Hertz-Maschine @ Metropolis 作:深山瀬怜/浅谷てるる
または、戦乱になって君主に危険が迫ることのたとえ。
白虹貫日
夜に一人で街を歩いていた天青は、細い路地に入った瞬間に黒づくめの男たちに話しかけられた。仕込み刀に手をかけて身構える。しかしその中の一人が顔を隠している薄い布を上げたとき、天青は思わず手を止めた。
「……
かつて玉髄の側近かつ隠密部隊を率いていた男だ。琥珀が王になったときに、玉髄の側近も近衛兵も全て解雇したために、今は別の仕事をしているということを風の噂に聞いた。琥珀の一存で全員を
「こんな形になって申し訳ありません。ですが、我々は天青様にどうしても国にお戻りになってほしいのです」
現れた時点で話の予想はついていた。悧国が快進撃を続けているために影に隠れているが、玉髄と血が繋がっていない上に、年端も行かない少女が王になったことに不満を抱いている者は多いという。そういった不満が出てくるのは仕方ない面はあるだろう。だが、それと天青が国に戻って王になるのは別の話だ。
「俺は王になるつもりはない。だから国を出たんだ」
彼らは王の本当の役割を知らない。けれど天青はそれを知った上で王になることを拒絶した。その決意が今更揺らぐことはない。
「それは――今の王が斃れても、ですか」
考えたことはなかった。玉髄と血が繋がっている子供は天青だけで、その天青にも、現在の王である琥珀にも今のところ嫡子はいない。琥珀が斃れたとき、悧国は完全に王を失う。
それで良いと思っていたから、天青は国を出た。そもそも琥珀が王になること自体を予想していなかったのだ。
「それでも関係ない。俺はもう悧国とは無関係の人間だ」
「そうもいきませんよ。あなたは玉髄様の血を継いでおられる。あなたを求める声は多い」
けれど同時に、圧倒的な強さを誇る琥珀を支持する者も増えてきている。それは支持者というよりは信者のようだ。琥珀以外を王とは認めず、天青が王になるべきだと主張する派閥の人間を攻撃することすらあるらしい。
「……悪いが、もう何年も前に国を出たんだ。こっちのことでも精一杯だから巻き込まないでくれ」
霜国の中での小競り合いは続いていて、向かってくる敵を倒しているだけであっても、それが三日に一度の頻度になれば流石に疲れるだろう。王になるつもりなど毛頭ないのに、周囲の状況は天青を王にするために動いている。それが宿命なのか。血から逃れることはできないのか。王などただの人を殺すためのシステムでしかないというのに。
「話は終わりか? 俺はもう国に戻るつもりはない。何があっても」
「何があっても、ですか」
重晶の含みのある言葉に、天青は眉をわずかに動かした。今は琥珀が王になることによって国はある程度の安定を保っている。琥珀が生きている限り、つまりは勝ち続ける限り、天青が王として入り込む余地はそれほどないと言える。けれど、もし――。
「……何をするつもりだ」
「いえ、あれだけ自ら前線に出ているのだから、いくら強くても命を落とす可能性はあるでしょう? 玉髄様はそれをわかっておられたから、よほどの相手が出てこない限りは前線に出ることはなかった」
それは確かなことだ。琥珀が王として特殊なのはその部分であるとも言える。けれどそれだけの意味の言葉ではなかったこともまた確かだ。
「琥珀に手を出すつもりなら、やめておいた方がいい。自分たちの命が惜しいならな」
重晶たちも弱いわけではない。だが、琥珀の強さは普通には測れない。そして王を守るためにHertz-Maschineが介入するようなことがあれば、地獄絵図が広がることにもなる。
「天青様……!」
けれどそんなことを言っても何かをしようとしている連中は計画を中止したりはしないだろう。天青は刀を抜き、跪いている重晶に突きつけた。
「――あれでも一応妹だ。良からぬことを考えているようならここでお前たちを斬って捨てる」
息を呑む気配。こんな脅しで怯むあたりは雑魚としか言いようがない。琥珀なら突きつけられた刀を握ってでも抵抗するだろう。
「話がそれだけなら、さっさと帰ってくれ。俺も暇ではないんだ」
追い縋る重晶たちを無視して、天青は踵を返した。王になるつもりはない。けれど何かが動き出している。実際に数週間前にはおそらく悧国内の誰かに依頼された少年が琥珀を暗殺しようとして返り討ちに遭ったらしい。琥珀が依頼人も聞き出さずに殺してしまったことに批判もあるようだが、人を殺そうとしたのだからそれくらいの報いは当然だろう。それに、その少年は所詮いつでも切れる駒だ。依頼人を吐くくらいなら自害しろと命じられていた可能性もある。結末は変わらなかったとも言えるのだ。
「――何もなければ良いんだが」
相手も弱いわけではない。それにどんな汚い手を使ってくるかもわからない。それとなく警告を促しておいた方がいいだろうか。そう思いながら、天青は仲間の待つ
*
戦闘終了を知らせる音が鳴り、琥珀は息を吐いた。今日も呆気なく終わってしまった。相手が弱過ぎる。號国王の策略で強い相手と当たる機会は悉く奪われてしまっているのだ。このまま続けていても、いつまでも塔に行くことはできないということは琥珀も理解していた。けれど他の方法が思い浮かぶわけでもない。その焦燥が戦闘にも出ているのか、それとも他に理由があるのか、戦闘が終わると虚しさに襲われてしまう。それでも後処理をする人たちが出てくるまでには戦場を後にしなければならない。溜息と共に踵を返すと、黙って琥珀のことを待っていたらしい緑簾が琥珀に背を向けたまま歩き始めた。
