根津は……いや雄英高校はこの日、思わぬ来客を迎えていた。
「根津校長。体育祭の忙しい時に時間を割いてもらい、ありがとうございます」
「いや、貴女程の方なら私が応対するのが当たり前なのさ。全米№1ヒーロー、スターアンドストライプ」
校長室で根津の言葉を受けた女性は、画風が違うと言われる勇ましい顔に小さく笑みを浮かべる。
「ご配慮はありがたいのですが、今日はキャスリーン・ベイト個人として来ていますので」
ヒーローとしてなら両親は同行しませんよ。
そう言われて根津は内心で首を傾げる。
雄英に縁がない、強引に接点を挙げるとすればオールマイトを尊敬している程度の彼女が個人的にここを訪れる理由が思いつかないのだ。
「ふむ。では、あなた方はどんな要件で我が校に来たのかな?」
「それは孫娘達をアメリカへ迎えに来たのです」
「お孫さん…ですか?」
キャスリーンの隣に座った父親という老年の男の言葉に根津はますます困惑を深める。
自分の生徒達には留学生はいないはずだし、全米№1ヒーローの血縁者など聞いた事も無いからだ。
そんな彼の内心など知らぬとばかりにキャスリーンは答えを告げる。
「エレイン・緑谷とダイアナ・緑谷のことです。そちらで保護されているのでしょう?」
それを聞いた根津は自分の飲み込んだ息の音が聞こえた気がした。
日本を襲った大災厄の生き残り。
そしてタイムトラベルすら可能にするかもしれない個性とは異なる超常能力の保有者。
まさかあの双子の血縁に、こんな大物が控えていたとは!
しかし彼女達の存在はまだ日本政府にも伝えていない。
万が一の漏洩も考えて、二人が逗留する部屋には通信機器は置いていなかった。
ならば、眼前の女傑はいったいどうやって彼女達の存在を知り得たというのか?
「あの子達は妹の大事な忘れ形見です。親族が引き取りに来たのに渡せないとは言いませんよね?」
その鋭い視線と口調からして、キャスリーンが双子の秘密やその価値を理解しているのは明白だ。
正直に言えば根津は二人にもう少しこの学校に通ってもらいたかった。
何故なら野生の勘によって、彼はあの双子が人間不信を抱いている事を感じ取っていたからだ。
その事に気付けたのは根津自身も実験動物だった過去があったからだろう。
そんな二人が個性とは異なる力、いや仮に個性だったとしても瞬く間に数十人の命を奪えるほどの異能を所有している事は脅威だ。
如何に年不相応に賢しいとはいえ、実年齢が幼く倫理観もしっかり確立されていない彼女達は、何かの拍子でそれを他人に向けかねない。
そして心の脆さを悪意ある者に突かれれば、最悪彼女達がヴィランに堕ちる危険もある。
だからこそヒーロー科へ通い、ヒーローの卵と共に正しい心を育んでほしかった。
「ミス・ベイト。できればもう少しお嬢さん達を我々に預けてもらえないだろうか」
「それはどうして?」
「彼女達は秘めた力の大きさに反して情緒や倫理観はまだ脆い。我々は保護した大人の責任として、そこをしっかりと教えてあげたいんだ」
「なるほど。その為に二人をヒーロー科へ入れたのですね」
キャスリーンの言葉に根津は固唾を呑み込んだ。
そこまで知られているとは思わなかった。
まさか、彼女のバックには米国政府が付いているのか?
