遠くで悲鳴が聞こえた。
満身創痍。
己の血に沈んでいた体を動かせば途端にあちこちが悲鳴を上げる。
すでに死に体の全身を引きずって、悲鳴の方へと向かう。栄華を誇った屋敷には火が放たれ、数刻後には全て全てが炭と化そう。
また、悲鳴が鼓膜を揺らした。
聞きなれた母の声。けれどそれは今では苦痛によってひび割れてしまっている。
そんな悲鳴と共に耳へと届くのは下品な笑い声だ。屋敷を襲った賊は、略奪を終えて下衆の楽しみに耽っているらしい。
屋敷を襲った賊は父の不在を狙ったようだった。父が巻き込まれなかったことを喜ぶべきなのか、守ってくれなかったことを恨むべきなのか。
家人たちは皆殺しにされた。
まだ幼い私も一太刀を受けあとはすぐに死ぬだろうと放置をされている。
憎い。
貴族の家に生まれて、強く優しい母の元で健やかに育つはずだった。
まだ幼くとも聡い子だといつも褒められて、やがては内裏で勤めをなんて、両親が話していたのもつい先日のことなのに。
下卑た笑い声。母の悲鳴と泣き声。
あいつらが憎い。出来るものなら殺してやりたい。けれど死にかけた体はもう動いてくれそうにない。
悔しさに拳を握りしめるようとして、力が入らずにただ血に濡れた床を引っ掻くだけだった。
せっかく生まれ変わって結局は何も成せず、何も出来ないだなんて。
長く爪の伸びた裸足がすぐ目の前に現れた。
「ふん、どこか懐かしい気配に誘われて来てみれば、よもや死にかけの餓鬼が一匹とは。しかしこれも巡り合わせか……おい、餓鬼。俺が助けてやろう」
低く冷たい声音。言葉の端には少しばかりの愉悦の色が隠そうともせず込められている。
最期の力を振り絞って頭上を見上げれば、そこにいたのは真白の虎だった。
「勿論、代償は貰うが、な」
白い虎の尾を揺らし、唐服を纏った獣が笑う。持ち上がった口の端から鋭い牙が覗いていた。
★
俺の生まれは秦代。
とある貴い龍の子として生を受けるも生まれた俺たちはことごとく龍に成れぬ半端者ばかりだった。
知るだけでも八十の兄弟たちだが、まるで親の力をそれぞれが分けたとでも言うように外見も性格も異なった。
紛れもなく龍の子。なれど決して龍に成れず。故に俺たちは殺し合った。
血を分けた兄弟同士で殺し合い、喰らい合い、ただひたすらに一心に龍へ成ろうと藻掻いた。
藻掻いて、足掻いて殺し合いの末、大怪我を負った俺は傷を癒す間に身を隠すため日本へとやって来た。
日本を訪れて、懐かしい気配に誘われて向かった先には血に酔う荒くれと、何にも成れず小さき体を憎悪で満たす幼子が一人。
同時にその体に宿る莫大な魔力に気が付き、契約を持ちかけたのだ。
命を救ってやろう。
その代わりにその全てを差し出せ。
魔力も体も、もちろん記憶でさえも、すなわち其れは同化の契約だった。
「虎丸よ、お主だけでも無事でよかった。……ああ、
烏帽子を被り、狩衣に身を包む父が私の体を抱きしめて涙を流していた。幼名を呼ばれ、なるほど名の縁かと私の中の俺の意識が納得を示す。
賊に襲われて数か月の時が流れていた。
唯一生き残った私は、その数か月のほとんどを寝込んでいた。その間に傷を負い弱っていた俺の意識と記憶との同化を行っていたのだ。
俺は千年近くを生きる大妖で、完全に同化をするにはまだかかりそうだった。少なくとも既に私は自分が私なのか俺なのか、分からなくなっている。
兄弟で殺し合った千年の記憶と、虎丸として生きた数年に加えて前世での記憶である。もう何が何だか分からん。
俺と私との意識があまりにも混濁し、かつそのどれもを間違いなく自分だと認識している。
