとどまっていれば、後述するような事態は避けられたであろう。だが、敗北という現実を受け入れられておらず、興奮状態にある彼女にそれを求めるのは酷としか言えなかった。

 

 そして-彼女は全ての事態の、最終的な引き金を引くことになった。

 

「あなたのようなっ・・・あなたのような部外者に、私たちの一体何が分かるっていうんですか!自衛隊なんて、人殺しを仕事にしているような人間のくせに!」

 

 周囲に聞こえるほど大きな声で言い放ったその一言は、周囲の者全てを振り向かせるには十分すぎるほどだった。それを見た彼女は、自分がどのような意味の言葉を発したのかを瞬時に理解した。見ると、アグネスタキオンまでもが「流石にそれは無いんじゃないのかい」とでも言うような視線を彼女に向けている。

 しまった-そう思い、彼女は慌てて小島の方を見る。怒るでもなく慣れている、とでも言いたげにどこか困ったような、諦観を浮かべたような、それでいて悲し気な、何とも言えない表情を浮かべていた。謝罪の言葉を口にしようとする彼女に、小島はそのまま機械が読み上げる音声のような、一切の感情を捨て去ったような声で答えた。

「-そうだな。君の言う通り、俺のやっている仕事の本質とは確かに人を殺すことだ。だがな、俺のような仕事をしている者はそのほとんどが、自分たちが役に立つことなく、普段の訓練が無駄になればいいと誰よりも願うような者ばかりでね」

 教訓を解くような、抑揚の無い声が静まり返った地下道に響く。目の前のウマ娘は無言でそれを聞き続けた。

「無論俺もその一人だ。何かあった時に真っ先に命を張り、戦場で何が起こるのかを十分に理解しているからこそ戦争なんて起こって欲しくないし、ましてや人を殺すのなんて願い下げだ。君がどのような感情を俺に抱こうが一向に構わない。だが俺のような仕事をしている者というのは、殆どが戦争や殺し合いを最も忌み嫌う者であることだけは覚えておいてくれ」

 

 彼はそこで話を切った。沈黙が地下道を支配する。ここで小島が会話を終了させていれば、これ以上のことは起こらなかったであろう。だがこの時彼は、この機会は常日頃からレースに対して自分が抱いてる事を発言するよい機会だと、そう判断した。その結果この場で、レースに関わる人間のほぼすべてが衝撃を受けるような内容の言葉を平然と口にして見せた。

 

「逆に、俺も君たちに聞きたいことがあるんだが-君たちはなんでこんな、たかが『作られた箱庭での駆けっこ』に全てを賭けようとする?俺には理解できないよ。負けたところで死ぬわけじゃないのに、いったい何を考えているんだ?」

 再度の衝撃がこの空間に走った。小島の言葉を着た周囲の人間やウマ娘の多くが、まるで狂人か異常者を見るような目つきで彼の事を見つめる。その中でタキオンだけが、意味深長な笑みを浮かべていた。篤もまた「義兄さんらしい」とでも言いたげに苦笑し、マーキュリーも「さすが有沙ちゃんの旦那さん」とでも言いたそうに小島の事を見つめている。

 

 言われた当の本人は再度自失した。目の前の男が何を言っているのか分からないとでも言いたげな、傍から見ても混乱しているのがはっきりと分かる表情を浮かべている。そんな周囲や目の前の様子を平然と無視しながら、小島は表情一つ変えずに続けた。

「それとも、駆けっこで一等賞を取ることだけが君たちウマ娘の唯一無二の存在意義だとでも言いたいのか。下らん。実に下らんよ」

 周囲から向けられる、敵意に満ち溢れたものを歯牙にもかけずに彼は話し続ける。乙名史悦子が取材のために阪神の地下通路に現れたのは、そのような異様な雰囲気が漂っている真っ最中の事だった。

 

 この日仕事で訪れていた阪神レース場で、勝利したアグネスタキオンの取材をしようと地下通路へ向かったところ、そこに漂うただならぬ空気を記者特有の鋭敏さで感じ取った彼女は、その空気の元を見て納得した。ほんの数週間前に密着取材をした、自衛隊から派遣されてきたトレーナーだったからだ。

 それを見た乙名史は脳内で瞬時に、記者としての職業意識にモードを切り替えた。手元に用意したメモ帳に加え、普段から持ち運んでいるICレコーダーを取り出して起動させる。ただの勝利者インタビューでは聞けないような面白いことが聞ける、彼女はそう思いながら、目の前の状況を記録していった。

 

