穴部瑠璃 〜海の畔の小領で〜【完結】   作:PureFighter00

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海戦

 修験者が岬の崖の先に立つと、沖合に大きな帆を張った大型船、手前の入り江に四人乗りの小舟が4隻、瑠璃の住む漁村に物々しい武士が乗った船が4隻見えた。察するに、沖合の船に逃げ込もうとしている伴天連どもとそれを追う武士と言う構図か。伴天連側には縛られた男女が乗せられている。

 ……何故、女衒を阻止する側の弁天が囚われているのか。案外伴天連が手練れだと言うことか。伴天連達を神通で観れば、石牢の様な部屋で蝋燭の火に照らされながら獣肉を素手で食い、血の様な赤い液体を銀杯で呷る姿が見えた。

 それは17世紀頃のヨーロッパの夕食(市民・商人階級)としてはごく当たり前な風景ではあるのだが……素手でローストされた肉を食し、赤ワインを飲む姿は一般的な日本人からは悪鬼の所業に見える。また、酒に酔った白人の顔は紅潮しており赤鬼の様にも見える。些か一般常識を知らぬ修験者から見ても、やはりそれは悪鬼の様に見えてしまう。そして弁天たちは鎖に繋がれて服を破られ……

 バン、と修験者が手を打つと彼の脳内からその風景が消え去った。彼が見たのは神通による未来の記憶。ひとたび彼が「この様なことは許さぬ」と決意した以上、この様になる未来は消え果てる。なる程、天神殿や金色の鳶が怒る訳だ。御仏の導きにより「彼ら全てを救う為」、ワシがここにいるのだな、と。

 ふわりと崖から身を躍らせると、修験者はまるでそこに道でもあるかの様に崖を走り降りた。

 

 

遠く雲の上の蓮池から地上の様子を窺っていた天部の皆様や菩薩の皆様は、漸く修験者が動き出した所で前のめり気味に安堵した。この男、人は良いのだが些か察しが悪い。奴は元々毛が三筋足らぬのだ。ある意味で空腹により彼を動かす為に因縁を操作し、上手い具合に岩魚や山女を逃し、修験者程ではないが天啓を察する事が出来る人々を唆して漸くここまで漕ぎつけた。

動いてさえくれれば安泰だ。水簾洞時代の闘戦勝仏の弟分、通臂猿猴の裔──その厄介さは神々も諸仏も恐れと共に記憶している。

そして海辺に辿り着いた彼が藍染の服を着たままザバザバと海に入って行くと失望の溜息があちこちから起きる。神足通(じんそくつう)があるのに何故使わぬ、と。これはそれまでそこまで突拍子も無いことを試みた事がない故の、仕方なき仕儀であった。大体今までは空を飛びたくば天狗のマタザに運ばせれば良かったのだから、修験者は空を飛んだり水の上を走れるとは流石に気付かなかった。

故に修験者は自らの血に宿る神通ではなく、有難い諸仏に助け賜えと祈る。

 

オンイダテイタモコテイタソワカ

 

オ ン イ ダ テ イ タ コ テ イ タ ソ ワ カ !

 

オ ン イ ダ テ イ タ モ コ テ イ タ ソ ワ カ ! !

 

修験者の足が水面を打つ度に水煙が立ち上る。右足が沈む前に左足を出せば良く、沈む前に水面を踏めば沈まない。なぁに増長天の八将の一神、韋駄天様のお力に縋りさえすれば何のことは無い。御仏の力を信じよ!

 

それで実際水面を走り出した所を見て韋駄天様自身が頭を抱えた。それでいいのかと、それでいいのだと。

 

 

カルロスと島津兵子達は必死に船を漕いでいた。カルロスの帆船からは種子島による銃撃があったが、島津兵子達は怯えもしない。

「あれは……種子島!」流石の江戸川も冷や汗を垂らしたが、周りの大人は涼しい顔をしている。

「当たらんな」

「思いの外、下手じゃの」

「しかし当たったら……」

「痛いの。死ぬかもしらん」老臣穴部は事も無げに笑う。「戦場(いくさば)で死人が出るのは当たり前じゃ。当たり前だから誰も笑わん。だが、薩摩兵子が戦場で泣き、怯えるのは異常じゃ。その様な無様を晒せば生きてはおれん。死んだ方が良い。ならば同じ死ぬにしても死に方がある。

雄々しく戦い死ぬ時は死ね。良いか江戸川、怒りで腑が煮え繰り返った薩摩の民は痛みなど感じぬ。動けなくなるその時までチェストじゃ!」

「はい! チェスト!」

「良いぞ良いぞ、なぁにあんなもの当たりはせぬ。弓手よ準備せぇ! 奴等に飛び道具の使い方を教えてやれ!」

 

カルロス達が船に乗り込み始めると、薩摩の船も然程間を置かず船に付く。

「4人、女子供の船に行け。先ずは娘子を奪い返す。残りのものは我に続け! 血祭りじゃぁ!」

「瑠璃! 瑠璃!」

「拐かされたか。行くぞ江戸川! 瑠璃を取り返すぞ!」

 

(いかん! これでは死人が出る!)

