話はそれますが、つい先日転職後初の給料が出たので、初めてウマ娘に少しだけ課金して、有償ジュエル限定ガチャを(サポカとキャラのをそれぞれ1回ずつ)回してみました。
・・・結果はと言うと、サポカはSSRアヤベさんが1枚、キャラの方はサンタハヤヒデが1人という何とも微妙な結果に終わったので、これからも(無理のない範囲で)課金するかどうかはちょっと考えることにします。
それではどうぞ。
「大事になってしまったねぇ」
デビュー戦から数日後の昼下がり、革張りのソファに足を組んで腰かけながら、タキオンはいつも通りの飄々とした態度で、呟くように口を開いた。目の前の応接用テーブルにはスポーツ新聞やレース専門誌のネット記事を印刷したものがいくつも並べられている。そのどれもが、先日の阪神レース場における小島の言動を批判する物ばかりであった。その中で唯一、彼の単独インタビュー記事が掲載されている月刊トゥインクルの今月号だけが、書物の形で存在していた。
乙名史悦子は月刊トゥインクルを出版する会社が運営するニュースサイトの中で、そのインタビュー記事-今回の一点と相まって物議を呼んでいた-を引用しながらネット記事の中では唯一、文中で小島を批判しつつも大筋では彼を擁護する論調の記事を執筆していた。
(なお、それを読んだ当の本人は「あの姉ちゃん、ただの変態じゃなかったんだな」と呟き、周囲を噴き出させていた)
「・・・大丈夫なんですか、これ」
彼女の隣に座るカフェも、見るからに頑丈そうな見た目をしているパナソニック製のタブレット端末を手にしながら心配そうに答えた。その画面にはネット上の掲示板やSNSの様子が映し出されており、書き込んだ者の品性と性格と思考回路を心配させるような書き込みがいくつも、2人の担当トレーナーに対して向けられている。
「さあ、どうなることやら」
どこか他人事のように、基地司令用の執務机に片肘を突きながら小島は答えた。彼は先ほどまで、タキオンとカフェが座っていた場所に腰かけながら真田と話を交わしており、これらの記事は全て真田(正確にはその副官)が持ってきたものである。
真田はこの日、今回の事態を受けて学園側との話し合いに訪れていて、そのついでに分屯基地で小島に対する事情聴取を行っていた。その様子を2人(と、副隊長兼副司令)は覗き見ていたのである。真田もそのことは黙認していた。
「まあ、あんたらしいとは思うわよ」
2人の目の前のソファに座る、分遣隊副隊長兼基地副司令にして、私生活では小島隆史最愛の妻は答えた。
「あんたのお姉さんからも連絡があったわ。大丈夫なのかって」
「姉貴はああ見えて図太いからな、問題ない」
何も心配していないさ、といった風に小島は答えた。
「それよりもタキオンとカフェ、お前らはどうなんだ」
「校内で妙な目で見られたり、こちらの姿を見てヒソヒソ話をされることが増えたよ」
まあ私にとってはいつもの事だから気にしてはいないが、タキオンはそう、軽口をたたくような声で答えた。それを聞いたカフェが、どこか呆れたように口を開く。
「・・・私とタキオンさんだけじゃないのが・・・問題なんですよ」
「ライスちゃんからも、グラスちゃんからも、マヤちゃんからも-チームメンバー全員から同じような話を聞いたわ。あと美咲と彩香からも」
有沙は3人を代表するように答えた。
「遠藤准空尉は」
「あの人はまあ、ウマ娘を生身で抑え込めるような人だから」
小島は苦笑した。確かに、人間を上回る身体能力とパワーを持ったウマ娘を徒手空拳で平然と抑え込める、半ば人間を辞めているような男の前でそんなことをする奴はいないだろう。
「・・・タキオンさんが唯一・・・敬語で話す人、ですからね」
カフェは冷静に答えた。彼女の言葉の通り、誰に対してもふてぶてしい口調で話しかけるタキオンが唯一(普段の彼女を知る者からすれば大きな違和感を感じるほど)遠藤に対してだけは敬語を使って話す。初対面で苦も無く抑え込まれたのが効いているらしい。
何しろタキオンが、遠藤がウマ娘を徒手空拳で抑え込める程の身体能力を有している事を辺りかまわず言いふらした結果、遠藤の身体能力は学園中に知れ渡っており、彼は学園内で人間・ウマ娘問わず、ある種の畏敬の念を持たれていた。
(当の本人はその話を聞いて迷惑そうに感じていたが)
「正直、あの人には恐怖を感じたからねぇ」タキオンは両手を広げながら答えた。「何しろ人間よりも力で勝るウマ娘を、人間の身でありながら平然と抑え込んで見せたんだ。そのメカニズムを是非解明してみたいところだよ」
ぶれねえなこいつ、半ば呆れながら小島は思い、口を開いた。
「まあ、その辺については迷惑をかけたなと言っておくよ。全く、陰口をたたくなら俺だけにしておけばいいものを」
発言者は俺であって、チームメンバーとは何の関係もないだろうが-あきれ返ったような口調で彼はそう述べた。
それを聞いたカフェは、他人を気遣えるあたり根は優しい人なんですね、癖は強いですけど、そう思った。
「そんなことよりもあんた、本当に大丈夫なの?懲戒免職や降格までは行かないにしても、ここまで大事になったんだから、減給くらいは普通にあり得ると思うわよ」
まあその分あたしが稼ぐからいいけど、迷彩服姿の彼女はそう答えた。胸の下で組んだ腕が、彼女の雄大な物(背の高さと相まって、実測値よりも小さく見えるが)をこれでもかとばかりに強調する。
