トレセン学園分遣隊活動記録   作:山屋な司令官(改)

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お待たせしました、第4話(実質第5話)です。書き終えた後で話の流れが荒っぽいなとは思ったのですが、投稿の間隔を開けすぎるのもどうかなと思ったので投稿しました。よろしくお願いします。

ちなみに原稿の段階ではもっと長い話だったのですが、書き終えた段階で「あ、これ今の段階で書く必要ないな」と思った部分を削ったら元の原稿の3分の2くらいの長さになりました。それでもかなりの字数になりましたが、皆さんそれぞれのペースでゆっくりとお読みいただければ幸いです。

(なお今回削った部分についても後々書いていくつもりなので、気長にお待ちください)



第4話 初練習

翌日の午後、トレセン学園の練習用グラウンドに置かれたスタンドには、それぞれが担当するウマ娘のトレーニングを行うべく集まったトレーナーたちの姿があった。そのような彼ら彼女らウマ娘らが注目しているのは、この日初めてトレーニングを行うことになっている、チームSDFについてであった。

 

何しろトレーナーとしては素人同然の自衛官が率いるチームに所属する4人のトレーナー全員が、わずか1日でウマ娘とトレーニング契約を結んでしまったのである。

一般的に、多くのウマ娘は実績のあるトレーナーのチームに入りたがる。その方が自分が強くなって結果を残せる可能性が高くなるからであり、人気のあるチームに至ってはチームに入るための選抜試験まであるほどだ。そのため、トレーナーになりたてで実績の少ないトレーナーはスカウトするウマ娘を見つけるのに苦労するため、実績のあるトレーナーの率いるチームでサポート役として経験を積むのが一般的になっている。

専門教育を受けてきた彼ら彼女らウマ娘らでさえそうであるため、棚ぼたでトレーナーになった自衛官と言う、トレーナーとしては素人同然の部外者が率いるチームに入りたがる物好きなウマ娘などどこにいるのか、と言うのが大半のトレーナーの見立てであった。

 

それだけに、そのようなチームに属する素人同然のトレーナー全員がわずか1日でウマ娘とトレーニング契約を結んだことは、学園の中で驚きを持って受け止められていた。

学園最強との呼び声が高いチームを率いる女性トレーナーに至っては、自分が狙っていたウマ娘をそのチームに-それもウマ娘の逆指名という形で-取られたこともあって、話を聞いた途端、「信じられない」とつぶやいたほどである。

 

また集まったウマ娘も、気が弱かった(ライスシャワー)練習に参加しようとしなか(マヤノトップガン)ったり、霊能力者(マンハッタンカフェ)狂科学者(アグネスタキオン)であったりと、1人を除いて1癖も2癖もあるよう(個性豊か)なウマ娘であることを除けば、それなりの実力を持つものばかりであった。

尤もこれについては、実力はあっても癖の強いウマ娘を担当させられたのでは、下手をすると自分の経歴に傷がつくかもしれないという危惧が特に、トレーナーとなってまだ日が浅い者たちの中にあったため、体よく厄介払いが出来たとして気にする者はいなかった。

(もちろんそのような見方をしなかった者もいるが)

このような一連の経緯から、彼ら彼女らがウマ娘にどのようなトレーニングを課すのかについては、学園中のトレーナーの注目の的となっていた。

 

その時、スタンドにいるトレーナーたちが一斉にある一点に目をやる。

その視線の先には迷彩服を着こんだ5人の男女がいた。その姿を見たトレーナーたちはおや、とでも言いたげな表情を浮かべる。なぜならば、迷彩服を着こんでいる点を除けば、主に一般人が抱く、自衛隊に対するイメージとは異なる物を持ちこんでいたからである。

 

ちょっとしたスーツケースのような外見をしているパナソニック製のノートパソコンが3台と、これまた耐久性を念頭に置いた外見の、同メーカーのタブレット端末が2台。それらの機器類には全て、無機質な文字が記された色テープが貼られている。それらに加えて、5人のうち年配の1人はあれこれと荷物乗せた台車を押していた。トレーナーたちはそのことについてあれこれと想像を巡らせていたが、当の本人はこれが自分の仕事だとでも言わんばかりにそれを運んでいく。

 

やがて5人はスタンドの一角に陣取ると、パソコンを開いてあれこれと設定をしたり、持ってきた荷物の確認をしている。そうこうしているうちに彼ら彼女らと契約を結んだウマ娘5人の姿が見えてきた。全員が赤字に白のラインが入った、学園指定の練習用ジャージを着こんでいる。彼女たちは迷彩服を着こんだ集団の下へ歩み寄ると、リーダー格らしい男と言葉を交わし始めた。

 

「これが初めてのトレーニングになるわけだが-君たちはいったい何をするつもりだい」

5人を代表してタキオンが答えた。それを聞いた小島は5人を俯瞰するように応じた。

「その前に、お前さんたちに色々と渡しておくものがある。話はその後だ」

彼はそう言って遠藤にあれこれと指示を出すと、遠藤が腕時計型の端末とその取り扱いマニュアルに、練習用の蹄鉄シューズを5人に配り始めた。その全てにそれぞれのウマ娘のイニシャルが無機質な文字で記された色テープが貼られている。(靴のサイズに関しては正式契約を結んだ時に確認していた)

「サイズとイニシャルが合っているか、あとは端末がきちんと動作するかを確認してくれ」

「これらは何に使うのでしょうか」

蹄鉄シューズを配られたものに履き替え、手首に巻き付けた端末の動作確認をしながらカフェが答えた。

「それについては君たち全員の確認作業が終わった後で説明するから、まずはそれを終えてくれ」

「分かりました」

彼女は答えた。

 

10分ほどして、全員が確認作業を終えたことを確認した小島は、スタンドの椅子に腰かけた5人の前に歩み出ると口を開いた。

「君たちに配布したものは、君たちの走行フォームの解析と走行時の生理学的なデータを収集するためのものだ。君たちの走行速度や走行時に足や骨にかかる衝撃、走るときの筋肉や腱の動きなど、運動機能に関係するデータをシューズに埋め込まれた微小サイズのセンサーで読み取り、体温や心拍数や血中酸素濃度など走行中の生理学的なデータを腕につけた端末で読み取って、それらから得られたデータをあそこにいる(彼は指でそれを示した)3人が持っているパソコンに送信して解析し、コンピューター上で君たちの走りを3次元的に再現する。そしてそのデータを利用することで、1人1人の適性距離の把握やけがの予防、効率的な練習メニューの立案を行うが、今回の練習はそのデータを取るために行う。練習が終わったらシューズは持ち帰っていいが、端末は必ず回収させてもらう。これは次回以降の練習の際も同様だ」

彼の言葉に、5人はそれぞれ異なる反応を示しながらも、おおむね納得したような表情を浮かべた。

 

「具体的には、何をするのでしょうか」

グラスワンダーが挙手をしながら問いかけた。

「簡単だ」綿でも持ち上げるような声で小島は答えた。「芝にダートにウッドチップ、あとは坂路の1周を、それぞれ2回ずつ走ってくれるだけでいい。ただし、いずれも1回目は俺と遠藤さんの間に挟まって走ってもらう」

「「「「「はあ?」」」」」

それを聞いた5人は耳を疑った。ウマ娘の走行速度に人間がついていけるわけが無いのに何を考えているんだこいつは、とでも言いたげな表情を全員が浮かべる。

彼女たちが浮かべた表情からそれを読み取った小島は、苦笑しながら説明不足を詫びると話を続けた。

「あのな、お前たちが俺と遠藤さんに合わせて走るんだ。俺たちがお前さんたちの走りについていけるわけが無いだろ」

まあ自動車やバイクを使えば話は別だがね。小島はそう言って話を続けた。

「遅すぎて面倒だろうが、2回目はそれぞれ好きなように走っていいから、それで勘弁してくれ」

「そういうことでしたら」

彼女はやれやれ、とでも言いたげな口調で答えると準備運動を始めた。他の4人もその様子を見て、三々五々準備運動を始める。

 

