Hertz-Maschine @ Metropolis 作:深山瀬怜/浅谷てるる
緑簾の密かな楽しみは、悧国の外れにある自動販売機で缶詰を買うことだった。高級な缶詰なので頻繁に買えるわけではない。戦闘や何やらで疲れたときのご褒美として買うとっておきだ。
「……未だにこの缶詰買ってるんだ」
堪えきれない笑みを浮かべながらボタンを押した瞬間に、背後から声が聞こえた。取り出し口に缶詰が落ちる音が響く。緑簾は缶を取り出しながらその声に答えた。
「
そこにいたのは藍晶だった。いつもは霜国を拠点にしているから、はるばる悧国まで来ているとは思わなかった。
「ちょっと買い物。ご当地非常食を……」
「あー、確かにこっちでしか手に入らないやつあるもんね。これもそうだけど」
緑簾は缶詰の蓋を開け、付属のスプーンを使って中のものを食べ始める。中に入っているのは栗かのこだ。この自動販売機は和菓子の自動販売機というここにしかない特別なものなのだ。もちろん他国にそんなものはない。
「ていうか非常食買い足さなきゃいけないくらい大変なの?」
「いや、そろそろ賞味期限切れになりそうらしくて。まあ大変は大変だよ。三日に一度くらい襲撃されてるし」
霜国が現在、更なる混乱状態に陥っているという話は聞いていた。その原因が自分達にあることはわかっているのだが、栗かのこの前では瑣末な問題だった。
「でも普通に勝てるでしょ、藍兄たちなら」
「負けてたらここにいないって」
「このまま勝ち続けたらいつの間にか藍兄たちしか残らなかったりして」
「それじゃあ俺たち王様になっちゃうじゃん」
「無理ではないんでしょ?」
天青はそもそも王の血を継いでいる。玉髄とは血がつながっていない琥珀よりもよほど王に近い人間だと緑簾は聞いていた。
「でも天青は王になるつもりはないらしいからね。理由を全部知ってるわけではないんだけど」
藍晶は天青が国を出るときに一緒に悧国を出て行った。当時から天青の右腕と言われていて、今もそれは変わっていないらしい。
「藍兄も知らないんだ」
「全部は言えないらしいからね。でも天青がやることなら何か理由はあるんだろうし」
理由を知っているわけではないのに、それでもついていくと決めた。それによって今の自分が持っている地位を全て捨てることに迷いはなかったのだろうか。緑簾は考える。仮に琥珀が天青と同じように国を出ると言ったら自分はどうするだろうか。おそらく、一言目に「なんで?」と聞くだろう。
「そっちはどうなの? まあ相変わらず勝利街道まっしぐらみたいだけど」
「最近強いのと当たってないもん。だいたい琥珀が秒殺だよ」
琥珀のことは昔から強いとは思っていたが、最近は前よりも強くなっていると感じる。けれどそれに伴う琥珀の変化に戸惑っている近衛兵たちがいるのも事実だ。
「あれだけ相手が雑魚だと琥珀が出なくてもいいんだけど、出なきゃ出ないでなんか結構不評らしいよ」
「天青は『あんな雑魚に王が出て行くなよ』って言ってたけど」
「私もそれに関してはそう思うわ。じゃないと体鈍りそう。それかめっちゃ強いのが来ればいいんだけどな……」
強い相手と戦うことはそれだけ危険を伴うが、それを乗り越えて勝つことが緑簾は好きだった。幼い頃から戦うことだけは得意だった。それが自分の長所だとも思う。
「あ、そうだ。藍兄このあと暇? 暇だったら久しぶりに手合わせしない?」
「暇ではあるけど。緑簾は何もないの?」
「今日は何も」
食べ終わった缶詰をゴミ箱に投げ入れる。近くに広い公園があったはずだ。こんな夜にそこいる人間もいないだろう。緑簾は藍晶を引き連れて、暗闇の中の公園を目指した。
