『キンタロー君!今週の日曜会えませんか?』
『バイトなんで、すみません』
『今週は空いてたりしない?』
『すみません、バイトが』
『来週会えたりしないかな?だめなら、再来週は?』
『すみません』
「………もう───!!なんで毎回断られるのよ───!!」
誘いの連絡を入れる度に必ず断られる。
そんなことがもう何週も続いていた。
「あちゃ~、それは、脈ナシかもね」
「なんでよ!」
一花が苦笑するが、二乃はそうであるとは認めたくなかった。
「大体、あんた達だって上杉の奴を誘って断られてたじゃない!何が違うのよ!」
「ぐっ………」
「二乃に言われたくない」
一花が図星をつかれたと怯み、三玖が頬を膨らませて拗ねる。
「………」
「四葉?どうかしたのですか?」
そんなやり取りを見て目を逸らす四葉に、五月が声をかけた。
「えっ?い、いや、なんでもない、なんでもないよー………あはは」
「?」
五月が首をかしげる。
一花と三玖の誘いを断った風太郎が、自分と出掛けていたことを知られる訳にはいかず、何とか誤魔化したかった。
「さあ、今日は家庭教師の土曜日です、勉強の準備をしておきましょう」
「………私、今から予定があるから」
席を立って逃げようとする二乃に、慌てて五月が抑え付ける。
「ま、待ってください~!試験まであと一週間!この前私たちは0点をとったんですから、少しでも勉強をしないと───!」
「う………」
逃げ出そうとした二乃だが、流石に0点のままでは良くないとは思っていた。
「それに、上杉君の弟君に誘いを断られてたじゃないですか、予定なんてないはずです!」
「失礼ねあんた!?」
図星とはいえ、あんまりな言い方だった。
家庭教師の風太郎が中々来ないので、待つ間に各々で自習をすることになった。
「テレビつけるわよ」
二乃がリモコンに手を伸ばそうとしたが、それに先んじて三玖がリモコンを取った。
「………何のつもり?」
「私、見たい番組があるから」
「それはこっちの台詞よ」
三玖が手に取ったリモコンを、二乃も掴んだ。
そこへ、ようやく到着した風太郎と、迎えに行った五月がリビングに入ってくる。
「───時間がないんです、次の試験に向けて、みんなで仲良く協力し合いましょう!」
「三玖、この手をどけなさい」
「二乃こそ諦めて」
「はぁ?あんたが諦めなさいよ!」
「諦めない」
「………みんなで仲良く、ねぇ」
五月が気合を入れて協力しようと言った側から口喧嘩をする二乃と三玖に、風太郎はため息をついた。
「お二人さん、何やってんの?」
「今やってるバラエティにお気にの俳優が出てるから、そのチャンネルが見たいの!」
「ダメ。この時間はドキュメンタリー。今日の特集は見逃せない」
チャンネル争いという、くだらない喧嘩の内容に、風太郎はリモコンをサッと奪う。
「フータローはどっちの………」
「勉強中は消しまーす」
「あーっ!」
「あーっ!」
同時に叫んだことを苦々しく思ったのか、二乃と三玖は一瞬顔を見合わせた後、すぐに互いに目を逸らした。
「………前から思ってたが、あの二人、仲が悪いのか?」
一花に訊ねる。
風太郎が家庭教師として五つ子に関わるようになってそれなりに経ったが、二乃と三玖は言い争いや反発が多いように感じていた。
「んー、どうだろう、犬猿の仲って奴?」
一花が顎に手を置いて答える。
