・・・色々とすみません。何分転職活動で忙しかったものでして。
(ちなみにまだ決まってません)
そんな前置きは置いといて今回もどうぞお楽しみください。
よく晴れた昼下がりのグラウンドを、幾人ものウマ娘が駆け抜けて行く。その一角、レース場でいえばゴール前の最終直線に面した位置に存在するスタンドでは、これまた幾人ものトレーナーや、練習の順番を待つウマ娘たちがその様子を見守っている。
小島隆史もその中の一人であった。彼は左手に持ったタブレット端末と、右手に持った双眼鏡とを交互に覗き込みながら担当するウマ娘-アグネスタキオンとマンハッタンカフェが芝コースを並走する姿を見つめている。そんな迷彩服姿の男に時折ちらちらと視線を寄せる者もいるが、彼はそれを気にも留めることなく目の前の物事に集中していた。
この3人がここにいるのには理由がある。5月も後半に入り、今年のデビュー戦の時期か近づいてきたため、チームSDFからデビューを予定している2人に、実際に走る経験を積ませることにしたからだ。
(これについては、事前に立てたトレーニング計画の中に含まれていた)
やがて2人が、ほぼ平行に並んだまま第4コーナーを回って最終直線へと駆けてくる。小島が双眼鏡を覗き込むと、トレーニングではなくあたかも実際のレースで競い合っているかのような表情を2人とも浮かべていた。
ほんの僅かに先行するタキオンを追い抜こうとカフェが自慢の末脚を使って加速していくが、それを見たタキオンもどこか不敵な笑みを浮かべながら速度を上げる。そしてそのまま、互いに一歩も譲ることなくほぼ同時にゴール板の前を2人は駆け抜けた。その様子を見ていた他のトレーナーやウマ娘から感嘆の声が聞こえてくる。
-すごいな。あの2人、才能は本物だぞ。
-私たちより少ない練習しかしていないのに、どうしてあんなことが出来るの。
-なんであんなのを余所者連中がスカウト出来たんだ。
小島はそのような周りの空気に流されることなく冷静に、端末の画面上に表示される各種データ-走破タイムや上がり
そんな彼の元に並走を終えた2人が息を整えながら歩み寄り、口を開く。
「データを取ることは出来たのかい」
「ああ」ぶっきらぼうに小島は答えた。「今後のために活用させてもらうとしよう」
「大いに期待しているよ」
「2人ともしばらく休憩しておけ」
「そうさせてもらおう」
タキオンはそういうと彼の傍らに置いてある自作のアイシングスプレーを手に取り、自分の足に吹きかける。カフェもまたタキオンに倣い、同じことを行っていた。
小島はそれを横目に見ながら走行データの取りまとめにかかった。画面を見つめながら頭の中で思考を巡らせる。これまでに2人とトレーニングを重ね、データを収集していく中で分かったことはいくつかあった。
1つは2人の脚質-レースにおける走り方-の違いである。今までのデータや実際の走行の様子を見るに、タキオンは先行してそのまま最終直線で押し切るタイプであるが、カフェは自慢の末脚を用いて最終直線で一気に差し切るタイプであった。
2つ目はカフェの体質の弱さと足の爪の薄さであった。彼女は時折、体調を崩してトレーニングを欠席することがあり、またトレーニングの後で足の爪にひびが入っていることも何度かあったため、そのたびに保健室での手当を余儀なくされた。これらの要素を考慮すると、彼女はデビュー自体は可能であるものの、無理にクラシックを狙わない方が良いのではないか、と小島は考えている。
一方で2人に共通する不安要素-屈腱の状態については今のところ異常は見られない。画面に表示される各種のデータがそれを表している。これらの特徴と練習によって得られたデータをもとに出走計画を組むのもまたトレーナーとして重要なことであった。
ふと周りを見渡すと、周囲にいる人間やウマ娘たちがこちらに目線をやり、何事かをささやき合っている。その様子と先ほど聞こえてきた声を脳内で組み合わせながら小島は思った。
-六平さんの言っていたことは正しかったという訳か。確かにこいつら、能力だけはかなり高い。正直、癖の強さが無ければ担当できていたかどうか怪しいものがある。
そこまで思ったところで彼は、自分がいつの間にかこの学園に馴染んできていることを自覚していた。
(全く、なんでこんなことになっているやら)
小島は思った。中学時代にひどい目に遭ったせいでウマ娘のことは今でも大嫌いだ。そのことに変わりはない。それがいつの間にかトレセン学園にきてトレーナーなんてやっていて、その仕事に集中している。命令とは言え、皮肉なものだ。
「ところで、次は何をすればいいんだい」
そんなことを考えていると、不意にタキオンから声をかけられた。端末上で練習メニューを確認すると、次はダートコースでの並走と記されていた。彼はそれをタキオンとカフェに伝える。詳しいやり方は指定しない。大まかな方針を示し、その範囲内であれば自由にやらせるのが小島の練習のやり方であった。
「分かった」タキオンは答えた。「休憩が終わったら早速取り掛かるとしよう。なあカフェ」
「ええ」
カフェは静かに肯いた。
やがて休憩を終えたタキオンとカフェはウォームアップをしながら彼の指示通りダートコースへ向かう。やがてコースに入って走りだすと最初はゆっくりとしたペースで、徐々に速度をあげながらコースの上を駆けて行った。小島は再び、それを端末と双眼鏡片手に見つめる。2人の様子を見ながら、広々としたグラウンドを見渡しつつ彼は思った。このグラウンドを「メテオ」に跨って駆けまわれたらどれほど楽しいだろうな。
そんな彼の思いは、不意に聞こえてきた声によって瞬時に雲散霧消した。
「よくやっているようだな、小島君」
聞き覚えのある声を耳にした小島は振り向く。そこには学者のような風貌の三等海佐を従えた、制服を着ていなければただの醜男にしか見えない彼の上官-真田忠道海将補の姿があった。2人とも海自の制服-黒のダブルジャケットとネクタイ-を身に付け、制帽を被っている。それを見た小島は内心でしかめ面を浮かべながらも表情を整え、上手とは言い難い敬礼を行う。2人もまた、彼と同じような敬礼で応じた。
「なんでこんなところにいらっしゃるんでしょうかね」
敬礼を終えると、厄介ごとを処理するような口調で小島は述べた。
「決まっているじゃないか」真田は答えた。「抜き打ちの視察に決まっているだろう」
その言葉を聞いた小島は、無表情のまま矢沢の方を見る。この人はこういう人なんです、とでも言いたげな表情を矢沢は浮かべた。
「現場のことは現場に任せておいて頂きたいものですね」
「部下の仕事ぶりを確認するのも俺の職掌の一つだ」再び真田は答えた。
「まあ、君の性格からして不正や誤魔化しをするとは思えないがね」
「ええ。何でしたら自分が今使っている端末の中身を目の前でご確認頂いても構いませんよ」
目の前にいる上官のような、傲岸不遜さを感じさせる声で小島は答えた。それを聞いた真田はどこか満足気な笑みを浮かべると、一呼吸おいて口を開く。
「送られてきた報告書は読んだ。さすが俺が見込んだ男だけのことはある」
「それは、褒め言葉と受け取るべきなのでしょうか」
どこか照れくささと戸惑いを感じさせるような声で小島は答えた。
「君が他人の言葉を疑ってかかる
真田は軽く呆れたような口調で応じた。
「こういうことは素直に喜んでおくものだ」
「そういうことでしたら、ありがとうございます」
小島のその言葉を聞いた真田は(この男にしては珍しく)微笑すると、グラウンドへ目をやる。幾人ものウマ娘がそこを駆けていたが、いかんせん一周2千mのコースともなると、スタンドの近くを走っているのでもない限り、遠目には豆粒程度にしか見えない。目を細めてグラウンドを眺める真田に、小島は双眼鏡を手渡した。それを覗き込んだ真田は芝コースのすぐ内側にあるダートコース、そこで並走する2人のウマ娘を見つめながら口を開いた。