昔はよく藍晶と手合わせをした。幼馴染――緑簾が最初に武術を習った道場に藍晶も通っていたという、それだけの偶然から始まる話だ。緑簾は強さを手に入れたかった。単純に強いのはかっこいいと思っていたからだ。藍晶はおそらくは代々王の補佐をしている家の出身だったために幼い頃から鍛えることが決められていたのだろう。
緑簾は長身揃いの近衛兵の中では比較的小柄な方だ。それゆえの敏捷さを生かした攻撃が多い。双剣を構えて藍晶と向かい合う。藍晶は何も武器を構えてはいない。けれど油断はできない。藍晶が暗器を使うことはわかっているのだ。
先に仕掛けたのは緑簾だった。地面を強く蹴り、上から藍晶を狙う。けれどこんなわかりやすい攻撃はあっさりと受け止められるだろう。剣を持つ腕を掴まれたので、その瞬間に脚で攻撃を繰り出す。それを避ける動きを利用して、緑簾は掴まれた腕を自由にした。けれど剣が届くところまで距離を詰めようとするとまた捕まるだろう。それなら捕まる前に攻撃を通してしまえばいい。
一瞬の隙を突いて藍晶の背後に回り、首に剣を突きつける。単なる手合わせだから寸止めだ。けれど同じように緑簾の首にも藍晶の手の中に隠れていた棒状の暗器が突きつけられていた。
「引き分けかぁ」
「でもすごく強くなったよ、緑簾。死ぬかと思ったもん」
「勝ちたかったんだけどなぁ。あれ戦争だったら相討ちだよ」
「でも戦場の方が緑簾はもっと強いんじゃない?」
近衛兵として戦っているときは実力以上のものが引き出されていると感じる。それは琥珀のそばで戦っているからにほかならないのだろう。
「あとは、今日はいつもより集中できてなかったんじゃない?」
「それ言われちゃうとなぁ……」
「何か悩みでもあるの? ……って緑簾が悩むことなんてひとつか」
人を悩みの少ない人のように言わないでほしい。けれど藍晶の言うことは当たっている。他の小さな悩み事なら寝て忘れてしまうことも多いけれど、琥珀のことになると話は別だ。しかし今回のことに関しては、緑簾の中ではもう結論は決まっているのだ。
霜国の武装集団を一人で皆殺しにしてしまったり、自分を暗殺に来た少年を依頼主を聞き出す前に殺してしまったり、最近の琥珀は何かがおかしいと誰もが薄々気が付いている。何を考えているのかわからないとさえ言う人もいた。けれど緑簾は思う。それでも信じられるのは、琥珀が望んでいるものはずっと変わっていないということだ。
「……確かにいつもの琥珀とは違うなって思うこともあるけど、どんな琥珀でも琥珀なわけだし、私のやることは変わらないんだよ」
冷たいと思われるかもしれないが、過剰に彼女を気にかけるよりは強さを磨いた方がいいと思う。強くなれば守れるものも増えるはずだ。
「だいいち、他人のことなんてどんだけ考えたところでわかりっこないし。言葉で伝えても伝えきれないこともいっぱいあるし……だから本当は悩んでる暇なんてないんだと思うよ」
「わりと緑簾のその考え方好きなんだよね。それでいいと思うし。琥珀ちゃんのことはちょっと心配だけどね。何かあったらうちの王様がめちゃくちゃ動揺するだろうし」
「シスコンじゃん。てか実際のところ、琥珀も結構なブラコンな気がするんだよね私」
琥珀が聞いたら「何馬鹿なこと言ってんの」と言われそうだ。けれど天青が国を出る前の琥珀を知っている緑簾としては、琥珀は天青のことを憎み切れていないと感じるのだ。
「さて、私もそろそろ帰ろうかな。食後の運動もできたし」
「俺も帰るよ。非常食買うのに何時間かかってんだとか言われたら嫌だし」
「いや、正直ここまで買いに来る段階でどうかと思う」
「緑簾だって缶詰一個のためにわざわざここ来てるのに……」
自分まだ国を超えてはいないからいいのだ、と言い訳をする。偶然だったとはいえ、ここで藍晶に久しぶりに会えたのは良かったと思う。自分の進むべき道がはっきりと見えてきた。