「特に二乃。あんな風に見えてあの子が一番繊細だから。衝突も多いんだよね」
「繊細、ね」
ふいに自分の弟のことが頭によぎる。
今でこそ派手な外見をしているが、昔から繊細で、傷付きやすい子供だった。
(あいつと似てるってことか)
繊細な人間ほど、態度や言葉が尖ってしまうものだ。
だから、衝突してしまう。
尖った弟を持つ風太郎だからこそ、一花の言葉に少し共感を覚えた。
「はーい、みんな勉強再開するよ」
二乃と三玖の微妙な雰囲気に割って入るように、一花が明るく声を上げる。
「それじゃフータロー君、一週間私たちのことをお願いします」
「ああ、中間試験のリベンジマッチだ」
不適に笑う風太郎に、腕を組んだ二乃は眉をひそめながら目を逸らした。
(二乃も来るようになって、全員集まるようになったのはいいが、もしこいつらが仲違いでもしたら、目標の赤点回避が一気に遠のいてしまうな………)
これまで基本的には仲睦まじく見えていた五つ子の新たな懸念事項に、どうしたものかと頭を悩ませる。
「あっ!それ私の消しゴムよ、返しなさい」
「借りただけ」
そう思っていた矢先、三玖が二乃の消しゴムを使い、言い争いが始まった。
「あっそ」
今度は、二乃が三玖の缶ジュースを手に取った。
「あ、それ私のジュース」
「借りるだけよ」
抹茶ソーダを飲む二乃を、三玖が睨みつける。
「って、マズッ!」
「………」
険悪な二人に、風太郎は肩を落とした。
「アイディア募集中………」
「はい!みんな仲良し作戦なんてどうですか?」
風太郎の言葉に、四葉が提案する。
「きっと二人は慣れてない勉強でカリカリしているんです。上杉さんがいい気分に乗せてあげたら喧嘩も収まるはずですよ」
「なるほど」
風太郎が立ち上がり、三玖と二乃へ近付く。
「はっはっは、いやーいいねぇ、素晴らしい!」
突然拍手をし始めた風太郎に、二乃と三玖は怪訝な表情を浮かべる。
「二人ともいい感じだね!なんというか………凄く、良い!しっかりしてて………良いね………うーん………………偉い!」
(褒めるの下手くそー!)
あまりにふわふわな誉め言葉に、四葉が心の中で突っ込みを入れた。
「………どうしたの、フータロー?」
「気持ち悪いわね」
二乃の言葉に、三玖がムッとする。
「気持ち悪くはないから」
「本当のことを言っただけよ」
「それは言い過ぎ。取り消して」
「あれー?ってことはあんたは少しは思ったんじゃなーい?」
「むぅ………」
「………」
仲良し作戦をした風太郎のせいで、更に悪化してしまった。
「失敗」
「じゃあ、こんなのはどーかな」
一花が提案したのは第3の勢力作戦。
あえて厳しく当たることで、ヘイトを風太郎へ向けるというものだった。
「共通の敵が現れたら、二人の結束力が強まるはずだよ」
「うーん………」
「どうしたの?」
「一応それなりに頑張ってるあいつらに強く言うのはな………」
「………あなたにも人の心があったのですね」
気乗りしない様子の風太郎に、五月が驚く。
普段、五つ子に苦労をさせられている風太郎ならば、嬉々としてやりそうなものだと思っていた。
「おいおい!まだそれだけしか課題終わってねーのかよ!」
そう言った直後だった。
「と言っても半人前のお前らは課題終わらせるだけじゃ足りないけどな、あ!違った!半人前じゃなくて五人の一人前かハハハハハ!!!」
(生き生きしてない!?)
