トレセン学園分遣隊活動記録   作:山屋な司令官(改)

2 / 27
長くなりすぎて前編と後編に分割した第2話、まずは前編です。それではどうぞ。




第2話 着任・前編

府中の名が歴史に始めて記されたのは7世紀後半のことである。白村江の敗北で中央集権化の必要性を認識した朝廷は急速な中央集権化を押し進めるべく、全国各地に令制国を次々と設置していった。その際に関東のほぼ中心部、主に平野と河川が集結している地に置かれたのが武蔵国である。その中でも武蔵野台地の西部、多摩川中流域の台地上に存在する土地が街道(陸運)-東山道武蔵道-と河川(水運)が交差する交通の要衝であることに目を付けた朝廷はその地に令制国における行政の中心-国府を置いたが、その際に国府の存在を表す名として用いられた「府中」がいつしか地名として定着したことで、この地は府中と呼ばれるようになった。

それ以来交通の要衝として、時にはそのような地の宿命とも言える戦の舞台として、府中は時代の変化に伴う栄枯盛衰こそあれど基本的には繁栄を享受してきた。

 

そのような土地と競争ウマ娘との関わりは1920年代にまで遡る。当時、目黒に存在したウマ娘のレース場が周辺地域の宅地化の影響で手狭になってきたこともあって、移転先を探していた東京競倶楽部(URAの前身組織の一つ)が、地形や植生などの諸条件に恵まれた府中に目を付けた。当時の府中町も町の年間予算の半分近い歳入を見込んで誘致に乗り出し、両者の思惑が一致した結果、レース場が府中へ移転されることが決定し、更にウマ娘の育成学校(後の中央トレセン学園)がその近隣に新しく設けられることになった。その後の建設用地の買収にあたっては様々な問題が噴出したものの、1933年には東京レース場、更には中央トレセン学園の前身となる学校が完成した。それ以来、この土地は日本の競争ウマ娘にとっての聖地(メッカ)であり続けている。それは21世紀に入って4分の1ほど経過した今も変わっていない。

 

 

日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称中央トレセン学園は京王電鉄府中駅から多摩川へ向かって坂を下った場所-具体的には京王電鉄の線路と中央自動車道との間に挟まれた土地に存在する。

そのような場所に存在するトレセン学園への赴任にあたって、小島家が住居として定めたのは京王電鉄府中駅から徒歩10分以内、同じくトレセン学園へも徒歩10分以内の場所に存在する旧甲州街道に面した南向きの賃貸マンション、その4階最東端にある2LDKの部屋であった。近年の防衛予算の増額と政府の積極財政政策に伴う経済状況の好転の結果、隊員の給与や福利厚生にかける費用が以前に比べて大幅に増加しており、転居に伴って発生した諸費用の全額は防衛省から支給されるようになっていた。さらに家賃についても多額の補助を受けられるようになったため、今回の転勤で小島家の懐具合が大きく変動することは無かった。

 

防衛省で辞令を渡された翌日から荷造りを始めるのと同時並行で転居に伴う諸手続きを行い、それらを全て終えて新たな住居に引っ越してきたのが着任の1週間前で、そこから荷を解いて新居としての体裁を整えたのが2日前のことであった。

 

4月1日の着任当日、2人は自宅で制服に着替えると、会社勤めの人間が持つものと大差のない肩掛け鞄に必要なものを入れ、長男を乗せたベビーカーを押しながら家を出てエレベーターに乗り込み、マンションの1階にあるエントランスに降りた。そこには鞄を持ちながらそれぞれが属する組織の制服を着こんだ、ベビーカーに長女の舞子を乗せた土井美咲と、1人手持ち無沙汰にしている広瀬彩香の姿があった。

 

「遅かったじゃない、有沙」

「現在時刻0925。集合時間に遅れたつもりはないわよ、彩香」

 

トレセン学園の勤務体系は所謂フレックスタイム制で、週あたりの労働時間の範囲内であれば出退勤の時間は個々の従業員が好きに選択できる。しかし今日は勤務初日ということもあって、学園側から1000-午前10時までに出勤してくれと言われているため、余裕を見てこの時間に集合したのだ。ちなみに全員(と美咲の夫)がこのマンションに居住している。

