トレセン学園分遣隊活動記録   作:山屋な司令官(改)

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 お久しぶりです。香港スプリントとマイルで馬券を当てた作者です。なお、9月から11月にかけての馬券成績は惨憺たる有様でした。

 前作投稿から3か月くらい空いてるけどその間何してたかって?転職活動に決まってるじゃないですか。書類書いて応募して面接受けて、その結果たるや馬券成績と同じくらい惨憺たる有様でしたよ。
 12月に入ってからどうにか少しづつ前に進むようになりましたので、気を抜かないようにしつつ活動を継続していこうと思います。
 
 今回のタイトルはまあ、みなさんご存じと思われますが某映画から取りました。それ以外に適当なタイトルを思いつきませんでした。相変わらずの長文ですが、各自のペースでゆっくりと読み進めていただければ幸いです。

 それではどうぞ。
 


第23話 Mr.&Mrs.Kojima

(こういう場は、苦手だ)

 体育館の片隅で一人、炭酸飲料の入ったグラスを傾けながら小島隆史は思った。視線の先では大勢のウマ娘たちが、飲み物や軽食片手に談笑している。皆、思い思いに趣向を凝らした鮮やかな衣装で着飾っており、この空間に一層の華やかさをもたらしていた。 

 中央部には大きなシャンデリアが吊られ、その根元から周囲に向けて青い細長い布と金色のロープが四方八方に広がるような配置で中二階の、客席が配されたキャットウォークの手すりとつながる形で垂れ下がっている。天井からは等間隔で淡い明りを放つ球形の照明が吊り下げられ、床には青と黄色のバルーンで装飾された、成人男性の背丈より頭二つほどの高い大きな蠟燭のような照明が白い光を放っていた。

 垂れ幕や布で覆われた壁の傍にはテーブルクロスが敷かれた机が等間隔で置かれ、その上には軽食や飲み物がいくつも並べられている。体育館の中央部はメインイベントの開催に支障が無いよう、広いスペースが取られていた。窓のカーテンはすべて閉じられ、シャンデリアと照明が醸しだす仄暗い明りが、この空間に幻想的な雰囲気をまとわせている。

 

 まったく、何でこんなところにいるのやら。彼はため息交じりにそう呟いた。それもこれもあいつのせいだ。普段の業務の合間を縫って2人で練習に励んだはいいが、まったくもって自信が持てない。有沙は、私がエスコートするからあんたはそれに合わせて動いてればいいのよなんて言っていたが、正直今からでも逃げ出したい気分だ。

(ああ、でも)

 2人で練習しているときは楽しかったな。まるで付き合っていたころに戻ったみたいで、とても初々しい気分になれた。このまま2人だけで思い切り楽しめたら、どんなにすばらしいことか!

 小島は思った。同時に会場の中央部を見つめ、それが叶うことの無い現実であることを自覚する。このダンスパーティー『リーニュ・ドロワット』の会場で、妻とともにペアダンスを披露する時間が迫りつつあったのだ。

 

‐ええい、くそ!

 

 彼はグラスを傾け、気合い付けとばかりに中身を全て飲み干すと、空になったグラスをテーブルに叩きつけるように置く。

 怪しげな声が聞こえてきたのはその時だった。

「これはこれは、トレーナー君じゃないか」

 声の聞こえてきた方向に目を向けると、そこには着飾った2人のウマ娘の姿があった。一人は短めの栗毛、もう一人は腰のあたりまである長い黒鹿毛。何れも自分が担当しているウマ娘であった。そういえばこいつらも参加するんだったか、そんなことを思いながら、小島は2人をまじまじと見つめる。

 タキオンは翡翠色の袖のないひざ丈のドレスを、カフェは背中から胸元、腕にかけて、肌がグレーに透けて見える素材で覆われた、夜空をイメージさせる、紺と緑が混ざり合ったような配色の、左右非対称な形状のスカートが着いたドレスをそれぞれ着込んでいた。 

 2人とも足をタイツで覆い、ヒールの低いパンプスを履いている。タキオンは普段のマッドサイエンティストぶりが嘘のように上品な雰囲気をまとっており、カフェもまたどこか儚げな、深窓の令嬢のような面影を漂わせていた。

「中々のものだな、お前ら」

「実家はそれなりに名の知られた家でね」良家の子女そのものの口調でタキオンは答えた。「この手のことには、何度か出たことがあるのさ」

「普段のマッドサイエンティストっぷりを見てると、全く信用に値しない発言をどうもありがとよ」

「君と森宮トレーナーの関係に比べれば信じられるだろう‐それで、気分はどうだい」

「狼の群れに放り込まれた山羊の気分だな」

 苦笑するタキオン。カフェもまた、この人らしいですねとでも言いたげな表情を浮かべている。 

 小島を見つめながらタキオンが答えた。

「君こそ、なかなか様になっているじゃないか」

「結婚式以来だよ、この服を着るのは」

 小島はそう応じた。彼が着ているのは航空自衛隊の冬礼装である。白いワイシャツの上からダブルボタンのジャケットを基本とした、紺色の上下と黒の蝶ネクタイを身に着けていた。両肩には編み込まれた銀色の糸で出来た階級章が着けられ、右肩からはこれまた銀色の太い紐がジャケットの右胸部とを結ぶ形で吊り下げられている。ここに本来であれば腰の左側から儀礼用の刀を帯びるのだが、今回は省略していた。