「今-ええと、ダートで良かったか、そのコースを走っている茶色で短めの髪の子と、その隣にいる長い黒髪の子が」
「自分がトレーナーとして担当しているウマ娘の、アグネスタキオンとマンハッタンカフェです」
「確か茶髪の短い髪の方がタキオンで、黒くて長い髪の方がカフェでよかったな」
「ええ。2人とも、もうすぐデビュー戦を迎えますよ」
よく2人のことが一発で分かったな、このおっさん。そう思った小島は、全員が担当するウマ娘について、それぞれの経歴を顔写真付きで報告書にまとめていたのを思い出す。そりゃ知ってて当然だ、彼は再び思った。
「こっちでも調べてみたが」双眼鏡を覗き込んだまま真田は答えた。「随分と
「30年くらいやってる本職のトレーナー-遠藤准空尉の中学以来のご友人という方いわく、あの2人はG1級の能力を持っているそうです」
「ほう」感心したように真田は応じた。
「まあ、自分はトレーナーとしては素人同然なので、その言葉をどう受け取るべきか未だに分かりませんが」
「君のやりたいようにやればいいさ。第一、俺もウマ娘については素人なんだからな」
そんな真田と話しながら、ダートコースをかけるタキオンを見た小島は思った。あいつ、ダートでも意外といい走りをするんだな。ひょっとしてそっちも行けるかもしれん。
「そういえば、君以外の面子はどうしているんだ」
双眼鏡から目を離した真田は小島に問いかけた。
「森宮一尉と広瀬一尉はそれぞれ別の場所で担当ウマ娘-ライスシャワーとグラスワンダーのトレーニングに付き合っています」
小島は事務的に答え、続けた。
「土井一尉は確か、娘の定期健診に行くそうで今日は有給休暇を。遠藤准空尉は今、分屯基地で事務作業-」
「分かった、ならよろしい」
遮るように真田は答えた。そんな彼に、小島は疑問をぶつけるような口調で返す。
「抜き打ちの視察に来られたのですから、ご自身の目で確認なさらないでよろしいのですか」
「一応は見させてもらうがまあ君の事だ、きちんとやっておるのだろう」
「俸給と賞与と特別手当の分は仕事をしていますよ」
「つまりそれ以上は、ということかね」
「他に仕事が決まらなかったから仕方なく入隊した人間にそれ以上を求める方がどうかと思いますが」
まあ有事やそれに類する事態の場合は別ですけれども、基本的には私生活優先なもので。そう堂々と小島は述べた。
それを聞いた真田は笑みを浮かべると、どこか愉快そうな口調で返答した。
「それでいい。与えられた仕事をきちんとこなしているのなら、君が持っている働き方についての思想信条にまで俺は干渉するつもりはない」
それに対して小島は、今度は心からの感謝をこめて応じた。
「ありがとうございます」
その後で彼は軽くあたりを見回す。見ると、周囲が宇宙人でも見たかのような態度と視線を向けているのが分かった。上官とその副官はそんなことを気にも留めずにグラウンドを眺め続けている。小島もまた、グラウンドのダートコースで並走を続けている2人の担当ウマ娘と、2人がそれぞれ身に付けている端末とセンサーから送られてくるデータを、リアルタイムで受信・解析している軍用規格のタブレットとを見比べつつ、上官たちに倣うことにした。
その後しばらくして、タキオンとカフェの2人がダートでの並走を終えて担当トレーナーの元に戻ってくると自分たちのトレーナーの傍に、切れ者然とした風貌を漂わせる男を従えた、見知らぬ中年男性がいることに気がついた。2人ともいくつかの装飾が施された、黒いスーツタイプの制服を着用している。
「指示されたトレーニングは終わったよ。それよりもトレーナー君」
最初に口を開いたのはタキオンだった。彼女は見知らぬ2人に視線を向けつつ話を続ける。
「君の隣に始めて見る人物がいるのだが、彼らはいったい何者だい」
「俺の上官とその副官だ」
小島はそう答えると真田と矢沢の方に視線をやり、お願いしますとでも言いたげなしぐさを見せた。それを見た2人は軽く肯くと、タキオンとカフェの方に顔と体を向ける。軽く間をおいて、まずは真田が口を開いた。
「確か、アグネスタキオンにマンハッタンカフェだったか、初めましてで良いかな。小島君の上官をしている真田忠道だ、階級は海将補-彼の4個上になる」
タキオンとカフェはその声に軽く戸惑う。どこか威厳すら感じさせるその声が、部品がいい加減に配置された、不細工を通り越して醜男そのものと言っていい顔から出てきたものだとは思えなかったからだ。
タキオンは軽く眉をひそめながら、カフェもどこか疑念の表情を浮かべつつも目の前の小柄な中年男性に挨拶を返す。それを聞いた真田は2人の表情の変化に気が付きつつも、傍に控えている副官に目をやりながら答えた。
「彼は矢沢敏夫三等海佐、俺の副官だ。ちなみに階級は小島君の1つ上になる」
「どうぞよろしく」
優しそうな口調で矢沢は答えた。2人も彼に対して軽く頭を下げる。それを見た真田は再び小島の方を向き、口を開いた。
「さて自己紹介も終わったところで-小島君」
「なんでしょう」
「俺はこの2人と話がしたいんだが、いいかな」
真田はタキオンとカフェの方に視線を向けながら答えた。その言葉を聞いた2人は揃って小島の方を見る。彼は悪いが付き合ってやってくれ、とでも言いたげな表情を浮かべていた。それを見たタキオンとカフェは一呼吸おいて、仕方がないとでも言いたげな表情を返す。それを確認した小島は真田に対して口を開いた。
「自分は走行データをまとめておりますので、ご自由に」
彼はそう言うと、まるで外部から入ってくる情報すべてを遮断したかのような態度で、端末の画面に意識を集中させる。それを確認した真田は、改めて2人に向き直った。
あたりを見回すと、真田に対して不審者でも見るような視線が周囲から突き刺さっている。確かに出る所に出れば提督と呼ばれる立場にある人間ではあるものの、一見しただけでは海上自衛隊の制服を着ているだけの中年の醜男にしか見えない真田と、(個人による美意識の際こそあれど)見目麗しいウマ娘2人が語り合う姿は、傍目から見れば不気味以外の何物でもなかった。
(さてと、この場合はどうするべきかな)
その様子を見たタキオンは思った。不細工な顔をしているとはいえ、この男は私とカフェのトレーナー君の上官であり、それなりの地位にある人物であるらしい。言葉を考える時間の無駄が好きではないので他人に敬語を使うことはあまりないが、このような人物にどう接してよいのかについては自身の経験が不足している。はてさてどう答えたものか。
そのようなタキオンの
「アグネスタキオンとやら、俺は君が普段他人に接する時の態度で話してもらっても一向に構わん、その辺りは小島君から聞いている。敬語を使うのが面倒と言うか、そんな感じなのだろう」
そのことを聞いた彼女はどこか吹っ切れたような表情を浮かべると、普段と変わらぬ態度で真田に返した。
「では遠慮なく言わせてもらうとしよう-カフェ、君もそうすると良い」
「私はタキオンさんほど非常識ではありませんので」タキオンの言葉を聞いたカフェは答えた。「普通に敬語を使わせてもらいます」
「おいおい、私のどこが常識に欠けているというんだい」
心外だ、とでも言いたげにタキオンは答える。それに対して、何をかいわんやと言った表情を浮かべながらカフェは応じた。
「初対面で小島さんに自家製の怪しげな薬を飲ませようとした人の言うことですか」
「丁度いい被検体が目の前にいたら誰だってそうするだろう、カフェ」
「そんなことをしているから資料を燃やされたりするんですよ」