 

全員が揃ったことを確認した小島は出発することにした。彼を先頭に、ベビーカーを押す有沙と美咲が中団、最後尾に彩香という順番で4人は歩き出す。マンションから旧甲州街道を少し東に向かうと交差点を右へ曲がり、府中崖線によって形成された緩やかな坂道を下りながら4人は進んだ。その下には片側2車線-学園やレース場の付近など、一部に存在するウマ娘用の車線を含めると3車線-の、幅の広い並木道が左右に伸びている。坂を下りきったところでその並木道に出ると、歩行者用の信号が青に変わるのを待って横断歩道を渡り、そのまま左に曲がって直進し、数分程歩いた所で右側に見えてきた赤煉瓦の塀伝いに歩いていくと門が見えてきた。門柱には『日本ウマ娘トレーニングセンター学園』と書かれた金属板がはめ込まれている。

 

門から見て道路を挟んだ向かい側には、(理由は分からないが)茨城県と滋賀県の地名がそれぞれ付けられている2つの学生寮が建っている。最も学園のホームページを見たところ全寮制というわけではなく、学園から通える範囲内に自宅がある学生はそこから通学しているそうだ。

門の後ろに続く、石畳の敷かれた幅の広い道の先には、まるでおとぎ話の中からそのまま抜け出てきたような洒落た外見をした、校舎と思われる建物が見えた。奥にはうっすらと中庭や噴水のようなものも見える。

浦安にあるテーマパークに来たようだな、小島は思った。最もそこには高校の遠足で行って以来、あまりの雰囲気の合わなさから足を運んでいないのだが。

ふと、アジテーション演説のような声が聞こえてくる。小島はその音源の方に目をやり-確認しただけで視線を元に戻した。

 

明るい緑色の帽子に同じ色のジャケットとひざ丈のタイトスカートに白のブラウス、山吹色のネクタイと言ういで立ちの女性が近づいてきたのはその時だった。手には何かを抱えており、足は黒いストッキングで覆われている。

-中々美人だな、まあ、有沙には負けるが。

小島がそんなことを考えているとその女性は4人の前で立ち止まり、口を開いた。

「失礼します。今日着任される自衛隊の皆さんでよろしいでしょうか」

「ええ、そのとおりですが」

いきなりなんだ、と思いながら小島は答えた。彼女の帽子に目をやると、向かって左側に金色の、蹄鉄を模した飾りがついている。成程この学園の職員か、それを見た彼は思った。

「確認のためにお名前と階級、あとは身分証明を見せて頂いても」

「分かりました」

小島は懐から自衛隊が発行している身分証明書を取り出して目の前の女性に手渡しながら、大きくはないがはっきりとした声で答えた。

「小島隆史一等空尉です。本日付で日本ウマ娘トレーニングセンター学園分屯基地司令兼、日本ウマ娘トレーニングセンター学園分遣隊隊長として着任しました」

彼女はそれを聞くと、手元に抱えているものと小島から渡された身分証明書を見比べ-十数秒の後、それを彼に返却しながら応じた。

「確認しました。ありがとうございます」

小島の身元確認を終えた女性は他の3人に対しても同様に身元確認を行っていく。数分して全員分の確認を終えた彼女は頭をあげると、不可思議そうに小島の方に向き直った。

 

