Hertz-Maschine @ Metropolis 作:深山瀬怜/浅谷てるる
――あたりは血の海と化していた。
噎せ返るような鉄の匂い。自分自身の体も血に塗れている。何が起きたのだろうか。ここまでの記憶が全くない。気が付いたらこの状態になっていた。
ここはどこなのだろう。いつもの、興行主たちによって整えられた戦場でないのはわかる。周りには建物があったらしい。けれどそれは全て瓦礫の山と化している。それなのに相変わらず頭上には空を貫く塔があるのが見えた。
「何が――」
「全部自分でやったくせに」
誰かの声が聞こえる。少し低い、女の声。けれどその姿は見えなかった。
その声の主を探そうと一歩を踏み出した琥珀は、その足に折り重なるように誰かの死体が重なっていることに気が付いた。それが誰なのかに気が付いて琥珀は目を瞠る。
「どうして――」
これまで一緒に戦ってきた近衛兵たち。その未来に抗うためにこれまで戦ってきたはずなのに、どうしてこんなことになっているのだろう。
「何も覚えてないの?」
姿なき声が問う。記憶をどれだけ遡っても、その欠落を埋める破片すら見つけられない。呆然とその場に立ち尽くす琥珀の前に、顔の半分を隠す狐面をつけた少女が姿を表す。
「――私が殺したって言ったら、どうする?」
刀の柄にかけた琥珀の手を狐面の少女が掴む。少女の手は、その言葉を証明するように血で濡れていた。問いかけたい言葉は無数にあるのに、それが一度に押し寄せてきて逆に何も出てこない。言葉にならない琥珀の荒い呼吸を聞いた少女は口元に笑みを浮かべる。
「どうして殺したのか、聞きたい?」
何故なのかと問い糺したい気持ちと、今すぐこの少女を殺してしまいたいという感情がせめぎ合う。何も言えずにいる琥珀に痺れを切らしたのか、それとも答えなど聞くつもりはなかったのか、少女は言葉を続ける。
「――私は、そういうものだから」
少女はそう言って、静かに狐面を外す。その顔を見て琥珀は言葉を失った。目の前にあるのは自分自身の顔だった。琥珀の姿をした少女は、微笑みながら琥珀の頬に手を伸ばす。琥珀の白い肌に赤黒い線を描きながら少女は更に言う。
「あなたは私で、私はあなた。――これはあなたの未来」
「違う! 私は――」
「望まない結果だとしても、仕方ないんだよ。私はそういうものだから」
「そういうものって何? 私はあなたとは違う……!」
琥珀は刀を抜いて少女の首筋に突き付けた。けれど少女は皮膚が切れ、血が首筋から鎖骨を伝って流れて行っても怯む様子はない。
「同じだよ。あなたがまだそれに気付いていないだけ」
「同じはずがない! だって私は……!」
「大切な仲間なんて関係ないんだよ。だって王様っていうのは人を殺すための装置なんだから」
「人を殺すための装置……」
「それにふさわしい血を持った人だけが王様になれる。けれどその血筋になくても、それにふさわしい人間が生まれることがある。だからあなたはHertz-Maschineに選ばれた」
少女の言葉は、琥珀には理解し難いものだった。意味はわかる。けれどそれを理解することを脳が拒んでいた。
「そのうちあなたにもわかる日が来る。私たちは誰よりも王様に向いていたんだって。そういう風に作られたものなんだって」
「私は……っ!」
少女に言い返そうとした琥珀の言葉は、少女の唇によって塞がれた。頭の芯が痺れるほどの、どこか甘くさえ感じる血の匂いとその味。舌を絡め取られた瞬間に体から力が抜け、琥珀は握っていた刀を取り落とした。血で汚れた少女の手が琥珀の耳を覆い、音が頭蓋の中で反響する。けれど僅かに残った冷静さで、琥珀は少女を突き飛ばし、手の甲で自らの唇を拭った。