-揉みごたえあるんだよなあ、口にしたら十中八九セクハラで訴えられるだろう下世話な事を思いながら小島は口を開いた。
「その辺は心配しなくていいと思う。話を聞いた限り、真田海将補は俺に処分を下すつもりは無いらしい」
「どういう事?」
有沙は答えた。肌には妙に艶が乗っている。それを横目で見ながら小島は答えた。
「あの人曰く、『君はレースについての「個人的な見解」を述べただけで、レースや学園、URAの規則には一切違反していないのだから、処分する理由なぞ無い』そうだ」
それを聞いて、どこか納得したような表情を浮かべたのは意外にもタキオンだった。他の4人はそれを見て、未知の出来事と相対したような表情を浮かべる。彼女は口を開いた。
「あの上官-確か真田忠道と言うのだろう。先ほどまでの君とのやり取りを聞いていた限りでは、トレーナー君の事を随分と買っていたように思えるのだよ」
「俺もそう思った」
どこか投げやりに小島は答えた。両手を組み、腕を伸ばす。
「大学出て、空自の幹部候補生以外に仕事が決まらなかったから仕方なく入隊しただけの、使命感の欠片もない人間をなんでそこまで買っているのかは理解に苦しむが」
その言葉を聞いたタキオンは少し考え込む。しばらくして、彼女は口を開いた。
「ひょっとしたら、君には才能があるのかもしれないねぇ」
「何のだ」
「決まっているじゃないか」タキオンは答えた。「
まああくまでも素人考えだけれどねぇ。付け加えるように彼女はそう続けた。
「自分でも驚いてるよ。なんであんな台詞を言えたのか未だに分からん」
頭の後ろで両手を組みながら小島は答えた。その肌には妙に艶が乗っている。それを見たタキオンは、有沙を少しの間見た後で彼の方を向くと、まるで新しい
「それはそうとトレーナー君」
「なんだマッドサイエンティスト」
「さっきから気になっていたんだが、君と森宮トレーナーの肌の艶が随分と良いのはどういう事だい」
悪戯を仕掛けるような声で彼女は答えた。それを聞いた小島は細君に目をやる。苦笑しながら亭主の方を向き、あんたの好きにしなさいとでも言いたげな表情を浮かべていた。彼はそれを見ると視線をタキオンの方に戻し、様々なものを含んだような声で答えた。
「まあ、夫婦だからな」
それを聞いたタキオンは悪戯を成功させたような表情を浮かべ、カフェは何かを想像したらしく、色白の頬が僅かに赤く染まっていた。
「夫婦仲が良いようで何よりだねぇ」
「褒め言葉と受け取っておくよ」無表情に小島は答えた。「それより2人とも着替えて、トレーニングでもしてこい。次のレースに向けてのメニューは送ってあるだろ」
「そう言えば、そんなものも見たような気がするねぇ」
とぼけたようにタキオンは答えた。制服のスカートを整えながら立ち上がり、隣にいる黒いロングヘアをしたウマ娘に声をかける。
「それじゃあカフェ、行くとしようか」
「・・・仕方ないですね、付き合いますよ」
いつもどおり、といった風にカフェは応じた。それを見た小島もまた、タブレット端末片手に立ち上がりながら口を開く。
「俺も付き合おう。机仕事ばかりじゃ気分が滅入るんでね」
「あたしも行くわ。どうせ今日の分の仕事はやっちゃったし」
「なら、皆で行くとしようか」
「そうね」
「単刀直入に言わせてもらうが、我々としては今回の件で小島君に如何なる処分も下すつもりは無い」
開口一番そう言い放った真田忠道に、理事長は唖然とした。彼女の後ろに控える駿川も、生徒会を代表してこの場にいるルドルフとエアグルーヴもまた同じ表情を浮かべる。
「理由っ!真田海将補、その理由を聞かせて欲しい」
「そんなもの決まっているだろう」彼はさもありなんといった風に答えた。「『決まり事』に反した行為を行ったわけでは無いのに、なぜ処分を下す必要があるというのだね?小島君はあくまでレースに対する個人的な意見表明をしただけで、レースにおける規則やURAの就業規則に反するような事は何一つしておらんのだぞ?」
理事長は反論できなかった。確かに、小島の言動はレースの規定やURAの就業規則と言った、如何なる規則に照らし合わせても違反行為には該当せず、本来であれば処分を下すことは出来ない。これは歴然たる事実だった。
だが、ここまで大事になった以上何のお咎め無しという訳にはいかない。事実、URAの上層部や学園のみならず、少なからぬ数のトレーナーやウマ娘からも小島の処分を求める声が上がっている。
更には記事を読んだレースファンからも彼に対する抗議の声が上がっており、理事長としてそれらの意見を無視するわけにもいかなかった。だからこそ、小島に軽めの処分を下すことで事態の鎮静化を図ろうと彼女は考えていたのだ。
彼女はその事を真田に問う。だがそれを聞いた彼は、無責任な他者が発する『雑音』なぞ放っておけ、とでも言わんとするような態度で返答した。
「それがどうしたというんだね。決まり事に則って動かすのが法治国家に存在する組織としてのあるべき姿だ。君たちはそれを破ろうとしているんだぞ。それともなんだ、URAや君たちは時計の針を前近代へと逆回転させるつもりなのか?」
それが時代の空気だというのならそんなものはゴミ箱にでも放り込んでしまえ、真田はそう言って話を続ける。
「確かに騒動になったのは事実だ。だがルールに反してもいないにも関わらず、『お気持ち』だけで処分を下すような、決まり事に則って動く事が求められる法治国家の組織としてあるまじき行為を出来るほど
