‐жертва-   作:姊園 理違

4 / 4
3.私の男

□1980年

 

「ちょっと、いつまでテレビ見てるの?」

「……え、あぁ……いつまでだろう」

 ……本当に、いつまで同じ番組を見ているのだろう。

 自宅のソファで溶けながら、頭に一つも入ってこないニュースを永遠と眺めていた。

 遠いところで起きているBETAとの戦争。難民がどうの、食料がああの、何万人が死んだの。

 世界はブルーどころか、最早ブラック。

 ──そういえば、薬の時間だっけ。

 ダルさが纏わりついている体を起き上がらせ、薬に手を取り一錠飲んだ。

 病院(・・)を退院してから1年。この薬を飲んでいないと、何も手につかなくなってしまう。

 家に戻ってからというもの、白い廊下を歩く夢を見るようになってしまった。

 たったそれだけの内容で別に大した事はないのだが、その廊下には窓が一つだけあり、覗き込んでも黒いもので塗り潰されていて何も見えなかった。

 病院での生活が関係あったのかと思うが、思い出そうとしてもそれに関連する記憶が見当たらない。何かが欠如している気がする。

 入院していた時に仲が良くなった友達がいた。

 最初はあちらから話しかけて来て、私はそれを断り切れず嫌々話を聞いていた。だけど話していく中で、その人に少しだけ憧れて、一緒にいて、それで……。

 

 ──どうしたのだろう。

 おかしい、友達なんて片手に収まるくらいしかいないというのに、そう簡単に名前や顔を忘れるものだろうか。

 なんの話をしていたのか、なんで憧れていたのか、なんで本当の意味での友達になったのか。

 私は重要な何かを忘れてしまっている気がする。

 ただ、覚えていることはその友達と出会い、失って、そして何かを取られた。

 もし思い出せたとしても、それはそれで更に辛くなるだけだと思う。

 それならば、失われた記憶の上にずっと何かが覆いかぶさってくれれば良いとも願ってしまう。

 

 ある日。日課のようにソファにもたれていると、お母さんが封筒を差し出した。

 封筒を見て心が弾んだ。

 アルジェイだ、彼からの手紙だ。

 ゆっくりと起き上がるとお母さんから封筒を受け取る。

 それを無造作に破り中の手紙を読もうとしたが、その手を止めた。

 手紙から目を移すと、お母さんから私の様子を伺っている色が見えた。

「ねぇ、ナーシャ」

「……なに」

 不安混りの小さな声で、私は返事をする。

「ちょっと、会って欲しい人がいるの」

 私の胸騒ぎは当たってしまった。

「やだ」

「優しい人よ、話したことがあるのだけど。とても良い男性だったわ」

 男性? ならもっと怖いわ。

 誰かもわからない異性と会うだなんて、冗談じゃない。

「お願い、絶対気に入るから」

 すぐに気にいられるわけないじゃない。

「その言い方が怖い」

「そんな事言わないで。二日後あたりに、ね?」

「怖い、無理」

 見ず知らずの男と私を合わせる理由なんて、もう解りきっている。

 このご時世だから、家にいるくらいだったら早く嫁にでも行って欲しい。そんなところだろう。

 最悪な気分だ。

 だから私は“リーディング能力”なんて欲しくなかったんだ。

 

 ──リーディング? そんな名前いつからつけてたっけ?

 初めて頭に浮かんだ言葉なのに、違和感を感じないのは何故なのだろう。

 

 結果、私は嫌々了承するしかなかった。

 こんなの最悪よ。

 

 二日後、私の家で会食が行われた。

 つまらなそうにしていると、綺麗に整えられた金髪で、好青年のお手本の様な男がテーブルを挟んで座った。

「初めまして、アナスタシアさん。僕はヤミン・ヤブリンスキー、よろしく」

 爽やかで真っ直ぐな笑顔を向け、握手を求めた。

 私はというと『ふーん』と思いながら握手を交わしただけで、ハッキリ言ってまだ興味が沸かない。

 何を考えているかなんて、リーディングでわかってしまう。

 しかし彼の色を読み取ってみても、見えるのは好奇の色だけ。

 その後もリーディングを続けたが──暗い色が一つもない。何を企んでいるだの、そんな思考が見えない。

 私の事は、単純に清楚な女性だと思っているだけだった。

 不思議な感覚だ。人は誰しも、他人には言えない事を隠し持っている。

 他人の裏が見えないと、逆に不気味に感じてしまった。

 これは、私だけが持つ悩みなのであろうか。

 悩みを共有できないというのは意外にも辛いものだ。

 