「何が目的なんだい」

準備運動を行った後、左手首に巻き付けた端末をいじりながらタキオンが答えた。

「俺たちと一緒に走った時のデータと、お前さんたちが全力で走った時の違いを比較してより正確な解析結果を得ることだ。そうすることでより個々人に合った練習メニューを立てやすくなる」

全員に聞こえるような声で小島は答えた。他の4人も準備運動をしながら耳だけはこちらに向けている。器用なもんだな、その様子を見た彼は思った。

「ふうん」

まるで新しい玩具を眺めるように彼女は答えた。

 

「それについてちょっと聞きたいんだけど」

ほかの3人と共にパソコンの設定をしていた森宮有沙が、指揮官の判断に異議を唱える参謀長のような態度で小島に話しかけたのはその時だった。

「なんだ」

「あんたがわざわざ走る必要あるの」

「質問なら具体的に言え、森宮一尉」

参謀長に対する指揮官のような態度で小島は答えた。それに対して、無茶苦茶な命令を拒否するような口調で有沙は返した。

「じゃあ言うけど-指揮官先頭なんて、あんたが一番嫌ってる事じゃない。なんでそんなことを今率先してやりたがるのか、理由を明確にしてほしいものね、小島一尉」

彼女の言う通りであった。小島は指揮官先頭に対して批判的な幹部の一人であったからである。

 

いわく、指揮官の仕事とは戦場の喧騒に惑わされずに済む後方の指揮所や司令部で、前線から入ってくる情報をもとに的確な判断を下して味方の損害を少しでも減らしながら敵に損害を与えることであって、指揮官が戦場に出てやられてしまえば指揮命令系統が混乱し、結果として大損害を被ることになる。そのようなリスクを冒してまで指揮官先頭をやるべきではないというのが彼の考えであった。

このようなことを常日頃から公言して憚らない彼が率先して先頭に立つというのだ。疑問に思わないほうがどうかしている。職場でも私生活でも(勿論寝所でも)彼のことを、彼の両親の次に知り尽くしている有沙はその真意を質すべく、小島に質問を振ったのだった。

 

「現場の状況を把握しておかないと、実効的な方法を考えられないだろ」

「理由はそれだけ?」

有沙は訝しんだ。実のところ、見た目からは想像もつかないほどの好奇心の塊のようなこの男が、ただそれだけの理由で走ろうとは考えられなかったためである。

「もちろん個人的な理由もある。この学園の連中が普段、どんなところを走っているのか興味があって、実際に走ってみたいと思ったわけさ」

小島は悪戯を女性教師に注意された悪童のように答えた。

「やっぱり。まあいいけど」

有沙は呆れたように答えた。その様子を聞いていたタキオンが小島に向けて口を開く。

「なあ君」

「なんだマッドサイエンティスト」

からかうように彼は答えた。

「その言い方はやめたまえ。それはそうと、君は意外と幼児的な部分があるね」

「昔から興味を持ったことはやってみたくなる性質(たち)なもんでね」

「そうなのか。まるで私のようだな」

興味深げにタキオンは答えた。

「流石に見ず知らずの人間をいきなり実験台に使用とするお前さん程、倫理観を投げ捨てることは出来ないがね」

「それは嫌味かい」

「まあそんなもんだ。とっととトレーニングの準備をしろ」

「はいはい、分かったよ-まったく、あまりこう、自分を探られるのは好きじゃないんだが」

タキオンは気が進まないような口調で答えた。

「どういう意味だ」

「時が来たら話すよ」

彼女はそう言って、トレーニングの準備をしに向かった。

 

「よろしいでしょうか、小島一尉」

小島とタキオンの会話が終わったのを見計らうように、遠藤が彼に話しかけた。

「構いません。なんでしょう、遠藤准空尉」

「走る際に自分が先頭になるのは別に構わないのですが、具体的にどのように走ればいいのでしょうか」

遠藤は答えた。彼を見た小島は、部下が半ば『助教』としての空気を纏ったようになっていることに気がつく。彼は、自分が幹部候補生学校の学生であったころを思い出しながらそれに答えた。

「そうですね-4分で1キロのペースでお願いします。ああ、新隊員教育(ブートキャンプ)みたいに大声を出しながら走る必要はありませんよ」

「随分とゆっくりですが、よろしいので」

「あなたがもっと早く走れることは勿論承知しています。ですが、今回の目的はあくまでデータの収集にあるので」

「その程度で十分、と」

「ええ」

グラウンドの方から、幼さが残るような声が聞こえてきたのはその時だった。

「トレーナーちゃん、遠藤さん、みんな準備できたよー、早くー」

まるで父親を急かす子供のようにマヤノトップガンが2人のことを見ている。その後ろでは4人が早くしてくれ、とでも言いたげな表情でこちらを向いていた。

「分かった分かった、今行くから待ってろマヤノ-行きましょうか、遠藤准空尉(さん)

「そうしましょう、小島一尉」

2人は苦笑しながら顔を見合わせると、まるで実の娘と孫娘を目の前にした父親と祖父のような表情を浮かべながら5人の下へと近づいて行った。

 

5人の下へ行き、2人で各自が身に付けている端末が正常に作動しているかを確かめると、スタンドでパソコンの画面とにらめっこしている3人に小島は合図を送る。少し間を置いて、了解のハンドサインが返ってきた。

それを確認した彼は隊列を整えることにした。遠藤を先頭に、ウマ娘5人が1列で並び、最後尾に小島がつく。それを確認すると、彼は先頭の遠藤に走り出すように指示を出した。それを受けた遠藤は分かりました、と返事をすると走り出した。5人のウマ娘もそれに続けて走り出し、最後尾の小島も続く。なお、小島と遠藤の2人はウマ娘の中で走る際の事故を防ぐため、迷彩服の上からオレンジ色のベストを着用していた。

 

小島は最後尾で走りながら全員の様子を確認しつつ、足元の感触を確かめる。草原の上を駆けているような感触が返ってきた。しかし人工的に作られたものである以上、どこか不自然さは否めない。

 

しかし、こいつらが赤を基調としたジャージや体操着を着ている理由がよく分かるな。彼は走りながら最後尾から5人の様子を観察していて思った。

こうして芝の中を走っていると、はっきり目立つから位置の把握や事故の予防に役立つ。俺たちの着ている迷彩服とは対照的だが、目立つことを目的としているウマ娘の練習着と、目立たず見つかりにくいようにすることを目的とする迷彩服では役割が異なるのだから仕方がない。

-結局、どのようなものが役に立つかと言うのは環境によって変化するのだ。ある環境では劣っているものが他の環境では優れているということは枚挙にいとまが無いし、特定の環境下においてのみ優れたものが全体としてみた場合に優れているとは限らない。だからこそ、多様性が重要になってくるのだ。そうすることでお互いの弱点を補完し合い、生物種や組織を存続させていくことが出来る。

例えば、ウマ娘は生物として見た場合『雌』しか存在しないが、人間と言う『雄』が存在する生物と交わることで種を存続させてきたし、文明が進歩した現代では機械や道具を用いれば人間でもウマ娘と同じような速度で走ることもできる。一般的にウマ娘の最高速度は60kmから70kmと言われるが、その速度を維持することが出来るのはせいぜい数分である。しかし自動車であれば彼女らの最高速度以上の巡航速度で、燃料の枯渇や機械の故障、運転者の体力といったファクターを考慮しない限り、無限に走り続けることが出来る。それらに代表されるように、人間を上回る身体能力を有するウマ娘とて完全無欠の生き物というわけではないのだ。