「まるで、いっぱしの軍人のようだねぇ」

「対外的には、そういうことになるからな‐まあ、この国では違うようだが」

「同情するよ」

 

 頭のてっぺんからつま先まで、担当トレーナーを見まわしていたカフェが口を開いたのはその時であった。

「あの」

「どうした、カフェ」

 視線に気づいた小島が答える。カフェは続けた。

「見て思ったんですけど‐小島さんって意外とスタイル、いいですよね」

 彼女の言葉は的を得ていた。小島の体つき‐176.4センチの身長と長い手足に職業柄引き締まった身体は、全体的に見ればスタイリッシュそのものと言っていいほど均衡の取れた体形をしている。顔面の作りがもっと良ければ、今より遥かに女性受けしてもおかしくはなかったであろうと感じさせるくらいほどの物であった。

「母方の祖父さんが180くらいあったからな、多分そこからもらったんだと思う。俺だけじゃないぞ。姉貴も日本人女性にしちゃ、結構背は大きかっただろ」

「確かにお姉さん‐郁子さん、でしたっけ。森宮さんと並んでも、あまり変わらないくらいありましたね」

「有沙より2センチ低いだけだからな」小島は答えた。「まあ俺の場合、これで顔が良ければもう少しましだったんだろうが、親からもらったものをどうこうするわけにもいかないだろ」

「それは、確かに」

 微笑しながらカフェは返した。

「ま、外面が良ければいいってもんでもない」小島は答えた。「その手の類のものや第一印象なんて、世の中で一番信用しちゃいけない代物だからな」

「君と森宮トレーナーが夫婦であることのように、かい」

 茶目っ気混じりにタキオンが口を挟んだ。それに対して小島は、シェイクスピアの一節を諳んじるような口調で応じた。

「そんなところさ」

 

「ここにおられたのですか、小島トレーナー」

ルドルフの声が聞こえてきたのはその時だった。白のタキシードに蝶ネクタイといういで立ちの彼女。その隣には、同じような格好をしたエアグルーヴの姿がある。

「ようルドルフ。なかなか似合ってるぜ」

「貴方の口からそんな言葉を聞けるとは、思ってもいませんでしたよ」

「俺は正直者だからな」微笑を浮かべながら小島は返した。「お世辞や、建前という名の嘘を言えるほど器用な人間じゃないんでね」

「お褒めの言葉と受け取っておきましょう」

 苦笑混じりにルドルフは応じた。その後ろに目をやると、うっすらと緑味のかかった白という色合いのイブニング・ドレスを身に着けたファイン、そして肩を大きく露出(オフショルダー)させ、体のラインが服の上からでもはっきりと分かる、濃紺のドレスを着たウマ娘の姿があった。大人びた風貌に艶やかな黒鹿毛を後頭部でシニヨンにまとめ、白い前髪を一房垂らした姿はどこか大女優、もしくは上流階級の奥様といった雰囲気を醸し出している。

 思わず彼女に目をやる小島に、ルドルフもまた追従する。小島は思った。ええと、彼女は確か‐

「メジロラモーヌ、だったかな」

「その通りです」

「ひょっとして」

「ええ」ルドルフは答えた。「彼女を今回、私の『デート』に選びました」

「大胆だな」

「貴方と森宮トレーナー相手では、これでも足りるかどうか分かりませんが」

「愚問だ」何を分かり切ったことを、とでも言いたげに小島は答える。「あいつにかなう女なんて、この世にいる訳がない」

 

 2人の様子を見ていた当のウマ娘が、小島に向けて口を開いたのはその時だった。典雅な声が彼の耳朶を打つ。

「あなたが、小島さん」

「ああ」

「初めまして。そのご様子だと、私のことは奥様から聞いていらっしゃるようね」

「もちろんだとも、メジロラモーヌ」微笑を浮かべ、小島は応じた。「お菓子を勝手に食べないよう、気をつけてくれ」

 それを聞いたラモーヌは眉間にしわを寄せ、わずかに顔をしかめた。他の5人は皆、失笑している。当然であった。触れただけで罪に問われるような、だれもが魅了される空気を纏った『魔性の黒鹿毛』が、彼女の魅力に誘惑されるどころか、興味がないといったふうに軽くあしらわれた時の態度を見るのは皆、初めてであったからだ。

 当のラモーヌはそんなことを知ってか知らずか、黒曜石のような瞳で小島を頭のてっぺんからつま先まで、嘗め回すように見つめる。

 

 本当に高校生かよ、こいつ。ラモーヌからの視線を感じながら小島は呆れるように思った。

 普通の人間であれば、その蠱惑的な視線を向けられただけで魅了されてしまうであろうほどの美しさを持った顔。だが、小島は彼女に視線を向けられても、何ら感情面での変化を感じることはなかった。当然である。彼が魅了される女性は、この世にただ一人しか存在しないからだ。

 そんな小島を、ラモーヌは興味深げな視線で見つめる。彼もまたラモーヌのことを同じような目で見つめていると、ラモーヌから不意に意味深な言葉が投げかけられた。

「顔が、良ければね」

 瞬間、全員が可笑しさを隠せない笑みを浮かべる。それを見た小島もまた、ラモーヌの言葉に含まれている意味を理解した。そうであれば彼が有沙の夫であることを信用できる、そういうことであった。