ここまで自分達の行動を把握されては、そんな危惧まで芽生えてしまう。
「ですが戸籍上はともかく、あの子達は小学校に通った事も無い未就学児です。従兄弟のイズクがいるようですが、それでも高校の特殊科であるヒーロー科に放り込むのは乱暴でしょう」
「何を言っているか分からない授業を丸一日延々と聞かされるのは、小さな子供にとっては苦痛でしかないのでは?」
キャスリーンに続いて彼女の母親も根津の意見に否定的な様相を示す。
それを見た根津は諦観からため息を付いた。
一般家庭にあの子達を預ける事に不安はあれど、学校である以上親族からNoと言われては引き留め続けることは出来ない。
これが緑谷家であれば警備を理由に説得する事も出来たが、全米№1ヒーロー相手に同じ対応は無茶が過ぎる。
「わかったよ。だけど、今日の雄英体育祭には彼女達の級友達も参加している。応援する機会を与えてくれないかな?」
「もちろんです。ところでエレイン達はどこに?」
「警備の事を考えて宿直室の一つにいてもらっているよ。案内させよう」
そう返した彼は職員室に控えている手隙の教師を呼ぶのだった。
◆
キャスリーン来訪から時間は少し遡る。
体育祭が始まる少し前、出久は人気のない校舎裏にオールマイトを呼び出していた。
「それで何の話かな、緑谷少年」
「少し聞きたい事があるんです。と言っても、実際の事じゃなくて仮定の話なんですけど」
オールマイトの質問に苦笑いを浮かべる出久。
そんな自分の生徒にオールマイトはスっと目を細める。
出久の事は知り合う前に親友であるデヴィット・シールドから聞いていた。
優れた知能を狂気的な努力で磨き上げ、人類初のパワードスーツを作り上げた鬼才だと。
オールマイト自身もヘドロヴィランの事件で出久や爆豪と偶然出会い、他人の為に危険へと飛び出せるヒーローにとって天賦の才を見た事で、彼が自分の後継者に相応しいと見込んだ事もあった。
そんな八木俊典が成し得なかった無個性ヒーローに最も近い位置に立つ少年。
出会った当初は強迫観念じみた焦りを危惧していたが、例の双子が現れてからはそれも治まった。
元無個性という目線からも将来が楽しみなヒーローの卵だ。
「今の世の中で個性以外の異能が現れたら、国は…いや社会はどう動くと思いますか?」
仮定の話と言いながらも、そんな軽さが全く見えない出久の質問にオールマイトは思わず息を呑んだ。
個性以外の異能、それはつい最近ごく限られた職員達の議題に上がっていた事だ。
保護された幼い双子、彼女達が持つ時間跳躍と同じくらいに個性社会を揺るがしかねない爆弾。
その視線の鋭さからオールマイトは出久も真実にたどり着いた事を悟った。
ここで誤魔化そうとすれば雄英、いやヒーローや社会に対する彼の信用が一気に崩壊するだろう。
そして他者を偽る事が苦手なオールマイトでは、出久の目をごかます事は不可能だ。
「悲しい話だが、新たな超常の力として認められる事は無いだろう。私もそこまで詳しくないので断定はできないが、彼等が取る手は保護という名の幽閉。もしくはその異能を知る為の実験体。最悪の場合は抹殺される可能性もある」
オールマイト自身、口にして胸が悪くなるような話だ。
彼も長年トップヒーローの座にいた以上、社会の裏の顔が持つ醜悪さは知っている。
個性こそが最も素晴らしい能力だと喧伝し、それを使い正義を成すヒーローの光で大衆の目を眩ませる事で無個性への差別や有用でない個性保持者の封印や排除などといった社会の問題をひた隠しにする。
『平和の象徴』を名乗るのなら糺さねばならない事だ。
しかしそういった隠蔽工作が無ければ超常社会が回らないのも事実。
ヒーローという歯車に徹している彼には、それを壊す事はできなかった。
「それは彼等が恐れているからですね。かつて個性を持った者たちが無個性から主流を奪い取ったように、自分達が新しい異能の登場によって劣等に位置づけられる事を」
怒りや罵声を覚悟のうえで口にしたオールマイトだったが、彼の予想に反して出久が激昂する事は無かった。
自身の従姉妹が辿るであろう末路を冷静に……いや冷静ではない。
彼の目はまるで敵の手を見抜く時のように刃の如き鋭さを放っている。
それを見てオールマイトは悟った。
出久がこの話を持ち掛けたのは確認の為だと。
彼自身、社会がオールマイトの語った風に動くと予測してたのだろう。
『平和の象徴』というヒーローの頂点をソースとすることで、自らの考えを確かめたのだ。
オールマイトは出久が双子に執着に近い感情を持っている事を知っている。
その二人が社会的に排除されるとなれば、目の前の少年はどういう行動に移るのか?