 

そんなことを考えながらふとあたりを見渡すと、あちこちから奇異の視線が飛んできていた。更にはこちらが走る横を複数のウマ娘が、皆こちらの方を向きながら驚きと憐憫が入り混じったような表情をしつつ、その身体能力を活かした速度で駆けていく。

無理もないか、小島は思った。そりゃまあ、あいつらからしてみればカタツムリと競争しているようなものだろうし、遅すぎて走るペースを乱されたり、事故が起こったらたまったもんじゃないだろうがね。

(だがな)

俺がそんなものを一々気にしているような人間だったらこんなところに来れちゃいなかったんだよなあ。彼はそう思いつつ、シニカルな笑みを浮かべながら走り続ける。先頭を行く遠藤を見ると、既に第3コーナーへと差し掛かっていた。

 

 

8分ほどかけて芝コースの一周を終えると、いったん休憩に入った。コースとスタンドを仕切る柵に設けられた出入り口からスタンドに入ると、5人にペットボトルに入ったスポーツドリンクを手渡し、小島と遠藤もそれぞれ手にして飲んだ。他の3人はパソコンの画面とにらめっこしながら収集されたデータの確認と解析を行っている。

 

「皆さんのペースに合わせて走るのは難しいですね」

小島がスタンドのベンチに腰掛けてスポーツドリンクを飲んでいると、不意にグラスワンダーが話しかけてきた。

「そりゃ、君たちの3分の1くらいの速さでしか走れないからな」

軽口をたたくように彼は答えた。

「でもそれくらいの速さで走ってみて、なんとなく分かったことがあります」

「何が分かった」

小島のその言葉に、グラスワンダーはまるで広大な草原を見るように答えた。

「皆さんのような普通の人間が走るとき、世界はこのように見えているものなのだと」

「一つ賢くなったな、グラスワンダー」

正答を導き出した学生を褒める教師のように小島は答えた。

「どういうことでしょうか」首をかしげながら彼女はそれに応じた。「それと私のことは、グラスと呼んでくださって結構ですよ。いちいちフルネームでは呼びにくいでしょうから」

「ありがとう。それじゃあグラス、君の疑問に対する答えを言おう」

彼は一呼吸置くと、研究発表を行うかのような口調で口を開いた。

「いつもと変わらないような物事であっても、異なる視点から見ることで新しく見えてくるものはあるってことさ」

「異なる視点からみること、ですか」

「そのとおりだよ。まあ、頭の片隅にでもひっかけておいてくれ」

小島はそう答えると、スポーツドリンクを一口飲み込み、立ち上がって口を開いた。

「さあ、次は君たちだけで走る番だ。好きなように走って鬱憤を晴らしたまえ」

 

その後、ダートコースとウッドチップコース、更には坂路で同じことを繰り返して一連のトレーニングは終了した。途中に休憩を挟みながらとは言え、それなりに強度の高い運動を終えた5人(と小島)とも額には汗がにじみ、息も軽くだが上がっている。そんな中、汗一つかかず息も乱れていない遠藤が口を開いた。

「よろしいでしょうか、小島一尉」

「何でしょう、遠藤准空尉」

「どうも走り足りないので、芝のコースをあと何周か走ってきてもよろしいでしょうか」

それを聞いた瞬間、5人のウマ娘の目が点になる。全て合計して7km近く、その5分の1は坂道と言う、普段から鍛えている競争ウマ娘でも息が軽く上がるようなコースを走っておきながら平然としていて、それでもなお走り足りないとはどういうことだ-そんな反応を示す彼女たちをよそに、小島はまるで台詞を用意していたかのように平然と答えた。

「大丈夫ですよ」

「ありがとうございます」

「他に走っているウマ娘もいますから、気を付けてくださいね。後のことはこっちでやっておきますから、走るのが終わったら分屯基地(オフィス)に戻ってきてください」

「分かりました」

そう言うと遠藤はグラウンドの芝コースに入り、そのまま走り始めた。それを見たカフェが小島に聞いてくる。

 

「いったい遠藤さんは何者なんですか。あれだけ走って息も切らさず汗もかかずに平然としているし-それに人間でありながらタキオンさんを平気で抑え込んで見せるなんて、どう考えてもただの人間とは思えません」

カフェのその話を聞いた瞬間、彼女とタキオン以外の3人は内心で仰天していた。生身の人間が、ウマ娘を平気で取り押さえることが出来るなど、彼女たちからすれば天地が逆転したようなものであるからだ。

「それに関しては」タキオンが答えた。「私からも説明を要求するよ。何しろ、彼の-遠藤さんといったか-俄かには信じがたい身体能力を、身をもって体験させられたからねぇ」

2人のその言葉に小島はさもありなんといった表情を浮かべると、彼女たちの方に向き直り、まるで講義でも始めるかのような態度で口を開いた。

「いいだろう。あの人について色々と教えてやろうじゃないか」

 

「あの人はもともと、救難隊で救難員をしていてな。ああ、救難員っていうのは海や山で事故が起こった時、遭難者を直接救助することを任務にしている人たちさ-分かるかな」

「なんとなく想像はつきますね」

「分かるのか」

「登山を趣味にしてますので」

その言葉を聞いた小島は思った。へえ、この学園にいる連中ってただの駆けっこ莫迦ばかりじゃないんだな。だがまあ一つの例だけを見て、あたかも全てがそうであるかのような気になるのはやめておこう。こういうことはもっと情報を集めた上で判断しなければ。

そのような思いを巡らせた彼は、まるで同好の士を見つけたような態度でカフェの言葉に応じた。

「奇遇だな、俺もだ」

「小島さんも登山をされるのですか」

「色々持ってる趣味の一つでね。一応、単独で雪山を縦走するくらいは出来るぞ」

「すごいですね」彼女は感嘆するような口調で答えた。「私はまだそこまでは出来ません」

「焦る必要はないさ」弟子に教えを解く師匠のように彼は応じた。「人生は長いんだ。ゆっくりとやればいい-話を戻していいか」

「ええ」

カフェは答えた。小島は話を続けた。

 

「-俺たちの救難隊の実力は折り紙付きでな。どれくらいかと言うと、消防や警察、更には海上保安庁の救難隊でも対処が困難な事態が起きた時、最後の砦として出動するんだ。あの人はそんな組織で、長いこと現場の第一線で活躍してきた人だよ。今までに何十人何百人と、遭難者を自分の手で救出してきた」

「確かにそれは凄いことですが」

2人の話を聞いていたグラスワンダーが、割って入るように口を開いた。小島は気にせずにそれを聞く。

「遠藤さんの場合、それだけでは無いように思えます」

「言ってみろグラス」

「私は薙刀や居合と言った武道のたしなみもあるのですが、あの方からはどこか、それらの達人、と言う領域を遥かに超えた、まるで全身そのものが武器であるかのようなものを感じるのです」

畏敬の念を込めたように彼女は語った。その言葉に、我が意を得たりといった風に小島は答えた。

「見事だグラス」

その言葉を聞いた彼女はきょとんとしたような表情を浮かべると、まるで不思議な出来事でも語るように応じた。

「今の言葉のどこに褒められるような部分があるのか分かりませんが」

「君はあの人の本質を的確に要約して見せたのさ。今からそれについて話してやる」

 

「俺たち自衛隊の救難隊には平時の遭難者救助とは別に、戦闘捜索救難と言う任務があるんだ-意味は分かるかな」

聖職者が平信徒に説法をするような口調で小島は言った。

「大まかな想像はつきますが、具体的にはあまり」

「いざ戦いが起こった時に、撃墜された味方の飛行機の乗組員や沈められた艦の乗員を救助しに行くのさ-実際に戦闘が行われている中な。だから、時には敵の抵抗を実力で排除しながら味方を助け出す必要がある。あの人はそのために必要な訓練-言ってしまえば上手に敵を倒す(殺す)ために必要な、生半可なものではない訓練を受けていのさ」