「しょうがねえだろ、親からもらったものなんだ。どうこうするわけにもいくまい」

 おどけた道化のように両手を広げ、小島は答えた。

「それもそうね」

 くすりと笑いながら応じるラモーヌ。

「だいたい、俺だって未だに信じられないところがあるんだからな。子供まで生まれてるのに」

「あら、そうなの」

「今度見せてやるよ。可愛いぞ」

「奥様にお尋ねしておいて頂けるかしら」

「わかった」

 

 

「私もいまだに信じ難いねぇ」

 タキオンが茶々を入れるように割り込んできたのはその時だった。

「あれほどの美しさと知性を持った女性の夫が、トレーナー君のような男だとは。永久機関が発明されたと言われる方が、よほど信用できるよ」

 まあ当人同士が納得しているのなら、私に言えることは何もないさ。そういって言葉を終えたタキオン‐と言うよりこの場に集う者全員に対して、小島は特大の爆弾を投げつけて見せた。

「真田のおっさんが妻子持ちだってことよりは信用できるだろ」

 その言葉を聞いた瞬間、ラモーヌを除いた5人が目を丸くした。皆、口を歪な形に開けて驚愕の表情を浮かべており、混乱を隠しきれていない。タキオンに至っては顔が引き攣っていた。一方のラモーヌはと言えば、いつも通りのミステリアス極まりない妖艶な表情のまま首を傾げている。皆さん何をおっしゃっているのかしら、そんな言葉が顔面から見て取れた。

「い、今、君は何と言ったのかな、トレーナー君」

 唐突に襲い掛かってきた衝撃に混乱を隠し切れず、思考回路が混乱の坩堝に叩きこまれながらも、何とかタキオンは疑問を言語化することに成功した。まあ分からなくもない、そう言いたげに彼女を見つめながら小島は答える。

「あの人に奥さんと子供がいる、と言ったんだ‐言っておくが事実だぞ」

 再度の衝撃が5人を襲う。無理もない。真田忠道という、制服を着ていなければ提督というよりもただの不細工極まりない太った中年男にしか見えないような人間に妻子がいるという現実は、余程のリアリストでなければ直ぐに受け入れることが出来ないだろう。

 尤も、その余程のリアリストである小島にしたところで、なぜあのような傲岸不遜を絵に描いたような人間と仕事をすることに面白さを感じ始めているのは、いまだに理解しかねているのだが。

 

 少しの間を置いて、困惑を覚えつつも思考回路の回転が正常に戻ったタキオンは少々言葉に詰まりながらも、どうにかまともな返答を言語化することに成功した。

「た、確かに、それに比べれば、君と森宮トレーナーの関係の方がまだ信用に値するねぇ」

「だろ」

 ようやく衝撃から立ち直ったらしいルドルフが口を開いたのはその時だった。

「このようなことを申し上げるのは失礼、ということを承知で言うのですが‐あのように個性的な顔で、よくお相手が見つかったものだと」

「俺もそう思ったし、なんなら当の本人が言ってる」小島は答えた。「よくその面構えで嫁さんが見つかったな、とはよく言われたって」

「お相手は‐その、どのような方なのでしょうか」

 おずおずとエアグルーヴが訪ねる。

「写真を一度だけ見せてもらったことがあるが‐一言でいえば、美女と野獣、といったところだ」

 話についていけていないラモーヌを除く4人が失笑する。皆、滑稽極まりない光景を想像したからだった。

「その人の子供って、どういう人なのかしら」

 ラモーヌが小島に問いかける。

「確か歳は俺と有沙の6つ下で、母親譲りで俺よりよほど女受けしそうな顔をしてる、とは聞いた。あと、せっかく文学部の歴史学科なんてところを卒業したのに、俺と同じ仕事に就いた変わり者だとも言っていたな、あのおっさんは」

「それって、つまり」

「ああ、親子二代でネイビーオフィサーになりおおせたというわけだ」ミサイルの発射を命ずるような声で小島は答えた。「今は護衛艦の航海士をしているらしい」

 それを聞いたラモーヌは満足げに頷く。

 

 (ようやく終わりか)

 その様子を見た小島は、内心で胸をなでおろした。無理もない。面白半分に彼の夢を奪い去った、最も憎むべき者であり最も嫌いな種族。その集団と多対一で会話や行動をすることは小島に、実感している以上のストレスを加え続けていた。

 畜生、仕事の一環とはいえ、本当ならこんな所になんか居たくない。くそ、早く来てくれ有沙。こんな所、お前と居なきゃ耐えられない。今すぐにでも逃げ出したいくらいだ。大体、それを差し引いても俺はあまり社交的な人間じゃないんだぞ。

 無意識のうちに体が動き、抱いている感情がほんの僅かだが態度に表出する。それを見逃さなかった人物が6人の中に存在した。

 

「よろしいかしら、小島さん」

 気遣うような口調でファインが問いかけたのはその時だった。こんな時に何だ、そう思って小島は彼女に視線を向ける。

「何だ、ファイン」

 答える小島。ファインは愛くるしい目を彼に向けたまま、続きを口にした。

「一つ、気になったことがあるのだけれど‐ここから離れたい、と思っていらっしゃるのはどうして?」

 それを聞いた瞬間、小島の顔がわずかに強張る。それを感じ取った、彼の事情を知る4人‐ルドルフとエアグルーヴ、タキオンとカフェもまた、僅かに目元が動いた。そんな彼女たちをよそに、小島はマリオネットのような動きでアイルランド王国第3王女に向き直り、応じた。

