(まだかな……)
じっと、玄関に繋がっているドアを見つめる。
もう、日が落ちてからだいぶ経った……今日は遅くなると言っていたけど、
そろそろ『彼女』が帰ってきてもいい時間だ。
「ただいま」
ガチャリ、とドアが開く音がする。
それを認識すると同時に、身体が勝手に動いていた。
「おかえり、みちるちゃん……!」
首輪に付けられたチェーンを鳴らしながら駆け寄って、
背の高い身体に抱き着くと、背中に腕が回される。
「ふふ、いい子」
みちるちゃんに褒められると、なんだか安心した気持ちになって、
背中をぽんぽんと叩かれるのを感じながら、彼女の身体に顔を摺り寄せた。
「甘えんぼさんね……」
くすくすと、吐息を漏らす音がしたと思うと、
触手が私の身体に巻き付いて、撫でるような動きを見せる。
「みこちゃん」
手袋を外して、白く細長い指先で私の頬を撫でながら、
みちるちゃんが優しく声をかけて来た。
「わたしのこと、すき?」
問いかけに、私の頬を撫でていた
手を捕まえて、頬擦りすることで答える。
「……っ」
ぶわりと、彼女の触手が膨らんだかと思えば、
バタバタと嬉しそうに振られて……その動きを見ると、こっちまで嬉しくなる。
「急に可愛らしいことをされると、心臓に悪いわ」
ちゅ、と額にキスを落とされる。
私も顔を伸ばして、お返しのキスを……推測して、頬であろう部分にした。
「……うふふ」
彼女が笑うと同時に、上機嫌に揺れていた触手が私の身体に巻き付く。
私が軽くキスをすると、彼女がとても喜んでくれると知ってからは、
彼女にキスされた時、お返しをすることに決めていた。
(だって、みちるちゃんが喜ぶのを見ると、落ち着くから)
最初はあんなに怖かった触手だって、今は巻き付いている姿を見て、
ああ、今日も守ってくれている、と思うくらいには慣れてしまった。
「何かしてほしいことは?」
目の前にしゃがんで、みちるちゃんはいつもの問いかけをする。
私は、彼女を待っている間に決めていた答えを口にした。
「お風呂入れて欲しいな……。あとね、冷蔵庫のプリン食べたい」
「勝手に食べてよかったのに」
「みちるちゃんに食べさせて欲しいの」
彼女の手から食べ物を与えられたり、お世話されると、
私を見てくれていると実感できて、すごく安心するから……。
「…………」
不意に、彼女の動きが触手ごと止まった。
「あ……手間だったら、自分で食べるよ」
今日は帰りも遅かったし、疲れてたかな、と気を遣うけれど、
彼女は私の頭を撫でて、大丈夫、と口にした。
「わたし、みこちゃんのお世話を手間に思ったことなんてないわ」
「本当に……?」
「ええ」
なだめるように背中を軽く叩いてから、彼女はゆっくりと立ち上がる。
「本当は……学校も、お仕事も、全て投げ出してしまいたいくらい」
くすりと、彼女が笑う音がする。
「お湯を張ってくるわ。プリンはお風呂あがりにする?」
「うん」
「撮影先で珍しい香りの入浴剤を貰ったから、使ってみましょうか」
小さな袋を手に、みちるちゃんが風呂場の方へ向かっていく。
……背中を見ていると、なんだか不安な気持ちになって、後ろから抱き着いた。
「……みこちゃん?」
抱き着いたままじっとしていると、
触手がするすると伸びて来て、顔をなぞるような動きを見せる。
「大丈夫。……もう、どこにも行かないから」
「……ほんと?」
みちるちゃんがこちらに向き直って、正面から私を抱きしめた。
「ええ……。学校や撮影は行かないといけないけれど……
それ以外の時間は……ずっとずっと、一緒にいましょうね」
彼女が穏やかな声を出している間、触手も安心させるように周囲を囲い、
なだめるような素振りを見せるのが、なんだか可愛らしくて笑みが零れる。
「ふふ……。やっと笑ってくれたわね」
みちるちゃんはゆっくりと私の頭を撫でると離れ、