嬉々としてやっていた。
褒める作戦より明確に乗り気であった。
「言われなくても、もう終わるところよ、ほら!」
「えっ、マジか」
二乃が課題を広げてみせる。
「………ん?そこ、テスト範囲じゃないぞ」
「あれぇ!?」
慌てて課題を確認する。
事前にテスト範囲を確認していなかったため、テスト範囲ではないところを勉強してしまっていた。
「やば………」
「二乃。やるなら真面目にやって」
「………っ」
三玖の冷ややかな眼差しに、二乃は我慢の限界を越えたようだった。
「こんな退屈なこと真面目にやってられないわ!私は部屋でやるからほっといて!」
「お、おい!」
風太郎が引き止める間もなく、二乃は自室へ向かう階段へ登ってしまった。
「くっ………ワンセット無駄になっちまった」
机に膨大な量のプリントを置く。
それは、風太郎が徹夜で用意した、自作の問題集だった。
人数分用意されていたそれは、課題が終わり次第手をつけさせる予定だったが、このままでは二乃に渡すことは出来そうになかった。
「弱気にならないでください」
五月が風太郎に語りかける。
「あなたが、私たちのお手本になるんでしょう?頼りにしてますから」
「………」
五月が風太郎を迎えに行った際、徹夜の問題集作りにより、玄関先で眠ってしまっていた。
そんな風太郎が五月に言ったのが、”お前たちだけやらせてもフェアじゃない、俺がお手本になんなきゃな”という言葉だった。
「待てよ二乃、まだ始まったばかりだ、もう少し残れよ」
五月からの信頼に乗せられ、風太郎が二乃を追って階段を登る。
「あいつらと喧嘩するのは本意じゃないだろ」
「………」
本位じゃないという言葉に思うところがあったのか、二乃が立ち止まる。
「ただでさえお前は出遅れてるんだ、四人にしっかり追いつこうぜ」
「………っ!」
しかし、その一言は二乃の逆鱗に触れるものだった。
「うるさいわね、何も知らないくせに、とやかく言われる筋合いはないわ」
二乃が風太郎を睨む。
「あんたなんかただの雇われ家庭教師、部外者よ」
風太郎は所詮家庭教師。そんな余所者に、二乃はズバズバと踏み込んでほしくなかった。
「これ」
三玖がプリントを二乃に差し出す。
「フータローが私たちのために作ってくれた問題集。受け取って」
しかし、二乃の目は冷ややかだった。
「そんなの作ったくらいでなんだっていうのよ、そんなの………」
二乃が、三玖の手を払いのける。
「いらないわ!」
その拍子に、問題集のプリントがバサバサと床に散らばってしまった。
「ね、ねぇ、二人とも落ち着こ?」
「そうだ、お前ら………」
険悪な二人に、一花と風太郎が止めようとするが、しかし落ち着く気配はなかった。
「拾って」
三玖の視線は冷たく、そして怒りが籠っていた。
「………こんな紙切れに騙されてんじゃないわよ………今日だって遅刻したじゃない、こんなもの渡して………」
一枚だけ手元に残っていたプリントを、ビリビリに破った。
「いい加減なのよ!それで教えてるつもりなら大間違いだわ!」
「………二乃」
(まずい!」
三玖が怒気を発しながら二乃へ近付く。
「三玖!俺はいいから………!」
風太郎が三玖を抑える。
手が出そうになったのを避けるための行動だったが。
───パンッ───
五月が二乃の頬を叩いたことで、風太郎の静止は無為なものとなった。
「二乃」
五月の冷たい言動に、三玖たちは固唾を呑む。
「謝ってください」
「っ!」
二乃が五月の頬を張り返す。
「あんた………いつの間にこいつの味方になったのよ………」
二乃は、自分と同じように風太郎と距離を置いていたはずの五月が、風太郎の肩を持っていることに、裏切られたと感じた。
「この問題集は上杉君が私たちのために作ってくれたものです、決して粗末にしていいものではありません」
「だから何よ、こんなの紙切れじゃない」
「ただの紙切れじゃない。よく見て」
「は?」
三玖の言葉に、五月がプリントを拾って二乃に見せる。
「彼はプリンターもコピー機も持っていません。呆れました………全部手書きなんです」