「ちょ、ちょっと待って下さい」

 目の前のウマ娘を担当するトレーナー-自分と同じ年頃の、そこそこ経験を積んでいそうな女性だった-が割って入ってきたのはその時だった。敵意を隠そうともしない視線を小島に向けながら口を開く。

「一体何が言いたいんですか。ここにいる子たちはみんな、一生懸命トレーニングを積んでレースに出ているんです。それをたかが駆けっこだの下らないだの、理解できないとか言わないで下さい。あなたも一応、トレーナー-それもこのレースで勝った子の担当でしょう。だったら私の言っていることが分かるはずです。この子たちが負けてどんなに悔しい思いをしているのか」

 まあ、レースに関係する人間なら当然の反応だろうな、彼女の言葉を聞きながら小島は思った。だが覆水盆に返らず、今更出てしまった言葉を取り消すつもりも訂正するつもりもない-と言うより出来ない。第一、そんなことが出来るほど自分が器用な人間であったら俺は今この場に来ていなかったさ。

 彼はそんなことを考えつつ、自身が尤も忌み嫌う官僚的答弁を駆使しながら返答した。

貴重なご意見を大変ありがとうございました(聞きはするが受け入れるつもりは無い)-と言わせてもらおう。それと丁度いい機会だから言っておくと、俺はウマ娘の駆けっこなんぞには興味が無くてね。自分の担当であろうとなかろうと、誰が勝とうが負けようがどうだっていいし、ましてや君たちの悔しさなぞ、俺にとってはどうでもいい事に過ぎん。立場が同じだからと言って、自分と同じことを相手も考えていると思ったら大間違いだぞ」

 戦場で敵がこっちの思い通りに動いてくれるわけが無いのと同じだ、小島はそう言って言葉を終えた。その、全く予想だにしていなかった返答に、目の前のトレーナーは唖然とした表情を浮かべた。周囲も同じような反応をしている。当然であろう。この場にいる者の多くが、彼の様なタイプの人間に出会ったのは初めてだったため、どのように反応してよいのか分からないでいるのだ。

 

「じゃあ、なんであなたはこの仕事をしているんですか」

 そのような状況の中で目の前のトレーナーはどうにか言葉をひねり出し、彼に疑問をぶつける。それに対し、小島はさもありなんと言った表情で答えた。

「決まっているだろう。それが上官から命令された仕事だからだ。それ以上でも以下でもない。俺たちというのはそう言う人種だ」

 それを聞いた目の前の女性は完全に戸惑っていた。彼の言葉にどう答えるべきか分からなかったからだ。小島はそんな彼女を見て、遠くを見るような表情を浮かべながら口を開く。

「第一、ここにいるウマ娘は少なくとも負けたとはいえ、自分の夢への第一歩を踏み出すことが出来たんだ。その点は非常に羨ましいよ」

「何が言いたいんですか」

 当惑こそあるが、どうにか落ち着きを取り戻した彼女は答えた。

「俺は、自分の夢へのスタートラインに立つことすらできなかったんだからな。それも、俺の意志とは関係なく、強制的にね」

 目を曇らせながら彼は答えた。そこにはまるで勝利を渇望するウマ娘のような、未だに諦めることの出来ない物に対する羨望と葛藤が渦巻いている。それを見た周囲は更に当惑を深めた。

 

「君たちには信じがたいと思うがね」

 抑揚や感情の類を一切込めない声で、更に小島は話を続けた。

「この世にはウマ娘のレースに対して興奮や感動、興味を持たない者や、そもそも好意的ではなかったりする者は一定数存在するのさ。そしてさっきも言った通り、俺もその一人だ」

 それを聞いた瞬間、この場でそんなことを公言するなんて正気か、とでも言うような視線が周囲から一斉に彼めがけて飛ぶ。遠くを見るような表情を浮かべながら、水子の齢を数えるような口調で小島はそれに答えた。

「自分たちの身の回りだけが世の中の全てだと思わない方がいい。話はこれで終わりだ。俺がこの場を去った後で、俺のことをどう評価するかは君たちの好きにすればいい。批判するなり罵倒するなり好きにしろ」

 

 周囲は更に唖然とした。無理もない。この場にいる者の多くが、ウマ娘のレースに対してここまで直接的かつ好意的ではない物言いをし、それでいて自らに対する罵倒を許すような-端的に言ってしまえば訳の分からない人間を見たのは初めてであったからだ。小島はその全てを無視しながら、タキオンにこの後行われるライブの事を伝達する。それを聞いた彼女は疑問でも浮かべるように口を開いた。

 