「話が弾んでいる所悪いが、女性同士の痴話喧嘩はそのくらいにしてくれないか」
夫婦喧嘩の仲裁に入るような声で真田は答えた。その言葉に2人は毒気を抜かれたような表情になる。気にせず真田は話を続けた。
「第一アグネスタキオン、君の倫理観が洗面器に置かれた一粒の小豆ほども無いことを俺は知っている」
「誰に聞いたんだい、それ」
婉曲的に自身の倫理観の欠如をなじられたことに気がついたタキオンを尻目に、真田は小島を顎で示しながら口を開いた。
「決まっているだろう、あそこで端末と睨めっこをしている男だ。あの男が報告書にきちんと書いておいてくれたのさ」
「全く、余計なことをしてくれたものだね」
苦笑いを浮かべながらも、どこか面白さを
「そういえば、マンハッタンカフェ」
「何でしょうか」
「報告書には、君の言うところの『お友だち』とやらについても記されていた」
それを聞いた途端、カフェの表情が僅かに
「どのように」
不安げに答えた彼女に、真田は普段の態度からはとてもではないが信じられないような、優しさを含んだ声で応じた。
「要約すれば-他人の思想信条に干渉するつもりは無い、そんな感じだったな」
「それは」
カフェは胸を撫で下ろした。小島が『お友だち』の存在を否定しないという明確な意思表示を、彼なりの言葉で再び示したことを確認できたためであった。
「まあ君たちの事だけではなく、この学園についても色々と書いてはあったがね-それよりも君たちに聞きたいことがある」
急に声のトーンが真面目なものに変化した真田を見て、タキオンとカフェはわずかに身構える。彼は一呼吸置いて、2人に問いかけた。
「単刀直入に聞こう-君たちは小島君のことをどう思っているんだ。ああ、彼に遠慮する必要は無い、忌憚の無い心中を聞かせてくれ」
その言葉を聞いた2人は考え込む。少しの間を置いて、タキオンが口火を切った。
「この学園やレースの世界にいたままでは、決して出会うことのないような人間だねぇ」
「だろうな」真田はどこか納得したように答えた。続けてカフェも口を開く。
「どこか癖の強そうな人だとは思いますが、今までの印象や行動からすると悪い人ではないと思います」
それにしてもこの人、背丈の割にどこか態度が大きいですね。彼女は日本人男性としては小柄な部類に入る真田を見ながら思った。その時、何かを思い出したようにタキオンが口を開く。
「そういえばトレーナー君について、もう一つ気になることがあるのだが」
「何だね」
「彼は私たちウマ娘に対して、
それを聞いた真田は、どこか意味深げな表情を浮かべながら答えた。
「それについては、君たちの想像に任せよう」
「ちなみにだが」タキオンは再び口を開いた。「カフェは、トレーナー君がウマ娘に暴力を振るわれたことが原因ではないかと言っていた」
「ほう」
真田はそう呟くと、興味深げにカフェを見つめる。唐突に話を振られたカフェは、傍迷惑とでも言いたげな表情を浮かべながら答えた。
「あくまでもタキオンさんの想像と、小島さんの額にある傷から私が推測したにすぎません。それに-」
カフェは一度言葉を切り、再び話を続けた。
「たとえその推測が本当だったとしても、今のところその事を小島さんが表に出すようなことはしていません」
「小島君はそういう人間だ」真田はすべてを見透かしたような声で答えた。
「彼は自分の考えを人に押し付けるようなことはしないし、たとえ自分の思想信条と異なる考えを他者が抱いていたとしても、基本的にはそれを理由に悪意を向けたり危害を加えるような人間ではない」
その言葉を聞いた2人は息を呑んだ。自分たちの担当トレーナーの内心がどのようなものであるかについて、真実を自白したにも等しい内容であったからだ。
そのような、どこか固い表情を浮かべる2人に向けて、真田は異端審問でもするかのような口調で話を続ける。
「君たちの担当トレーナーがどのような人間かは理解してもらえたと思うが-どうするね。小島君との契約を解除するか」
「それだけは無いねぇ」
「ありませんね」
2人はほぼ同時にそう、断言するように答えた。それを見た真田は微笑しながら口を開く。
「随分と彼のことを買っているようじゃないか」
その言葉に最初に反応したのはタキオンだった。
「トレーナー君とは、どこか馬が合いそうな気がするのだよ。後はそうだな、彼についてちょっと知りたくなってね」
「なにをだ」
「どうやったら狂気と優しさを同居させることが出来るのかを、さ」
それを聞いた真田は思った。なるほど、彼女が優れた頭脳の持ち主だとは書いてあったが小島君のことをここまで見抜いているとは。
(尤も)
彼についての理解、という点では森宮君に劣るだろう。何しろ彼女は、
真田は頭の中でそのような思索を終えると、次いでカフェに向けて口を開いた。
「マンハッタンカフェ、君はどうなんだ」
「小島さんは『お友だち』を-私の大切なものを、初対面で否定せずに受け入れてくれましたから」
思い出話をするように彼女は答えた。真田はそれを聞き、あえて意地悪げな口調で応じた。
「だが君もアグネスタキオンも、彼がウマ娘のことを嫌っているかもしれないと推測しているそうじゃないか。他人を第一印象だけで評価してはいかんぞ。外面は良くても裏では、という奴はいくらでもいるからな」
「たとえそうだとしても」
真田の話を聞いたカフェは強い意志を込めた言葉と表情で答えた。
「あの人は、自分と異なるというだけで他者を排斥しようとはしませんでした。だからこそ、私は小島さんに担当してほしいと思ったんです」
(ソノトオリダ)
そのとき、真田は自分の耳に何かが聞こえたような気がした。彼は思った。
成程、彼女-マンハッタンカフェには我々に見えない何かが見えている、というのは断言こそできないものの本当であるらしい。全く、小島君は随分と個性的な2人を選んだものだ。
「君たちは小島君のことを随分と好いているようだな」
真田は茶化すように答えた。混ぜ返すようにタキオンが応じる。
「と、いうよりは割れ鍋に綴じ蓋と言った方がいいだろうねぇ。今の話を聞いていてそう思ったよ」
「マイナスとマイナスをかけ合わせれば、プラスになるからな」
再び真田は答えた。
「変わり者同士相性がいいということなのだろうが、一応言っておくと彼は既婚者かつ子持ちだぞ」
「私もカフェもそんなことは知っているさ。なあ、カフェ」
「お相手が森宮さん、というのが正直信じがたいのですが。しかも子供までいるというのは」
カフェは答えた。次いでタキオンも笑みを浮かべながら答える。
「私もカフェも抱っこさせてもらったねぇ。なかなか可愛らしい子だったよ」
あの2人の間に生まれたとはとても思えない、彼女はそう続けた。それを聞いた真田は論駁するように口を開いた。
「個人間の問題に俺が口を出すことはできないが-考えられる理由としてはまあ、小島君と森宮君が似た者同士だからだろうな」
それを聞いて小島と森宮の様子を思い浮かべた2人は、しばらくして信じられない、とでも言いたげな表情を浮かべながら、どこか素っ頓狂な声でほぼ同時に答えた。
「「似た者同士?」」
「君たちが何を思い浮かべたのかは知らんが」
真田はさもありなんといった表情を浮かべながら、どこか教師然とした口調で答えた。
「表面からではわからない、もっと根本的な所だ。そう思うのも無理はない」
「私の想像力が欠如しているのかどうかは分からないが」タキオンは答えた。「残念ながら今のところ、あの2人が似た者同士だとは到底思えないねぇ」
「右に同じです」カフェもまた答える。
「まあ、いずれ分かるときが来るさ」預言者めいた声で真田はそれに答えた。「取りあえず、今は目の前のことに集中したまえ。確か君もカフェも、そろそろデビュー戦なのだろう」
「よく知っているねぇ」