五月の言った通り、風太郎の自作の問題集は全て手書きで作られていた。
テスト範囲を全てカバーしたそれは、徹夜でギリギリ間に合うほどの工程で出来上がっていた。
「………だから、何よ」
「私たちも真剣に取り組むべきです。上杉君に負けないように」
流石に罪悪感に駆られていたが、後に引けない様子だった。
「………私だって………」
「二乃………」
一花と四葉が見守る。
しかし、二乃の味方をする様子はなかった。
「いい加減、フータローを受け入れて」
三玖の言葉が、二乃を追い詰めてしまった。
「………わかったわ………あんたたちは、私よりこいつを選ぶってわけね」
二乃が拳をぎゅっと握る。
「いいわ、こんな家出てってやる」
「!?二乃、冷静になれ………!」
「前から考えてたことよ、この家は私は私を腐らせる」
「に、二乃っ!」
「こんなのお母さんが悲しみます!」
二乃がキッと五月を睨む。
「未練がましく母親の代わりを演じるのはやめなさいよ」
「っ!」
「………」
二乃の言葉に、面食らう五月。
そんな様子を風太郎が見守る。
亡くなった母親の影を追う。
それは、亡くなった母親の影に今もまだ影響を受け続けている、自分の弟と重なって聞こえた。
「二乃早まらないで」
「そうそう話し合おうよ」
「話し合いですって?先に手を出してきたのはあっちよ」
四葉と一花の静止も、二乃は聞き入れずに五月を指差した。
「あんなドメスティックバイオレンス肉まんおばけとは一緒にいられないわ!」
「ド………ドメ………肉………!?」
姉妹で最も食事の量が多く、体型を気にしている五月が触れてほしくない言葉だった。
「そんなにお邪魔なようなら、私が出ていきます………!」
「あっそ!勝手にすれば?」
「ど、どうすれば………」
売り言葉に買い言葉。
お互いに相容れず、意地を張り合う二人に、困惑する風太郎。
結局、二人はそのまま家を出て行ってしまった。
◆
「こういうことは、よくあるのか?」
「姉妹だもん、喧嘩なんて珍しくない」
翌日。風太郎と三玖が、いなくなってしまった二乃と五月を探して街を歩いていた。
一花と四葉は、外せない用事で来れないとのことだった。
「でも………今回は今までと少し違う気がする」
これまでの喧嘩と違うところ。
風太郎は、自分の影響が悪く作用していることに思うところがあった。
「ともかく五月と二乃を探すぞ」
「うん」
「も、もう疲れた………」
「よりによって、体力無し、コンビだからな………」
まだ短い時間しか回っていないが、二人とも、もう息を切らしていた。
「………仕方ない。この手を使う」
「?」
三玖が街中の人たちの前に出る。
「こんな顔の人見ませんでしたか?」
(………五つ子ってなんて便利なんでしょう)
五つ子にしか出来ない捜索方法に、感心するやら呆れるやら。
「あら、私の泊ってるホテルで見た顔だわ」
「それだーっ!」
おまけに、見つかってしまった。
それなりに値段の張るホテルの一室。
部屋のドアを開けると。
「え」
そこには、顔パックを付け、グラスに飲み物を入れた、100%リラックス状態の二乃がいた。
「な、なんであんたたち………ってか鍵は………」
「部屋に鍵を忘れたって私が言ったら開けてくれた」
「セキリュティガバガバじゃない………!」
ぺろっと顔パックがずり落ちる。
そんな二乃を、三玖が見つめる。
「二乃、昨日のことは………」
「………出てって!私たちはもう赤の他人よ!」
二人を廊下へ押し出し、ドアを閉めようとする。
「あっ、ま、待て!」
風太郎が腕を突き入れ、ドアが閉まるのを防いだ。
「二乃、どうしたんだ。お前は誰よりあいつらが好きで、あの家が好きだったはずだ。だから、俺が受け入れられなかったんだろ」
「………」
風太郎の言葉は事実ではあった。
二乃は他の姉妹より、姉妹愛が強い。
だから、姉妹の間に割って入って来た、ように感じた風太郎を嫌い、受け入れなかった。
そして、その風太郎に、大切な姉妹たちが奪われた気がして、裏切られたと感じている。
