Hertz-Maschine @ Metropolis 作:深山瀬怜/浅谷てるる
胸を押さえて苦しむ琥珀を見ながら、天青は呼び出しボタンに手を伸ばす。しかし琥珀はその手を強く押し留めた。
「まだ……みんなには、言ってないの……だから……」
荒い呼吸の中で紡がれた声は切実だった。この状況になってまで黙っている理由などないはずだ。少なくとも蒼鉛には知らせておくべきだろう。そう冷静に諭しても琥珀は首を横に振る。手首に爪が食い込みそうなくらい強く握られ、天青は諦めてボタンから指を離した。
琥珀の呼吸が落ち着くのにつれて、手首を握っていた力も緩んでいく。発作が治まった琥珀は天青から手を離し、自分の膝に視線を落とした。
「落ち着いたか?」
「……うん」
「何か飲み物とか――」
「いい。自分でやる」
琥珀は病室に備え付けてあるケトルの中の白湯をコップに入れ、それをゆっくりと飲み干した。ベッドに体を預けて琥珀は目を閉じる。天青が琥珀に声をかけようとしたそのとき、病室のドアが開いて緑簾と翡翠の二人が顔を出した。
「着替えとか色々持ってきたよー……ってあれ?」
緑簾は首を傾げ、翡翠は胡乱げな瞳を天青に向ける。少なくとも歓迎されているような空気は全くなかった。二人が来たなら自分がここにいる必要もない。天青は入れ替わりに帰ることにした。出入り口ですれ違ったとき、翡翠が小さな声で言う。
「――王様になったんでしょ」
その言い方は答えを知っている人のものだ。天青が黙ったままでいると、翡翠が天青を一瞥して小さな声で言った。
「……それなら最初から国を出ていかなければよかったのに」
翡翠の責めるような言葉には答えずに、天青はその場をあとにする。この事態を予想できなかったというのは彼女にとっては言い訳にしか聞こえない言葉だろう。言ったところで彼女はそれを理解しているのだから。
病院の廊下を歩きながら、天青はあの日のことを思い出していた。玉髄にこの世界の真実を聞かされた日。信じていた全てが呆気なく崩れ去った日のことを。
*
「――というのがこの世界の真実と、王の本当の役割だ」
言葉を選びながらも、それ以上にはどうにも和らげることができない言葉で、玉髄は淡々と真実を語った。Hertz-Maschineにより次の王になれるとお墨付きをもらった直後のことだった。王になることができるとわかった上で選択を迫られた。
「そもそも何で人間の選別なんてしてるんだ」
「さあな。それに関しては『来るべきときが来たときのため』としか言われていない」
たとえどんな理由があるとしても、王になるということは、生きようとする人間を欺き、その命を奪う営みだ。自分がそれに手を染められるかと聞かれれば、答えは否だった。それはおそらく玉髄も予想していたのだろう。
「……俺と血が繋がっている人間は、今のところお前だけだ。お前が王にならないなら、この国は俺が死んだ後は霜国と同じく王のない国になる」
霜国最後の王は暗君だったと言われている。自爆技による特攻で勝利を重ねたが、そのやり方に人々が疲弊し、最期は何者かに暗殺された。そして子供は二人いたものの、二人ともHertz-Maschineに王と認められなかった上に、その後二人とも何者かに殺された。そうして霜国は王のない国になったのだ。
「王が二人消えれば、システムも少しは考え直すかもしれないけどな」
そもそもその血筋の人間しか受け付けない上に、王の血筋でも適合しない人間がいる制度など、いずれは破綻するだろう。號国のように親族での婚姻を繰り返し血を濃くするようなことも現実的ではない。血が濃くなりすぎると、当然何らかの支障が出てくるのだ。
「だが、王にならないと決めたお前をこの国に置いておくわけにもいかない。数日中に荷物をまとめて出て行ってもらおう」
その言葉に異存はない。王が、自らシステムに背いて王位を継がないと決めた人間を放置しておくのは都合が悪い。たとえ見てくれだけでも、王の役割を果たそうとしない王は粛清の対象になるのだ。
「……玉髄」
「何だ?」
親子とはいえ、父親らしい呼び方をしたことはなかった。玉髄がそうするように言ったのだ。対等な人間のように、名前で呼べと。そしてその方針は琥珀にもしっかりと適用されている。
「本当にいいのか?」
「予想はできていたことだ。それに俺も……ずっと前からこの仕事が嫌になっているところだ」
確かに玉髄が積極的に人を殺そうとしているようなところは見ない。それどころか他国では捨て置かれる遺伝子操作児をまとめて育てる施設まで作ってしまったのだ。役割と逆行する行動を他国の王に咎められたこともあるらしいが、「後でまとめて始末するため」と説明して乗り切ったらしい。
「……望んでもないのに遺伝子をいじられて、失敗したから死んでもいいってのは理不尽過ぎるだろう。それに……情のようなものも生まれてしまったし」
そもそもどこからか琥珀を拾ってきた段階で、人を殺すことを目的とする王からは乖離していたのだろう。あのまま放置したら死んでしまって逆に処理が面倒になるという理由だと本人は言っていたが、おそらくは普通にこのまま死ぬのは気の毒だと思ったのだろう。
「そういうわけで、俺とお前は今から敵同士で、お前は俺といがみあって国を出た――ということになる」
あくまで名目だ。そして目的は同じだった。玉髄の代で悧国から王はいなくなる。王が半分になれば、現状のシステムも変更を余儀なくされるだろう。互いにそう信じ、嘘の表情を貼り付けて別れた。
――それが天青にとっては、玉髄を見た最後になった。
玉髄の言葉に従い、天青は数日後に国を出た。天青が国を出ると言うと何も聞かずについて行くことを選んだ藍晶や菫青たちとともに、無法地帯と化している霜国に腰を落ち着けられるようになるまで半年はかかった。その半年の出来事はあまり思い出したくないことばかりだが、その慌ただしさが、天青に現実を受け止めるまでの猶予を与えた。
この世界は、塔の外の人間を人間とは認めていない。今まで見てきたもの全てが覆され、崩れていくほどの事実。天青は目の前のことに必死になっていて、事実を受け入れることはあっても抗おうとは考えなかったのだ。
けれど、琥珀は――。
その思いはHertz-Maschineに戒められたが、それでも世界を壊してでも守りたいものを守ると口にした。その強さは尊敬に値する。けれど琥珀は同時に、とても繊細で脆い。
あのときは王になるしか、暴走したHertz-Maschineを止められなかった。けれど終わったからと言って王位を返上できるものでもない。霜国王として、これから自分がすべきことは何なのか――考えてみても、妙案らしきものは何も浮かばなかった。