「生半可なものではない、とは」

「あの人の左胸に小さい長方形のワッペンが4つ着いてるだろ。あれこそ、あの人が精鋭中の精鋭たる証だ」

軽く羨むような口調で小島は答えた。

「確かにそのような物がついていたのを見ましたが、何を意味するかまでは」

わからない、そう言いたげに彼女は答えた。

「無理もない、基本的に君たちは駆けっこ一辺倒だからな。だが、それらにまつわることがこの話のメインテーマだ」

彼はそう言うと、まるで神話上の英雄を褒め称えるような口調で言葉を紡いだ。

「レンジャーに冬季遊撃戦課程(とうせんきょう)、空挺レンジャーに海自の潜水員(スキューバ)課程-あの人はそれらの、本職の人間ですら1つクリアするだけで褒め称えられるような、過酷極まりない課程を4つもクリアした猛者だよ」

 

それを聞いても彼女は腑に落ちない表情をしていた。無理もない。自衛隊の人間であれば小島の話を聞いただけで大半は遠藤の凄まじさを理解できるのだが、それらとは無縁のレースの世界で生きている彼女にとって、彼が凄い人間であることは理解できるものの、それがどれほどのものであるのかについて、知らないことばかりで想像がつかなかったためだ。

「具体的にどれほどすごいのでしょうか」

「一言でいうなら、君たちが普段やっているトレーニングが幼稚園のお遊戯会以下に見えるレベルだな-控えめに言っても常軌を逸しているとしか言いようがない。飲まず食わず眠らずで重い荷物を担いで3日3晩山道を歩きとおすなんて序の口だ」

超自然的な物を崇めるような声で小島は答えた。それに対して、詳しいことは分からないが大まかには分かったといった風にグラスが答えた。

「あの方が凄い人だということだけは理解出来ました」

「君たちならそれくらいの理解で十分だよ。それと言い忘れていたが、あの人は救急救命士の資格も持っているから、ちょっとした医者並みの医療行為なら平気でこなすぞ。君たちが怪我をしても大丈夫、という訳さ」

「なぜそんなものまで持っているのですか」

「本職の仕事柄必要だからさ。パラメディック(救難員)と言うくらいだからな-どうだ、遠藤さんを見る目が変わってきただろ」

「ええ、本当に」グラスは感嘆するように答えた。「でもやはりぱっと見は、ただの優しそうなおじさんにしか見えませんが」

「そうだろう。だからこそ、他人を第一印象だけで判断するのはやめておいた方がいい。第一印象ほど当てにならないものはないからな」

「肝に銘じておきます」

 

「さてと」

小島はトレーニングを終えて一息ついている5人の方を向き、舞台の閉幕を告げる役者のような口調で口を開いた。彼自身も5人と同じように汗をかいている。

「今日やるべきことは全て終わったから、今日のトレーニングはこれで終了だ。結果についてはどんなに遅くとも明々後日(しあさって)までには伝えるから、後は遊ぶなり自主練するなり好きにしろ。但し、今からいうことは絶対に守れ」

彼はそこで一呼吸置く。頬をつたう汗を拭い、再び話し始めた。

「1つ目は必ず、最低でも8時間の睡眠時間を確保すること。2つ目は朝練を行わないこと。3つ目はきちんと風呂に入って体を清潔に保ち、栄養バランスのとれた食事を取ること。繰り返しになるが、この3つは絶対に守れ」

「理由は」

端末を腕から外し、回収に来た有沙に渡しながらタキオンが答えた。

「成長期に睡眠時間を削るのは百害あって一利なし。朝練は睡眠時間を削るのもそうだが、怪我や心臓血管障害のリスクを高めるから禁止。体を清潔にしてバランスのとれた食事をするのは健康を維持するのに必要不可欠だ-言いたいことがあるなら聞くぞ」

自衛官らしさを感じさせない、穏やかで論理的な声で小島は答えた。

「なら私は帰らせてもらおう。何分実験があるのでね」

「マヤも帰るね、ユキっぺと遊びに行くから」

タキオンとマヤはそう言って足早にグラウンドを去った。一方でカフェ、ライス、グラスの3人はとどまることを選択した。

「私は、もう少し練習していこうと思います」

「ラ、ライスも、もっと頑張りたいから、あと少し走るね」

「私も、少々物足りないので練習をしていこうかと」

「分かった。それじゃあ俺たちはこのままオフィスに戻るから、お前さんたちも適当に切り上げろよ」

機器などを片付けながら撤収の準備をする女性幹部自衛官3人を横目に見ながら彼は答えた。

 

トレーニングを終えて分屯基地へ戻った5人(遠藤はランニングを終えてから戻ったため、4人よりやや遅れて帰還)は、取得したデータをもとに各人の適性距離や練習メニューについて話し合うことにした。全員がノートパソコン片手にミーティングスペースに集まっている。

「それで、分析結果は」

「適性距離に関していえば」有沙が答えた。「かなり偏っているわね。全員、適性距離が中距離から長距離に偏っているわ」

「5人を個別に見た場合はどんな感じだ」

「あんたが担当してるタキオンちゃんとカフェちゃんは、前者が『長距離も走れる』中距離走者で、後者が『中距離も走れる』長距離走者ね。この2人についてはまあ、中距離-つまるところ2千メートル以上のレースなら大抵は行けると思って問題ないわ。マヤちゃんに関しても両方行けるしね。グラスちゃんはマイルから2500メートル。それ以上の距離でもいけないことは無いけど、適性そのものについては疑問があるわ。ここまではいいのよ。問題なのはあたしが担当してる-」

「ライスシャワーだな」

小島は答えた。

「ええ、彼女は完全な長距離走者よ。何しろ適性距離が3千メートル以上って出たんですもの。たく、長距離レースなんてスピード偏重の近年じゃあ地位の低下が著しいってのに」

頭を掻きながら苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた有沙は、まるで世の中の全てを呪うかのような声で答えた。この仕事を行うにあたり、レースについての一通りの知識は皆頭に入れている。

「それでもお前さんのことだ、適性距離以外のレースに彼女を-ライスシャワーを出すつもりはないんだろ」

彼女のことを内面も身体も、文字通り『隅々まで』知り尽くした男は答えた。

「ええ。仮に彼女がクラシックに出たとしたら、私は菊花賞一つに狙いを絞るわ。それ以外-皐月賞もダービーも、ライスちゃんには短すぎるもの」

「随分と思い切ったわね、有沙」土井美咲が答えた。

「あたりまえでしょう」何を言いたげに、とでも言ったような態度で有沙は応じた。「土のない所に種をまいても咲くわけが無いわ。花を綺麗に咲かせるには、それぞれの種類に合う場所に種をまかないと。置かれた場所で咲けなんて無茶苦茶もいいところよ」

「あんたらしいわね」広瀬彩香が答えた。「防大の頃も、そんな感じで教官に突っかかってたのを思い出したわ」

「そのおかげで授業態度が悪いと評価されて、学業成績が入学から卒業まで常にトップだったのに首席の座を逃したけど」

その時、耳だけで細君の話を聞いていた小島がノートパソコンの画面に目をやりながら無機質に答えた。

「ノスタルジーに浸るのは年食った証拠だな」

「同い年の癖に何言ってんの」

「お前の方が4か月早く生まれてるだろ。実質姉さん女房みたいなもんだ」

「仕事中にプライベートの話を持ち出すのはやめておいた方がいいと思うけど」

「この程度、問題ないだろ。仕事中にこれくらいの軽口もたたけないようじゃ、円滑なコミュニケーションが取れなくて、俺たちの仕事じゃ文字通り命取りになりかねんぞ」

屁理屈をこねるように小島は答えた。その時、割って入るように遠藤が口を開いた。

 

