トレセン学園分遣隊活動記録   作:山屋な司令官(改)

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 長らくお待たせしました。ここ2ヶ月仕事でしんどいことが色々とありまして中々執筆速度が上がらず、気がついたら年を跨いでしまいました。
 ・・・上司に凄まじい嫌悪感を抱いたのは初めてですよ、全く。お陰で転職する意思をはっきりと固められたので結果オーライですが。

 なお今回宗教的な話が出てきますが、特定の宗教を過度に称賛したり貶める意図はないことを予めお断りしておきます。
 作中におけるアイルランド王国建国史については、自分なりに色々と調べてみた結果、史実との矛盾を出来る限り少なくする形で成り立たせる場合、こんな感じになるんじゃなかろうかと自分なりに考えて書いてみました。

 ちなみに11月と12月の馬券成績ですが、ジャパンカップ・京阪杯・阪神JF・香港マイルとホープフル(何れもワイド)とその他いくつかのレースで複勝を当てて、どうにか+に持ち込みました。ちなみに後者で3回程500円が1万円以上に化けたことがあるのですが、その時はもれなく大爆笑しました。
  (え、それ以外?外したに決まってるじゃないですか)

とりあえず金杯を東西どっちも当てて乾杯したいです。それではどうぞ。



第20話 妖精の住まう地より

「私は共和制的な統治形態には興味がない・・・自由で自立した、権威ある国民主権の統治であるならば、その形態がどんなものであろうと気にしない」

 -ウィリアム・コスグレイヴ

 

 -G1を勝ったとはいえ、それまでとあまり変わることは無いもんだな。

 

 年が明けて1ヶ月ほど経ったとある日、小島隆史はふとそんなことを思った。

 

 むろん、個人的な部分では全く変化が無かったわけでは無い。

 ホープフルステークスの翌日、真田に呼び出されて市ヶ谷に赴いた所、統合幕僚長と航空幕僚長から直々にお褒めの言葉を頂いたのがその一例である。大それたことを成し遂げた訳では無く、ただ自分に与えられた仕事をこなしただけと言うのが彼の実感であったため、これには少々面食らったというのが正直なところであった。

 -尤も、真田の姿を見た両名の顔が軽く引き攣っているのを見た瞬間、自分を呼び出すために上官が何をやったかを大まかに察することは出来たが、その辺りは自分の領分ではないので知らぬふりをした。彼にとってはそんな事よりも、自分の銀行口座の残高が600万円以上増えていることの方が大切だったからである。

 

 年が明けてからも『ちょっとした変化』は続いた。正月、冬期休暇を取得して1週間ほど赴いた妻の実家で義理の両親、更には2つ年下の義理の弟と4つ年下の義理の妹、更には妻の幼馴染にして義理の妹になる事がほぼ確定しているウマ娘からも祝福を受けた後、いつもより豪華な(といっても、下手な国の国家予算なみの資産を有する家庭と言うよりは所謂中流階級のそれだったが)正月を過ごす事になった。

 そして休暇が終わって本格的に仕事を初めて以降、タキオンと揃って何度か取材を受けたりテレビやネット番組に出演するなど、人生において初めてとも言うべき経験をこなした。

 (この際にいつもと変わらず「正直な感想」を述べたことで、またもやちょっとした騒動を巻き起こしたのも相変わらずであった)

 

 だが彼の身に生じた最大の変化は、学園のウマ娘達が自分を見る目-特に妻と2人でいる時に-であった。自身にとって唯一無二の女性であるが、仕事中はあくまで同僚と言う立ち位置を崩していない彼女と学園の中で2人でいる時、皆どこか羨ましそうな表情で自分と妻を見てくるようになったのだった。

 理由が分からなかったので、自分の担当ウマ娘2人やルドルフらに聞いてみた所、皆口をそろえてホープフルステークスのインタビューを今一度聞き直してみるように(特にルドルフはその際、若干頬を赤くしていた)言われたことで、彼は更に疑問を深めた。ただ妻への思いを正直に語っただけなのに、何故あそこまで羨ましがられるのか全く理解できなかったからだ。

 結局この件について彼が出来たのは、学園にいる時はいつも通りビジネスライクな態度で妻に接する事だけであり-それを見たウマ娘達は、小島とその細君に対する羨望をさらに深めた。

 とはいえ基本的には、G1を勝つ前と後で何かが劇的に変化したという訳ではなく、小島は日々、金のために嫌々ながらもしている幹部自衛官の仕事に私生活、と言ういつもと変わらぬ日常を過ごしていた。

 

 そしてこの日、彼の眼前ではそんな日常にさらなる変化をもたらすことになるやり取りが繰り広げられていた。

 

「これは是非とも、両国の為に必要な事なのですよ」

 

 他国語を母国語としている者特有の、たどたどしい発音だが全体的に見れば流暢な

発音の日本語で、仕立ての良い紺色のスーツにネクタイを結び、光り輝くほどに磨かれた革靴を履いて、短く刈り上げた金色の髪の毛に口ひげを纏った、掘りの深い顔の男は述べた。

 その隣には、海将補の制服を身に纏った小太りの醜男が腰かけている。彼の副官を務める三等海佐と、分遣隊副隊長を務める一等空尉は小島の隣で直立したまま、目の前で展開される会話に耳を傾けていた。

 退屈だな、彼はそんなことを思う。隣にいる副隊長もまた、同じようなことを考えていると思しき表情を浮かべていた。

 当然であった。口髭の男-駐日アイルランド王国特命全権大使が理事長に何を述べているのか、その詳しい内容を小島と森宮は数日前に、真田とのオンライン会議で予め聞かされていたからである。

 

「この度、アイルランド王国の第三王女殿下がトレセン学園にご遊学あそばされることになった。ついては、彼女のトレーナーを森宮一尉に任せたい」

 開口一番、真田は台本を読み上げるような調子でディスプレイ越しに述べた。その後方には彼の仕事場が整理整頓の対極にあることを示す様々な物体がうず高く積み上げられている。

「自分だけでなく、森宮一尉まで呼んだ理由はそれですか」

 有機ELディスプレイに映る上官を見ながら小島は答えた。目の前では仕事モードの妻が、2人の言葉を聞きながらすまし顔でノートパソコンを見つめている。やっぱり美人だな、彼は横顔を見ながら内心で思った。