「今日着任されるのは5人と伺っておりますが」

「ええ、そのとおりです」

「見たところ、4人しか来ておられませんね」

「もう1人はそろそろ来ると思いますよ」小島は腕時計を見ながら答えた。「何分、車で来るそうなので」

もう1人-遠藤の自宅はここから車で15分程の場所にあり、自動車での通勤を彼は選択していた。

「そういうことでしたら」

目の前の女性は納得したように答えた。

「それよりも」

小島は教えを乞う生徒のように問いかけた。

「何でしょうか」

「申し訳ないのですが、あなたのお名前を教えて頂けませんか。そうしないと、我々があなたのことをどう呼べばいいのか見当がつきませんので」

「申し遅れました」

目の前の女性は答えた。

駿川(はやかわ)たづなと申します。この学園で理事長秘書を勤めております」

「では改めてよろしくお願いします、駿川さん」

「それよりも」駿川はある方向を指さしながら不安げに言った。「あちらの方はよろしいのですか?」

駿川が指さした方向に4人全員が目をやる。そこでは壮年というよりは老年と呼んだ方が良い男女十数人がトレセン学園への自衛隊配備に反対する内容を記したプラカードや横断幕を掲げ、拡声器から声をあげながら抗議活動を行っていた。周囲では警察官が数名、事務的な顔つきで監視にあたっている。

 

ああいうのどこにでもいるよなあ、小島は思った。残りの3人もまた、日常の風景を見るように抗議活動を見ている。その中で駿川だけが、不安と心配が入り混じったような表情を浮かべていた。

「こういう仕事をしていると、あのような方々には何度も遭遇するもので」

小島は手慣れたように応じた。

「いちいち気にしていたら身が持ちません。放っておけばよいのです」

「本当に大丈夫なんですか」

駿川は疑いの入った表情で小島を見つめる。彼は答えた。

「あの人たちは、生まれながらに有する権利を行使しているに過ぎないのですから」

ファミリーカーとスポーツカーを足して2で割ったような外見のトヨタ車に乗った遠藤が現れたのはその時だった。4人の姿を見止めると車を停車させ、運転席の窓を下げて声をかけてきた。

「おはようございます、小島一尉」

「おはようございます、遠藤准空尉」

「ずいぶんと賑やかな出迎えですね」

遠藤はデモ隊の方を見ながら答えた。

「枯れ木も山の賑わいといいますから」

小島は苦笑しながら部下に答えた。

「なるほど、ところでこちらの方は」

駿川の方に顔を向けながら遠藤は言った。

「駿川たづなさんです。この学園で理事長秘書を勤めておられるそうで」

「そうですか」

遠藤はそう言うと駿川に話しかけた。

「駿川さんでしたっけ。すみませんが駐車場はどちらに」

「駐車場でしたら、門を入ったところの右側に」

彼女は軽く戸惑いつつも答えた。遠藤はありがとうございますと返すとそのまま車を止めに行き、5分と経たないうちに荷物を持って徒歩で戻ってきた。駿川に身分証を手渡して身元の確認をしてもらう。

確認を終え、5人が揃ったことを確認した駿川は、手元の封筒の中から学園の職員証を全員に手渡すと、お揃いのようなのでと一声置いたのちに口を開いた。

「それではご案内させて頂きます。まずは皆さんの仕事場の方へ」

「その前に」

ベビーカーを押す自分の妻と土井一尉の方を見ながら小島は言った。

「何でしょうか」

「まずは託児所に案内して頂けませんか。私の長男と土井一尉の長女を預けなくてはならないので」

駿川がその言葉に視線をずらすと、それぞれのベビーカーに乗せられた2人の赤子が興味深げに駿川のことを見つめている。彼女が2人に向けて手を振りながら軽く微笑むと、それにつられて2人の赤子もまた笑みを浮かべた。表情を戻して小島達の方に向き直り、口を開く。

「分かりました。それではこちらへ」

そう言って駿川は歩き出し、5人(と乳児2人)はそれに続いた。デモ隊の周囲に訴えかけるような、拡声器からの声はいまだに聞こえていた。

 

そのような形でトレセン学園の正門をくぐり、学園の敷地に足を踏み入れた時、不意に小島の脳裏に13世紀のイタリア人が書いた詩集の一節が浮かんできた。

 

「一切の希望を捨てよ、この門をくぐりし者」

 

まあある種の地獄だろうな、この学園は。ここにいるウマ娘たちは望んでそこ(地獄)へ赴こうとするダンテと何ら大差がない。華やかな見た目とは裏腹に、栄光をつかめるのは一握り。それ以外のものに待っているのは青春の全てを駆けっこに捧げた挙句、何もかも無駄にした徒労感だけを残して世の中に放り出される。後は野となれ山となれ。地獄と何が違うというのだ。

いや、むしろダンテの方がこの学園のウマ娘より幸せであるのかもしれない。彼は師と共に地獄へ赴き、最終的にはベアトリーチェに出会うことができたのだから。この学園の生徒の中でそのような幸運(ベアトリーチェ)に出会えるものが果たしてどれだけいるというのだ?