 その日から、度々ヤブリンスキー夫妻とヤミンは家を訪れては共に食事をする仲になった。

 ヤミンは私が不登校になっていた事も私の両親から聞いており、知っても尚普通に接してくれた。

 純白で穢れの無い色、優しさだけが彼の心にあった。

 心の底から安心できてしまう。「純粋で優しい人」。そんな感じで、そういう男だった。

 

 ある日、ヤミンの家で食事をした。

 彼は器用に相手によって話し方を変え、大人とは社会状勢や仕事について。私とは主にプライベートな話をする。

 私としてもそっちの方が面白いし、何より有難い。

 気遣いのできる人というのは、こういう人の事を指すんだろうな。

 しかし、ヤミンに対してまだ完全には心を開いてはいなかった。

 人に警戒ばかりしていると、こうなってしまうのだろうか。

 いや、その逆だ。

 考えがわかるからこそ、怖れている。

「ナーシャ、はい」

 彼が微笑みながらカップを手渡す。

 最近のヤミンは私の事を「アナスタシアさん」ではなく「ナーシャ」と愛称で呼んでいる。

 アルジェイにすら教えた事のない、私の愛称。

 カップを受け取ると私は彼の手を見つめ、『男の人の手だ』と思いながらリャージェンカを口に含んだ。

 ──ヤミン。彼は私に好意を抱いている。

 それは恥ずかしげもあり、されど純粋な恋色。

 私にもそういう色はあるし、生物なら誰もが持っているものであろう。

「……素敵な色ね」

 と、言葉を漏らす。

「……何のこと?」

「独り言」

 私はきっと、この男の事をどこかで好きになってしまったのだろう。

 彼に不満は無い。しかし、好きだけど……と思ってしまう。

 「だけど」と思うには、何かしらの引っ掛かりがあるのだ。

 でもそれはわかっていて、優しくて社交的な彼。そんな男を「つまらない」と感じている。

 男の人をたくさん見てきたわけでもないくせに。

 好きなのに、つまらない人と思ってしまうんだ。

 私って酷い女だね。

 

□1982年

 

 結婚式が三週間後に控えているのに、手紙一つ出せずにいる。

 結婚式への招待状、相手はアルジェイ。

 入隊が決まり、軍の配属がもう時期決定すると報告があった。

 ヤミンと付き合ってからも、アルジェイとの文通は当たり前に続いていた。

 友達からの手紙だと教えると、笑顔で「良いなぁ、手紙を交換し合える友達って」と納得してくれた。

 その言葉にも似たようなものを感じ、心が少しだけモヤとした記憶がある。

 BETAに侵略されつつある今の世の中じゃ結婚を急ぐ人も少なくない。

 結婚を勧めたのは私の両親やヤミンの両親であり、無理矢理とりつけたようなものだ。

 結婚してから私の両親とヤミンの4人で住んでいるから、自分の時間がない。

 正直言って、色々と冷めかけていたのだ。

 面白味が無いつまらない毎日で死んでしまいそう。

 そんな毎日を送っている私でも、結婚式は素晴らしいものだと思っている。

 だけど、その結婚式にアルジェイを呼ぶかどうかを悩んでいた。

 自分の晴れ姿を見せられるのは嬉しい。だけどそれは彼の為のものではない。

 別の男の為の姿を見せたく無い自分もいる。

 本当に面倒くさい女だ、私は。

 