私は、俺は、男であって女で、人間であって人外で……。それでも狂わずにいられるのは私が転生者だからだろうとのことだ。
前世の記憶を有したまま生まれ変わる魂は、そもそも強度が他と違うらしい。生き物が生まれ変わるたびに記憶を失くすのは、輪廻を繰り返したことによる記憶の混濁を防ぎ、一度きりと思える生へ懸命にさせるためだとか云々。
私はすぐに理解を諦めた。
俺の記憶を持ってすれば、理解も容易かろうが正直このまま正直に同化を進めていいものかと悩んでしまう。
なんせ俺は千年もの間をただ一つの目的のためにだけ費やす人外だ。いや、それだけでも私としてはすごいと思うのだけど、今となってはそれも自画自賛をしているという感覚になる。私に到底成しえないだろう俺の過去である。私からは他人事であるのに奇妙だ。
でも嫌いではない。
俺としても現代人の感覚が残る私の価値観というのが物珍しく、完全に同化すればそれもなくなってしまう。
それが少し惜しいような気になっている。
俺と私を分けるために私のことも整理しておこう。
私は前世の記憶を持つ転生者だ。
前世、それも遥か先にある令和を生きた記憶を持つ、ラノベで言うところの逆行転生者に当たる。
よくあるネット小説なら現代知識で平安時代を無双します。とかタイトルが付きそうな設定だけどね。
法整備が地方まで行き届かない時代にあって、ご都合主義の魔法もなければ特別なチートも持たなければ盗賊に襲われて生き残れるはずもない。
俺がいなければ、私もあそこで母と共に間違いなく死んでいた。
……そもそも現代知識と言ったってここは平安。飽和した科学技術の恩恵を受けるだけの現代人に無双できるほどの知識なんてないし。
そしてさらに言えば魍魎跋扈する、この時代においては気を付けるべきは人間だけではないのだと大陸に生きたやべえ人外である俺の存在が証明する。
母を失い、寄る辺を失くした私を哀れんだ父は私を連れて京へと向かった。元々父は平安京からやって来た役人だった。
平安京には当然、父の本来の家があり妻がいる。
ん、んん~! 実に平安貴族!
つまり現代の言葉に翻訳すると出張中に出来た愛人が亡くなり、その子供を引き取った上に妻に育ててもらう。
私の中に残る現代人の感覚がまじクソ男だな、と囁く。俺もそう思う。
最期まで互いだけを想い合った項羽と虞美人を知っているので尚更だ。あの仙女はまだ人の世に紛れて存命なのだろうが。
愛する者を失いながらも死すら許されないのは哀れよな。
──俺の記憶に黒い髪の美しい女性が浮かぶ。星の内海から生じた端末。
荒涼とした平原に月を見上げる細い背中、赤い瞳が振り向いた。
『去るがいい、
私も、その人のこと知ってる!!!!
俺の記憶と私の記憶が混じり合う。
生前に好きだったソシャゲのキャラクターだった彼女だ。
虞美人。またの名を芥ヒナコ。カルデアAチームにしてクリプター。
早い話が推し……。
あれ、あれれ。
もしかしてここってfateの世界なんです?
★
とすると平安京にはfate産安倍晴明がいるんだよなあ。
幾重にも結界の張られた平安京を見下ろす。
安倍晴明だけでなく、サーヴァントと互角にやり合える源氏武者もだ。大江山には酒呑童子をはじめとした鬼がいるんだろうし、……。
体こそ私のままだけど、人外である俺と同化を果たした私が晴明の結界を超えられるだろうか。
只の人間でしかない私の体がある種の目くらましとして作用することも可能性としてはあり得るが、……あの安倍晴明でしょ?