 

そして出会えたものは、そのことを全て自分の力だけで成し遂げたと思ってしまう。実際はただ幸運と偶然、そして才能に恵まれただけであるのに。それもまた一つの地獄であることに変わりはない。

 

彼はそのようなことを考えながら、自分が修復不可能な程に性格がひねくれ曲がった人間であることを改めて自覚していた。それは中学時代にウマ娘によって地獄そのものの苦しみを味合わされ、人生を狂わされたといっても過言ではない彼にとっては普遍的な反応であった。最も、ウマ娘に好意的な人間の方が多い中にあってはその考えが少数派であることも理解しているが、今更その性格や考えを曲げるつもりはなかった。自分を曲げてまで他人に好かれようという性格を彼はしていない。

 

小島は思った。だから世渡り下手とか不器用とか言われるんだろうな。はあ、やだやだ、こんな性格になんかなりたくなかった。そうであればもっとましな人生を歩めただろうに。

けれども現在のような性格にならなければこの場所に来ることは無かった-正直あまり関わりたくなかったが-し、ましてや森宮有沙と結婚することも無かったというのも一面の真実ではある。全く、人生何がどう転ぶか分からんものだ。

 

そのような思考を頭の中で巡らせながら、彼は他の4人(とベビーカーに乗った乳児2人)と共に、駿川秘書のあとに続いて歩き続けた。

 

自身と有沙の長男と土井の長女を教職員用の託児所に預けた後でたどり着いた分屯基地は、自衛隊のオフィスというより大手外資系IT企業のそれと呼んだ方がふさわしい内装をしていた。入ってすぐのところに隊員の仕事スペースが置かれ、1つずつパーテーションで仕切られたそれぞれの個人スペースの中には緩やかな弧線を描いた形状の仕事机が置かれ、その左側には2つのモニターを有するデスクトップ型パソコンと各種の電源ポート、右側には様々な資料やマニュアルの入った分厚いファイルがきれいに並べられている。椅子もまた、学校の職員室で使われているような武骨なものではなく、ゲーミングチェアをビジネス向けに装いを整えたような外観と機能を持つものであった。

 

小島は入り口から見て左側にある、可動式の壁で仕切られた、基地司令用の執務スペースに入る。そこには木目調ながらも機能的な形状に作られた机に、隊員用スペースに置かれているものと同じパソコンと椅子が備えられており、その目の前には、応接用の二人掛けの黒い革張りのソファが向かい合わせに2つ置かれ、その間に成人男性の平均的な座高程度の高さをもつテーブルが置かれていた。

 

逆に入り口から見て右側に目を向けると、追加人員分の椅子と机が置かれた場所よりも奥の壁際には、おしゃれな椅子に大きな机、置かれた、ミーティングにも使用できる程の大きさを持った休憩スペースがあった。それらに加えて大型液晶テレビが据え付けられたテレビ台と、その目の前に置かれた大人一人が十分に寝転がれる長さのソファに様々な種類の本・新聞・雑誌が置かれた棚、おまけにファミリーレストランに存在するような、多種多様な飲み物が飲めるドリンクサーバーにコーヒーメーカー、更には菓子などの軽食さえ用意してあった。

 

(これは、なんというか)

よくもまあ、これだけ小洒落たものを整えたな。あのおっさんか、それとも学園か?