「どうしてそう思ったのか、理由を聞かせてくれ」

「あなたの態度」真犯人に推理を告げる探偵のような口調でファインは答えた。「私たちに正対していないし、目もちらちらとほかの方を向いていて、足の向きも、いつでもここから離れられるようにしているでしょう?‐それに、こんな華やかな場でどこか冷めたような目をしている。まるで、この場にいるもの全てに興味がない、そう考えているように見えたもの」

 彼女は微笑みながらも、真面目な目で小島のことを見据え続ける。彼は遠くを見るような目をしながら長い息を吐くと、諦観混じりに口を開いた。

「完敗だ。さすが、IRAに命を狙われ続けてきた一族だけのことはある」

「態度っていうのは、内心をより明らかに表現してくれるもの」年相応の無邪気な声でファインは答えた。「でも、それだけならまだ良いわ」

「どういうことかな」

 唐突な発言に、真意を問い質すべく小島は返す。それに対しファインが放った一言が、この場の空気を一変させた。

「貴方からは別の物を感じるの。まるで私たちのことを憎んでいるような、そんな感じ」

 それを聞いた瞬間、周囲が凍り付く。小島は無表情のまま僅かに口元を歪め、視線を一気に鋭くした。獲物に銃口を向け狙いを定めた猟師のように、ファインのことを見据えて動かないでいる。彼女も物腰こそ柔らかではあるが、それに動じることなく真正面から小島に相対し、一歩も引こうとしなかった。

「その理由を、教えて頂く訳にはいかないかしら」

 物腰は柔らかく口調も穏やかではあるが、強い意志が込められた言葉をファインは小島に投げかける。彼はため息をつくと額に手をやり、顔をしかめた。その眼には複雑な感情が浮かんでいる。

 

 険しい表情を浮かべたエアグルーヴが割り込んできたのはその時だった。

「そこまでにしておけ、ファイン」

「エアグルーヴ、さん」

 唐突な言葉に、きょとんとした目でファインはエアグルーヴを見つめる。彼女の脳裏には夕日に照らされる生徒会室で見た、噴火寸前の火山のような小島の表情が浮かんでいた。エアグルーヴは今回も同じようなことが起こることを懸念し、ルームメイトを止めに入ったのだった。

「どうしてなの?」

 疑問の言葉を浮かべるファイン。そんな彼女に、エアグルーヴは真剣そのものと言っていい声で問いかける。

「お前は今、一番聞いてはいけないことに手を付けたんだぞ」

「でも」

「でもも何もあるか!とにかく、これ以上聞くのはやめておけ!」

 先ほどまでよりも遥かに強い口調でファインを抑え込むエアグルーヴ。

 戸惑いの表情を浮かべながらも、引こうとしないファインに小島が視線をやり続けていたその時、今度は別方向から言葉が飛んできた。

 

「私も聞きたいわ、それ」いかにも興味本位、と言った口調でラモーヌが問いかける。「あなたの絵から感じた複雑さの正体を知りたいの‐よろしくて?」

「やめないか、ラモーヌ」

 静かだが鋭い声でルドルフが答えた。表情も険しくなっている。何で怒られるのか分からないわ、そう思ったラモーヌは不満げに応じた。

「なぜかしら、ルドルフ」

「君がやろうとしているのは、火のついた松明を背負って火薬庫に飛び込むも同然の所業だ」

「あら、そうなの」

 とぼけた様に答えるラモーヌ。それを聞いたルドルフは真面目な話だと彼女を窘める。先ほどまでの鷹揚さがどこかへ吹き飛んでしまったような空気。タキオンはそれを実験対象を観察するかのように見つめ、カフェは困惑を隠せていない。

 一連の様子を見ていた小島が、何かを断ち切るように口を開いたのはその時だった。

「いいだろう、話してやろうじゃないか」

 銃口を突き付けるような鋭さをまとった声に、一瞬にして場の空気が変化する。12個の眼球が発言者へと向けられる。小島は視線を感じたまま、静かにファインとラモーヌの傍へ歩み寄り、口を開いた。

「最初にはっきりと言っておいてやるが」彼はそこで言葉を区切り、続けた。「お前さんたち‐いや、この空間の中にいる連中が聞いていて不愉快極まりないどころか、俺のことを嫌いになるだろう内容だ。それでも良いというのなら、全て正直に言おう」

 外見からは予想もできないほどの威圧感を持った声に、思わず2人はたじろぐ。覚悟はあるのか、と問いただすように見つめる小島。口元を引き締めるファイン。歯を食いしばり、窮地に追い詰められた悪の組織の女幹部のようにきつい表情を浮かべるラモーヌ。その様子を恐々とした視線で見つめる3人に、興味深げな表情で観察するタキオン。皆何の言葉も発さぬまま、それぞれが三者三様の態度を見せている。

 

 均衡を破ったのはファインだった。覚悟を決めたといわんばかりの表情を浮かべながら背筋を伸ばし、真剣そのものの目で小島を見据え、口を開く。

「構い、ません」血筋が求める態度(ノブレス・オブリージュ)の履行を宣言したような声で彼女は述べた。「たとえどんな内容であっても、私は甘んじて受け入れます」

「構わないわ」ラモーヌもそれに続いた。「何かを深く愛するには、その表も裏も理解しておかなくてはならないもの」

 2人の言葉を聞いた小島は満足げな表情を浮かべると、まるで呪文でも唱えるような声で応じた。

宜しい。大変に、宜しい(Well…Very…Very…Well)