 

「ああ」小島の内心を知ってか知らずか真田は答える。「何しろ森宮一尉は家柄も血筋も、王女様のお相手を務めるのにこの上ないほどのものを持っているからな」

「でしょうね」仕事中であることを思い出した小島は答えた。「世が世なら伯爵家のご令嬢ですから、エスコートには持って来いでしょうし」

「まあそれもあるが-それだけではないぞ、リチャード(小島)君、ソフィア(森宮)君」

 それを聞いた瞬間、2人の目がピクリと動いた。真田が口にしたのは、家族以外誰にも話したことの無い、2人の洗礼名だったからだ。

 有沙が口を開く。氷のように冷たい視線を画面の向こう側に向けていた。

「よろしいでしょうか、真田海将補」

「なんだね、森宮君」

「何故、その名をご存知なのでしょう」

「君の母上が敬虔なカトリックである事位、調査済みだよ」何を今更、とでもといったふうに真田は応じた。「前にも言っただろう、俺が頼みごとをするときは対象人物を詳しく調べるとな」

「そう言われれば、そうでしたね」どこか諦めたように有沙は返す。「愉快ではありませんが」

「正直でよろしい-小島君」

「自分も森宮一尉同様、洗礼は受けましたが」典型的日本人型(ちゃらんぽらんな)宗教観の持ち主である小島は答えた。「2人とも正月に神社に初詣に行き、お盆には祖先の霊を弔い、数珠を持って先祖代々の墓に詣で、坊主の挙げる法事に参列して、クリスマスはケーキを食べるような人間ですので」

 到底敬虔とはいえませんよ、彼はそう皮肉気に締めくくった。

「罰当たりだな」真田は答えた。「イエスが聞いたら泣くぞ」

「ゴルゴダの丘にでも謝りに行きますよ-それで、自分と森宮一尉がカトリックであることに今回の件で何の関係が」

 そこまで答えて小島は思い出す。確か、アイルランド王国で主に信仰されているのは-

「そう、カトリックだ」怪しげな宗教家の様な声で真田は答えた。「まともな食事をとりたくば朝食を3回食べよと、サマセット・モームに言わしめた隣の国との関係性については、述べるまでもなかろう」

「ええ、まあ」小島は答えた。「何しろ、成り立ちが成り立ちですからね」

 

 アイルランド王国が建国されたのは1925年と、王国を称する国家としては意外なほどに新しい。当然であった。何故ならばこの国家は、独立運動に伴う騒動の結果として建国されたからである。

 知っての通りこの国は、12世紀半ばにアイルランドを追放されたレンスター王ダーモット・マクマローなる人物が復権のため、当時のイングランド王ヘンリー2世に援助を求めて以降、20世紀前半に至るまでその全土がイングランドの支配下に置かれるという憂き目に見舞われた。

 もっともこれについては、有史以来アイルランド島内での内輪揉めを繰り返していて統一された抵抗勢力が存在せず、結果として中央集権的であったイングランドの支配をあっさりと許してしまったというのが実情に近い。

 とはいえ、イングランドに支配されたこの島(アイレ)とそこに住まう者たちの実情が決して恵まれたものでなかったのは歴史が証明している。そうでなければ、大英帝国からの独立運動がかなりの盛り上がりを見せた理由を説明することは出来ない。

 

 そんなアイルランドであったが、第一次世界大戦の勃発とイースター蜂起を切っ掛けに独立へと突き進んでゆく。その過程で勃発した独立戦争とその後の内乱が、アイルランド王国と言う国家の成立とアイルランドの南北分離を決定的なものとした。

 当初、独立後の国家の政体は共和制とする予定であり、独立宣言と共に1919年に成立した政府もその前提の下で整備が進められ、君主を戴く国家となる事は(アイルランドの歴史的経緯からしても)まずない、そう考えられていた。

 だが、その後に発生した独立戦争とそれに続く内戦と言う2つの嵐が、アイルランド王国と言う国家の樹立を決定的なものとする。

 1919年から2年間にわたって続いた独立戦争、そして1922年から1年にわたって行われた内戦であったが、2つの戦がこの島にもたらした被害は甚大であった。何故ならば、独立戦争においては英国と独立派、内戦においては英国の支援を受けたアイルランド自由国軍と反政府軍の双方が、互いの戦闘員のみならず、『敵』に組していると(根拠薄弱のまま)判断した民間人をも標的として、略奪、破壊、暴行、虐殺といった、おおよそ戦争で想像される、ありとあらゆる種類の暴力を遠慮会釈なく行使したからである。

 その結果としてもたらされたのは、後の歴史家がジャガイモ飢饉の次に悲惨であった、と記した程の死と破壊である。10万人近い人命が失われ、数千万ポンドにも及ぶ経済的被害-荒らされた田畑、牧場であった場所に横たわる家畜の死骸に荒廃した町や村-そのような光景がアイルランド島のあちこちで繰り広げられた。

 更に内戦に乗じて、元々工業化が進展しており、またプロテスタントが多く居住していたことからブリテン島との結びつきが強かった、ベルファストを中心とするアルスター地方へ英国がその勢力を拡大させたことで、現在まで続くアイルランドの南北分離が決定的なものとなる。

 

 このような一連の行為の結果-同胞同士で殺し合った挙句、アイルランド島全体での独立すら叶わず、残されたものは荒廃した土地や町だけ、と言う結末に終わった独立宣言のなれの果てが、この島の住民の間に癒えぬ心の傷と隣人すら信じられぬほどの相互不信、そして独立を宣言した者たちに対する拭い去れぬ不信感を植え付けるには十分すぎた。

 この結果を見た、独立運動を主導し、独立後は政府の要職にある者たちはアイルランドの国家としての行く末に深刻な懸念を抱いた。

 戦乱で荒廃した土地に加えて、国民の間に広まる相互不信と政府に対する深い不信感-それらを大多数の国民が抱いたまま共和制の維持を続けた場合、この国が国家としての纏まりを維持し続けられる保証はない。最悪、英国による再度の植民地化すらありえた。