「緑谷少年、早まってはいけない!」
出久がヴィランに堕ちる事を危惧して叫ぶオールマイト。
しかし出久は笑顔で首を横に振る。
「大丈夫ですよ、オールマイト。僕はヴィランなんかにはなりません。そんな事したらシールド博士やメリッサさんに申し訳ないし、なによりキャスリーンさんに殺されます」
「そ…そうか」
苦笑いと共に踵を返す出久にホッと息を付くオールマイト。
背中越しにそんな気配を感じながら、出久は小さく口角を吊り上げる。
「だから、真正面から変えてみせますよ。僕等やエレイン達を認めないこの世の中を」
その笑みはかつて死の淵へ追い込むほどに自らを鍛え上げた時と同じく、深い狂気を孕んでいた。
◆
どうも、ウルトラタッチをすると人類が滅ぶ暗黒ウルトラマンAな片割れのエレイン・緑谷です。
現在私とダイアナは久々に再会した祖父母の膝の上に座っております。
キャシーが来るとは思っていたけど、グランパ達まで一緒とは見抜けなかった。
二人は私達を見た瞬間、大号泣で抱きしめて来たんだよね。
肉親の体温って本当に凄い。
その手の感情なんて枯れ果てたと思っていたのに、私もダイアナも思わず泣いてしまったんだから。
一緒に来ていたキャシーも勿論泣いていたんだけど、前に見た時より顔がアメコミ調に濃くなってないかな?
初めて会った時はママに似ていたのに今は殆ど面影が無いよ!
十年という年月の残酷さを肌で感じた事については一先ず置いておこう。
今回の主題は眼前で繰り広げられている雄英体育祭なのだから。
キャシー達が来るまで部屋でテレビ中継を見ていたんだけど、1年生が出る最初の2競技がすごくつまらなかったんだよ。
障害物競走はファイテックスを着たイッくんが障害全無視で空を飛んでブッチギリで1位。
爆豪君も手から爆発出して追ってたんだけど、ジェットエンジンには勝てなかったよ。
でもって次は騎馬戦だったんだけどさ、ここもイッくんがファイテックスのパワーを活かして騎馬を組んでいた生徒全員を担いで上空へ逃げた。
そして個性だと昇れない高高度でタイムアップまで粘るというチキン戦法でまたしても一位奪取。
会場からは見事なまでにブーイングが飛んでいたんだけど、イッくんはスーツの拡声器機能を使って『ルールは破ってない。楽に勝てる方法を考え付かない奴が悪い』と反論するなど全く悪びれていなかった。
そして三つめは成績上位の生徒同士で模擬戦闘という、体育祭や教育とは何ぞやと言いたくなるようなイカレた種目だった。
「イズクもかなりヘイトを溜めたみたいだけど、いったいどうなるかな」
「あれ? キャシー、イッくんのこと知ってるの?」
ダイアナがそう問いかけるとキャシーはニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
ヒーローとしては格好いいけど、女の人としてはどうなんだ?