何度も繰り返したこの光景。しかしその日は違っていた。風を切る音が響いた瞬間、琥珀は腹部に熱を感じた。
「琥珀!」
いつの間にか琥珀は黒づくめの集団に囲まれていた。熱を感じる腹部を見ると、黒く塗られた剣が深々と刺さっていた。
「……っ!」
この男たちには見覚えがある。玉髄がかつて使っていた隠密部隊だ。琥珀たちがここまで気がつかなかったのも無理はない。彼らは幻のように現れ、敵を攻撃することに特化しているのだ。
「――私が王に相応しくないとでも言うつもりか」
痛みを堪えながら琥珀は言う。刺されただけではない疼痛が広がっていくのは自分でも理解できていた。おそらく毒でも塗られていたのだろう。そして自分が攻撃された理由も説明されるまでもなくわかっていた。
「私が王に相応しくないのは、私が一番わかってる」
琥珀を囲む円の外側で、近衛兵たちが戦っている音が聞こえる。隠れることをやめて姿を現してしまえば、近衛兵が負ける相手ではない。琥珀が微かに笑みを浮かべると、男の一人が琥珀の側まで歩み寄ってきた。
「……重晶」
顔は見えないが、体つきと気配でわかる。玉髄の側近だった男に向かって、琥珀は挑発するように言った。
「殺すつもりなら早くしろ」
「言われなくてもそうするつもりだ」
自分自身に向かって振り下ろされる刃を琥珀は静かに見つめる。けれど無意識のうちに琥珀はHertz-Maschineの端末に触れ、刀を抜いていた。
「な……っ!」
流れる血もそのままに立ち上がった琥珀は、驚きで体を硬直させた重晶の首を一瞬で刎ねた。
「お前……よくも重晶様を!」
琥珀を取り囲んでいた男たちが琥珀に攻撃を仕掛けてくる。大量の出血と毒のせいで意識が朦朧とする中、琥珀はHertz-Maschineを使い、一帯に雨を降らせる。その雨は任意の敵には刃となって降り注ぐ。かつて玉髄も使っていた全方位攻撃。けれどそれを制御するための意識が徐々に途切れ途切れになっていく。
「……っ……!」
声が聞こえる。悪夢の中で聞いた少女の声――自分自身と寸分違わぬ声が、琥珀の望みとは逆のことを囁く。
『抑えようとするから苦しくなるんだよ。抑えなければ楽になれる』
「でも……そうしたら」
まだ戦っている近衛兵たちまで巻き込んでしまう。だから意識を手放すわけにはいかない。
『みんな殺してしまえばいいんだよ。それがあなたの本質なんだから』
「違う……私は……っ!」
呑み込まれてはいけない。敵は充分倒した。このままHertz-Maschineを止めればいい。けれど琥珀が端末に触れても、雨は一向に降り止む気配はなかった。
「どうして……!」
制御が効かなくなっている。このままでは味方まで巻き込んでしまう。琥珀は声を絞り出した。
「みんな……逃げて……!」
視界が霞んでいく。雨は最初に指定した範囲以上に広がることはないはずだ。だからそこから離れさえすれば、巻き込まれて怪我をすることはないはずだ。しかし琥珀の目論見を嘲笑うように少女が言う。
『――攻撃範囲及び、攻撃対象を拡大』
琥珀は目を見開く。その言葉の意味するところが理解できないわけではない。けれど現実ではないはずの声にHertz-Maschineが従い、雨が降る範囲が一気に広がっていく。
「やめて……! みんなを殺さないで……!」
それは、自分の命よりも大切なものなのだ。止まってくれと祈る琥珀の視界に、黒い影が映る。
「――琥珀」
何でこんなときに。落ち着いた声に安堵すら感じる自分に苛立ちながら、琥珀は譫言のように呟く。
「……何しに来たんだ、クソ兄貴……っ」
この惨めな状況を笑いに来たのか。天青を王にしようと画策していた輩はほぼ全員殺してしまった。けれど、まだまだ琥珀ではなく天青の方が王に相応しいと思う者は多いだろう。最初から天青が王になっていればこんなことにはならなかったのだろうか。最悪の状況を引き起こすのが自分自身にならなくても済んだのだろうか。
天青が琥珀の左腕を掴み、地面に押しつける。それに対抗できるような力はもう残っていなかった。自分はこのまま殺されるのだろうか。琥珀がぼんやりとそう思った瞬間に、天青は琥珀の左手首――正確にはそこに取り付けられたHertz-Maschineの端末に向かって刀を振り下ろした。
Hertz-Maschineの端末は普通には壊せない。ただし、王となった人間がその人間の登録をHertz-Maschineから抹消した後であれば、普通の武器で破壊することができる。粉々に砕けた端末を見て、何が起きたのか理解できないほど、琥珀は何も知らないわけではなかった。
「何のつもりだ、クソ兄貴……っ!」
「こうでもしなければ、死んでたのはお前の仲間の方だ」
雨が止んで、空に薄く白い虹がかかっているのが見える。偽りの空しかない塔の外では滅多に起こらない気象現象だ。白い虹は王に危機が迫る兆候――兆候も何も、この瞬間に琥珀は王であることを奪われたのだ。意識が遠のいていく。全てを手放す前に、琥珀が思ったのはたったひとつだった。