 

 王政の導入は、このようなカオスの坩堝と化してしまったアイルランドを曲がりなりにも国家としてまとめ上げるために必要な行為であった。

 独立運動に参加していたアングロ・アイリッシュ貴族の末裔によって提案された、政治的寝技ともいえる方法は当初驚きと反対を持って迎えられたが、独立戦争と内乱によって荒廃したアイルランドを、曲がりなりにも国家として速やかにまとめ上げる方法が現状でそれ以外に存在しないという現実は、そのような意見を好むと好まざるとに関わらず打ち砕くには十分すぎた。(無論、いくつかの妥協案は取り入れられた) 

 問題は誰を人身御供に据えるかといった点であるが-これに関してはイングランドから渡ってきて土着した高位の者たちの末裔-発案者と同じアングロ・アイリッシュ貴族の血を引く者たちの中から最も高貴なものを国の内外から探し出して選ぶこととなった。彼らはアイルランドとイングランド双方の血を引いているという点で、政治的にも国家の纏め役(スケープゴート)としても非常に都合が良かったからである。

 

 肝心の大英帝国もこの案には納得を示した。カトリックとはいえ友好的な王国が隣に出来るのは彼らとしても喜ばしい事であったし、何より王位につく者がイングランドの血を引く者であれば、その人物を通じて独立後も引き続きアイルランドへの影響力を及ぼせるからである。

 だが、この案を快く思わない者たちもいた。その代表格となったのは全32県による独立を主張するグループであり、内戦では反政府軍として戦った者たちであった。彼らは王制では今までと同じように大英帝国の影響下に置かれるだけだと主張して、あくまでも統一された共和国としての独立にこだわった。

 実際、アイルランド王室はその文化や制度において英国王室の影響を色濃く受けており、カトリックとの婚姻を禁止する英国の王位継承法によって流れたものの、英国王室から妃を迎える案も存在したことから、彼らの懸念が全くの杞憂であったと断言することは出来ない。

 そして1925年、その九百年ほど昔にブライアン・ボルーが全アイルランドを代表する「上王(ハイ・キング)」たることを宣言したダブリン北東の丘-所謂『タラの丘』で初代国王の戴冠式が挙行され、アイルランド王国という立憲君主制国家の樹立が宣言されると、彼らは独立戦争を戦った武装組織であるアイルランド共和軍(IRA)の名を名乗り、暴力の行使もいとわない積極的な反英国・反王室活動、及び共和制国家の樹立による北アイルランド統合のための活動を開始したのである。

 その活動は第二次世界大戦時の一時休止期間を除いて断続的に続けられ-1979年8月に当時の英国女王エリザベス2世の配偶者、その叔父をロブスター取りに出かけたボートごと爆弾で吹き飛ばした事で更なる過激化を見せた。この一件を皮切りに彼らは、英愛双方の王族とその関係者をも、躊躇なくテロリズムの標的にしていったのである。

 これに対して英愛両政府は警察と軍隊を投入した徹底的な鎮圧で応じた。対するIRA側も反撃し-俗にいう北アイルランド紛争が始まる。この紛争は2005年7月のIRAによる武力闘争終結と合法な議会政党への移行宣言によって一応の終わりを見る事となるものの、20年程が経過した今日に至っても、未だにその傷跡は英愛双方に少なからぬ爪痕と対立を残している。

 

 そのような歴史的経緯を辿った国家の第3王女が日本への留学を決定したのは、姉である第2王女の影響を色濃く受けた事に端を発していた。

第2王女-日本語ではピウスツキともピルサドスキーとも呼ばれる彼女は王族の身でありながらレースの世界に身を投じ、それに心を惹かれた第3王女は、自分もまた姉と同じ世界に身を投じる事を夢見るようになった。

 当初、父親であるアイルランド国王はこれに反対の意向を示した。彼にはウマ娘である王妃との間に3人の王女-何れもウマ娘-がいたのだが、長女は様々な騒動を起こした挙句に出奔し行方知れず、そんな長女に負けず劣らず奔放な次女がレースの世界に身を投じた挙句、三女までがそれに続こうというのである。

 アイルランドの王位継承制度が性別を問わない長子相続制を取っているとはいえ、仮にも王位継承権を持つ王女に大っぴらに活動されたのでは、いつ何時何があったものか知れたものではない。IRAの残党の一部は今なお王室に対する武力闘争路線を放棄していない現状とあっては尚更であった。

 とはいえ彼は国王であると同時に、娘の望みを出来る限り叶えてやりたいと望む一人の父親でもあった。そのため、側近らに何か良い方法は無いかとを調べさせた結果、日本の中央トレセン学園に白羽の矢が立つことになったのである。

 IRA残党とて日本にその影響力を及ぼすことは、かの国の治安当局の高い能力を(個々には全く問題が無いわけでは無いが)持ってすればほぼ不可能であることが主な理由であったが、日本が選ばれる最大の決定打となったのは、中央トレセン学園に『日本軍の部隊』が常駐しており、その部隊に属する『現役の軍人』がトレーナーとして勤務していることであった。

 『軍隊』が駐屯しているのであれば、第三王女の身の安全と言う面に関してはこの上ない環境であったし、構成員の身元もしっかりと保証されている。何より、国王自身も青年期に高貴なるものの義務(ノブレス・オブリージュ)として士官学校に入学して軍人となり、軍務にあたっていた経験を持つため、軍隊と言う物が世間からどのような評価を受けているかを肌で感じ取っていた(加えて、軍用機の操縦資格も保有している)ことから、国籍を問わず軍隊に対して高い信頼を置いていた。

 そのため、国王は第三王女のトレーナーに『日本の軍人』が就く事を条件として留学を許可し、彼女もまたそれを受け入れた。

 そのような結果として選ばれたのが、中央トレセン学園にトレーナーとして勤務する『日本の空軍士官』にして、日本史の中で千四百年以上連綿と続いてきた、世が世なら伯爵以上の上級貴族であっただろう良家の長女でカトリック教徒、かつ日本のロイヤルファミリーの血を母方から直系で引き継いでいる良血こと森宮有沙である。王女様のトレーナー(接遇役)としては、これ以上のものを望むべくもない血筋と経歴と言えた。

