本話の途中で少々政治的なことに触れる場面がありますが、本作品はあくまで娯楽を目的としたフィクションであり、いかなる政治的な主義主張にも組するものではないことをご留意の上お読みください。
-毎日毎日、元気のいいことで。
トレセン学園に赴任して早一月半ほどが経過した、温かさを通り越して軽い暑さすら感じられる季節となってきたこの日、いつものように夫婦そろって迷彩服を着て長男をベビーカーに乗せて職場へ出勤する道中の日常風景と化した、学園の正門前で行われている抗議活動の様子を目にした小島隆史は思った。少し離れたところで活動の様子を監視している制服警察官数人もまた、彼と同じ思いを抱いていると思しき表情をしている。
中年どころか老年と言っていい年齢の人間(不思議なことにウマ娘はいなかった)が殆どを締める彼ら彼女ら十数名は、反戦団体の名前が記されたビラを配りながら、
『トレセン学園への自衛隊配備反対』
『トゥインクルシリーズを軍靴で汚すな』
『ウマ娘の軍事利用反対』
などの文言が書かれたプラカードや横断幕を掲げており、地面に置かれた拡声器からは発言者の血圧や循環器の具合を本気で心配したくなるようなテンションの声が、スローガンを叫ぶような独特のリズムで聞こえてくる。この時間だと大半のウマ娘は校舎で授業中なので、声が聞こえることは殆どないだろうが、学園の周辺住民にとっては内容以前に近所迷惑この上ない行動であった。
「あれだけやって、よく飽きないわね」
長男の乗るベビーカーを押しながら、夫と同じような表情で有沙が答えた。
「老後の暇つぶしにはちょうどいいんだろ」小島も答えた。「まあ、言論の自由とはかくあるべきだからな」
「そうでしょうね」
「第一」
小島はそこで一度言葉を区切ると、どこか意味ありげな表情を浮かべ、答えた。
「あいつらがどんな背景を持っているのかは、調査済みだ」
それを聞いた有沙は全てを理解しているような表情を浮かべた後、何も答えないまま夫と長男と共に学園の門を通り抜けた。
この日の昼下がり、エアグルーヴは廊下を歩いていた。歩いているだけでも気品と厳格さを漂わせるその姿に、近くを通りがかったウマ娘は皆羨望と畏敬を持った表情で彼女のことを見つめる。しかし、彼女の内心は気品と厳格の対極にあった。
理由の発端は10分ほど前に遡る。この日は午後から生徒会の仕事があったため、彼女は昼食を取り終えるとそのまま生徒会室へ向かい、そこですでに仕事を始めていたルドルフに挨拶をすると自分の机に向かって作業を始めた。
(なお、もう1人の副会長であるナリタブライアンはいつも通り来ていなかった)
変化があったのは仕事を始めてしばらく経過した頃である。一枚の書類を見たルドルフが、顎の下に手を置いて何やら考え込んでいた。少しの間をおいて彼女はおもむろに立ち上がり、エアグルーヴの下に歩み寄ってくる。彼女の目の前に来ると、ルドルフはその書類を差し出し、口を開いた。
「仕事中に済まないが、これについての君の意見を聞きたい」
差し出された書類に目をやる。そこには頭が痛くなる、と言うほどではないが厄介な内容が記されていた。理由は簡単である。一月半ほど前からこの学園にやってきた部外者-トレセン学園分遣隊に関わるものであったからだ。
エアグルーヴは頭を抱えた。初対面の際の出来事から、彼女は分遣隊にあまり心地よい印象を抱いていない。だがそれでも立場上、書類には目を通さなくてはならなかった。それに記された文章を読み終えた彼女は軽く溜息をつき、書類の末尾に記された寮長2人の名前を見ながら口を開いた。
「何らかの手を打たなければならないでしょうね」
「そのつもりだよ」
内心ではエアグルーヴと同じ気持ちになっているルドルフは答えた。
「だからこの後、寮長と小島トレーナーを呼んで話し合うつもりだ。寮長の2人には私から声をかけておくから、エアグルーヴ、済まないが今から彼らのオフィスに行って小島トレーナーを呼んできてほしい」
「あまり気のりはしないのですが、分かりました」
そのようなやり取りの末、生徒会室から分屯基地へと向かったのが10分程前の話である。
エアグルーヴは分屯基地の扉の前にたどり着くと、傍にあるインターホンを押す。男性の声が聞こえてきた。少しのやり取りの後、小気味よい音と共にロックが解除された扉を開けて中に入ると、そこにいたのは遠藤と名乗る中年の男性自衛官1人だけだった。彼に聞くと、小島は仕事が一段落ついたのでトレーニングルームに自主トレに向かったという。他のメンバーはそれぞれ、担当するウマ娘のトレーニングにつき合っていて留守との事だった。それを聞いたエアグルーヴは遠藤に礼を言うと分屯基地を出て、その足でトレーニングルームへと向かうことにした。
彼女が今、廊下を歩いているのにはそのような理由がある。
トレーニングルームに近づくにつれて様々な、言葉では言い表しきれない程の感情が内心で渦巻くのをエアグルーヴは自覚した。それをトレーニングと生来の素質で培われた精神力でどうにか抑え込みながら歩いていく。
やがてトレーニングルームの前に到着した彼女は一度深呼吸を行い、その後に入室した。一流のスポーツジム顔負けの設備が揃ったそこでは、学園指定の体操着を着こんだ多くのウマ娘が様々な機器を用いてトレーニングに勤しんでいる。
ランニングマシーンでスピードトレーニングに励むもの、体を横にしてバーベルを持ち上げ、ウエイトトレーニングを行うもの-それぞれが、トゥインクルシリーズで活躍するというただ一つの目的のため、一心不乱にトレーニングに打ち込んでいた。
その光景を見たエアグルーヴの内心にはどこか満足感が浮かんでいた。彼女自身この場にいるウマ娘らと同様、鍛錬を重ねたことで