「あそこにいる男から聞いているからな」
真田は小島を指し示すように答えた。データの取りまとめを終え、上官に話しかけるタイミングを窺っていた彼はそれに気づくと好機とばかりに口を開く。
「話は終わりましたか、真田海将補」
「ああ。おかげで、この2人と有意義な話をすることが出来た」
端的に過ぎる言葉で真田は今までの会話を要約して見せた。
「それよりも、この後時間はあるか」
「何でしょうか」
「俺と矢沢君に付き合ってくれ」
「今日の練習メニューは2人に予め指示してありますから問題はありませんが、何をなさるおつもりでしょう」
口調こそ丁寧であるが命令そのものである言葉を上官から聞いた小島は、内心で面倒臭さを感じながらも、表面的には上官に対する礼を遵守して答えた。
対する真田もまた、彼のそのような内心を表情や声色から読み取りつつも、それに言及することなく答えた。
「さっき言ったように、君以外の面子の様子も視察するのと-後はそうだな、理事長や生徒会長と話がしたい」
「視察の方は良いとして、後ろ半分は出来るとは限りませんよ」
「その時はその時で考えるさ-ということで、ついて来て貰おうか」
「少々お待ちいただけますか」
小島のその言葉を真田は軽く肯いて了承する。それを見た彼は2人に向き合い、口を開いた。
「そういう訳で、俺はこれから上官のお供をしなけりゃならん。この後のメニューは最初に言った通りこなしてくれ、それが終わったら練習を切り上げていい。その後は好きにしろ」
「国家公務員というのは大変だねぇ」
同情とからかいがそれぞれ半分、と言った口調でタキオンは答えた。
「金を稼ぐ手段と割り切ってるさ」小島もまた答えた。「そうでもしなきゃやってられん」
「同情するよ」
小島はタキオンのその言葉を聞くと、真田と矢沢に付き合ってグラウンドを後にした。
「本当にトレーナー君には同情するねぇ」
タキオンは真田と矢沢と共にグラウンドを離れる小島を見ながら答えた。
「彼の上官-確か真田と言ったかな。顔の作りもそうだが、話してみた限り性格も中々の人間のようだ。初対面で好意を抱けるような人物ではないよ」
「身長の割に、どこか態度が大きそうには感じましたね」
カフェもまたタキオンの言葉に反応した。呟くようにタキオンは口を開く。
「でも」
「でも?」
「あの男はトレーナー君と森宮トレーナーの事を似た者同士だと言ったが、彼もまた2人の同類であるような感じがするな」
それを聞いたカフェは疑うような、信じがたいような目でタキオンの事を見つめながら口を開いた。
「私には分かりませんでしたが」
「おいおい、そんな目で見ないでくれたまえ。私だってぼんやりとしたイメージしか浮かんでこないんだから」
「タキオンさんらしくないですね。普段実験をしている時は、そんな曖昧なことを言わないのに」
「対人観察と実験ではその過程や得られる結果に違いがあるからねぇ、同一視することはできないさ-と、この話はここまでにして、後はお互いにやるべきことをこなそうじゃないか」
「ええ、そうしましょう」
納得半分不満半分と言った口調でカフェはそのように答えると、タキオンと共にグラウンドへと戻っていった。
一方、グラウンドを離れた3人は分屯基地や他の分遣隊メンバーの元を訪れて仕事ぶりを視察する傍ら、小島の案内で学園のあちこちを見て回った。
真田の事を見たライスシャワーは怯えて森宮有沙の後ろに隠れて縮こまり、グラスワンダーは広瀬と共に不可思議なものでも見たかのような表情を浮かべた。その一方でマヤノトップガンは真田の事を見るなり「美咲ちゃんと同じ服だ」といってまとわりついて話をせがんだ。彼もまた普段の態度からは想像もできない程の笑みを浮かべてしゃがみこむと、まるで孫に読み聞かせでもするかのような、優しげな声で彼女に話しかける。
その光景を見た小島は、中々シュールな光景だなと思った。何しろ醜男と(ウマ娘とはいえ)幼女が顔を突き合わせて親し気に話をする姿というのは、傍から見れば不気味以外の何物でもない。真田が制服を着ていなければ、誘拐犯にでも間違われそうなくらいだ。
ふと見ると、矢沢も彼と同じような感想を抱いているらしい表情を浮かべている。そんな矢沢に、小島は話しかけた。
「あの人もあんな顔出来るんですね。意外でしたよ」
「ええ」矢沢は答えた。「自分も初めて見ました」
「普段はどんな顔を」
「自分にもよく分かりません。何しろ副官になってまだ1年くらいしか経っていないもので」
「そうなんですか」小島は答えた。「てっきり、もっと長く勤めておられるものかと。初めて会ったときからそのような感じがしていたものでして」
「他の人からも似たようなことは言われていますよ。70年くらい前から仕えているのではないかって」
「言われてみれば、そんな気がしないでもないですね」
「全く、よく分からない話です」
矢沢は答えた。2人の視線の先では話を終えたらしい真田が、マヤノトップガンに手を振って別れている。その様子を見た真田は、何かを察したような表情を浮かべつつ口を開いた。
「たまには小さな子供と話をするのも良いものだな」
幸隆-長男が子供の頃を思い出すよ。そう言うと彼は小島に話しかける。
「さて小島君、理事長と生徒会長の所へ案内してもらえるか」
「分かりました。このまま自分に付いて来て頂ければ」
「わかった」
上官の返事を聞くと、小島は歩き出す。真田と矢沢もまたその後に続いた。後ろではマヤノトップガンが真田に手を振り続けていた。
やがて3人は理事長室の前にたどり着く。扉越しに聞こえてくる声からして、複数名で話し合いをしているらしい。
「取り込み中のようだが、大丈夫かね」
「まずは自分が行って確かめてきます。お2人はこの場で待っていて頂けますか」
「心得た」
真田は答えた。矢沢もまた肯く。それを確認した小島は理事長室のドアをノックし、口を開いた。
一方、部屋の中では理事長と駿川秘書、それにシンボリルドルフとエアグルーヴの4人が打ち合わせを行っていた。不意に扉がノックされ、全員がドアの方に注目する。少しの間を置いて声が聞こえてきた。
「取り込み中に失礼します。小島ですが、今入室してもよろしいでしょうか」
それを聞いた4人は顔を見合わせた。今度は何を持ってきたんだ、そんな表情を全員浮かべる。やがて話だけは聞いてみようということになり、理事長-秋川やよいが入室を許可した。
扉が開き、先ほどの声の主が入室してくる。彼はルドルフとエアグルーヴを見るなり口を開いた。
「ルドルフとエアグルーヴもいたのか、なら丁度いい」
「何でしょうか」ルドルフは答えた。
「今俺の上官が来ていて、理事長と-君たち生徒会の面々と話がしたいと言っている。時間は大丈夫か」
「私と理事長は大丈夫ですが」駿川がルドルフとエアグルーヴの方を見ながら答えた。「お2人はどうでしょうか」
「問題ありません」間髪入れずにルドルフが答えた。「それに1度、小島トレーナーの上官とは話をしてみたいと思っていたところです」
その後でエアグルーヴも口を開いた。
「会長がそういわれるのでしたら、私もお供致します」
「決まりだな。じゃあ、呼んでくる」
小島はそう言って、一度扉の外に戻って行った。
「それにしても、小島トレーナーの上官とはどのような人物なのでしょうか」
「既知。私とたづなは一度だけ会ったことがある」理事長は答えた。
「それで」
「中背で小太り、それでいて傲岸不遜が絵を描いたような男だった」
「顔の作りも、お世辞にもいいとは言えませんね」
補足するように駿川が答えた。続けて再び、理事長が口を開く。
「ただ、曲がりなりにもそれなりの地位にある人間だ。礼を失したり、外見に惑わされて侮るのはやめた方がいい」