千里眼っぽいものを持ちグランドクラスかもしれないという疑いがあったほどの術者だ。
「ほら、虎丸や。もう京が見える。明日には着くだろう、京へ着いたらば、すぐに元服を終えてしまおうな」
のほほんとした父の言葉に乾いた笑いが漏れる。俺の力で死なずに済んだのは確かだけど、もしかするとそれが原因で死ぬかもしれない。
地獄界曼荼羅のシナリオでは確か、あの酒呑童子ですら月に一度しか結界内部に入れないと言っていたか。
確かに俺は強いけど、今はそのことが足を引っ張っている。どうしたものか。
「え、父上?」
突然、父の体が倒れ込んだ。続いて周囲の護衛たちも倒れていく。
父の元へ駆け寄り、状態を確認すれば規則正しい寝息が聞こえてきた。
「寝てるの……?」
あまりに突然の出来事に呟く。
父も護衛もみな深い眠りへと落ちてしまっていた。慎重に隠された人の気配に俺は気が付く。ごくわずかに揺れる空気に身構える。
「ン、ンンン何やら怪しき気配と赴いてみれば、まさか斯様な幼子が此れほどの妖気を放っているとは……驚きました」
白と黒の半々色にクルクルした奇妙な髪形、道化を思わす独特の袈裟に黒曜石のような黒い瞳。さらには二メートル近い巨躯を有すとなれば、他に当てはまる人物がいるはずもない。
ついさっき、この世界がどこであるかと判明したばかりだ。
「蘆屋道満!」
「はて、何故拙僧の名を……ッ」
「道満! マイラヴァ―!」
二メートルの胸に抱き着く。袈裟越しにも伝わる筋肉の柔らかさに顔をうずめる。満を持して行われたリンボイベント、地獄界曼荼羅にて私はリンボと蘆屋道満にすっかりと心を奪われてしまったのだ。
……、イベント終了後すぐに死んでしまったのでその後は知らないのだけど、叶うならばバレンタインイベントまでは生きたかった。
そんな推しが! 目の前で! 生きている!
「一体何を、おやめなされ!」
脇を抱えられて法師の体から引き剥される。軽々と持ち上げられて、困惑の浮かぶ道満の目と視線がかち合う。
「道満法師よ、俺を助けてはくれぬか? お前の助けが俺たちには必要なのだ、まさに地獄に仏とはこのこと。お前の凄まじき陰陽術をもってすれば容易いはずだ」
「は、はあ、そのように突然冷静になられても困りまする……しかし拙僧の助け、とは? 内容によりますが、まずはその体から湧き出る妖力について説明をして頂けますかな」
私を見つめる道満の黒曜の目が細まった。
警戒を崩さぬ様子に俺は嗤い、私はまだキレイな拙僧だと感動する。
「実は」
道満が父らを眠らせてくれたのは幸運だった。事情を知らない父に話すことは何もない。
道満に私の身に起きたことを正直に話す。
「なるほど、つまりその体には
頷く。
眼下の平安京を指さして、さらに言葉を続ける。
「幾重にも結界が張ってある。私はともかく俺では弾かれるか、ともすれば災いとして討伐されるやもしれぬ。俺が京へ入らねば済む話ではある。しかしそれは未だ親の庇護下にある私にとって叶わぬこと、なのです……。どうか、どうか私に法師様のお力を貸してはくれませんか」
「ふ~~む……さて、どうしたものか」
精一杯かわい子ぶって、道満を見つめる。客観的に見たとき、生まれ変わった私の顔は可愛い。かなり整っている。
さらに言えば幼子ということも加味して欲しい。中身は転生者で身に大妖を宿すとしても見た目だけなら幼気な子供のそれだもの。
【何らかの術を用い変化をしている様子はなく、身に宿る妖気も本物、なれば此れなる童子の言の葉に嘘偽りはなく……。……それにしても。この道満を其処まで頼りに、か】
ほんのちょっと妖力で目を弄れば道満の思考が覗けた。
どうやら本気で悩んでいるようで、私のことをじっと真剣な顔で見つめている。うむ、顔がいい。
そしてやっぱり悪堕ち前のキレイな道満のようだ。まだ野生になる前だ。ワイルドな君も好きだけどね。
生前の推しに会えるとは僥倖、僥倖。
「お、お願いします。私には法師様しか頼りがいないのです。あの結界を超えるだけの実力を持つ優れた陰陽師は法師様だけ……ここで出会えたのは僥倖でございますれば、どうか、どうか私をお助けくださいませ」
瞳に涙を称えて祈るように道満を見上げる。
【ウッ、しかし、しかしだ! もしも洛内で暴れたりなどされれば、招き入れた儂に咎が…ッ! しかし此処まで儂を頼られて無碍にするのも……ッ!】
すん、と表情は変えないまま、脳内で呻き声を上げる道満。
う~ん、脳内は結構愉快な人だな。流石は後のリンボである。それにあと少しという感じだ。
「何をしているんだい、道満」
「晴明ッ、殿……何故、貴殿が斯様な場所に……」
口を開こうとしかけ、道満の背後から突如として声と気配が現れた。
道満の口から出た名前に思わず顔をしかめてしまう。
うげッ、晴明だと!?