 そう考えていると、三週間後に私を嫁にもらう男が家の玄関前まで来ているのを感じた。

 このリーディングも、あの頃よりはまだ使い勝手がわかるようになってきたし、相手の考えが見えてもどうとも思わなくなってきている。

 郵便ポストに入ってあった封筒を手に取ったのを感じ取った。

 私に手紙を送ってくれるのは、アルジェイしかいない。

 私は玄関へ足を運びと、扉が開いた。

「ただいま、ナーシャ」

「おかえりなさい、ヤミン」

 自分が思い描く奥さんをイメージし、ヤミンに微笑んだ。

「そういえば手紙が届いてたよ。友達のアルジェイさんから」

 手紙の差出人は男だというのに、彼は嫉妬の色もなしに笑顔で手紙を差し出す。

 この笑みに私は少しの安心を覚えつつ受け取ると、勇気を出して口を開いた。

「ねぇ……そのさ、アルジェイを結婚式に招待しても……良い?」

 すると彼は。

「是非もないよ、君の友達だからね! 僕も会ってみたいし」

 と、即答した。

「でも彼って確か、衛士なんだろ? 前線からいつ帰って来れるかわからないだろうし、大丈夫かな……」

「確かに…………難しいかもね」

 私は、ヤミンの口から零れた『衛士』という言葉を聞き、胸が締め付けられる。

 彼はあの時話してくれた夢を叶えたのだ。

 皆を守る為、最前線で『人類の剣』と呼ばれる兵器『戦術機』に乗り込む衛士に。

 その夢が叶ったことが吉であるか凶であるか……。

 しかし、少なからずアルジェイや軍隊にとって吉であるのは確かだ。

 彼は被支配民族を駒のように扱うソ連が許せないのもあって皆を守る軍人になったんだし、軍にとっても兵が一人でも多く増えるのは良い事なのだから。

 これを凶だと思っている私は、最低な人間なのであろうか?

 ヤミンが自室へと向かった事を色と音を確認して、私はその場で封筒を無造作に開けた。

 プレゼントを喜びのあまり、袋を無理やり破り開ける子供の様な雑さだったけど、嬉しいという気持ちは今回だけはあまりない。

 手紙に書かれている字の汚さはやはりアルジェイ特有だった。

 目を通すといつも通りの挨拶と共に。

 

『配属先が決まった』

 

 と乱暴に書かれた言葉に焦りを感じた。

 焦ったところで、私がどうにかできる問題ではないということはわかってる。

 けれど、今回の手紙には楽しい事は何一つも書いていなかった。『こうやって、手紙を交換することが今後は難しいかもしれない』ということや、『正直に言うと、前線に行くのは少し怖い』と珍しく弱音を書いていたりもした。

 文字に色は見えないというのに、こんなに気持ちを揺さぶられるのは彼の手紙だけだ。

 そして、最後の文を見た時に私は言葉を失った。

 予想外のお誘い。

 

『今度会わないか? 戦場に行く前に、久しぶりに顔を見たい』

 

 指定された日付は、結婚式のちょうど一週間前。

 手紙を畳み息を飲むと、私は手紙を握りしめた。

 今の私にアルジェイと会って話すなんて事ができるのであろうか。

 もうしばらく紙上でしか話したことがなく、顔を合わせるなんて数年ぶりだ。

 だけど、彼も不安なんだ。

 昔から弱音をはかなかった彼が、戦場に行くのが怖いと書いたのだ。

 私の顔を見てから戦場に行きたいと私を求め、書いたのだ。

「どうしたの? 何かあったの?」

 突然背後から飛んできたヤミンの声に私の体は跳ね上がった。

「……いえ、手紙が来たのが嬉しくって、その場で読んじゃったの」

 振り向くと、笑顔でそう返す。

 この笑みに嘘偽りは無い。

 何故なら、『顔を見たい』と書かれていたあの文が本当に嬉しかったからだ。

「封筒の開け方が乱雑だね、まるで子供みたいだ」

「私はまだ半分少女よ」

「君のそういう面白い事を言うところ、好きだよ」

「私も、それを受け入れてくれる人が好き」

 この言葉にも偽りは無い。

 その日の夕飯は、いつもよりは楽しく愉快な気分だったのを今でも覚えている。

 それくらいに、アルジェイの誘いに心躍らせていたからだ。

 

