Hertz-Maschine @ Metropolis   作:深山瀬怜/浅谷てるる

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王の力

 號国――否、號国が雇った傭兵である天性たちと戦う日まであと一週間。琥珀は訓練を終え、一人で夜の闇を縫って歩き始めた。王になってからというもの、少なくとも一人は近衛兵を連れていかなければ外出もできない。仕方ないこととはいえ息が詰まる。だから時折誰にも気付かれないように基地(アジト)を抜け出し、ただ闇に紛れているだけの時間を作り出している。一人になる時間は琥珀にとってどうしても必要なものだった。

 前に一人で外に出たときは、たまたま天青と鉢合わせてしまった。思い出すだけで忌々しい。昔は確かに兄として慕っていたこともある。けれど琥珀を残して姿を消したあの日から、琥珀は天青のことを嫌っていた。

(捨てたんなら、もう関わらずにいてくれたらいいのに)

 玉髄の血を継ぎ、正当な王となるべきは天青なのだと思われているのはわかっている。琥珀は所詮偽物の王だ。天青がいないから仕方なく琥珀を王にするしかなかったのだ。これまで表舞台に出てくることのなかった天青が再び姿を現すことにより、天青を連れ戻して王にせよと言い出す者も出てくるだろう。琥珀は玉座に執着はしていない。王になるべきは自分ではないことを理解している。問題は、他の人間が王になったときに、玉髄が保護していた遺伝子操作された子供たちはどうなるのか、ということだけだった。

 その存在を知ったとき、幼いながらに理不尽だと思った。自分たちの都合で遺伝子操作をしておきながら、失敗したら捨てる。優秀な人間だけが塔の中で甘い蜜を啜り、そこからこぼれ落ちた人間はこの掃き溜めのような街で生きていかなければならない。その上、一度遺伝子に手を加えたものは、塔の空気の中でしか生きられない。外で生きられるのは二十年が限界だ。

 近衛兵の八割は遺伝子を操作された子供たちだ。塔を出た時期には個人差があり、最年長の橄欖(かんらん)は十歳のときに重大な欠陥が見つかり、塔から追い出されたという。塔を出てから十年ほどしか経っていないから、最年長ながらその影響が出るのはもう少し先だろう、と蒼鉛が言っていた。他は――誰にいつ症状が出てもおかしくはない状況と言える。

 早くしなければならない。それなのに、戦い続けても前に進んでいるような感覚が得られない。うっすらと理解はしているのだ。塔の中の人間が、あんな約束をまもるはずがないのだと。それでもその言葉を信じて進むのには理由がある。

「……っ」

 琥珀はその場の壁に寄りかかり、軽く咳き込む。咳が治ってから口を押さえた手を見るとそこには鮮やかな赤色が散っていた。琥珀はその血を拭うこともせずに拳を握り、笑みを溢す。

 ――悧国の人間にこのことを知っている人間は一人もいない。

 遺伝子操作をされているかどうかは、生まれたときにその証としてつけられる足首のコードで見分けることができる。けれど稀に、そのコードが付けられていないのに遺伝子操作されている子供もいた。本来は国に認められた医師だけが遺伝子操作をすることができるが、そうでない人間によって行われる、違法な手術も存在している。おそらくはその類だろう。遺伝子操作ができる期間は決まっている。その期間を過ぎてから行われる操作は基本的に違法だ。それでも自分の子供の遺伝子をより優秀なものにしたいという人間は後を絶たないという。琥珀の親もその手合いだったのだろう。けれど何らかの欠陥が見つかってしまった。だからあっさりと捨てられたのだろう。

 塔の中に行かなければ、琥珀の命もそう長くはない。何もしなければ早々に尽きてしまう命ならば、何かのためにそれを使いたかった。戦う理由はそれだけだ。

 琥珀は再び咳き込んだ。今はまだ誰にも気付かれていない。おそらく琥珀を拾った玉髄すらも気付いていなかったはずだ。このまま誰かに言うつもりはない。塔に行けるそのときまで隠し通せればいいのだから。

 溜息を吐いて戻ろうとした瞬間、自分を呼ぶ声がして琥珀は振り返った。発作が出ていることを誰かに見られてしまったか――警戒心を剥き出しにした琥珀の瞳に映ったのは、頭部が時計の形をした奇妙な男だった。琥珀が舌打ちをすると、男が合成音声の笑い声を漏らす。