「なに少し散歩をと思っただけだよ。して、その幼子は如何したのかな、道満」
狩衣を着た、切れ長の目の恐ろしいほどのイケメンが私のことを見つめる。晴明の顔を見るのは初めてだ。
確かにイケメン。しかし、性格は……まあ悪いんだろうな。
「お誉めに頂き光栄だが、初対面で性格について言及されるとは思わなんだ、どこかでお会いしたかな。幼き体に老成した精神を宿した御方よ」
「へ? 晴明殿……それは一体……?」
この晴明、どうやら心を覗いているらしい。
困惑を浮かべて、私を地面に降ろした道満は窺うように晴明を見ている。
何かもう全部お見通しという感じで萎えてくる。
「いやいや、私が見えるのは見えているものだけだよ。それにあなたは想うことが顔に出やすいようだしね」
道満の手を握り、その背に身を隠す。
「……? どうされました。晴明殿ならば、貴方の願いも叶えてくださいますよ」
「あの人、嫌いです。助けてもらうならば法師様がいいです」
「は、」
【わ、儂をあの晴明よりも……!?】
「うーむ、これは愉快」
更なる混乱に陥る道満の様子にニマニマと笑う晴明。
何故だろう。俺の第六感的なものが囁く。この晴明はやべえ、と。近づいちゃいけない。あれなるはやはり、あまねく怪異の敵対者として存在しているのだろう。
私は私で道満がらみで晴明のこと嫌いだし、というわけで涼しげな顔をした晴明を睨む。
「初対面にして嫌われたものです。まあ仕方もありませんが、大陸の大妖たる
「なんだと、この俺が、龍の子たる狴犴がたかだが餓鬼一人の精神で変容しただと?」
「ええ、その通り。あなたは最早、以前のようには振舞えますまい」
晴明のあっけらかんとした言葉に俺の胸に憤怒が起こる。莫迦にされた、と怒りに任せて晴明へ爪を伸ばし、その細いばかりの体を切り裂いてやろうと、──して、やめる。
「……むぅ」
「はっはっは、だから変容しているのだと言ったでしょう」
私の手を道満が握り返したのだ。爪は長いが、大きくて温かな手のひらだった。
大きな手のひらで私の手を潰さぬように力加減をしながら、さらには長い爪で傷つけぬように慎重に、そっと握られた。
「どうされました?」
俺の怒りで塗り潰されていた精神は途端に私の歓喜で染まってしまった。
「? あの?」
「ずるい!」
「え、え? それはどういう?」
唇を尖らせて、道満を見上げる。困惑を隠すように道満が微笑む。
ここで晴明と敵対したら私は京に入れず、俺も幼い体に宿ったまま放浪をせねばならないだろう。
そしてそうなれば当然、この道満とも会えなくなる。せっかく会えた私の推しである。出来るならばもう少し側にいて交友を深めたい。
「今のあなたならば、京へ降りても問題ありません。この晴明が保証します」
「せ、晴明殿。一体何をもってそのような断言など……」
「いやいや、道満よ。お前が私の命と京の平和を守ったのだ。まあ、私としても負ける気は欠片もないんだが、うん間違いなくお前の功績だ。誇るといいぞ」
「は、はあ……?」
晴明が術で眠らされていた父たちを起こし、道満と晴明を連れてのある意味で豪華すぎる上洛となってしまった。
★
目覚めた父には道満と晴明が口裏を合わせて、一行を襲った妖異を退治したのだと説明していた。
父は天下の陰陽師二人に感謝を示して、後日屋敷へと招待していた。藤原道長のお気に入りである安倍晴明との縁が深まれば、それだけ出世の機会もありそうだもんな。
「法師様!」
まあ私は定期的に訪ねてくる道満と遊ぶ方が大切なので。父の思惑なぞ知らんぷりだ。
「こっちで遊びましょう! 義母様が新しく玩具をくださったんです!」
「おやおや、虎丸さま。そのように急がずともこの道満、まだ帰りはしませぬぞ」
「えへへ、だって法師様に会えてとても嬉しいです!」
「ン、ンンン。左様で」
「お~、今日もかわい子ぶっているね。道満や、それは演技だと何度も教えたろう」
「黙れよ晴明。振る舞いは演技でも、法師様と会えて嬉しいのは本心ですから!」
「拙僧も虎丸さまと出会えて嬉しく思っておりますよ」
「本当ですか? 両想いですね!」
屋敷を訪れた道満の手を引いて与えられた部屋へと向かう。私の背に合わせて、少しだけ身を屈めて歩く道満の姿がとても可愛いのです。
道満について晴明もやって来るのだが、そのたびに萎えることを言ってくるので困る。ちなみに父は毎度晴明の来訪を大歓迎である。
「義母殿との関係はどうだい、虎丸」
「佳くしてくれてる、優しい人だよ」
義母様から与えられた人形で道満と人形遊びをする。その合間に晴明に問われて答えた。
いつの間にか晴明は私の家族関係についてよく知っていた。話した覚えはないけど、結界のなかのことは家の中のことくらい見聞き出来ると言っていたし、まあそれだろう。
「そう言えば、もうすぐ元服をするんです。それで……私の烏帽子親を法師様に頼みたいんです」
「は」
道満の人形を動かす手が止まり、その瞳が大きく見開かれた。ネコちゃん?