 

「-という訳なのでよろしく頼むぞ、森宮君」

「小島一尉も私も、あまり政治的な案件には関わりたくないのですが」夫のような態度で有沙は答えた。「命令とあらば、致し方ありません」

「政治と軍事は、密接に関わり合っているからな」

 予備校講師のように真田は述べる。

「君の特別手当を、今の倍に増額しておくとしよう-それでいいかね」

「口頭ではなく、文章でお願いします」

「勿論だ、今送る」

 彼女のノートパソコンの画面上で、新規メールの受信を表す表示が明滅する。そこには真田が述べた内容が、文書の形でそのまま添付されていた。有沙はそれを確認すると、頬を微かに緩めて真田に応じる。

「ありがとうございます」

「金の分はきっちり仕事をしてくれ-小島君のようにな」

「心得ました」

「ああそれと」言い忘れた、とばかりに真田は口を開いた。「小島君に代わってくれ」

「何でしょう」

 なんだよ、とでも言いたげな表情を浮かべながらディスプレイのフレーム、その上枠中央部に嵌め込まれたカメラを見ながら小島は答えた。画面の向こう側で少し身を乗り出すようにしながら真田は口を開く。

「今回の件で俺が、駐日アイルランド大使を伴って学園に赴くことになっているから、その旨を君から理事長に伝えてくれ」

「随分と急ですね」もう慣れた、とでも言いたげに彼は応じた。

「それが俺たちの組織というものだよ。これも俸給の内だ-詳細な日時は今送る」

「分かりました」

 仕方がない、とばかりに小島は応じ、送られてきたメールを確認する。数日後の日時がそこには記されていた。一通り目を通した後で彼は答える。

「確認しました。自分から伝えておきます」

「頼んだぞ」

 その言葉と同時に、真田の姿がディスプレイから消える。その途端、2人は傍迷惑なおっさんだ、とでも言いたげな表情を互いに浮かべて顔を見合わせた。

「忙しくなりそうね」

 息を吐きながら有沙は口を開く。小島もまた、同じような態度で応じた。

「ああ」

「それにしても、本当に瓜二つだわ」

 組んだ脚の上に左肘をつく形で、送られてきた第三王女の顔写真付き資料をパソコンで見ながら有沙は答える。

「月影一曹が見たら、なんて言うのかしら」

「まあ、面白いことにはなるんじゃないか」

 そう微笑しながら答えた小島を見て、どこか呆れたような表情と、また何か企んでるわねとでも言いたげな視線で有沙は夫を見つめた。

「本人にはいい迷惑じゃないの」

「何言ってんだ」担当ウマ娘(アグネスタキオン)が乗り移ったような態度で小島は答えた。「こういうセレンディピティ(偶発性)こそ、今までになかったことを生み出す原動力さ」

「一つ、言わせてもらうんだけど」その態度を見た有沙は、腕を組みながら夫に応じる。「タキオンちゃんに似てきたわね、あんた」

「心外だな」傍迷惑だ、とでも言いたげに彼は答えた。「俺は昔から、こんな感じだよ」

 

「-承知。その話、確かに承りました。生徒会には私から話しておくことにしましょう」

 その言葉を聞いた瞬間、小島は現実に引き戻される。どうやらやり取りを思い出している間に、理事長とアイルランド大使の間で合意に達したらしい。

「お聞き入れ下さり、感謝申し上げます」

 大使はそう述べると、理事長に向けて深々と頭を下げる。応接用のソファへ沈み込むようにして腰かけていた真田もまた同様に立ち上がって理事長へ礼を述べ-そのまま小島達の方を向いて口を開いた。

「小島一尉、森宮一尉、君たちから何か意見はあるか」

 余計なこと言うなよおっさん、上官の言葉を聞いて小島が真っ先に思ったのはそれだった。心の中で苦虫を噛み潰す。

 とは言え聞かれた以上何も言わないのもどうかとすぐに思い直し、暫しの間思考を巡らせた後で、もうどうにでもなれといったふうに、真田に問われて反射的に伸ばしていた姿勢のまま口を開いた。

「第三王女殿下のトレーナーを森宮一尉が努めることについて、小官に異存はありません」

ですが、そう前置きしして彼は続けた。

「殿下を特別扱いは致しません。自分はあくまで彼女を1人のウマ娘として扱い、敬語も使わないつもりです。無論、最低限の礼儀作法は守るつもりですが-これについて大使閣下、並びに真田海将補のご意見をお聞かせ頂いてもよろしいでしょうか」

「森宮一尉、君はどう思う」

 小島の言葉を満足げな表情を浮かべながら聞き取った真田は続けて問いかけた。

「自分も小島一尉と同意見です」彼女もまた、夫同様の態度で答える。「いかに王女殿下とはいえ、特別扱いは致しません」

 

 2人の言葉を聞いた大使と真田はしばし顔を見合わせ、互いに何事かを呟く。いい部下を持ちましたね、ええ全くもってそのとおりです、周囲に存在する、おおよそ耳と名のつく物が聞き取れたのはその2点だけであった。

 密談じみたやり取りを終えた2名は小島達に向き直る。先に口を開いたのは大使であった。

「小島()()、森宮()()

 首を軽く上下に振りながら、どこか満足気な表情で彼は答えた。

「お2人のことは真田()()から聞き及んではおりましたが-やはり、噂に違わぬ人物であるようですね」

 少将が高く評価するのも当然です、その言葉を聞いた2人(特に小島)は困惑と少々の気恥ずかしさと噛み潰した苦虫が入り混じったような表情を浮かべた。当然である。2人はいつも通り、上官に対しても礼節を保ちつつ言うべきことは言う、そのような形で振舞ったに過ぎなかったのだが-大使はそうは受け取らなかった。彼は2人の態度を日本人独特の謙遜であると受け取り、両名に対する信頼をさらに深めた。

 