まあ十中八九前者だろうが。あの人ならこの程度、造作もないだろう。全く、あちこちから税金の無駄遣いだ何だと文句を言われそうだな。まあ、何かあったらあのおっさんに押し付けるさ。環境は悪くなさそうだし、快適に仕事ができそうだ。

小島は新たな職場の環境にそのような形で折り合いをつけると、一先ず自席のパソコンの初期設定に取り掛かることにし、残る4人にも自分が座る場所を決めた上で自分と同じことをするように命じた。

 

このように、どこか外資系企業のオフィスめいた内装をしている分屯基地であったが、決して自衛隊の施設であることを忘れたわけではなかった。入り口から仕事スペースを挟んだ向かい側にある窓には盗聴を防ぐための加工と、軍用ライフル弾クラスならまず貫通されないほどの防弾加工が施されたガラスが新たにはめ込まれており、落ち着いた風合いの茶色いカーテンも盗聴対策が施されたものを用いている。さらに、この部屋で使用しているパソコン・タブレット端末には高度な機密保持対策が施されており、ネットワーク回線も学園内の回線に接続しているものと、それとは独立して新たに設置された防衛省・自衛隊の回線と直結されたものの2つが使用されていた。後者には学園のサイバーセキュリティー部門は触れることを許されておらず、自衛隊のサイバー戦担当部隊が保守管理を行っている。

 

パソコンの初期設定を終えると、次に取り掛かったのはオフィスの最も奥まった場所にある倉庫、その中に存在する備品の確認だった。部屋の中に用意されていた軍用規格のタブレット端末を、個人登録を済ませてから使用し、倉庫の中に入ってタグを端末で読み取りながら目視で備品の種類と数量が表示通りであるかを確認する。端末に表示される数と人の手で数えた数が同じかどうかを確かめれば、その後は(定期的に行うことになっている確認を除けば)端末の画面上に表示される数字を確認するだけで備品の管理は基本的には事足るようになっていた。近年に実施された防衛予算の大幅増額の影響は、このような所にも如実に現れていた。

 

「あのう」

備品の確認とその後に発生した諸々の業務を終えて全員で一息ついていると、駿川が小島に話しかけてきた。

「何でしょうか、駿川さん」

「皆さんの様子を見ていると、あまり自衛隊らしさを感じられないのですが」

「初めて我々の仕事を見る方は、その手のことを言いますよ」

慣れたように小島は答えた。

「自衛隊と聞くと、どうしても銃を持って訓練する姿を想像するので」

「それもありますけどね、実際には-少なくとも俺たち幹部だと-こんな感じで書類仕事の方が多いんですよ。書類を主敵とし、その余力を持って敵と戦うなんて言葉があるくらいですから」

「サラリーマンみたいですね」

「仕事の実情は大差ないですよ。いざという時に命がけで戦うこと以外は」

最後の言葉を聞いた駿川は一瞬息を飲んだ。目の前の5人が、本来は自分たちと異なる世界に生きていることをはっきりと感じさせられたためである。彼女はそれを心の中にしまい込むと、何事もなかったかのように会話を続けた。

「それでもこういう姿を見ていると、皆さんが自衛官とはとても思えません」

「まあ、一通りの戦闘訓練はやってますよ。最も技量は、常日頃から鉄砲抱えて走り回ってる連中に比べれば劣りますが」

彼がそう言ったとき、駿川のスマートフォンから着信音が鳴り響いた。彼女はそれを手に取ると、頬に当て話し始める。その様子を見た小島は思った。この人、耳が見えないな。どうしたんだろう。

そのような小島をよそに、駿川は電話越しの会話を続ける。やがて話し終えると、小島や他のメンバーに向かって口を開いた。

「どうしましたか、駿川さん」

「理事長が、皆さんにお会いしたいと」

理事長か、一応予習はしてあるけどにわかには信じがたい姿をしていたな。まあ、初日にやることの一つに含まれてたし、行ってみるか。

 

 

「歓迎っ!君たちの着任を心より歓迎するっ!」

被っている帽子の上に猫を乗せた、幼女そのものと言っていい外見の理事長‐秋川やよいは、持った扇子を広げながら叫ぶように答えた。

-ちっちゃいくせして声だけは一丁前だな、実年齢いくつなんだよ。

小島はそう思った。勿論口には出さない。予めこの学園や競争ウマ娘、トレーナーについては一通り予習を済ませてあったが、それでも理事長の姿には驚きを通り越して懐疑に近いものを抱いている。

