荒々しく波が砕け、大自然の営みが崖の上の少女を揺らす。
肩の辺りで切り揃えた黒髪が、吹き抜ける強風で激しく踊った。
「終わりよ」
それでも少女の小さく呟いたその言葉は、風に乗って目の前の親友の耳にしっかりと届く。
「終わってなんかないよ!」
ザバーン。
「え、何だって?」
大声で叫ばれたその言葉は、波の音に掻き消され黒髪の親友の耳には届かなかった。
自分を止めに来た茶髪ポニテの親友が何といったのか聞き取れなくて、黒髪を片手で押さえながら聞き返す。
「とにかく、今年は中学3年生。大会はもう終わり。私は……最後まで飛べなかった」
学校の代表として大会に3年連続で出場し、一度も飛べなかった。
飛び込みの選手なのに。
そのことが彼女の心に深い傷を負わせていた。
他に部員がいなかったから選ばれただけだけれど。
「もう終わりよ! でも私は最後にここから飛んでみせるわ! 過去に踏ん切りをつけるのよ!」
親友の嘆きが、風に乗って目の前の茶髪の耳にしっかりと届く。
「終わりじゃないよ! 高校に行っても、社会にでても、いつだって目の前にはハードルがあるんだよ! 飛ばなきゃいけないんだよ!」
「え、何だって?」
慰めのようでいて、現実を叩きつける親友の言葉に、黒髪の少女は聞こえないフリをした。
「波の音で聞こえなかったわ。私は今日という日に脱皮をするの。今までの自分から脱却するのよ」
「待って!」
そう云うと呼び止める親友に背を向け黒髪を翻し、崖下に目を向ける。
「うわ、こわ」
ザバーン。
波が少女の呟きを掻き消した。
「待って! 大丈夫だよ、ほら、きっと何かあるよ、気持ちを整理する方法!」
茶髪の親友の言葉に黒髪少女がバッと振り返った。
「そうね! やっぱりそっちにするわ! ちゃんと見たら崖の下の波が怖いもの!」
ザバーン。
波が少女の心変わりを掻き消す。
「え、よく聞こえなかったけれど、どうしても飛び降りたいの? わかった、もう止めない!」
親友の言葉が黒髪少女の耳にしっかりと届く。
「待って! 止めて! あともう大丈夫だから、そっちに行くから!」
ザッバーン。
「よく聞こえないわ! でも大丈夫。あたしも一緒に飛び降りてあげる! 今からそっちに全力でダッシュするから安心して!」
ザパァーン。
「え、何だって? ちょっとまって不審だわ。そこから動かないで!」
波の音が煩くてお互いの声が全く届いていない。
茶髪の子がゆっくりとクラウチングスタートの構えを取ると、黒髪の子は漸く意図を察した。
「うわああああ、ストップ! もう、もう大丈夫だから! そうだ、わたし留年する! 留年して大会でる! ね、ほら、解決したから!」
「……え、それ本当?」
茶髪の子が黒髪の子の言葉にハッとした表情を見せた。
そう、二人の間で問題が解決した瞬間だった。
どちらともなく歩み寄る。
ザバァァァァァン。
「あなたが留年するなら、あたしも留年する」
「成績優秀なのに?」
「関係ないよ」
「そか」
「じゃあ、帰ろっか」
「うん」
もはや波の音は二人の声を邪魔できなかった。
どれだけ激しく打ちつけても、掻き消えない言葉を交換し、二人は手を繋いで帰路につく。
事件は起こらなかった。
セーフ。
☆☆☆☆☆
大事件が起こっていた。
「え、留年したい?」
その男は今のクラス担任を最後に定年退職する予定になっていた。
この年まで担任クラスの子供から留年を出した事はなく、それが誇りとなっている。
「何を言ってるんだい」
理由を聞いても意味がわからない。
「先生! でも私達は輝く明日の為に青春を燃やしたいんです」
「お願いします! あたし達を助けると思って!」
「無理だよ、無理」
職員室内に少女2人の懇願が響く。男は助けを求め周りへ視線を向けた。
面白そうなものを見る視線が返って来る。
これはダメだ。
助けはこないだろう。
定年退職直前になって初めての体験に、男は困り果てた。
「卒業後だってプールにでも遊びにいけば、飛び込みし放題じゃないか」
飛び込み台のあるプールならちょっと探せばあちらこちらにある。
留年する必要はどこにもない。
「ふたりとも出席日数は足りてるし、成績だって良い。留年のしようがないよ」
「え、どうしてですか」
「上手くやってください、大人でしょう」
「どうしてわからないんだ!」
男は全教科満点コンビを前に頭を抱えていた。
学校は何を教えていたんだ?
どうして留年をしたがる?
担任は何をしていた?
担任は俺だ!
うわああああああああああああ。
「……判った」
「先生!」
「信じてました!」
「キミ達は人生の区切りを求めているわけだ」
「そうです。遊びにいったプールで飛び込みじゃダメなんです」
「わかってくれましたか」
「それなら――」
★☆★☆★☆
「わあああああああああああああああああああ」
「うひゃあああああああああああああああああ」
「うわああああああああああああああああああ」
週末、生徒2人を引率して男が山の中を訪れていた。
3人揃って縛られ橋から川面へ落下する。
バンジージャンプである。
3人一緒に初めての体験を済ませ、先生の運転で自宅に送り届けられる。
その日の夜、定年間際の男は今年も留年者を出さずに済んでホッとしながら眠りについた。
翌週、女の子2人が担任の男の先生と初体験を済ませたという話題でクラスが盛上がってしまうなど、想像もしていない。
「高校に行っても続けるの?」
「うん。今度は自分の意思で飛び込みの選手を目指すわ。もう飛べると思う」
「バンジーでスッキリするなら、最初からそうすれば良かったね」
「ホントそうね。先生、意外にちゃんとしてた」
お互い自分のベッドで横になりながら通話でクスクスと笑う。
「この学校でよかったわ」
「うん、そうだね。そろそろ寝よっか」
「そうね。また明日、おやすみー」
「おやすみー」
ほんの少しだけ成長し彼女達は目を瞑る。
こうして1日が終わり、新しい明日が……
「あ、そういえばあの崖、風と波の音がホント凄かったね」
「そうよ。お陰で足が震えたわ」
「寒かったしね」
「もうこっちの心は折れて帰ろうとしていたのに、何を言っても伝わらないし、スッとクラウチングスタートの構えを決めるし」
「思い切りが大事だから……」
「そういう問題ではなくて……」
彼女達の話は終わらない。
夜が更けても彼女達の時間は終わらなかった。
楽しげに言葉を投げあい、そんな時間がずっとずっと続くのだった。