だが、この時の彼女の内心を小島が知ったら「そんなものは99%幸運と偶然で手に入れただけだ」と切り捨てていたであろう。小島隆史と言う男は、努力と言う言葉を何よりも忌み嫌う人間であるからだ。
「エアグルーヴ先輩」
後ろから不意に声をかけられる。振り向くと長い髪をした、少女と成人の中間のようなかを持つウマ娘-メジロドーベルの姿があった。トレーニングがひと段落ついたところらしく、額には汗を浮かべており、その汗で前髪は艶が出るほどに濡れてまとまっている。
競争ウマ娘の名門であるメジロ家の出身で、家の名に恥じぬ結果を残せるよう日々の鍛錬を重ねる姿に、彼女は好感を抱いている。
「精が出るな、ドーベル」
「先輩もトレーニングに来たんですか」
「そうではなくて」彼女は答えた。「ここに小島トレーナーが来ていると聞いてな、彼に話があってきたんだ」
「例の自衛隊の人ですか」
「ああ」
どうやら彼らのことは、学園のウマ娘たちの間でちょっとした話題になっているらしい。後輩の言葉を聞いたエアグルーヴは思った。そんな彼女にドーベルが言葉を続ける。
「ひょっとしてあの人ですか」
そう言ってドーベルが指さした先には、トレーニングルームの隅の壁際にあるマットの上で上半身はオリーブ色のシャツ一枚、下半身はグレーを基調とした迷彩服といういで立ちをしながら両肘とつま先をマットにつけ、その姿勢で背中から足首までの胴体を一直線に伸ばしたまま不動の状態を保っている件の男の姿があった。どうやら体幹を鍛えているらしい。
その姿を見たエアグルーヴは、どこか感銘に近い感情を覚えた。初対面では小島に決して良い印象を覚えなかった彼女であったが、自らの仕事の傍らこうして鍛錬に励む姿を見ているとまた違った印象を感じさせる。職業柄必要な事なのだろうが、彼もまた努力の人であるのかもしれない。
-もっとも、エアグルーヴのその思いが誤りであることに気がつくのはもう少し先の事であるのだが。
そうこうしているうちに、規則的な電子音が聞こえてくる。それを合図に小島はトレーニングを止め、傍のベンチに置いてあったタオルで汗を拭うとそのままそこに腰かけ、ペットボトルに入ったスポーツドリンクを手にし、口に含んだ。
それを見計らって、エアグルーヴは彼の下に近づいていく。ドーベルも後に続いた。小島の方も気がついたようで、視線を2人の方に向ける。エアグルーヴは彼の傍で立ち止まり、口を開いた。
「少しよろしいでしょうか」
「構わん、今終わったところだ」
ぶっきらぼうに小島は答えた。その様子を見たエアグルーヴは彼の体を見て思った。引き締まっていて筋肉はあるが、決して筋骨隆々と言うほどではない。腕などむしろ細い位だ。どういうことなのだろう。
彼女の疑問に答えたのはメジロドーベルだった。小島の体をまじまじと見ながら口を開く。
「思ったより太くないんですね、自衛隊の人って。もっとマッチョなのかと思いました」
それを聞いた小島は無理もない、と言う表情を浮かべると2人の方を見つめ、答えた。
「俺たちは基本的に、瞬間的な力よりも持久力を鍛えるようなトレーニングをしているからな-君たちにわかりやすく言うのなら、スプリンターとステイヤーの違いを思い浮かべてもらえばいい」
小島の言葉を聞いた2人はそれぞれ、頭の中で双方の違いを思い浮かべる。
一般的に短距離を得意とするスプリンター系のウマ娘には筋肉質な者が多いのに対し、長距離を得意とする、所謂ステイヤー系のウマ娘には細身の者が多い。
-なるほど、つまりはそういうことか。エアグルーヴとドーベルはほぼ同時に合点した。2人が浮かべた表情からそれを悟った小島はどこか満足気な表情を浮かべながら話を続ける。
「基本的に俺たちに求められるのは瞬間的に大きな力を出すよりも、重い荷物を背負って長時間歩き続けるような、単純に言ってしまえばステイヤーとしての能力-それも君たち基準でいえば超がつくほどのものが必要なんだ。だから俺たちのトレーニングと言うのは心肺機能と持久力の向上に主眼が置かれる。そういう訳で、外見は意外と細くなるのさ。勿論必要な筋肉はきちんとついているけれども-分かってもらえたかな」
彼の一連の話を聞いたエアグルーヴとドーベルは感心していた。自分たちが感じた疑問について、これほどまでに簡潔明瞭な答えが返って来るとは想像していなかったからである。考えてもみれば当然か、エアグルーヴは思った。自衛官-特に指揮官クラスともなれば、身体能力のみならず一定以上の知力も要求されると聞いたことがある。そして、目の前の男は曲がりなりにも幹部-指揮官クラスの人間であるらしいから、求められる水準はクリアしているのであろう。
(それに)
私や会長との初対面の際にこの男がとった、私たちからしてみれば不愉快極まりない態度と言動は、今思い出してみれば知性と教養が無ければ出来ないようなものだった。
正直、この男に今もなお快い感情を抱くことは出来ない。だが彼が先ほどまで行っていた鍛錬の様子と今の言動を聞く限り、初対面で抱いた印象を修正するべきではないのか。全く、第一印象というのもあまりあてにならんな。
そのような思いを抱くエアグルーヴ(と、彼女ほどではないものの、意外に頭のいい人だなと思ったドーベル)をよそに、小島は話を続けた。
「エアグルーヴ、そう言えば君は俺に何か話があってきたんじゃないか」
「そうでした」彼女は思い出したように答えた。「もしこの後お時間があるのでしたら、生徒会室に来ていただきたいのです」
「どういうことだ」
「お話しておきたいことがありまして」
「具体的には」
「毎日のように学園の門前で行われている、あなた方に対する抗議活動についてです」
それを聞いた小島はああ、あいつらかと思った。全く、言論・思想の自由について独裁者じみたことを言うつもりはないんだが、周りへの影響と言うのも考えてほしいもんだ。
そのような思考を巡らせた彼をよそに、エアグルーヴは話を続ける。
