穴部瑠璃 〜海の畔の小領で〜【完結】   作:PureFighter00

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鬼祓い潮禊

 島津の所領には数多くの修験者がいる。霊山として名高い阿蘇山に修験道の修行場があるからだが、この修験者達は良く山麓の村々、時には都市にも現れて加持祈祷などを請われれば気軽に応じたりなどした。また、この修験者達は島津家にも出入りし、所謂間諜……忍者働きなどもする。つまり長島郷の岬の上で簀巻きにされて海に運ばれる男を渋い顔で見つめる修験者は、今のところ米に釣られて命を受けた忍者とも言える。ものの本には忍者の偽装として山伏に化けたり雲水の装束をするという記述があるが、案外この様に修験者が忍者働きをしたという事例も結構ある。

 

 そしてこの修験者は修験者には珍しく、実際験力を操り神通を用いる。普段里のものより天狗や神仏と関わっている為か、修験者は験力や神通を当たり前と思っており、特にその事を喧伝しない。まぁ、世間知らずも極まると言った所か。

 彼は長島郷を高所から見下ろし、わぁわぁと騒ぎながら簀巻きの人間を運ぶ一団を見た。目を凝らせば自然とそれはまるで遠見筒(望遠鏡)を通したかの如く大きく見え、何だ?と思えば勝手に神通が働き委細が判る。簀巻きにされた男の各所に「修験者には」陽炎の様な不可視の空間の揺らぎが見える。

「鬼、か……」

 修験者は珍しいものを見た。普段霊山に棲まう修験者は、この様な邪悪を見ることはない。見ることは無いが同じく常人には不可視の天狗から知識は得ていた。天狗は聞いても居ないのに、読経中だろうが滝行中であろうがお構いなしに知識を流し込んでくる。「こんな事はお前らは知らんだろうが」と始まったら要注意だ。長い長い話を聞かされる。

 

 鬼とは唐国から伝わった概念である。元々は不可視の悪霊などを意味し、人間に害悪を与える。それが鬼門や十二支、様々な要素と混じり、丑寅の方角から牛の角と虎皮の腰巻を付けた謎の人型妖怪的存在としてこの地に広まった。見えない・よく分からないものは「よく分からないから」認知出来ない。偶々それを目視出来る修験者は「本当の鬼」を知覚出来た。

 と、同時に不思議に思う。あんな弱々しい鬼が何故存在できるのか?

 神州日本である。この大八洲(おおやしま)には大小様々な神格が点在し、しかもこの八百万(やおよろず)の神々は祟るのである。大変怒りっぽく、修験者の記憶によれば、こんな小さな鬼でも縄張りを侵せば大激怒する筈。天狗達の言に依れば、九州を統べる神格…… 健磐龍命(たけいわたつのみこと)はかなり気が短いらしい。何故怒らないのか?

 不思議に思いつつも鬼が憑いて難儀している人間を放っておく程修験者は酷薄ではない。彼には鬼を祓えるのだ。手を貸さない法があるだろうか? 馬鹿と山屋は高所を好む。修験者は無駄に高い峰から身を躍らせて山肌を降る。それは一見滑落にも見える速度であった。山の獣を追いかけ回すと山の獣の様に、天狗を追えば天狗の様に移動できるのだ。

 正に天狗の様に山を下ると山裾に荷物をまとめて六尺褌一つの姿になる。彼は祭囃子にも似た唄を歌う小舟に向かい駆け出し、やがて白波を上げて海を泳いだ。その速度は魚たちが驚き逃げ出すほどだ。滝壺や清流で河童と共に鍛えた泳法は達者であった。

 

 

「浦島様のお通りじゃ! 竜宮城へのご帰還じゃ!」

 ひときわ高く権蔵が囃し立てると若衆はおう!おう!と威勢を上げ、舟の上で簀巻きの男を左右に振る。

「竜宮城に!」

「「お帰りじゃー!」」

 簀巻きの男は案外高く波の上に放り出され、優美な放物線を描いて着水した。どぼーん!という音を聞いた若衆の顔はやり切った感で大層爽やかな顔である。人ひとりを今海に投げ入れて殺した後ろ暗さは全く無い。いやぁ良かった良かった。竜宮で達者に暮らせと明るい笑顔で語り合いたいながら彼らは港に向かい櫓をこぎはじめた。

 海中から頭だけを出してその様を眺めていた修験者は、大きく息を吸って簀巻きの男を海中に追った。すぐにゴボゴボと泡を吹く男を見つけ、抱えて海上に導く。水面に顔を出した男はゲホゲホと咳き込むが、波の音に消されて舟のものには気付かれない。暴れると本当に死ぬぞと脅してから、修験者は簀巻きにされた男の縄に手を掛ける。

 

「オン・ウーン・ソワカ!」

 

 執金剛神(ヘラクレス)の真言と共に修験者が力を込めると、縄はブチリと千切れ解けた。執金剛神の読み仮名に異論を挟む読者諸兄もおられるかもしれないが、実際仁王の原型となった執金剛神はシルクロードを経由して仏教の守護神となったヘラクレスであり、獲物は棍棒なのである。寺院の山門を護る一対の阿吽像、実は元々ギリシャ産だ。