「失礼ながら、意見具申してもよろしいでしょうか」

「構いませんよ-何でしょうか、遠藤准空尉」

「何かしら、遠藤准空尉」

息が合ったように2人は答えた。

「とりあえずお二方とも、言い合いはその辺りにしておかれては。このままでは本題の方が進みませんよ。夫婦喧嘩は仕事が終わった後でごゆっくりなされてはいかがでしょう」

好々爺然とした表情と口調で遠藤は応じた。それを聞いた2人は間の抜けたような表情を一瞬浮かべると、切り替えるように口を開いた。

「そうさせて頂きます-本題に戻るぞ」

「そうしましょう。あともう一つあんたに言いたいこともあるし」

「なんだ」

「タキオンちゃんのことよ」

有沙は不可知論者のような声で答えた。

「あのマッドサイエンティストがどうかしたのか」

「あの子、足に問題を抱えているんじゃないかしら」

「どういうことだ」

軽く疑問を浮かべながら小島は答えた。

「ちょっとこれを見てみて」

それを聞いた彼女はそう言って、タキオンの走行を再現した三次元モデルを彼に見せた。それを見ると彼女の言う通り、僅かながらも右足をかばうような走りをしていることが分かる。

「彼女の走りを再現してみてわかったんだけど、あの子、常に右足をかばうような走りをしているわ。コンピューターも、彼女の右足に何らかの問題がある可能性を指摘しているし」

「実際に見た感じでは、走行フォームに問題があるようには思えなかったが」

グラウンドで実際に走った時の様子を思い出しながら小島は答えた。

「でしょうね。ほんの僅かだからこう言うふうに機械で解析しなきゃ、気づかなかったと思うわ」

「-思い出した。そういえば、トレーニングの前にあまり自分のことを探られるのは好きじゃないみたいなことを言ってたな」

「気になって調べてみたんだけど」有沙は答えた。「彼女の親戚や母親も足を悪くして現役を引退しているそうよ」

 

その話を聞いた瞬間、彼はタキオンとの初対面の際に起こった出来事を思い出し-脳裏で何かがつながった。もし彼女があのような怪しげな実験を繰り返していることと、足に何かの問題を抱えていることが関係しているとしたら-

(問いただしてみる必要があるな)

彼はその決意を固め、口を開いた。

「今度あいつに聞いてみることにするよ」

「そうして頂戴。後はデビューのことなんだけど」

「5人とも行けるのか」

「行ける行けない、というレベルの話なら全員行けるわ。だけど-」

有沙はそこでいったん言葉を切り、美咲と彩香に同意を求めるように視線を向けた。2人は軽く肯く。それを見た彼女は再び口を開いた。

「色々な要素を考慮した上で考えると、今年中にデビューできるのはタキオンちゃんとカフェちゃんだけね」

その言葉を聞いた小島は彼が疑問を浮かべているとき特有の表情-軽く目を細め、視線をやや下に向ける-を浮かべた。自身の顎に軽く手をやり、口を開く。

「理由を教えてくれ」

「現時点で精神と肉体の成熟がレースに耐えうるレベルに達しているのがその2人だけだからよ」

統計の矛盾を見いだしたような声で彼女は答えた。

「収集したデータと、あの2人についてのあんたと遠藤准空尉からの話や、実際に本人の話を聞いてそう判断したわ」

「そうか」

小島は言った。詳細については聞かない。データはともかくとして、あの2人が年齢不相応に大人びているのは彼も実際に感じていたからだ。

「他の3人についてはどうなんだ。3人を今年中にデビューさせられないと判断した根拠は」

「データや話を見る限り」有沙は答えた。「ライスちゃんは精神面が、マヤちゃんは体の成長がレースに耐え得るほど成熟していないし、グラスちゃんはその、闘争心が強すぎてそれをコントロールできているとは言い難いわ。だから3人とも、その辺りをどうにかするのに時間をかけたあとでデビューさせた方が、長い目で見たら本人のためになると思うの」

 

そのような有沙の発言は仮に他のトレーナーが聞いていた場合、トレーナーとしての常識を疑われかねないような内容だった。なぜならばデビューを遅らせるという彼女の方針は、競争ウマ娘の主流からかけ離れたものであるからだ。これには理由がある。

競争ウマ娘にとって、理由は不明であるものの最高の栄誉(とされているの)はデビュー翌年のレース-所謂クラシック競争で活躍し結果を残すことである。そのため、競争ウマ娘にはデビュー後早い時期から高いパフォーマンスを発揮できる力-早熟性が求められる。更には本格化を迎えたウマ娘が高いパフォーマンスを維持できる期間が、個人差はあるにせよ限られているということもあって、本格化を迎えたウマ娘は早いうちからレースに出走させることが定石となっていた。そのような観点から見れば、彼女が示した方針は真逆のものであるためだ。

 

(理屈は分かった)

小島は思った。だが、有沙の話だけで全てを決めるのは早すぎる。彼女以外の2人の話も聞いてみなければ。彼はそう考えると、彼から見て左側に横並びに座る土井と広瀬の方を向いて口を開いた。

「土井一尉、広瀬一尉、お前さんたちはそれでいいのか」

「3人で話し合って決めたことよ」

土井美咲が答えた。

「データ取ってる最中には薄々考えてたわ」

広瀬彩香も答えた。

「大体あんた言ったじゃないの。俺の目的はお前たちを大過なく無事に現役生活を終えさせてやることであってレースに勝たせることじゃないって」

森宮有沙が最後にそう答え、話を続けた。

「それに、デビューする時期と実年齢は関係ないじゃない。この学園でいえば、中等部と高等部のウマ娘が同じ時期にデビューするのはよくあることでしょ」

 

彼女の言葉の通りであった。ウマ娘がレースにデビューするのは基本的に本格化を迎えた後であるが、本格化する年齢には個人差がある。人間に例えると中学に入学する前の年齢から本格化する者もあれば、高校卒業間際になってようやく本格化を迎える者もいる。同じ時期にデビューしたウマ娘であっても実年齢がまちまちなのはそのためだ。

 

「一つ聞いておきたいことがある」

問いかけるように小島は答えた。

「何かしら」

「デビューを遅らせる3人にそれを納得させられるのか。少しでも早くデビューしたがってる3人に、君たちはこういう点が未熟だからデビューを遅らせた方がいいと」

「やってみせるわよ」強い意志を込めた言葉で有沙は語った。「あたしの幼馴染みたいなことにはなってほしくないもの」

 

その言葉を聞いた小島は考えこんだ。今言った3人は素質だけを見れば、素人目に見てもそれなりの-特にグラスに至っては学園最強のチームから目をかけられるほどの-ものを持っている。だが基本的に、彼女たちはまだ少女と言ってよい年齢なのだ。精神的にも肉体的にもまだ未熟なところがある。それらを自覚せず、様々な無理を重ねてしまえば残りの人生全てを棒に振る結果に終わりかねない。その辺りと今の話の双方を混ぜて考えると、今あげた3人はレースへ出走するために重要になってくる、自己を律する精神そして肉体-この2つのバランスが取れているとは言い難い。それらを踏まえて考えると、現時点で精神・肉体の双方ともに十分レースに耐えうるレベルにあるのは、自分が担当する2人だけ。そういうことになる。

それに何より、ここまで腹をくくった有沙の意志を曲げさせるのは竹槍でF-35戦闘機を撃墜するより至難の業であることを彼はよく理解していた。

 

(仕方ねえなあ)