「この件について、生徒や近隣住民の方から様々な意見が我々の方に寄せられているので、生徒会と寮の代表者を交えた話し合いを急きょ行うことになったのですが、小島トレーナーもそれに参加して頂けないでしょうか」
「出るのは俺1人でいいのか」
小島は仕方がないな、とでも言いたげな口調で答えた。
「ええ」
エアグルーヴは答えた。それを聞いた小島は少し考え込んだ。しばらくの間あれこれ考えを巡らせた後に口を開く。
「出来ればもう1人連れていきたいんだが、いいかな」
想定していなかった言葉にエアグルーヴは軽く戸惑う。問い返すように応じた。
「理由をお伺いしても」
「話す内容によっては色々とやらなきゃならないことが出てくるんでね、そのためだ」
話す内容とはなんのことか、エアグルーヴはそう思った。一瞬聞き返したくなったが止めておくことにする。今回の目的はあくまでこの男を話し合いに参加させることにあるからだ。
彼女は口を開いた。
「分かりました。会長には私の方から、貴方ともう1人が参加することをお伝えしておきます」
「ありがとう」小島は答えた。「人選についてはこっち任せでいいな」
「問題ありません」エアグルーヴはきっぱりと言い切った。「お取込み中に失礼しました」
彼女はそう言ってトレーニングルームを出ていく。ドーベルと小島はエアグルーヴの姿が見えなくなるまでその様子を見ていた。不意に、小島がドーベルに話しかける。
「彼女-エアグルーヴはいつもあんな調子なのか」
「ええ、そうなんです」ドーベルは羨望のまなざしを浮かべながら答えた。「先輩は自分にも他人にも厳しい人ですから。勉強もトレーニングも、生徒会の仕事も全て高いレベルでこなそうと日々努力している-私はそんな先輩に憧れているんです」
「俺には違うように見えたがな」
ドーベルの言葉を疑うような口調で小島は答えた。どういうことなんです、そう呟くように言った彼女に対し、小島は話を続ける。
「君の言っていることも一面の真実ではあるのだろう。だが、俺は彼女がどのような広さの視野と想像力の持ち主であるのかについて、
「どういうことなんです」
ドーベルは再び答えた。
「彼女も生徒会長も-ルドルフもそうなんだが、正直俺にはあの2人が、自分の身の回りや価値観が世の中の全てだと思い込んでいる節がある」
「小島さんが何を言っているのか、よく分からないんですけど」
ドーベルは好きなアイドルに対する批判を聞いた時のような表情を浮かべながら答えた。
「いつもと違う所から物事を見るのは大切、ということさ」
聖書の一節を引用するような口調で小島は返した。
「さて、自分のトレーニングも終わったことだし、俺はそろそろ立ち去るとしよう。確かメジロドーベルと言ったか。君も自分のやるべきことに戻りたまえ」
彼はそう言うと荷物をまとめ、足早にトレーニングルームから出ていく。ドーベルは軽い挨拶をしながら見送った。
よく分からない人だったな。小島が立ち去ったあと、ドーベルはそのようなことを思った。
(それにしても)
いつもと違う所から物事を見るのは大切って、どういうことなんだろう。小島さん、先輩や会長のことを快く思っていないような口ぶりだったし。真意を質そうにも、帰っちゃったから聞くこともできない。ああもう、分からない。どういう意味なんだろう。本当に何が言いたいの、あの人。
彼女はその後しばらくトレーニングそっちのけで、そのことばかりを考え続けた。
「ちょっとよろしいでしょうか」
分屯基地に戻った小島は、ただ1人残ってパソコンでの事務作業を行う遠藤に声をかけた。ちょうど作業が終わったところらしく、素早く振り向いて彼は答える。
「構いません。何でしょう、小島一尉」
「この後少しばかり付き合って頂けませんか、のっぴきならない用が出来たもので」
「大丈夫ですよ。ところでどちらに行かれるので」
「決まってるじゃないですか」いたずらっ子のような表情で小島は答えた。「抜きんでて並ぶものなしとか、そんな標語が納められた額縁の下に座っている女の子のところですよ」
シンボリルドルフは生徒会室の椅子に座りながら2人を待っていた。彼女から向かって左側にはエアグルーヴが、向かって右側には学生寮-美浦寮と栗東寮それぞれの寮長が、机に向かって座っている。片方は褐色の肌に長い髪を持った、どこか野性味があるような風貌を、もう片方は短い髪に、男装の麗人と呼ぶのがふさわしい麗しさを醸し出す風貌をしていた。
現在の彼女は思考の渦中にあった。理由は勿論、これからこの場で行われることに関係することである。
発端は小島トレーナーの所から戻ってきたエアグルーヴに、
「もう1人来ることになりましたが大丈夫でしょうか」
との報告を受けたことだった。それを聞いた時、ルドルフの脳裏に浮かんだのは
(あの男、また何かやる気か)
ということだった。何しろ初対面でこっちの個人情報を(自分のもエアグルーヴのも)完全に把握していた上に、その後生徒会長室で話をしたときにはこちらを不愉快にさせるような言動を連発した(一応その真意らしきものを問いただすことには成功したが)上、チームの結成にあたっては学園の事務方との間に一騒動を起こしていたのだ。それ以来、小島や分遣隊のことについて考える際には無意識のうちに疑う癖が彼女にはついてしまっている。
勿論それを表に出すわけにはいかないので、エアグルーヴには報告の内容を了承した旨の言葉を伝え、椅子をもう一脚持ってくるよう彼女に伝えた。それが実行されたのを確認し、少ししてやってきた寮長2人と言葉を交わした後で、席に戻り今に至る。
-さて、今度は何をやるつもりなのだろう。正直読めないな。何しろ初対面の時にあれだけのことをやった挙句、その後も揉め事を起こしているのだ。全く、自衛隊と言うのは何を考えてあのような人物を送ってきたのだ?気になって仕方がない。