「相変わらず、人を見たときの態度ではないねえ」

「何の用? 用がないから今すぐ私の前から消えて」

「そう邪険にしなくてもいいじゃないか。僕は君の味方なつもりなんだけどね。実際、君の秘密は誰にも言ってない」

 男の本当の名前を琥珀は知らない。だが、その特徴的な頭から「時計男」と呼ばれている。時計男は黒い外套の裾を翻しながら琥珀に近付いた。

「あまり調子は良くなさそうだね」

「あんたには関係ない」

「関係あるさ。快進撃を続けている悧国の王が倒れるようなことがあったら、僕の仕事も減ってしまう」

「今度の――アレを仕組んだのもあんたか」

 見世物と化した戦争を取り仕切るのは塔の人間だ。誰と誰が戦うかも塔の人間の意向が取り入れられて決まる。どの対戦カードが面白いか。彼らが考えているのはそれだけだ。そして時計男が対戦カードを決める人間の一人であることを琥珀は知っていた。

「兄妹対決なんて、格好の見世物だろう? 君たちは確かに強いが、今のところ強すぎる。君が苦戦するところも見てみたいという上の意向さ」

「私があのクソ兄貴に苦戦すると思ってるってこと?」

「力は互角だろう。君が王の力を使わないなら、の話だが」

 天青がいなくなってからを知らないから、互角だという時計男の言葉が本当かはわからない。けれど天青が簡単に倒せる相手でないことはわかっていた。王の血筋だからといっても、弱ければ後継ぎと認めてもらえることはない。失踪する前の天青は、誰もが認める次代の王だったのだ。強さは折り紙付きだ。

「君は何故王の力を使わない?」

「使う必要がなかっただけ」

 王だけが使える力がある。琥珀は玉髄と血は繋がっていないが、王になる手続き自体は正当なものだった。だからその力を引き継いでいる。けれど自分のものとは違うその力を使うことには躊躇いがあった。

「君があれをどう使うのか、上の人間は楽しみにしているんだよ」

「私は上の人間に媚びるつもりはない」

「だが上の人間に認められなければ君の目的が達成できないのは確かだ。仲間だけではなく君も、早く塔に行かなければ死んでしまうというのに」

 琥珀は時計男を睨みつけた。しかし時計の盤面を模した頭部からは表情を読み取ることはできない。琥珀が遺伝子操作された子供であり、既に症状が出ていることを知る人はほとんどいない。その数少ない一人がこの時計男であることが癪に障った。一番弱みを握られたくない男に秘密を知られている。

「君の活躍に期待して、これをあげますよ。次の戦闘の前にでも飲むといいでしょう」

 時計男は琥珀に錠剤を一つ手渡す。それは発作を抑えることができる薬だ。症状の進行を止める効果はないが、発作を抑えることで死ぬ直前までは普通に生活できるようになる。ただしその薬はかなり希少で、王であろうと手に入れられないほどに流通していない。琥珀は無言でそれを受け取った。

「あんた、これどうやって入手してるんだ?」

「秘密ですよ。何せ君が自力でこれを入手できるようになったら、僕とこうやって話してくれることもなくなりそうだし」

「薬があろうとなかろうと、本来あんたと会話なんかしたくない」

「相変わらずつれないですねぇ。僕は割と君に協力的だと思うんですが」

 琥珀は抜刀し、切先を時計男に向けた。両手を上げて降参の姿勢を見せる時計男だが、その表情はわからない。

「私はあんたの思い通りに動いたりはしない」

「流石、気迫だけなら先代よりも上ですね。僕は君には協力を惜しまないつもりですよ。君が面白いものを見せ続けてくれる限りね」

「あんたのためにやってるわけじゃないから」

 人の首が飛ぶのを見て何が面白いのか。時計男を含む塔の人間の考えることは理解できなかった。遺伝子操作した進化した人間たちが、そうなれなかった人間の殺し合いを見世物として楽しむ。それが進化した人間の娯楽だというのなら、進化などこちらから願い下げだ。琥珀は心の中で吐き捨てる。それでも生きるためには塔に行かなければならない。その矛盾が腹立たしかった。

 健闘を祈ります、という時計男の言葉を冷淡に無視して琥珀は歩き始めた。目指す道は変わらない。何もしなければ死んでいくだけの仲間の運命を変えること。――たとえその瞬間に、自分自身が間に合わなかったとしても。

 

 

 琥珀は戦闘服に着替え、手甲を嵌める。いよいよ天青たちと戦う時間が近付いていた。武器の確認をして陣幕で仕切られた場所の片隅に腰掛けると、燐灰がその横、人ひとり分離れた場所に座った。