小島は思った。どうせ最低4年はここにいることになるんだ。少しばかりデビューが伸びたところで、気にすることは無い。彼は決断を下し、口を開いた。

「分かった。今年中にデビューさせるのはアグネスタキオンとマンハッタンカフェ、この2名のみとする。森宮一尉は土井一尉、広瀬一尉の両名と共に今回習得したデータと今の話を元にして、デビューさせる2人についてはデビュー戦までの練習メニューを、デビューを遅らせる3人(ライス・マヤノ・グラス)についてはそれぞれの、デビューを遅らせる理由となっている部分を成長させるために必要な練習メニューを組んでくれ」

「基本方針は分かったけど」

分遣隊の実質的な参謀長と言っていい有沙は再び口を開いた。口調にはどこか満足気なものが含まれている。

「現時点での練習メニューの作成には反対ね。むしろ今回の分析と話し合いの結果を見せて、本人とよく話し合ったうえで双方が納得した後にメニューを作成した方がいいと思うわ」

その言葉を聞いた小島は軽く考え込む。自分の中で軽く思考をまとめ、口を開いた。

「分かった。じゃあそうしよう。次回の練習の際に今回の結果を伝えて、本人と話し合った後で、改めてメニューを作成することとする-この方針でいいか」

「ええ。それじゃあ結論も出たことだし、お開きにしない?」

促すような有沙の言葉に小島は軽く肯く。議会の解散を宣言するように彼は言った。

「それでは、本日の業務はここまでとする。仕事も終わったことだしみんなさっさと帰れよ」

 

そして翌日、午後の練習時間になると4人は早速それぞれが担当するウマ娘のところへ赴き、昨日の分析結果とそれを元に導き出された適性距離、デビューの時期について伝えた。デビューを遅らせることを決めた3人に、それぞれのトレーナーがその旨を伝えると、当然と言うべきか決して前向きには受け入れ難そうな反応が返ってきた。しかしその理由をそれぞれに丁寧な言葉で伝えると、100%とはいかないまでもどうにか納得したような反応が返ってきた。

 

だが、小島がタキオンとカフェにそれらを伝えた際にはちょっとした騒動が(おもにタキオンとの間で)巻き起こった。理由は簡単である。小島がタキオンの脚部について抱いた不安を彼女に、まるで凄まじい末脚でも繰り出すかの如くぶつけたからであった。

 

「今、何と言ったんだい」

言葉の真意を測りかねるような表情と声でタキオンは応じた。それに小島は暗器を放つように答えた。

「分からなければもう一度言おう。お前さん、俺たちに隠していることがあるだろう-主に右足のことで」

それを聞いたタキオンは一瞬何かを見抜かれたような反応を示すと、表情をすぐ元に戻し、まるで何事もなかったかのように答えた。

「何のことだい」

「とぼけるな」

大きくはないがはっきりとした、鋭く突きさすような声で小島は答えた。ぎくりとした反応を示したタキオンに、彼はさらに追い打ちをかける。

「お前さんの走行フォームを解析したら、僅かだが右足をかばうような走りをしていた。肉眼はごまかせても機械の目はごまかせんぞ」

それを聞いても彼女はなおあれこれと口を動かし、自分の足のことをごまかそうと試みた。しかし、その企みは小島によってとどめを刺される結果となった。

「これを見てもまだそんなことが言えるのか」

そう言って自身が持つ端末の画面を彼女に見せる。そこには画面上で3次元的に再現された彼女の走行フォームの解析結果が映し出されていた。素人目に見ても、彼女が右足をかばうように走る姿がはっきりと分かる。更に、画面上には無機質な文字で『右脚部に何らかの不安を抱えている可能性が極めて高い』と言う主旨の文章が、再現された彼女の右足とを結ぶ直線を介して表示されていた。

それを見たタキオンは全てを悟ったかのような表情を浮かべ、彼女と同じように画面を見ていたカフェは目を開き、息をのんでいた。

「自分の体のことについては隠し事をするなと最初に行ったはずだが、タキオン、お前さんの脳味噌は一体どうなっているんだ。まさか一部を除いてすべて欠損しているとでも言うのか」

全てお見通し、とでも言うふうに小島は答えた。タキオンはしばしの沈黙の後、自身の後頭部に右手をやるとそこを軽く撫でながら、トリックを暴かれた真犯人のように答えた。

「参ったねえ。だから機械で自分の走りを解析されるのは好きじゃなかったんだよ」

その言葉に小島は、やっと白状したかとでも言いたげな表情を浮かべ、無言のまま彼女の話を聞き続けた。

「時が来るまで黙っておくつもりだったが-ここまで明らかにされてしまった以上、どうやらこれ以上は無意味のようだ」

タキオンの言葉には安堵と諦観が入り混じっていた。それを聞いた小島は捕虜から情報を聞き出すような口調で答えた。

「お前さんの足に関することは俺に全て話せ。無論、委細隠し事なくだ」

それを聞いたタキオンは、まるで自白するかのように言葉を紡ぎ出し始めた。

 

「この脚は天性のスピードと同時に脆さも兼ね備えていてね-いうなれば、私の体はエンジンばかりが立派で胴体が貧弱な飛行機のようなものなのだよ。まあ有体に言ってしまえば、私の足はいつ走れなくなってもおかしくないような状態という訳なのさ」

「怪しげな研究や実験を繰り返していたのもそれを補うためか」

「ああ。だからこそ|自分の足を補強してその上で限界にたどり着くプラン《プランA》と、|私の代わりに他者を使って限界にたどり着くプラン《プランB》、を予め用意していた。前者が上手くいかなかった-つまり私の足が限界を迎えてしまった場合、カフェを使って限界に挑むつもりだった」

それを聞いて予想外の相手から告白を受けたような態度を露わにした小島は、カフェの方を向いて問いかけた。

「お前さんはそのことを知っていたのか、カフェ」

「以前から-タキオンさんの研究に協力し始めたころから薄々と感じてはいました。確信に変わったのは今の話を聞いてからです」

彼女は答えた。

「研究に協力していた、と言うのはどういうことだ」

「彼女の研究内容が、『ウマ娘のその先を探る』というものであることを聞いた時、私は『お友達』に追いつくためにそれを利用できると感じました。ですから、タキオンさんに協力を申し出たのです」

「つまりは利害の一致という訳か」

「そういうことになります」

それを聞いた小島は軽くため息をついたあとで自分の役割を思い出し、表情を元に戻すとタキオンに問いかけた。

「足に不安がある、と言ったな。具体的にはどこだ」

彼は細いがはっきりとした目で、鋭い視線をタキオンに投げかける。彼女はそれに対して、もうどうにでもなれといった風に応じた。

「屈腱-君たち人間でいえばアキレス腱にあたる部分さ。そこを悪くしたら最後、日常生活はどうにかなってもレースへ出走する道はほぼ断たれると言っていい。ちなみに言わせてもらうと、その部位(屈腱)だけに限った話ではないが、私の一族には足を悪くして現役を引退したのが多くてねぇ。かく言う私の母もそれで引退している」

君の姉(アグネスフライト)はまだ現役でいるようだが」

「ダービー以降の成績はぱっとしていないよ。ちなみに、外見は髪飾りと前髪の一部を除いて、私と瓜二つだ。ああ、シャカール君とは仲良くさせてもらっているらしい」

投げ槍(ジャベリン)を放つように彼女は答えた。

 

その言葉を聞いた時、ふと彼はトレーナーをやるにあたって色々とウマ娘について勉強したことを思い出していた。確か屈腱炎になりやすいタイプのウマ娘というのは所謂-そこまで思い出して彼ははっとした。その特徴は、もう1人にも当てはまるじゃないか。