彼女がそんなことを考えていると不意に扉が開き、濃淡3色のグレーからなる迷彩服を着た男2人が入ってきた。皆がそちらに視線を向けるのにつられて、ルドルフもまた目を向ける。1人はこの学園のモットーを「物事には表面しか無いと公言しているようなものだから好きではない」と彼女に向かって切り捨てるように言った男で、後ろに続く温和な表情をした中年男性はその男の部下であった。
それを見てルドルフは思った。彼の-遠藤さんの方が明らかに年齢が上なのに、何故小島トレーナーよりも階級が低いのだろう。普通は、年齢の高い方が階級が上になると思うのだが。
彼女の思考の限界がここにも表れていた。確かにルドルフはレースの世界であれば『抜きんでて並ぶものなし』を体現するようなウマ娘であったが、誰しも自分から意図的に知識の幅を広げることのない限り、専門外のことについては決して詳しいわけでは無い。そして彼女もまたその例外ではなかった。
そんなルドルフを尻目に、部屋に入ってきた小島と遠藤は用意されていた席-彼女の真向かいに置かれていた-へと向かう。席の前に着くと、小島が口を開く。
「待たせたな、座ってもいいか」
「構いません。こちらこそ急にお呼び立てして申し訳ない」
「気にするな」
彼はそう言って、遠藤と共に席に着く。そのとき、自分から見て左側に見慣れぬ2人のウマ娘がいることに気がついた。そちらに目をやり、口を開く。
「ところで、こちらの2人は」
「失礼、紹介が遅れました」ルドルフは答えた。「そちらから見て奥に座っているのがフジキセキ。栗東寮の寮長をしています。手前にいるのがヒシアマゾンで、同じく美浦寮の寮長を務めています」
ルドルフから紹介された2人が彼に向かって軽く頭を下げる。小島と遠藤も同じ動作で答えた。挨拶を終えると、小島が口を開いた。
「さっそくだが本題-俺たちをここへ呼んだ理由の詳細について伺いたいのだが、いいかな」
「わかりました-エアグルーヴ」
ルドルフは促すように彼女の方を見る。エアグルーヴはそれに軽くうなずくと、まるで演説でも始めるかのように口を開いた。
「では、私の方から本題に入らせていただきます」
彼女はそう言うと一呼吸置き、調書を読み上げる検事のような声で続きを読み上げた。
「一か月半ほど前から、正門前で連日のように皆さん-自衛隊の配備に反対する抗議活動が行われているのはご存知だと思いますが、これについて生徒から通学やトレーニングの妨げになっているという声が寮長経由で我々に多く寄せられており、また近隣住民の方からも生活の妨げになっているとの声を少なからず頂いております。これについて皆さんの見解をお伺いしたいのですが」
その話を聞いた小島は思った。全く、あいつら何がしたいんだ。いくらこっちが活動資金の出所を把握しているとは言え。抗議活動をやるなとは言わんが、こっちをいくら罵っても構わんから他人に迷惑をかけないようにやれよな。
-さて、どう答えたものか。職務上の機密に触れる所があるから話せる範囲は決まっているし、何より連中は(今のところ)無数に存在する反戦平和団体の一つに過ぎない。だとすれば-
そこまで考えた小島は、自分の頭の中で急速に考えがまとまっていくことを自覚する。そして彼は、それを脳内で言語化するのに適した形に練り直していくと、やがて意を決したような表情を浮かべ、口を開いた。
一方のルドルフもまた、小島と同じように考え込んでいた。
先ほどエアグルーヴから話を聞かされた後一瞬-ほんの一瞬ではあるが、彼が何かを思い出したようにはっとするのが見えたのだ。目を動かして視線だけを左右に向けると、エアグルーヴもフジキセキもヒシアマゾンもそのことに気がついていないようだった。
-どこか引っかかる。だが確固たる根拠もないのに、不確かな印象だけで判断して良いものだろうか。
ルドルフが口を開くかどうか迷っていると、先に小島が口を開いた。そしてそれは、この場にいる4人を落胆させるには十分な内容であった。
「君たちの期待に応えられなくて申し訳ないが、俺たちとしては出来ることは何もない。従ってこの件についての見解もまた、示すことは出来ない」
「理由をお伺いしても」
どこか想定外、といったふうにルドルフは答えた。
「抗議活動をしている団体についてはこっちでも調べてみた」小島は応じた。「あいつらは警察や府中市役所にきちんと届け出を出して許可を得た上で活動をしている。合法的な活動に、俺たちが口を出すことは出来ない」
彼はそう言うと、落胆そのものと言っていい表情を浮かべる2人の寮長の方を向き、問いかけるように再び口を開いた。
「寮長の-フジキセキにヒシアマゾンと言ったか。君たちに聞きたいんだが、あいつらが抗議活動をしている時に許可なく学園の敷地に立ち入ったり、学園のものを傷つけたり壊したり-ペンキやスプレーで勝手に何かのメッセージを書いたというのも含めて-などの行為はあったのか」
それを聞いた2人は軽く下の方を向いていた頭を上げ、顔を見合わせる。少しの間2人で何かを話し合った後、フジキセキが答えた。
「いえ、そのような話は聞いていません。私たちが寮生から聞いているのは、抗議活動がトレーニングや通学の妨げになっていると言う話だけです」
宝塚歌劇団の男役にでも居そうな顔と声してるなこいつ、彼女の異性どころか同性までもが虜にされそうな作りの顔を見た小島は思った。そして再び口を開く。
「それなら少なくとも法律上は何の問題もない。違法行為をしていない奴らをどうして取り締まる必要があると言うんだ。近隣住民が迷惑を被っている、と言うのも同じさ。俺たちが直接近隣住民に迷惑をかけたというのならともかく、関係のない住民と第3者の間のトラブルに俺たちが口を突っ込むことは出来んよ。そう言うのは住民と団体との間でやるもんだからな」