「あんなことを言ってしまっていいのかい」

「いいんだよ」小島は答えた。「これが俺だ。自分を偽ってまで他人に好かれるつもりは無いし、自分の発言に対する責任は取るさ。第一、真田のおっさんからもある程度の衝突は許容すると言われているからな」

「初めて会った時も思ったが」感心したようにタキオンは答えた。「君の上官というのは随分面白い人だね」

「あの人はそういう人だ。俺も正直好きではないがどこか気の合うところがあるな、と最近思い始めてる」

「ふぅん」再び彼女は答えた。「それよりも今の発言は、後で色々と尾を引きそうだがねぇ」

「その時はその時だ。俺で対処できなきゃ真田のおっさんに押し付けるさ。そうして構わんとのお墨付きも、当の本人から貰っているしな」

「私の担当を外されるような事は無いようにしてくれたまえよ」

「努力はする。努力という言葉は大嫌いだが」

「頑張ってくれ」

 その時視界の片隅に、こちらに近づいてくる乙名史の姿が映った。丁度今来たふうを装っているのが一目で分かるが、それに言及はせず、ただ一人の勝者としてインタビューに答える事にした。

 

 一方カフェはその頃、東京レース場内部にあるレストランで森宮有沙と、担当トレーナーの実姉一家と共に食事をしていた。彼女の膝の上には小島隆史の姪の姿があり、カフェの特徴である長い黒髪を弄り回して遊んでいる。カフェは戸惑いながら、されるがままに任せていた。

 やがてカフェの髪の毛で前衛芸術を作り上げたことに満足したのか、洋子は満面の笑みを浮かべながら、彼女にできる精一杯の発音で歓声を上げる。

「よ・・・洋子ちゃん、だめですよ・・・」

 髪の毛を短くするか、後ろで一つにまとめた方がいいのかもしれません、隆俊と洋子という2人の赤ん坊に髪の毛で前衛芸術を作り上げられた経験を持つカフェは思った。その光景を有沙と、彼女の義姉一家は微笑ましそうに見ている。

 

「本当、信じられないわ」隆史の姉-福村郁子はカフェを見ながら答えた。「隆史のことを気にいるウマ娘が2人も居るなんて」

「・・・私の・・・大切なものを、否定せずにきちんと見てくれましたから。・・・でも、レースの世界にいる人たちとは相容れないところも多いと、今までの様子を見て・・・思います・・・」

 自分を担当するトレーナーの今までの言動や、眼鏡と額の傷を思い出しながらカフェは答えた。

「隆史はそう言う男なのよ。他人のことを批判することはあっても、余程のことが無い限り一線は超えないわ」

根が優しいからかしら、郁子はそう応じた。

「付き合い始めたころから、それは感じてました」

 昔を懐かしむような、それでいてたっぷりと夫に対する愛情を感じさせるような声で有沙が答えた。

「誰に対しても自分を偽らず、ストレートに思った事を言う癖に、どこか相手を気遣うような優しさも持っているのがあいつですから」

「本当にそれよ」郁子は答えた。「中学の時に経験した事が影響してると、個人的には思ってるわ」

 

 それを聞いたカフェは思った。自分の担当トレーナーから聞かされてきた様々な話。ウマ娘に暴力を受けたのかもしれないという自分の推測。当時の事を知っている人に詳しいことを聞いてみたい。彼女は思い切って、郁子に聞いてみることにした。

「・・・小島さんが中学生の時・・・何があったんですか?・・・」

「悪いけど、さすがにそれは言えないわね」

カフェの言葉を聞いた郁子は、途端に真面目な表情を浮かべてそう答えた。

「どうしても聞きたいって言うのなら、隆史の口から直接聞きなさい。但し-」

「但し?」

「隆史の心の中に土足で踏み入ることになるから、十分注意してやることね。そうしないと、カフェちゃんも少なからぬ量の返り血を浴びることになると思うわよ」

「・・・心しておきます・・・」

 どこか気圧されたような口調でカフェは答えた。彼女の腕の中では、洋子があちこちに視線を向けながらもぞもぞと体を動かしている。その様子を見た郁子は、顔を僅かにほころばせながら口を開いた。

 