最後の台詞を聞いた瞬間、理事長、そしてルドルフとエアグルーヴの目が僅かに動いた。真田の言動は明らかに、この学園、ひいてはURAに対する当てつけであったからだ。そのような中で、苛立ちをどうにか抑え込みながら理事長は答える。
「総意。それが防衛省や自衛隊の総意と言っていいのだな」
「小島一尉の直属の上官は俺だ。また同時に、URAやこの学園への連絡役として防衛省と自衛隊から全権を委任されてもいる。即ち俺の発言は、防衛省と自衛隊の総意という事だ」
「理解。理解はした。だが納得したわけでは無い」
苦虫を噛み潰したような表情で理事長は応じた。それらを意にも介さず、真田は更に、どこか開き直ったような調子で口を開く。
「それに小島君から聞いたが、そちらのウマ娘も我々の事を、人殺しを仕事にするような奴と罵ったそうじゃないか。それともなんだ理事長、この学園では特定の職業を公衆の面前で侮辱していいという教育でもしているのか」
一部のG1でファンファーレを演奏しているのはその『人殺し』の集団だぞ、その事をどう説明するんだ?彼はそう続けた。理事長室をしばしの間沈黙が支配する。
「よろしいでしょうか、真田海将補」
口を開いたのはルドルフだった。どこか興味深げに真田は応じる。
「何だね、生徒会長」
「それについては当の本人から話を聞いております。興奮していて自分を抑えることが出来なかった、と。彼女自身、小島トレーナーへの謝罪も済ませています」
「それについては小島君から話を聞いている。気持ちが高ぶっていた故の言動だから割り引いてやってほしい、とね」
恩を着せるような声で真田は答えた。
「彼に感謝したまえ。あの男は癖こそあるが、根は優しい人間だからな。自分を公衆の面前で侮辱されてもなお、加害者を気遣えるだけの度量の多きさを持ち合わせている。『お気持ち』だけで処分を下そうとする、どこかの組織や学園とは大違いだよ」
再度の当てつけに、4人の目が再び動く。そこには表にこそ出さないものの、真田に対する敵意が込められていた。それを見た当の本人は微かな笑みを浮かべて見せる。4人の目が瞬時に困惑へと変わった。
-この男は何を考えているんだ。口にこそ出さないものの、そのような言葉が背後から浮かび上がってきそうな雰囲気が真田の方に漂ってくる。その様子を見た彼は心の中で満足した。
なぜならば彼の目的は時間稼ぎにあり、それは既に達成されていたからである。後は『本命』の到着までもういくばくかの時間を稼ぐだけだった。
(俺の役割はこんな所か)
真田がそう思った時、彼の後ろに控えている矢沢が自らの業務用スマートフォンを取り出し、画面を見せてきた。確認した真田は満足気に軽く肯くと、再び4人に向き合う。
(さて、どう来るかな?)
そう思いながら目の前の
(不明っ!これでは、どちらが詰問しているのか分かった物ではない。真田海将補を問い詰めるつもりが、逆にこちらが問い詰められているようではないか!本当に傲岸不遜を絵に描いたような男だ!)
目の前の男の思惑に気づかぬまま理事長は思った。奥歯を噛み締める。全く、部下が部下なら上官も上官だ、これだから-
その時ふと、彼女の脳裏に以前真田と会話をした時、最後に小島をこの学園に配属した理由について尋ねた際、どこかはぐらかされたような回答をされたことが頭に浮かんだ。
-ひょっとしたらそこに何かがあるのかもしれない。そう考えた彼女は、真田に向き合うと口を開いた。
「疑問。真田海将補、一つ聞きたいことがある」
「何だね、理事長」
真田は答える。理事長は一度息を吸い込み、その後で口を開いた。
「小島トレーナーをこの学園に配した『本当の』理由を教えてほしい」
それを聞いた真田は、一瞬目を見開く。その後瞑目して腕を組み、少しの間考え込むと、どこか他人事といった風に口を開いた。
「それについては、以前話した通りだ」
「拒否っ!答えになっていないぞ、真田海将補」鋭い声で理事長は答えた。「責任っ!あの男を今の地位に据えたのは貴官ではないかっ!上官として説明責任を果たしてもらおう!」
真田は軽くため息をつく。やがて、どうなっても知らんぞとでも言いたげに口を開いた。
「ならば言わせてもらおう。小島君をこの学園に配属したのは-あの男がウマ娘の事を嫌っているからだ」
その言葉を聞いた瞬間、部屋全体に衝撃が走った。理事長は唖然とする。ルドルフとエアグルーヴもまた呆然としていた。普段はおしとやかな駿川でさえ、感情が理解に追いついていないような表情を浮かべている。無理もない。真田の言葉が4人に与えた衝撃は、下戸にスピリタスを一気飲みさせるに等しいものであったからだ。
それみたことか、真田は呆れたように思った。しばらく放置した後で4人の様子を眺めまわす。理事長と生徒会長・副会長が衝撃から立ち直っていない中、駿川だけが「もしかしたら」と言うように、どこか心当たりのあるような表情を浮かべていた。
彼はそれを見逃さなかった。その外見からは想像すらできないような鋭さを持った声で彼女に尋ねる。
「何か思い当たる節がありそうだな、駿川嬢。是非君の意見を聞かせてほしい」
唐突に意見を求められた駿川は一瞬はっとしたような表情を浮かべる。見ると、他の3人も彼女に視線を向けていた。彼女はそれにしばらくの間戸惑っていたが、やがて落ち着きを取り戻すと真田に視線を向け、口を開く。