それを聞いた4人はあからさまに落胆の表情を示す。それに追い打ちをかけるように、感情の欠片も無いような声で小島は続けた。
「勘違いしないでほしいんだが、俺たちはあくまで国家公務員であって反社会的組織じゃないから、基本的に
「現状が続いても俺たちの知ったことでは無い-そうおっしゃりたいのですか」
エアグルーヴが問い詰めるように答えた。
「どうとでも言え。俺たちの仕事ってのは本質的に手遅れでね。あいつらの言ってる事が気に入らないからとっちめるみたいなことをしてたら、それこそ暴力団になっちまう。まあ、国家公認の暴力団の構成員の一人たる俺が言うのもなんだがね」
開き直りながらもどこか茶化すように彼は答えた。エアグルーヴは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
生徒会室には落胆の空気が漂っていた。小島の話を聞いたルドルフは打つ手無し、とでも言いたげに左手で頭を抱え、2人の寮長はどこか憂いを帯びたような表情を浮かべている。
その様子を見た小島は少しの間無言で考え込むと、やがて口を開いた。
「とは言え、このままにしておくというのも俺としては正直気が引けるから、解決策について助言はさせてもらおう」
それを聞いた4人は、はっとしたような表情を浮かべた。同時に、この男にも他人を気遣うだけの余地はあったのだなと言う思いを内心で抱く。
「具体的にはどうしろと言うのでしょうか」
疑うような表情を浮かべながらルドルフが答えた。それに対して小島は、知識と経験を頭の中にある引き出しから適宜取り出し、言葉の形へと紡いでゆく。
「君たち生徒会と寮長とで抗議文書を作成してあの団体に直接手渡すんだ。文面はそうだな、『あなた方の主義主張に異を差し挟むつもりはありませんが、皆様の活動が生徒の通学やトレーニングの妨げとなっており、また近隣住民からも活動についての苦情が学園に寄せられています。活動を行う事自体は構いませんが、今後はそれらの声に配慮して迷惑にならないよう活動してください』って感じにするといい。細かい内容は君たちに任せる」
それを聞いた4人全員がどこか呆気にとられたような、まるで信じがたいものを見たような表情を浮かべた。無理もない。今回の件について知らぬ存ぜぬを決め込むと思っていた目の前の男の口から突然対応策が飛び出したのだ。
その姿を尻目に小島は話を続ける。
「一応言っておくが、今の言葉はあくまでも助言に過ぎない。実行に移すかどうかは君たちに一任する。じっくり考えた上で答えを出したまえ」
「私は小島さんの案に賛成だよ、ルドルフ」すぐさまフジキセキが答えた。「正直に言って、現状では今の提案以上の解決策を思いつけない」
それを聞いたルドルフはもう1人の寮長-ヒシアマゾンに問いかける。
「ヒシアマゾン、君はどうだ」
「あたしもフジとおんなじさ」
腕を組みながら、どこか野性味のある声で彼女は答えた。
「あれがどうにかなるってんなら、誰の提案であれやってみる価値はあると思うよ」
「エアグルーヴ」
意見を確認するようにルドルフは問いかけた。
「この際、致し方ないかと」諦観混じりにエアグルーヴは答えた。「私も、小島トレーナーの提案以上に良い案が思い浮かびませんので」
小島の方を見る。どこか得意げな表情で4人を見つめていた。それを見たルドルフは止むを得ない、とでも言いたげな声で口を開いた。
「分かった。彼の提案を実行に移してみるとしよう」
それを聞いて、小島は再び口を開いた。
「話が決まったみたいだから、ついでにもう一つ助言させてもらおう-抗議文書は君たちが直接手渡すんだ」
「何か理由でも」
「性差別的発言であることを承知で話すが」小島は答えた。「君たちみたいに見目麗しいのが手渡した方が相手からの反感を買いにくいし、要求も受け入れられやすいだろ」
その明け透けな発言に4人は呆れながらも、内心では内容に同意していた。何しろ競争ウマ娘には美人が多い。それについては紛れもない事実であるからだ。トゥインクルシリーズが盛況を-と言っても他の、野球やサッカーといったプロスポーツと同じようなレベルであり、突出した人気があるというわけでは無いが-誇っているのもその影響が大きい。
尤も美人ばかりと言うのは良いことでは無く、それに伴う様々な問題が少なからず発生しているのもまた事実である。だがそれでも、見目麗しいウマ娘たちが色とりどりのお洒落な勝負服に身を包み、ターフを駆けるその姿に魅了されるものは多かった。
勿論それらに魅了されるどころか全く興味関心を持たない者もおり、その代表格が4人の目の前に座る一等空尉であった。無論彼女たちはそのことを知らない。
そのような4人を尻目に、小島は再び明け透けに答えた。
「何なら、うちから他の3人-森宮・広瀬・土井の3人を全員君たちに貸そうか。あの3人は正直、制服着てなきゃ自衛官とは思えんほど顔のつくりがいいぞ」
その言葉を聞いたルドルフは初対面の際に見た、3人の女性幹部自衛官の顔を思い浮かべる。確かに3人とも-特に森宮有沙は-自衛官ではなく、女性としての魅力を存分に発揮することが求められる類の仕事でも十分にやっていけるほどの美人ぞろいだった。あのような顔立ちでは、制服を着ていなければ一見して自衛官だとは分からないだろう。
「いえ、結構です。ご助言ありがとうございました」
ルドルフは苦笑しながらそう言うと、エアグルーヴと2人の寮長に今の小島の提案を具体化するように指示を下す。
その様子を見た小島は遠藤と顔を見合わせ、互いに軽く肯き合った。退出の準備を始める。
「どうやらここからは、君たちの領分のようだ」小島は答えた。「俺たちはここで退出させてもらうとしよう」
そう言って立ち上がろうとする迷彩服姿の男2人を見たルドルフはその瞬間、小島が序盤に一瞬見せた表情を思い出し-槍で鋭く突き刺すように口を開いた。