「だから、知ったような口きかないでって言ったでしょ、よりにもよってあんたが………」
だが、それを風太郎に指摘されたいとは、思わなかった。
「こうなったのは全部あんたのせいよ、あんたなんて来なければ良かったのに」
「………」
涙を浮かべる二乃。
「そうか」
来なければよかった。
確かに、そう言われてみれば、風太郎が中野家に来てからというもの、色んなことが起こった。
風太郎としても、来ない方が面倒ごとは起こらなかったかもしれない。
「本当にそう思ってるのか?」
だが、五つ子たちの家庭教師に来なければ良かったとは、思わなかった。
きっと、彼女たちもそう思っていないであろうということも、風太郎には何となくわかっていた。
「俺の弟は俺に敵意剥き出しな奴でな。何度も殴られそうになった。っていうか殴られた」
「………っ、そ、それが何よ」
金太郎の話を持ち出され、少し二乃が動揺する。
「だがな。そんな奴でも家族として、少しは分かり合えたんだ」
「………」
真剣に語り出す風太郎を、三玖もまた真剣に見つめている。
「あいつは、あいつなりに家族を想ってるんだ。兄弟、家族ってのはそんなもんなんだと思う。嫌い合ってるように見えても、そこには、その………あるんだろうよ、”家族愛”ってやつがさ」
「………だから、どうしたっていうのよ」
「お前たちだって同じだって話だ。どんなに喧嘩しても、いがみ合っても、それは互いを想ってるからだろ」
「………知ったような口きかないでって言ってるでしょ」
二乃言葉は、先ほどよりも力を失っていた。
「じゃあ、これも言わせてもらうけどな。お前たちのおかげだ」
「………っ!」
二乃が息を呑む。
風太郎が発するには、にわかに信じられない言葉だった。
「お前が金太郎に庇われたから、俺と弟は多少は腹を割って話せるようになった。これは、俺がお前たちの家庭教師にならなければ、起こらなかったことなんだよ」
「何が、言いたいの」
「つまり、俺は、お前たちの家庭教師になったことは、良かったと思ってるってことだよ」
「フータロー………」
風太郎が、ここまで性根の心情を吐露するのを、三玖は見たことがなかった。
「お前は、そりゃ俺が邪魔かもしれねーが、何か一つぐらいは、あるんじゃないのか、家庭教師が来て、悪くなかったって思えることが」
「………」
二乃が、閉め出そうとするドアを少し開けた。
「………キンタロー君」
「金太郎?」
「キンタロー君と知り合えた!それが、悪くなかったって思えることよ」
「………そうかよ」
ここに来て、また弟。
風太郎はため息をついた。
せめて、英語の点数が上がったなどという理由が聞きたかったと思った。
「キンタロー君に、会わせて」
「は?」
「会わせてほしいの!私が誘っても、全然乗ってくれないんだもん………」
「そ、そうなのか」
弟が二乃の誘いを断っていることを知り、何とも複雑な感情を抱いた。
「会わせてくれたら………少しぐらいはあんたの話を聞いてやってもいいわ」
「っ!本当か!」
「ええ、だから、今日は、帰りなっ、さい!」
「あっ、待っ!」
今度こそ、ホテルのドアが閉められた。
「………まあ、一歩は前進出来たか」
「フータロー」
三玖が風太郎を見つめる。ただ、目を見ることが出来ていなかった。
「どうした?」
「さっきの、本当?私たちの家庭教師になれたこと、良かったって………」
「………ああ、本当だよ」
今度は、風太郎が三玖の目を見ることが出来なかった。
「お前らと過ごす日々は、まあ、悪くないって思ってる」
「………っ!」
それを聞いた三玖の胸は、言いようのない感情で溢れていた。
「………今日は帰るか」
「フータロー!」
三玖が、風太郎に向き合う。
「私も、フータローと過ごす日のが、好き───っ!」
「───え?」
思わぬ告白に、風太郎が耳を疑った。
「───あっ、違っ、これは………その、ふ、フータローが家庭教師になってから、私も楽しいってこと!変な意味じゃ、ないから………!」
「お、おう、わかった」