 ※

 

 通り過ぎる街の人々の表情が暗く見えた夕方。

 私は待ち合わせ場所のレストランへと足を運んだ。

 店の前に着き、窓越しにアルジェイを探してみたが、姿が見当たらない。

 早すぎちゃったかな。

 辺りを何度も見渡しながら待っていたが、外の寒さに耐えられず先に入る事にした。

 入り口に閉店するという壁紙が貼ってあるのを見て、もうここのレストランには来れないのだろうと思いながら案内された席へ着く。

 やはり、アラスカへの疎開が決定したからなのだろうか。

 そんなことを考えていると、知っている色を感じ取った。

 その色は徐々に近づいてきて、咄嗟に指輪を外してポケットに隠した。

 店の扉が開くと同時に、私は俯いてしまった。

 少しだけ大人になった私を見てほしくない、大人になった彼を見たくない。

 彼に会いたいはずなのに、いざとなったら怖くなる意気地なしだ。

 足音がこちらの方に近づいて来る。期待と緊張で今にも吐き出しそうだった。

 すると足音がぴたりと止まる。

 

「アナスタシアか?」

 低い男の声、だけど記憶に残っている彼と同じ喋り方だった。

 少しずつ顔を上げると、初恋の少年は大人になってしまっていた。

 長めでグレージュのトレンチコートを身に纏った長身の彼は、傍まで来て「俯いてたけど、具合でも悪かったのか?」と問いかけた。

「い、いやそんなことはない」

 私は反射的に体を遠ざけてしまう。

 不思議と耳が熱かった。

 アルジェイは「ふーん」と言ってドカッと座ると、メニューに手を取り口角を上げた。

「今、俺が何食べたいかわかるか?」

 彼は私のリーディングを試しているようだった。そして躊躇なく答える。

「ボルシチ……サワークリーム入りの」

「正解! さすがアナスタシア!」

 本当はこういううるさいのはあまり好きじゃないけど、久しぶりに彼の柔軟な表情を見て懐かしさが溢れた。

 あぁ、そうだった。

 この男がアルジェイだった。

 色なんか見なくてもその仕草でわかってしまう程に、彼は変わらず輝いていた。

 

 外に出ると、雪が降っていた。

 こんな雪の中で、私たちは放課後を過ごしていた仲なのだ。

 思い出の道をアルジェイと共に歩いていく。

 歩幅を自然に合わせてくれる彼の足音が、数年前とは違っていた。

 男の足音、足の踏みしめ方。訓練校で鍛えたのだろう。

 その踏みしめる音が行進曲のように聞こえてくる。

「……あ」

 アルジェイが突然立ち止まると、私も2、3()歩いた先で止まった。

「ここって……」

 アルジェイは嬉しそうな色を振りまきながら、小走りで入って行く。

 そこはあの時の公園。ここで一緒に勉強して、一緒に遊んだ。

 もう無くなっている遊具もあって、全てが残っている訳ではなかった。

「懐かしいな、ここ! お前と一緒に遊んでた公園!」

「……うん、懐かしいね」

 この時の彼は、あの日と変わらない笑顔をしていた。

 他人から見たら、体格の良い大の大人の男性が公園で燥いでいる異様な光景でしかないが、この姿を私は美しいと思った。

 あの時の思い出、あの少年との記憶が今では懐かしく感じてしまう。

「……前線に行くまであと少しか」

 少年の表情を残したまま、白い吐息が雪風の中に消えて静寂を産む。

「もちろんそんな気はないけど、死ぬこともあるかもしれない」

「……そういうの、あまり聞きたくない」

 誰が死ぬ。誰が生きる。誰が狂う。消えている何かの記憶がそれらの言葉を必要以上に拒絶させる。

 その記憶を何度探ろうとしても、うまく思い出せない。

「……だけど、その……もし何があっても俺のこと、忘れないでほしいんだ」

 あなたからそんな言葉は聞きたくなかった。

「……押し付けだよ、そんなの」

「…………ごめんな」

 この場所で昔、私に正義を言って聞かせた彼。

 あなたは戦わなくていい人間なのに。

 どうして怯えている色を抱えて戦場に行くの?