 その芝居がかった様子に、再度12個の眼球が視線を集中させる。彼はそこで一呼吸置くと、これ以上聞くに堪えないとなったら遠慮なく言え、いつでも止めてやると前置きを行い、淡々した口調で語り出した。

 

 話の間、2人が中断を求めることはなかった。表情を変えることもなく、ただ小島の過去を受け止めてゆく。タキオンにカフェ、ルドルフにエアグルーヴもまた、彼の口から紡がれる言葉を、頭頂部に置かれた一対の耳で吸い取るように聞き続けた。

 小島がすべての話を終えると、ファインは先ほどの自分の発言を後悔するかのように、憐れむような視線で彼を見つめる。一方のラモーヌはいつも通り、ミステリアスな表情を浮かべるばかりであった。

 そんな2人に小島は表情を一切変えず、諦観の混じった抑揚のない声で話しかける。

「本当なら今頃はこんなところに来ないで、操縦桿を握って空を飛んでいただろうさ。まあ、全てが上手くいっていたと仮定した場合の想定に過ぎないが」

「ふうん」胸の前で両腕を組みながら、バーの女主人のような声でラモーヌが応じた。「仮定、としたのはどうして?」

「戦場と同じで、世の中に絶対確実なことなんて存在しないからさ。いやむしろ、戦場こそが現実の比喩、と言った方が正しいのかもしれない」

「そんなものかしら」

「そんなもんだ‐大体」

 小島はそう言ってルドルフの方に視線を向け、答えた。

「世の中に絶対なんてものが存在するのなら、秋の盾を賭けた戦いで、そこに立ってる皇帝様が条件戦クラスの奴(ギャロップダイナ)に差し切られるわけないだろ」

「だそうよ、ルドルフ」

 面白がるような声で張本人に問いかけるラモーヌ。それを聞いたルドルフは唐突に話を降られたことに軽く慌てながらも、冷静に言葉を返してみせた。

「ああ、そうだな、ラモーヌ」

 

「私も一つ、小島さんに聞いていいかしら」

 軽くうなだれたような態度と口調でファインが答える。

「何だ、ファイン」

「そういうことをされたのに、何で私たちに親切に接することが出来るの?私たちの姿を見るのさえ嫌いになっても、おかしくないように思えるのだけれど」

「金のためにやってる事だからな」

 礼節を持った大人として、教え諭すような態度で小島は答える。

「懐があったまるためなら、妥協はしてやる。何より、君たちは君たちであってあの女じゃない。確かに俺はウマ娘のことが嫌いだが、君たちとあの女とを区別するくらいはできる。それが大人という物だ」

「でもその割には、相手のことを許しているように思えないのだけれど」

 被告人を追求する検事のような声でファインは問いかけた。途端に小島の声が低くなる。彼は応じた。

「どうしてそう思うんだ」

「あなたの執務室に飾ってある花の花言葉を、エアグルーヴさんから教えてもらったの」

 それを聞いた瞬間、小島の目から光が消えた。表情こそ変化がないものの、まるで悪魔が乗り移ったかのような空気が背後から放たれる。頭から血の気が引き、背筋に冷たいものが走るのをファインは自覚した。自らに施されてきた教育をもってしても拭い去ることが出来ないほどの強さで、目の前の男に対する本能的な恐怖を感じ取ったからであった。

 

「参ったな、さすがは王女様」

 右手の指で頭を掻きながら、さらに低い声で小島は応じる。聞かなければよかった。後悔とともに軽く怯えたような表情を浮かべ、彼女は小島を見つめる。幹部自衛官というよりは、マフィアの若頭(アンダーボス)と言った方が相応しいような酷薄さを表に出した口調と表情で彼は答えた。

「いつか機会が来たら、必ず落とし前はつけさせてもらうさ。それまではまあ、ひたすら辛抱だな‐と、どうしたファイン」

 怯えるような彼女を気遣うように、瞬時に声のトーンを変化させた小島。その不気味さに、ファインは尋問を受ける被告人のような口調で返す。

「なんでもありません‐貴方を敵に回してはいけない、そう思っただけ」

「そうか」

 小島はそれしか聞かなかった。それ以上の答えを望めないだろうということを、十分に理解していたからだった。

 

「そういえば」ラモーヌが口を開く。「貴方の奥様は‐森宮さんはどちらにいらっしゃるのかしら。姿が、見当たらないのだけれど」

 救われた、だれもがそう思った。偏狭したレース愛の持ち主であるということ以外、普段から何を考えているのか分からないのがメジロラモーヌという女であったが、この時ばかりは彼女のそんな所がプラスに働いた。

「そろそろ来るとは思うが」

 小島が腕時計を見ながらそう答えた時、入口の方がざわつく。小島を含んだ7人はそろってそちらに視線を向けた。

 その先に見えたのは、美人ぞろいのウマ娘の中に入ってもなお見事なまでの美貌を誇る人間の女性が優雅そのものと言っていい態度で、靴音を響かせながらゆっくりと会場へ入ってくる姿であった。

 