彼女がそこまで言ったとき、再び扉が開き、小島に伴われた、海上自衛隊の制帽と制服を身にまとった2人が入室するのが見えた。
その後、互いに自己紹介を終えると真田は応接スペースのソファに、ルドルフとエアグルーヴと向かい合う形で腰を下ろした。彼の左後ろには立ったままの矢沢と小島が控えている。それを見た真田は、小島に話が終わるまで外に出ているように命じた。彼は無表情のまま一言、分かりましたと答えて部屋の外へと出ていく。扉が閉まったことを確認した後、執務机の椅子に腰かけたままの理事長が口を開いた。
「質問、真田海将補、聞きたいことがある」
「何だね理事長」
「彼を-小島トレーナーをこの学園に配属した理由だ」
理事長は問い詰めるような口調で真田に回答を迫った。それを聞いた彼は、小島が(彼女らや学園の基準でいえば)ちょっとした以上の問題となりうる行動を取っていたことを思い出す。
なぜ真田がそんなことを知っているのかと言うのには理由があった。小島がその事を全て報告書に記載していたからだ。無論彼は小島の行動について、同業者としての常識に従った上でのものである事を理解していたから、特段問題視はしていなかった。だが、彼女たちや学園側の常識からすれば問題視されるような行為ではあったようだ。
彼は理事長の言葉や口調からそのことを読み取ると、この学園に小島を配属した本当の理由を出さないよう、言葉を選びながら口を開いた。
「小島君は、皆が前しか見ていない状況でも左右や後ろを気にかけることができる人間だからだ」
「どういうことでしょうか、真田海将補」
ルドルフが答えた。
「階級はいらん。ここでの我々は所詮、余所者に過ぎないのだからな」
「では真田さん」再びルドルフが答える。「今あなたがおっしゃった事の意味についてお伺いしたいのですが」
「つまるところ小島君は周囲の喧騒や興奮に惑わされず、物事の本質を冷静に見極めることができる人間だ。だからこそ、担当するウマ娘の本質を正しく見抜いて個々人に合った適切なトレーニングやレース選びを行えると判断した-これが彼をこの学園に配属した理由だ」
その時、理事長が唐突に口を挟んだ。彼女は小島隆史のこれまでの行状を思い出しながら傲岸不遜な醜男に問いかける。
「評価。そのような人間なのだとしたら、自衛隊内での評価もさぞ高いのだろうな」
勿論字面通りの意味ではない。あんな問題行動(あくまでも学園の基準で見た場合)ばかりするような奴を寄こしたのか、という批判と皮肉が含まれていた。
「とんでもない」彼女の内心を見抜いたように真田は答えた。「彼の考課表-民間企業でいう勤務評定だが、随分と毀誉褒貶の激しいことになっていてね。内訳は毀と貶が7割8割といったところだ」
それを聞いた理事長は想定外の返答に困惑した。彼女の秘書も、感情の処理が追い付いていないような表情を浮かべている。
真田の答えが意味するところは一つしかない。つまるところ自衛隊は厄介ごとを起こす問題児を体よく我々に押し付けた-そういうことであった。見ると、ルドルフとエアグルーヴもまた唖然としている。そんな彼女たちを見た真田は、無表情のまま新しい学説を唱える学者のような口調で答えた。
「君たちの言いたいことは分かる。理事長に-シンボリルドルフとエアグルーヴといったか、確かに彼は問題児だ。だがそれはあくまでも我々自衛隊、というより日本型組織の構成員の多数派から彼を見た場合の一面的な見方に過ぎん。俺はそれらとは見解を異にする」
「どういうことなのでしょうか、真田さん」
問い詰めるようにルドルフは答えた。それに対して真田は、『軍人』としての態度に立ち戻りながらそれに応じた。
「小島君は、実戦向きの人間だということだよ」
その言葉を聞いた4人は戸惑う。実戦向きの人間とは一体どういうことか-全員がそう言いたげな表情をしていた。それを見た真田は何かを吐露するように答える。
「平時の俺たちの仕事は役所と何ら変わりがなくてね。前例を踏襲して上の言うことをよく聞き、文句を言わず官僚的に仕事をすすめるような人間が高く評価されたり重んじられたりしやすい。だが小島君と森宮君はそうではなかった」
「森宮トレーナーもか」
理事長は驚きをもって答えた。彼女についての資料は配属にあたって他の分遣隊メンバーのものと共に受け取っている。防衛大を次席、幹部候補生学校に至っては首席で卒業した才媛。そして(信じがたいことに)小島隆史の細君であり一児の母親。そんな人物が小島隆史と同じような問題児だというのか。全く持って理解できない。
「何を驚くことがあるというんだね、秋川嬢」
思考が理解に追いつけないでいる理事長に対し、まるで親戚の娘と会話するかのような口調で真田は答えた。
「あの2人は、根源的な部分では同一と言っていいほどの似た者同士だ。自己の内部で定めたルールを厳格に守り、それに抵触したものを好意的に捉えず、自分の意見は誰に対しても正直に述べる。基本的に周囲とは仲良くするが盲目的な同調はしない。そしてそのような性格をしているからこそ、自分の属する組織の方針やあり方に異議を唱えることを躊躇わない。故に平時の組織では異端者や問題児扱いをされる。あの2人はそういう人間だ。だが-」
彼はそこで言葉を切り、続けた。
「そのような人間は、いざとなれば必要な手段を躊躇なく実行することができる。だからこそ実戦で役に立つ。そして君たちのしているレースもまた、競争という観点から見れば本質は戦争と何ら変わらない。だからこそ小島君と森宮君をそれぞれ、トレセン学園分遣隊の司令官と副司令官として抜擢したという訳さ」
それを聞いた理事長は納得せずとも理解は出来る、とでも言いたげな表情を浮かべた。駿川秘書とルドルフ・エアグルーヴの3人もどこか納得したように肯く。
そこから一呼吸置くと、エアグルーヴがおもむろに口を開いた。
「真田さんが小島トレーナーの事をどのように評価しているかはわかりました。その上で一つ気になった事があるのですが」
「なんだ-確かエアグルーヴといったか」真田は応じた。
「彼の学業成績は、どのようなものだったのでしょうか」
「なぜそれを聞く」
「初対面の際に、不愉快極まりない内容ではありましたが、深い知性と教養を感じさせるような言葉を小島トレーナーから聞いたもので」
それを聞いた真田は含み笑いを浮かべながら思った。あの男、俺と森宮君のお父上経由で得た情報を存分に活用してくれたようだ。
そのような、傍から見れば不気味な笑みを浮かべる醜男にしか見えない彼に対して、どこか不審者を見る目つきになった4人に真田は答えた。
「そっちの方もあまり秀でているとは言えんな。必要な水準はクリアしているが、可もなく不可もなくと言ったところだ」
その言葉に、エアグルーヴは首を傾げて考え込む。ではなぜ小島トレーナーは、あれ程知性と教養を感じさせるような言葉を発せるのだ?訳が分からなくなってきたぞ。
思考の坩堝に嵌った彼女を尻目に真田は話を続けた。
「まあ、頭のレベルでいったら森宮君の方が上だからな。彼女は防大を次席で出ているし、幹部候補生学校-誤解覚悟で端的に言ってしまえば防大の次に行く学校-に至っては首席で出ている」
それを聞いたエアグルーヴは内心で仰天しながら森宮のことを思い浮かべる。確かに彼女は顔もいいが、頭の出来もそれほどのものであったとは。それと同時に、エアグルーヴには疑問が湧いてきた。
-森宮トレーナーの方が優秀なのであれば、何故彼女の方を指揮官にしなかったのだ?そのような、優秀な人間をトップに据えた方がいいのではないか。現にこの学園では、シンボリルドルフという、頭脳もレースもトップクラスの人物が生徒会長を務めている。自衛隊の人間とてそれを理解していないわけではあるまい。何故そうしないのだ?