 娘の結婚相手に頭を下げるような口調で大使は続けた。

「問題はありません。何より第三王女殿下並びに国王陛下も、そのように扱って下さることを強く望んでおいでです」

「俺も大使と同意見だ」真田もまた答える。「第三王女殿下の取り扱いについては、君たちの判断に全て一任する。好きなようにやりたまえ」

「承知致しました」直立不動のまま小島は答えた。「それと真田海将補」

「何だね、小島君」

「命令は口頭ではなく、文章でお願いします」

 小島は答えた。面倒なことになった時の事を考えての事である。万が一そうなった場合、最悪真田に尻拭いを全て押し付けられるからだ。当の本人もまた、そんなことは織り込み済みといった態度で応じる。

「心得た」

 

(さてと、これからが大変だ)

 

 理事長室を出て真田と大使を見送り、分屯基地に戻る有沙と別れた後、小島はため息とともに頭を抱えた。今回の一件に関してやらなくてはならない、細々したことがいくつも自身の脳裏に浮かんできたからだった。

 -トレーニング用のウェアラブル端末とセンサーについては予備を使うからいいとして、それ以外の事も色々と考えなくては・・・くそ、やっぱり政治的な案件(面倒くさいこと)なんて引き受けるべきじゃなかったかな。まあいいか、今日の仕事はひと段落したし、この辺で帰ろう-

 

「辛気臭そうな顔をしているね、トレーナー君」

 

 不意に正面から声が聞こえてくる。小島が顔を上げると、そこには自分の担当ウマ娘の姿があった。両手を後ろで組み、面白いものを見たような、にやにやとした表情を浮かべながら、下から覗き込むような形で視線を向けている。学園指定のジャージを着ていて、額がうっすらと汗ばんでいる所から見るに、どうやらトレーニング上がりらしい。

「タキオン」

「私もいます」

「カフェ」

 とぼけたような声と表情で応じる小島。それを見たタキオンは、からかうような口調で担当トレーナーに話しかけた。

「それで、君がそんな顔をしている理由は何だい。ひょっとして、森宮トレーナーと喧嘩をしたとか」

「残念ながらそれはない」小島は断言した。「あいつとは喧嘩よりも、夜の取っ組み合い(うまぴょい)をする回数の方がはるかに多いからな」

「本当に、君と言う男は」苦笑いをしながら彼女は応じた。「それで、正直なところどういう訳なのかな」

「新しくメンバーが増えることになってな。なんでも、アイルランドの王女様だそうだ」

「それはそれは」

 新しい実験材料を目の当たりにした科学者の様に-事実、そうなのだが-タキオンは答える。

「ワッペンのデザインを、作り直さないといけないねぇ」

 彼女はそう言って、ジャージの上から羽織っているオリーブグリーンのジャケット、その右胸に縫い付けられた円形のワッペンを視線で示した。青地の上に中央部で放射線状にクロスした5条の軌跡(コントレイル)の上に置かれた蹄鉄というデザインをしており、一瞥した限りでは、まるで扇子の骨組みのような印象を見る者に与える。

 それぞれの軌跡の中にはチームに所属するウマ娘の名がローマ字で刻まれ、さらにその先端部には飛行機の-航空自衛隊の主力戦闘機、F-35の姿が描かれている。更に、ワッペンの外周部を一周する形で『日本ウマ娘トレーニングセンター学園分遣隊』の英語名が記されていた。

 これらは小島がホープフルステークスで得た賞金を使い、専門の業者に発注する形で作成したオリジナルのもので、フライトジャケットをイメージしたカラーリングのジャケットとワッペン-部隊章のデザインは何れも彼が考案したものだった。

 更にデザインだけではなく、本格的な登山に用いることが出来るレベルの防水透湿性と、藪漕ぎや木の枝に引っ掛かったとしても破れないレベルの丈夫さといった機能性を兼ね備えており、小島はこれら2つと、部隊章のデザインを印字したベースボール・キャップを人数分-17人分を業者に作らせ、全員に手渡していた。

 おかげでホープフルステークスの賞金の半分ほどが消し飛ぶことになったが、そのことについて彼は特段不満を覚えているわけでは無かった。それでもなお、自身の銀行口座にはかなりの額が残っていたし、なによりメンバーの結束力を高めるために必要な金は指揮官が負担するものであるという事を、彼はきちんと理解していたからである。

 

「ああ、そうだな」

 彼女の言葉を聞いた小島は意味深長に応じた。

「私たちに、何かできることはありますか」

 タキオンと同じものを羽織っているカフェが答える。どこか心配するような面持ちだった。そんな彼女に、子供をあやすような口調で小島は応じる。

「気持ちは有難く受け取っておくが-残念ながら、これは大人の仕事でな。お前さんたちは、王女様をもてなす方法でも考えていてくれ」

「もう少し、私たちを大人扱いしてくれてもいいんじゃないかい」

 不可思議な物を目の当たりにしたような調子でタキオンが答えた。

「何言ってんだ」軽口をたたくように小島は応じる。「俺から見りゃお前さんたちなんかまだまだ小娘さ」

「ひどいことを言うねぇ、君」

「伊達にお前らより10年以上年食ってるわけじゃないからな-それより2人とも、ちょうどよかった。今後のローテーションのことについて話をしたいんだが、時間はあるか」

 それを聞いた瞬間、カフェの表情が神妙なものに変化する。無理もなかった。彼女にとって、決して心地よくない話をされることを感じ取ったからだった。

 俯き気味にカフェは答える。

「大丈夫・・・です」

「私も特に予定はないねぇ」

 タキオンもまた返した。

「わかった、じゃあ行こう。ついてこい」

 彼はそう言って歩き出す。2人もまた、迷彩服姿の背中を追うように歩いて行った。

 

「しかし、私がジュニア級の年度代表に選ばれないとはねぇ」

 応接スペースのソファに座り、部屋のある一点に視線を向けながらタキオンは答えた。テーブルの上では、紙コップに入った紅茶が湯気を立てている。勿論彼女の好みに合わせ、砂糖がたっぷりと溶かされていた。

「ブンヤどもには、また別の考えがある(余所者がG1を勝ったのが気に入らない)んだろうさ-まあ、別にそのことは気にしちゃいないが」

 小島もまた、彼女と同じ方向を向きながら応じる。2人の視線の先には、額に入れられたホープフルステークスの優勝レイとトロフィーが、仕事机の向かって左側にある、透明なアクリル製の鍵付き引き戸がついた棚の中に、控えめに主張する形で鎮座していた。