「ああ。あの子のパワードスーツ製作に少し手を貸したんだよ。シールド博士を紹介したりしてな」
「そうなんだ! ところでシールド博士って誰?」
「アメリカにいる科学者だよ。ヒーロー用のサポートアイテムを多く造っているね。オールマイトやキャシーのスーツも彼が作ったものだよ」
ダイアナの質問に頭を撫でながら答えるグランパ。
「たしか年頃の娘さんがいたはずよ。もしかしたらエレイン達のライバルになるかもね」
「なにを言うか! エレイン達はまだまだ嫁になんて行かせないぞ!!」
そう笑うグランマとは裏腹に、グランパは真っ赤な顔で怒鳴っている。
ふむ、イッくんはただの従兄弟でそういう対象ではないんだけどなぁ。
そんなやり取りをしている内に、イッくんの試合は終わってしまった。
相手は人操という人だったけど、開始早々にファイテックスのパワーアシストを活かした正拳突きを腹に叩き込んで場外まで吹っ飛ばしてしまったのだ、
すごいな、ファイテックス。
いや、イッくんの操作がいいのか。
「あのシンソウって坊やは精神作用系の個性だったんだろうね。試合前に餌を撒いていたけど、イズクはそれに引っ掛からなかったんだ」
「ほう……そんな駆け引きがあったのか」
キャシーの解説に感嘆の声を上げるグランパ。
一見するとワンパンだったけど、その実はテクニカルな試合だったようだ。
『テクニカルかぁ。私達もそういう技っているのかなぁ』
『何を言ってるんだ。幻覚とか人間電子レンジで内部から肉体を爆砕とか色々あるじゃないか』
『そういうグロとかゴアじゃなくてさぁ、殺意低めなの無いの?』
『回復系とか補助を除いたら、殺意の塊みたいなのしかないなぁ』
なにせ私達のヴァジュラは魔獣たん由来だもの、仕方ないね
さて、私達がそんな事を考えている間にも対戦は続いていく。
爆豪君は危なげなく勝ち進み、切島君は似たような個性の相手と殴り合いの末にダブルノックアウト。
その後、何故か腕相撲でサドンデスを行って勝利した。
上鳴君はツタを使う生徒に電撃を浴びせたものの、ツタをアースにすることで無効化されて一回戦敗退となってしまった。
また「うぇーい」になっていたけど、大丈夫なのだろうか?
後の1-Aの人達は私達と関りが少なかった事もあり、義理で応援していたので結果は憶えていない。
そうして訪れたイッくんの二回戦だが、相手は同じ組の轟君だった。
『原作ならここでイッくんが負けるんだけど、全然違うから分からないなぁ』
『だろうな。その知識は頼るんじゃなくて参考程度に考えるべきだ』
ダイアナが言うには轟君の個性は『半冷半燃』といって、炎と氷を操るらしい。
一年でも屈指の個性らしいが、イッくんはどうやって攻略するんだ?
私達が固唾を飲んで見守っていた戦いは、驚くほどあっけなく終わった。
轟君が初手で氷を出そうとした瞬間、ファイテックスの全推力を利用してイッくんが彼の懐へ飛び込んだのだ。
そして振ろうとしていた轟君の腕をコンパクトに振り下ろした左腕で打ち落とし、そこから試合場の床を踏み割る程の震脚と共に繰り出した右拳で彼の腹を穿つ。
あれは間違いない。
マンガなんかで見た中国形意拳の一つ『崩拳』だ。
ファイテックスの推力に加えて踏み込みや腰の回転、そして機械で強化された腕力。
その全てが乗った一撃は轟君の身体を場外どころか、客席のフェンスへダイレクトで激突するほどに吹っ飛ばした。
イッくんの勝利なんだけど強個性の轟君が脱落したのが驚きだったのか、会場はシンと静まり返ったままだった。
だからだろう。
立てずに嘔吐する轟君に告げたイッくんの言葉が私の耳に届いたのは。
「こっちは命懸けで夢を追ってるんだ。理由がどうだろうと、手を抜いている奴なんて眼中にないんだよ」
何時ものイッくんからは想像もつかないような冷たい声でそう言い残すと、イッくんは会場を後にした。
「今のってどういう意味なんだろうな?」
「あの轟って子が本気でやってなかったって事だろうね」
首を傾げる私に応えるキャシー。
そう言われてみると、轟君は今まで炎を一回も使った事が無いのに気が付いた。