「まあでも、有沙ちゃんが隆史と結婚してくれて本当に-心の底から良かったと思っているわ」

「・・・どうして、ですか・・・」

「妹ができてうれしかった、っていうのもあるんだけれど」

感謝を込めたように郁子は答えた。

「有沙ちゃんといる時の隆史は、とても幸せそうな顔をしているもの。有沙ちゃんは、あいつにぴったりのお嫁さんだわ。これからも、ずうっと」

 その言葉をカフェは感心したように聞く。一方の有沙は少しの間を置いて、恥ずかしさを表に出しながらもどこか嬉しそうなふうに口を開いた。

「正直、割れ鍋に綴じ蓋って言った方がしっくりくるんですけどね。まあ少なくとも、あいつよりあたしの亭主にぴったりの男はいないと断言はできますけれども」

「これからもあいつのこと、よろしく頼むわ」

「勿論ですよ」

 共に笑みを浮かべながら2人は会話を終える。まるで本当の姉妹みたいですね。有沙と郁子のやり取りを聞いていたカフェは、自分もいつの間にか笑みを浮かべながらそう思った。

 

 その数日後、市ヶ谷は防衛省内部にある、整理整頓という言葉をどこかに放り投げたように雑然とした一室では、小太りの中年男が先日のデビュー戦の後で起こった一連の騒動について記された各種の記事を、紙・ネットの媒体を問わずに読みふけっていた。タイトルと内容は何れも、発言者とその当人が本来属する組織について批判的に書かれている。代表的なものをいくつかとりあげると-

 

『トゥインクルシリーズをただの下らぬ駆けっこと評したトレーナーの放言』

『レースに興味関心の無い人間をトレーナーに任命した自衛隊』

『懸命にトレーニングに打ち込むウマ娘に対する冒涜』

『問われる防衛省と自衛隊の任命責任』

 

 曲がりなりにもプロのマスメディアが書く記事でこうであった。だがそれらはまだましな方である。副官に命じて調べさせた、脳よりも脊髄で物事を捉えたり考えるような人間が大多数を占めているネット上の掲示板や各種のSNSにおいては、見るに堪えないような罵詈雑言が-中には脅迫や名誉棄損で告訴できそうなレベルの内容すらあった-数多く中年男の部下に対して浴びせられていた。ごく少数ながら発言者を擁護するような発言も見受けられるものの、数の暴力の前には津波を板一枚で受け止める行為に等しかった。

 

 実際、防衛省や自衛隊の内部からも当該発言について様々な(主に発言者に対して好意的でない)意見が出ていた。それを述べる者らは、発言者の上官が真田忠道であることを知ってその意見をさらに強めた。なぜならば真田もまた横紙破りや物事を斜めに回すことにかけては天才的であり、その評価が小島隆史同様、毀誉褒貶に満ち溢れている人間で-端的に言ってしまえば、日本型組織では好意的に見られることの少ない人間であった。

 (統合幕僚長と狷介な罵り合いを繰り広げたり、自衛艦隊司令官と掴みあいの喧嘩を演じた後で互いに酒を飲みに行くなどの様々な逸話を持っている男に好意を持てる人間の方が少数派であるとも言えるが)

 それでいて曲がりなりにも、世界的に見れば提督と呼ばれるような地位に上り詰めているのは幸運とタイミング、そして彼自身が持つ戦略家としての天与の才によるものが大半を占めていた。何しろ防衛大や幹部候補生学校の席次は下から数えた方が早く、性格も決して良いとは言えない真田が海将補に昇進できているのはそれらの要素が大きく影響している。

 

 それらの記事を眺めながら真田は、他者から見れば不気味さすら感じさせる、どこか愉快そうな笑みを浮かべていた。

 彼は先ほどまで、URAの高級幹部やトレセン学園の理事長からの電話に応対していた。内容は勿論、小島に関する事である。彼ら彼女らは口々に小島に対する批判と、真田に対してもなんであんなのを寄こしたという苦情を述べ立てた。理事長に至っては独特の二字熟語を述べた後で直接会って説明するように要求されたため、真田は後日、副官と共に学園に赴く事になっていた。

 

(早速やってくれたな、小島君)

 

 彼は思った。だがそれでいい。君のやりたいようにやれ。君がそのような人間だからこそ俺は君をトレセン学園に送り込んだのだ。約束通り、きっちり尻を拭いてやろうじゃないか。安心したまえ。俺は君をこんな事ごときでどうこうするつもりは無いのだからな。

 

 真田は自らの机の上にある電話の受話器を持ち上げ、耳にあてながら番号を押した。数回のコール音の後、声が聞こえてくる。それを聞いた彼は答えた。

「もしもし、森宮教授でしょうか。真田忠道です-ええ、ええ、少々お力をお借りしたいことがありまして-」

 




やっぱ適度に忙しい方が頭の回転も速くなるんでしょうかね。

この調子で次回も書いていきたいところですが、今回の執筆速度は最大瞬間風速に過ぎないかもしれませんので、油断せず慎重に執筆していこうと思います。

それでは。
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