お の れ 晴 明   作:あん仔

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地獄界曼荼羅 序

 日が沈み夜の帳に包まれた路地にて、りんりん、と鈴の鳴る音が聞こえた気がした。

 鈴の音に道満だろうかと、微かに期待を込めて振り返る。しかし背後に誰の影も気配もなく、ただの虫の声かと落胆する。

 

 私が元服を終えてからもう数年の時が経っていた。

 この数年間、同僚である吉平との縁もあり晴明とならば顔を合わせることも多々あったものの非官人……法師陰陽師である道満とは顔を合わすことが一度たりともなかった。

 最後に会って会話をしたのが元服前で、晴明との術比べで時折内裏にやって来る道満であるが、タイミングが悉く合わずにすれ違うことすらない。

 

 これならば自ら会いに行った方がいいのでは、と思いつつも最後に会ったのが数年前だと思えば私のことなど忘れている可能性すらある。

 正直、道満に誰だ、此奴……? なんて反応をされたら私はとっても傷つく。

 要はヘタレているのだ。

 

 それは俺としては涙が出そうなほど情けの無いことだった。

 会いたいならならば会いに行けと、相手がどう反応するかなどそれこそ俺の知ったことかよ、とも思う。

 想うままに行動も出来ないのが人間の弱いところだ。ただでさえ限りある生命を無意味な葛藤で消費して、あまりに無益に過ぎる。

 

 私と俺の同化は短くはない年月の末、進んでいるようで進んでいない。時間が経つうちに自然と同化していくだろうと当初こそ気にしていなかったのだが、どうにも遅々として進んでいない。

 それほど俺が弱まっていたのか、転生者としての私の自我が強すぎるのか。

 どちらにせよ時とともに二つの意識は、一つの体に宿ったままだった。

 

 それは決して望ましいことではないのだと、私は感じている。

 

 

 翌日、参内すると陰陽寮がざわついていた。

 

「何かあったの?」

「なんでも晴明様がお隠れになったらしいのだ」

 

 通りすがりの同僚へ問い掛け、返って来た答えに目を開く。

 おっとぉ? イヤな予感がしてくる。

 

 吉平の周りには晴明の居所を質問する人だかりで溢れて、少しも近づけなかった。同時に晴明の次男である吉昌殿の周りにもだ。

 そんなことより仕事をしなければ、と溜まり始めた業務へと勤しむ。

 

【いやだから、親父殿に口止めされていることをお前らに言うわけがないだろうが!】

 

 そんな風に内心で憤る吉平の心の声がずっと聞こえていた。

 

「おう、偉い目にあった」

「大変ですなあ、晴明殿の息子は」

「全くだぜ。いつもは七光りだのなんだの陰口ばかり叩きやがるくせに」

「吉昌殿も囲まれていたし、しばらくは騒がしいだろうね」

「はあ~……ったくよ」

 

 肩を落とし、心底から疲れたとため息を吐く吉平。そんな様子に苦笑しながらも筆を動かし──

 

【親父殿は予知しちまった一月後の大災を防ぐために動き出してる】

 

 ふと聞こえた吉平の心の声にその手が止まる。

 顔を上げると吉平はにっこりと清明によく似た笑顔を浮かべていた。

 

「声に出すなと言われただけなんでな?」

「……うっわぁ……変なのに私を巻き込まないでくれよ」

 

【親父殿曰く、お前も関係者らしいぞ】

 

「うへえぇ、いやだなあ……。一体何があるって言うんですか」

「俺の未来視だと親父殿ほど詳細には分からん。だがまあなんだ、必要なら俺でも吉昌でも、いくらでも頼れ。力になる」

「ひ~~ん」

 

 泣き真似をすれば吉平に苦笑とともに思いきり背中を叩かれた。励ますようなそれだが、ごめん、今は立ち直れない。

 だって一月後の災いってさあああ! もう完全にそれさああああ!!

 しかも私が巻き込まれること確定なんです!?

 やだやだやだ!! 傍観者であらせてくれよ!!!

 

 

 ★

 

 

 晴明が姿を消して、数日。吉平からある種の予言を与えられて数日。どうしたものかと、悩みつつ私は陰陽寮の書庫にある大陸からの書物を読み漁っていた。

 本来は持ち出し禁止、閲覧禁止の書庫だが、そこは次男の吉昌殿の口添えを利用した。

 恐らくだ。恐らく、この平安京であのイベントが起こる。

 イレギュラーである私がどのように関係するのかは、まだ分からないけど……備えて困ることはないだろう。

 

「はあ……いややっぱり困る……」

「何がです?」

「えっ」

「ンン、驚かせてしまいましたか。結人殿」

「法師様!」

 

 現れた人物に声が弾んだ。まあ、後の元凶なんですけど!

