Hertz-Maschine @ Metropolis 作:深山瀬怜/浅谷てるる
悧国に遺伝子操作児を主に集めた施設を作ったのは玉髄だったが、それが当時の玉髄の側近たちや近衛兵たちから疎まれていることを琥珀は知っていた。今のところはどうやっても助けられず、二十歳程で全員が死んでしまう。育てたところで何にもならない人たちを保護する施設など金を食うだけ。金ならもっと役に立つことに使うべきだというのがその意見だった。自分たちが死ぬことなど全員が理解していて、夢を抱くことも出来ず、けれどささやかな幸せを糧に生きていた。その生すら否定される世界。けれど玉髄という大きな壁に守られていた。
けれどそれがなくなってしまったら、誰が彼女たちを守るのだろうか。玉髄が死んだということを理解したとき、琥珀が最初に思ったのはそのことだった。育ての親に対する情よりも、自分がおかれている最悪な状況よりも、後ろ盾がなくなってしまったことを不安に思っていた。
ここにもし天青がいたら、天青だけは琥珀の大切なものを最後まで見捨てずにいてくれるかもしれなかったのに。不安と絶望を憎悪に変換してでも、誰もやらないのなら自分がやるしかないのだと琥珀は思った。
「あなたは玉髄様と血が繋がってないでしょう。血が合わなければHertz-Maschineを使うことは出来ませんよ」
玉髄の側近だった男がもっともなことを言う。それどころか玉髄の側近たちや近衛兵は最初に玉髄の死体を発見した琥珀を疑っていた。けれど医師が導き出した死亡推定時刻には、琥珀は玉髄を殺すことが出来なかったという鉄壁の
「――そうですね。Hertz-Maschineを動かせない人間に王の資格はありません。けれど稀に、5%以下の確率ですが、王の血筋でないものが動かせることもあります。霜国のように王のない国になりたくないのであれば、試してみる価値はあるかもしれませんね」
琥珀と側近たちの会話に割って入ったのは、時計の頭をした妙な男だった。話をしたことはなかったが、姿を見たことはあったし、それがどんな存在であるかも琥珀は知っていた。四つの国の戦争を仕切る
「……試してみて、仮に適合したらどうするの?」
「その場合はあなたが王になるのが一番いいでしょうね」
玉髄の側近たちはどうせ適合するわけがないと琥珀を嘲笑う。けれど遺伝子操作児が生きられる確率はそれよりも更に低い。限りなくゼロに近いのだ。それは地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸のような希望のように思えた。自分が王になれば、あの施設を邪魔に思う人たちを黙らせることができるかもしれない。少なくとも不満を持ちながらも手を出せないという、玉髄が生きていたときと同じような状況にはできる。
「俺たちは玉髄様だからこれまで仕えてきた。仮にお前が王になったとしても俺たちはお前には仕えない」
この人たちは本当に玉髄のことを大切に思っていたのだろうか。そうだったとしたらその死体が入った棺を目の前にしてよくそんな話が出来るものだ。結局はそこにいれば安全だから、死ななくて済むから従っていただけではないのか。
「玉髄を殺したのが誰なのか、まだ誰にもわかっていない。だったらあんたたちだって犯人の可能性はあるわけだけど」
笑みを浮かべ、嘲るように琥珀は言う。
「――誰があんたたちの手なんて借りるか」
琥珀は呆気にとられる側近たちを残して時計男と共に部屋を出て行った。Hertz-Maschineに適合するかどうかは賭けだ。けれどそれ以上に気になっていることがあった。
「……もし戦争に勝つことができたら、塔に行くことが出来るって噂を聞いたことがあるんだけど、それは本当なの?」
「報酬はそれぞれ違いますが、王が望むことで、それが実現不可能なことでなければ実現できる場合はあります」
それは近衛兵の訓練に混じっていたときに聞いた話だった。戦争に勝利すれば近衛兵にも恩恵がある。近衛兵たちはそれを希望にして戦いに挑んでいた。彼らは遺伝子操作児ではなかったから塔の生活よりも今の生活をもっと良くすることを望んでいたようだったが。
「願いは本当にそれでいいんですか?」
「勝手に遺伝子を弄られて、それで適合しなかったからって死ななければならないのは理不尽だと思う。――っていうのは建前で、私にとっては大切な人たちだから、生きていてほしい」