「まだ父にも言っていませんけど、私の希望は法師様だって知っておいてください」
「え、えぇ……いやいや。虎丸さまの烏帽子親など拙僧には荷が勝ちまする。拙僧はしがない在野の法師陰陽師なれば、そこな晴明殿の方がよほど相応しき名声を持っておりますぞ」
「俺は晴明のことが嫌いなので! 私が法師様のことを大好きなので! 私の諱を法師様に着けて欲しいのです!」
「な、なんと、なんと……」
袖で顔を隠してしまう道満。
【なんと、どう、一体どのような顔をしたら佳いものか。虎丸がここまで儂を好いておるとは、そんな、どうしたら……いや決して迷惑などではないが、むしろ嬉しくもあるのだが!】
そっと覗き見れば、見て分かる通りに道満の脳内も混乱していた。
【ちなみに、私の方からは耳まで真っ赤になっているのが見えているよ】
「は? 見せて」
「虎丸さまっ!? おやめくだされ!」
言葉にしないままで晴明からのタレコミに顔を覆い隠す道満の両手を掴む。もちろん、私の腕力では身長二メートルある大男の腕がどうにか動くはずもない。
俺の妖力を腕へと集中させて流し込み、身体強化を行った。
「っ、っ~~!」
「法師様、大好きです」
「と、虎丸さま!」
眦に羞恥の雫を湛えた道満の赤面にかつてない多幸感が広がっていく。衝動に任せて道満に抱き着いて、頬ずりをする。
俺の本性が虎であるからか、もしくは俺としての愛情表現の問題か。いずれにせよ、好意をここまであからさまに表すことを私は決してしなかった。
道満の優れた体格を力いっぱい抱きしめる。
「うん幸せそうだね、佳かったじゃないか。道満」
「う、言わんでくだされ、晴明殿」
紛れもなく本心であるので、なんかの術で頭の中を覗かれても無問題。むしろどんとこいというわけである。
本当に、本当に私は道満が好きなのだ。そして俺は晴明が嫌い。
「そこまで嫌われるほどのことをあなたにした覚えがないのだけど」
「お前は怪異を滅ぼす者だからな、まあ俺がお前を嫌うのは本能という奴だ。諦めろよ、晴明」
欲を言うならばアルターエゴ・リンボとしての道満も見たい気もする。とはいえ千年も先の未来でしかありえない。
その頃には俺の傷は癒えて私の体は大地に還っているだろう。サーヴァント化すればあるいは?