「じゃ、じゃあ!」
三玖がホテルの廊下を走り去っていく。
その姿を、呆気にとられたまま見つめていた。
◆
「おかえりー」
「ただいま………」
体力を消耗しての捜索に、二乃への説得。それに三玖の言葉と、風太郎は疲れていた。
(五月はどこにいるのかわかんねーし………)
それだけじゃない。まだ懸念すべきことは残っている。
どこに五月がいるのかわからず、彼女の捜索も残っている。
「ん?この匂い………カレーか」
「正解!先に食べてるよ、あとね………」
「らいはちゃん!」
妹を呼ぶ、聞きなじみのある声が聞こえた。
「カレー、おかわりしてもいいですか?」
捜索の懸念は、今なくなった。
「あ………お、お邪魔、してます………」
「………」
「………」
気まずい沈黙が流れていた。
あれほど大喧嘩をした後の行先がまさかの自分の家だった。
なんとも馬鹿げた話だった。
(っつーかなんでウチにいるんだよ………)
ちらりと目を向ける。
五月が目を逸らした。
(居心地悪い………)
他人が自分の家にいる。
どうにも落ち着かなかった。
(今なら二乃の気持ちがわかるぜ)
自分のテリトリーである家に、他人がいる感覚。
狭い家の中、親交がそれなりにある五月でさえそうなのだ、最初に風太郎が家に赴いた時はさぞ拒否感を示したに違いない。
「お兄ちゃん、お布団敷いといて」
「あ、私がやります」
「お嬢様が硬い布団で寝られるかね………」
「寝られます!」
「お兄ちゃん仲良くしてよ」
らいはが呆れるように風太郎をたしなめる。
いつの間にか、五月と仲良くなっていたようで、妹は家に泊りに来たことを喜んでいた。
「今夜はお父さんが仕事だし、金太郎お兄ちゃんはまだ帰って来ないから………」
良いことを思いついた!という表情のらいはに、嫌な予感を覚えた。
「三人で川の字で寝ようね」
風太郎、らいは、五月の順番に川の字になるように布団を敷いて布団に入っていた。
(まるで家族みてーだな………)
布団に入りながら、逡巡する。
このままではいけない。
何か言うべきだが、何から切り出せばいいかがわからなかった。
「上杉君、起きていますか?」
「!ああ、起きてるぞ」
そう思っていた矢先、五月から話しかけてきた。
「今日は突然すみませんでした。昨日のことも」
「………まあ、構わねえよ、らいはも歓迎してるしな」
「………らいはちゃんには、ご馳走になりっぱなしです」
一番最初に上杉家に五月が来た時も、今日も、らいはのカレーを口にしていた。
二乃が作るものとは異なる家庭の味に、安心感を覚えていた。
「明日には帰れよ。三玖達も心配してる」
「それは、できません………今回ばかりは二乃が先に折れるまで帰れません」
「………あのな」
頑固な五月。
しかし、いつまでもこの家にいさせる訳にはいかなかった。
「そもそも、金持ちお嬢様にウチの生活が耐えられるとは思えん、そうなる前に帰った方が良いだろ」
「………私はお嬢様ではありませんよ」
「は?」
高級マンションに住み金遣いの荒い五月たちが、お嬢様ではないとはよく分からなかった。
「私たちも数年前まで負けず劣らずの生活を送っていましたから」
「え?そうなのか?」
意外な事実に、風太郎は驚いた。
「今の父と再婚するまで、極貧生活でした。当然です、五人の子供を育てていたんですから」
五月が静かに語り始める。
「その頃の私たちは、見た目も性格もほとんど同じだったんですよ」
しかし、女手一つで育てていた母親は体調を崩して、入院してしまったのだという。
「だから私は、母の代わりとなってみんなを導くと決めたんです」
つまり、癇癪を起こした二乃に手を上げたのも、五月なりに母親を真似ての行動であった。
「そう決めたはずなのに………うまくいかない現状です………」
───未練がましく母親の代わりを演じるのはやめなさい───
二乃に言われた言葉は、五月の心に衝撃を与えた。
未練がましい。
確かに、五月はありし日の母親の面影を、断ち切れない未練と共に追っている。