 書庫の入り口に見慣れた奇抜な袈裟の人物が立っていた。背が高すぎて顔半分は見えないが、この奇抜な袈裟とエエ声は間違わない。

 

「どうされたのですか、法師様が内裏にいらっしゃるなんて」

「ンンン晴明殿が姿を隠されたので、こうして拙僧が代理として参じる次第となったのですよ」

「じゃあ法師様はしばらく陰陽寮にいらっしゃるんですね! やった」

「ンンンンン、フフ。そう喜ばれるとは思いませなんだ」

 

 数年ぶりの推しの姿に破顔してしまう。仮にも仕事場だと、表情を引き締めようにも頬の緩みが収まってくれない。

 そんな私の様子に釣られてか、道満もニコニコとしている。かわいい。花丸。

 

「ところで結人殿。この書庫は禁術を集めた場所では? このような場所で何をなさっておいでか」

「あっ、ええっと……べ、勉強をしてました」

「勉強? 結人殿に人を害するための呪詛なぞが必要とは思いませぬが」

 

 手にしていた書物を見下ろして、道満の目がすーっと冷たく細まっていく。書物を持つ私の手に道満の手が重ねられた。

 体格の違いから、手のひらの大きさの差は成長した今でもほとんど変わっていない。

 腕を掴まれる。書庫内に足を踏み入れた道満が身を屈めて私の耳元で囁き始めた。

 

「もしや……誰かを害されたい?」

「い、いえ、そういうわけでは……」

「隠されるな、結人殿。生きていれば目障りな者の一人や二人はいて当然でありましょう。……もしもそうなら、この道満めに何某かの名をお教えくだされ。さすれば……ンンン、拙僧、呪詛も得意なれば。結人殿のお望みのままに出来まする」

 

 ひ、ひえええええええ!!!!?

 みみみ、耳が! 耳が孕む!!

 おのれ、おのれおのれおのれおのれ! 森川!!!!!!!! 帝王!!!!!!!

 

 私の荒ぶりに俺の意識はすんっと一気に冷え切る。

 

【大妖を宿しただけの無垢な幼子とばかり思うていたが……まさか結人にも憎む相手がおるのだろうか。むむ、聞いた話では結人は晴明めの長男と親交が深いとか……まさかそれか? しかし結人が手を汚すよりは儂が代わって……】

 

「不要。気に入らん相手は手ずから殺す。故にお前の助けなぞ不要。下がれ、法師。要らぬ世話だ」

「……まあ、そこまでおっしゃるならば、引きましょう」

「え、えへへ。本当に勉強をしていただけなんです。法師様。いかに不要と思える知識であってもなくて困るものはないと、思って……やはり呪詛の知識を得るのは佳くないことなのでしょうか」

 

 正直に言うと、聖杯戦争も遠くから呪詛しちゃうのが手っ取り早いよね!

 か弱い陰陽師が源氏武者と戦闘とか無謀ってレベルじゃないほどの暴挙だからね。まあ、まだ敵対するとか決まってないけどあくまで念のためにね?

 

 俺のぶっきらぼうな返答に少し落ち込んだような雰囲気を出した道満へ誤魔化すために笑いかけながら、私も落ち込む演技をする。

 

 

「いえ、そういうわけではありませんよ。しかし……そうですな。呪詛の知識が得たいのならば、拙僧がお教えしましょうか? ただ書物を読むよりは其の方が、身になるのでは……いえいえ、これなるは法師陰陽師の戯言なれば勿論無理にとは申しませ」

「是非! お願いします!」

「はっ──」

「法師様が私の師匠になってくださると? そんな、とても嬉しいです!」

 

 縁を繋ぐ千載一遇のチャンスが到来した。

 何度も言うけど内裏で一日のほとんどを過ごす私と非官人の道満では会おうとしなければ会う機会がないのだ。

 聖杯戦争が迫ってる? 道満のなかにリンボがINする?

 知るか、そんなもの。

 

 推しと一緒に過ごす時間の方が大事だから!!

 

「……、左様で。では勤めの合間に時間を作ってお会いしましょうか。……空いた時間が出来れば式を送ります故、お待ちくだされ。結人殿」

「わかりました。ありがとうございます」

「ンンン。いいえ、結人殿とはもう長い付き合いでありますからな。この程度は」

 

 そう笑みを溢しながら、道満が書庫を去っていった。多分、このあといくつかの仕事があるんだろうな。

 

「おっまっえーーーっ!! どうしてそうなる! どうしてなんだ!!」

「推し事は大事だと、もう何度も言ったじゃないか」

「だからその推しってのは何なんだっての!! この莫迦!」

 

 その後、遭遇した吉平に何も語らないうちから叱られた。

 まあ晴明の息子だからね。何も不思議じゃない。

 

 

 ★

 

 

 いやもうこの一か月、私は極楽のような日々を過ごしていた。

 仕事の合間に飛んでくる式。

 少しの休みを貰って道満と過ごす日々。

 はあ~~、教わる呪詛の内容は不穏なものばかりだが、私の心中は至って幸福そのものだった。

 

「今日はここまでと致しましょう」

「はい。ご教示感謝いたしまする」

「いえいえ、誰かを教え導くというのも拙僧の身になります故お気になさるな」

 

 蜜月だわぁ……。

 ふふ、と笑いを溢す道満の様子に道満にとっても楽しい時間なのだと嬉しくなる。

 