「・・・最初は、月刊トゥインクルの今月号です。小島さんの単独インタビュー記事を読んだときに、妙な違和感を感じました。トレーナーでありながら、どこかウマ娘とは距離を取っているような印象を持ったんです」
「続けたまえ」
「この学園にも、トレーナー業をあくまでお金を稼ぐためと割り切って、ウマ娘との間に距離を取っているトレーナーも少なからずいらっしゃいますので、それだけならまだ偶然の範疇だったのかもしれません。ですが、現行のレース体系に対する批判の部分を読み始めたあたりでもしかしたら、と思うようになりました」
その考えが頭に浮かんだ時は自分でも信じられなかったのですが、彼女はそう言って言葉を終えた。
それを見た真田は満足気に肯くと、まるでスタンディングオベーションでもするかのように手を叩きながら、褒め称えるように口を開いた。
「見事だ、駿川嬢-それとも10戦10勝のパーフェクトこと、『トキノミノル』嬢と呼んだ方がよいかね」
トキノミノル。デビューからダービーまで10戦10勝、うちレコード7回。その戦績から『パーフェクト』とあだ名されたウマ娘。ダービー直後は誰もが彼女の無敗での3冠を疑うことは無かった。
-彼女がダービー5日後に破傷風を発症し、生死の境を彷徨うまでは。
懸命の治療により一命こそとりとめたものの、結果として彼女は競争能力を喪失。ターフを去ることになり、その後の行方は
一方、駿川たづなといえばトレセン学園の理事長秘書にしてお淑やかな顔立ちをした、学園の皆から慕われるお姉さんと言っても過言ではない。
そんな彼女の事を「トキノミノル」であると断言した真田の言葉に、理事長室は再度の衝撃に包まれた。理事長はまるで隠し財宝の在りかを暴かれた海賊のような表情となり、ルドルフとエアグルーヴは互いと駿川を交互に見つめ、はっとしたように「まさか」とでも
言いたげな表情を揃って浮かべる。
当の本人はと言うと、どこかとぼけたような表情を見せている。だが、その目だけははっきりと真田の事を睨みつけていた。彼女はそのまま口を開く。
「さあ、なんのことでしょうか」
「とぼけるな」真田は詰問するような口調で答えた。「ならば、頭にかぶっているその帽子を脱いで見せたまえ。それで分かるはずだ-君が学園にいる間中、部屋の中でも、それこそ夏の暑い時でもその帽子を身につけたままである事位、調べはついている」
俺たちだって室内では基本的に制帽を脱ぐのに、不自然すぎるぞ。そう言って真田は言葉を終えた。それを聞いた駿川は、普段の彼女を知る者からすれば低すぎるとしか言いようのない、威圧感すら感じさせる声で答える。
「どうしても私が『トキノミノル』であるとおっしゃりたいのですね」
「ああ」
「そこまで言うからには、何か確固たる証拠でもお持ちなのでしょうか」
「勿論だ」真田は答えた。「君の写真と現役時代のトキノミノルの写真を、AIを用いて分析させてもらったよ-99%以上の確率で同一人物と出た。嘘だと思うのならほれ、レポートも持ってきたぞ」
真田は自身のカバンから書類を取り出す。そこには【秘】の文字と共に、駿川たづなとトキノミノル双方の写真と共に、両者を比較分析した結果が記されており、結果として2人が同一人物であると結論付けられていた。
「面白いことをおっしゃいますね、真田さん」
書類を読み込んだ後で、知らぬ存ぜぬを決め込むように彼女は答える。
「ですがこれだけでは、私がトキノミノルであると証明したことにはなりませんよ」
「そう言うだろうと思っていた」真田は予知能力者のように答えた。「だが次の話を聞いたら、君は否が応でもトキノミノルである事を認めざるを得なくなる」
「何でしょうか」
「
その言葉に、駿川は衝撃を受けた。何故ならば、真田が発言したのは本来理事長を含んだ、URAの中でもごく一部の者しか知りえない筈の事柄であったからだ。
それをなんで、この人は知っているのか-彼女はその言葉が喉まで登ってきたのを辛うじて抑え込む。一方の真田は、飄々とした態度で話を続けた。
「そしてトキノミノルの競争生命を奪ったのは、右足の傷から感染した破傷風だったな、確か。AIによる分析と君の右足の傷-偶然であると片付けるには、あまりにも不自然だ」
ばかな、その話を聞いた理事長は思った。『トキノミノル』にまつわる情報や彼女の治療記録はこの学園のデータベース、その最もセキュリティレベルの高い箇所に収められている。それを何故、この男は知っているのか。
彼女がそれを問う前に、真田は再度言葉を重ねた。
「仮面を被って己を偽るのは辞めた方がいい。いい加減に認めてはどうかね。駿川たづな-いいや、『トキノミノル』」
駿川は押し黙る。やがて、絞り出すように口を開いた。
「・・・これ以上は、無意味のようですね」
彼女はそう言うと、諦めたように両手を帽子に伸ばした。それを包み込むように掴み、じらすように脱いでいく。その、露わになった頭頂部には駿川の正体を示す三角形の耳が2つ、微かに震えながら存在していた。
その光景に、ルドルフとエアグルーヴは息を呑む。伝説のウマ娘『トキノミノル』。彼女がこれほどまで近くに存在していた事に対する驚きを、共に隠せていなかった。
それを見ていた真田は、表情一つ変えずに-正確には目線だけを鋭くして-理事長の方を向き、再び衝撃の一言を放った。
「君もだ、秋川嬢-いや、ウマ娘『ノーザンテースト』と言った方が正解かな」