横を見ると、ルドルフもまた彼女と同じように表情を浮かべていた。無理もない。ルドルフはG1を7勝-うち3勝は現状唯一の無敗でのクラシック3冠-しており、エアグルーヴもまたオークスと天皇賞(秋)を勝利するなど優秀な競争成績を収めていた。それが2人をこの学園の生徒会長と副会長に誘った理由の1つでもある。故に2人とも、優秀な者が上に立つべきだという考えを持っていた。なおこれについては、この学園に所属するウマ娘の大半が彼女たちと同じ考えの持ち主であることを付け加えておく。
だが、彼女たちはプレイヤーとして優秀な成績を収めることが、組織のリーダーとしての適性を示すものではないことを知らなかった。そして現状、それを理解しているのは、ここにいる6人の中で、真田忠道とその副官のみであった。
そのような内心の2人を代表するかのように、ルドルフが口を開いた。
「森宮トレーナーがそれほど優れた人物であるのならば、なぜ彼女の方を指揮官にしなかったのですか?」
その言葉に対し、真田はあっけらかんと答えた。
「簡単な話だ。森宮君は確かに優秀ではあるが、指揮官としての適性を持っておらんからだよ。このことは彼女自身も理解している」
「指揮官としての適性?」
反論するような口調で答えるルドルフ。それに対し、真田は講釈を垂れる評論家のような言葉で答えた。
「俺たちのような仕事をしている人間に言い伝えられている格言というのがあってな」
「それはどのようなものなのでしょうか」
「頭の良い働き者は参謀に、頭の良い怠け者は指揮官に、頭の悪い怠け者は兵隊に、そして頭の悪い働き者は銃殺に処せ、というものだ」
真田が銃殺、という言葉を使った瞬間、部屋の空気が冷たさを帯びる。まるで会長が洒落を口にしたときのようだな、エアグルーヴは思った。少しの間を置いてルドルフが答える。
「最後の言葉が少々不穏当に感じますが、それが森宮トレーナーを指揮官に据えないことに何の関係が」
「森宮君は典型的な頭の良い働き者だ。参謀としては優れた才能を持っているが、指揮官としての才能は無きに等しい。むしろ小島君の方が指揮官向きの才を持っている」
「失礼ながら、真田さん」ルドルフは三度答えた。「あなたがそう考えた根拠をお示し頂けませんか」
「あの男は常に、いかに楽をして目的を達成するかを考えているからさ。典型的な頭の良い働き者-指揮官に最も適した男だ。尤も、本人は気がついていないようだがね」
「楽をする、ですか。あまり好ましい考えとは思えませんね」
「おいおい」真田はどこか幼児的に答えた。「楽をすることの何が悪いというんだね。楽をしたいからこそ俺たちは文明を進歩させて来たんじゃないか。それともなんだ、文明の進歩を否定したいのか、文明の恩恵を受けている君たちが」
それを聞いた2人は呆けたような表情になる。そんなこと考えたことも無い、とでも言いたげな表情をしていた。
(やはり、小島君が記していたように)
彼女たちは視野が狭いな。真田はそれを見て思った。
無理もない。この学園に来るウマ娘というのは、基本的に幼い頃からレースという特定の世界だけを見て育ってきたのだから。彼女たちが悪いわけでは無く、ただそれ以外を知らないというだけなのだ。それに目の前の2人は、片や唯一無二の無敗クラシック三冠かつG1競争7勝の皇帝、片やオークスの母子制覇に天皇賞(秋)を勝った女帝-いずれもこの世界に頭まで浸かりこんだ者であり、そんな彼女たちに頭ごなしに視野を広げろと言っても、チンパンジーにシェイクスピアをタイプさせようとする行為に等しい。土台無理な話だ。
(まあ、だからこそ)
俺は小島君と森宮君を送り込んだのだがな。異質な物とぶつかることで見えてくる事もあるだろう。その後で彼女たちが視野を広げることの大切さを理解してくれれば問題ない。
そこで真田はふと、理事長の方を見た。
彼女は押し黙ったまま両肘をつき、手のひらを顔の前で組んで何やら考え事をしていた。微かに森宮、森宮、とつぶやく声が聞こえてくる。その様子を見た真田は、何かを察したかのように口を開いた。
「さて、この話はここまでにしよう。他に話したいこともあるのでね」
「お待ちください」エアグルーヴが答えた。「小島トレーナーが指揮官としての才を有している、と判断された理由についての詳細をお伺いしておりません」
「君たちもいずれ分かるさ」意味深長に真田は答えた。「あの男の事を全て語るには、それなりに時間がいるからな。それよりも」
そう言って彼は理事長の方に目をやると、鋭さを持った声で口を開いた。
「さっきから何か言いたそうだな、秋川理事長」
「森宮」呪いの言葉でも口にするかのように彼女は答えた。「思い出した。真田海将補、ひょっとして森宮トレーナーのご実家というのは、あの森宮家か」
それを聞いた真田は、トリックを暴かれた知能犯のような表情と口調で応じた。
「そのまさかだよ。彼女は飛鳥の御代以来1400年以上に渡って連綿と続き、この国の政財官に多大な影響力を持つあの森宮家の現当主の長女だ-生徒会長、君も少しは知っているだろう」
「聞いたことはありますが、詳細までは」
ルドルフはどこか半信半疑に答えた。真田は説教師の様な口調で話を続ける。
「君の実家やメジロ家、サトノグループ-そしてURAもこの学園も、森宮君の実家の前では赤子同然だ。何しろあの家のご当主、つまるところ彼女のお父上は『東京都千代田区一丁目一番地に住まう、さるやんごとなき御方』と友人同然に話せるような人間だからな」
まるで世間話でもするかのような彼の言葉を聞いた瞬間、4人の表情が一変した。真田が何を言っているかを瞬時に理解したためである。それを気にすることなく、真田の話は続いた。
「それが誰かは言われずともわかるだろう。君たちにも毎年春と秋の2回、盾を下賜されている方だよ。ああ会長、君は確か秋の方は取りこぼしていたな」
それを聞いた時、ルドルフの脳裏にある記憶が甦る。
『皇帝』と呼ばれた自分と、『マイルの皇帝』と呼ばれ、マイルと短距離で無類の強さを誇った
「それと今の話との間に、何の関係があるのでしょうか」
「特に深い意味は無い。世間話程度に持ち出しただけだ」
どうとでも取れるような表情を浮かべながら真田は答えた。
全くこの男は。ルドルフは思った。掴みどころのない話をしているのに、それでいて痛い点はきっちりと突いてくる。まるで小島トレーナーのようだ。
いや、だからこそか。彼と似たような人物であるから、あの小島トレーナーを御すことが出来ているのかもしれない。流石は彼の上官と言ったところか。
「ああ、森宮家について更に付け加えておくと、あの家は下手な小国並みの資産を持っているし、明治維新から第二次大戦後までの一時期は伯爵位を下賜された華族の一員でもあった。森宮君は世が世なら貴族のお嬢様、という訳さ」
それを聞いた理事長は思い出した。森宮家が毎年、学園に多額の-数十億円規模の-寄付を、『家庭の経済事情のみを条件とした給付型奨学金として使用する事を条件に』行っていることを。
全く教授、貴方はどれだけやれば気が済むのだ。お金だけならまだしも、ご息女まで送り込んでくるとは。彼女は森宮家現当主をしている男のことを思い出しながら、心の中でぼやいた。それ以外にも様々なものが渦巻いている。他の3人も、そのような内心を抱えていると思しき表情を浮かべている。
その様子を見た真田は悪戯をする子供のような表情を浮かべると、再び口を開いた。
「ついでに言っておくと、森宮君の曾祖母は明治帝の娘だ。つまり彼女はそういうことになる」
4人の間に再び衝撃が走った。かなり高貴な家柄の生まれであることは今の話を聞いて理解できたが、まさかそれほどとは。
(そういえば)ルドルフは思い出した。
初めて出会ったときに見た森宮トレーナーの食事の所作は、下手なウマ娘以上の量を平然と食べているにもかかわらずかなり上品であった。思えばそれも、血のなせる業なのだろう。
そこまで考えた時、彼女の脳裏に新たな疑問が湧きおこる。
-あれほどの美貌と頭脳を持った、高貴な家柄のご令嬢が何故自衛隊に入ったのだ?