それを他ならぬ姉妹に否定されてしまったのは、とても辛いことだった。
「母親の代わり、か」
同じように、ある日突然母を失ったからこそ、風太郎には思うところがあった。
風太郎や妹が、母を亡くしてもその面影を追うことなく今日まで生きて来れたのは、父の影響が大きい。
父が快活で、悲しみを背負いすぎない人物だったからこそ、今の風太郎がある。
母親を失った傷が大きかった金太郎はその限りではなかったが、それでも父がいたからこそ、今の姿があった。
「こんな時に、お前らの父親は何やってんだよ。こういう時こそ父親の出番だろ」
「それは………」
口ごもる。
あまり触れられたくない部分だったようだ。
「父は………私たちにあまり関わろうとしません。私たちとは、距離が遠いんです」
「ふーん………」
二回の電話でしか会話をしたことがなかったが、冷たく、合理主義な人物に思えた。
どうも、その感想は間違ってはいなかったらしい。
「まあ、赤点以下のお前らに、黙って家庭教師寄越すだけだっただもんな」
「ぐっ………赤っ………確かに、そうですが………」
赤点以下であるという事実は、未だ五月にとっては耳が痛いものだった。
特に、姉妹の中でも最も真面目に勉強に打ち込んでいる五月にとっては。
(………何やってんだろうな、お前らの父親は)
父親とは、子供を受け止めて、導くものだ。
五月達とその父親には、自分たち上杉の家のような、心の繋がりが乏しいように見えた。
むしろ距離が離れ、父親からの愛情があるのかも疑わしいとさえ感じた。
何せ、姉妹が仲違いして、二人が家出までしている。
それなのに、何も行動を起こしていない彼女らの父親には、猜疑心すら覚えた。
「………父親、ね」
その役目は、確かに今の五月たちにとって、必要なものだ。
それでも。
「俺は、お前らの父親の代わりなんてできない」
「えっ………?」
五月が母親の代わりをやろうとするように、自分が父親のかわりをやろうとは、言えなかった。
「お前らには、今父親が必要なんだと思う。家族が離れちまってる時に、それを繋げて纏めるような父親がな」
「それは、そうかもしれませんが」
「だが、お前たちの父親は、力になってくれない。そんな時、本当なら、家庭教師の俺が父親の代わりを張ってやるべきなんだろうが………」
「いや、あなたが父親はちょっと………」
「う、うるせー、例えばの話だろ………」
ごほん、と咳払いをして話を戻す。
「ともかく。俺に、父親の代わりなんざ出来ねえ。いや、俺じゃなくても誰にも出来やしないんだ、親の代わりなんて」
「………そんなことは、分かっています」
風太郎の言葉は、五月にとって耳が痛い話だった。
誰も、親の代わりなんて出来ない。
それは、母親の代わりになろうとした、五月にも当てはまるものだった。
「………だから、未練がましく母親の真似事はやめろと?あなたまでそう言うんですか」
二乃に否定され、飛び出した先のここでも否定され、五月は自分のこれまでの人生を否定されたように思った。
「いいや。そうじゃない」
しかし、風太郎は五月のことを否定する気はなかった。
「親の真似事なんて、子供なら当たり前にやることだろ。ただ、代わりにはなれないってだけだ」
親の影を追う。
それは、子供なら当たり前のことだ。
親が亡くなってしまったのなら、尚のこと。
「何が、言いたいんですか」
「お前が母親の代わりをやろうって決めたんなら、そうすればいい。それはお前が決めることだ」
親の代わりにはなれない。
だが、その影を追って、自分が変わることは、悪いことではないはずだ。
「五月。お前はお前にしかなれない。そして、母親の代わりになろうとした結果が、今のお前だ。それは胸を張れるものなんじゃないのか」
「………上杉君………」
五月が体を起こした。
未練がましく母親の真似事をしたことも、今の自分に繋がっている。
それは、間違いではないのだ。
「ま、その結果が赤点なのは胸を張れるもんじゃないけどな」
「う、うるさいですね!今はその話はいいでしょう!?」