修験者は尚も加速し声も枯れよと真言(マントラ)を唱えた。

 

オンイダテイタモコテイタソワカ

 

オ ン イ ダ テ イ タ コ テ イ タ ソ ワ カ !

 

オ ン イ ダ テ イ タ モ コ テ イ タ ソ ワ カ ! !

 

銃砲の音を掻き消すかの様に、雷鳴の様な修験者の声が響き、水の壁が1丈もの高さまで跳ね上がっては消えて行く。ここに至り漸くカルロス達も島津の兵もその異常に気付いた。人が海の上を走って来る!

 

オン! イダテイ! タモコテイタっ! ソワカァッ!!

 

海面を一際強く踏み込むと、修験者の身体は空を踊り、帆船のマストに届きそうな高さでトンボを返した。それを見ていた老臣穴部が険しい顔でそれを眺める。

「ね……根子岳の……」

「修験者さん!」

 

「馬鹿者どもがあっ!」

火山の爆発にも似た裂帛の気合いで叱り飛ばす。

「御仏の遣いの前で血を流すな! 地獄に落ちるぞ! 貴様ら神妙にして我が言葉に従えぃっ!」

後ろからカットラスを引き抜き切り掛かる「ばてれん」を、振り返りもせず裏拳で強かに殴り付けると、バテレンは6尺吹き飛ばされて動かなくなった。

「キ、キサま何モノ!?」

「八百万の神々に仕え、仏道を歩む者! 天狗と遊び人に親しむ者!

名など知らぬ! そんなものを覚えるより御仏のありがたい教えを覚えるが良い!」

 

カルロスは左手に髑髏本尊、人形金剛杵を右手に構えて十七清浄句を唱える。

 

 妙適淸淨句是菩薩位

 慾箭淸淨句是菩薩位

 觸淸淨句是菩薩位

 愛縛淸淨句是菩薩位

 …………

 ……

しかし、髑髏本尊は沈黙したままだ。

「戯け者め、今やそんな呪術……しかも有難い理趣教を悪用した邪法など発動せん」修験者はカルロスに一瞥をくれると滔々と経を読んだ。

大楽金剛不空真実三摩耶経(たいらきんこうふこうしんじさんまやけい)如是我聞(じょしがぶん)……」

急速に髑髏本尊はその輝きを失い、中から熱を発し出した。堪らずカルロスが手放すと、恭しく修験者は髑髏を拾い上げ、その眼窩の奥を見据えた。

美しい幼子であった。涙も枯れ果ててぐったりとしている周りで邪婬な儀式が三日三晩続けられ……そこまで神通で見通した修験者は髑髏本尊だったものを両手で胸の前で合掌するかの如く捧げ持ち……

 

「オン・ウーン・ソワカ!」

 

執金剛神(ヘラクレス)の真言と共に修験者が力を込めると、漆塗りの髑髏本尊だったものは修験者の手の中で粉々に砕けた。その場に居たものは直観的に理解する。つまりこの修験者は腕の力だけで人間の頭を蜜柑のように押し潰せる……!

 

「き……キサマがアナテマの秘法を……」

「まだ分からぬか戯け者。今お前はこの地を統べる神々に喧嘩を売ったのだ。ワシが何かをするまでもない……やるとすれば」

修験者は斜に構え、両手を前に出して構えた。

「御仏に代わり、仏罰をくれてやる事ぐらいだのぅ。仏の御心は海より広い──安心するが良い、死ぬことはない。死ぬ事は無いが……

 

幼子に与えた苦しみの万分の一ぐらいは味わって貰うぞ!」

 

野生の猪や月の輪熊まで怯む修験者の怒気は、江戸川どころか屈強の薩摩兵子まで腰砕にした。これが鷹栖の地頭までが恐れた根子岳の生きる伝説、修験者の本気であった。

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