「お待ちください」
「何だルドルフ」まとわりつく羽虫を追い払うような声で小島は答えた。
「もう一つ、お伺いしたいことがあります」尋問でもするように彼女は応じた。「あなた方はこの件について、私たちに何か隠していることがあるのではないですか」
その言葉に他の3人が何事か、とでも言いたげにルドルフへ視線を集中させる。その様子を見ながら小島は応じた。
「さっき話したことが全てだ」
「では、抗議活動の話をしたときに一瞬驚きを見せたのはどういうことなのでしょう」
尋問のように問いかけるルドルフの言葉を聞いた小島は無表情のまま黙り込んだ。彼女はそれを見て、畳みかけるように言葉を紡いでゆく。
「初対面の際に、あなたはこう言ったはずです-『君たちに隠し事はしないことを確約する』、と。ご自分のお言葉を違えるおつもりなのでしょうか」
「確かにそんなことを言ったな」表情を変えずに小島は答えた。「だが、俺が隠し事をしないと言ったのは、俺個人の主義主張や信条についてのことであって、職務上の機密までべらべらくっちゃべると言った覚えはないぞ」
まったく、俺が嫌いな官僚的答弁そのものだな。喋りながら小島はそう思った。
「つまりは職務上の機密に該当する内容が含まれると」
「そう思ってもらって構わない」
諦めろ、とでも言いたげに彼は答えた。だがどうやらルドルフはその言葉に納得していないらしい。誤魔化すな、とでも言いたそうな表情でこちらを見つめてくる。見ると他の3人までもが彼女と同じような表情を浮かべ、何かを訴えかけるような視線を彼に浴びせていた。それを見た小島は軽くため息をつくと、観念したかのような口調で口を開く。
「じゃあこうしよう-俺は『独り言』を喋っていて、それを
それを聞いたルドルフは、すかさずエアグルーヴと2人の寮長に目線を送る。全員が肯定の意を込めて首を縦に振った。それを見たルドルフは小島に向けて口を開く。
「そういうことですので、お願いします」
「分かった。じゃあその前に」
小島はそう言って遠藤の方を向くと、普段と変わらないもののどこか重さと威厳を感じさせるような口調で話しかけた。
「遠藤准空尉、すみませんがこの部屋のドアに鍵をかけて、窓のカーテンを全て閉じて下さい」
「分かりました」
遠藤はそう言うと素早く椅子から立ち上がり、生徒会室のドアを閉じて鍵をかけると、窓傍によってカーテンを全て閉めていく。彼が全ての作業を終えたことを確認した小島は椅子ごと4人に背を向け、『独り言』を呟き始めた。
「あの抗議活動をやっている団体は、国家公安委員会の調査対象団体だ-公にはなっていないがな」
それを聞いた4人はざわめき、彼にどういうことかと問いかけようとする。その様子を背中越しに察知した小島は彼女らに背を向けたまま、釘を刺すように答えた。
「ああ、口は開くなよ。お前さんたちはたまたま俺の『独り言』を聞いてしまっただけなんだから」
4人は喉まで出かかった言葉をどうにか肺へと送り返す。彼はそのまま話を続けた。
「俺の上官が非公式に教えてくれたよ-あの人はあちこちに顔が広いから、いろいろな情報が入ってくるそうだ。なんでも、あの団体の活動資金の流れを辿っていったらとある国-俺たちの
4人は息を飲んだ。いくらこの学園がこの国のウマ娘のレースの最高峰に位置しているとはいえ、その実どこの学校にでもあるような、ただの生徒会とその構成員であるに過ぎない彼女らが扱うにしては重過ぎる内容を聞かされたからだ。
小島は話を続けた。
「そいつらからの指示なのか、はたまたそれとは関係のない団体独自の活動なのかは知らん。まあそれでも、抗議活動をやっている理由については色々と想像がつく。大方活動を続けることで、君たちや周辺住民が俺たちに悪い感情を抱くように仕向けて、俺たちを追い出す方向に持っていく腹積もりだったんろう。俺がここに来ているのが何よりの証拠だ」
その言葉を聞いて、部屋の空気がかすかにざわめく。その中でルドルフは思った。
-そこまでは想像が出来なかった。大方、あの団体は自分たちの主張をアピールするためだけに抗議活動を行っているものだとばかり思っていた。
だが彼の言葉が正しいとするならば、近隣住民や生徒からの苦情を受けて私たちが彼をこの場に呼び出した時点で、あの団体は目的を半ば達成していたことになる。私たちは知らずのうちにまんまと術中に
それと同時に彼女は思った。なぜ彼はそこまで相手の意図を理解できるのだろう。独自に調べ上げていたとはいえ、直接話し合ったことすらない人々の考えを実際に聞いてきたかのように喋ることが出来るなんて。それが不思議に思えてならない。
そのような彼女の思考に構うことなく、小島は口を動かし続ける。
「だから君たちはもう少し自分の視野を広げる努力-俺はこの言葉が大嫌いだが-をした方がいい、と俺は思うんだがね」
彼は合衆国の南北戦争を舞台に書かれた小説に出てくる、
それを聞いたエアグルーヴが何かに気がついたような表情を浮かべ、「ちょっと待って下さい」とでも言いたげに小島の方を見る。だが彼は意にも介さず話を続けた。
「確かに君たちは優れた競争ウマ娘だ。だがそれゆえに、この学園とターフの上だけが世の中の全てであると信じ込んでしまう傾向があるし、更にはその外側にいる者の存在について無頓着なところや、それらについての想像力に些か欠ける所もある。世の中の人間全てが君たちに善意を抱いているというわけではないのだ」
それを聞いた4人は態度や表情を変えぬまま、心の中でどういうことだろうと考え込んだ。無理もない。これまで彼女たちに浴びせられてきたのは、多少の例外こそあるにせよ、基本的には称賛や賛美といったものが殆どであったからだ。故に彼女たち、そしてこの学園に属するウマ娘の多くは自分たちに悪意を向けてくる者の存在を信じられずにいる。