「なるほど。今まで凍結能力のみで戦ってきた事を言っているのか」
「ああ、そっか」
ダイアナは何か知っているようだが今更だ。
もう関わる事がない人間の内情なんて知る必要は無いだろう。
その後もトーナメントは順調に進み、決勝はイッくんと爆豪君の戦いになった。
「出久ぅ! 今日こそ全力のテメエに地面を舐めさせてやるぜ!!」
「そうはいかない。僕はまた背負うべきものが出来たんだ、君の矜持を踏み潰して先へ進む!!」
対抗心むき出しの爆豪君と言葉の端々に覚悟が見て取れるイッくん。
二人の戦いは今までの試合とは一線を画していた。
空手や中国拳法を交えたイッくんの打撃に、喧嘩殺法に近い形の独自の体術で対抗する爆豪君。
そして爆豪君の爆破をファイテックスに内蔵された火器で迎え撃つイッくん。
二人の実力はまさしく互角。
ぶつかり合うたびに爆炎が上がり、血と汗と破損したファイテックスの破片が試合場を舞う。
そんな感情むき出しで戦っているからだろう。
試合場に充満した彼等の強烈な思念は、私達にその胸の内を伝えてきた。
爆豪君にとって、イッくんは庇護するべき対象だった。
自分の後ろを付いてくる無個性の幼馴染。
だからヒーローになって普通に暮らすイッくんを守る。
そんな未来を当然のように思い描いていた。
しかし四国消滅からその状況は一変する。
私達を失った事で生きる屍になったイッくん。
爆豪君は心配の他に、幼馴染で一番近くにいた自分以外の事でそうなったイッくんが気に入らなくて暴言を吐いた。
『どうせその女達も大した事の無いモブ共なんだろうが! とっとと忘れて俺について来いや!!』
その結果、爆豪君は文字通りイッくんに殺されかけた。
仰向けに倒れた爆豪君の両手首を信じられない程の力で床に押さえつけたイッくんは、ひたすらに彼の顔面へ自分の額を打ち付け続けた。
鼻が潰れ、前歯が折れ、目が塞がる。
今まで感じた事にない痛みも、切れた額から流れる血で顔を真っ赤にしたイッくんも恐ろしかった。
けれど何より彼が恐怖を感じたのは、自分に向けられた無価値なモノを見るようなイッくんの目だった。
まるで道の端に転がる小虫の死骸に向けるような目、それは当時のイッくんにとって爆豪君は『すでに終わったモノ』である事をまざまざと思い知らせた。
幸い異変に気が付いた引子叔母さんによってイッくんの暴走は止められたが、あのまま行けば自分は殺されていたと爆豪君は確信した。
もちろん緑谷家と爆豪家は揉めに揉めたが、それに終止符を打ったのは被害者である彼の父親だった。
爆豪君から事情を聞いた父親は彼の頬を打った。
そして呆然とする爆豪君をこう諭したのだ
「人間の心には絶対に他人が踏み込んではいけない場所がある、触れてはならない傷みがある。誰かがそこに触れたら後はもう命のやり取りしかないんだよ」
その時に初めて、爆豪君はイッくんにとって私達を失った事がその傷である事に気が付いた。
そしてその気は無くても、吐いた言葉が暴力以上に相手を傷つける事も。
その後、爆豪君は納得がいかないと怒る母親を自分が悪いからと宥めて、緑谷家との破局を回避した。
事件が終わって少しすると、立ち直ったイッくんは何かに憑りつかれたかのように努力を重ねた。
生傷が絶えず、何度も血反吐を吐きながらもヒーローになる事を諦めないイッくん。
無個性ながら自分と対等に戦えるようになり、さらには科学者として天才少年の名を持つに至った彼を爆豪君は認めるようになる。
子分でも自分を輝かせる付属物でもない。
全力を以て超えるべきライバルであると。
だからこそ彼はこの戦いを待ち望んでいた。
自ら定めた目標を、あの苦い記憶と共に立ち塞がる壁を越えて『もっと先へ』進む為に。
そしてそれはイッくんも同じだった。
彼にとって爆豪君は最も身近にいる尊敬できる友であり、同時に無個性の限界や個性社会の理不尽を叩き付けてくる存在だった。
彼に虐められる度、これ見よがしに個性を見せつけられる度に無個性である事の惨めさを突きつけられた。
何故自分に個性がないのか?