4人を再度の衝撃が襲う。真田は押し黙っていた。
そんな彼に対し、理事長は暫くの間視線による抵抗を試みる。だが真田から漂う妙な威圧感と鋭い視線の前に、それはもろくも崩れ去った。彼女もまた、諦めて帽子を脱ぐ。明らかな二等辺三角形が2つ、そこには存在していた。
「・・・観念」
処刑を待つ罪人の様な口調で理事長は呟く。生徒会長と副会長は立て続けに起こった出来事に驚きを隠せていない。そんな中で、真田は満足気な表情を浮かべる。部屋に漂う沈黙。
暫くの後、重苦し気に理事長-ノーザンテーストが口を開いた。
「不明。・・・なぜここまで、我々のことを知っているのだ」
「これはあくまで独り言だがね」表情を一切変化させずに真田は答えた。「トレセン学園はもう少し、サイバーセキュリティに金をかけた方がいいぞ」
それを聞いた理事長は、至近距離で破裂音を聞いたような衝撃に襲われた。真田はこの学園についての様々な機密情報を、非合法な手段を用いて手に入れた-その事を平然と示唆して見せたからだった。
だが同時に彼女は思った。好機っ!もしそれが本当であるのならば、交渉材料として使えるかもしれん。
そう考えた
「疑問。それはどういう事か、真田海将補」
「おいおい」おどけたように真田は答えた。「俺は誰が何をしたのかなんて、一言も言っていないぞ。証拠もないのに犯罪者呼ばわりするのはやめて欲しいね」
それを聞いた理事長は、自分の放った武器が無効化されたことを瞬時に理解し、真田の事を苦々し気に見つめる。確かに、彼は何らかの意味を持った言葉を口にした。だがあくまで『何かをしたことを示唆した』だけで、明確に何をやったと明言したわけでは無い。相手に尻尾を掴まれるようなことをするほど、真田は愚かな人間では無かった。
愚劣っ!-全く、前回の時から薄々感じてはいたが、本当に忌々しい男だ。傲岸不遜と言う言葉でも、この男を言い現わすには不足が過ぎるっ!
そんな彼女の内心をよそに真田は答えた。
「今までの話を踏まえて-小島君に何ら処分を下さないと理事長、君が確約してくれるのならば、こちらも君たちの秘密を口外しないと誓おうじゃないか」
魂の取引を持ち掛ける悪魔の様な口調。帽子を再び被りながら信用できるかとでも言いたげに、彼の事を睨みつける理事長ことノーザンテースト。複雑な感情の入り混じった表情で、帽子を被りながらそれを見つめる駿川たづなことトキノミノル。全く話についていけていないルドルフとエアグルーヴ。それらが混ざり合い、理事長室を沈黙が支配する。
(疑問。それにしても)
理事長は思った。何故真田海将補はあの男の-自衛隊でも問題児扱いされているような人間の事をそこまで庇うのだ?理解に苦しむ。
場違いな着信音が部屋中に鳴り響いたのはその時だった。音の主は理事長秘書の持つ業務用スマートフォンだった。呼び出されて部屋を出ていった彼女は10分ほどして一枚の名刺を持って現れた。それを見た理事長は顔色を一変させる。
(-ようやくお出ましですか、森宮教授)
主役の交代を告げる布告人のように真田は思った。
時は2時間ほど遡る。東京都千代田区の中心部に位置する、ごく限られた人間しか入ることの出来ない自然豊かな空間の北側に位置する門の前で、1組の男女が仕立ての良い背広を着た、その空間を管理する組織の中で高い地位にある壮年の役人から見送りを受けていた。
「本当に、こちらまででよろしいのですか」役人は答えた。「駅までお送りするよう、言付かっております」
「お気持ちは有難いのですが」
彼と同じように仕立ての良い背広を着こみ、中折れ帽を被った、背は高いがやや恰幅の良い中年男性は答えた。
「何分、年が年でしてね。少しは歩かなければ体によくありませんから-両陛下によろしくお伝えください」
「承知いたしました」役人は答えた。「ところで、これからどちらに行かれるのですか」
「府中に。娘夫婦が住んでおりまして、折角東京に来たのですから孫の顔でも見て行こうかと。九段下からなら、一度の乗り継ぎで済みますので」
「それはそれは」表情を柔らかくしながら役人は答えた。「どうぞ、ごゆっくりなさって下さい」
「それでは」
中年男性はそう言いながら一礼した。役人もまた礼を返す。中年男性はそのまま、傍らにいる落ち着いた色合いの着物を着た、品があるものの気の強そうな印象を受ける顔立ちの中年女性と共に、九段下の駅へと歩いて行った。
「久しぶりだね、やよいちゃん。お母さんは元気にしているかな」
その言葉と共に、帽子を脱ぎながら妻と思しき女性を伴い、京都大学法学部長にして一般財団法人森宮財団理事長、森宮篤郎は部屋に入ってきた。彼は真田とその副官の姿を目にすると予め示し合わせていた通り、偶然出会った風を装いながら話しかける。
「これはこれは真田海将補、娘がいつもお世話になっております」
「お久しぶりです、森宮教授」真田もまた、偶然を装いながら答えた。「まさかこのようなところでお目にかかるとは、思いもよりませんでした」
「森宮教授、なぜあなたが」理事長は答えた。
「孫の顔を見に来るのに、理由が必要かい」不思議がるように教授は返した。「それよりも、どうして真田海将補がこのような場所におられるのですかな」
「丁度良かった。実は-」
真田は今までの会話内容をかいつまんで説明した。教授は時折首を軽く上下に振りながらそれを聞く。これについても、予め大まかな打ち合わせは済ませてあった。4人はその様子を静かに見ている。