 次いで、修験者はムニュムニュと何事かを奏上して「えい!」という些か芝居がかった声で簀巻きにされていた男の肩に憑いている鬼を掴んだ。そのまま力任せに引き剥がし、波の向こうに無造作に投げる。初めての事なので鬼以外の当人の何かもちょっぴり剥がれた気もしなくは無いが、誰だって初めは不慣れなものだ。そこは諦めてもらおう。「えい! えい!」と引き剥がすごとに簀巻きにされていた男から険が取れ、少しではあるが(修験者主観)男はぐったりした。なぁに飯を食って寝たら治る。

 捨てられた鬼は波間に漂い、ゆるゆると一所(ひとところ)に集まろうとしている。修験者は男を傍に抱えて波間に浮かびながら良く通る声で読経を始める。

「観自在菩薩行深 般若波羅蜜多時 正見五蘊皆空……」

 般若心経だ。潮に揉まれ経を聞いた鬼たちの動きが止まり、陽炎の様な空間の歪みに見えた彼らが薄く、淡くなり消えて行く。御仏の慈悲は海より深く、海より広大で、波より強い。

「…… 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」

 最後の真言呪を唱え終わると、それらは既に旅立った後だった。魂は永劫の修行の末に菩薩となり仏となる。鬼に落ちた者どもも、御仏の慈悲により六道輪廻の輪に戻り、また魂の修行に励むのであろう。

「さて……」

 差し当たっては、この小脇に抱えた若衆を新たな修行に旅立たぬ様介抱せねばならぬ。修験者は元来た岬の方に向かい若衆を引いて泳ぎ始める。陽光は暖かく、波は穏やかで、海猫たちがミャアミャアと2人を不思議そうに見ている。仁王像の様に全身これ筋肉と言った風情の修験者は、心地良い波の音を聞きながら陸へと急いだ。

 里のものは弱い。修験者は平気でも些か今の時期の海は冷たいのだ。唇を青くする若者を見て、修験者は「軟弱よのぉ」と呆れながら泳いでいる。彼には彼自身が頑健に過ぎるという認識は1分も無かった。

 

 

 陸に戻った権蔵達は、誰が言うともなく焚き火を起こして火に当たった。妙に寒気がする……頭も重い。夏風邪を引くほど馬鹿でもなし……と思いつつ、彼らは三々五々家路に着いた。また、同刻には瑠璃も青い顔をして身体の不調を江戸川少年に伝え、ぐったりした。慌てて少年が瑠璃を家に送ると瑠璃の両親まで床に臥せっていた。

 何事であろうか。町は病魔に覆われたが如き惨状だ。ただ1人、学のある江戸川少年のみが病魔に冒されず狼狽している。

 とりあえず医者だ! 江戸川少年は馬を駆り2つ先の村に居る医者の元へ向かった。

 

 

 そんな事は露知らず、修験者は若衆の着物をちぎり切らんばかりに絞り上げて岩場で乾かし、若衆を担ぎながら町に向かい歩き出していた。村相撲の景品である米三俵を担いで根子岳の自坊に戻る事ができる三人力を持ってすれば、荷物に若衆1人加えても大した労なく歩く事ができる。辛そうにしているので呪い代わりに「オン コロコロ センダリマトウギ ソワカ」と薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)(一般には薬師如来と呼ばれている)の真言呪を唱えながら、彼はゆっくりと町を目指した。

 




特に後書きに書くネタもないので没文字列などを投下してみる。

「それは他者から見ると単なる怪力である。膂力は軽く三人力で、米俵を三俵担いで山に登る。当人は験力じゃ神仏の加護じゃと触れ回っているが、世間では単なる馬鹿力と看做している。当人は不本意ながら自らを「少々ものを知らぬ」と評するが……人間誰しも自尊心があり、実のところ彼はかなりの馬鹿である。例えば、死んだバァさんに経を上げてくれと乞われて大変短い般若心経を上げた際……色即是空空即是色の後に続く文言を修験者はド忘れした。シクシクと皆が涙する葬式の最中に突如止まった読経の声に、親戚一同が何事かと目を見開く中……修験者は改めて「色即是空 空即是色、そらまぁそうだ、そらそうだ」と読み上げた。一同は涙で濡れた顔を上げて口を押さえた。堪らなく可笑しかったのだ。背後の雰囲気を感じ取り修験者が振り返る。そしてまじめくさった顔で「泣くか笑うかどちらかにせぇ」と一同を注意する。まず、孫が吹き出した。それに釣られて子供達が腹を抱えて笑い、遂には全員が大爆笑。修験者は内心「やらかした!」と冷や汗をかいたが、この手のやらかしは彼にとって日常茶飯事である。まじめくさった顔を崩さず「笑うことにしたか、それで良い。皆が悲嘆に暮れていては婆様も成仏しにくいだろう」と言い訳をした。
 ハッと顔を上げた大人たちに尊敬の眼差しが戻ったのを認め、修験者は経文の途中をすっ飛ばし、ギャアテイギャアテイと強引に般若心経を締めた。受想行色 亦復如是から即説呪曰までのお経の2/3をすっ飛ばしていい話風にまとめ上げたのである。この話に尾鰭が付いて、死んだ婆さんがお経が終わると微笑んでいただの、供えた菊花が皆花開いただの……噂の一部は修験者自らばら撒いたものだが……彼の名声は一気に広まった。自尊心は守られたのである」
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