どうして自分の抱いた夢をこうも馬鹿にされなければならないのか?
イッくんだって人間、理不尽に虐げられれば反発するのは当然だ。
爆豪君に対して怒りを感じる事は何度もあったし、殺意だって抱いた時もある。
それを表に出さなかったのは、幼いながらに強個性を持つ彼には勝てないと悟っていたからだ。
そんな日々の積み重ねから私達が夢を肯定するまで、爆豪君は長らくコンプレックスの象徴としてイッくんの心に重く圧し掛かっていた。
それが変化したのは爆豪君を殺しかけた事件からだった。
あの時、殺意に支配されたイッくんは彼を容易く無力化した。
それは『デクは自分に反抗しない』という爆豪君が持つ心の隙を突いた事に加えて、彼の持つ高い観察眼が今までの経験によって、両掌からしか爆破を出せないという爆豪君の個性の弱点を見抜いていたからだ。
決して褒められた事ではないが、あの事件はイッくんが自信を取り戻す切っ掛けとなった。
そして努力を積み重ねる中で爆豪君との仲も再構築され、イッくん自身も彼をライバルと認識するようになった。
それでも…いや、だからこそ緑谷出久にとって爆豪勝己は無個性の自分を誇る為に乗り越えなければならない壁なのだ。
「出久ぅぅぅぅっ!!」
「勝己ぃぃぃぃぃっ!!」
お互いボロボロになった体を酷使して固めた拳を振りかぶる。
最後の一撃が放たれようとした瞬間、私は背筋に冷たい物を感じた。
この世界では私達以外にあり得ない強力なヴァジュラの反応。
そして多くの嘆きや怨嗟を無理やりに人の形へ押し込めたような薄気味悪い気配。
私は、いや私達は過去にコレを感じた事があった。
惨劇の舞台となった空母アレキサンドリアで。
「お姉ちゃん!」
「ああ! キャシー、気を付けてくれ! 敵が来る!!」
「なんだって!?」
私の警告から間を置かず、私達から左に8つほど離れた席の地面から黒い触手が沸き起こった。
それは身なりのいい初老の男性の尻に突き刺さると、まるで葉脈のような筋を皮膚の上に立てながら全身へと広がっていく。
そして、それが顔に到達すると両の眼球を押し出して眼窩を突き破り、同時に左右に割れた腹部から臓物を押し出した。
「う…うわあああああ───ぐぼっ!?」
「いやああああああっ!? 化け物ぉぉぉ───むごぉっ!?」
悪夢のような光景に隣の観客が悲鳴を上げるが、彼等も最初の犠牲者同様に黒い触手に串刺しにされ、間を置かずに血と臓物を吐き出しながら生ける屍へとなり果てる。
「お姉ちゃん!」
「ああ!」
この胸糞の悪くなるような光景は間違いない。
ヴァジュラノイドが使った融合捕食だ。
ダイアナがヴァジュラで防御結界を張ると同時に、私は惨劇が起きた一帯をパイロキネシスで焼き払う。
生ける屍共が断末魔を上げるが知った事ではない。
ああなっては最早手遅れなのだから。
そうして炎が天を衝く中、汚染されたヴァジュラが揺らぐと同時に熱波の中から何かが飛び出してくる。
むき出しの脳に鍛え抜かれた身体を覆う漆黒の表皮、それはUSJで見た脳無と呼ばれた個体と同じモノだった。
あの時の奴と違うのは背中から汚染区域へと延びる皮膚と同色の触手、そして肚に納まった仏の手印を模したような機械だ。
「お姉ちゃん、あれ……」
「間違いない。マンダラだ」
並行世界においてグエン・モルガン博士が生み出した、自然界のヴァジュラを生成強化する超能力増幅装置。
この世界では絶対に制作不可能なそれが何故存在するのか?