浴槽にお湯を張るボタンを押して、入浴剤の袋を端にかけて戻ってきた。
「お湯が溜まるまでの間、ごはんにしましょう」
テーブルに座るように促されて、席に着く。
目の前に、彼女が買って来たサンドイッチとお茶が置かれた。
「はい、あーん……」
言われるがままに口を開けると、中にサンドイッチが入って来て、
咀嚼していると、彼女の周囲で触手がゆらゆらと揺れるのが目に入った。
「ん……。みちるちゃん、なんかご機嫌だね?」
「……少し、幸せを噛みしめていただけよ」
何か良いことでもあったのかな、と首を捻っていると、
再びサンドイッチが差し出されたので、口に入れる。
「明日は早く帰るけれど……何か作ってほしいものはあるかしら」
口の中のものを飲み込んだタイミングでそんな問いかけをされて、
少し考える。みちるちゃんは、何を作らせても上手だけれど……。
「……シチュー。クリームシチューが食べたいな」
「シチュー?」
「初めてここに来た時、食べたやつ……また作ってくれる?」
一番印象に残っている料理を挙げると、彼女の触手が小さく揺れる。
吐息が漏れる音がするから、触手の奥では微笑んでいるのかな。
「ええ。よろこんで」
揺れる触手の一本が、私の頭を撫でるような動きをした。
触れられている感覚はないけれど、目を細めて気分だけでも味わう。
「……お風呂が沸いたみたいね。食べ終わったら、早速入りましょうか」
私にお茶を飲ませながら、みちるちゃんが独特なメロディーを流し
お湯が沸いたことを知らせる風呂場の方へ視線をやったので、頷いて答えた。
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お風呂の時間は、好きな時間。
丁寧で繊細な手つきで洗われるのは、すごく気持ちが良いし……。
「それで、スタイリストの人におすすめされて……
みこちゃんにもいいんじゃないかと思って、試供品を貰って来たの」
この時間は、みちるちゃんがたくさん話しかけて来てくれる。
「ふふ……試して、良ければ取り寄せるから、一緒に使いましょうね」
彼女の声にはあまり抑揚がないけれど、それでも揺れる触手と、
ほんの僅かに変動する声色が、大好きって気持ちを伝えてくれる。
「石鹸に、シャンプーに、入浴剤に……お揃いって、ステキなことね」
私の身体を流しながら、くすくすと、彼女が吐息を漏らす。
その後、彼女は私を先に湯船に浸からせて、
自身も髪と身体を洗うと、私の後ろから抱きかかえるように湯船に座る。
「この入浴剤、変わった香りね……。みこちゃん、どうかしら」
きゅ、と私の身体を抱きしめながら、みちるちゃんが問いかける。
「……あんまり嗅いだことない匂いだけど、私は好きだよ。甘くて」
一人用にしては大きなお風呂だけれど、背の高い彼女と一緒に入ると、
やっぱり少し狭い。でも、慣れると窮屈さすら安心感に繋がるようになった。
「そう。……なら、今度取り寄せておきましょう」
私の身体を抱き寄せて、みちるちゃんがくすりと笑う。
彼女から伸びる触手が、慈しむように私の身体に絡みついた。
(昔は、あんなに怖かったのにな……)
巻き付く触手に捕食されそう、だなんて思っていた時代もあったけれど、
今となっては不思議なことに、恐怖心どころか安心感の元になっている。
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髪を乾かして、手入れしてもらった後、
みちるちゃんは冷蔵庫に歩いて行って、プリンを持ってきた。
「食べるでしょう?」
頷くと、彼女はプリンの封を開けて、スプーンに乗せる。
「あー……」
口を開けて待っていると、私の前でスプーンがぴたりと止まった。
「……?」
開いた口はそのままに、じっと彼女の様子を見ると、
くすりと吐息を漏らす音と共に、触手がゆらゆらと揺れる。