自分が強くなって、発言権を得られればと思っていたこともあった。近衛兵に混じって訓練していたのも、いずれは近衛兵に入ることを望んでいたからだった。けれど玉髄がいなくなった今、そんな悠長なことは言えなくなった。時計男は琥珀の言葉を聞いて、微かに笑ったように見えた。
「どちらにしろ、王になれなければ絵に描いた餅です」
「わかってる」
その賭けに勝つことが出来れば、少しは希望を手にすることが出来るかもしれないと思っていた。けれどそもそもの前提から何もかもが間違っていたことを、そのときの琥珀は知らなかったのだ。
*
目を開けると、見知らぬ車に乗せられていた。隣には〈砂漠の薔薇〉が足を組んで悠然と座っている。
「あら、目が覚めたのね」
「……何のつもり」
「言ったでしょう。一応はお礼よ。でもあなたに聞きたいこともある」
「礼はいらないし、何を聞かれても答えるつもりはない。ここで降ろして」
「やめといた方がいいわよ。もう塔の中に入っちゃったから。今外に出たら警報が鳴って大変なことになっちゃうから」
塔の中、という言葉に琥珀は目を見開いた。窓の外を見ていると確かにこれまで見たことのない景色が広がっている。寝静まった静かな街。塔の外とは違って全てが整然と整えられているようだった。街路樹も等間隔に植えられていて、見たことのない緑豊かな世界を作り出している。
「でも私の家でもシステムを誤魔化せるのは一日もないくらい。それでどれだけ効果があるかはわからないけどね」
「……クソ兄貴から聞いたのか」
「まあ天青くんに確かめはしたけれど、その前に自分で気付いたのよ。天青くんと戦ったときに発作が出ていたでしょう? 私は歌を歌うから、呼吸がおかしい人は見ていればわかるわ」
「こんなことしてくれなくてもよかったのに」
「ジプサムを助けるときに、あなたがいたおかげであの蝶に邪魔されずに逃げられたのは事実だわ。そのお礼だと思ってもらえれば」
琥珀は溜息を吐く。攻撃の意思がないのはわかる。ここで土地勘のない塔の中に飛び出してしまうよりはこのまま車に乗せられていた方が安全なのだろう。それでも、思うところはあった。
「――私だけ助かっても意味がない」
「他の子たちもあなたと同じだったわね、確か。でもさすがにあの人数は無理ね」
「それはわかる。けど、だったら私じゃなくて」
「王を失ったら、あの子たちは本当に行くところがなくなるんじゃない?」
琥珀は唇を噛んだ。実際そうだろう。玉髄が死んだときに、今の近衛兵の彼女たちを守ろうと言っていた人は一人もいなかった。誰もいなかったから、王になってでも運命を捻じ曲げるしかなかったのだ。
「どっちにしろ来てしまったんだから諦めてちょうだい。さすがに何度も塔外の人間を連れて往復する危険は冒せないわ」
琥珀は諦めたように身体の力を抜いた。何度もHertz-Maschineを使った影響なのか、その前に確信してしまったことのせいなのか、実際のところは酷く疲れていたのだ。何も出来ないのなら少しは身体を休めた方がいい、と軍医の蒼鉛ならば言うのだろう。
「聞きたいことはいろいろあるのだけど……まずは、あのオークションのとき、あなたは誰にあの蝶のことを聞いたのかしら?」
そこから考えたときに、点と点が結ばれ始めた。そのきっかけが天青の言葉だったのは癪だが。でも本当のことを、この女を信用して言ってしまっていいのか。琥珀は逡巡する。けれど言ったところで問題のない相手であることに、その直後に気が付いた。
「戦争の
「それだけわかっただけでも十分よ。さっき、あなたはその人に会いに行ったんでしょう?」
琥珀は頷いた。時計男に会いたいと連絡を取って、指定された場所に向かったところであの蝶の襲撃を受けた。それでその正体に薄々だが気付くことが出来た。あの蝶はHertz-Maschineを使って召喚されたものだ。以前、天青たちと戦ったときに天青が召喚した狼と同じ類のものだ。だからこそ王は動き出したプログラムを強制的に止めることが出来るし、それでは戦いにならなくなるから、その方法を戦場で使うことは禁止されているのだ。
「梓国王には一度だけ会ったことがあるから、それ以外――となると、もう號国王しかいない」
「さすがに大物ね。いや、王は全員大物なんだけれど」
琥珀は何も答えずに、静かで整った街を眺めた。望んでも決して手に入れられない塔の中の豊かな生活。勝手な理由で理不尽に死を突きつけられる世界とは違う、穏やかな日々がそこには広がっているように思えた。