「……何のつもり」
「もっと自分に素直になればいいのに」
「私は自分に嘘なんてついてない」
琥珀は地面に落ちた刀を拾い上げる。そこには先程までは確かになかったはずの血の汚れがついていた。
「今はそうかもね。でもいずれ、あなたはあなたの本性に抗えなくなる」
琥珀の姿をした少女が笑う。琥珀は衝動的に一歩を踏み込み、少女を袈裟懸けに斬りつけたところで――現実の世界に引き戻された。
「……夢、か」
気が付けば身体中に汗をかいていた。着替えた方がいいと思いつつ体を起こすこともできず、琥珀は天井を見つめる。悪夢だと片付けるには、まだ全ての感覚が生々しく残っていた。
あの夢はなんだったのだろうか。そう思いながらも、所詮は夢だと琥珀は自分に言い聞かせる。現実ではないものに心を動かされているような余裕はないのだ。
少しずつ体が動かせるようになってきたので、着替えだけしてもう一度寝ようと、琥珀は上半身を起こす。その瞬間に、目の前の景色に違和感を覚えた。自分しかいない部屋のはずなのに、他の何かの気配を感じる。
「――誰?」
虚空に向かって問いかける。その音が消える前に、天井から全身黒づくめの小柄な少年が飛び降りてきた。闇に紛れるように黒く塗られた刀身が琥珀の首を狙っている。琥珀は即座に枕元の刀を取り、鞘から抜くと同時に少年を斬りつけた。床に転がった少年が動かないように関節を押さえながら、琥珀は静かに問う。
「私を殺しに来たの?」
少年が床に落とした武器は、悧国内で広く出回っているものだ。近衛兵の中にも同じものを補助武器として使用している人がいる。最初は他国からの刺客であることを疑ったが、恐らくは違う。体が小さいことが幸いして、侵入から潜伏までは上手くいったようだが、その技術は稚拙としか言いようがない。何よりもこの少年自体からの殺気のようなものは感じなかった。
「誰に言われて来たの?」
「それは言えない」
普通そう答えるだろう。ここであっさり吐くとも思えない。琥珀は少年の肩に刀を突き刺した。叫ばないように訓練してはいるのだろう。少年は声を上げない。けれどこめかみを汗が伝っていった。
「まあ別に誰でもいいんだけど」
恨みならいくらでも買っているだろう。いちいち対応していたらキリがない数だ。琥珀が王になったことが単に気に入らないという人間をそこに入れたら、その数を数えるくらいなら他のことをした方が有益だと思えるような状態になるだろう。だから誰が少年を仕向けたかなど知る必要はない。どうせ外に出れば敵だらけなのだ。
少年の顔に諦念が浮かぶ。このまま逃しても、この少年に琥珀を殺せと命じた人間は、役立たずの少年を殺すだろう。捕まえて尋問して黒幕を吐かせるべきなのはわかる。けれどそんなことをして何になるのだろう。ひとりくらい琥珀を殺そうとする人間が消えたところで、他にも数えきれないほどに同じような人間がいるのだ。
それなら、いっそ――。
白と黒、熱と冷が分かれて、景色に靄がかかる。全ての音が遠くに聞こえて、けれど体だけは勝手に動いていた。広がっていく赤色を琥珀はぼんやりと見下ろす。今立っている場所は夢なのか現なのか。
「琥珀!」
誰かに名前を呼ばれる。慌てた声は燐灰のものだろうか。きっと騒ぎを聞きつけて駆けつけて来たのだろう。
「琥珀……怪我はない?」
燐灰に肩を支えられる。琥珀は燐灰の質問に頷くことで答えた。靄がかかったような、全てが磨り硝子の向こうで起こっているような、あやふやな現実感の中で、琥珀は呪いのように響く言葉を聞いていた。
――あなたは私、私はあなた。いずれその意味があなたにもわかる。