「ふふ……。自分からお口を開けて、かわいい」
「……っ……」
そう言われると、雛鳥のように口内を見せていた自分が
急に恥ずかしくなってきて、顔に熱が集まっていく。
「……いじわる」
ふいと目を背ける私の口に、プリンが乗ったスプーンが差し込まれる。
「ごめんなさい。あんまり可愛らしいものだったから、つい」
謝罪の言葉とは裏腹に、くすくすと彼女が笑う音が聞こえてくる。
じわりと、口の中に甘くとろける味わいが広がっていった。
「おいしい?」
問いかけと共に次のスプーンが顔の前に差し出され、口に含んで頷く。
「よかった。気に入ったのなら、また買っておくわ」
今度はいじわるされることなく、彼女は私が飲み込むのを確認してから、
再びスプーンを差し出して、ゆっくりと食べさせてくれた。
「口元、ついてるわ」
つい、とみちるちゃんの指先が私の口の端をぬぐって、
自分の口元であろう箇所に持って行った。
「……甘い」
ぽつりと感想を呟かれると、なんだか恥ずかしくて、顔に熱が集まる。
「ふふ……。おいしかった? 今日はもう遅いから、ベッドに入りましょう」
空になった容器を手に彼女が立ちあがり、
私も歯磨きを済ませてしまおうと、その背に続いて席を立った。
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シンプルだけど質のいい、ふかふかのベッドの中。
みちるちゃんは、私を背後から抱きしめながら、首筋に顔をうずめた。
「ん……、くすぐったいよ……」
そのままの体勢で深呼吸されて、小さく身じろぐ。
「ふふ……わたしが使っているシャンプーと、同じ香りがするわ」
「おんなじの使ってるんだから……」
「それもそうね」
くすくすと、顔をうずめたまま笑われて、
うなじを吐息が撫で、ぞくぞくとした感覚が全身を走る。
「みこちゃんから、わたしと同じ香りがすると……
なんだか、胸が熱くなるの……ふしぎね」
「……私も」
みちるちゃんの言葉に、ぽつりと返事をする。
すると彼女が喋るのをやめた。私が続きを話すのを待っているみたい。
「私も、みちるちゃんの匂い好きだよ。おんなじ匂いすると、安心する……」
身体の向きを変えて、彼女の胸元、
触手に覆われていないギリギリのところに顔をうずめる。
彼女は、ふんわりとした花のような、不思議な香りがする。
それは今は私と同じシャンプーの匂いとも、石鹸の匂いとも違う、彼女の香り。
「みちるちゃん……すき……」
ぽろりと、想いを零して、彼女を強く抱きしめると、
それ以上の強さで、彼女が抱きしめ返してきた。
「ええ。わたしも、だいすきよ……みこちゃん」
それだけで、これ以上ないってくらい、満たされた気持ちになる。
(みんなも……きっと、元気にしてるよね……?)
ふと、長らく会っていない家族と親友の姿を思い浮かべる。
……その顔は、なんだかぼやけていて、目を閉じて思考を切り替えた。
(家のこと……ハナのこと……あんなに気になっていたのに)
目を閉じると、ただ身体を全身で抱きしめられる暖かさと、
密着した彼女の香りだけを感じられて、幸せな気分になる。
(今は……みちるちゃんが喜んでくれるなら)
自分の中、心の奥底に、何かを叫んでいる私がいる気がするけれど、
蓋をして、ただ受け入れる。……だって、今が幸福だから。
(なんかもう……ぜんぶ、ぜんぶ……どうでもいいや……)
この生活は、これからも、ずっとずっと、続いていくのだろう。
漠然と思いながらも、それがまったく嫌ではない、私がいた――
気が付けばもう9話です。自給自足から始まったお話ですが、
皆様、ここまでお付き合い頂きありがとうございました。
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