「成程、話の方は分かりました」
話を聞き終えると教授は答えた。そのまま4人の方に向き直る。
「4人とも」諭すように彼は口を開いた。「隆史君の言い方に全く問題が無いとは言わないけれど、処分を下すほどの事ではないと私は思うよ」
「お待ちください-森宮教授、でよろしかったでしょうか」
教授の言葉に反応したのはルドルフだった。
「彼の-小島トレーナーの発言は、私たちの方にも原因があったとはいえ、レースに身を置くものとして到底看過できるような内容ではありません」
「私も、会長と同意見です」
エアグルーヴもまた答える。それを聞いた教授は2人を、どこか実の娘を見るように眺めると、少しの間を置いて口を開いた。
「シンボリルドルフさんと、エアグルーヴさんで良かったかな」
妙に冷静な言葉で彼は述べる。
「
それを聞いた瞬間、2人の背筋に冷たいものが走る。あの時と-学園のカフェテリアで、小島と森宮と会話を交わした時に感じたものと同じ感覚だった。その様子を見た教授は、よい機会だとばかりに答える。
「ちょうどいい。私たちの一族について色々と話しておくとしよう」
但し、この部屋を出たら口外無用という事にしておいてくれ。できれば墓の下まで持っていってもらえると有り難い。
彼は全員がその言葉に同意したことを確認すると、立ったまま滔々と語り始めた。
「私たち森宮家は、表向きは学者一族という事になっているが、その裏では代々皇室の『お庭番』-所謂スパイ・マスターを務めてきた家でね。おかげで、この国の歴史の表に出せない部分を知り尽くしているし、あちこちに顔が聞く」
この部屋にいるもの全てが黙りこくったまま、内心に様々なものが渦巻きながらも教授の話を聞いている。彼はそのまま話を続けた。
「元々隋の宮中での権力争いに巻き込まれて命を狙われ、一族郎党財産の全てを持ってこの国に亡命してきた渡来人の末裔だからね。だからこそこの国では一族を守るために情報収集を欠かさずにいたら、いつの間にか諜報能力に長けるようになってしまって、その能力を当時の
「そう言う事でしたか」ルドルフが納得したように答えた。「あの2人-小島トレーナーと森宮トレーナーに会った時、2人が私とエアグルーヴの事を知り尽くしていたのは」
「我が家の持つ諜報能力をもってすれば造作の無い事だからね」
教授は答えた。
「それに、ダイナカールさんと母さん-そこにいる私の妻だ-は知り合いでね。そっちからも色々と聞いているのさ。他にも
「ええ」着物を着た、年を重ねた森宮有沙のような外見の中年女性は答えた。「こんな形で役に立つとは思いもよりませんでしたけど」
お母様、その事を予め教えておいて欲しかった。話を聞いたエアグルーヴは頭を抱えながら、元オークスウマ娘とは思えないほどの軽さを持った母の事を呪った。
「兎に角、隆史君を処分するというのならこちらも『相応の事』はさせてもらおう」
「疑問。『相応の事』とは何でしょうか、教授」
彼女らしからぬ丁寧な声で理事長は答えた。
「さっきも言ったろう。私はあちこちに顔が聞くのさ」
不敵な声で教授は答え、続けた。
「農林水産省、文部科学省、防衛省にトゥインクルシリーズのスポンサーをしているあちこちの企業-あとは『君たちに春と秋の2回、盾を下賜されている御方』にも話はつけてある」
彼の最後の一言を聞いた瞬間、4人は息を呑んだ。部屋の空気が一変するのを肌で感じる。何しろ、この国で最も尊い人間の事を親戚の-実際そうであるが-名でも呼ぶかのように軽く口にして見せたのだ。それが出来る事は即ち、先ほども少し触れられていたが、森宮家と『その一族』とのつながりが深いことを意味する。そしてそれは、この国における森宮家の影響力を端的に表していた。
つまり、小島に対して何らかの処分を下そうものなら、教授が述べたもの全てが一斉に敵に回るという事になる。
尤も、『その一族』が関与することは、相当どころではないレベルで複雑な問題を引き起こしかねないのでありえないだろう。理事長はそう思った。
事実、森宮教授はそのつもりだった。『その一族の現当主』に今回の一件は話してあるが、一切関与しないようにとも言い含めてある。教授が『その一族』の名を出したのは、あくまで学園側に譲歩を迫る手段の一つに過ぎなかった。
(だが)
官公庁やスポンサー企業が敵に回るだけでこちらにとっては厳しいことになる、理事長はそう思った。
何しろURA、そしてトレセン学園に対する所轄官庁-農水省と文科省-からの風当たりはかなり厳しい。それらが企業に『行政指導』でもしようものなら、絶大な影響力を持つそれにこの国の企業は一斉に倣う。そうなった場合、こちら側に打つ手はほぼ無くなると言ってもいい。唯一打つ手があるとすれば、トゥインクルシリーズやドリームトロフィーリーグは莫大な国庫収入をもたらしているという点だけだ。そこを突けばどうにかなるかもしれない。
だが逆に言えば、それ以外には有効な手段がないという事だ。さらに言えば、それをした場合、確実にこっちの懐具合が大幅に悪化する諸刃の剣でもある。レースの世界に生きるウマ娘の事を考えるのならば、それは避けるべきであった。つまるところ、学園やURAの側にとって全くの積みと言っても過言ではない。
失態!全く予想していなかった-たかが一人のためだけにここまでやるとは!