 彼女は黒一色のドレスを身に着けていた。背中の部分がⅤ字型にカットされ、前面とつながる部分以外は素肌を露わにした袖のないデザイン。胸元も背部と同様に切れ込んでおり、肌にまとわりつくようにして谷間を露わにし、2つの雄大なものをこれでもかとばかりに強調していた。

 太ももあたりまであるスリットからは、ガーターベルトで留められた黒のストッキングに覆われた長い脚がちらりと覗いている。これらを全て纏め上げたプロポーションについては、見事な物としか表現のしようがないほどの美しいラインを描き出していた。両手は二の腕あたりまで、ドレスと同じ色のレースの装飾がわずかに施されたロンググローブで覆われ、両足にはヒールの低い黒のパンプスが履かれている。

 顔はと言えば、肌に軽く乗せただけの薄い化粧と落ち着いた色合いの口紅。全体的に見れば、飾り気も派手さもないシンプルな恰好であった。だが、それがかえって『素材』が持つ美しさをこれでもかとばかりに強調し、際立たせている。それになにより、彼女から溢れ出る成熟した大人の女としての魅力は、どんなに歳が行っていても20歳前後が良いところである、この学園のウマ娘が醸し出すのは不可能なほどの美しさを存分に放っていた。

 もちろん、彼女の本職がなんであるかを忘れる者はいない。背中に見える背筋に加え、細身だが引き締まった二の腕と太もも、そして同様に鍛え上げられたふくらはぎが、全てを如実に物語っていた。

 同性ですら息を吞む程の美しさで、この場にいるもの全てを魅了する有沙に皆、視線を奪われていた。だが当の本人はそれら全てを意にも介さず、ゆっくりと歩みを進めてゆく。当然であった。彼女がこの姿を見せたい人間は、この世にただ一人しか存在しないからだ。

 

「随分と待たせやがって」

 妻の姿を見た小島は、顔色一つ変えずにそう呟いただけであった。もちろん内心では、男としての本能が色濃く刺激されるのを強く感じている。

 綺麗、両頬に手をやり、うっとりとした目で有沙を見つめながらカフェが呟く。お美しいわ、ラモーヌもまた表情を変えずに述べる。ファインもまた有沙の美しさに目を輝かせ、ルドルフでさえどこか嘆息したような表情で小島の細君を見つめていた。

 一方エアグルーヴは有沙の首元に視線を向けた。細長いチェーンで首にかけられた飾りは、白銀の中に描かれた青色のサルビア。その花言葉は‐

「永遠に、あなたの物」

 ヒエログリフを解読したような声で彼女は呟く。永遠にあなたの物。唯一無二の男に対する、この上ない愛の表現であった。

 ふと横に視線を向けると、当の『あなた』本人がタキオンと言葉を交わしているのが、エアグルーヴの視線に映る。

「彼女はなかなかのものだね、トレーナー君」

「当たり前だろ」

 夫、というよりは戦場で戦友を見るような口調と表情で小島は答える。

「俺が世界で一番好きな女なんだから、あれくらいでいてくれなきゃ困る‐とはいえだ」

「何かあるのかい」

「あいつはあんな格好より、迷彩服や制服の方がよく似合うな。何なら今の姿でも、腰だめで機関銃構えてぶっ放してるほうが様になると思ってるよ」

「君らしいねぇ」

 苦笑いしながら答えるタキオン。そんな彼女に対して、小島は近づいてくる妻をしっかりと見据えながら答えた。

「俺は戦場で背中を預けられないような女を、女房にした覚えはないのさ」

 

「あらあら、随分と美人を侍らせちゃって」

 夫に近づき、その周りに集うウマ娘をみた有沙は、悪戯を思いついたような声で口を開いた。表情もまた、どこか面白がるようなものを浮かべている。

「安心しろよ」妻と同じような口調で小島は応じた。「こいつらが何人束になっても、お前の魅力には勝てんさ」

「なら良かったわ‐それはそうとどうかしら、この格好」

 艶めかしさすら感じさせる口調で有沙は答えると、自身の腰と後頭部に手をやり、背中を僅かに反らせて胸を突き出すようにして見せた。大きさも張りも立派なものが服からはちきれんばかりになる。もちろん、スリットから足を大胆に覗かせることも忘れていない。

 彼女の姿勢とそこから溢れ出る色気に、周囲の何人かは生唾を呑み込む。小島の周りに集っていた、タキオンとラモーヌを除く4人もまた顔を赤らめ、恥じらうような表情を浮かべていた。一方の小島はと言えば、特段の反応を示すことなく、まじまじと妻を見つめている。

 

 傾城とか傾国、ってのはこんな奴のことを言うんだろうな、小島はそう思いながら、どこか学術調査でもするような目線で有沙を眺めた。夫の視線に気が付いた有沙は彼を見つめながらウインクすると同時に、右手で髪を掻き揚げる。それが更なる妖艶さを周囲へとまき散らす。

 会場はいつの間にか、静まり返っていた。全体の視線が2人に集中している。このような空気の時にどのようなことを言うべきか、大抵の日本人であればすぐに理解する。だが、そんなものは意にも介さぬとばかりに小島は返した。

「特に何も言うことはねえよ」

 あちこちから聞こえるため息。周囲の期待を裏切ったことに対する批判じみたものが感じられる。だが、当の発言者は平然としていた。当然である。空気を読むなどという言葉は彼の辞書に存在しないからだ。