「詳細っ!詳しいことは、真田海将補から聞いているっ!」

全くあのおっさん、こんな幼女(ロリババア)とよく会話が成り立ったな。いや、あの人だからか。この理事長相手じゃ、傲岸不遜が服着て歩いてると言われるような人でなきゃまともに会話できそうにない。そんなことを思いながら小島は答えた。

「では改めてよろしくお願いします、秋川理事長」

「承知っ!以後よろしく頼む-ところで」秋川は言葉を切り、続けた。「疑問っ!君の隣の女性だが」

「有-森宮一尉が何か?」

「待機っ!少々待ってほしい」

そう言って理事長は手元に持つ書類と暫しのにらめっこを演じると、有沙に視線を向けて言った。

「確認っ!森宮有沙一等空尉でよかったかっ!」

「そうですが」

小島隆史の妻は自身の胸とは正反対の、感情も何もないような平たい声で答えた。

「不明っ!詳しいことを思い出せないのだが!」

「思い出せない?」

「名前っ!君の名前をどこかで聞いたことがあるように思える!」

「気のせいではありませんか」無表情のまま有沙は答えた。「私には、生憎と幼女の知り合いはおりませんので」

 

その言葉を聞いた瞬間理事長は目を丸くして呆気にとられ、小島隆史はさすが俺のカミさんだと思いながら吹き出しそうになるのを辛うじてこらえた。他の3人も理事長から目を背けながら苦笑いしており、駿川秘書にいたっては顔を背けた挙句、口元を手で覆いながら体を震わせていた。

「幼女っ!外見のことをそこまではっきり言われたのは初めてだっ!こらたづな、笑うんじゃないっ!」

笑わざるを得ないだろうがこんな物。ついでに言葉遣いを何とかしろ。聞きにくくてかなわん。小島は目の前の幼女(ロリババア)に心の中で突っ込みをいれた。

「何者っ!小島一尉、彼女はいったい何者なのだっ!」

「何者も何も」唐突に話を振られた小島は答えた。「彼女も私もこういう人間-オブラートに包んだ発言が出来ない人間ですので。一応出来る限りの配慮はしますが、その辺をご理解いただければと」

「無茶っ!なんでそんな性格を-ちょっと待て、小島一尉、君も同じ性格なのかっ!」

「いかにも」

何をかいわんやといった態度で小島は答えた。続ける。

「我々についての詳しい話は真田海将補から聞いていると伺いましたが、ご存知なかったのですか?」

「無論っ!君たち5人についての書類も受け取っているし聞いているっ!だが、性格については何も聞かされなかっー」

理事長はそこまで発言した時、小島と森宮の背中に狂気-と形容するのもおこがましいほどのものが宿っている(当の2人に自覚はない)ことに気がついた。その瞬間、彼女は何か恐ろしいものを見たような顔になり-どうにか周囲に悟られることなく(少なくとも本人はそう思っていた)表情を素早く元にもどした。

「どうかしましたか、理事長」

様子の違いを感じ取った彼女の秘書が問いかけた。

「不答っ!なんでもないっ!」

軽い動揺を隠せない声で彼女は答えた。一方、5人の自衛官は何事もなかったかのように平然としていた。事態の急変には仕事柄慣れていたためである。

そんな5人を代表して小島が、喜劇役者のように口を開いた。

「あー、理事長」

「詳細。なんだ、小島一尉」

「話をお続けになっては」

その言葉に理事長は咳払いで答え、話題を変えながら会話を続行した。

「順応。それよりも、私は君たちがこの学園に少しでも早く慣れてもらうことを望む」

「鋭意奮闘します-が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それでよろしいでしょうか」

小島は意味深長に答えた。理事長はそれに何かを感じ取ったが、表向きは特段不審がらずに言葉を返した。

「無論。構わない」

「ありがとうございます」

その言葉を聞いた理事長は安堵したかのような表情を浮かべると、初対面の際に見せた元気な幼女そのものと言ってよい声で応じた。

「食事っ!それよりも、そろそろ昼食時だし腹もすいただろう。この学園のカフェテリアの食事は絶品だぞ」

「お言葉にあずかりましょう-ということで退出してもよろしいでしょうか」

「了解。今後ともよろしく頼む」

「分かりました-飯を食いに行くぞ」

促すように小島が言った後で、理事長に全員が軽く一礼すると5人は理事長室を退出した。

 