理事長は歯ぎしりした。だが同時に、彼女の脳内である疑問が浮かぶ。彼女はそれを森宮家の当主にぶつけてみることにした。
「疑問。なぜ、義理の息子のためにそこまでするのですか、森宮教授」
それを聞いた教授は、しばらく沈黙する。やがて、聖書を読み上げるような口調で語り始めた。
「父親が娘の幸せを祈って何が悪いんだい、やよいちゃん」
森宮家の当主ではなく、一人の、娘を思う父親としての態度を見せながら彼は答える。静かだが、強い意志を感じさせる言葉だった。
「隆史君といる時の有沙は、この上なく幸せそうだからね。実の娘を悲しませないためなら、何だってやるさ」
「何だってやる、とは」
「我が家の力はかなりの物でね」態度を崩さず、淡々とした態度で教授は答えた。「URAとこの学園、それにメジロさんのところやサトノさんのところをまとめて叩き潰す事位、うちからすれば赤ん坊の手をひねるような物だよ」
まあ、そんなことをしても後が色々と面倒くさいからやらないが。冗談めいた風に彼は言葉を締めた。
一方、4人の方は冗談とは受け取らなかった。彼女らにしてみれば、今の発言は自分たちに対する脅迫に他ならなかった。目の前の人間はそれを行うだけの力を持っている。実の娘のためであれ何であれ、必要だと判断したら躊躇なく実行するであろう。
そして何より、森宮教授の目は笑っていなかった。自分の立場や地位のためではなく、あくまで純粋に実の娘を、いかなる手段を用いてでも守り抜くという強い意志が彼からは感じられる。こうなってしまった場合、こちらの要求を通すことは困難であることは容易に想像できた。
そんな内心を見透かしたかのように、教授は4人に語りかける。口調こそ穏やかではあったが、森宮家が飛鳥の御代以来背負ってきたものの重みを感じさせる、威圧感をもった声だった。
「さあどうするかな、4人とも。『懸命な回答』をしてくれると、僕としては助かるのだがね」
決着はついた。今回の一件において、小島には一切の処分が下されないことに決した。
4人はその事実をそれぞれの態度で受け止めている。
そんな4人を見つめながら、森宮教授は多くの満足と少しの後ろめたさを感じつつ口を開いた。
「さて、私と母さんは娘夫婦に会いに行こうと思うのだが-だれか案内してくれるかい」
「私もお付き合いしますよ」真田が答えた。「教授とはもう少し、お話をさせて頂きたいので」
「喜んで」教授は再度4人の方を向きながら、促すように答えた。「そこの4人にも是非一緒に来てほしいですね。何分、ここには不慣れなものですから」
その言葉を聞いた4人は、どこか諦観を浮かべたような表情をしつつも一斉に動き出す。真田と矢沢、森宮教授夫妻もそれに続いた。
「失礼。真田海将補、一つ聞きそびれたことがある」
道中、理事長は真田に問いかけた。
「何だね」
「理由。教授が小島トレーナーを庇おうとする理由は分かった。だが、貴方はどうなのだ。なぜあの男の事をそこまで庇う」
「部下だから-と言うのでは答えになっていないのだろうな」
「当然」
「やれやれ」真田は答えた。「あの男は、所謂『軍人』として天賦の才を持った男だからさ。尤も、当の本人にその自覚はないがね」
「-才能。軍人としての天賦の才、だと」
信じられない、とでも言いたげに理事長は答えた。そんな彼女に、真田はどこか意味深長な言葉を返す。
「俺と君とでは覗いている穴が違う、とだけ言っておくよ」
彼はそう言って、そのまま歩き続けた。理事長は真田の後を歩きながら、彼の言葉の意味をずうっと考え続けていた。
最初に向かった分屯基地で、小島と森宮の行方を聞いた8人はグラウンドにあるスタンドへと向かった。他のトレーナーやウマ娘らがいる中、異色を放つ男女のペアを見つける。2人とも濃淡3色のグレーからなる空自の迷彩服を着こみ、片手にタブレット端末を抱えながら一周2千メートルのコースを見つめていた。
真田が2人に声をかける。振り向いた2人は、彼の後ろにいる人物を見て軽く驚いたような表情を浮かべた。森宮教授とその夫人が真田の手招きで2人の元に歩み寄ると、真田は矢沢と共に後ろへと下がった。
暫しの間、互いに見つめ合う。静けさが漂う中、先に言葉を発したのは森宮有沙だった。父親の方を見て、答える。
「お正月以来ね、パパ」
「元気そうで何よりだよ、有沙」
「それよりも」
有沙は着物を着た女性の方に、どこか挑みかかるような視線を向ける。視線を向けられた方は、どこか複雑そうな表情を浮かべた。
「どうしてママがいるのよ」
「隆俊の顔を見せに連れてきた」
「パパが一人で来てくれればよかったじゃない」
反抗的な声で有沙は答えた。
「母さんとは正月に会っているんだから、問題ないじゃないか」