「そう言うだろうとは思ってたけど」

 両腕を胸の前で組みながら、半ば呆れたような口調と表情で有沙は応じる。

「せっかくあんたのために着飾ってやったんだから、せめて気の利いた言葉の一つくらい言ったらどうなのかしら」

「じゃあ言わせてもらうがよ」真顔で小島は答えた。「普段から美しいと思っているものをわざわざ口に出して言う必要があるのか?」

 その言葉を聞いた有沙は、何を言われたのか直ぐには理解できなかった。一呼吸おいて意味を理解し‐瞬時に赤面した。周囲からは歓声が沸く。

 周囲から聞こえる黄色い声を聞いた小島は、周囲を不思議がるような目で見まわす。当然であった。彼はただ、普段から妻に対して思っていることを直接本人に伝えただけとしか認識していない。だからこそ、周囲から聞こえる声に違和感を覚えたのである。

 ‐尤も、この雰囲気の中で周囲が自分の言葉をどのように受け取るか、それに対しては全くの無自覚であったのだが。

 

「・・・よくそんな台詞、真顔で言えるわね」

 この天然タラシめ、そう思いながら恥じらうように答える有沙。だがその中にはどこか、嬉しさのようなものが混ざっている。自分が夫のことを好きな理由、その一端を無意識のうちに自覚させられたからだった。

「自分の心情を正直に言っただけなんだがな」

 訳が分からん、とでも言いたげに応じる夫に、有沙は顔を赤らめたまま手を伸ばす。

「そういうところよ、あんた‐ほら、さっさとエスコートして頂戴」

「仰せのままに、女王様」

 妻の手を恭しく取りながら小島は答えた。2人はそのまま、並んで会場の中央部へと歩いてゆく。

 その姿はまるで、戦場へと赴く兵士のそれを見ているかのようであった。

 

 スポットライトで照らし出される会場中央部に2人が到着し、お互いに向かい合って準備を整えたタイミングで音楽が流れ出す。2人はそれに合わせて踊り出した。ややぎこちなさが見られるものの、息の合った動きを見せる。そして次第に慣れてきたのか、流れるようなものへと変化していった。

 踊り合う2人。その様子を皆静かに見つめ‐いつの間にか、目を奪われていた。ダンスではなく、互いが浮かべる表情に。

 小島も有沙も、この上ない幸福に満ち溢れた笑みを浮かべながら、ステップとリズムを踏んでいる。2人はあたかもこの場に自分たちしか存在しないかのように、周囲の様子を気にする素振りすら見せず、ただお互いを見つめ合ったまま動き続けた。

 

「あんな表情が、できるものなのか」

 他の者同様、2人の動きに見とれていたルドルフが呟く。彼女の言葉は主に、小島に向けられたものだった。普段の冷笑的な顔はどこかへ消え去り、幸福そのものの笑みを浮かべている。そのような表情しかほとんど見ることのないルドルフにとって、眼前の光景は信じがたいとしか形容のできない代物であった。

 そんな彼女に、先ほどの呟きを聞いていたタキオンが話しかける。

「特段驚きはしないさ、会長」

「タキオン」

「ホープフルステークスの後で焼肉を奢ってもらったときに、私はあのような顔を見ているのだからね。あの時の彼は随分といい表情をしていたよ」

「そうなのか」

「ああ」タキオンは答えた。「しかし、トレーナー君は思った以上にいい笑顔を見せるねぇ。恋の力というのは本当に偉大だ。あるいは、あれこそが彼の素であるのかもしれない」

「普段からああでいてくれたら、もっと助かるのだが」

「それは無理な話さ。君も知っているだろう、彼の過去を」

「ああ」据わった目で、踊る2人を見つめながらルドルフは応じた。「我々ウマ娘も邪悪さからは逃れられないのだと、改めて思うよ。そして、それでもなお自分の理想を叶えたいという傲慢さが自分の中にあることも、な」

「まるで、トレーナー君のようなことを言うねぇ」

「ああ、君もな。アグネスタキオン」

 狷介な言葉を交わす両者。その眼前では、2人のダンスが丁度クライマックスを迎えたところであった。

 

 手を繋いだまま恭しく頭を下げる2人。会場中からは万雷の拍手が送られる。2人は向かい合い、お互いを見つめ合う。

 先に口を開いたのは有沙だった。

「隆史」

「何だ」

 有沙はそのまま夫の頬を両手でつかむようにして引き寄せ、彼の唇と自分のそれを強引に重ね合わせた。途端に先ほどの拍手をも上回るほどの大きさで、黄色い声が会場中に響き渡る。

 突然の出来事に、小島は混乱していた。自分の唇に押し付けられた柔らかいもの。彼にとって、他のどんなものよりもかぐわしい香りが鼻腔をくすぐる。時間にして1分にも満たない間であったが、まるでその10倍以上が経過したかのような感覚を覚えた。