「だったら辞めればいいじゃん……色々と理屈こねてさ」

 これは本心だった。あの時と何も変わらず、相手の気持ちも尊重しない私の本心。

「優しいんだな、お前……」

 私の言葉に彼は微笑した。

「いざ戦場に行くってなったらビビっちまって、お前に弱音を吐いちまう情けねぇ奴だけど……自分で決めた事を止めるつもりはないんだ」

 彼の決意を聞き、私は唇を噛み占める。

「……それは、わかってるよ」

「……心読めるんだったな……じゃあ俺が本気なのもわかるだろ?」

 一度だけ深く頷いた。

「変な事を言ってごめんな……弱いところ見せちまって」

 か弱く謝る彼なんて見たくない。

「そんな事ないよ……こんな私にあんなに優しくしてくれたじゃない。普通あんな風にしないよ! そんなあなただったから、私は………………っ……」

 

 声を失った。視界がおかしく映る。

 言葉なんてもの、生まれてこなければ良かったのに。

 感情なんてものは、埋もれて消えればいいのに。

 

 二の句を告げる事が出来ない。何より大事なたった一言その言葉が。

 喉まで出かけて、言うのを止めた。

 その色を見た瞬間、私は悲しくなってしまった。

 彼にとって私はただの「友達」である事が理解し(わかっ)てしまった。

 だから人の心なんて知りたくなかった。

 けれど私はその色から目を逸らす事が出来ない。

 嫌だというのに、その色を美しく感じてしまう。

 二度と見ることが叶わないかもしれない。少年の色を。

 悲しいはずなのに、なぜか安心を覚えてしまう。

 何も変わらない、何も変わらないでいるからこそ、悔んだ。

 

「どうしたんだ……?」

 アルジェイの声遣いが雪の中に包まれ、小さく聞こえる。

「……言い過ぎた」

 何を言おうとしていたのか聞いて欲しかった。もし聞いてくれたら、私はその続きが言えたかもしれないのに。

 私は無理に笑みを作り、隠した指輪をポケット越しに握りしめた。

「私ね……、結婚するんだ」

 それを聞いて、アルジェイは数秒ほどの沈黙を破り喋り出す。

「本当か?」

「こんな時に嘘なんてつかないよ」

「それって……いつだ?」

「ちょうど一週間後……」

 アルジェイは途端に顔色が変わり、首の後ろを掻く。

「その日か……その頃には前線にいるな」

 残念そうに言葉を漏らす彼の姿と声を、記憶に残す事しか私にはできなかった。

 何と言ってあげれば良いのだろう。

 私が幸せな時間を送っている間、機械の体を身に纏って異星人と抗戦している。

 本当に私は、アルジェイに何もしてあげられないんだな。

「それじゃあ、アナスタシアの幸せの為に一発撃つよ」

 言っている意味が分からなかったが、いつかの放課後はいつもこんな感じだったなと思い出した。

「それって弾入り? 空砲じゃないの?」

「おうよ、戦術機だから音も大きいぞ。りんどんって撃ってやるよ」

 あの時の言葉、まだ覚えていたんだ。

 私は少々恥ずかしくなり、コートで口元を隠した。

「実弾勝手に使ったら怒られるでしょ……ていうか忘れなよ、そんな言葉」

「へへっ、……お前が結婚か、想像できないな」

 彼の言葉。

「ドレス……見てみたかったな」

 彼の本音。

「写真でも送ろうか?」

「……いや、いい。想像しとく。──こんな時間まで二人でいると心配するんじゃないか? 送って行くぞ?」

 私の頭上を、電柱のライトが見下すように照らしている。

「いい、一人で帰れる」

「……そっか。確かに俺が送ったら、旦那さんに変な誤解されちまうかもだし」

 ヤミンはそんなことしないよ、アルジェイ。

 彼の優しさが私の気持ちを裂いでいく。

「幸せになれよな」

 軍人からの別れの言葉が弾丸となって少女()の気持ちを貫く。

「またな、親友!」

「またね……衛士さん」

 返事に困った私の言葉に笑顔を溢し、その場で敬礼をして彼は立ち去った。

 

