Hertz-Maschine @ Metropolis   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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幻術を使う梓国軍との戦闘の中で、琥珀が見た夢とは。


血の匂い

「もう、何なんこいつら! ゾンビみたいに倒しても倒しても向かってきて……!」

 翡翠(ひすい)がサーベルの血を払いながら声を上げる。群がってくる梓国軍が壁になり、倒すべきその頭にはまだ辿り着けない。そしてしばらく動けない程度の怪我ごときでは止まってくれない相手だ。燐灰(りんかい)天河(てんが)の矢が脳天に直撃した数人が倒れる。その隙に翡翠と緑簾(りょくれん)が敵の牙城を崩そうと懐に潜り込む。琥珀はそれをただ見つめていた。漫然と見つめているわけではない。混戦の向こう側にいるはずの本命を見極めようとしているのだ。相手に反撃の隙も与えずに一瞬で終わらせる。梓国軍との闘いで長期戦をすることは最初から頭になかった。

 体調は悪くない。蒼鉛がどこからか入手したという発作を抑える薬を燐灰から半分もらって飲んでいる。少なくとも一時間は保つはずだ。

 このまま相手の姿が見えないなら、Hertz-Maschineを使って全体攻撃を仕掛けることも念頭に入れておいた方がいい。体への負担が大きく、あまり使いたくはないが、いつまでも倒しても倒しても向かってくる虚ろな目をした人間の処理を緑簾たちにやらせているわけにもいかない。

 あと少しだ。安全圏で守られているのはわかっている。その場所さえ見極められれば。

「鬱陶しいんだよ! 切られたら倒れとけ!」

 本性を剥き出しにした翡翠が振るったサーベルが男の首を飛ばす。その刹那に、奥に隠れて控えている男の姿が見えた。琥珀は笑みを浮かべる。まだこちらが気付いたことには気付いていない。天河を通じて前衛の二人に合図を送り、琥珀は地面を蹴った。狙うのはその首だけだ。姿勢を低くした緑簾を足場にして一瞬で距離を詰める。

 しかしその刃が届く直前に、琥珀は左手に刺すような痛みを覚えた。咄嗟に安全な場所に着地して腕を見ると、細く長い針が深々と突き刺さっていた。誰かが投げたものなのだろう。傷自体は小さいが、針に何かが塗られていたらしく、視界が歪み始める。目の前の景色に重なるように見える鮮やかな色。琥珀は唇を噛んだ。

「幻術か……!」

「それは王が与えてくださった特別な薬だ。精神力だけではどうにもできないぞ」

 琥珀を呼ぶ声が遠くなり始める。戦場には似合わない、微温湯に漂っているような心地よさが体を包み込んでいく。

 

 

「……ここは?」

「何、琥珀寝ぼけてんの? 学校だよ」

「学校……?」

 窓から太陽の光が差しこんで来る。風がカーテンを揺らし、その陰で天河と燐灰が静かに笑い合っているのが見えた。机と椅子が整然と並べられた広い部屋のあちこちに会話の花が咲いている。全員が同じ服を着ている。自分自身の姿を確認すると、琥珀も同じ服を着ていた。

「よく寝てたよねぇ、琥珀」

「いつもは緑簾の方が寝てるのに……」

 緑簾は大事な行事があるときもその直前まで眠っていたりする。燃費が悪いのだろうか。でも今はそんな緑簾を差し置いて自分が眠ってしまっていたらしい。まだ頭がぼんやりとする。夢の中に何かを忘れてきてしまったかのような違和感。けれどそれも現実の中にいずれ溶けて消えていくのだろう。開けっ放しの窓から吹いてくる風は少し甘い匂いがする。金木犀の匂いだ。

「……なんかまた眠くなってきたな」

「寝てていいよ。休み時間終わったら起こすから」

「うん、おやすみ」

 甘い香りの風が頬を撫でていく。目を閉じて机に突っ伏すと、談笑する声が遠くに、けれどはっきりと聞こえた。

 ――それを、幸福だと思った。

 その瞬間に琥珀は違和感を思い出す。どうして目の前の景色を受け入れているのだろうか。こんな場所に来たことはない。こんな揃いの服も着たことはない。本物の太陽の光も知らないし、金木犀の香りなんて嗅いだこともない。何より、いつか誰かが死んでしまうのではないかという恐れが存在しない。これは夢だ。あまりにも幸福な――あり得ない世界だ。

「眠っていいんだよ、琥珀」

 この声は誰の声だろう。都合よく知っている顔で補完されていた周りの人間の姿が崩れていく。それなのに声ははっきりと、意識の芯を溶かすように甘く響く。

「もう、苦しまなくてもいい」

 苦しんでいたのだろうか。確かに苦しいことばかりだった。いつだって世界は絶望的だった。大切に思っている人たちを助けるためには、それを上回る沢山の人を殺さなければならない世界だった。どんな誹りを受けても聞こえていないふりをして、勝ち続ければ黙らせられると信じて走り続けるしかなかった。

 けれどそこには苦しみしかなかったのだろうか。

「何も考える必要はない」

「ここには楽しいことだけがあるのだから」

 このまま身を任せていいのだろうか。幸せなだけの、楽しいだけの世界にいていいのだろうか。いいのだろう。なぜなら幸せで楽しいのは事実なのだから。

 でも、それならどうしてこんなに虚しいのか。

「自分の幸せを否定するの?」

「――偽物ならいらない」

 自分の言葉が、自分自身に輪郭を与えていく。そうだ。虚しいのは、これが偽物だとわかっているからだ。たとえこの世界に自分を苦しめるものが一つも存在しなかったとしても。

 

 

 相手の将が戦闘不能であると判断されると、その命を奪わなくても戦いが終了することがある。梓国軍はそれを狙うことも多い。要するに見世物と化した茶番の戦争を終結させようという気は微塵もないのだ。

 ここで動けなくなれば負けが確定してしまう。未だに振り払えないまやかしの片隅で、琥珀はただ一つの命令だけを自分自身に下していた。今すぐ動かなければならない。この幻を、偽りの幸福を振り切らなければならない。

「随分粘っているようだが、精神力だけではどうにもならないぞ」

「……黙れ」

 とどめなんていつでも刺せる状態なのに、温情でもかけているつもりか。それとも虚しい抵抗を続けていると嘲笑っているのか。どちらにしろ腹立たしい。左腕はかろうじて動く。指を一本ずつ懐刀の柄にかけて、呼吸を止めながらそれを引き抜いた。

「まだ抵抗の意志があるのは流石だが、これに逆らえる人間は――」

 琥珀は男の言葉を無視して、地面に突いた自分自身の右手にその刃を突き刺した。掌を貫通した刃を勢いよく引き抜けば、止め処なく血が溢れる。幻の甘い香りを掻き消すほどの血の匂い。――痛みは意識を現実に引き戻す。

「お前、何を……!」

「……さっさととどめを刺さなかったことをあの世で悔いるといい」

 赤く染まった右手で刀を抜き、そのまま男の首を落とす。血飛沫が雨のように降り注ぎ、血の匂いはさらに濃くなっていった。

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