「体調はどう?」

「まあ悪くないけど……でもこの前もいきなりだったからな。足は引っ張らないようにするよ」

「何かおかしいと思ったらすぐに伝えて」

 遺伝子操作児特有の発作で死ぬこともあるが、この状況で発作が起きた場合は戦いで命を落とす方を心配する必要がある。天青たちは戦闘不能になった人間をさらに追い詰めるようなやり方はしないと調べはついているが、それでも戦場とは何が起こるかわからない場所だ。

「琥珀も、初手で天青さんに突っ込んでいくとかやめてね」

「やらないよ、そんなこと。無策で突っ込んで行ったら勝てない」

 強いことはわかっていた。おそらくこれまで相手にしてきた他国の二軍以下の連中とは比べものにならない。そもそも国を出てさえいなければ玉髄のあとを継いで王になるはずの人間だったのだ。緑簾と幼少期から手合わせしてきたという藍晶を始め、仲間たちも相当な手練だ。 

「それに今日はいつもとやり方も違うし」

 この戦争という名の見世物を終わらせる方法はいくつかある。まずは単純に相手の将の首を取る方法。これまで琥珀はその方法で勝利を収めてきた。けれど他にも方法はある。力が互角だったり、どちらの将も守りに入ってしまうと永遠に決着がつかないとして定められた規定。

 ――この戦いには時間制限がある。

 時間切れになっても決着がついていない場合は引き分けとなる。けれどその引き分けにも意義はある。塔の人間が次を見たいと思うような戦いをすれば、次の戦いの機会が巡ってくるのだ。

 今回は引き分けを狙う――それは兄である天青を殺したくないなどという甘えた理由ではなかった。現在、天青たちのいる霜国の王は空位の状態が長く続いている。だからこそ他に比べて輪をかけて治安が悪い。治安の悪い場所には悪いものも良いものも混沌としたまま存在しているものだ。具体的には霜国には遺伝子操作児の発作を抑える薬が他よりも出回っていると言われている。近衛兵で発症しているのは燐灰だけだが、他もいつ発症してもおかしくない状態だ。薬は所詮その場凌ぎにしかならないが、ないよりはいい。それを手に入れるためにも霜国の人間と決定的に敵対するのは避けたかった。

 時間切れまで粘って引き分けに持ち込む。しかしその目的を悟られないように。それが勝利だけを目指す通常の戦いよりも難しいことは琥珀も理解していた。

「燐灰」

 他の誰も自分たちには目を向けていないことを確認してから、琥珀は懐から薬を取り出した。時計男から入手した薬はたった一錠。琥珀がそれを使うのは自分自身の為ではなかった。

「琥珀、それ――」

「一つだけもらったの。今日は長引くだろうから――念の為、飲んでおいてほしい」

「いいけど、水のサービスとかないの?」

 燐灰がおどけて笑いながら薬を水なしで飲み込む。琥珀はそれを確認してから立ち上がった。そろそろ時間だ。琥珀はそっと己の喉に触れる。それを見た燐灰が首を傾げた。

「琥珀? どうかした?」

「ううん、何でもない」

今から一時間。その間だけ保ってくれれば――琥珀は拳を強く握り締めた。

 

 

 この日のために新調した悧国の近衛兵の戦闘服は、和の要素を取り入れた黒色のものだった。否、琥珀の戦闘服だけは臙脂色だ。誰の首を取れば勝てるのか一目瞭然――普通は隠すものを表に出した戦略は、別の言い方をすれば挑発に他ならない。

「戦闘服めちゃくちゃあるよな……予算どうなってるんだ?」

「予算って。生々しい話だね」

 仲間たちがそれを見ながら話しているのを、天青は腕組みしながら聞いていた。玉髄はそれなりに金を残していただろうが、これだけ潤沢に使えるほどではない。おそらくは、琥珀は戦いで王が得るはずの金を全て次の戦いに注ぎ込んでいる。自分の財産は王になってからもほとんど増えていないだろう。金に興味がないのに貯め込んで腐らせるくらいなら、使ってしまった方が後腐れはない。

 黒一色の服に身を包んだ男が定刻を告げる。中継ではどんな実況がつけられているのか。兄妹対決か、偽王と正統な王になるはずだった者の戦いか。いずれにしろ因縁の対決だとか、そういう言葉で彩られているのだろう。これはそんなものではない。――ただの殺し合いでしかない。

 横一列に並んだ悧国の近衛兵たちと相対する。どんな戦闘を繰り広げるかは頭の中に組み上がっている。天青はそれぞれに武器を構える少女たちを見据え、右手を翳した。頭上から塔の人間たちの歓声が降ってくる。求められているものが何なのかはわかっていた。