 あの時の少年は、まだ生きていた。

 あの時の少女(わたし)は、軍人となった少年が殺していった。

 過ぎ去っていく彼の背に、さよならの形を描いた。

 

 家の前まで来て指輪をはめ直す。

 帰ってきた私に、ヤミンは「外は大丈夫だった? 寒くない?」と優しく出迎えてくれた。

 ヤミンは優しい。あなたは誰に対してもそうなんでしょうね。

 でも、なんで人って優しいだけじゃダメなんでしょうね。

 

 その日、初めて自分からヤミンに重なることを望んだ。

 慰めのつもりではない、ただただ埋めて欲しかっただけだった。

 少女の死体には雪をかけて埋めて、春には大人の赤子(わたし)が芽を出させるようにする為に。

 あの時の思い出を、雪の下に永久に隠す為に。

 そうか、雪解け水って暖かいんだ。

 

 ※

 

 結婚式は予定通り始まった。

 その日は、太陽が二人の門出を照らしくれた。

 昔から友達が少ない為、新婦側と新郎側の出席者の偏りをが出てしまった。しかしヤミンは「そういう事は気にしなくても大丈夫だよ」と励ましてくれる。

 どこまでも優しく疑いも知らぬ男、『疑いは罰せよ』と小さい頃から教わってきたのかな?

 そんなあなただから、好きになったのだろう。

 空が綺麗だ。鳥が飛んでいるのが見えるが、そのうちここら辺でも見れなくなるのかな。

 嗚呼。いつだか空は奴らのものだって、アルジェイも言ってたな。

 

 ※

 

 それから数ヶ月が経ち、体調の優れない日々が続いた。

 胸やけの様な不快感が治まらずベッドの上で一日を過ごすも、ほとんど眠れないといった日も少なくはない。あんなにリャージェンカが好きだったのに、香りですら受け付けなくなっていた。

 しかし、この症状からして自分の体がどうなっているのかは、何となく察していた。

 本当だったらこういう場合、喜んだり泣いたり悩んだりと様々な心緒(しんしょ)が入り乱れていくはずなのに、実感が沸かないのはどうしてだろう。

 

 後日、ヤミンと共に病院を訪れた。

 最初は一人で行ってくると言ったけど、「心配だから」と仕事を休んでまで着いてきたのだ。

 診察中、不安げな色を感じ取った。

 その正体はすぐ隣にいて、わかりやすく心配そうな表情を浮かべている。

「ヤミン」

 彼は突然話しかけられたせいか、ドギマギとした反応を見せ「な、なんだ?」と誤魔化す。

 気持ちはわかるけどさ。

「落ち着いて」

 そう言われるとヤミンは小さく返事をし、真剣な表情に切り替わった。

 やれやれと思いながら、私は微笑んだ。

 今となっては、彼が着いて来てくれて本当に良かったと思っている。

 

 診察結果が医師から告げられ、それは私の思っていた通りだった。

 それを聞いて先にリアクションをしたのは、私ではなくヤミンの方であった。

 彼は大きな声でアッと驚くと、口をパクパクと開けて涙を流す。

 その時のヤミンの色は喜びに包まれていて、私には眩しく見えてしまった。

 彼にとって、私との間にできることがそれ程の喜びなのかと思うと、少し嬉しかった。

 

 私のお腹には、私とは別の何かが育ち始めていた。

 私の血肉を吸い、あと数ヶ月も経てば出てくる『いのち』。

 しかし、それに対して何の感情も生まれてこなかった。

 父になる男は喜び、母になる私は何も感じていない。

 

 その正体に薄々気付きつつも、喜ぶ素振りをするとヤミンは私のことを思いっきり抱きしめた。

 彼の体温は、今の彼の色と同じくらい暖かく心地よい。

 それに比べて、私は冷めた女だ。ごめんね、ヤミン。心から喜べなくて。

 欠如している私の記憶が、私の気持ちを抑えている。

 この原因が分からないんだから、もっと質が悪い。

 これじゃあ私、まるで機械じゃない。

 