彼は次の瞬間、肉食獣が獲物を捕らえるかのような動作でマンハッタンカフェの方に目をやる。いきなり視線を向けられた彼女は困惑していた。

「あ、あの、何でしょうか」

「聞いてほしいことがある」小島は据わった目をしながら答えた。「俺が勉強したところによれば、屈腱を悪くしやすいのは確か、ステイヤー(長距離)タイプのウマ娘に多いということだが、それを当てはめると-」

そこまで言って、小島は無言でカフェの方を見つめた。彼女も先ほどの彼の言葉から何かを感じ取ったらしく、覚悟を決めたような表情で彼を見る。

「カフェ」

「はい」

「さっき見せたとおり、お前さんの適性距離は中距離から長距離-そしてどちらかと言えば長距離タイプだ。つまり-」

「私も屈腱を悪くするリスクが高い。そういうことですか」

「そのとおり。そして俺は最初に言ったとおり、お前さんたちを二度と走ることの出来ない体にするつもりはない」

それを聞いた2人は僅かながらも希望を取り戻したような表情を浮かべた。そして彼が次に言い放った言葉が、(後世の視点から見れば)彼女たちのその後を決定づけることになった。

 

「屈腱を悪くする-もっとストレートに言ってしまえば、屈腱炎を発症する原因として主に考えられているのは、走行時に大きな負荷がかかって腱が過剰に伸展してしまうことだ。ならば、そのリスクを取り除いてしまえばいい」

「具体的にはどうするんだい」

タキオンは学生の研究発表を聞く教授のように尋ねた。

「2人の練習メニューはあまり脚部に負担をかけないような方法をメインにして、実際に走るトレーニングは必要最小限に止める。そして-自主トレーニングは基本的に禁止する。今の話を聞いていればその理由は分かるだろう」

「脚部への負担を最小限に止めるため、か」

「そうだ。そして狸の皮算用的ですまないが-デビュー後はレースの出走感覚も出来るだけ開ける。理由は同じだ」

「いやはや、ありがとう。それで、具体的な練習メニューはどうするつもりだい」

「残念ながらまだ完成していない。お前さんたちの話を聞いた上で作成することにしていたからな」

「それは残念だ。どのようなものが出てくるか楽しみで、早速獲得した権利(練習メニューへの口出し権)を行使しようと思っていたのだがねぇ」

悪戯をたくらむ小学生のような声でタキオンは答えた。

「今日明日で出来るような代物じゃないぞ。完成の見通しが立ったら言うから、それまで気長に待て。ああ、その間の自主練は勿論禁止させてもらう」

「それは素晴らしい。期間限定とはいえ、後顧の憂い無く研究に打ち込む事が出来るというものだ」タキオンは答えた。「早いところ完成させて、私とカフェに見せてくれ給えよ。遠慮なく口を出させてもらおうじゃないか」

「よろしくお願いします」

カフェも答えた。

「あいよ」

主にタキオンに対して全くこいつは、という思いを抱きながら、ぶっきらぼうに小島は応じた。

 

「というわけで、3人には早速全員分の練習メニュー作成に取り掛かってもらおう」

分屯基地に戻った小島は3人の女性幹部を呼びつけ、各人が担当するウマ娘との話し合いの内容をまとめさせた後でそう命じた。

「話し合った内容を練習メニューに反映するのは分かったけど、作成するにあたっては大まかな方針を示してほしいわね。そうしないと作りようがないわ」

有沙が答えた。小島は少しの間考え込み、口を開く。

「期間はとりあえずそれぞれのデビュー戦まで、5人それぞれの事情を反映させた上で作成しろ。練習時間は一日4時間以内、完全休息日を週に3日は確保すること。その上で不測の事態が起こってもリカバーできるよう、余裕を持った計画を立ててくれ。この3点以外については全てお前さんたちに一任する」

小島は簡潔明瞭に応じた。

「自主練についてはどうすればいいのかしら」

土井美咲が答えた。彼女は自分が担当するウマ娘(マヤノトップガン)に先日の結論を話した際、軽く頬を膨らませたマヤノをなだめるのにエネルギーを費やしたため、ぶっきらぼうな態度になっている。

「基本的に朝も夜も禁止だ。やたらと練習をしたところで結果に結びつくわけじゃないからな。ただし-」

「ただし?」

「それぞれのトレーナーが許可した場合にのみ、1日1時間以内、週に3時間までならよしとする」

「その根拠は」

「学業と遊びと練習を全て並立させるためにはそれが限界だ」

「「「はあ?」」」

3人は間の抜けたような口調で一斉に答えた。彼女たちを代表して有沙が小島に問いかける。

「学業と練習の両立までは分かるんだけど、遊びってどういうこと」

「本人たちの視野を広げさせるためだ」

断言するように小島は答えた。

「彼女らは基本的にレースの世界で生きている。だがそれしか知らないというのは、将来を考えた場合望ましいものじゃない。レースしか知らない奴が、自分の意志とは無関係なことが原因でいきなり外の世界に放り出されたとき、どのような憂き目を見たかについては森宮一尉、お前さんが良く知っていると思うが」

それを聞いた彼女は何かを思い出しながらしばらく黙りこくると、やがてため息をつきながら口を開いた。

「-ええ、そうね。そういうことなら理解できるわ」

「何よりだ」

 

「練習計画については」続けて小島は答えた。「クラウドを使って5人分を全員で共有し、だれが欠けても-最悪ここにいる4人全員が欠けても練習に支障が無いようにしておけ」

「遠藤准空尉でも回せるようにするってわけね」

広瀬彩香が答えた。彼女からは喫煙者特有の香りが漂っている。

「誰かが欠けたくらいで支障が出るようなシステムを作らないことが俺の仕事だからな。システムさえしっかりしていれば、誰がやっても-それこそ天地がひっくり返るレベルの莫迦がやろうが神様がやろうが-同じように結果を出すことが出来る。個人の素質に頼ったシステムを作るのは愚か者のすることだ」

「相変わらず容赦ないわね、あんた」

再び有沙が答えた。

「そのおかげで」小島は答えた。「考課表の内容がすごいことになったという自覚はあるがな。まあ出世についてはあまり考えてないし、その辺りは気にしないさ」

「それでいいと思うわよ。あたしだって一応防大は次席で出てるけど、偉くなりたいなんてこれっぽっちも考えてないもの」

「まあ、お前さんなら自衛隊以外でも十分やっていけるだろ-それで、練習計画はどれくらいで出来そうだ。ああ、時間外労働なんて一切しなくていいからそのつもりで答えてくれ」

「3日-って言いたいところだけど、余裕を見て4日頂戴。それだけもらえれば作って見せるわ」

今の森宮有沙の言葉を他のトレーナーが聞いたら自分の耳を疑ったであろう。いくら3人いるとはいえ、素人同然のトレーナーが5人分の、デビュー戦までの練習計画を4日で作り上げるというのは常識から考えれば無茶もいいところであったからだ。

だが、その考えは平均的な頭脳の持ち主にのみ当てはまるものであった。そして、森宮有沙は傍から見れば常軌を逸していると言ってよいレベルの、高度な頭脳の持ち主であった。

「ずいぶん強気に出たな。大丈夫なのか」

「あたしを誰だと思ってんのよ」彼女は自分の豊かな胸を張りながら答えた。「あたしは、天才なんだから」

 

そして4日後の午後、有沙を含めた3人は練習量そのものは少ないながらも、ベテラントレーナーから見ても完璧と言っていいほどの出来栄えを持った練習計画を完成させて小島に提出した。

5人分全てを一通り見た彼は笑みを浮かべながら、「大変よろしい」とだけ答えると業務用タブレット端末にインストールされたメッセンジャーアプリを用いて、チームに属する5人のウマ娘に分屯基地に来るようメッセージを送信した。

 

-30分後、分屯基地のミーティング兼休憩スペースへと集まった5人に、デビュー戦までの練習計画が、それをデータの形で収めたタブレット端末と共に手渡された。各人は画面の上で指を動かし、それを眺めるように読んでいく。全員が一通り自分の練習計画を読み終えたところで小島は口を開いた。

