穴部瑠璃 〜海の畔の小領で〜【完結】   作:PureFighter00

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 エドガー・アラン・ポーに捧げるが、墓から這い出して来て説教されそうな気もしないではない。


長島郷の瑠璃

 昔々のおはなしです。

 海に面した小領に、皆もよく知る穴部瑠璃という大層美しい娘が住んでおりました。

 娘の想いはただ一つ、思い寄せたる男子を愛し愛されること……

 

 

 九州地方X島の北側には奇妙な風習がある。海の幸が豊富なこの地において、何故か古老は魚介類……特に蟹を食さない。現在ではその傾向も段々と薄れつつあるが、この地で生まれ育った明治生まれぐらいまでの古老にこの傾向が強く出ている。

 地域で物忌(ものいみ)をする風俗は日本各地にあるが、豊富な海産資源全てを物忌で避けるというのは極めて珍しい。古老によれば海産物は竜宮の民でと……些か不可解な話を始めた。古史古伝を調べるも当地に浦島太郎伝説にまつわる話はない。そも浦島太郎の話は元来但馬国の物語。そして今は体裁が整えられた報恩物語であるが、古い時代の御伽草子ではニュアンスが異なる。竜宮は即ち蓬莱であり、わたつみであり、冥界であった。その冥界説に思い当たった時に当地の風土記に記載された「流れ着きたる竜宮送りの骨を弔う寺」「竜宮に送られた」の真意が掴めた。

 

 話は少々長くなる。茶でも飲みながらゆっくり読んで欲しい。

 

 

 前近代に於いて、女子とは記録に残りにくいものである。特に史書に名を残すことは稀で、多くの場合太政官誰某の娘であるとか誰某の妻など男の付帯物として名すら残らない。名を残す場合も清少納言や紫式部という家名+官位や筆名のみとなったり、何故か父や伴侶、子の名前は確認できるが当人の名前は伝わっていないというのが通例である。その中で複数の文献に名を残し、現在も瑠璃祭として祭事の中に名を残す「穴部(あなべ)瑠璃(るり)(生没年不詳、17世紀後半の人物)」は極めて稀な存在だろう。

 

 穴部瑠璃は商家に生まれた。実父は元西国の海運商人であるが、家を継いだ後にほど無くして没落(船が難破した?)、取引先の一つであった九州X島北岸の町で再起した。驚くべき事に息女瑠璃の名は伝わっているが父母の名は失伝している。これには訳があり、商家の娘である瑠璃は長じた後に武家である江戸川家に嫁入りし、その直前に当地を治めた島津藩中の侍大将の老臣の家の養女となっているのだ。穴部はこの老臣の姓である。

 

 穴部瑠璃は、歌にも読まれた美女であった。再起したものの中規模の漁村の乾物を商う家で育ち、何不自由とまでは行かないがそれなりに安定した暮らしをしていた様だ。幼少期よりその美しさは有名であり、近村の男衆の間では態々(わざわざ)見物に出かける者まで出る程だったと伝えられている。いわゆる田舎では珍しく、娘の美人画まで売られていたという。現存する美人画はかなり損傷が激しいが、優しげな顔をした細身の娘であった事が読み取れる。美人画は版刷りであり、数百年後の現在まで残る程度に頒布されている。

 

 その様な美人であるならば、良家に嫁ぐか島津家臣団の誰某と結ばれても良さそうなものであるが、失礼ながらあまりパッとしない江戸川家(40石程度)に嫁いだのは、瑠璃の意向による。馴れ初めは(つまびらか)では無いが、幼少の砌より2人は将来夫婦(めおと)になる事を誓い合った仲である。島津藩中としては女々(めめ)として嫌悪対象になる筈の幼少期からの交際は、何故かこの2人に限り容認されていた。

 後に伴侶となる江戸川七郎左エ門(幼名 藍砲)は聡明な人物として知られている。武芸も達者で道理を弁え、元服前には論語を誦じ、春秋の注釈に取り組んでいたと伝わっている(X島郷風土記より)。この若者も小禄ながら分際を弁え義理を重んじ、隠棲後は仏道に帰依して海の畔の小領の繁栄に尽力したと伝えられている。

 

 