□1983年

 

 お腹も段々と膨らんできたある日、買い物から帰ってくると、お母さんが玄関の前で誰かと話していた。

 お相手は中年の女性。彼女は酷く号泣し、両手で顔を覆い隠しながら何か話していた。

 心配ながらも軽く会釈し、そそくさと家へ一人戻った。

 リビングで買った物を出していると、お母さんが戻って来て深刻そうな表情を浮かべながら椅子に座る。

「ナーシャ……あなた、友達にアルジェイくんって子いる?」

 お母さんの口から初めて彼の名を聞き、少々驚きながらも会話を続ける。

「……いるけど」

 名前を聞かれただけなのに、どうしてこうも胸騒ぎがするのであろう。

「そのね……そのアルジェイくん、戦場で亡くなったって……」

 

 一瞬、言葉が見つからなくなった。

 お母さんから見たら私、今どんな表情をしているのだろう。

 

「BETAの攻撃でコクピットごと消滅して、遺体も回収できなかったって……」

 私が結婚式をあげている時には、もう既に彼はいなかったんだ。

 でもどうしてなんだろう、こういう時でも涙は流れないし、悲しみもしない。

 大切な兵隊が死んだってのに、友達はもういないっていうのに。

 アルジェイの死が言葉だけで納得できないのかな? 全部嘘で、どこか遠いところで暮らしているんじゃないかと自分で自分を誤魔化そうとしているの?

 逃避なんて、無駄だって分かってるくせに。

 

 ※

 

 それから、二週間ほどボーっとしていた。

 友達の死への実感の無さとかつての記憶の端にある謎の喪失感の板挟みになって、感情を押し潰されているようだった。

 お腹を擦りながら無知なる赤子にこの気持ちをどう整理すれば良いか問うが、当然ながら何も返ってこない。

 このままではいけない、と私は紙とペンを用意して、久しぶりに手紙を書く事にした。

 相手はアルジェイではなく、彼の両親。

 あんなにぼろぼろになりながらも、私の家まで来てアルジェイの死をわざわざ教えに来てくれたのだ。

 本当はあの時、アルジェイのお母さんの話を一番聞くべきだったのは私だったのに。

 だからこうやって、彼と出会えた感謝を手紙に綴る事にした。

 お節介かもしれないけど、今の私にできる事はこれくらいだ。今までだって……。

 

「ただいまー」

 ヤミンが帰ってきたことに驚いて、私は咄嗟に手紙を棚の間に挟めた。

「おかえり」

「いやあ、資料整理になかなか骨が折れそうだよ」

 彼はそんな愚痴を溢しながら近寄ると、幸せそうに私のお腹を撫でた。

「この子はどんな子に育つんだろうね」

「そうね……皆に愛される子に育ってほしいわ」

 私の子だもの、きっと可愛い子に育つだろうな。

 誰かにそんな事を言われたことがある、産婦人科の先生だったかな……?

 

 両親とヤミンといつも通り食卓を囲む。

 食材のほとんどが合成で、味気なさと食感の違和感を感じつつも口に運んだ。

 こんなのもいい加減慣れてきた。

 すると、手を滑らせてしまいスプーンを落としてしまった。

 頭の中へと金属音が耳に響いていった。

 

『そういえば、あの人はどうしているのかな』

 

 脳内でチラついていた欠落した記憶の正体が一瞬だけ浮かび上がった。

 私にはもう一人の友達がいた。

 女の子の友達が。

 何で忘れていたのだろう。

 彼女だけじゃない。研究施設、実験、リーディング。

 手の震えが止まらない、スプーンを拾い上げられない。

 自分の手ではないみたいに力が入らない。

 ヤミンが心配して寄り添うが、反応できない。

 自分の頭の中がぐちゃぐちゃだっていうのに、三人分の色が無理に入って来る。

 そして私は、あの(少女の)時の様に吐瀉物を吐き散らす。

 