 

 つい先日、昨年のURAの各部門における年度代表ウマ娘の発表が行われた。これは分野や距離ごとに、その年で最も活躍したと認められるウマ娘をレース関係記者の投票で選ぶものであり、その中でもジュニア級の年度代表は、基本的に12月に3回行われるジュニア級限定G1レースの勝者の中から選ばれるのが通例となっていた。

 このうち、阪神ジュベナイルフィリーズの勝者が『ジュニア級クィーンウマ娘』として、朝日杯フューチュリティステークスもしくはホープフルステークスの勝者が『最優秀ジュニア級ウマ娘』として選出されることになっているが、後者に今年選出されたのは、朝日杯を制したメジロ家のウマ娘であった。

 これは近年の傾向を見るに異例の事であった。何故ならば、ホープフルステークスは翌年のクラシック第一関門-皐月賞と同じ距離・コースで行われるため、近年では朝日杯よりもクラシックへの結びつきの強いレースとして認識されているからだ。そのため、ここ何年かのジュニア級年度代表にはホープフルステークスの勝者が選ばれることが多くなっている。

 

 ではなぜこのような事になったのかと言えば、今年のホープフルステークスの勝者を担当するトレーナーが大きな影響を及ぼしていた。

 先程も触れたように、年度代表は記者の投票によって選出される。ホープフルステークスのインタビューにおいて、小島は言葉遣いこそ丁寧であったが、メディアを『売り上げや視聴率・PVの為なら、平然と主義主張を変えて恥じない風見鶏の変節漢』だと批判して見せたのだ。  

 この言葉はマスメディアというものの本質を-情報を売り物にする商売に過ぎないことを-捉えた発言であったが、多くのメディアは不快感を示した。何故ならば彼ら-中でも現場で取材に当たる記者たちは、基本的に自分たちを社会の木鐸だと信じて疑わない人種であるため、小島が述べたメディアの本質を全く認識・理解しておらず、彼の言葉を根拠のない罵倒だと受け止めたからだ。

 そして年度代表選出の投票権を持つ記者たちもこれに同調し、彼が担当するウマ娘ではないジュニア級G1覇者に票が集まることになった結果、このような現状がもたらされたという訳であった。更にはもう一つの理由-余所者がG1を勝ったのが気に食わない、という子供じみた理由もまた、この結果に大きく影響を及ぼしていた。

 無論、ごく一部ながらも小島への好き嫌いを脇へと追いやり、純粋にレースで見せたパフォーマンスを評価してタキオンに票を投じた記者もそれなりに存在したのだが、彼女をジュニア級年度代表へと至らしめるほどの票を集めるには至らなかったのが現状である。

 

「同感だよ」紅茶をすすりながらタキオンは応じた。「私はあくまで、自分の目的のためにレースに出ているんだ。年度代表になろうがなるまいが、どうということは無いさ」

「狙って取ろうと思わない方がいいからな、その類の表彰は」小島もまた、ルートビアを飲みつつ答える。「貰えれば儲けもの、位に思っておいた方がいい」

 コーヒーを飲んでいたカフェが口を開いたのはその時だった。

「あの」

「どうした、カフェ」

「そろそろ、本題に入った方がいいのでは」

「すまん、忘れてた-お前らの今後のローテーションについてだったな」

 軽く慌てたように応じる小島を見て、内心で面白がる2人。

「まずはタキオンだが-予定どおり、皐月賞へ直行する」

「まあ、順当だねぇ」彼女は答えた。「一応聞いておくが、前哨戦を使わない理由は何だい」

「クラシック出走に必要な収得賞金が溜まっているのと、あとはまあ、お前さんには脚のことがあるからな。必要もないのに酷使してやることは無いさ」

「そう言えば、そうだったねぇ」

 見る者が見れば色気すら感じさせるような動作で、すらりとした自分の足を撫でながらタキオンは応じた。

「一応以前よりも良くはなってきているし、どうにかする目途もつきつつあるが」

「無理しないに越したことは無いからな」小島は答えた。「基本的にこれからは全て、前哨戦を挟まず目標とするレースにぶっつけ本番で行くことになるが-」

「構わないよ」すべて納得済み、といったふうにタキオンは返す。「君の判断を信用しようじゃないか。何と言っても、担当トレーナーの言葉なのだからね」

「聞き訳が良くて助かるよ」

 彼はそう言ってタキオンとの会話を終えた。続けてカフェに向き合い、口を開く。

「次にカフェだが-その様子を見るに、考えは全く変わって無さそうだな」

 指で頭を掻きながら小島は問いかける。

「・・・はい」据わった目で彼女は応じた。「何と言われようと、考えを変えるつもりはありませんから」

 

 -ホープフルステークス以降、小島とカフェの間には微妙な距離感が生じていた。事の発端は、当該レースの最中にカフェが目にしたものにある。

 小島は当初、カフェを春のクラシック戦線に参加させるつもりは全く無かった。何故ならば彼女の体調や体質の問題が年明け以降、再度顕在化してきたためである。

それを鑑みて、彼はカフェを無理に春のクラシック戦線に乗せようとするよりは、体調を見ながらじっくりと体を作って秋以降-具体的には菊花賞に備えるプランを計画していたのだが、当の本人はそれを望まなかった。

 ホープフルステークスでタキオンの走り、そしてその前方に見えた『お友だち』の姿に焦りを覚えた彼女は、いつの間にか自分の体の問題を度外視してまで、春のクラシックへの出走を強く希望するようになったのである。無論、小島がそれを許すはずもなく-その事が現状、2人の間に僅かな溝となって表れつつあった。

 

「俺は一番初めに言ったはずだぞ、カフェ」滔々とした口調で、諭すように小島は言う。「勝つことよりも五体満足で現役生活を終えさせることを優先させる、と。お前さんの今の体の状態で春のクラシックに出走したら、ほぼ間違いなく体を壊す。だから将来のことを考えて、この春は体調を整える事に専念するべきだと俺は考えている」