「それとこれとは話が別よ」有沙は答えた。「昔に比べればましになったけれど、それでもママとはあまり話をしたくないの」
それを聞いた有沙の母は、どこか後ろめたそうな表情を浮かべた。それを見て、教授はフォローするように口を開く。
「母さんも母さんなりに、お前の事を思っているんだよ」
「-分かってるわよ、そんなこと」
頭を抱えるようなしぐさをしながら、絞り出すような声で有沙は応じた。
「たとえそうであったとしても、ママが今までに私にしてきた事を完全に許したわけじゃないの。第一、私が防大に行ったのは五月蝿いママから逃げるためよ。自衛隊に入った理由なんて、それ以外に何もないわ」
それを聞いた教授は、しばし過去のことを思い出す。妻と結婚したばかりの頃。有沙が生まれて間もない頃。彼女の学生時代。防衛大への進学時のひと悶着。そして今。それらを一通り思い巡らせた後、何かを噛み締めるように彼は口を開いた。
「-有沙はやはり、母さんの子供だな」
「どういう意味」
探るように有沙は答えた。
「お前のそう言う気の強い所は、母さんそっくりだ」
「・・・」
父親の言葉を聞いた有沙は沈黙する。彼女は父親の言葉の正しさを、自身が浮かべた表情で肯定していた。
「あの、よろしいですか、お義父さん」
その様子を見ていた小島隆史が助け舟を出すように、横から口を開いたのはその時だった。彼特有の、無意識のうちに出る笑みを浮かべながら話を続ける。
「彼女のそのような所を、僕は気に入っているんですよ。外では強気でいて、だれにも見えないところでは僕に甘えてくる-そう言う所がまた、たまらないんです」
それを聞いた教授は苦笑を浮かべる。夫人もまた、先程までの険しさをどこかに消し去ったように、笑みを浮かべていた。
一方の有沙はどこか気恥ずかしそうに、頬をうっすらと赤く染めながら夫に言い返す。
「・・・衆人環視の中で、よくそんな言葉を臆面もなく口にできるわね」
「俺は正直者だからな」含み笑いを浮かべながら小島は答えた。「そのことは、お前が良く知ってるだろ」
「そうだったわね、確か」
それを言う有沙の顔にはいつの間にか、笑顔が浮かんでいた。
「そう言えば、隆俊はどこにいるんだい」
祖父としての顔で、教授は義理の息子に尋ねた。
「託児所に預けてますよ」彼は答えた。「仕事が終わるまで待って下さい」
「分かっているよ」
「2人目は女の子がいいわね」からかうように有沙の母が答えた。
「気が早いわよ、ママ」まったくもう、とでも言いたげに有沙が応じた。「もう少し、待って頂戴」
「はいはい」
祖母としての顔をしながら、母親は答えた。
その、一連のやり取りを間近で聞いていた4人は森宮教授が見せる、先程までの『お庭番』としての重みを持ったものとは真逆の、他愛のない話をして笑い合う表情を見て、驚きを隠せない顔を浮かべていた。
更に小島と森宮が-これまで学園ではあまり感情を表に出すことの無かった(少なくとも4人はその姿を見たことが無かった)2人が、惜しげもなく感情をあらわにしている光景を見て、ますます困惑を深めた。
先程の会話の内容から、森宮トレーナーとその母親との間に確執があることは4人全員が感じ取っていた。だがいつの間にか、眼前では仲の良い親子の会話が展開されている。
訳が分からない。4人は共に、脳内でそのような考えを浮かべていた。
「人間や物事を、一面だけで見てはいけないという事だ」
その様子を横目で見ていた真田は、忠告するように口を開いた。
「何事も常に多面的である、という事を忘れてはならない。君たちが見ていたのは、所詮多面ダイスの一つの面に過ぎないのだからな」
「ですが、不思議でなりません」真田の言葉を聞いて、答えたのはルドルフだった。「なぜあのような所もある人間が、ウマ娘の事を嫌うに至ったのか」
「俺は外面がこうだが」自分を揶揄するように、真田はルドルフの言葉に応じた。「たとえ部下であっても、他人の内心に土足で踏み込むことはせん。聞きたければ君たちが直接、小島君に聞いてみろ-但し」
「但し?」
「あの男の過去を聞くときは慎重にやりたまえ。でなければ、君たちも少なからぬ量の返り血を浴びることになるぞ」
-尤も返り血で済めばいいがな、警告するように彼はルドルフに答えた。提督ではなく、どこかマフィアのボスを思わせるような雰囲気を漂わせている。それを見たルドルフは、目の前の男に始めて、得体の知れない恐怖を感じた。
-目の前では2組の夫婦の会話が続いている。グラウンドからは、様々な声が響いていた。
次の回でこの話も一区切りついて、それ以降は本格的にレース主体の話になっていくと思いますが、その間で分遣隊に新メンバーを追加するつもりです。
詳細については既に考えてあるので、どうぞ皆さん気長にお待ちいただけますと幸いです。
それではまた次回。