「よくあんなので理事長が務まるものですね。正直に言って、自分の娘どころか孫と見られても不思議じゃない見た目をしていました」

理事長室から退出した後で、廊下を歩きながら遠藤が小島に尋ねた。

「中身は違うのでしょう」小島は答えた。「人は見かけによらぬものと言いますから」

「そんなものですか」

「そんなものです」

達観したように小島は答えると、理事長室でのことを思い出しながら内心で考え込んだ。

そう言えば理事長、一瞬怯えたような表情をしてたな。何かやらかした覚えはないのだが。

あれはどういうことなんだ?まあいいや、腹も減ったし飯を食いに行こう。カフェテリアはこっちでよかったかな。

小島はそんなことを考えながら、皆と共にカフェテリアへと向かって歩みを進めた。腹が減っては戦が出来ぬは万人にとっての真理であったからである。

 

「感想。あの5人をどう見る、たづな」

5人が部屋を去った後、秋川やよいは自身の秘書に問いかけた。その表情は朗らかさの対極にある。

「正直、制服を着ていなければ自衛官とは思えませんね。小島さんと森宮さんの2人は特に。あの2人が自衛官以前に夫婦であるということ自体信じがたいものがありますが」

「了解。たづなはそう見たか」

「理事長は、どう思われたのですか」

「否定。私にはあの2人に違うものが見えた」

「違うもの、とは」

駿川は首をかしげながら答えた。

「理解。自衛隊から受け取ったあの者らの資料を見たときにはわからなかったが、実際に会ってみて分かったことがある」

「何が」

「曲者。あの2人は見た目に反してかなりの曲者かもしれない」

「なぜですか、理事長」

彼女の変化を察した駿川の問いかけに、理事長は氷のように冷たい声で答えた。

「空気。あの2人だけ、まるで抜身の刃のような、狂気ともとれる雰囲気を放っていた」

「私には分かりませんでしたが」

「恐怖。それに恐ろしさすら覚えた」

「2人ともそのことを自覚しているのでしょうか」

「不明。分からない。というより自覚していないのかもしれない。だがー」

「だが?」

「影響。その方がよりこの学園に影響を及ぼすかもしれない。それがこの学園をどこへ導くのか私にもわからない。ひょっとするとー」

理事長はそこで言葉を切ると、ルビコン川を目前にした独裁官(カエサル)のように口を開いた。

「渡河。我々は、帰還不能点(ポイント・オブ・ノーリターン)を超えてしまったのかもしれない。そうだろう、たづな。()()()()()()()()

「そうですね」

駿川は自身の左足に視線を向けながら、かつてターフを駆けていた頃のことを思い出すように答えた。

「それよりも、たづな」

「何でしょう」

「呼出。ルドルフとエアグルーヴを呼んでくれ。話しておきたいことがある」

重さを感じさせる口調で理事長は言葉を紡いだ。それを聞いた駿川は、目の前の幼女のそれまでの言葉に対する思考をあれこれと巡らせながらも、自身に与えられた職務を遂行するべく、内線電話の受話器を持ちあげることにした。

 

 

 




後編についてなのですが、全て書き上げたあとでアプリ版のストーリーを確認したところ、なんかちょっと違うなと思った点が色々とあったので鋭意修正中です。それらと並行して第3話と第4話の執筆(&私生活上のあれこれ)もこなしているので、次回投稿まで間隔があくことになると思いますが、気長にお待ちいただければ幸いです。

それでは。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。