「私も同意見だよ」タキオンも同調した。「体重や食欲の乱高下に爪の割れを繰り返すような状況で、君がまともにレースに臨めるとは到底思えないねぇ」

 その言葉を聞いた途端、カフェの目つきが一瞬にして鋭くなった。唐突な彼女の豹変に戸惑いを隠せないタキオンを睨みつけると、氷柱で突き刺すような声でカフェは答える。

「・・・貴女は黙っていてください、タキオンさん」

 そう言ってタキオンを沈黙させたカフェは、続けて小島を睨みつける。彼は既にカフェから何を言われるか、おおよその見当はついていた。中学時代の地獄そのものと言っていい経験から、彼はこのような出来事に敏感になっている。

 反発するようにカフェは答えた。

「だったら、なんで私をG1に-ホープフルステークスに出したんですか。あのレースに私を出走させたのは、貴方なんですよ」

 静かだが重さを感じさせる声に、小島は教師から問い詰められるような感覚を覚えた。

言葉に詰まった彼に、カフェは更なる追い打ちをかける。

「あの時に見た『お友だち』のせいで、私はタキオンさんと同じ道を歩みたいと願うようになってしまったんです。私の体のことを考えていたのなら、最初から出さなければよかったのではないですか」

 どうしてくれるんですか、そう問い詰めてくるような彼女の言葉を聞いた小島は、無実の罪を責められるような感覚を覚えた。途端に過去のトラウマが蘇り、表情が硬くなる。

 その一方で、カフェの言葉に正当性が存在するのもまた事実であることを、彼は明確に認識していた。

 確かに、彼女のホープフルステークス出走を主導したのが彼自身であることは否定しようのない事実である。

 だが、カフェの言う所の『お友だち』がよりにもよってレースの最中、ゴール前の直線の攻防中にタキオンの前方に出現するなどと言うイレギュラーな事態が起こることを小島は予測すらしていなかった。彼も人間である以上、限界というものは存在する。

 無論指揮官である以上、下した命令によって引き起こされた結果に対する責任を問われるのは(好き好んでやっている仕事ではないが)彼は理解しており、だからこそ今、目の前の担当ウマ娘から突きつけられた現実と脳内で懸命に格闘を続けていた。

 

 -だめだ、中々良い案が浮かんでこない。

 

 自分に鋭い視線を向けてくるカフェを見ながら小島は思った。自分の中にある全てを罵りたい気分になってきているのが自分でも分かる。畜生、中学の時に俺を散々嘘つき呼ばわりしたクソったれ女教師に問い詰められている気分-いや、秘密警察の尋問官と言った方がいいかな。あの婆ァには体育教師よりもそっちの方がお似合いだ。無実の人間を大勢強制収容所送りにしたに違いない。ああクソ、嫌な気分になってきた。

 

 小島の苦悩を感じ取ったらしいタキオンが助け舟を出したのはその時だった。

「君の、幻覚にしては明瞭すぎるイマジナリーフレンドの事かい」

 カフェを下から覗き込むような姿勢で彼女は答える。口調は普段と変わらず軽口をたたくようなそれであったが、目つきと表情は真剣そのものであった。

「それが私の前を走っていたとは-非常に興味深いな。尤も私がその姿を見ることは出来なかったが」

 非常に残念だけれどね、タキオンはそう続けた。

「・・・勝った貴女には、関係のない話です」

「そうか。だが敢えて言わせてもらうよ、カフェ」

 余命を告げる医者のような表情でタキオンは答えた。それを見て、何かを感じ取ったカフェは僅かに体を震わせた。タキオンは言葉を続ける。

「トレーナー君に文句を言ったところで、君が今抱えている問題の解決に何ら資する事は無い。君が今なすべきは現状を正確に認識した上でトレーナー君と話しあい、互いに歩み寄ることの出来る点を探ることだと思うのだけれどね」

 彼女の言葉を聞いたカフェは言葉に詰まった。そんなことは分かっています、そう言いたげな視線をタキオンに向ける。この時、カフェの注意と視線は完全にタキオンへと移り変わっていた。

 

 普段から彼女の事をマッドサイエンティスト呼ばわりして憚らない小島であったが、この時ばかりは素直にタキオンに感謝したくなった。彼女がカフェの注意を逸らしてくれたおかげで思考回路に油をさす余裕が生まれたため、直面している問題に対する、満点ではないにせよ合格点はどうにか貰えるだろう解決策が思い浮かんできたからである。

 彼は思考回路と言語回路を脳内でどうにか直結させると、接続が確認できたタイミングで思考を言語へと変換する作業を開始した。

 

「その辺にしておけ、タキオン」諫めるように彼は口を開く。「ホープフルの件に関しては、指示を出した俺に全て責任がある。逃れるつもりは無い。だからこそ今、どうにかできないかを考えて-一応、案らしきものを思いついた」

「それは重畳」安堵するような声でタキオンは応じた。「君がそう言うのであれば、私はこの辺にしておくことにするよ」

 あとは2人の問題だ、そのような事が聞こえて来るような口調で言い終えると、彼女はそのまま口を閉ざした。空調が動作する音だけが執務室に響きわたり、静寂が空間を支配する。

 自分の担当トレーナーに不安と軽い怒りが混ざり合った視線を向けるカフェ。そんな彼女に向け、絞り出すような声で小島は口を開いた。

「-『弥生賞』だ」

 それを聞いたカフェは思った。弥生賞。3月に皐月賞と同舞台かつ同距離で行われるG2の前哨戦。そこで3着以内に入った者には、皐月賞への優先出走権が与えられるレース。そこまで考えて、彼女は担当トレーナーの考えを理解した。確認するように口を開く。

「つまり」

「ああ」小島は答えた。「そこで3着以内に入れば、お前さんに春のクラシック参加を認める。だがもしそれが叶わなかったら-その時は俺の決めたプランに従ってもらう。これならお前さんもどうにか納得できると思うんだが、どうだ」

「・・・分かり、ました」

 暫しの逡巡の後、カフェは肯いた。それが現状において、彼女が担当トレーナーに歩み寄ることが出来る最大の妥協点であった。

 