「具合大丈夫?」

「大丈夫よ……心配かけてごめん」

「構わないよ、おやすみ」

 ヤミンは私に気遣いながらも、眠りについた。

 最近疲れているのか、眠るのが早い。

 ベッドライトが照らす光は後悔を刻み込もうと企んでいる。

 私は、私を助けてくれる人間が欲しかった。

 アルジェイが戦場に行って死んでしまったのも、止める事が出来なかったせいだ。

 いや、もし私と出会っていなくてもアルジェイは戦場に行っただろう。

 あれは彼の意志で、誰も咎める事の出来ない決断だったのだ。

 

 うっすらではあるが、研究所時代を少しだけ思い出した。

 どうして覚えていなかったかは分からないけど、できれば私はこのまま忘れていたかった。

 たった少量でも私にとってもは辛い思い出で、いっそのこと一生忘れていたかった。

 彼女は今何をしているんだろう、ちゃんとお肉食べているのかな。

 

 生涯で友達を二人もなくしてしまった。

 私自身を受け入れてくれた男の子、私の気持ちを理解してくれた女の子。

 隣で寝ている一番優しい人も、いつか死んでしまうのであろうか。

 なんで私はあの時、好きだと伝えられなかったのかな。

 

 涙がほろりと流れ、頬を伝う。

 大事な人が皆消えていく。だったらこの際、BETAによって全部ぶっ壊れてしまえばいい。

 そんなことを願っても、どんなに惨めになっても私は生き続けるのだろう。でも、ヤミンや両親がいなくなって本当に一人なったら、途方に暮れて泣くのだろう。

 悲しくても辛くても、お腹は空くし眠くなるし誰かを求めるんだ。

 すると、何かが私の腹を蹴った。

 大人の脚ではない、小さくてまだ未熟なもの。

 お腹の子が励まそうとしているのだろうか。

 彼女が言っていたこと、今なら少しだけわかる気がする。

 兄のように身を挺して何かを救う、ヒーローのような存在に憧れていた。

 生まれてくる人工ESP発現体(自分の子)に、自分の憧れを託したかったのだろう。

 そんなのはエゴだとはわかるけど、それが彼女にとっての幸せだったのかもしれない。

 彼女と会わなくなってから数ヶ月後。私も卵子を採取したが、自分の子も彼女の子も顔を見た事がない。

 彼女がいなくなる原因となった人工ESP発現体に、恐れと恨みを抱いてしまったからだ。

 自分の子供ですら、怖くなってしまったんだ。

 彼女のお兄さんは、彼女の子に会いに行ってくれたのであろうか。

 そして、あの名を授けてくれたのだろうか。

 人工ESP発現体(あの子たち)は世界を守るために生まれ落ちた。人を救うために普通とはちょっと違う形で。

 私はお腹の子に心の中で話しかけてみた。

 これから生まれてくる君への大事な話、お母さんの話を少しだけ聞いてほしいの。

 あなたの“お姉ちゃん”はね、世界の為に戦ってくれているの。

 お姉ちゃんのお陰でもし世界が救われたら、一緒にお姉ちゃんに「ありがとう」って言おうね。

 それまではいっぱい寝る事にしましょう、大きくなってお姉ちゃんをびっくりさせてあげようね。

『おやすみなさい』

 

 そして、会ったことがない人工ESP発現体(私の子)にも。

『おやすみなさい、お姉ちゃん』

 ベッドランプの明かりを消し、私も眠りにつく。

 

 今も誰かが大切なものの為に戦って死んでいるだろう。

 私の様な守られるだけの人間にできる事は、その人の支えになってあげる事だけだと私は思う。

 何でも良いから、その人たちが少しでも心許せる安楽の場所を作ってあげる。

 それすらも無意味だと言いつけるが如く蹂躙する者が現れ、全部壊されたとしても、また新しい場所を作れば良い。

 死ぬか生きるかはまだわからないけど、なるべく足搔いたまま生き続けてみよう。

 いつか、いつの日か、(子供たち)が私たちを照らしくれる日を願って。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。