辛辣な風太郎の言葉に憤りながらも、五月の表情はどこかスッキリとしていた。
「………お前が、お前にしかなれないように、俺だって俺にしかなれない。だから、俺は父親役じゃなくて俺として、お前らの力になってやる」
誰かの力になる。
それは、五年前の修学旅行の日に、京都で髪の長い女の子と出会い、いつか誰かに必要とされる人間になると決めた風太郎の、大きな目標だった。
それまでの全てを投げうって、勉強だけを死ぬ気で励むようになったほどの。
「………ふふ」
五月が笑みを漏らす。
「代わりになれないって言ったり、代わりでいいって言ったり。上杉君はよくわかりません」
「………要点をまとめられなかったのは悪かったと思ってる」
要は、五月を励まそうとしていただけなのだ。
母親にはなれないが、母親の代わりとして務める五月。
そんな五月が、自分らしくあれば、それでいいのだと、風太郎は言っていた。
「上杉君は、不器用ですね」
「………自覚はあるよ、ったく。柄にもないこと、言うんじゃなかったぜ」
風太郎にとって、一日に何度も説教を垂れるようなことは気苦労が大きかった。
柄にもないことを言うのは終わりだと、風太郎が布団を被った。
「でも………そうですね、お母さんの代わりになろうとしたから、今の私がある。それは、上杉君の言う通りかもしれません」
二乃には、未練がましいと言われたが、それでいいのだ。
未練がましく母の代わりになろうとしたから、今の自分がいるのだから。
「上杉君」
「今度はなんだよ」
「見てください、綺麗な満月です」
窓辺から、月明かりが差し込む。
確かに、綺麗な満月だった。
「………お前、まだまだ勉強した方がいいな」
「な、なんでですか!」
しかし、それが有名な告白の台詞だということを、五月は知らなかった。
「それにしても、これだけ話しているのにらいはちゃんは寝つきがいいですね」
かなり話し込んでしまっていた二人だが、それでもらいは綺麗に寝息をたてていた。
「まあ、金太郎が帰って来るのがいつも夜遅いからな。ちょっとやそっとの物音じゃ起きなくなってるんだよ」
「………そういえば、まだ帰って来ませんね」
もうすぐ日が変わろうかという時間なのに、彼の弟は帰って来る気配がなかった。
「いつも、こんなに遅いんですか?」
「そう言ったろ」
当たり前だと言わんばかりの風太郎の言葉に、五月は呆気にとられた。
(毎日こんなに遅く………)
それは、いくら極貧生活を送っているにしても、高校生である金太郎には大きすぎる負担だと思った。
◆
ガチャリとドアが開く音に、目を覚ます。
目をドアの方へ向けると、見覚えのある金髪の少年、風太郎の弟である金太郎が靴を脱いでいた。
「───にっ!?」
自分の家に、自分の家の人間じゃない少女がいることに驚く。
あと、普段怖がっている二乃に似た五月だったことから、金太郎が身構える。
「………あ、お邪魔しています………中野五月です………」
寝ぼけまなこで五月がむにゃむにゃと挨拶する。
「あ………中野五月さん………いや、すんません、起こしちゃって」
金太郎がそそくさと洗面所へと入っていく。
五月は今何時だろうと時計に目を向ける。
「───も、もうこんな時間じゃないですか───!?」
それは、高校生が帰って来るにしては遅すぎる時間だった。
そして、金太郎は、いなくなるのも早かった。
ガサゴソと物音が聞こえて五月が再び目を覚ます。
そこには、身支度をしてリュックを背負う金太郎の姿があった。
時計を見る。
先ほど、金太郎が帰って来てからまだほんの数時間。
まだ日が明ける前の、夜明け前の時間だった。
(………一体、どうしてそこまで………)
ドアを開け、家を出ていく金太郎の姿を見ながら、五月が不安に駆られる。
夜は皆が寝静まった後に帰って来て、日が明ける前に家を出ていき、学校に行く。
それは、いくら貧しい生活を送っているとはいえ、高校生の彼には多すぎる仕事量だった。
(………お母さんみたい)
その一身に何かを背負い、自分を顧みず働く姿に、五月は亡き母を重ねずにはいられなかった。