「練習計画について、言いたいことがあるなら好きに言え」

「端的に言わせて頂けば」軽い不安を浮かべた顔でグラスが答えた。「練習量がやや物足りないように思えます」

見ると、ライスとカフェも彼女と同じような表情を浮かべている。練習量の少なさにどこか不安を抱いていることが見て取れた。一方でマヤノはいつも通り1回読んだだけで全てを理解してしまったらしく、椅子に座りながらつまらなそうに足をぶらぶらさせている。

 

(練習量イコール結果と考えるのなら、彼女たちの不安は分からないでもないがね)

その様子を見た小島はそう思いながら、心の中で言葉を発し続ける。

-無暗に練習量を増やしたところで結果につながるわけではない。むしろ故障のリスクを高めることに繋がるし、なにより彼女たちに求められるのは練習量ではなく結果である。一人一人に合ったやり方で質が高く効率的な練習を行えば、練習の時間そのものは短くても結果を出すことは十分に可能だ。それならば練習量を少なくしてその分を別なことに費やしてほしい。彼はそう思い、考えたからこそ、傍から見れば物足りなさを感じるほど練習時間を少なくしたのであった。

この辺りには基本的に怠け者であり、いかに楽をして結果を得るかを常に考えている小島と、練習量イコール結果と捉えがちな彼女たちとの思考の相違が見て取れる。だが、彼が練習時間を短くしたのにはそれと別に、決して表に出すことの出来ない別の理由もあった。

 

「グラス君にはそう見えるのか」

練習計画を眺めていたタキオンが口を開いたのはその時である。彼女は気軽さすら感じさせるような口調で話を続けた。

「私には特段、問題の無いように見えるがね。練習時間そのものは少ないが、必要なものは過不足なく整えられている。私としても研究に費やす時間を十分に確保できるから悪くはないしね」

練習計画の出来があまりにも良すぎて、折角口を出そうと思っていたのが無駄になってしまったのが残念だがね。タキオンはそう言って端末を机の上に置いた。

彼女の言葉を聞いたグラスは軽く戸惑いを見せる。小島が声を発したのはその時だった。

「お前さんたちの疑念は理解出来なくもない。だがな、練習はあくまでも手段であって目的じゃないんだ。そこを忘れるな。むやみやたらと練習したがるのは手段と目的をはき違えているだけだ」

規則を説明するような口調で小島は答えた。それを聞いたグラスは僅かながら不満を込めたような表情で応じる。それを見た彼は再び口を開いた。

「それにタキオンの言った通り、目的から逆算して必要なものはすべて揃えてある。お前さんたちがそれ以上のことをする必要はない」

 

「あ、あのう」

そのとき、ライスシャワーがおずおずと手をあげながら自信なさげに口を開いた。

「ト、トレーナーさんはなんで、そんなふうにしたの」

その言葉を聞いた小島は幹部自衛官ではなく、父親として長男をあやすような優しい笑みを浮かべながら、諭すような口調で答えた。

「いい質問だ、ライス」

その様子を見たカフェは思った。この人、こんな表情も出来るんですね。意外です。もっと怖い人かと思っていましたが。そんな思いを抱く彼女をよそに小島は話を続けた。

「俺は君たちに、レースと学業以外の世界を知らないような人間になってほしくないからさ」

「レースと学業以外を知らない人間?」

ライスがオウム返しのように答える。小島は再び言葉を返した。

「前にも言ったろ。俺たちの仕事は君たちを怪我なく無事に現役生活を終えさせることだって」

「それと今の話がどのように関係してくるのでしょうか」

グラスが答えた。

「考えてみろ。現役生活よりも、それを終えてからの人生の方が長いんだ。その時君たちがレースと学業以外の世界を知らないまま世の中に出たら、決して良いことにはならない。だからこそ君たちには今言った2つ以外の世界を色々と経験して、視野を広げて欲しいと俺は思っている。だから最小限の練習でも十分実力をつけることが出来るようなメニューにした」

ちゃかすようにタキオンが口を開いたのはその時だった。

「つまり君は、私たちにデジタル君のようになれと言いたいんだね」

描画用電子機器(液晶タブレット)を用いて、自身の妄想を漫画という形で書き連ねたものを大学ノートサイズの薄い本にまとめ、年に何度か有明や蒲田など各地のイベント会場で開かれる即売会で頒布しているルームメイトを思い浮かべながらアグネスタキオンは答えた。

「そんなところさ」

「これは驚いた」タキオンは大仰に答えた。「私のルームメイトが何をしているか知っているとは」

「俺は良い目と耳を持っているんでね。君たち全員のことを()()()()()()()()()()

それを聞いた瞬間、5人の背筋に冷たいものが走った。彼はつまるところ、5人についての情報を収集していると公言したのだ。

「そんなことを言ってしまって大丈夫なのかい」

心配するようにタキオンが問いかけた。それに対して小島は平然と、まるで傲岸不遜さを隠そうともしない自身の上官のように堂々と答えた。

「まあ、隠すほどのことじゃないからな。安心しろ、弱みを握るとかそういうのじゃないし、調べたことを公にするつもりもない」

「それじゃあ何のためにそんなことをしたのかな、我がトレーナー君」

どこか艶めかしさすら感じられるような声で彼女は応じた。

「より一人一人に合った練習計画を立てるためだ」

すっぱりと彼は答えた。

「正確な現状認識と情報収集は、計画を立てる上での必要条件だからな。前提条件や情報が間違っていればどんな理論も方程式も無駄になる。だからこそ君たちについて色々と調べさせてもらったのさ」

「具体的にどのような手段を使ったんだい」

未知の事象を目の当たりにした学者のようにタキオンは答えた。

「残念だがそのことは言えん。但し、法に触れるような手段は一切使っていないことだけは明言しておこう」

「意外だね」

「特別なことはしていないさ。基本的に一般に公開されている情報をきちんと分析すれば、世の中で起こっていることは9割がた把握できるからな」

「デジタル君が何を書いているかもかい」

「勿論」おどけたように小島は答えた。「ちなみに付け加えておくと、俺もその手のイベントには-主にお盆と年末の有明には-ほぼ毎年参加しているんでね」

「これは驚いた」タキオンは答えた。「今度デジタル君に教えてあげよう」

「ほどほどに頼むよ」

彼がそう言ったのを合図に、どちらからともなく2人の会話は終了した。

 

「他に、練習計画について何か言いたいことがあれば何でも言え。何を喋ろうと-例え俺に対する罵詈雑言であっても-それで君たちに対する評価を下げるようなことはしない」

返答はなかった。先ほど彼とタキオンとのやり取りを聞いて、皆どのように答えればよいのか戸惑っている様子だった。それを見た彼はここらが潮時か、とでも言うふうに口を開いた。

「まあ今すぐに言えと言っても無理な話だと思うから、各自でしっかり内容を読み込んで、疑問点があればそれぞれの担当トレーナーと話し合ってくれればいい。そのつど対応する」

それを聞いたタキオン以外の4人はどこか安堵したように頷いた。それを見た小島は舞台の閉幕を告げるように口を開いた。

「では本日はこれで解散とする。しっかり休んで英気を養うように」

 




この話を執筆するにあたっては、『馬の医学書 Equine Veterinary Medicine』(日本中央競馬会競走馬総合研究所 編 財団法人日本中央競馬会弘済会 発行 1996年)を参考にさせて頂いたのですが、そんなものを置いている地元の図書館っていったい・・・

ちなみに同書の改訂版として2012年に発行された『新 馬の医学書』(日本中央競馬会競走馬総合研究所 編著 緑書房発行)の方は置いてませんでした。
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