当然の疑問が頭をよぎるが、私にそれを考える余裕は無かった。
『ヴァ…ジュラ……!』
奴はそう呟くと振り抜いた腕から真空波と雹弾、そして鉄の礫を放ったからだ。
「チッ!」
グランパ達やキャシーの事を考えて、ダイアナが張った障壁を強化する。
奴の攻撃がバリアに当たって火花を散らす間にも、浸食された床は次々に観客たちを食い荒らしていく。
中にはただ食われる事を良しとせずに、浸食された場所を個性で切り離そうとする者や助けを求める犠牲者を排除しようとする者もいる。
だがそんな努力を嘲笑うかのように、床から生える触手たちは容赦なく観客をその胃の腑へと呑み込んだ。
そして私達の障壁に叩き付けられる攻撃も次々にその姿を変えていく。
電撃、石弾、水流、火など。
それらは地獄を抜け出そうと藻掻いていた犠牲者達が振るっていた個性だった。
「エレイン、ダイアナ、もう少しだけ耐えて。「大気」は私の1,000倍の大きさで固まる!!」
奴の能力の厄介さに内心で舌を巻いていると、キャシーがそう宣言した。
すると障壁の後ろに巨大な質量を持った何かが現れる。
何かと現したのは私達の目にはそれが全く見えないからだ。
「私の家族に手を出すな! フィスト・バンプ・トゥ・ジ・アース!!」
裂ぱくの気合と共にキャシーが手を振るうと、怪人は見えない拳を叩き付けられたかのように真横へ吹っ飛んだ。
「二人共もう大丈夫よ。バリアを解除して」
「ダメだ。今解除したら奴に食われる」
「足元見て。例の黒染み、ここまで来てる」
そう。
今の攻防の間にも奴の浸食範囲は拡大しており、私達が張った障壁に食い込もうとしていたのだ。
「仕切り直すぞ、ダイアナ! グランマ、キャシー! 私を掴んで!!」
「うん! グランパ、私から離れないでね!」
キャシーはともかく、グランパ達がいては反撃もヘッタクレも無い。
おっと、その前に予防線は張っておかないとな。
『イッくん! 聞こえるか、イッくん!!』
「え…エレイン?」
私は突然のことに戦闘を中断しているイッくんへ思念波を送る。
正直言ってあまり使いたくない手だが、緊急事態なのでそうも言っていられない。
『言葉に出さなくても頭で考えるだけでいい。悪いけど、今のヴィランには触れないように警告を出してくれ』
『触れるとどうなるの?』
『奴の能力は融合捕食、迂闊に触れると食われる。しかも食われた人間は個性まで奪われるようだ』
『なっ!?』
『奴に向かっている教師には絶対に伝えてくれ。あと、生徒や観客はすぐに逃がすように。奴は浸食した床からも人を食えるらしい』
『わかった! エレイン達も逃げるんだ!』
『キャシーはともかくグランパ達がいるからな、無茶はしないさ』
そう締めくくると私はダイアナと共にヴァジュラの出力を高める。
『行先はどこにする?』
『最寄りの警察署』
妹の問いにそう返すと、私達は目標に向けて転移する。
尻尾を撒いて逃げ出すのかって?
馬鹿を言うなよ、戦略的撤退さ。
私達以外のヴァジュラ関連の技術なんて、放っておくわけないだろう。
ヘル幼女:ヴァジュラを使うの私達だけでいい。
デス幼女:下手に弄られると第二の魔獣たんが生まれそうだし、とっとと叩き潰そう。
過保護伯母:ウチの家族になにやっとんじゃあ!
V(ヴァジュラ)チューバ―:人間も個性もうめえ。融合捕食を繰り返して知性を付けると愉快な事になるかも