私が歴史に名を残せるはずも、俺が英霊となるはずもないからな。其れも叶うまい。
後日。結局私の烏帽子親には父が頼み込んで晴明が行った。
「うん、あなたの名はこれよりは
「……はい、晴明殿」
烏帽子を被せた晴明に、私はただ形ばかりの感謝を述べるだけに留まった。その後、すぐに陰陽寮へ勤めることが決まってしまい、以前のように道満と顔を合わせる機会がとんと減ってしまった。
いや、元服すれば会う機会も減るだろうとは思っていたけどさ、でもなんかやっぱり寂しいなあ。
慣れない仕事に追われる日々を想いながら過ごしていた。
そしてそんな中でいつの間にか、私は晴明の弟子と見做されていたことを最近になってようやく知った。
「なんだ、お前は知らなかったのか」
「いや知らんよ。そんな噂、知るわけがないって。そもそんな噂なんぞを吉平殿まで信じていたのかよ」
「烏帽子親だって親父殿がしたんだろ? あの親父殿がだぞ? そりゃ信じもする」
目を回すほどだった仕事にもようやく慣れ始めたころ、仲良くなったのは晴明の息子である安倍吉平だった。晴明によく似た涼しげなイケメンなのだが、口を開けば竹を割ったような性格で親しくなるのに時間はかからなかった。
俺とも気が合うし。
その日も整理をしながら、書庫で二人こそこそと会話をしていた。
「しっかし、お前。親父殿より道満法師の方が好きだとか息子の俺によくぞ言えたものだぜ」
「本当のことだもの」
「まあ親父殿の底意地の悪さを知ったなら気持ちも分かるがよ。道満法師か……俺も直接はお会いしたことがないんだ。どういう御方なんだ?」
「そらもう最高よ」
吉平に道満の魅力をたっぷりと聞かせる。まずでっかくてかわいいでしょ?
人に好意を見せられることに慣れてなくて、私が思いついた遊びにも嫌な顔せず付き合ってくれた。アルターエゴ・リンボとしての印象が強いけど、基本的には善性の人間だった、蘆屋道満という人間は。
「もちろん陰陽術だって、凄かったよ」
私の体で隠されたはずの俺の妖力を感じ取り、俺が感知する前に父らを眠らせた術の冴え。
結局あの時は晴明の許しで結界を抜けることが出来たけど、晴明が来ずとも道満の助けさえあれば結界を抜けられたはずである。
これは私の推しへの贔屓目だけでなく、俺の眼からしても道満にはそれだけの実力があったはずだと映っている。
「つまり法師様はすっごい陰陽師ってことよ」
「ほうほう、へえ~」
「おい、お前が聞いたんだろ。真面目に聞けよ」
「いや、話が長いわ。道満法師の話だけでそこまで長々と話せるだとか思わんだろ」
「も~吉平殿ったら、推し語りが短く済むわけないでしょ?」
「その推しってのもよくわからんが。まあ、お前が道満法師を慕っているのはよくわかったよ」
「へへっ、そうなのです。大好きなのです」
【うッ! とら……いや、結人……!】
【うーむ、相変わらず愉快な奴だ】
書庫の外からの心の声には気が付かないふりをしておこうと思う。
その日、内裏では道満と晴明との術比べが催されたのだそうだ。全てが終わったころ、そう吉平に教えられた。
あの有名な蜜柑と鼠の話だ。
つまり道満は晴明に負ける、という運命のような宿命のような象徴的な出来事だ。
「どちらも正解じゃダメだったのかよ」
「まあ術比べとなれば、下手に手加減するほうが道満法師にも失礼だろうよ」
「分かってるけど、やっぱ晴明殿って性格悪いわ」
「だから、よく俺の前で言えるよな」
「でも晴明殿に曇らされる法師様もいいよね……人の憂いた姿というのも麗しいものだもの」
「案外やべえ性癖持ちだったんだな」
そんな風に日々を過ごしていた。相も変わらず道満とは出会わないままだ。
いつかまた会えるだろうけど。
★
そんな風に思っていた時期もありました。──あったのです。
藤原顕光と手を組み、日本転覆の大呪術を行使しようとするも晴明に阻まれ京を追われたとか、呪詛返しによって死に果てたのだとか、いくつもの噂だけが耳に届いた。
いずれも道満は京から去って、二度と会えないということだけが真実として存在していた。
晴明は何も語らず、私も何も知らないままだ。
「ン、ンンン! やはり素晴らしき妖力! 結人よ、どうかお許しくだされ。ですがあなたは拙僧を慕い、晴明を嫌っておられた! なれば