 妻が体を離すと同時に、どうにか混乱から立ち直った頭で小島は答える。

「何すんだよ、いきなり」

「さっきのお返し」澄ましたような声で有沙は応じた。「悪くなかったでしょう?」

 悪戯を成功させた子供のように微笑む彼女を見て、小島は思った。この野郎、いくら好きな女とはいえ限度ってもんがある。少し思い知らせてやろう。

「ああ、悪くはなかったな‐だから、こうしてやる」

 彼はそう言うなり、妻を両腕で横向きに抱き上げて見せた。彼女の驚きの悲鳴と周囲から再度聞こえてくる黄色い声。

 今度は有沙が混乱する番だった。突然の出来事に驚き、恥ずかしさと困惑が入り混じったような表情を浮かべながらも、抱え上げられたまま両足をばたつかせる。下ろしなさいよこの莫迦、そう駄々をこねる子供のように抗議する有沙に小島は知ったことか、お返しのお返しだと言ってはねつけた。

 周囲に向けて、俺たちはこれで失礼する、あとは君たちが楽しむ番だと言い残し、会場を後にするべく、妻を抱えたままゆっくりと出口に向けて歩いていく。

 有沙はそんな夫の腕に抱えられたまま、諦めたような、それでいてどこか幸福そうな表情を浮かべながら、愛する男の首に両腕を回し、会場の外に出るまでその顔を見上げ続けていた。

 

「本当、あんたって奴は」

 会場を見下ろすような姿勢でキャットウォークの手すりにもたれながら、有沙は隣にいる夫に話しかけた。眼下では幾人ものウマ娘がペアを組み、ダンスに興じている。

「先にやってきたのはそっちだろうが」

 呆れたような声で小島は答えた。彼もまた妻同様、手すりに頬杖を突くような姿勢で階下の様子に目をやっている。

「好きな男にキスして何が悪いのよ」

「時と場所を考えろと言ってるんだ。大体、ああいうのはあまり人目につかないところでやるもんだろ」

「例えばこういう所とか?」

 微笑むような目で夫を見つめながら有沙は返した。軽く前に折り曲げた身体と、そこに張り付いたようになっている衣装が合わさり、見事なまでの曲線美を描き出している。そこから醸し出される色香は、艶めかしいという言葉では言い表すことが出来ないほどに、小島の男としての本能を強く刺激していた。

「そうだ」

 どこか品定めでもするように、妻の体をまじまじと見つめながら小島は答えた。その視線に気づいた有沙は、悪童をたしなめる女教師のような声で応じた。

「なに見てんのよ、スケベ」

「いまさら何を」どこ吹く風、といったふうに彼は返した。「もっと無防備な姿を何度も俺に見せてきてただろうが、特にベッドの上で」

「まあ」目を丸くしながら有沙は答える。「随分と明け透けなことを言うのね」

「俺が婉曲的な言い方が苦手なの、知ってるだろ‐それよりも見てみろよ」会場の一点を指さしながら小島は答えた。「あのマッドサイエンティスト、なかなか様になってやがる」

 夫が指をさした方向に有沙は視線を向ける。そこではタキオンとカフェが互いの両手を取り合い、見つめあうようにしながら優雅なまでの踊りを披露していた。近くではルドルフとラモーヌ、そしてエアグルーヴとファインもまた、2人に負けず劣らずのダンスを見せている。

「確か結構いいとこのお嬢さんよね、彼女」

「その通りだ。お前の実家には負けるが」

「当然じゃない」断言するように彼女は答えた。「年季と金と影響力の桁が違うわよ。その3つで私の実家に勝てるとこなんて、この国に存在しないわ‐国家権力を除けば、ね」

「そしてお前はその国家権力の走狗になりおおせたと」

「好きでなったわけじゃないわよ。大体、そこはあんたも同じでしょ」

「まあな」

「大体、私はどうでもいいの‐実家のことも、組織内での昇進も。あんたさえ傍にいてくれるなら、それでいいわ。それ以外のことには、何も興味がないもの」

「隆俊を忘れてるぞ」

「そうだったわね」母親としてのものと、女としてのものとが混ざりあった口調で有沙は答えた。「そっちの方は、もう何人か欲しいとは思ってるわ」

「そいつは、頑張らないといけないな」

 苦笑しながら小島は答えた。いつの間にか体温さえ感じられそうなほどの距離まで妻が近づいていることに気が付く。有沙はそのまま自然な形で夫の背中に手を回し、引き寄せるようにして体を密着させる。小島もまた妻の背中と後頭部に手をやり、彼女を抱き寄せた。

 お互いの肌の様子まで、はっきりと分かるような距離で見つめ合う2人。この後何をすることになるのか、言葉に出さずとも理解していた。

「ま、ここではこれで勘弁してくれ。これ以上のことは、家に帰ってからゆっくりとしようじゃないか」

「期待してるわ。明日も明後日も、お互いに休みなことだし‐でも」

「なんだ」

「激しすぎるのはやめて頂戴。起き上がれなくなっちゃうから」

「善処する」

 その言葉を合図に2人はゆっくりと顔を近づけると目を閉じ、唇を重ねた。階下では、幾人ものウマ娘たちが、それぞれの「デート」とのダンスを踊りあかしている。

 

 来月からは今年のクラシック競走‐競走ウマ娘にとって一生に一度の晴れ舞台(と、興行的な理由で設定されたもの)がいよいよ本番を迎える。トゥインクルシリーズに巻き起る嵐は、まだ始まったばかりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 次回は皐月賞になります。転職活動を進めながらちまちま書いていく形になりますので、また少し間隔が空くことになるとは思いますが、どうぞ気長にお待ちいただけますと幸いです。それでは。

追伸:3日間連続で面接の日程なんて組むもんじゃなかったなあ・・・・
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