「ところでトレーナー君」

 懸案事項がどうにか妥結を見たところで、タキオンが小島に話しかける。

「君が言っていたアイルランドの王女様というのは、一体いつこっちに来るんだい」

「確か、3月の頭と言っていたな」小島は答えた。「正式な入学は新学期を待ってからという事だったが、早めにこちらの環境に慣れておきたいらしい。一応言っておくが、正式に発表があるまでは絶対に口外するなよ」

「それについては心配しなくていい」

 安心したまえ、とでも言いたげにタキオンは答えた。

「私もカフェも授業とトレーニングと寮生活以外、基本的には私たちの共用部屋(旧理科準備室)で過ごしているからね」

「あの部屋にいれば、大丈夫だと思います」

 カフェもまた答えた。

「成程な」

 2人の言葉に、小島は得心した。

 確かに、傍から見ればミステリアスな変人が2人も居るような部屋にわざわざ近づこうなどと言う物好きはいないだろう。だが、念には念を入れておく必要がある。彼はそう判断し、再び口を開いた。

「だが、万が一と言うことがある。授業の合間や昼休み、寮での生活中-そう言った時にうっかり喋ることのないようにしろよ」

「具体的にはいつまでだい」

「来週の月曜日までだな」小島は返した。「定例会見で理事長が公表することになっているから、そこまでは辛抱してくれ」

「心得た」

「分かりました」

「ならいい。2人とも今日の所は帰ってゆっくりしていろ」

「君はどうするんだい」

「決まってるだろう」

 何をかいわんや、といったふうに彼は答えた。その顔は既に、幹部自衛官ではなく、父親であり良き家庭人と趣味人でもあり、そしてそれ以上に妻を愛する夫としてのものに変わっている。

 小島は続けた。

「仕事が終わったから帰るのさ。隆俊を迎えに行って、夕飯の買い物をしたら帰って、家の事をやったら隆俊を寝かしつけて趣味に興じて-その後で有沙と取っ組み合いだ」

「露骨に言うねぇ」

 何かを含んだような笑みを浮かべながら、面白がるようにタキオンが答える。カフェを見ると、顔がかすかに紅潮していた。恥じらうように彼女が口を開く。

「・・・相変わらず、仲が良いですね」

「当たり前だろ」

 小島は答えた。

「仲が良くなきゃ、夫婦なんてやってられないからな」

「その点だけは素直に羨ましいよ」

 紙コップの縁を人差し指でなぞりながらタキオンが答えた。

「私もいつか、君にとっての森宮トレーナーのような相手を得たいものだね」

 それを聞いた小島は面白がるような表情を浮かべると、毀誉褒貶に満ち溢れた考課表の評価を体現するような口調で彼女に返答した。

「その為にはまず、生活力の無さとマッドサイエンティストっぷりをどうにかしないとな」

「君の性格は熟知しているが、そこまで明け透けに言わないでくれ給えよ」

 妻から離婚を切り出された、定年退職後の中年男性のようにタキオンは答えた。

「私だって一応、その辺りの事は自覚しているんだぞ。なあカフェ」

 助け舟を求めるようにカフェに視線を送る。それを見たカフェは紙コップに入ったコーヒーを啜りながら、謝るような口調で返した。

「・・・すみませんが、こればかりは小島さんに同意します」

「ほらな」

 してやったり、と言う表情で小島は答えた。その態度を見たタキオンは、最早これまでとばかりに白旗を掲げる。忌々し気に担当トレーナーを見つめながら、彼女は口を開いた。

「ホープフルステークスの頃から思っていたが君、あの不細工な上官に似てきたねぇ」

「あの人と一緒にしないでくれ」

 苦笑しながら小島は答えた。

「あのおっさんに評価されてるらしいことにようやく慣れてきたばかりでね。まあ、似た者同士じゃないかと思いつつあるのは事実だし、そのおかげで面倒くさいことに巻き込まれちまったが」

「大人と言うのは大変だね」

「だろう。だからお前さんたちは、今と言う時間を大切にした方がいい-控えめに言っても地獄そのものの学生生活だった俺が、偉そうなことを言えるものではないけどな」

「そして君はここに来ることになったと」

「まあな」諦観混じりに彼は答えた。「全く、因果なものだ-ほら、とっとと帰っちまえ。じゃないと俺が帰れん」

「そういうことなら、そうさせてもらおう」

 小島の言葉を聞いたタキオンは立ち上がった。それに続けてカフェも、失礼しますと述べてそれに続く。

「と、一つ言い忘れていた」

 タキオンが振り向き、話しかけてくる。なんだ、そう答えた小島に彼女は一言、お返しとばかりに告げた。

「君も森宮トレーナーも、今晩()()()()()()()()()気を付けたまえよ」

 それだけ言うとタキオンは軽く手を振り退室する。続けてカフェも、顔を紅潮させたまま出て行った。

 

 -全く、妙な所だけ大人になりやがって。

 2人が出て行った後で、小島は苦笑しながらそんなことを思いつつ、荷物を纏める。それを終えると、彼同様帰宅の準備をしている部下に退勤の挨拶を済ませ、そのまま早々と家路についた。

 

 そして彼は、この時に巻き込まれた政治的な案件を直接の切っ掛けとして、自身の中で何よりも焦がれながらもう二度と叶うまいと諦めていた夢を叶えることになるのだが-この時の小島はそれを知る由もなかった。

 




 今回の話を執筆するにあたって参考にした本を以下に上げておきますので、興味のある方はご一読のほどをば。

オフェイロン著、橋本槇矩訳『アイルランド』(岩波書店、1997年)
北野充『アイルランド現代史』(中公新書、2022年)
君塚直隆『エリザベス女王』(中公新書、2020年)
小関隆『アイルランド革命 1913-23 第一次世界大戦と二つの国家の誕生』
(岩波書店、2018年)
波多野裕造『物語 アイルランドの歴史』(中公新書、1994年)
山本正『図説 アイルランドの歴史』(河出書房新社、2017年)

 次回の投稿ですが、冒頭でもちょっとだけ記した通り、転職活動を始めるのでそっちに時間を割かざるを得なくなるため、多分今回と同じくらい間隔が空くんじゃないかなと思います。
 合間を縫ってちまちまと執筆は続けますので、読者の皆様に置かれましてはどうぞ気長にお待ちくださいますと幸いです。
 それでは。
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