 王にしか使うことのできない力。玉髄の血を引く天青にはその一端を使うことができた。血の色をした稲妻が降り注ぎ、土埃を上げる。けれど悧国軍全体を狙ったはずの攻撃は通らなかった。

「――やっぱりなかなか手強いね、琥珀ちゃん」

 藍晶が言う。天青の放った攻撃は琥珀の刀で受け止められていた。雷を刀で受け止めようとする人間は琥珀くらいのものだ。それくらいの道理に反した行為を成し遂げてしまうほどの強さを琥珀は持っている。

 玉髄の血を受け継いでいるわけではない。けれど悧国の現在の王は確かに琥珀なのだ。

「Hertz-Maschineへの干渉――やっぱり今まで使っていなかっただけか」

 王の力と呼ばれるものの正体。それは塔の中枢にあるというHertz-Maschineの機能に一部干渉し、思い通りの事象を起こす力だ。大抵は一時的に雨を降らせたり、雷を落としたり、それらの軌道を逸らしたりなどの操作だ。そして一度使うだけど体力はかなり削られる。それは決戦用の力であると言えた。

 琥珀の場合は、先代の血を継いでいないために使えないのではないかとも囁かれていた。けれど正統な手続きを踏んで王になったのなら使えるはずだ。むしろ天青の使い方の方が無理筋なのだ。

 琥珀が刀で何もない空中を薙ぎ払う。その瞬間に、先程放たれた雷が同じ強さで返ってきた。目の前の地面を抉るほどの威力。巻き起こる土埃の中、琥珀とその周囲を固める数人以外の悧国の近衛兵たちが強く一歩を踏み出した。

「じゃあ俺らも行きますか」

 菫青たちがそれぞれの得物を手に前に出る。今回の目的は勝利ではない。依頼主である號国の不興を買わない程度に健闘し、戦闘を長引かせて引き分けに持ち込むこと。それぞれの戦いが始まる中、天青は琥珀の鋭い視線を受け流しながらゆっくり歩き始めた。

 天青が長尺の合口の切先を琥珀に突きつけるのと、琥珀が刀の切先を天青に突きつけたのはほぼ同時だった。刀の長さだけの距離を取って二人は対峙する。

「――さっさと来いよ、クソ兄貴」

 琥珀の安い挑発に乗るつもりはないが、膠着状態を続けるわけにもいかない。地面を強く踏み込み、琥珀との距離を詰めて刀を振るうが、琥珀の体に刃が触れる前にそれは押し止められた。天青の刀を受け止めているのは鉄の骨でできた漆黒の扇だ。琥珀は受け止めた刃を跳ね上げ、その瞬間にできた空間に自らの体を潜り込ませて天青に肘鉄を食らわせた。

(時間稼ぎしようとしてるのはお互い様ってことか)

 琥珀が本気ならば、今の攻撃には刀を使っていただろう。鉄扇を持ち、踊るような動きは派手ではあるが攻撃力には乏しい。それでも塔の人間には気付かれないように、その動きで観客を魅了するには充分だった。

(でもそれじゃ駄目だ、琥珀――)

 塔の人間を惹きつけることができても、約束を守るような連中ではない。現状を変えるには、根本的なところを壊さなければならないのだ。しかしそれに琥珀はまだ気が付いていない。

 天青は右手を突き出した。Hertz-Maschineに干渉し、炎の筋を呼び寄せる。しかし琥珀は同じように水を呼び寄せ、それを打ち消した。琥珀が一歩を踏み込む。しかしその動きは次の刹那に乱れた。手の甲で口を押さえながら軽く咳き込む琥珀の姿に天青は目を瞠る。琥珀の手甲は黒く、そこに何か汚れがあっても目立たない。しかし手の甲で拭った口元に僅かに赤いものが見えた。

「琥珀、お前まさか」

「……あんたには関係ない」

「駄目だ。今すぐ棄権した方がいい」

「今更兄貴面すんなよ。全部捨てて逃げた蛆虫のくせに」

 琥珀は鉄扇を広げた。それは畳めば打撃武器、広げれば刃になる。

 

「私の邪魔をするつもりなら、私はここであんたを殺す」

 

 手負いの獣のような鋭い視線に天青は射抜かれた。遺伝子操作児特有の発作――本来今すぐにでも戦線を離脱すべきだというのに、琥珀はあくまで続けるつもりのようだ。

(それなら、戦闘不能に追い込むまでだ)

 相手を殺さなくても、戦闘不能にすれば判定勝ちにはなる。長引かせ引き分けに持ち込むのは琥珀の体に負担がかかりすぎる。荒い呼吸を紡ぐ琥珀を見下ろしながら、天青は再び刀を鞘から抜いた。

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