才色兼備で家柄もいい、となれば自衛隊に入らずともそれなりに明るい未来が約束されていると思うのだが。
ルドルフは疑問を口にしようとした。だがそれは、たまりかねように口を開いた理事長によって図らずも阻止される。
「待機っ!ちょ、ちょっと待ってくれ、真田海将補、さっきから話が全く見えてこない」
「なんだね、理事長」
「いつの間にか話が滅茶苦茶なことになっている。小島トレーナーをここに配属した理由を尋ねていたかと思えば、森宮トレーナーのご実家の話になってしまっているではないか」
「それを先に持ち出したのは君だろう」
「それはそうだが」
まずい、理事長は思った。
いつの間にか真田海将補のペースに乗せられている。初めて会ったときには思わなかったが何という男だ。戦いは主導権を握った方が有利と聞くが、やはり本職は一味違うということか。そんな彼女の様子をルドルフを含んだ3人は心配そうに見つめる。そのため、ルドルフの中で先ほど抱いた疑問を真田に聞こうという気は、いつのまにかどこかへと追いやられてしまった。
-やはり子供だな。
トレセン学園のトップを、自分でも無意識の内に手玉に取ってみせた醜男は彼女の様子を見て思った。初めて会ったときから思っていたが、幼女そのものの外見とは裏腹に威厳と権威、そして大人らしい態度を見せていても、どこか幼さが抜けきれていない。悪いことでは無いと思うが、個人的に思うところはある。だがまあ、この辺にしておくとしよう。このままでは、幼女をいじめていると取られてしまう。そうなったのでは分が悪い。内心でそのような判断を下した真田は、話を軟着陸させるべく口を開いた。
「まあ確かに、話が妙な方向に向かっているのは俺も感じていた。どうだ、一旦休憩としようじゃないか。その後で、面白いものを見せてやろう」
「面白いもの?」
4人はまるでシンクロしたかのような声で答えた。それを聞いた真田は、まるでミステリーツアーに招待するかのような声で答えた。
「君たちが見たことのない物だよ」
その後、真田が手土産に持ってきた菓子と駿川秘書が淹れてくれたお茶で全員が一息入れることにした。菓子を食べる音と茶を飲む音以外、しばしの沈黙が理事長室を支配する。
尤も、居心地という面では決して良いとは言えない空間であった。幼女同然の理事長と美人の秘書に、見目麗しい2人のウマ娘の前でむっつりと押し黙った醜男が菓子を食べ、茶を啜る光景は、傍から見れば何かの罰であるとしか感じられない。
矢沢と駿川を含む全員が一服を終えたことを確認した真田は、持ってきていたハンカチで口の周りを拭った後、副官からタブレット端末を受け取った。指紋認証と虹彩認証に加え、定期的に変化するパスワードの入力を終えると、芋虫というほどではないが太めの指で画面に触れていく。何をしているのだろう、矢沢以外の4人は不思議そうにその姿を見ていた。やがて作業を終えた真田は顔を上げ、4人に向けて口を開いた。
「これから君たちに見せる物は、あまり口外しないでほしい」
先程とは打って変わって真面目腐った声で喋る真田に、これから何が始まるのか不安げな表情を浮かべる4人。それを尻目に真田は続けた。
「大事になると、少しばかり面倒なことになるものでね」
「何を見せて下さるのでしょうか」
ルドルフが答えた。さて今度は何をやるのだこの男は、とでも言いたげな表情を浮かべている。
「乱暴に言ってしまえば」真田は答えた。「森宮君をここに配属した理由の一端、というところかな。勿論君たちにとっては、初めて見ることになるものだ」
「興味。実に興味深いな、真田海将補」
理事長が軽く訝しむような声で答えた。傍らに佇む駿川はまじまじと真田を見ている。その時不意に、矢沢と彼女の目が合った。
(お互いに大変ですね)
(ええ、全く)
互いに困ったような笑ったような表情を浮かべながら、視線だけで意思の疎通を終える。同類のものにしか味わえない不思議な一体感が、いつの間にか2人の間で形成されていた。
「そう身構えなくともよい、秋川理事長。ルドルフもエアグルーヴも、硬くならずに見てくれたまえ」
彼はそう言って、手元の端末をルドルフとエアグルーヴに手渡す。画面に映し出されていたものを見て、2人は宇宙人とでも遭遇したかのような表情を浮かべた。なぜならば、そこには2人どころかこの世界の殆どの人間が始めて見るであろう、未知の四足歩行生物の姿が映し出されていたからだ。それも一枚ではない。様々な角度から撮影したものが複数枚用意されていた。
数は2頭。うち左側に映っている個体は全身が黒く覆われているものの、2本ある細く長い後ろ脚の下半部、その3分の1程が共に白くなっていた。頭部に目をやると、随分と面長な顔の天辺には1対の、ウマ娘のそれとほぼ同じ形状をした耳が備わっている。顔の頂点からは細長く白い筋が顔の中心を割るような形で下まで伸びており、その白い部分は鼻のあたりで、鼻全体を覆うように大きく広がっていた。その先端は血液の流れによるものだろう、ほのかに桃色がかかっている。
それに対して右側の個体は頭頂部から足の末端に至るまで鮮やかな茶色をしており、両目の間、額の中心部には白い点が一つだけ存在していた。
その姿を見た2人は、それぞれの脳内でこの世に存在する生物についての既知の情報と、写真に写る未知の生物の特徴とを照合していく。
「これは牛、でしょうか?」エアグルーヴが呟いた。「それにしては、胴体が随分と引き締まっていますね」
「それに頭に角が無いし、顔も首も牛より長い。それに尻尾の形状も牛というより、まるで
補足するようにルドルフが答えた。いつの間にか後ろから画面を覗き込んでいた駿川も口を開く。
「まるで-牛の体にアルパカの頭を乗せたような印象を受けますね。それにこの耳、まるでウマ娘の耳と同じような形に見えます」
「疑問っ!真田海将補、この動物は一体何というのだ?」
横から画面を見た理事長も、「疑問」と大書された扇子を体の前で広げながら問いかける。
「簡単だ」真田は事も無げに答えた。「『馬』という」
それを聞いた4人は違和感と同時に、奇妙な親近感を抱いた。本来『馬』と言えば
その疑問に答えるかのように、真田は口を開いた。
「君たちも知っての通り、『馬』という漢字は下の点が2つなのだが-この動物を表す場合、下の点は4つになるのだよ」
「成程。それで、森宮家とこの動物との間にどのような関係があるのだ」
理事長が答えた。真田もまた口を開く。
「この動物は昔から今に至るまで、どこからともなく我々の前に姿を現し続けている。どこから来ているのかは知らん。だが珍しく、見たこともない動物である以上保護しなければならない。そしてこの国で昔からそのお役目を担ってきたのが森宮家、という訳さ」
尤も、森宮家はそれ以外にも家業を持っているがね。真田はそう付け加えると、話を続けた。
「このように森宮家は『馬』を保護して飼育・研究し、更には種を存続させるために繁殖・育成させることも(牡牝共に出現しているからな)行っている。そしてその対価として、森宮家は生産した『馬』の一部を私的に所有することを認められている、ということだ。今見せた写真に写っているのは、その中の一部になる」
その時、ルドルフとエアグルーヴは真田から見せられた写真、そのうちの一葉に目が止まる。そこには様々な装備を身に付けて、それぞれの『馬』の上に跨る1組の男女の姿があった。黒い個体の方に男が、茶色い個体の方に女が乗っている。
この動物は人間を乗せることが出来るのか、2人は感心した。だが上に跨る男女の顔を見た時、どこか既視感が浮かんだ。すぐにその正体に気がつく。
-『馬』の背に乗っていたのは小島隆史と森宮有沙であった。
それを見た2人は思った。森宮トレーナーがこの動物に乗っているのは、あの一族の人間である以上まだ理解できる。だがなぜ小島トレーナーまでもが乗っているのだ?