(勿論ごく少数の例外も存在するが)
彼女たちはそのことについて考えながら、小島の言葉を聞き続けた。
「君たちを嫌っていたり、悪意を持っていたり、自分たちの目的を達成するための鉄砲玉として利用しようとするものも少なからず存在する、ということも理解しておいた方がいい。君たちの価値観と言うのは所詮、この世に無数に存在する価値観の一つに過ぎないのだ。なんなら自分自身の価値観を相対的に見る癖、というのもつけておくことをお勧めする。そうすることで、今までに見えてこなかった物が見えてくるようになるからな」
-まあ嫌っているものの代表格が俺だがね。彼は内心でそう思いながら、どこか
「少し話が脱線したな。まあ、あの団体について個人的に思うことは色々とあるが、それと仕事とは分けて考えるさ。そうしないと、色々面倒なことになるからな-さて、『独り言』はここまでにするとしよう」
そう言って小島は椅子ごと4人に向き直った。視線だけを動かして様子を見ると、全員が硬い表情を浮かべている。だがその中でもルドルフだけが彼を真っ直ぐに見据えていた。
彼はそれを見ると、両肘を机につき組んだ両手を顎の下に添えながら同じように彼女を見据え、どこか秘密を共有したような不敵な笑みを浮かべながら、念を押すように答えた。
「とりあえずまあなんだ、一応言っておくが-俺が最初に言ったこと、分かっているよな、生徒会長」
「ええ」彼をまっすぐに見据えながらルドルフも応じた。「エアグルーヴ、フジキセキ、ヒシアマゾン、そういうことだ」
一段落置いて、彼女の言葉に対して三者三様な返答が返ってくる。
「承知しました」
とエアグルーヴ。
「分かったとも」
役者然としたフジキセキ。
「分かってるよ」
野性味を隠せないヒシアマゾン。
それらの言葉を全て聞き終えたルドルフは軽く頷き、小島に向かって口を開いた。
「-と、言うことですので、それでよろしいでしょうか」
「ご理解頂けたようで何よりだ」
小島はそう答えると、傍らに控えている部下を見て念を押すように言った。
「遠藤准空尉も、分かっているとは思いますが」
「はて、なんのことでしょう」
分かっていますよ、とでも言いたげな表情で遠藤は答えた。
「自分は彼女たちと同じように、独り言をたまたま聞いてしまった覚えはあるのですが、それ以外のことはさっぱり」
その言葉を聞いた小島はしばらく呆けると、やがて何かを思い出したかのような表情になって答えた。
「ああ、そういえばそうでしたね、すみません」
「ご理解いただけたようでなによりです」
その寸劇じみたやり取りを見た4人は、この2人どこか似たもの同士だな、そう思った。
「とりあえず、先ほどまでの貴方の言葉に色々と思うところはありますが」
ルドルフが答え、言葉を続けた。
「それについて言及することはこの場では避けておきます」
「それがいいと思うぜ」小島もまた答えた。「その辺りに口を突っ込むと、どう考えても不愉快な事にしかならないだろうからな」
「それにしても意外でしたね」
「何がだ」
「あなたが解決策を口にするとは、思ってもいませんでした。てっきり知らぬ存ぜぬを決め込むおつもりかと」
「勘違いしないでほしいんだが」小島は答えた。「俺は君たちが困っているのを見て楽しむことが出来るほど人間を辞めていない」
「私たち-特に私とエアグルーヴに対して、挑発もしくは脅迫とも取れるような言葉をおっしゃった方の発言とは思えませんが」
どこか挑みかかるような口調でルドルフは答えた。
「そんなこともあったな」他人事のように小島は答え、話を続ける。
「確かに、君たちに対して色々と個人的に思うことが無いかと言えば嘘になる。だが、それを理由に君たちを困らせたり危害を加えるようなことはしない。これだけは、はっきりとさせておく」
「どこまで信じて良いものか不安ですが」ルドルフは答えた。「一先ずこの場はそれでよしとしておきましょう」
「まあ、別に信じてくれなくても構わんがね」自嘲的に小島は答えた。「何しろ俺は、他人に一切の信用をおけない人間だからな。自分が出来ないことを他人に強制はしないよ」
「過去に何か経験されたのですか」
それを聞いた瞬間、小島の目から光が消えるのをルドルフは見た。何かまずいことを聞いてしまったかな。後悔が彼女の内心に浮かんでくる。そのようなルドルフを気にするでもなく彼は答えた。
「中学の時、ひどい目に遭ってね。それ以来、友情とか信頼、他者の善意と言った類のものが信じられなくなったのさ」
なるほどそういうことか、ルドルフは思った。初対面で彼を生徒会長室に案内した際、掲げられた標語を見てこの言葉を好んでいないと述べたのは。過去のトラウマが原因ということであれば納得の行く話しだ。彼女の考えは正鵠を得ていた。
-彼が初対面で発言したことの主旨を理解するにはそれでもまだ不足していたということを除けば。
見ると、彼女以外-エアグルーヴ、フジキセキ、ヒシアマゾンの3人もまた、どこか納得と同情を混ぜ合わせたような表情を浮かべている。その様子を見た小島は再び答えた。
「一応言っておくと、俺自身が君たちに思った事については誰が相手であろうと正直に言わせてもらう。たとえ君たちの価値観や考えと相容れないものであってもだ」
「正直者ですね、あなたは」
ルドルフは苦笑いをしながら答えた。
「初対面の時に言ったろ。本音で話し合えるような関係を築きたいって。それに俺は歯に衣を着せられるほど器用な人間じゃないからな」
「とりあえず、愉快では無い話を聞かされる準備だけはしておきましょう」
「そうしてくれ。それじゃあ帰るが、いいかな」
「ええ。お忙しいところありがとうございました」
それを聞いた小島は遠藤を伴い、部屋から出ていった。