「そう言えば、結人殿はもうご存じだろうか」

「何をでしょう」

「実は先日晴明殿から文が届いたのですよ」

「ふみ、ですか」

 

 嫌な予感がしてくる。

 

「文には晴明殿が考案なされた異境異界の術者を召喚せしめる大儀式について記されておりました」

 

 続いた言葉に気が遠くなる。ついに来やがった。

 

「そのために陰陽寮の皆さまには全力を持って準備をして頂く所存でありますれば、……結人殿?」

「いえ、なんでもありません。儀式のこと承知いたしました」

 

 怪訝な表情を浮かべた道満に笑って誤魔化し、その後他愛のない会話を交わす。

 休みの終わりが近づき、私は立ち上がった。

 

「それでは法師様。また明日」

「ええ。結人殿……いいえいいえ、結人」

「法師様?」

 

 別れの挨拶をして、振り返ろうとした、その時だ。胸に衝撃が襲った。

 胸元を見れば、胸から手が生えていた。鋭い爪の中には血と桃色の肉が詰まって、その手は赤く鼓動する塊を握りしめている。

 

「え、えぇ……? ほ、し様?」

「ゆ、結人……?」

 

 振りかえる。

 手の持ち主、道満が驚愕と恐怖に表情を染め上げて立っていた。思わず眉間に皺が寄った。

 自分でやっておいて、その顔?

 こふ、と口から血が溢れた。体から力が抜けていき、倒れこむ。

 

 

「ほ、ほうしさま……なんで……」

「結人……、そんな、結人!」

 

 私の横へしゃがみ込んだ道満が悲痛を込めて名前を呼んだ。

 どうにか喉を震わして問い掛ければ、道満の目に涙が浮かびだす。

 

「ンン、ンンンンンン~! 信じた者に引き裂かれる。愛した者を自ら手にかける……何とも甘露な味わいがありますねえ!」

 

 道満の表情が歪みを強めて変化した。片方の目を恐怖で見開き、もう片方は嘲るように細く、そして口の端は恐ろしいほど歪に吊り上がっている。

 血に濡れた指が頬を撫でていく。涙さえ流し始めた片側の表情を置き去りに愛しいものを見つめるように、優しい目で私を見ながら、道満は、その片側は愉悦の笑みを浮かべてみせた。

 

「お前だ。お前が殺したのだ。ンン、ンンンン! 他の誰でもなく! 結人を殺しせしめたのはァ! お前だ!! 蘆屋道満!!」

 

「ちが、ちがう! 違う違う! 儂がそんな、そんなことをするわけがっ!!」

 

 異なる言葉が交互に叫ぶ。

 嘲笑、苦悶。相反する感情を見せながら自分たちで言い争う道満に死にかけている私はもう放置だ。

 はえ~~。どうしたものか。

 とりあえず、と術式で胸の痛みを感じないようにしながら近づいて来る死の気配を感じながら、道満の様子を眺める。

 しかし心臓がない。もう私のなかにいたはずの俺は気配もせず私しか存在しない。

 命を繋いでいた大妖の加護を失くした……私はじきに死ぬだろう。

 

 ああ、また。私は何にも成れずに。

 

 混乱の縁にある道満を眺める。私を手にかけることで、ああまで苦しんでくれるのか、という薄暗い喜びが沸き起こるも、同時に空しさが広がっていく。

 そのとき、つきん、と微かな痛みが手の甲にあった。力を振り絞って手の甲を持ち上げる。

 

「あ、」

 

 赤い紋が浮かんでいた。竜に似た、見覚えのない形。それでもそれが何を意味するのかを私は知っている。

 

「くそったれ。なんたる外道か。やはり悪たる蘆屋道満なぞは殺すべきだ。行くぞ、結人」

「っ!? 貴様! 待て!」

 

 状況に気づいた道満の声が制止をかける。しかしそれで止まる相手ではないと道満もよく知っているはずだ。

 

 

 強い風が吹いた。

 死に体を抱え上げられ、見上げれば、そこにいるのは。

 

「狴犴」

「おうよ。お前の半身だ、この莫迦者が」

 

 水色の髪、金の瞳。頭の上では白い虎の耳が動いている。唐服に身を包む虎の姿を持つ龍の子だ。

 吹いた風に乗って、狴犴が空を駆ける。遥か下の内裏では大勢の叫び声が聴こえてくる。恐らくは空を駆ける狴犴の姿に怨霊かと騒ぎになっているはず。

 

「傷は塞いだ。一応だが。しばらくは安静にしておけ」

「……ひとつだけ言っていい?」

 

 飛びながら手当をされた。少しずつ微睡む意識。それでも伝えなければならないことがあった。

 

「おう、言ってみやがれ」

「道満のこと悪く言わないで」

「はっ! あははっはっははっはは!!」

 

 意識を失う直前に言えば、狴犴は思いきり笑い出したのだった。むっとしながらも言い返す気力はすでになく、意識は闇の中へと沈んでいった。

 

 

「とことん莫迦だな。お前という人間は! ……ああ、本当に……莫迦は俺もか」

 

 すでに腕の中の結人は意識を失くし、狴犴の自嘲を聞く者は平安京にはいない。

 

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