貫かれて、掴みだされた心臓は、死んだ私──結人のものでなく、妖力を宿す俺のものだった。
十数年前。死にかけていた
「よくも、よくも
「おやあ、もしやあなたは
「貴様、貴様貴様貴様ァッ!!」
憎悪。憤怒。
俺の胸中を支配するは最早完全に同化して、半身とまでなっていた結人を殺した男への怨の一文字のみだった。
心臓の抉られた結人の体を無理に動かして、悪法師へ掴みかかる。
「おお、おお! これはまた素晴らしき怨念! さすが龍の子!」
歓喜の声も憎悪を煽る。
しかし、結人の体はすぐに何らかの術によって拘束されてしまう。見えない何かで両手両足を縛りつけられ、それでも悪法師を睨みつける。
悪法師の指が結人の頬を撫ぜた。
「……ンンン、結人がそのような目で拙僧を見るのは初めてですねえ」
「結人は貴様が殺した、あれだけ貴様を慕っていたのに。よくもまあ、手にかけられたものよ、外道め。さっさと死に晒すがいい。どれだけの妖力を得ようと貴様の程度の外道が晴明めに勝てるはずもない」
京にいたころにはキレイに整えられていた髪はざんばらに斬った野良法師は、黒曜の目を細めた。
「なるほど。拙僧を慕っていたのはあくまで結人だけだと、そうおっしゃる。ご安心めされよ、拙僧。強欲故に結人を手放すつもりは微塵もございませぬ」
「な、に?」
薄く悪法師が微笑む。おぞましいほどの美しい笑みだった。俺は決して結人ではないが、それでも、まるで人の心を失くした獣のような。
「結人の魂は必ずや拙僧が捕らえまする。魂を手中に収め、かつあなたのおかげで老いず朽ちぬ体へと戻せば、結人は永遠に拙僧の側に在り続ける。ンン、ンンンンン! なんと素晴らしき未来でありましょうや!」
外道に堕ち、人の心を失くしてそれでも、蘆屋道満は恍惚と告げる。
すでに意識はなくとも残った結人の記憶が俺にそれを何というかを教えてくれた。
「貴様、それヤンデレと言うのだぞ」
「はて、やんでれ?」
「結人が好きな奴だ。俺は好きじゃない。死ね、蘆屋道満」
「結人が好むならば問題なし、拙僧はまだ死にませぬ。さあ大妖殿。結人の魂を探しに参りましょう。地獄までお供して頂きますぞ」
無理やりに体を動かされて、悪法師の隣へと並び立たされる。
晴明~~! 蘆屋道満はここにいるぞ~~!!
早く倒してくれ~~い!
「はあ、カルデアに出向? 絶対に嫌です」
「そういうなって、ほらAチームにはあの時計塔のキリシュタリアも選ばれているらしいし、名誉なことだぞ」
「ぜってえに嫌ですね。先生が行かれては?」
「私はほら、授業があるから」
「はあ、ロードは大変で御座いますねえ。自分が嫌なことを人に押し付けないでください。先生は安倍晴明ですか?」
「お前のその安倍晴明か? っていう罵りも分からないんだよなあ。安倍晴明って日本で最も高名な陰陽師なんだろ」
「まあそうですけど。性格は悪かったので」
先生への質問を終えて、研究室の外を出た。空が青い、と言いたいところだけどロンドンの空は生憎と曇りだった。
藤原結人くん。いつの間にか死んで、また生まれ変わってたよ~ってね。結局、歴史上に名前を残せなかったので仕方ないにしても、マスターとしてカルデアへ行くというのも断固として御免被る。
俺としての記憶も妖力、改めて魔力も残っているものの、世界を救う旅とかね。私には無理なんですわよ。
そもそもカルデア、燃えるしな!
生き残れる自信は微塵もないぞ!
そして来る2016年。人理は焼却される。
眩い光が視界を埋め尽くした。
「よくぞ俺を呼んだな、人間! ん、ごほん。……私はとある事情で竜生九子が一人、
明るい茶色の髪をした少女と、眼鏡をかけた紫髪の少女が寄り添って立っていた。
うん?
「私、藤丸リツカって言います! 狴犴、でいいのかな? 一緒に人理を救おうね!」
「マシュ・キリエライトと申します! よろしくお願いします! 狴犴さん!」
【ねえねえ、結人く~ん。疑似サーヴァントって知ってる~? いやさ、私が働くかも知れないのに烏帽子子のお前が働かないとかあり得ないよね? とりあえず藤丸さんとサクッと世界を救ってきて♡】
どこかでそんな晴明の声が聞こえた気がした。