 瑠璃は藍砲の乗る子馬に乗せられ、眼前に広がる海を見た。キラキラと輝く波頭は午後の強い日差しに照らされて刃物の様に輝き、その青さは波頭の白さを際立たせた。頬を撫でる浜風は潮の良い香りがした。

 海を見下ろす丘の上。子馬達が草を食む牧草地。村を挟んで向いにある岬では葉桜がゆらゆらと風にたなびく。

 子馬に乗り無言で海を眺める2人は幼ささえ感じさせる若年(じゃくねん)であったが、その身に纏う風情は熟年の夫婦の様にさえ思える。もしも町衆が見たら2人の醸す空気に当てられ赤面したかもしれぬ。

 この地に於いて婚姻前の男女は付き合わぬものである。家中では女々(めめ)としてその様な男を男と認めなかった。唯一真正面から「瑠璃を好いておりますから」と答え、悪びれもせず莞爾(かんじ)と笑う藍砲だけは赦された。それを見た瑠璃が頬を染めて眼を潤ませるのがまた愛おしい。瑠璃は当節の美人とは些か異なる顔立ちであったが、藍砲を見つめて蕩ける顔が実に良かった。見ている者まで蕩けそうで、怒気や弱気は瞬く間に霧散した。あの顔を見ると(あら)ゆる悪意が消えて幸せな気分になる……ただの小商の娘である瑠璃を、当人を見た事が無い者は「傾国」と呼んだ。よく知るものは傾国と聞いてかぶりを振る。いや違う、あれは魔性ではなく御仏(みほとけ)の類だ。傾国は国を滅ぼすが、瑠璃は国を栄えさせる。事実瑠璃達の住う漁村ではここ十数年罪人や咎人が出た事がない。皆、異様に感受性が高く慈悲深い瑠璃を悲しませぬ様に生きてきた。村の老爺が天寿を全うした時など、瑠璃が泣いた為に村全体が涙を流したかの様に陰鬱になってしまったではないか! 今では老人達も迂闊に死ぬ訳にはいかぬ。せめて瑠璃嬢が長じて死が終わりでない事を理解するまで生きねばならぬと飯をモリモリ食べている。

 何か良き事があれば瑠璃は微笑む。天女とはこの様なものかと皆が口を揃える天上の微笑みだ。瑠璃の笑顔に釣られて町娘達も微笑み、町娘達も美しく愛らしくなった。それを見て男衆も笑顔を湛える。そして皆男前になった。瑠璃が喜べば皆も喜び、瑠璃が悲しめば皆も胸を締め付けられる様な苦しさを味わう……僅か十余年で皆は思い知らされた。瑠璃を悲しませると自分はもっと辛くなる……結果、互いに助け合い、喜びを分かち合い、男はより勇猛に、女はより美しく愛らしく……これで村が栄えぬ訳が無い。栄えた結果、皆は顔を顰めることすら忘れたという。瑠璃と藍砲が村を歩けば喧嘩していた野良犬ですら鳴き止んだ。宛ら聖人である。(流石に誇張が過ぎるのではないかと筆者も訝しんだ)

 しかしそれが事実であるならば、誰が藍砲との仲を止めるだろう! 藍砲と連れ立ち、微笑む瑠璃が尊いのだ。2人は互いを愛し、村の人々は2人を愛した。神仏も彼らを愛でたのか、関ヶ原で西軍に就いてしまい窮乏を究める島津の地でありながら、ここ長島郷だけは穏やかな日々が続いていた。十余年前には目の前の島原で大規模な乱があったにも関わらず、長島は平和だった。人々はこれも瑠璃の功徳と敬った。

 

 仏典無量寿経に曰く、七宝(しちほう)あり。金、銀、瑠璃(るり)玻璃(はり)硨磲(しゃこ)珊瑚(さんご)瑪瑙(めのう)を云う。瑠璃は長島の波の様に青く透き通った硝子様の宝物の名である。恐らくは仏道に通じてこの娘の未来を幻視した徳高い僧職が名付けたに相違ない。

 

 

 「瑠璃を悲しませる者は除く(・ ・)」がこの村唯一の掟であった。村の全てはここから始まっていた。誰かがそうと決めたわけでは無いのだが。




2話以降は少し時間を頂きます。
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