それを見たルドルフは、先ほどの小島の『独り言』で中断していた、解決策の具体化のための指示を、再びエアグルーヴと2人の寮長に出していく。その指示を受け取った彼女らは具体的な作業に取り掛かっていった。後は彼女らに任せておけばよいな、ルドルフは思った。
基本的に、組織のトップと言うのは方針を示して実行の指示を下すことが主な仕事であるため、具体的な方針さえ決まってしまえば、後の実務的な処理は部下-この場合は生徒会のメンバーがこなしてくれるため組織のトップ、すなわち彼女にとっては暇な時間が続くことになる。
だがその間もまたルドルフは別の仕事に取り掛ることにしていた。先ほどまでの一件以外にも、処理しなければならない案件は無数に存在しているからだ。
ふと書類仕事をこなしながら彼女は思った。
-小島トレーナーの上官とは、一体どのような人物なのだろうか。あの一癖も二癖もありそうな男を御しているのだから余程の人物か、それとも彼に輪をかけて癖のある人間か。いずれにせよ興味深い。ぜひ一度会ってみたいものだ。
書類仕事が(実行する媒体が紙から電子機器に変化したにせよ)必要なのはどこの組織にとっても変わりない。それは防衛省や自衛隊においても同じであった。
矢沢敏夫三等海佐は整理整頓と言う言葉をどこかに投げ捨てたような、市ヶ谷は防衛省の一室でキーボードを連打しながらパソコンとにらめっこを演じていた。彼が座っている場所から少し離れた所にある机では、この部屋の主であり彼が副官を務めている傲岸不遜な海将補こと真田忠道もまた、小柄な体躯を椅子に沈ませながら矢沢とは対照的な、どこか愉快さを感じさせるような表情で画面を見つめている。動作もまた、キーボードではなくマウスの中心部にある部品を人差し指で回転させていた。
(そう言えば)
その光景を見た矢沢は思った。確かこの人がミサイル護衛艦-「はたかぜ」の艦長を務めていた時、乗組員からのあだ名が確か『お猿の太閤さん』だったな。彼は「はたかぜ」乗組員のネーミングセンスに心の中で脱帽しながらも、表面上は真面目腐った顔で仕事を続ける。
不意に笑い声が聞こえてきた。見ると、いい加減に部品が配置されたとしか思えない-これで妻子がいるというのだから信じ難い-顔に含み笑いを浮かべながら上官が肩を震わせている。
その様子を不審に思った矢沢は作業を中断すると、上官に向けて口を開いた。
「どうかしましたか」
「いやなに、小島君からの報告書を読んでいたのだが」真田は答えた。「やはり彼は俺が見込んだ通りの人間だなと思ってね」
転送するから君も読んでみたまえ、やはり
数秒置いて矢沢のパソコンに報告書が転送されてきた。そこにはチームの結成にあたって行ったことから、スカウトしたウマ娘の顔写真と細かな経歴にそれぞれの適性距離と現時点でのデビュー予定時期が記されている。
ウマ娘について書いてあること以外は普通の報告書じゃないか、それを見た矢沢は思った。これのどこが面白いのだろう。そう思いながらも画面をスクロールしていくと、生徒会のメンバーについて記された欄が出てくる。ここもまた主要なメンバーと、彼女らについての講評を除けば、公式情報を少しアレンジしたような平凡な内容しか記されていない。
その次には学園の前で抗議活動を行う団体についての話し合いを行ったことと、その顛末-生徒会が当該団体へ活動について『配慮』を求める申し入れを文章で行い、結果として活動がそれまでより大人しいものに変化した-が記されている。
文中には記されていないものの、どうやらこちらが伝えた情報を小島一尉はうまく活用したらしいことが伺える内容だった。ひょっとしてここかな、矢沢は思った。しばらくしてそれを否定する。この程度であの上官が笑うとは思えないことを、彼は今までの付き合いから知り尽くしていた。
矢沢はそのまま画面のスクロールを続ける。流すように文章を読んでいくと最後の、学園のウマ娘について記した分遣隊指揮官-小島の講評を読んだところで、ようやく上官が笑った理由を理解できた。
そこには言葉遣いこそ丁寧ではあるがどこかひねくれ曲がったような、少なくともトレセン学園に通うウマ娘が読んだら、決して愉快には思わないであろう内容が記されていたからだ。要約すると次のようになる。
-(あくまで自分の個人的な一私見に過ぎないが)トレセン学園のウマ娘は、一部の例外を除いて、物事を多面的にとらえる能力が不足しているのではないか。
その文章を読んだ矢沢は次の瞬間、自分の中が驚きの感情で満たされていくことを自覚していた。
なにしろ世間はアスリート兼アイドルとしてスターのような扱いをされている競争ウマ娘を褒め称え、称賛するような内容のメディアや個人で満ち溢れている。そのような中で、このように辛辣な評価を彼女たちに下した人間を見るのは初めてだった。自分の上官が笑うのもおかしな話ではない。
真田が矢沢に話しかけたのはその時だった。
「矢沢君」
「何でしょう」パソコンに向かう手を止めた矢沢は答えた。
「来週の月曜日から金曜日の間で、俺になにも予定が入っていない日があったら教えてくれ」
「何をするおつもりですか」
またろくでもないことを考えているな、悪戯を考えている子供のような表情を浮かべた上官の様子を見た矢沢は思った。
「決まっているじゃないか」真田は答えた。「府中に-
次回『真田忠道、トレセン学園へ行く(仮題)』 ご期待下さい。
真田さんの経歴については原作で防空軽巡の艦長をしていた事を参考にしました。
ちなみに対抗部隊乙って何のことやと思った方は検索してみてください。諸事情により直接名前を出すのは控えます。
なお執筆速度の都合上、本話が2022年最後の投稿になると思われますので、少し早いですが皆さん良いお年をと言っておきます。
(さて、コミケと大掃除と中山大障害観戦と新年伯林大爆撃の準備しなくちゃ)