穴部瑠璃 〜海の畔の小領で〜【完結】   作:PureFighter00

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月の夜

「穴部、具足を用意させろ」

「朝駆けですな」

「江戸川、舟を用意せぇ」

「はっ!」

 

 この時代、夜は暗い。

 入り江とは言え岩礁の多い海域だ。伴天連たちも夜に舟を出すとは思えない。日が昇り夜が白み始める時間を待って彼奴らは自分達の船に戻るだろう。そこを押さえる。

 配下は江戸川少年含め8名だが、いずれも薩摩兵子であり朝鮮の役を経験した穴部は海戦にも通じている。負けは無いと踏んでいたし、負けるなら負けるで死ねば良い。既に1人本家へ使いを出した。必要であれば海の果てまで追いかけて仕留めれば良い。殊更に難しく考えるは女々よ……攻めるべき時に攻め、引くべき時には罠を張る。これが島津の軍法よ。

 

 

 酷い潮の匂いで弁天は目覚めた。数人の男女が転がる粗末な小屋の中に手足を縛られて皆転がされている。うぅ……と言う呻きの声に力はない。

 その暗闇の中に差し込む月明かりに照らされ、瑠璃はその顔を赤く染めていた。

「江戸川さま、奥様が……奥様が……」

 瑠璃はこの期に及んでまだ山口屋の妻を気にしていた。余程気になるらしい。自分も苦しいだろうに、それでも他者を慮るか……弁天は何故に町衆が瑠璃を守るか理解した。月光菩薩の様な娘だ……

 

「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」

 

 弁天は小さな声で薬師如来の真言呪を唱えた。

 

「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」

 

 人間に出来ることは限られる。人事を尽くして尚助けを求めるのであれば、諸仏に助けを求めよ。御仏は常に見ておられる……修験者はそう言った。

 

「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」

 

 打たれた胃の辺りがかなり痛む。大声を出せば命が危ないかもしれない。だが、神仏ならば小さな声でも聞き届けてくれよう……弁天は一心に瑠璃の為に真言を唱えた。自身の痛みのためでは無く、一心に瑠璃を想い真言呪を唱えた。

 

「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」

 

 届くであろうか? 届くであろう。薬師瑠璃光如来様へ「瑠璃」という名の娘への助力を頼むのだ。あの修験者の事だ、何か考えがあって……

 ……

 無いかも知れぬ。何せ琵琶を持つというだけで弁天を弁天と名付けた男だ。顔が薬師如来様に似ていたとか微妙な理由で名付けた可能性は高い。

 

「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」

 

 弁天は「薬師如来に似ていた」として名付けた不思議を知らない。何故薬師如来の顔を知っているのか。何故似ていると言えるのか? 仏像を見れば解るだろうが仏像の像容というのは仏師に因って異なる。

 修験者は実際に薬師如来や弁財天を観て、それ故に瑠璃や弁天と呼んでいる。彼には神仏が実像として観える。それは実際とんでもない話だ。余りにとんでもないので逆に弁天はそれを信じられない。傍にいた男は余りに浮世離れしていて実感が湧かないが、神仏を隣人として天狗を友とする(ひじり)であった。

 

 

 さて、その(ひじり)であるが。

 丑三つ時を越えた頃、修験者は産土神に頂いた山の幸を(やしろ)前に並べて感謝の祝詞をあげていた。そしてこの土地の産土神から健磐龍命(たけいわたつのみこと)が大激怒している事を聞く。

 ああ、やっぱり。

 気性の荒い薩摩の土地の神である。もちろん健磐龍命もかなり気性が荒い。それは相互に影響している。そこまでは予想の範囲だったが……

「……天神様が……」

 太宰府の天神様にまで知られてしまったらしい。それどころか天神様経由で四国の大天狗に知られ、今お大師様が必死に食い止めているという。これで東国の将門公にまで知られれば天変地異が起きる。なんと間の悪い……

 事は既にコメが云々の域を越えていた。

 

 

 事の起こりは大阪夏の陣直後まで遡る。徳川家康による天下平定により戦乱の世は去った。この平安期に移行する最後の戦で松倉重政は戦功を積み、有馬氏の領地である肥前日野江4万3千石を治める事になるのだが……松倉は島原城の普請や徳川への帰順の意を示す為の江戸城普請の為、農民にかなり無理な年貢を納めさせた。年貢は土地の収量(石高)によって定められるのが常だが、この年貢算定の基準となる石高を倍近い値にしたのだ。無論そんな重税を支払える訳もなく、肥前日野江の民は困窮する。実は島原の乱とはこの様な過酷な徴税に対する一揆であり、吉利支丹(キリシタン)の反乱というのは徳川幕府に対する松倉の言い訳でしかない。そして領内問題を吉利支丹問題とすり替えた松倉は、逃げた吉利支丹の集まるフィリピンへの侵略を徳川幕府へ具申する。勿論戦費は重税により搾り取るのである。

 益田四郎は関ヶ原の戦いで斬首されたキリシタン大名、小西行長の遺臣、益田好次の子である。主家滅亡により帰農して豊かな農民として育った彼は学問の為に何度か長崎を訪れており、この時キリスト教に入信したと伝えられている。松倉の吉利支丹弾圧で一度は表向き棄教したものの、先の松倉家への一揆が画策される中で表向きの指導者として担ぎ出された。世には天草四郎として知られる。そして天草四郎を影から支えたエスパニア人がカルロスである。

 カルロスは既に失われて久しい筈の髑髏本尊による邪教を知っていた。かの集団は日本を離れフィリピンやタイで細々と教えを守っていたのだ。そして髑髏本尊の持つ「反魂」の秘蹟を実現して天草四郎の復活を願っている。しかし彼が今持つ髑髏本尊ではそれが不能であった。新たな髑髏本尊を作るために高貴で新鮮な髑髏と、邪悪で淫猥な儀式を行う為に美男美女が要る……

 

 これが今回の事件の顛末なのだが、神託により次第を知った修験者は半分も理解出来なかった。髑髏本尊の教えは一説に依れば理趣経由来であると言う事だが、真言宗に属する修験者には「理趣経に死者復活などという話はない」は自明である。何がどうしてそうなった?と首を傾げている。

 なまじ知識があるからこそ、彼は混乱した。話の筋が理解できない……出来ないが、やはり伴天連なる女衒を殴れば良いのだなと単純に理解しようと努めた。まぁ結果的にはそうなれば良いのかなと産土神はこれを認めた。何より……じっくり修験者にわかる様解説していたら厄介な神々が騒ぎ出す。今ここにいる神仏の使いである修験者に動いて貰わねば、無辜の民にも被害が及ぶ。

 

 夜明け前の薄日が修験者の顔をいつしか照らしていた。

 修験者の耳に弁天の真言呪が聞こえたのは、とりあえず殴ろうと決断した直後であった。

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