理事長と駿川秘書の方を見る。2人は全てを理解しているような表情を浮かべていた。それに気がついた真田は、まるで悪戯を成功させた子供のような表情を浮かべながら答えた。
「何だ、知らんのか。あの2人は夫婦だぞ。子供もいる」
-繰り返しの衝撃が2人を襲った。あまりに唐突過ぎる出来事に、2人揃って理解が追い付かずにいる。
「それは、本当なのですか」
信じられない、とでも言いたげな声でルドルフが答えた。理事長がそれに応じる。
「真実っ!確かに信じがたいと思うのだが、事実なのだ」
「理事長はご存知だったのですか」
「私とたづなは予め、2人について書かれた資料を見て知っていた」
「疑わしいとは思いましたが」駿川は答えた。「私も実際にお2人の子供を見ていますから」
「-事実は小説よりも奇なり、とはこの事ですね」
エアグルーヴが頭を抱えながら呟く。その時不意に真田が口を開いた。彼はどこか意味ありげな表情をしている。
「俺にしてみれば小島君と森宮君が夫婦であることよりも、君たちウマ娘という二足歩行生物が時速70kmで走れる時点で不思議でならんよ」
「どういうことでしょう」
「簡単な話さ。本来物理的にも身体構造的にも、二足歩行の生物がそのような速度で走ることは不可能なのだよ。その辺りについてはいまだに解明されておらん。まあ、ウマソウルや三女神様とやらの加護-とでも言うのだろうかね。そんなオカルトじみた理由でもなければ説明できないあたり、君たちについては分かっていないことの方が多い。尤も、我々人間の体や人類の誕生についても同じことが言えるが」
4人はその話を聞いても驚かなかった。二足歩行の生物が本来、時速70kmで走ることが身体構造的に不可能であることについては、ウマ娘に詳しい者の中では半ば以上に常識であったし、当然のことながら4人もそのことを理解していた。だがそれでも、世の中の大半はウマ娘が時速70kmで走ることを当たり前の事として受け入れている。それよりも4人はむしろ、真田が何故そのような話を持ち出したのかの方について疑問を覚えていた。
その疑問に答えるかの様に真田は口を開く。
「実のところ、時速70kmで走ることについてはこの『馬』という動物の方が身体構造的に余程適している。研究している学者曰く、起伏のない土地を高速走行するために最適化されたような身体の作りをしている、ということらしい。どうだ、面白くなってきただろう」
ルドルフとエアグルーヴはその話を聞いて微かに耳を震わせ、目を見開いた。
真田は話を続ける。
「もし何かが違っていれば、ターフの上を駆けていたのは君たちではなく、この動物の方だったかもしれん。そういえば、確かそんな感じの内容のゲームが近年話題になっていたな」
そのゲームについては4人も知っていた。『もしレースをするのがウマ娘ではなく動物であったら』とのコンセプトで、京都にあるゲームソフトメーカーと、渋谷に本社ビルを持つ大手インターネットサービス企業が共同で開発した育成シュミレーションゲームで、家庭用ゲーム機やゲーム用PCに入れてプレイする物に加え、スマートフォンやタブレット端末でプレイする為にソーシャル・ゲームとして改良を加えた物も話題になっていた。最近はそれらに加えて、ゲームを元にした小説やそのコミカライズ版も発行され、アニメーション化についても話題に上っているほどだ。この学園でも生徒・教職員を問わずプレイしているものは少なくない。
そのときふとルドルフは思い出した。確かそのゲームに出ていた動物というのは、今回見せられた写真に写っている『馬』に酷似-どころか瓜二つと言ってもいいくらいに似ていた。ゲームの公式WEBサイトには、『専門家の徹底監修を受けた上で作り上げた架空の動物』という一文が書かれていたが-ひょっとしたら。
そこまで考えて彼女は思考を止めた。目の前の男にそれを聞いても何も意味がないことに気がついたからだ。
そのようなルドルフの態度を見た真田は、背中を丸めるように上半身を前に倒すと、顔の前で両手を組みながら問いかけるように口を開く。
「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」
19世紀のフランス人画家が描いた絵のタイトルを、真田は呪文でも唱えるかのように呟いた。
「そのような意味ではウマ娘も人間も、同じようなものじゃないか-さて、この辺りでお暇させて頂くことにしよう。取り込み中に済まなかったな」
彼はそう言って2人からタブレット端末を返してもらうと、制帽を被り直しソファから立ち上がる。そんな彼に理事長が話しかけた。
「疑問。最後に一つ、聞いておきたいことがある」
「何だね」
「小島トレーナーをこの学園に配属したのは実戦向きの人間だからだと貴方は言われたが、果たして本当にそれだけが理由なのか」
「どういうことかな」
どこかとぼけたような態度をとる真田に、理事長は問い詰めるように答えた。
「詳細。実戦向きの人間なら、自衛隊には彼以外にいくらでもいるだろう。その中で何故彼を選んだかについて、私は明確な答えを頂いていない」
「その辺りは君のご想像にお任せするよ、理事長」思わせぶりな口調で真田は答えた。
「いくら俺でも、言えない事というのはあるんでね」
「流石、小島トレーナーの上官というだけのことはありますね」
真田と矢沢が退出した後の理事長室で、ルドルフが答えた。口調はどこか皮肉身を帯びている。それを聞いた理事長が同じような声色で、溜息を洩らしつつ口を開く。
「妥当。そうだろう-あの人はあんな感じの人間だ。正直、副官の矢沢三等海佐とか言ったか、彼が存在することで辛うじてバランスを取っているような感じがする。なあ、たづな」
「そ、そうですねぇ、矢沢さんでしたっけ。あの人苦労しているように見えて、どこか楽しそうな感じはしましたけど」
唐突に話を振られた駿川は慌てながら、先程の一幕を思い出しながら答えた。
「それよりも私は」エアグルーヴが口を開いた。「『馬』という動物の一件もそうなのですが、小島トレーナーと森宮トレーナーの2人が夫婦であるということが未だに信じられません。あの2人は、何もかもが対照的にしか見えないのに」
「事実は小説よりも奇なり、ということだろう」ルドルフが答えた。「現実の方が空想を遥かに凌駕するというのは、よくあることだからな-私がG1を7勝したことも含めて」
「左様。いずれその記録も、誰かが塗り替える事になるだろうな」
遠くを見据えるような声で理事長は答えた。
「それを見届けることが出来るのかどうかは、私にも分かりません。ですが、願わくば生きている間に見届けたいものですね」
それを口にしながらルドルフは思った。そういえば、森宮トレーナーのことを聞くのを忘れていたな。まあいいか。そう思うとそのまま彼女は森宮有沙の事を脳内の、重要でないことを記憶しておく部位へと押し込んだ。
そして彼女は、自分の口にしたことが現実のものとなった光景をこの4年後、フランスはパリ、ブーローニュの森に存在するレース場で見届けることになる。
-他ならぬ、小島隆史と言う男の手によって。
「待たせて悪かったな」
理事長室を出るなり、真田はその外で待機していた小島に話しかけた。考え事をしていたらしく、どこか1点を見つめるような表情を浮かべている。
「いえ、タキオンとカフェのデビュー戦について色々と考えることが出来ましたので」
「もうそんな時期か」
「もうすぐダービーだそうですし、それが終わればデビュー戦が始まりますから-まあ、たかが2400mの1レースに過ぎないものに、皆があれだけ大騒ぎできるのか自分には理解できかねますが」
「この学園の連中やレースの関係者が聞いたら目をむくようなことを平然と言えるな、君は」
「それが言論の自由というものではないでしょうか」
「違いない。やはり君をここに送り込んだことは正しかったようだ」
真田はそういうと廊下を歩きだす。小島はその隣りに、矢沢は後ろにいる形でそれに続いた。
歩きながら小島は真田に問いかけた。
「それよりも、彼女たちと話した感想はいかがでしょうか」
「君の報告書の正しさを改めて理解できたよ-と言っても、彼女たちに罪があるわけでは無いだろうが」
「その辺りは理解しています。正直、彼女たちと同じような人生を歩んだとしてあのようにならないという自信は自分にはありません」
「随分と控えめだな、君は」
「自信過剰になるとろくなことにならない、というのを十分すぎるほど見聞きしていますので」
「安心しろ」真田は答えた。「臆病や小心者であることは、この仕事をしている限りマイナスにはならない。自信過剰で失敗するよりよほどいい。まあ、世の中にはそれを積極性のなさと受け取る向きもあるがな」
「外面や第一印象だけいい奴に騙されて、ろくでもない目に遭った人間なんてごまんといますからね。だからこそ自分は外見や第一印象だけで他人を判断しないようにしておりますが」
「では俺はどうだ」
「外見だけで判断するならあまり上官にはしたくない人間ですし、性格の方も似たような物です。ですが」
小島はそこで言葉を切り、少しの間を置いて続けた。
「自分の性格を認めてくれたことについては感謝しております。何分性格のことについて、家族と義父と有沙-森宮一尉と前任地の司令以外から良い評価を頂いた覚えがありませんので」
「初めて会ったときから思っていたが、正直者だな君は」
苦笑いしながら真田は答えた。
「不器用な世渡り下手とお笑いください」
「まあいい、短所と長所は表裏一体だ。どちらかが欠ければもう1つも消えてしまう。これからも君らしくありたまえ」
「そうさせて頂きましょう」
翌日、小島はタキオンとカフェを呼びつけるとそれぞれのデビュー戦について、詳細を2人に語った。すべての話を聞き終えたタキオンは不敵な笑みを浮かべながら「まあ、君に任せるよ」と一言述べ、一方のカフェは「それで本当にいいのかは分かりませんが、一応やってみます」と控えめに答えた。
トゥインクルシリーズに嵐が巻き起ころうとしている。それがどこへ向かうのかは、誰にもわからない。ただ一つ言えるのは、もはや全てが帰還不能点を超えてしまったということだけだった。
次回はデビュー戦-と見せかけて取材回です。変人記者が登場します。
デビュー戦はその次のお話となりますので、気長にお待ちいただけますと幸いです。
早いところ転職先決まらないかなぁ・・・・